7月30日

 6時過ぎに目を覚ます。ツイッターをぽちぽち眺めていると、「ナチスの子を育てるゲームはなぜ生まれたのか?」というゲームの情報が流れてくる。軽い気持ちでダウンロードする。リリースされたのは数年前だから、もしかしたらとっくに話題になったゲームなのかもしれないけれど、今日までその存在を知らなかった。第二次世界大戦中、ノルウェーナチスドイツの侵攻を受けた。フランスに「コラボラトゥール」がいたように、ノルウェーでもナチスに宥和的な態度を取る人たちもいたという。しかし、ドイツが敗れノルウェーが解放されると、ナチスに宥和的だった人は排他的なまなざしを向けられるようになった。大人たちだけでなく、占領中にドイツ人将校とノルウェー人女性のあいだに生まれたこどもたちも差別的な扱いを受けたという。そうしたこどもを養子として引き取り、育てるゲームだ。

 このゲームが参考にしたもののひとつに「たまごっち」が挙げられていたけれど、なるほどたまごっちに近い形式でゲームは進む。一日におこなえるコマンドが限られているなかで、食事を与え、風呂に入らせ、寝る前には本の読み聞かせをせがまれる。ゲームの中の「私」は工場に働きに出ており、その稼ぎは「70」。その稼ぎの中から、食事であるとか、ときにはプレゼントを買う。食事の中で一番安いのはおかゆ(15)だけど、これを4個ぐらい食べさせないと満腹にならない。手元に残るのは15だけだ。ただし、おかゆばかり食べさせていると「美味しくないな…」とこどもが言う。商店にはおかゆの他に、サンドウィッチや食材のセットも並んでいる。食材のセットは高く、食べさせるには1コマンドを消費して「調理」を行う必要がある。そうすると他の家事にしわ寄せが出て、たとえば読み聞かせを断ることになったりする。

 日々は平坦に進むわけではない。学校に通い始めると、こどもは「ナチスのこども」といじめを受けるようになる。体は汚れ、服は破られている。こどもをお風呂に入れて、服を縫う。どうしても食事はおかゆかサンドウィッチになる。工場での仕事は時折「残業」が選択できる。工場での労働は週6日、日曜日は休みになるので、日曜日に食べる食品を確保したり、プレゼントを買ってあげるためのお金を稼いだりと考えると、たまに残業を選択してしまう。こどもは寂しそうに帰りを待っている。そうして家事をこなすだけではなく、こどもが学校でいじめを受けたとき、こどもが両親について知りたそうにしているとき、どういう言葉を返すのか。ぼく自身はまったく寛容な人間ではないのに、ゲームの中だとせめて肝要であろうとしている。おかしな話だ。そして、その子がなるべく社会の中で孤立せずに生きていけるようにと「返答」を選んでゆく。しかし、ゲームも終盤に至ったところで、このゲームが提示するルートというのは「社会になんとか居場所を確立すること」ではなく、「差別的なノルウェーの社会から逃げること」だと気づく。その発想が自分の中にはあまり浮かんでいなかったことに、なんだか呆然とした気持ちになる。一度「クリア」したあとで、もう一度プレイし返す。

 気づけば13時になっていて、ああ旅先で何をやっているのかと、慌ててホテルを出る。エレベーターに乗っているあいだにケータイを触ると、「東京で新たに365人以上」という文字が目に飛び込んでくる。ホテルは「1003」のすぐ近くだったので、まずはお店をのぞく。「みやぎ民話の会」が発行する本があり、購入しようかと迷ったけれど、残り1冊なので気が引けてしまう。ぼくは別の街で買うことだってできるから、最後の1冊はこの街の誰かが買ったほうがいい気がする。結局何も買わないままお店をあとにする。

 さて、どこでお昼を食べようか。両側がすでに立ち退き、ぽつんと残る「MRTM食堂」の前を通りかかると、案外空いている。カウンターの一番奥に座り、まずは瓶ビールと腸詰を注文。今日は若い店員さんはいないのだろうか――あの店員さんが高齢の店員さんに高圧的な態度で接しているところに出くわすとなんとも言えない気持ちになる――と思っていると、奥から「あっち!」と言いながら若い店員さんが出てくる。そして高齢の店員さんに何か告げ、また「あっち!」と言いながら奥に消えてゆく。腸詰を食べ終えたところで、ビールを追加し、肉飯を頼む。オレンジ色の羽のついたサーキュレーターが2台回転し続けている。きっと一番の名物は麺なのだろうけど(前にこの店で肉飯を食べた話をすると、「そこはローメン食べとかないと」と言われたことを思い出す)、「肉飯」という名前に時代を感じ、つい注文してしまう。肉飯をかき込んで、店をあとにする。

