1月1日

 6時過ぎに目を覚ます。新年。6時40分頃になると、つけっぱなしのテレビで初日の出の中継が始まる。富士山の向こうに稜線があり、山際がだんだん黄金色に輝き出す。CMを挟んで、6時45分頃に初日の出を迎える。圧倒的なひかりに、少しずつ世界が明るく照らされる。たった今世界が生まれているような、そんな気持ちにさえなる。知人は興味なさげに二度寝する。スタジオにいるアナウンサーも、「ずっと観ていたいくらいですねえ」と言う。画面にかぶさるようにスポンサーの名前が表示され、再びCMに突入してしまった。チャンネルをTBSからフジテレビに切り替えて、今年はオープニングから『爆笑ヒットパレード』を観ることができて嬉しい。

 8時過ぎ、朝食の準備をする。ガスコンロを点火する前に、あ、そうだと思い直し、知人を呼ぶ。小さい頃は、母親が台所や洗面所にも鏡餅を飾っていたし、沖縄ではヒヌカン(火の神)の御願もある。僕自身にさしたる信仰があるわけではないけれど、なんとなく、知人に「今年の火の使い始めをするで」と告げてから、鍋に湯を沸かす。こないだ新大阪のセブンイレブンで目に留まって買っておいた「千とせ」のレトルト肉吸い(2パック)を温めて、冷凍しておいたごはんを解凍する。いつもは3分で解凍できるのに、3分経っても冷たいままだ。もう2分温めてもまだ冷たい。新年早々壊れてしまったのかと思ったが、もう2分温めててみたらホカホカになった。

 「爆笑ヒットパレード』を眺めながら、肉吸いとたまごかけごはんを平らげる。蛙亭のネタ(牛丼屋のやつ)と空気階段のネタ(電車で怒っているおじさんのやつ)は、正月にやってくれてよかったなあという感じがする。やさしい世界だ。「正月なんて、なにがめでたいんだ」という人にも、このネタが届くといいなと思う。知人は再び眠りについてしまったので、洗い物をしたり、ひとりで『ヒットパレード』を観たり。11時半、煮しめ重を開けて、日本酒を飲み始める。〆に予約しておいた蕎麦を茹で、平らげる。今日のは田舎蕎麦で、こっちの太くて黒っぽい麺のほうが馴染みがある。

 知人はまた眠りについたので、ひとりで散歩に出る。今年は餅を買いそびれていたのだけれども、明日の朝食用に餅を買っておきたいところだ。不忍通り沿いのお菓子屋さんは当然どこも閉まっている。よみせ通りに向かうと、「九州堂」というアンテナショップ的なお店が営業していて、冷凍したお餅を売っている。白もちとあんこ入りを2個ずつ買って済ませようと思ったものの、昨日早めにおいとましてしまったことが気にかかり、今日も昼過ぎから何人かで集まるようだったので、白もちを追加で6個買って、山手線に揺られてM&Gの事務所へ。扉を開けると、Fさん、俳優のS.Hさん、それに編集者のYさんがいる。お餅、よかったらと差し入れると、ああ、お餅買いそびれてたんですとFさんが言う。好きな食べ物が少なかった幼少期のFさんが、「これはうまい!」と思った数少ない料理がお雑煮だったと、一年前の年の瀬にお堀端を歩きながら話したことを思い出す。テーブルにはマックのポテトが並んでいるのがおかしかった。

 30分ほどでおいとまして、17時に家に帰ってくる。『爆笑ヒットパレード』の見そびれていた部分を録画で補完する。ぼる塾のネタ、あんりのツッコミの厳しさに笑い崩れてしまう。「初笑いが出たやん」と、隣にいる知人が冷静に言う。市販のアゴだしスープで寄せ鍋を作ってもらって、19時から晩酌を始める。熱燗をつける。しばらく格付けチェックを眺めたあと、21時からは『ドリーム東西ネタ合戦』をリアルタイムで観る。この番組は毎年楽しみにしていた気がするのだけれども、焼き直しのようなネタが多く、途中で飽きてしまった。

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12月31日

 8時頃に目を覚ます。9時半に家を出て、千代田線と山手線を乗り継ぎ、秋葉原に出る。電車はほとんど貸切だ。2日から帰省する予定なので、今年最後のPCR検査を受けておく。初めて検査を受けるという人も多いのだろう、受付の列はなかなか進まなかった。そして、数日前の検査のときと、唾液採取キットが少し違っている。たぶんきっと、いろんな会社がキットを生産しているのだろう。

 千駄木まで引き返し、「ちよだ鮨」でパック寿司を買って帰る。横断歩道のところで、父親に手を引かれた小さなこどもを見かけた。紙でできたアンパンマンのお面をつけ、手を挙げながら横断歩道を渡っていた。12時になったところで、YouTubeにアップされている立川談志の「芝浜」を観ながら、寿司をつまむ。ビールも2本飲んだ。この噺を聴くのは久しぶりだったけれど、今まで気を留めたことがなかった、「なぜ彼は働きに出ないのか?」ということが気にかかる。一週間や十日ではなく、働きに行かなくなってもう3月になりそうだという。そして、夫婦や家族に対する感覚によって、この話はまるで違うのだろうなと思う。

