7月22日

 朝、たまごかけごはんを平らげ、企画「R」の原稿を書く。11時を過ぎたあたりから、何度も郵便受けを覗きに1階に降りる。郵便受けは空のままだ。道路を挟んだ向かい側では何かの工事をやっていて、警備員のおじいさんがずっと汗をぬぐっている。昼はサッポロ一番塩らーめんの野菜炒めのせ。今日は水曜日だから、『c』に向けた作業がおこなわれる日だ。ただし、この状況を受けてリモートで話をすることになったというので、ぼくもM&Gの事務所には足を運ばず、リモートで参加(「参加」といっても、マイクもビデオもオフの状態で、傍受しているような状況だ)。ぼくはこの作業をいずれ言葉にするためにこうして「同席」させてもらっているのだけれど、単にドキュメントを書くためだけでなく、いろいろ考えさせられるところがある。

 1時間半ほどで作業は終わり、回線を切断する。終わってすぐに郵便受けを覗きに行くも、「日記」は届かなかった。すぐに原稿に戻る気にはなれなくて、ツイッターを眺めていると、柴崎友香『百年と一日』刊行記念のフェアの様子が流れてくる。そこに『ドライブイン探訪』もなぜか並べてくださっていることは昨日の時点で知っていたけれど、そうか、渋谷店だったのか。明日から連休に入ると渋谷に出かけづらくなる気がしたので、今日のうちに出かけることにする。千代田線と半蔵門線を乗り継いで渋谷に出る。スクランブル交差点のそば、大盛堂書店の前にある出口から地上に上がると、「こ、ここは一体どこですか」と呆然とする。もちろん基本的な配置は変わっていないのだけれども、渋谷駅の向こうに見知らぬビルがふたつ聳え立っている。『HMV & BOOKS SHIBUYA』に行き、『百年と一日』フェアの棚を眺め、リーフレットをもらっておく。日曜日に書評したばかりだということもあり、坪内さんの本はと探してみたけれど、広々とした「文芸」コーナーを探してみても、見つけることはできなかった。

 電車が混み始める前にと、早々に引き返す。が、半蔵門線に乗っていたこともあり、つい神保町で途中下車してしまう。東京堂書店三省堂書店をハシゴしたのち、16時過ぎに「浅野屋」に入り、生ビールを注文。入り口の自動ドアの電源が切られていて、常に少し開けた状態で保たれている。突き出しはメンマだ。テレビに映し出される大相撲中継をぼんやり眺める。ビールを飲み干し、梅酒のソーダ割りとナス味噌炒めを注文すると、「ちょっと、これツマんでて」と枝豆の小鉢を出してくれる。それならばとグビグビお酒を飲んで、梅酒ソーダをお代わりする。お店のお姉さんは時々店の外を覗く。そろそろ雨が降り始めそうなので、17時過ぎにお会計をお願いする。「最後まで(相撲を)観て行かなくていいの?」と言われ、そんなに真剣に観ていなかったことが、なんだか申し訳なくなる。

 17時半にアパートに到着してみると、「日記」が届いていたので、いそいそと読み始める。『AMKR手帖』が無事に(発売日より先に)届いたのだと知り、ほっとする。それと同時に、『AMKR手帖』の発売日は毎月23日だけれども、明日は祝日になるから、今日のうちに発売されていたのだと気づく。数日前に届いていた『AMKR手帖』を手に取り、ぼくの原稿が掲載されたページを開く。原稿を読み返してみると、「被爆者」と書くべきところが「被曝者」と誤変換されていることに気づき、背筋が凍る。ほとんどの人は気に留めないかもしれないけれど、祖母が「被爆者」だ、と言及するところで「被曝者」と書いてしまうというのは、痛恨の誤変換だという感じがする。それにもう一箇所、原稿を推敲するうちに接続詞の位置がズレてしまっていたことに気づき、暗澹たる気持ちになる。そして、この原稿は気合いを入れて書いたぶん、構成を練って平仄を合わせてしまったのではないかという気がしてしまう。日が暮れる前に知人が帰宅したので、早めに晩酌を始める。

 21時、『水曜日のダウンタウン2時間スペシャル』が始まる。毎週楽しみにしている番組で、オープニングテーマが流れると小躍りするほど好きな番組だったけど、冒頭の「ネットニュースに載るまで帰れません」を観ているうち、やるせない気持ちになる。フワちゃん、加藤紗里、クロちゃん、さらば青春の光・森田、ジョイマン・高木の5人が、ネットニュースに掲載されることを目指してSNSに投稿したり、街をロケしたりする。この企画を通じて、テレビとは違う規格が存在しているのだということが圧倒的に映し出されていた。これは単に「テレビの時代が終わり、ネットの時代が到来した」というありきたりな話をしているわけではない。象徴的だったのは、ロケの途中、フワちゃんが「ていうかそんな事より、今日東京都知事選じゃない?」と切り出したところだ。フワちゃんは投票所に足を運んで、一票を投じる。ただ、投票所では「バエる写真が撮れなかったから」と都庁前に行き、見事な一枚を撮り、投稿する。それがまたたく間にバズり、ネットニュースになる。スタジオでそのVTRを観ていた面々は、ダウンタウンを含め、何もコメントすることができなかった。それはそうだろう。選挙の投票日に「ていうかそんな事より、今日東京都知事選じゃない?」という感覚は、テレビの(バラエティ番組の)中には存在していなかった。昔ならフワちゃんのまっとうな言動を冷笑し茶化すこともあり得たかもしれないが、さすがに今の時代にそれは問題があることぐらいは肌で感じているのだろう、彼らは何も口にできず、ただ黙り込んでいた。それでこの場面は、ほとんど一つの時代の区切りにのように思えた。

 この企画の冒頭でフワちゃんは、TBS局内を歩いていた。その日は日曜日で、楽屋の並ぶフロアを歩いていたフワちゃんは「和田アキ子いんじゃん」と声をあげる。とっさにカメラは地面に向けられる。フワちゃんは気にせず、和田アキ子のほうに駆け寄ってゆく。姿は映し出されないが、「ソーシャル、ソーシャル」といなしながらも、フワちゃんと談笑する和田アキ子の声が聴こえる。その後、楽屋前に「和田アキ子様」と書かれた貼り紙を見つけると、フワちゃんはそこにキスマークをつける。スタジオでVTRを観ていた面々は「怖いですよ」「こいつ狂ってるよな」と口にするのがやっとだ。時代がもう変わってしまった。VTRが切り替わり、加藤紗里が映し出される。彼女は「月103万円のスタジオ」を「殿方」と過ごすために借りているのだという。そこでまず、彼女は自分がその日着ている服の金額を計算し、「今日のコーデは1380万」とSNSに投稿する。バブルのときにも、こんなふうに羽振り良く過ごしていた人たちが――羽振りよくというか、自分をゴージャスに見せたいという欲求に取り憑かれた人たちが――いたのだろう。しかし、その時代にはまだわかりやすいお金の動きがあって、街全体にもきっとバブルの盛り上がりが蔓延していたのだろう。そんな空気がないままに、謎にお金を見せびらかしている姿は、バブル以上に虚飾だ。