7月29日

 6時過ぎに目を覚ます。たまごかけごはんに、納豆と青ネギをのっけて平らげる。青ネギは知人があらかじめ刻んでタッパーに入れて冷蔵しているもの。そのタッパーがきちんと閉まっていなくて、冷蔵庫がネギ臭くなったときに注意したことがある。そのあとで、しれっとたまごかけごはんに青ネギをのっけて食べていたら、「文句言いよったのに」と咎められたので、ここ最近は青ネギをのせずに食べていた。それに気づいた知人は、どうして青ネギを入れないのかと言う。いや、入れたら注意されたから、と答えると、「そうやって『文句言いよったのに、何でたまごかけごはんに青ネギのせとんじゃあ』ってやりとりするのが大事な時間やろ」と怒られた。今日は久しぶりで青ネギをのっけて食べたものの、知人はまだ眠っている。

 明日以降は留守にするので、アイスコーヒー用のコーヒーを淹れ、続けて今日これからホットで飲むためのコーヒーを淹れる。地上波の情報番組をつけていると腹立たしくなるので、BSに切り替える。『ミステリアスプラネット』という番組がアマゾンの自然を映し出す。ゴールデンライオンタマリンというカエルが映り、その真似をして頬を揺らしていると、起きたばかりの知人がテレビ画面とこちらを見比べて、なんでいきなりゴールデンライオンタマリンやりだしたんよと面倒くさそうに言う。しばらく続けていると、画面の中に突如としてナマケモノが登場し、ゴールデンライオンタマリンは食われてしまった。

 何気なく銀行口座を確認すると、残高にカンマが二つある。初めてカンマが二つになっているところを見た。そんなことありえるんや……としばらく感慨に耽ってみたものの、自分で稼いだわけではなく、給付されただけである。すぐにパソコンを開き、クレジットのリボ払いを早期一括返済する手続きをとる。それだけで給付された半分が消えてしまった。ドライブインの取材をひとりでやっていたころ、最初のうちは週刊誌の連載仕事があったおかけで取材費をまかなえていたけれど、そのあとに沖縄に定期的に取材に行くようになってからは(交通費がどこかから出るわけでもなく、かといって本になるまでは原稿料もさほど出ないので)回しきれず、クレジットで決済した移動費や宿泊代はゴソッとリボ払いにしてみて見て見ぬ振りをし、毎月手数料だけを払って元金が減らないという日々を過ごしていた。それがようやく返済できた。

 手続きを終えると、シャワーを浴びてアパートを出る。東京駅は思ったより静かだ。新幹線の切符うりばに並んでいる人の姿はなかった。グランスタにある「崎陽軒」の売店に立ち寄る。シウマイを買って行こうかと思ったけど、そのまま食べれるやつだと賞味期限が明日なので、結局シウマイ弁当だけ購入する。18番ホームから、のぞみ27号(12号車16E)に乗り込んで、鞄からキッチンペーパーと消毒液を取り出し、手すりとテーブルを除菌する。12号車は1割くらいの乗車率だ。途中でトイレに立ったとき、マスクをしないまま眠っている乗客の姿があり、ぎょっとする。ひとつには、思わずクシャミが出たときに防げるのだろうかということと、それとは別に、通りかかった人から飛沫を飛ばされても気づけないのに、と。車内販売が何度も往来する。乗客が少ないうえに、車内販売を利用するお客さんも少ないのだろう。ワゴンだけでなく、かごを抱えて歩く販売員も行き交う。「ビールにチューハイ……」と言いながら歩いているけれど、今日は昼からプシュッと快音が聴こえてくることはなかった。

 車内では本を読んでいたのだけれども、「日記」が今日届くはずなのでそわそわする。日本郵便のサイトで確認すると、12時半には「お届け済み」になっていたので、待ちきれなくて知人に郵便受けを確認してもらって、写メを送ってもらう。じっくり読み終えたあとで、Googleマップを開き、このあと神戸に着いたらどこに行こうかと考える。ふと操作を誤ってしまい、瀬戸内海を拡大して表示してしまう。するとそこには何本も線があり、「神戸―上海」、「神戸―高松」、「東神戸―大分」、「大阪―釜山」といくつも航路が引かれてある。読み終えたばかりの「日記」にも上海から神戸に向かう船のことが出てきた。

