8月6日

 朝からタイムラインに「ひろしまタイムライン」という取り組みに関連したツイートが流れてくる。妙に違和感をおぼえる。AI美空ひばりに近いものを感じる。そして、そんなふうに75年前の誰かを現代風にあしらうことで共感するというのは、あまりにもインスタントではないかと問いかけたくなるが、その問いかけは、「ではインスタントではない感情とは何か?」と、すぐに自分に返ってくる。一8時を過ぎたところで、つけっぱなしのテレビをNHKに合わせる。8時15分に鐘が鳴らされ、黙祷する人々の様子が映し出される。1分ってこんなに短かったっけ。式典は続く。テントの下に座る参列者が映る。そのあいだを、中腰のまま行き交うスタッフらしき人物が目に留まった。何を行ったり来たりしているのだろうと思ったら、手にはなにやらスプレーを持っている。参列者の手元にスプレーし、除菌してまわっているようだ。広島市長の平和宣言のなかで、「NPT」(核兵器不拡散条約)という言葉が登場したところで、総理大臣の姿が映る。ああ、出席していたのか。「NPT」という言葉が出ると、テレビ画面の中の総理大臣は目を瞑り、早く時間が過ぎ去ることを待っているかのよう。

 それにしても、戦争を振り返るときに決まって「御霊」という言葉が繰り返されるけれど、ぼくは上京して「みたままつり」に行くまで、この言葉に馴染みはなかった。広島市のホームページ(https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/heiwasengen/)に、過去の平和宣言がすべて掲載されている。それをすべて遡って確認すると、1990年以降はかならず「御霊」という言葉が宣言に含まれていたから、ぼくはあまり気に留めていなかったのだろう。最初に平和宣言がなされたのは1947年で、そこには「霊」という文字は見当たらない。当時の市長はGHQの検閲に気を配りながら起草したというから、「霊」という表現をすることで反発を招くことを避けたのだろう。それを示すように、サンフランシスコ平和条約の調印が目前に迫った1951年の平和宣言に、初めて「霊」の言葉が登場する。これが1952年には「諸霊」に、1953年には「御霊」となる。それ以降、頻繁に用いられるのは「霊」か「諸霊」だ。それが1972年から1974年にかけて、3年連続で「御霊」が用いられ、70年代から80年代にかけては「霊」と「御霊」(もしくは「霊」という言葉を用いない平和宣言)が入り乱れる。85年と86年は、サイトで確認すると「御霊(みたま)」と読み方まで表記されている。それまでは「ごりょう」と読んでいたのが「みたま」に変わったのか、それとも単に「御霊」という言葉になじみのない世代が増えたことを受けての対応だろうか。88年と89年では「霊」という言葉が用いられなかったが、1990年以降はすべての平和宣言に「御霊」が登場していた。

 昼、近所の八百屋に出かけてみると、野菜うりばはがらんとしている。冷蔵庫にトラブルでもあったのか、一部の野菜は豆腐や納豆が並べられた場所に避難させてある。もやしとニラ、豚コマ、それに1玉250円もするキャベツを買って帰り、焼きそばを作る。今日も在宅で仕事をしている知人と一緒に平らげたのち、カレンダーを眺めながら来月のことを考える。半月くらいで新規感染者数が落ち着けば、9月上旬に取材で遠出することができるかもしれない。沖縄はあいかわらず大変な数字が毎日発表されているけれど、緊急事態宣言が出されているから、ある程度まで落ち着く可能性はある。ただし、感染がある程度収束したとしても、前以上に県外からやってきた人に厳しい目が向けられるだろう。それに、そもそも東京の数がもっと下がらないことには、その地域では取材が再開されたとしても、「東京から取材にやってきました」と言いづらいままだ。沖縄に、関西に取材として行けるのはいつになるだろう。

 企画「R」のことも考える必要がある。今は今月ぶんの原稿に向けて資料を読んでいるところだけれど、そろそろ再来月に向けた資料を揃え始めなければ。吉行淳之介安岡章太郎、このふたりのエッセイをある程度揃えておこうと、ネット通販でひたすら注文する。安岡章太郎のほうは、手に入りそうなエッセイはひとしきり手配した。19時半になったところで読書を中断し、枝豆を茹で、塩鯖の開きを焼き、晩酌。ぼくはわりに魚の皮を残すほうなので、いつも皮を下にしてグリルで焼いていたが、知人は皮も食べたい派で、皮がぬるっとした焼き上がりであることを不満に思っているようだったので、最近は皮を上にして焼いている。そうすると脂が全部グリルに落ちてしまうのではと思っていたけれど、案外そんなこともなく、最近はもっぱら皮が上だ(身が反るので、箸遣いが下手なぼくには少し食べづらくなるけれど)。21時にようやく『地ひらく』の上巻を読み終えて、チューハイを飲みながら『ロンドンハーツ』の録画を観た。