7月31日

 11時過ぎにホテルを出る。すぐ近くに中華街があるので、とりあえず豚まんでも食べようかと中華街をぶらついてみたものの、スルスル歩いているうちに中華街の外に出てしまう。そうだ、昨日途中まで歩いた「移住坂」から続く道を、港まで歩いてみよう。しばらく進むと案内板があり、「鯉川筋のイペ」という文字が見えた。この道は「鯉川筋」という名前であるらしく、ブラジルに移住する方が数多く歩いたことから、2008年にブラジル移住100年を記念し、ブラジルの国花・イペが植えられたのだという。さらに港のほうに進むと、ブロンズ色のプレートが古い建物に掲げられているのが見えた。「この場所において神戸で最初のアメリカ領事館が開設されました」の文字が刻まれている。メリケン波止場という名前を、「そういう固有名詞なのだろう」と何の疑問も挟まず受け入れてきたけれど、ここにアメリカ領事館があることから「メリケン波止場」と呼ばれるようになったのだと、今更ながら知る。世の中には「そういうものだ」と受け流してしまっていることが山のようにある。

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 昨日何時間もプレイしてしまったゲームのタイトルは「My Child Lebensborn」。このレーベンズボルンというフレーズを検索して、それはナチスがドイツ民族の人口増加と「純潔性」の確保を目的として設立した女性福祉施設だと知ったのはつい昨日のこと。いびつな優生思想のもとにホロコーストが行われたのと対をなすように、「優秀な遺伝子」を残すためにレーベンズボルンという施設が作られたそうだ。ヒトラーは北方人種を「より純粋なアーリア人」と見做し、ナチスの党員男性とノルウェー人女性の出産を奨励し、そうして生まれたこどもたちを育てるための施設がノルウェーに作られたのだ、と。知らないことが世の中には山積みだ。

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 高速道路の高架をくぐると「メリケンパーク」の文字が見えた。ようやく梅雨が明けたのか、青空が広がっている。ビールの看板に吸い寄せられるように「メリケンパーク・レストハウス」に立ち寄り、生ビールとメリケン・ドッグを注文。噴水で遊ぶ親子を遠目に眺めつつ、ホッドドッグを頬張る。カレー粉で味付けされている。港からスパイスが持ち込まれて、それが目新しいものとされた時代を懐かしんで、カレー味になっているのだろうか。メリケン・ドッグを平らげると、岸壁まで歩く。そこには海外移住と文化の交流センターでも目にした構図の石像が設置されていた。海に向かって夫婦とこどもが立ち、こどもは海の向こうを指さしている。「神戸から世界へ」「船上の希望」の文字。1908年、ここ神戸から第1回のブラジル移民船・笠戸丸が出港したことを記念し、こうして石碑が建てられたのだという。あらためてここが「メリケン波止場」と呼ばれたことを思い返す。それは、数日前に訪れた横浜の資料館の年表に、こうした記述を目にしていたからだろう。

 

1891年 サンフランシスコ市発刊の英字新聞が日本人労働者攻撃をはじめる

1896年 日本郵船会社がシアトル航路を開設

1897年 ハワイのホノルル港で1,000人以上の日本人が上陸を拒否される

1900年 「偽造旅券」所持者のアメリカ西海岸西北部への渡航が急増

     合衆国サンフランシスコ市で市民大会が開かれ排日決議が採択される

1905年 サンフランシスコに東洋人排斥同盟が成立される

1907年 サンフランシスコ市で暴徒が日本人経営のレストランを襲撃

 

 最初に官制移民が送られたのはハワイだ。そのハワイがアメリカ合衆国編入されると、ハワイからアメリカ西海岸を目指す日本人の移民が増加する。アメリカでは黄禍論が叫ばれ、日本人の移民が排斥されるようになる。そうした時代の流れの中で、アメリカではなく南米を目指す移民が増加したのだろう。「メリケン波止場」から、アメリカには渡りづらくなり、第一回のブラジル移民がここから出港する。それにしても、その歴史を知れば知るほど、日本で移民に反対する声が上がるということは、いかに歴史が忘却されているかの指標だと言える。日本での生活に希望を見出せなくなり、新天地を目指してどうにか海外に移住していった人たちがこれだけいるのに、どうして「移民反対」なんて言えるだろう。

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 今日は「BE KOBE」のモニュメントで記念写真を撮る人の姿を見かけなかった。岸壁に腰掛けて新聞を読む男性から少し離れた場所で、それを見守るようにして鳩がペタンと座り込んでいる。日射しに焼かれながら、ハーバーランドのほうに歩く。どこからどこまでがメリケンパークで、どこからどこまでがハーバーランドなのだろう。日射しにじりじり焼かれる。波止場の隙間のような場所で横になっている人の姿を何人か見かける。ショッピングモールの「umie」に入り、エスカレーターで5階に上がる。途中でフードコートを通りかかると、同じフロアにトイザらスがあるからだろうか、ベビーカーを押す若い父親や母親の姿をあちこちで見かける。ぼくは「大垣書店」(神戸ハーバーランドumie店)に立ち寄り、『あまから手帖』のバックナンバーを探す。ここはバックナンバー常備店とサイトに書かれていたのだが、2019年以降のバックナンバーは数冊あるものの、2018年9月号は在庫がなく、すごすご引き返す。