 14時、知人と一緒に出かける。地下鉄で湯島に出て、上野松坂屋へ。デパ地下はわりと混雑しているけれど、クリスマスほどでもない気がする。まっすぐ「美濃吉」に行き、予約しておいたにしめ重を受け取り、外に出る。おせちや正月の買い出しにきているのだろう、上野松坂屋のまわりには路駐している車がたくさん連なっていて、パトカーがやってきて移動させている。不忍池に出ると、蓮はすっかり枯れている。外国語をしゃべる若者たちが、たむろしてお酒を飲んでいる。正月に里帰りもできなくて、こうして集まって過ごしているのだろう。「みんな靴がきれい」と知人が言う。弁天堂のあたりに5つくらい屋台が出ている。ケバブ、焼きそば、たこ焼き、海鮮焼。店員さんも、そこで買っている若者たちも、きっと外国からやってきているのだろう。「ありがとうございます」と日本語で言いながら商品を渡したあと、「日本語で言うのかよ」といった調子で、店員さんも買い物客も笑い合っている。

 風が冷たくて、手がかじかむ。歩きながらビールを飲みたいとはとても思えず、体を丸めながら根津まで歩く。15時、開店直後のバー「H」でハイボール。すぐにもう1組お客さんがやってくる。「『M』、すごい行列できてたよ」なんてHさんと言葉を交わしているから、きっとご近所さんなのだろう、カクテルを2杯飲んで、僕たちより先に帰ってゆく。壁に貼ってある「分断酒徒番付」を眺める。これを眺めるたびに、「ここに載っている人たちの文章をもっと読まなければ」と思うのに、今年もさほど読み進められなかったなあと思う。今年読んだなかで印象深かったのは、『ツボちゃんの話』と『薬を食う女たち』で、ここまで対象と向き合って書くのかと動揺させられた。ハイボールを2杯飲んだあと、「すみません、もう出してからずいぶん時間が経ってしまったんですけど」と、『東京の古本屋』を渡す。「ここにくるたびに、『ああ、今日も持ってくるの忘れた』って、ずっと言ってたんです」と知人が横から言葉を添えてくれる。

 バー「H」をあとにして、ここ数年のあいだにオープンした蕎麦屋に立ち寄る。少し前に年越し蕎麦のチラシが入っていたので、試しに予約してみたのだ。麺と出汁だけでなく、だし巻き玉子や棒寿司、刺身の盛り合わせも予約できたから、「大晦日の晩御飯に便利だろう」と思って予約しておいたのだ(感染が拡大していた去年の大晦日でも、デパ地下や「吉池」はそれなりに混雑していたので、混雑に巻き込まれるのが不安で、といって近所の酒場は30日までには営業を終えてしまうので、「ここで予約しておこう」と思ったのだ)。軒先にアルバイトスタッフがふたり立っていたので、予約表を渡し、「16時の受け取りで申し込んでいた橋本です」と告げる。ええっと、更級そば2つと、田舎そば2つと……と、商品を探してきてビニール袋に詰めていく。

 そばとツマミを自宅の冷蔵庫に入れて、ライブの現場に出かける知人と別れ、バスで出かける。17時にM&Gの事務所にたどり着くと、Fさんがひとりでおでんの仕込みをしているところだ。「大晦日ってどういうものを用意すればいいのか、よくわかってないんですよね」と言いながら、テーブルにスモークサーモンや生ハムを広げている。ふたりで正月の思い出や亡くなった祖母のことを話しているうちに、18時過ぎ、俳優のN.Hさんもやってくる。Nさんは福岡出身だけれども、両親はもう亡くなっていて、数年前から東京で年越しをしているという。Nさんにも正月の記憶を聞く。Nさんの両親は会社員だったのに対し、親戚は商売人が多く、小学生へのお年玉に1万円を包む人も多かったそうだ。Nさんの両親は、世間的には一般的な金額を包んでいたのに、「あそこの家に行っても、大した額のお年玉がもらえない」とこどもたちに言われていて、それが子供心につらかったとNさんは言う。Nさんの世代だと、当時はちょうどバブルの時代だったから、余計にその差があったのだろう。こどものときに、まわりの大人がどういう金銭感覚だったか、お金に対してどういう接し方をしていたかは、こどもに影響する部分があるような気がする。

