8月30日

 8時過ぎに目を覚ます。テレビでは『サンデーモーニング』が流れている。この番組の良識的でリベラルな感じは、とても懐かしい感じがする。そういえば同じく関口宏が司会を務めていた『知ってるつもり?!』は小さい頃からよく観ていたけれど、『知ってるつもり?!』のようにどっしりした番組を金曜日の21時に放送していたことが信じられなくなるのと同じように、『サンデーモーニング』のような番組も、やがて飲み込まれてしまうのだろう。『報道特集』や『サンデーモーニング』と、『グッとラック!』や『サンデージャポン』が同じ局で放送されているというのが信じられないくらいだ(先取りして書いてしまうけれど、週明け月曜日の『グッとラック!』は番組の冒頭で「今、『安倍ロス』というハッシュタグでの投稿が相次いでいる」と謎の情報を流した上で、コメンテーターとして橋下徹が出演し、冒頭から他局の『モーニングショー』の名前を連呼し、批判していた)。制作しているチームが違うから、まったく毛色が異なるのだろうけれど、それがひとつの窓から放送され続けているのを観ていると不安になる。

 『サンデージャポン』では、モデル・女優という肩書きで出演している山之内すずが、この問題で最初にコメントをする。「そうですね、やっぱり140日以上休まずに働いてらっしゃったりだとか、厳しい声もたくさんありましたし、こう、支持率の低下っていうのもあって、やめざるをえん状況でもあったのかなと思いますし、こう、SNSデモ安倍のマスクだとか、GoToキャンペーンだとかがトレンド入りして、注目を浴びていたので、精神的にも体力的にも厳しい部分があったのかなと思いますね」。突然辞任が発表されたタイミングで偶然スタジオにいたというわけではなく、辞任が発表された翌々日のスタジオに、どうしてこんなゲストを招き、こんなコメントを流してしまうのだろう。

 ただ、この日の『サンデージャポン』で愕然としたのは、元衆議院議員金子恵美によるコメントだ。総理大臣の辞任会見について、彼女はこう語り出す。

「気力がなくなったわけじゃなくて、やらなきゃいけないことを自分はもっとやりたいんだという思いがありながらも、体が思うようにおいつかない、思うように動かないことへのもどかしさというか、悔しさというか無念が感じられて、私は、ちなみに夫と二人で会見を見てたんですね。私は、第二次安倍政権の誕生と同時に初当選、いわば安倍チルドレンだったので、最後を見届けようと思って、夫と手を繋いで、手を握りながら――」

 太田光が「それは必要ないんじゃないですか」と冷静にツッコミを入れる。

 金子恵美はそれでも「もう号泣、涙が止まらなかったですね」と話を続ける。唖然とする。総理大臣の進退が、なぜこのように語られるのだろう。健康上の問題が理由だとはいえ、それで政治家としての道を絶たれたわけではなく、総理を辞しても議員ではあり続けるというのに。そこでなぜ「夫と手を握りながら」「涙がとまらなかった」と、ごく個人的な感情の問題を、このタイミングで放送にのせる必要があるのだろう。

 彼女は続けて、ラサール石井ツイッターでの発言を批判し、「まったくもって、政治家をやったことのないコメンテーターのコメントだと思いますね」「一度でも選挙に出て、そして国家のために命を尽くそうという思いのある人間であったならばですね、健康を理由に辞めることがどんなにつらくて、悔しいことなのか、どんなに悔しかったかなあって私はそこがほんとに思うので、もし、選挙に出てですね、総理になってから言ってもらいたい」と発言する。ここでも同じイメージが繰り返されている。総理大臣という権力者と、感情を媒介にして一体化する。そのおぞましさ。これは天皇生前退位のときにも見られたことで、大塚英志が『感情天皇論』で指摘していた性質の問題でもある。

 昼は塩豚とズッキーニのパスタを知人に作ってもらって、一緒に平らげる。今日のお昼は軽めにしておこうと、ふたりで200グラムにしておく。16時、からっぽの保冷バッグを抱えて、知人と一緒にアパートを出た。千代田線と大江戸線を乗り継ぎ、蔵前に出る。筑摩書房の前を通り過ぎたあたりに、目当ての花火屋「松木商店」はあった。これまで東京で花火をするとすれば、誰かに誘われてか、何かの流れでコンビニで買った花火をやることが多く、自分で計画を立てて花火をやってみたことは一度もなかった。でも、今日は「計画」してみようと思い立ち――「計画」といっても誰かを誘うわけではなく、知人とふたりでやるだけなのだが――せっかくなら花火の専門店を尋ねてみることにしたのだ。Googleマップで検索してみると、両国から蔵前にかけてババババッとピンがドロップされ、おお、となる(企画「R」で、この一ヶ月は両国の歴史を記した本を何冊か読んだばかりだ)。