 地図を眺めながら、南に進んでゆく。かなり古い建物の脇を通り過ぎ、「中畑商店」の前を通りかかると、店内にお客さんの姿はなかった。これなら迷惑をかけずに済むだろうと手を消毒してから入店し、瓶ビールを注文する。テレビでは『ひるおび』が放送されている。お店の方が焼き直してくれたホルモンを端から平らげていると、テレビから速報の音が鳴る。東京の新規感染者は460人を超え、過去最高を更新する見込みだとテロップが表示される。「うわ、すごいなあ」とお店のお母さんが言う。マスクを外していることもあり――いやそれだけが理由ではないけれど――言葉を発することができず、曖昧な笑顔を浮かべる。あまり長居せずに店を後にする。神戸駅のほうに向かって歩き出す。少し進んだところに更地がある。前に訪れたときからそこは更地だったと思うのだけれど、ふと振り返ったときに妙にその風景が印象に留まり、リュックからカメラを取り出し写真を撮る。

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 14時過ぎ、今日も須磨海浜水族園へ。最初の大きな水槽には上から日光が射し込んでいて、夜とは雰囲気が違っている。昨日みそびれたままになっていた水槽を眺めて周り、ステンドグラスを写真に収め、「MARINESHOP」でスマスイうどんを注文。ペンギンもなかの皮と、魚の形をしたかまぼこと、たこ焼きが2個のっけてある。メニューにも「名物!!スマスイうどん」と書かれてあり、売店の前には「スマスイうどん」と書かれた幟まではためいている。

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 食べる前にと写真に収めていると、テーブルに向かって近づいてくる人影が視界の端に映る。このご時世に、人が食事をしようとしているテーブルに近づいてくるなんてと思い、なかばムッとして視線を上げると、Y.Eさんが立っている。昨日の夜、「明日の15時くらいに、また」と、H.Kさんとゆるやかに約束していた。それで、今日のお昼になってYさんから連絡があったので、今日ここで約束をしていることを伝えてあったのだ。ぼくがスマスイうどんを食べていると、Yさんが「え」と戸惑う様子を見せる。え、どうかしましたかと尋ねると、「今、うどん噛みました?」とYさんが言う。ぼくは啜る力が――というかおそらく嚥下能力が全般的に――弱く、麺をふたすすりしたあたりで力尽きてしまって、歯で噛み切ってしまう。それを意識していたわけではなく、ほとんど無意識にやっていたのだけれど、場合によってはぎょっとされるのだなと知る。

 今日の約束はあくまで突発的でゆるやかな約束だったので、Hさんは都合がつかないかもしれず、Yさんとしばらく水族園を眺めて過ごす。昨日はもう閉まっていたラッコ館で餌やりを見ることができて嬉しい。昨晩過ごした「水辺のふれあい遊園」にも再び足を運んだ。こどもたちが駆け回っている。リクガメとウミガメをじっくり眺めて、近くの売店で生ビールを買って、ぼんやり過ごしていると、東の空にどんよりした雲が浮かんでいる。あ、虹やとYさんが言う。そちらに視線をやると、どんよりした雲の手前に虹が架り始めている。一昨日塩屋を歩いているときにもYさんは虹を見つけていた。いつも「虹だ」と人に教えられてばかりで、自分で虹を見つけたことがないような気がしてくる。ビールを飲んでいるうちに雨が降り始め、「水辺のふれあい遊園」の屋根に雨が打ちつけられ、大きな音が響く。こどもたちは屋根の外に出て駆け回っていた。

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 雨が上がるのを待ち、海岸を少し歩く。せっかくだから最後にもう一杯と水族園に入り直し、売店でビールを飲みながら風景を眺めた。気づけば19時過ぎ、日が暮れかけている。普段であればどこか気になる酒場に出かけるところだけど、それを選択肢か外すとなると、どこに出かけたものか迷ってしまう。しばらく地図を眺めているうちに、そうだ、高浜岸壁でコンチェルト号が帰ってくるところを見届けようと思い立つ。ただし、直行すると時間を持て余しそうなので、新長田から地下鉄海岸線「夢かもめ」に乗り換える。初めて乗る路線だ。乗り換えのエスカレーターに「三ツ星ベルト」の広告が出ていた。地下鉄に乗ると、最初の駅のホームには「三国志のまち」の文字があった。神戸が横山光輝の生誕地であることから、ホームにそんな表示があるらしかった。これはいよいよ三国志を読むときがやってきたのかもしれないなと思う。地下鉄はガラガラだったけれど、和田岬に到着してみると、ホームでたくさん人が待ち構えていた。