 19時半に紅白が始まってからは、Nさんがradikoを起動し、NHKのラジオ放送を聴きながら飲んだ。22時過ぎからまた数人やってくるようだけれど、蕎麦屋でテイクアウトしたツマミがあるのと、知人からも「仕事を終えて帰宅した」と連絡があったので、21時過ぎに「細川たかしは画面越しに観たいので帰ります」と伝えて、タクシーで千駄木に急ぐ。高校生の頃は「演歌歌手なんて」と思っていたのに、今では重石のような演歌歌手の歌いざまが楽しみになっている。惚れ惚れしながら細川たかしの歌に聴き入っていたのに、最後に大泉洋が一緒に歌い出し、妙にがっかりした気持ちになる。23時過ぎにお蕎麦を茹でて、年越し蕎麦を平らげる。あれは白組のラストだったか、福山雅治が「道標」という曲を歌った。家族への愛と、自己犠牲がそこにある。家という場所の中で、やるせなさを抱えて生きている誰かがこの曲を聞いたらどんな気持ちになるんだろうかと(勝手に)想像しているうちに腹立たしくなり、終盤にこんな曲を演奏するのかと憤ってしまう。もう完全に酔っ払っているけれど、どうにか紅白を最後まで見届ける。知人はすぐにチャンネルを『ジャニーズカウントダウン』に切り替えた。知人と一緒に年越しを迎えるということは、そういうことになるのだとわかっていたものの、「ちょっと、『ゆく年くる年』が観たいんだけど」と言ってみる。ジャニーズの子たちが変わる変わるメドレーのように歌う合間に、一瞬だけチャンネルをNHKに戻してもらって、浅草寺の様子を一瞬だけ眺める。

12月30日

 明け方に目を覚ますと、まだ『オールザッツ漫才2021』が放送されていて、ゆりやんが何かネタを披露していた。ボリュームを下げて眠りにつくと、少しだけニュースが流れ、早朝から『ドラゴン桜』の再放送が始まる。8時25分に「ホテル新大阪」413号室をチェックアウトし、新大阪駅へ。水了軒の汽車弁当と、それに鯖3個、鮭2個の柿の葉寿司を買う。新幹線改札口近くのモニターを確認すると、くだり方面はほぼ「×」だが、のぼりはすべて「○」だ。改札をくぐり、551でも――と思っていたら50人近く並んでいて、自分が切符を買っている新幹線にはとても間に合わなそうなので、諦める。並んでいる人たちは、551に並ぶ時間も計算に入れて自宅を出発しているのだろうか。

 8時57分発の新幹線、16号車の1Cに乗り込む。昨晩はノースゲートビルディングでひとりで飲んだあと、22時過ぎにはホテルに戻っていたせいで、酔っ払いながら日記を書いてしまっていた。まずはパソコンを開き、書き過ぎていたところを削る。そののち、ケータイにダウンロードしてあった『ロッキー4』を見返す。人間は変われるのか、変われないのか。アポロから「何があってもタオルを投げるな」と言われて、自分なら投げずにいられるかどうか(でも、これについては、自分は投げないだろうし、それであの結果になったとしても悔やむことはないとも思う)。観終わったあと、Wikipediaを開いてみると、この映画が酷評されていたと知る。えー、そうか。

 そして、アメリカ大統領から絶賛されたのとは対照的に、ソ連からはプロパガンダと批判されたという。まあ、あまりにも表層的なイメージで描かれているのは確かだから、ソ連側が批判したくなるのはわかる(ストⅡみたいな世界観で、懐かしさをおぼえたけれど)。ただ、これをアメリカ大統領の立場として絶賛するというのは、レーガンって、一体どういう人なんだろうかと疑問が浮かぶ。ソ連機械的で非人間的な世界として描かれているのに対して、アメリカはあまりにも虚飾に満ちた、軽薄で下世話で狂乱じみた世界のようにも描かれている。アメリカに対する冷ややかな視点も、映画の中には強くある。共和党支持者であるスタローンの中で、この冷ややかさはどのように育まれたのだろう。安直に考えれば、ロッキーと同じように、移民のことして生まれ育ち、冷遇された時代を経験しているからだろうか?――と考えながらWikipediaを読み進めていくと、ああそうか、エイドリアンって『ゴッドファーザー』で結婚式を挙げ、夫に暴力を震われていたあの女性かと、今更ながら気づく。そして、その兄が映画監督のコッポラなのかと、洋画をろくに観ずに生きてきたので、こちらも今更ながらに知る。この年末年始に何を観ようかと考えたときに、思い浮かんでいた映画のひとつは(放談『これでいいのだ』でしばしば名前が挙がっていたのに未見のままだった)『地獄の黙示録』だった。

 ロッキーとドラゴの試合の中で印象深いのは、ロッキーはドラゴを「相手も人間だ」と気づくのとは対照的に、ドラゴは「あいつは人間じゃない」と怯え出すところだった。試合が始まる前に、ロッキーは洗面台(?)に跪き、祈りを捧げる。彼はきっと、(アメリカでは少数派の)カトリックなのだろう。彼の中には信仰がある。それに対して、ドラゴには何か“信仰”があったのだろうか。坪内さんが「オム世代の神様探し」の中で、信仰つまり世界観を持たない人間は、信仰を持っている人間に敵わないと書いていたことを思い出す。