 名古屋、京都と、新幹線が停車するたびに数人が降りて、片手で数えられる程度の人が乗り込んでくる。ぼくは新大阪で降りて、在来線に乗り換え元町に出る。「スマイルホテル」(神戸元町)にチェックイン。「GoToキャンペーンは利用なさいますか?」と尋ねられ、ああアレは悪い冗談ではなく本当におこっていることだったのだなと再確認する。しません、と答える。受付には「GoToトラベルキャンペーン割引の事後手続きが必要なお客様へ」と紙が貼られており、「弊社は、7月20日時点で国が提示するGoToトラベル事業の参加条件を満たしていると思われる為、登録が開始され次第、速やかに宿泊事業者としての参加申請を行う予定です」とある。ほんとに、なんでこんな状況で前倒ししたのだろう。6階の部屋に荷物を置いて、すぐに外に出る。

 Googleマップの指示に従って歩く。歩いている道が「トアロード」だということに途中で気づく。坂を上がってゆくとNHKの建物が見えてくる。どこの支局も、徒歩で移動していると不思議な位置で出くわすけれど、これはNHKに限らず各局に言えることかもしれない。出口裕弘が、下町には(学生街となった神田を除いて)大学がない、大学に限らず出版や放送局もないと書いていたことを思い出す。小林信彦の『日本橋バビロン』でも、山手にある学校で授業を受けたあと、下町に帰っていくのが嫌だったと書いていた。アメリカにも山手と下町はあるのだろうか。英語だと何だろう、ヒルトップか。ずんずん坂を上がってゆく。建物の前で自撮りをしている男女がいて、一体何だろうと地図を確認すると「神戸北野ホテル」とある。このあたりは観光客も歩くエリアのようで、街角には観光スポットをまとめた地図が掲げられている。ぼくが目指している場所を探すも、その地図には見当たらなかった。

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 15時、「海外移住と文化の交流センター」にたどり着く。建物の前には「ブラジル移民発祥の地」の碑があった。「移住 資料館」で検索したときに、昨日訪れた横浜の資料館と一緒に、この施設も出てきたので、せっかくだから行ってみようかと思ったのだ。この建物のことも、神戸から出港した移民の歴史も知らないままきてしまったけれど、その建物がかつて「移民収容所」だったと知る。「移民宿」のことは昨日の資料館で企画展が組まれていたけれど、神戸にも移民宿がたくさんあったという。ただ、国策として移民を送り出しているのであれば、出港までの施設も国が整備するべきではないかという声があがり、有志がお金を出し合い、この施設が作られたのだそうだ。館内には他に見学者はおらず、貸し切りだ。まじまじと眺めていると、施設の職員の方が声をかけてくださって、知りたいことがあるんやったら、書庫にも資料はありますからと案内してくれる。どちらからこられたんですかと、ごく普通の問いを投げかけられる。一瞬怯んだのち、東京からです、と答える。ああ、ずいぶんまた遠くからと職員の方は笑っていた。こんなふうに移動しておいて、何を怯んでいるのだろう。

 展示の中に「移住坂」という文字があった。この施設で1週間ほど過ごし、移住の手続きをしたり、検疫や予防接種を受けたり、現地の言語や習慣を学んだりしたのち、移住坂をくだって港に向かったのだ、と。「あの『移住坂』ってどこですか?」と尋ねると、建物からまっすぐ港に向かう路地を教えてくれる。そこにはなにか面影があるわけではないけれど、移住坂をくだり、元町駅に出る。