 ここでもパックに詰められた花火セットも販売されていたけれど、せっかくだからと自分たちで選ぶことにする。「選ぶ」にしても、何の基準も持てず、外装を見ながら「あ、これ、懐かしい感じのやつやね」「これは最新ぽいな」と言いながら、適当に選んでゆく。購入は見送ったけれど、そこには掛軸花火や鳥籠花火というのもあった。そんな花火をやったことがあるような気もするし、テレビかなにかで目にしただけのような気もする。ざっくり選んで、会計をお願いする。お店のお父さんは、すべて値段を覚えているのか、次々値段を言いながら電卓を叩いてゆく。途中で手を止めて、こちらに目をやり、「あれ?――うちの店、初めて?」とお父さんが言う。はい、初めてですと答えると、「いや、見事に間違いない選び方をしてるから、何度かきてくださったことがあるのかと思って」とお父さん。ぼくはびっくりするほど単純にできているので、ほくほくする。北に向かって歩き出しながら、知人とふたり、何度か「あれ?――うちの店、初めて?」とお父さんの口ぶりを真似てみる。「いやー、あれ、見事やったわ」と知人が言う。ぼくがあまりにも単純に喜んでいるので、「あれも含めての花火代やね。もう、『お釣りは結構です』て言うたらよかったのに」と知人が笑う。

 隅田川のひとつ西側の路地を歩く。古いビルが建ち並んでいるけれど、建て替え工事中なのか、空き地もぽこぽこ見かける。古いビルも、リノベーションされて1階はおしゃれな店が入っているところも目につく。このあたりは空襲で焼かれたはずだから、高度成長の時期に今のビルが建てられたとして、半世紀が建とうとするあたりから「リノベーションか建て替えか」という判断を迫られたのだろう。浅草に出てみると、浴衣姿の若者たちで溢れている。今日は花火大会でもあるのかと勘違いしてしまう。もちろん花火大会が開催されるのであれば、こんな人出では済まないとわかっているけれど、久しぶりに浴衣姿の人たちをたくさん見た。

 ホッピー通りは今日も大盛況だ。早めにそこを横切り、「水口」の2階に案内され、瓶ビールとまぐろのお刺身、それに生アジフライを頼んだ。瓶ビールを頼むとき、念のため知人に確認すると「アサヒで」と言う。普段は滅多にスーパードライを飲まないのにと珍しがっていると、今日は喉が渇いてるから、キレのいいビールが飲みたかったのだと知人が言う。ぼくはそんなに厳密に味でビールを選んでいるわけではないので、感心してしまう。さきほど買った花火のうち、「ディスコ」と書かれた花火と、孔雀と書かれた花火だけ、記念に写真に収めておく。いずれも「中国江西省製造」と書かれている。

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 この日はあまりお客さんはいなかった。他のお客さんが店員さんに尋ねていたが、日曜日は引きが早いのだという。ふたりで大瓶を3本飲んで、おひたしと炙り明太子を追加し、ぼくは日本酒を、知人はチューハイを飲んだ。軽く酔いがまわったところで店をあとにして、隅田川に出る。スカイツリーがなにやらチカチカ光っており、「あんなにいろんな色に光りよったっけ?」と知人が不思議そうに言う。そう言われてみると、たしかにいろんな色がちらちらしている。しばらく眺めているうちに、それが花火を模しているのだと気づく。言問橋を渡る。言問橋吾妻橋もライトアップされており、スカイツリーと一緒に眺めると、なんだか統一感がなくて美しく思えなかったのだが、言問橋を渡りながら下流吾妻橋に目をやると、とてもきれいに輝いている。

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 荒川下流河川事務所のウェブサイトに「河川敷では、原則として家庭で出来る手持ち花火などの花火をすることは可能です」と書かれていたので、花火をやるなら荒川河川敷でと決めていた。ただ、京成押上線で八広に出るのか、東武伊勢崎線で堀切もしくは北千住に出るのか、決めかねていた。帰り道を考えれば北千住のほうが乗り換えなしで帰れて楽だけど、やっぱり今日は八広にする。カーブの多い路地を抜け、荒川に出て、河川敷で花火をする。どの花火も思いのほか長持ちする。しゅーっと吹き出す花火より、砂糖菓子のように火薬がコーティングされている、火花がぱちぱちと飛び散るタイプの花火が好きだということに、38年近く生きてきてようやく気づく。楽しみにしていた「ディスコ」と「孔雀」は、年代物すぎたのか、一瞬で燃え尽きてしまった。

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 1時間ほど楽しんだあと、土手に上がり、たしかこのあたりのはずなんだけどと歩いていると、住宅と住宅のあいだ、広い庭のようになっている空間に、「悼」と書かれた石碑があるのが見えた。関東大震災が起きたとき、このあたりの河川敷で朝鮮の方や中国の方が虐殺され、追悼のための石碑が建てられているのだ。「せっかくだから、挨拶に行く」と知人も言うので、土手を下りて、石碑の前まで行ってみる。隣の建物には「土ようの/13-17時/あいてます」と貼り紙が出ていた。知人がしばらく手を合わせるのを見届け、八広駅まで歩く。