 新幹線で隣に座っていたのは、まだ言葉をしゃべれないこどもを連れた男女だった。男性は席に座るなりマスクを外し、それなりの声量で話している。隣にいる女性はマスクをつけたままだ。マスクで顔を覆っていると、こどもが泣いてしまうのだろうかと思っていたけれど、こどもが眠ったあともマスクを外したままケータイをいじり、時折咳き込んでいる。さすがにやめてほしいなと思うけれど、ここでどういう視線を向けるのか、難しい。この時期にひとりで新幹線に乗車して、iPhoneで『ロッキー』を観ているような男が迷惑そうな視線を向けてしまうと、「こどもがはしゃいでいることを邪魔くさく思っている」というメッセージになってしまう気がする。そういうことではなく、できることならマスクをつけて、マスク外したままならせめて咳き込むときは手なり腕なりで覆って欲しいだけなのだけれども――とぐるぐる考えていたけれど、もしもこの男性がこどもの父親で、毎日一緒に暮らしているのだとして、もしその男性が感染者であるならばこどもも感染している可能性が高く、だとすれば男性がマスクをつけていようがいまいが関係ないということになる。あとはゴーグルとKN95マスクの性能を信頼するほかない。

 12時少し前に帰宅。朝から知人が大掃除をしてくれていたので、キッチンやトイレがすっかり綺麗になっている。シャワーを浴びたのち、水了軒の汽車弁当を知人と平らげる。『有吉の壁』を観ながら、なかば自覚的に調子に乗ってビールを3本飲んで、1時間ほど昼寝をしておく。目を覚ましたあと、大阪に持っていっていたリュックを整理する。Hさんにもらった縄跳びを手に、玄関先に出て、縄跳びをしてみる。サンダル履きだったのと、玄関先だと思いのほか人通りがあったのとで、早めに切り上げてしまったのだけれども、それだけでもわりあいくたびれてしまった。縄跳びってこんなに大変な運動だったっけ。小さい頃は縄跳びで「疲れた」と感じたことはなかったような気がする。思い出が補正されているのだろうか。

 日が暮れた頃になって、知人と買い物に出る。「越後屋本店」で生ビールを飲んで、カレンダーをいただく。「良いお年を」とご挨拶したのち、よみせ通りの花屋で花を4輪買って、スーパーに寄り、食材を買い込んで、「I 本店」で〆張鶴大吟醸を買って帰る。

 19時に晩酌を始める。スーパーで買ってきた地鶏の炭火焼きとマカロニサラダをツマミに、ビールで乾杯。今日は早く眠ってしまうわけにはいかないので、時計を確認しながら、30分かけてロング缶を飲んで、また30分かけてロング缶を飲んだ。お歳暮のように実家から送られてきた九州うまかもんセットの中から、いかしゅうまいさつまあげを解凍しておいたので、いかしゅうまいはレンジで温め、さつまあげは軽く炙る。ビールは2本でやめにして、日本酒に切り替える。ここでも時計を観ながら、チビチビ飲む。『ヤギと大悟』を途中まで観たあと、22時から『あちこちオードリー』を観る。新大阪で買った柿の葉寿司をつまむ。いつもなら23時には酔っ払って眠ってしまうところだけれども、どうにか眠気に襲われることなく、楽しみにしていた『クイズ☆正解は一年後』の放送時刻を迎える。このあたりで麒麟山の熱燗に切り替えて、ちびちび飲みながら放送を観た。久しぶりの夜更かしで楽しくなり、CM中にコンビニまでアイスを買いに走ったりもして、放送を最後まで見届ける。

12月29日

 3時過ぎに目を覚ますと、メールが届いていることに気づく。昨日受けたPCR検査の結果が、0時14分に届いている。結果は陰性でホッとしつつも、検査から10時間で結果が届いたことに驚いた。普段でも丸一日はかかるのに、予約で一杯になっている今の時期に、こんなに早く結果が出るなんて。

 ケータイをいじっているうちに二度寝して、7時過ぎに起き出す。空気が乾燥している。浴室の扉を開けたまま1分ほどシャワーを流し、加湿してみる。あんまり効果はないようだ。コーヒーを淹れて、昨日の残りのおでん(大根とこんにゃく)を温めて平らげる。洗濯物を干し、カクヤスで注文したビールを受け取る。テレビのチャンネルを回しても、情報番組を放送しているチャンネルが少なくなっている。鰹の塩辛は昨日で使い切ってしまったので、ぺらぺらのベーコンとキャベツでパスタを作る。こんなぺらぺらでも、しっかりベーコンの風味がするものだなと感心する。調理をしているうちに、前野健太ソロライブ「今年のことは忘れない2021」の配信が始まり、観ながら調理し、パスタを平らげる。ビールも2本飲んだ。会場だと絶対に(コロナとは無関係に)声など挙げないが、イントロが始まった瞬間に「おお!いいねえ!」とつぶやいてしまって、愉快な気持ち。