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 山陽本線須磨海浜公園駅へ。改札を出て、長い階段を下ると、正面に海と須磨海浜水族園が見えてくる。駅の名前からして、目の前に公園が広がっているのを想像していたけれど、駅と公園のあいだにしばらく住宅地が続く。大きな道路をわたると、須磨海浜水族園にたどり着く。「スマスイ」という愛称で書いたほうが早いしわかりやすそうだけれど、人をあだ名で呼ぶのも照れてしまうので、「スマスイ」と書くのを躊躇ってしまう。須磨海浜水族園は今、事前予約制になっており、ふらりと入園するには年間パスポートが必要だ。ただし、年間パスポートは「日」を基準とするのでなく、「月」基準だという。今日は7月28日だから、「8月に入ってから作られたほうがお得ですよ」と説得されるのではないか――と。そんな事前情報を目にして、かなり身構えながら(「東京からきてるんで、もう、今日しか作るタイミングがないんです」と言おうかと考えながら)「年間パスポートを作りたいんですけど」と窓口で伝えると、「あ、はーい」とあっさり手続きが始まり、少し拍子抜けする。

 パスポートは写真入りのものを作るので、完成まで1時間ほどかかるとのことだった。ここでひとりで見学するより、案内してもらいながら見学したいなと思ったので、「じゃあ、パスポートは明日受け取りにきます」と伝えて、須磨海浜水族園をあとにする。再び山手線に乗り、塩屋に出る。まずはY.Eさんにメッセージを送信し、待ち合わせて「貝殻」(「BOOKS青いカバ」で一日店長をしたときに配布物として制作したペーパーで、そこにH.KさんとY.Eさんと3人で須磨海岸を歩いた日のことを書いた)を渡す。ぼくはこれから塩屋を歩き直すつもりでいたのだけれど、「ついていっていいですか」とY.Eさんが言うので、自動販売機でビールとチューハイをそれぞれ買って、一緒に歩く。坂をくだっているところで、「二十歳の夏、どうしてくれんねん」とY.Eさんが言う。夏には旅行に行きたいところもあったし、大学もずっとリモートで、そんな言葉を口にしたくなる――と。その言葉に、うまく返事をすることができなかった。

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 その言葉自体は確かにありふれたもので、平凡とさえ言える。昔の記憶が甦ってくる。あれは同い年の少年Aが事件を起こしたときのこと。彼の犯行声明にあった「透明な存在」という言葉がクローズアップされ、メディアが中学生に「あなたは自分が透明な存在だと感じる瞬間はあるか?」と質問を投げかけたとき、ある、と答えた回答をいくつも見かけた。それを眺めながら、嘘だろ、と感じたことを思い出す。「透明な存在」と言ってしまえば、それは誰だってそんなふうに感じる瞬間はあるだろう。でも、それは今の時代や世代の問題ではなく、わざわざ口にするまでもない、当たり前のことだ。それを意味ありげに取り上げるメディアや、乗せられてそれを語ってしまうことに違和感をおぼえた。それに近いことは高校生になった頃にも感じた。『GTO』を読んだとき、いかにも現代的な高校生を描きながらも、その子たちが教師に反発する理由が結局のところ「大人なんて信用できるか」という、なんだかありふれたものに落ち着いているのを知り、なんだか白けた気持ちになった。そんなチープな言葉に、自分を託せるかよ、と。

 自分の感情を何かに託すと言うのは、とても難しいことだ。ただ、でも、言葉にすることなんて不可能だと思ってしまうと、そこですべてが断たれてしまう。それに、それがどんなありふれた言葉だったとしても、それを口にせざるを得ない状況があるとして、そうした言葉を口にしてこなかった自分が結局のところ能天気なのかもしれない。どんな言葉を返したものかわからないまま塩屋を歩き、舞台から見た客席のように、海に向かって家が段々に建ち並ぶ風景を写真に収める。目で見るともっと客席みたいな感じがするのに、その感じをうまく撮ることができなかった。駅前の「ななじゅう」というお店を通りかかると、お客さんが誰もいなかったので、これなら迷惑をかけずに済むだろうと入店。瓶ビールとゴーヤチャンプル、それにあと2皿はツマミを頼んだはずだけど忘れてしまった。箸を余分に一個使わせていただき、取り分けながら飲んだ。さっきの言葉に、特に言えることはないのだけれど、自分がどんなふうに過ごしていたのかを思い返したり、最近読んだ『日本橋バビロン』のことを話したりした。お客さんが入ってくる気配はなく、貸し切りだ。もしかしたら今の状況が影響しているのだろうか。せめてビールをたくさん飲もうと思いながら過ごしていたのに、それでも会計は2970円にしかならなかった。