7月19日

 今日の朝刊に坪内さんの『みんなみんな逝ってしまった、けれど文学は死なない。』(幻戯書房)の書評が掲載されているはずだ。現物は確認していないけれど、告知のツイートをしておく。読書委員になって半年経つが、一番書きあぐねたのが今回の書評だった。それは「近しい間柄にあったから」などということではなく、どの点に触れるのが一番よいのか、選ぶのが難しかった。跋文に書かれてあるように、この本の核となっているのは「福田章二論」だろう。でも、文芸誌に掲載される書評ではなく、新聞に掲載される書評だと、「福田章二論」に的を絞って書くと、この本に反応する読者は限られてくる。

 「福田章二論」で問題にされている「純粋さ」は、坪内さんの「評論」でずっと扱われてきたものではある。あるいは、福田章二に向けられる「ラセン状」という形容は、坪内さんの文章にも共通するところもある(坪内さんの晩年の文章は改行が増えていて、「『町の普通のそば屋』と秋山駿さん」という随筆だと、表題にある二つのテーマは、「ここで話が飛ぶ。」という一行でポーンと繋がれる。文章を書いていると、こういうつながりのところをもっともらしく繋げてしまいたくなる――平仄を合わせてしまいたくなる――けれど、坪内さんは「ノンフィクションは平仄を合わせちゃ駄目なんだ」と言っていた。「俺の『靖国』にだって平仄が合わないところがあるんだけど、平仄が合わないところはそのままにしておくことによって、のちに誰かがそこを繋げてくれるのだ、と」。

 この本は、同じく幻戯書房から出版された『右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない。』に続く評論集だ。前作のタイトルにあるように、坪内さんはネットでの言論のありように悲観的だったし、今作の中でも、『新潮45』がネットの「炎上」により廃刊となったことについて、「二〇一八年九月二十五日は活字がネットにほろぼされた日だ」と書く。そう書いていた坪内さんの言葉は、これから先の時代、そこに込められているものが伝わりづらくなってゆくのだろう。ぼくは「『第三の新人』としての長谷川四郎」を読んで、そこでさまざまな文脈が触れられていることに唸らされたけれど、初めて読む人は「なんか自分語りをしてるな」とか、「なんか改行が多いな」としか思わない可能性もある。だとしたらまず、坪内さんの文章には文脈が詰まっているのだということを書かなければと思った。

 この本の中にひとつだけ講演録が掲載されていて(「本の恩師たち」)、そこで「ぼくは先行きに関してちょっとペシミスティックになっているんです」とした上で、しかし「後ろを、つまり若い人のほうを振り返って説教をしたり啓蒙的なことを語るのではなく、逆に背中を向けたまま、とにかく走りつづけてゆけばよいのではないか。その背中を見て、なにかを感じてくれるゆとり世代の人もでてくるのではないか」と講演をしめくくっているのを目にして、今更ながらハッとさせられた。坪内さんは「後ろ向きで前へ進む」人で、過ぎ去ってゆく時代の手触りを厳密に書き残そうとした。それは、後の世代が「あの時代はどんな時代だったのだろう?」と振り返ったときに、その時代をありありと感じられるようにと書き残しているのだと思っていた。でも、それは坪内さんが企んでいたことの半分だったのだと、今になって気づかされる。坪内さんが好きだった「ちいさな片隅の別世界」は次々と破壊されていったけれど、坪内さんの書き残した言葉を通じてそれに触れ、それを再興させたいと考える世代があらわれたときに、手がかりとなるものを書き残しておいてくれたのだろう。

 窓からは何日ぶりかで外から陽が射し込んでくる。朝から洗濯機をまわし、たまごかけごはんを平らげる。漂白剤を多めに入れてタオルなんかを洗って、次に少しだけ漂白剤を入れて服を洗う。それが乾くタイミングを見計って、タオルケットを洗う。そして再び間隔を空け、最後にシーツを洗う。ベランダがそんなに広くはないので、一度に干せず、何度もベランダと洗濯機を行ったり来たりしていると、「執念がすごいね」と知人が言う。「そこまで『今日のうちに全部洗濯してやる』って気持ちを持てるってすごい」と。最後に洗ったシーツを干し、競馬中継をぼんやり眺めてから、知人とふたり散歩に出る。

 缶ビールを開け、根津神社を通り抜ける。春には多くの人がツツジを見物していたのに、花がなくなった今では誰も見向きもしなくなった。なんとなく立ち止まり、緑のツツジを眺める。「花が咲いとるときより、こっちのほうがきれいやけど」と知人が言う。根津のギャラリーで長嶋祐成『THE FISH 魚と出会う図鑑』原画展を眺める。そこから不忍池まで出て、オークラ劇場の先にあるセブンイレブン黒ラベルのロング缶を買って、蓮を眺める。夏の楽しみである上野動物園のナイトサファリ、今年はさすがに開催されないのだろう。人混みを縫うように歩く。久しぶりの晴れだけに、散策する人が大勢いる。マスクをしていない人のほうが大声で話している気がする、と知人がつぶやく。路地を歩いて引き返し、「往来堂書店」で『メイドの手帖』を手に取ると、「それ読みたかったやつ」と知人が言う。「ちよだ鮨」でパック寿司を買い求め、団子坂を上がっていると、少し前にオープンしたお寿司屋さんのカウンターに誰も座っていない風景が目に留まる。