 45分くらい演奏したところで、換気のために休憩が挟まれる。そのタイミングで家を出て、千代田線で二重橋前駅に出て、東京駅へ。新幹線改札口が酷い混み具合で、改札前に列ができているのに、列に気づかずぐいぐい改札を目指して進んでいく人のせいで混沌とした状況になり、誰かの荷物や誰かの肩が何度もぶつかり、げんなりする。14時12分発の「のぞみ」はもうホームに停車していたので、予約した座席(16号車の最後列D席)に向かう。リュックを棚に上げていると、隣の席(窓側のE席)の乗客がやってくる。4歳か5歳ぐらいのこどもと、その親と。チケットが発売になった直後、E席も選択できるタイミングでD席を予約してしまったから、その親子はE席と、通路を挟んだC席のように、飛び石で予約することになってしまったのだろうかと少し申し訳なく思っていると、親が子を抱えるように座席に座る。こどもは食い入るように風景を見つめている。

 この新幹線は新大阪行きで、わりと緊張感が保たれているというのか、ほとんどの乗客はマスクをつけていて、少しほっとする。車内では『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』をじっくり読んでいた。もしもこの車両に感染者がいたとしても、絶対にかかってやるものかと、メガネを外してゴーグルをつけ、KN95マスクをぴったりつけて、一度もマスクを外さず過ごす。新大阪駅で下車し、「ホテル新大阪」にチェックイン。荷物を置き、シャワーを浴びたのち、梅田の蔦屋書店へ。今日はSさん×Hさん「すれ違う私たち」を聴きたくて、大阪までやってきたのだ。最後列の座席に荷物を置いて、お店の棚を眺めてまわる。『芭蕉の風景』上下巻が目に留まり、そうだ、読書委員会で選んでいる委員の方がいて気になっていたんだった。他のお店では目に留まっていなかったこともあり、「ここで買わずしてどうする」と、買っておく。

 特典として配られたペーパーを熟読しているうちに、18時半、トークイベントが始まる。冒頭から間がたっぷりで、面白い。間を埋めるにしても、やり過ごすにしても、そこに人となりがあらわれる。特典のペーパーに対する編集者からの修正の話が面白かった。僕はわりと、勝手に書き換えられたら憤ってしまうほうではあるけれど、そこであんまり憤っていると、トークで語られていたように、編集者からの提案を受け取る機会を潰してしまいかねない。これもまた、トークの中でSさんは『北風と太陽』でたとえるなら――自分はなんでもこの二分法で捉えてしまうのだけれども――太陽側の人だなと思う。自分は北風側で、まわりに背を向けて、ひとりになってしまう。それとも微かに重なる話だと思うけれど、「チェアリング」にしても、「いつもの自分じゃないほうを選ぶ」というフレームにしても、誰かを巻き込んで、「自分もそんなふうに過ごしてみたい」と思わせる力というか、発明力というのか、それはすごいなと、新幹線で本を読んでいるときにも思っていた(自分にそういうことができるとは思わないけれど)。

 トークのあいだ、Hさんは、取り止めもないようにも聞こえるような話し方をする。Sさんは、少しテーマを立てるようにして、時折質問を投げかける。その質問を、Hさんは一見すると受け流したかのように、別の話をする。巡り巡って、質問されたことと関連した話になっているのだけれども、Sさんは過剰に食い下がるのではなく、また別の話に移っていく。自分だったら、自分が聞きたかったテーマを、食い下がって聞いてしまうだろう。これは聞くのがいいとか、そういうことではなく、人によって話の展開はまるで違うのだろうなあと、しみじみ思った。

 トークを聞いているあいだ、窓の向こうにホームが見えていた。もうすっかり日は暮れていて、ホームに電車が入線してくるたびに、その風景が鮮やかに見える。

 トークを聞き終えたあと、いそいそとトイレに行って用を足していると、Hさんから「みやげがあんねん」とメッセージをいただき、会場に引き返し、挨拶する。『AMKR』で連載していたときにはちょこちょこ関西にくる機会があり、Hさんと岸壁で飲む機会もあったけれど、直接話すのはずいぶん久しぶりだという感じがする。おみやげをいただき、あんまりじっくり中身を確認するのも失礼な気がして、ちらりとだけ確認すると、縄跳びが見えた。おお、日記を読んで「縄跳び欲しいな」と思いながらも、近所で売っているお店が思い浮かんでいなかったので、嬉しくなる。少しだけ言葉を交わしていると、「Hさん、サインを」と書店の方からお願いされていたので、また、と告げて会場をあとにする。

 時計を見ると20時半、すっかりお腹が減っている。エスカレーターで1階に降りようとしたところ、もう下のフロアはお店が閉まっているせいかエスカレーターは動いておらず、わりと混み合っているエレベーターに乗って1階に降りる。セブンイレブンで350mlのアサヒスーパードライと餃子を購入し、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』にも登場した「風の広場」を目指す。エスカレーターを乗り継いで「風の広場」に到着してみると、なんというか、若いグループ客だったり、カップルだったり、少なくともひとりでセブンイレブンの餃子とビールを手にやってくる場所ではなかったなと悟る。ドラゴ、アポロ、ロッキーの話を思い出す。