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 元町駅からJRで摩耶に出る。ホームに降りると、すぐ北側のエリアで工事が進められている。駅前の、きれいに整備された雰囲気から、数分歩くと水道筋商店街にたどり着く。よそから訪れている側からすると、「摩耶に暮らそう」と決めたとすれば、「昔ながらの商店街や市場に惹かれて移り住む」ということばかり想像してしまうけれど、そんなふうに感じる人が多数派ではないから、ああして駅前の整備が進められているのだろう。灘中央市場を抜け、畑原市場の前まで行ってみると、入り口はとっくに塞がれている。トークイベントに呼んでもらったのは3月7日だから、もう5ヶ月近く経っている。市場のあった通りの脇に回ってみると、そこもすべてグレーの防塵壁で塞がれていて、見上げると大きなマンションが建設中だ。東畑原市場にまわると、「すし豊」の前を通りかかる。今日の夜のツマミに何かテイクアウトしようかとも思ったけれど、持ち歩いているとさすがに悪くなってしまうだろう。結局ぶらりと歩いただけで、摩耶駅に引き返す。

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 14時過ぎ、神戸駅北口からしばらく歩き、神戸市立中央図書館へ。入り口には「ご来館のみなさまへのお願い」という貼り紙が大きく出ている。「図書館には多い日には3000人以上の方が来られます」「熱があるなど、体調に不安のある方は入館をご遠慮ください」「館内ではマスクの着用をお願いします/※マスクをお持ちでない方には、紙の簡易マスクをお渡しします」と大書されている。2階の郷土資料コーナーに上がり、神戸の港や船舶会社、それに移民の資料を探す。閲覧席には「飲食はお控えください」とシールが貼られているのだが、普通に飲み物を飲んで過ごしている人や、マスクをせずに座っている人がいてちょっと驚く。

 2千円近く複写し、外に出てみると雨が降り始めている。コンビニまで走って傘を買おうかと思ったけれど、ホテルの部屋に戻れば傘はある。最終日に傘を2本持って移動するのは憚られるので、タクシーでホテルに引き返すことにする。大通りまで出ようと小走りで歩いていると、少し先に「もっこす」という字が見えてくる。「日記」で何度も名前を見にしたラーメン屋だ。しかも「総本店」という立板まで出ている。せっかくだから食べて行こうか。でも、13時にお昼を食べたばかりだし、ここでラーメンを食べてしまうと夜に食べられなくなってしまう。迷っているところにタクシーが通りかかり、それ(かもめタクシー/車両番号526)に乗り込んだ。

 乗った直後に、さきほど複写したぶんでお金を使い切っていたことに気づく。ワンメーターで済めばギリギリ足りるけれど、それも不安なので、「なにか電子マネーは使えますか?」と運転手さんに尋ねる。使えるのはペイペイだけだったので、途中でコンビニに寄ってもらう。「すみません、うちの会社はまだあんまり対応してなくて」と運転手さんが言う。「東京の方なんかは、『財布を忘れてもどうにかなるけど、ケータイを忘れると困る』とおっしゃいますもんね。お客さんはどちらからです?」と尋ねられ、少しだけ躊躇し、東京からです、と答える。ああやっぱり、東京のタクシーはいろんな支払い方法が選べるっていいますもんねと、運転手さんはごく淡々とした口調で続ける。