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 和田岬で地下鉄を降りて、そこから北に進んでゆく。港湾の佇まい。外国の言葉を交わしながら、自転車で通り過ぎていく人たち。サッカーのユニフォームだろうか、追い越してゆく人たちの背中に背番号が見える。遠くに見える巨大なイオンに向かって歩いてゆくと、神戸市中央卸売市場の前を通りかかる。ズドンとした風景が続いていたところに、「船大工町」という町名の一角だけ、昔ながらの佇まいが残っている。「もやし」という看板が目に留まる。海産物であれば、昆布は昆布屋、鰹節は鰹節屋が扱う風景というのは那覇で目にしたことがあるし、ごぼう屋や田芋屋というのも見慣れているけれど、「もやし」と看板を掲げてあるのは初めて見た。もやしと聞くと単価が安い商品だという印象もあるけれど、それを専門に扱うお店もしくは問屋さんなのだろうか。

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 歩いているうちに時間が経ってしまった。どこかで食事を済ませてから高浜岸壁にと思っていたけれど、それだと時間がギリギリになってしまいそうだ。途中で通りかかった「餃子の満州亭」にテイクアウト可と看板が出ていた。店内にはサラリーマンのグループ客がいたけれど、そこと離れた場所のテーブルが空いていたので、そこに座らせてもらう。テイクアウトで餃子と揚げ焼売と蒸し鶏を注文し、出来上がりを待つあいだにビールを飲んだ。途中でコンビニに立ち寄り、日本酒(剣菱)の五号瓶と亀田の柿の種(6袋詰)買って、高浜岸壁へと急ぐ。21時10分に到着し、ちょっと景観の邪魔になるかなと思いながらもテイクアウトした料理を広げ、日本酒を飲み始めたところで、向こうのほうから小さな白い光が近づいてくる。ほどなくしてHさんもやってきて、少しずつ近づいてくるコンチェルト号を眺める。「名前は知ってても、どういうコースを走ってるか知らなかったんですけど、スマスイのほうを通ってるんですね」。そんなことを口にしてしまったあとで、なんだか間を埋めるように余計な言葉を吐いてしまったなと後悔しながら、黙ったままコンチェルト号を見つめる。低い音を響かせながら、コンチェルト号は岸壁にたどり着く。乗客が降りて、しばらく経って乗組員の人たちが降りてゆく。

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 Yさんは実家に帰らなければならないとのことで、22時半に帰ってゆく。そのあとも黙ったまま海を眺め続けた。どれくらい経っただろう、周りに人の気配が少なくなったあたりで、運営会社が破綻して港に停泊したままになっているルミナス神戸号を見に行くか、モトコーの様子を見て歩くか、どっちがいいかとHさんが提案してくれる。そうだ、今年の春にそのニュースを目にしていたんだと思い出し、ルミナス神戸のほうで、と答える。Hさんはぼくが「モトコーが見たい」と予想されていたのか、「ほんまに?」と言いながらも、ルミナス神戸のところまで案内してくれた。停泊したままのルミナス神戸と、その向かいにあるホテルの姿を見上げながら、お酒を飲んだ。ホテルの窓にはいくつか灯りがともっているけれど、それでもやはりかなり少ないほうだという。それに、いつもはもう少し岸壁に人がいるのに、今日は少ないほうだ、とも。途中でトイレに行きたくなり、ポートタワーのほうまでトイレを探しにいく。ヤンチャなバイクを並べた若者たちが、騒ぐでもなく、静かに佇んでいるのが見えた。

 しばらくルミナス神戸を眺めたあとで、稲荷市場に向かって歩く。今日のお昼に立ち止まった更地の前にたどり着くと、日付が変わって8月に入ると、いよいよこの更地にもマンションの建設工事が始まる予定で、この風景が見られるのは今日で最後だとHさんが言う。ほら、なんかいかにも更地になってるでしょと言われ、だから今日のお昼に妙に印象に残ったのかと気づく。Hさんが引っ越してきたころには、今は更地になってしまったその場所まで市場が続いていたという。もっと遡れば、さらに先まで市場は続いていたけれど、少しずつ再開発が進んで縮小されたのだ、と。ここにマンションが建てば、わずかに残った市場に蓋がされるような格好になる。これからどうなってゆくのだろう。しばらく更地を眺めたあとで、神戸駅まで出て、モトコーを端から順に歩いてゆく。もう閉鎖されて歩けなくなっているところもあれば、まだかろうじて姿を留めている場所もある。細い木の板に「靴修理」とだけ書かれた看板が目に留まる。昨日反芻した言葉をまた思い返す。よれよれと歩きながら、元町駅前までたどり着いたところで、「じゃあ、また」と挨拶してHさんと別れる。その感じから、また明日にでも会えそうに思ってしまうけれど、ぼくがまた神戸を訪れることができるのはいつになるか、今の時点では予想がつかない。そのときにはどんな風景が広がっているだろう。

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