 端っこで餃子を頬張って(ゴミ捨てが大変になりそうだから、タレは使わなかった)、追いやられるようにエスカレーターを下っていくと、あれは7階だろうか、そこには誰も佇んでいる人がいなかったので、そこに居場所を見つけて佇む。ここからは5階の「時空の広場」と、駅のホームが見渡せて、小さく見える人影を眺望しつつ、そこでしばらくビールを飲んだ。そういえば、今日いただいたお土産は何だったのだろうかと、今更ながら袋の中身を確認し、びっくりする。

 ビールを3本空けて、東梅田(?)へ。地下街には酔っ払った人たちが大勢溢れている。22時近く、『AMKR』で取材したバーに行ってみたところ、店内から賑やかな声がたくさん聞こえてきたので、入店は諦める。新大阪まで引き返し、コンビニでワインのボトルとビーフジャーキーを購入し、宿へ。この日記を書いているうちに、テレビでは『オールザッツ漫才2021』が始まっている。

12月28日

 エアコンを消して眠ったものの、今日は冷え込みが厳しかったのか、ほんの少しだけ喉に違和感がある。今日はエアコンをつけて寝ようと思いつつ、テレビをつける。日本各地の雪の映像が映し出されている。視聴者から提供されたのだろう、歩きながら雪の降る街を移している動画が流れる。通勤客が歩いていく。足元を確認する様子もなく、これはきっとこけてしまった動画だろうなと思って眺めていると、通勤客を追い越そうとした自転車が撮影者にぶつかり、「痛!痛!痛!」と撮影者が叫ぶ。謝りながら去っていく自転車に乗った男性に、「雪なめないでくださいね!」と言う動画が何度か流れ、これは何度も流すほどの動画なのだろうかと、なんとも言えない気持ちになる。

 コーヒーを淹れて、たまごかけごはんを平らげる。昼はキャベツと鰹の塩辛のパスタ。14時に家を出て、秋葉原へ。PCR検査センターには10数人が列を作っていて、ボードを渡され何か記入している。受付は事前にGoogleフォームで行う方式に変わったはずなのに、何を書かされているのだろうと不思議に思いつつ、最後尾に並ぶ。ときおり「予約してないんですけど、受けられませんか」とスタッフに尋ねている人がいる。申し訳ないんですけど、明後日ぐらいまで予約で一杯なんですと断っている。政府が無料のPCR検査を始めたというのはニュースで知っていたけれど、あれは政府が検査場を開設したわけではなく、この検査場も含めて民間の検査場に予算を割き、都内在住であれば無料で検査が受けられるようになったとのことで、シートに記入すると無料で受けられるようだった。書くのが面倒だったのと、そんなことで政府の世話になりたくないのとで、「有料で受けるんで大丈夫です」と断る。

 10分ほど並んで、ようやく順番がまわってくる。すぐに唾液を採取し、神保町まで歩く。歩きながら、断らずに無料で受ければよかったなと思い返す。たとえば病院で診察を受けるときには保険証を提示して、3割だけを自分が負担している。残りは国に払ってもらっているわけだ。それなのに、PCR検査だけ頑なに「自腹で払うんだ!」と思っているなんて、ちょっと滑稽だ。「東京堂書店」をのぞき、年の瀬だし、少し前に原稿料がわりにいただいた8000円分の図書カードがあることだし、値段はまったく気にせず本を買う。会計をしてもらうと3万円で、さすがに動揺する。6600円の『「ローリング・ストーン」の時代』が効いている。どこかで書評を書き続けられたらいいのになあ。noteかどこかで自主的に書き続けるという手もあるけれど。

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 新御茶ノ水駅から千代田線に乗る。帰りに「I 本店」に寄って、熱燗に向いた酒を尋ねて、年末年始に向けて追加で2本ほど買っておく。この酒屋の近くに、講談社発祥の地という石碑があり、引っ越してきたときからその石碑の存在は知っていたけれど、自分が講談社から本を出すことになるとは、その時点ではあまり現実的なことだとは思っていなかった。16時過ぎに家にたどり着くと、レターパックが投函されている。中身は献本された本で、表紙をめくると扉に署名が入っている。ページをめくると、そこにはまえがきがあるのだが、マジックで署名を入れてあるので裏に写り、文字が読みづらくなっている。僕への献本にだけ署名を入れてくださったわけではないだろうから、なんか、すごいなと思ってしまう。