 ホテルに資料を置き、傘を持ってすぐに出かける。ほとんど雨は止んでいた。勤めを終えて帰途につく人が多いのか、電車は混み始めている。18時過ぎに須磨海浜公園駅で電車を降りて、水族園に向かう。結局何もツマミを持参できなかったなと思いながら歩いていると、「鳥光」という焼き鳥屋の看板が出ていた。その案内表示に導かれるように歩いていくと、大きなビルに「鳥光」と看板が出ていた。思っていたより格式が打ち出されているところに怯みながらも、ここで買わなければコンビニしか選択肢がなくなってしまうので、串焼きの盛り合わせを注文。注文を聞いてくれた店員さんは、厨房に注文を通すと、別の店員さんに「お茶とお代」と静かに言う。別の店員さんはうまく聞き取れなかったのか、何度か「お茶とお代」という声が聞こえたあとで、お茶と伝票が運ばれてくる。有名なお店であるのか、平日の18時にしてはとても賑わっていた。10分ほどで焼き上がった串焼きを受け取り、「ローソン」(衣掛町店)でアサヒスーパードライ(350ml)6缶セット、じゃがりこ、それに紙皿を買っておく。

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 18時34分、須磨海浜水族園にたどり着く。待ち合わせをしているH.Kさんの姿はまだ見えなかった。受付で年間パスポートを受け取って、しばらく水族園前のベンチに佇む。そこでようやく、目の前を走る大通りが国道2号線であることに気づく。ということは、10年以上前に原付で全国を移動していたときに、ここを通っていたのか。ケータイを確認すると、Hさんから少し遅れる旨連絡があったので、せっかくだからと夕暮れの海岸に出る。さっきまで雨が降っていたのに、少し晴れ間も覗いていて、空が赤く染まっている。砂浜の真ん中に柱が建てられていて、スピーカーがついている。例年であればきっと海水浴客で賑わっているのだろう。19時過ぎに入り口でHさんと待ち合わせ、中に入る。入ってすぐの場所に巨大な水槽がある。おお、、とじっくり眺めていると、Hさんが少し不思議そうな顔をする。昨日も、そして今日ここに到着してからも中には入っていないことを伝えると、「それはそれは、ようこそ」とHさんが言う。

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 順路に沿って水槽を眺めてゆく。最初のあたりに「アマモ場」という水槽があった。そこには海藻が茂っており、小さな魚が泳いでいる。ここは魚の幼稚園みたいなもんだと思う、とHさんが教えてくれる。たぶんやけど、水族館におるいろんな魚の稚魚をここで育てて、大きくなったらその魚がいる水槽にやるのではないか、いや詳しく調べたわけでもないから知らんけど――と。ほら、あそこにフグの稚魚がと指で示してくれたのだが、「フグの稚魚」というイメージが頭の中に薄いせいか、どれがフグの稚魚なのかわからなかった。少し進むとアナゴの水槽があった。水中に浮かべられた筒の中に、みっちりアナゴが詰まっている。マアナゴは「接触走性の魚」で、体が常に何かに触れていることを好む性質があり、こうして筒の中に密集するのだという。そうしてマアナゴ密集する水槽の上には「ソーシャルディスタンス/間隔を空けてご観覧ください」と表示されている。これは今しか見れない風景ですよとHさんに教えてもらい、なるほどたしかにと、その表示も込みで写真を撮っておく。でも、マアナゴの姿もどことなく愛嬌があるので、マアナゴに寄った写真も撮影した。

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 これがアカクラゲか。

 じっくり見ていると、あっという間に30分以上経過している。このままだととても閉園時間までに見学しきれそうにないので、途中で切り上げて、20時からのイルカショーに備え、19時40分にはイルカライブ館に移動しておく。席の半分ぐらいはコロナ対策で座れないようになっているけれど、残りの席も満席というほど埋まってはいなかった。Hさんは鞄から辛丹波の五合瓶を2本取り出し、1本はぼくに手渡してくれる。こないだ山登りをしたときにもHさんはこのお酒を持ってきてくれていた。そのとき、ぼくが酒のラベルに視線を落とすと、いや、そんなどうという酒でもとHさんは言っていたけれど、それが西宮の酒だとあとになって知り、ワンカップで有名な大関が西宮の会社が作っている酒だと検索して知る。大関は西宮の酒だったのか。辛丹波のお礼に(というには額が釣り合わないけれど)ぼくはトートバッグからアサヒスーパードライを取り出し、1本お裾分け。20時になると館内のライトが消え、イルカショーが始まる。プロジェクションマッピングの映像が『クロノトリガー』みたいだ。イルカの動きはもちろんのこと、あざやかに水槽にダイブし、イルカに押されるように泳ぐ飼育員の姿に圧倒される。水辺の生き物だ。