 帰宅後はおでんを仕込んで、19時に晩酌を始める。昨日はいい加減な記憶をもとに書いたから、書きそびれていたおでんの種がいくつもあった。大根、玉子、こんにゃく、厚揚げ、ちくわ、つみれ、ちくわぶ、はんぺん、それに魚河岸あげ。魚河岸あげというのは、魚のすり身と豆腐を混ぜ合わせた練り物で、紀文のサイトによれば「紀文を代表するロングセラー」だという。スーパーで見かけて初めて買ってみたのだけれども、知人にも好評だった。最初のうちは『M-1アナザーストーリー』を観ていたけれど、どうにも人情噺的な側面が強く、途中で再生を止める。テレビ画面に、リアルタイムで放送されている『さんま御殿』が映り、高市早苗が出演している。こういった番組に政治家を出演させる責任を、番組側は認識しているのだろうか。「なんだ、気のいい関西弁のおばちゃんじゃん」という印象を広めることの責任を、どう捉えているのだろうか。これはさすがにありえないだろうと憤りつつ、『ロッキー4』に切り替える。友情と、老いと。「ソ連アメリカ、国境を越えた感動」という終盤の展開はいかにもアメリカだなあという感想は残るにしても、良い映画だった。観たこともないのに「『エイドリアーン!』って叫ぶ、ベタベタな展開の映画だろう」とたかを括っていたけれど、『ロッキー』と『ロッキー4』を観れてよかった。

12月27日

 8時過ぎに布団から這い出し、コーヒーを淹れ、卵をお椀に割って、とりあえずゴミ出しをする。年内の燃えるゴミの日は、今日を含めて2回だ。知人を見送ったあと、届いていた『Coralway』最新号をぱらぱらめくっていると、読者投稿欄に僕の連載に対する感想が掲載されているのに気づく。「とても印象に残りました」「さらっと書いてありますが、戦争でご家族を亡くされたり、そこから復興したり、非常にご苦労をされて伝統の味を守られていることが伝わりました」とあり、嬉しくなる。

 11時過ぎ、クロネコヤマトが集荷にやってくる。実家に送る本、段ボール4箱。3箱はすでに1階に下ろしてあったので、入り口のオートロックを解錠し、手続きを進めてもらっているあいだに最後の一箱を取りに行く。よいしょっ。はあ、重たいのう。配達員の方に聞こえそうな距離で独り言をつぶやいてしまう。最近独り言が増えていて、テレビに向かって話すことも増えている。

 昼はキャベツと鰹の塩辛でパスタを作る。14時に家を出て、明後日の大阪行きにそなえてPCR検査を受けておこうと、秋葉原へ。駅を出て、唾液を検査センターに歩いていると、「リマインダ:PCR検査予約日は明日です」というタイトルのメールが届く。間違えて明日の予約をとってしまっていた。当日でも受けられないかと、念のために検査センターに行ってみたものの、表に10人近い行列ができていて、「予約で一杯」と表に看板が出ている。明日受けても、明後日の夕方まで(イベントに参加するまで)には結果が出るだろうけれど、新幹線の乗車時刻には間に合わないかもしれず、そわそわする。

 東京駅に出る。明後日の大阪行きの新幹線の切符は、JR西日本の「e5489」というサービスで予約していた。JR東日本の「えきねっと」だと、東海道新幹線はざっくりしたエリアしか選択できず、細かい座席指定ができないので、JR西日本の「e5489」を使って予約していた。ただ、「e5489」だとJR東日本の普通の自動券売機では発券できず、東京駅など一部の駅に設置されているJR東海の券売機でだけ発券ができる旨、予約時に注意書きが表示されていた。当日に慌てずに済むようにと、東京駅の新幹線改札口まで発券しにいく。窓口には50人以上の列ができていて、行き交う人で混み合っている。マスクをあごにずらして歩く人もいて、おーお、よくここでマスク外せるなあと思う。その人が感染していないとしても、オミクロンの市中感染が報じられているのに、「こんなに大勢の人が(しかも全国各地から集まった人たちが)行き来する場所だと、感染させられるかも」と不安になったりしないのだろうか。

 新幹線改札口近くの券売機を操作する。予約してあるのは、明後日からの大阪往復と、年明けの広島往復だ。つまり4回の新幹線の予約があり、往路については往復乗車券も一緒に予約してある。特急券のみ申し込んだ復路はいずれの旅程も発券できるのだが、往路はいずれも選択できなくなっていて、係員のいる窓口でお問い合わせくださいと表示されている。この券売機は対応していないやつだったのだろうかと思いつつも、とりあえず復路だけ発券する。別の券売機で操作しようとしても、やはり「窓口へ」と表示されて終わってしまう。

 窓口には長蛇の列ができている。ええ……さすがにあれに並んでしまうと、何のためにネットで予約したのか意味がわからなくなる……と思っていたところで、券売機の「よびだし」ボタンを押して、券売機脇の小窓ごしに係員とやりとりしている人を見かけ、ああ、それだ、とボタンを押す。どうやら「e5489」の場合、乗車券と一緒に予約したぶんは当日にならないと発券できず、今日発券したい場合は改札外にあるJR東海の券売機を使う必要があるのだと教えてもらう。案内されるままに八重洲南口に出て、券売機を探し、どうにか発券する。