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ショーの終盤で、飼育員さんがこの水族園がオープンしたのは1987年だと振り返る。「歴代の仲間たちが、皆さんと一緒に作り上げてきた、地元・神戸で愛される、この素晴らしい水族園を、未来の時代へと伝えていけるよう、これからも海の生き物たちとともに、歩み続けます。この先もずっと――」。センチメンタルな音楽が流れるなか、そこまで語ると、まわりの飼育員さんが一斉にイルカに指示を出す。「、皆様の、変わらぬ応援を、よろしくお願いします!」。叫ぶような声とともに、イルカが一斉にジャンプし、水しぶきが舞う。20分ほどでショーを見終えると、本館3階の屋上庭園にある「水辺のふれあい遊園」に急ぐ。名前の通り、水辺の生き物たちと触れ合えるエリアだ。しかし、日が暮れたこの時間に――それも最後のイルカショーも終わり、皆が帰途につくこの時間に――この場所で過ごそうとする人は誰もいなくて、「水辺のふれあい遊園」は貸切だ。

 ただし、動物たちと触れ合うためにここに足を運んだわけではなかった。このエリアの端にはベンチがたくさん並べられた場所があり、そこで酒盛りをするためにやってきたのである。それぞれ違うベンチに腰掛け、Hさんが買ってきてくれた焼き鳥をツマミにビールを飲んだ。「水辺のふれあい遊園」の入り口には売店があるけれど、そこはもうとっくに閉店しており、フロアの電気も消えている。ぼくにはそんな学生時代は存在しなかったけれど、夜の学校に忍び込んだらこんな気分になるのかもしれないなと思う。もうすっかり閉ざされたはずの空間で、取り残されたようにして、ぼんやり酒を飲んでいる。静かに水流の音だけが響く。何の音かと思ったら、近くにゴマフアザラシの水槽があり、誰もいなくなった「水辺のふれあい遊園」でそのアザラシは泳ぎ続けているのだった。

 「橋本さん、三国志って読んだことあります?」とHさんに尋ねられる。ぼくは原典はもちろんのこと、漫画でも歴史小説でも読んだことがなかった。その中に、「シセルコウメイ、イケルチュウタツヲハシラス」という言葉が出てくるのだとHさんが教えてくれる。どういう字を書くのか想像もつかないまま、その音を頭の中で反復する。三国志にはコウメイという人が出てくるのだが、このコウメイが死んでしまったあとも、まるで生きているかのように見える(見せる?)ことによって、相手は「まだコウメイは生きているんだ」と勘違いした行動をとる――三国志に触れたことがないので、ぼくが話を聞き違えている可能性はあるけれど、そんなエピソードが出てくるのだという。「今のスマスイはそれなんです」とHさん。2023年度から“リニューアル・オープン”することになっていて、来年度からは解体工事が始まるのだという。だから、今はまだ営業が続いているように見えるし、さっきのイルカショーでも「1987年のオープン以来」と、今も継続されているようにアナウンスされていたけれど、今年の春でこれまで働いていた人たちは解雇されて、建物と動物は同じだけど、そこはもう別の施設になっているのだ、と。

 20時55分、閉館のアナウンスが流れる。「ここまで見回りにこんと思うから、出ていきましょか」と言われ、南出口から水族園を出る。目の前には須磨の海が広がっている。ときおりジョギングする人が行き交うぐらいで、海を眺めて佇んでいる人の姿はほとんど見当たらなかった。さきほどいただいた辛丹波を飲みながら、海を眺めてぽつぽつ話す。世の中には同業者の交流会というものがある。ぼくはそういった集いにはほとんど興味がなく、何度か人に誘われて参加したことがあるけれど、そこで自分の話したいことが話せるという感覚を得たことは一度もなかった。考えてみれば当たり前のことだが、同業者だからといって話が通じるわけもない。だから、同じように文章を書く仕事をしている誰かとこんなふうに話ができているということが、とても不思議な感じがする。そのフレーズを忘れないように、時々「シセルコウメイ、イケルチュウタツヲハシラス」と頭の中で反復する。今の時代、死んでしまった誰かの存在をそれほど強く意識する人も少ないだろうし、瀕死の何かに目を向ける人も少ないだろう。いつのまにかジョギングをする人の足音も聴こえなくなった。辛丹波をすっかり飲み干したところで、駅に引き返し、終電に揺られてホテルに帰った。