 なんだかどっとくたびれてしまった……。どうしてこんなことになったんだろうと調べてみると、同じJR西日本からの予約でも、スマートEX(?)を利用すれば、チケットを発券せずともモバイルSuica特急券を入れることができて、スムーズに乗れるらしかった。特にコロナ禍になってからは新幹線を避けるようになっていることに改めて気づく。飛行機に比べるとマスクを外して談笑している人の割合が多い印象があって、飛行機だとCAさんが注意をするのに対して、車掌さんは特に何も言わずに通り過ぎてしまうので、どうしても不安がぬぐえず、わりと飛行機で移動することが増えている。最近は関西でも飛行機で向かうことが増えていて、新幹線の切符を手配する勝手がわからなくなっている。……というようなことをツイートすると、すぐに知人から「スマートEX一択やろ」とLINEが届く。

 家にたどり着いてみると、入口に松飾りがくくりつけてあるのに気づく。帰宅後、急いでおでんの仕込みに取り掛かる。今日はもう時間がないので、大根の仕上げにこだわるのはやめる。18時過ぎに知人が帰宅。どうにか大根にもある程度は味を染み込ませて、19時半から晩酌。大根、玉子、こんにゃく、厚揚げ、つみれ、さつま揚げ。ビールを飲んだあとは樽酒に切り替えて、『ロッキー3』を観る。すっかり“アメリカン・ドリームを掴んだ男”になってしまったロッキーに、若くてハングリー精神に満ちた挑戦者が現れ、ロッキーも初心に帰り――と、『2』に続いて、まあそういう展開になるでしょうねと思ってしまう、いかにも続編という展開だ。だからといって「つまらない」というわけではないけれど、『4』へのハードルが上がっているような、逆に下がっているような、どちらとも言い難い気持ち。内容とはまったく関係なく、ハルク・ホーガンが登場して「わ! ホーガンだ!」と立ち上がってしまった。

12月26日

 6時過ぎに目を覚まし、ケータイをぽちぽちやったり、ウトウトしたり。7時28分、画面の上に「母」と表示され、ケータイが震え出す。電話をかけてくるにしても、どうしてこんな早くに――と思ったところで事態を察し、出る。聞こえてきたのは父の声で、「ああ、とも? 今朝のう、あーちゃんが死んだけん」と父が言う。もう少し言い方があるだろうと思いつつ、ああ、うん、と返事をする。その瞬間に思い浮かべていたのは、急いで帰るにもPCR検査を受けていない状態では不安だということと、今日の新幹線に空席はあるだろうかということだった。曖昧に相槌を打ちながら話を聞いていると、葬儀はごく近しい親戚のみで執り行うことと、こういう状況だと県外からというのは難しいから、帰ってこなくてよいを伝えられる。

 しばらく話したあとで、電話の相手が母に代わる。亡くなった祖母は、母親の母親だ。気落ちしているのではないかと思ったが、声は元気そうで、僕と兄の名前で花を出してもよいかと確認される。「まあ、あんたらふたりが東京に行って広島を離れとるのはあーちゃんもわかっとったはずじゃけん、わかってくれるじゃろうて」と言われ、あまり自分ではぴんときていないところもある、魂のようなものの存在についてぼんやり考える。電話を切ってふたたび布団に潜り込んで、「やっぱりばあちゃんが死んどった」と知人に伝えると、ええ、好きだったばあちゃんじゃろ、はよ帰らんにゃと知人が言う。

 両輪が共働きだったこともあり、学校から下校する先は祖母の家で、日が暮れた頃に母が迎えにくるまで、祖母の家で過ごしていた(今では隣に家を建ててあるけれど、当時は2キロぐらい離れた場所に両親は住んでいた)。おばあちゃん子として育ったこともあり、帰省するとまず祖母に声をかけにいっていた。10年くらい前からは、「小さい頃は、学校でも前から3番目ぐらい(の背の高さ)じゃったのに、こんなに大きうなって」「保育園に通いよったころ、この(祖母の家へと続く)坂道のあたりにくると、それまで私の右手を持って歩きよったのに、反対側にまわるんよ。なんでかのうと最初のうちは不思議に思いよったんじゃけど、犬を飼いよる家があってから、それがおそろしくて反対側に隠れよったんよ」と、同じ話をいつも聞かせてくれるようになった。ここ数年はもう、僕を見ても誰だかわからなくなっていて、実家に帰っても親に促されてようやく顔を見にいくぐらいになっていた。魂のようなものがあるのだとすれば、近くにいて直接やりとりすることができるかどうかは関係なく、交感が可能かどうかが自分にとってはすべてだという感じがする。別に直接会えなくても、死んでしまっても、たとえば書かれたものや記憶を通じて交換することはできる。――と思うのと同時に、そんなこと、認知症になってしまった祖母の介護を続けていた母に対して言えないなとも思う。

 米を切らしているので、セブンイレブンに出かけ、ハムサンドを買ってくる。郵便受けから読売新聞を取ってきて、他の読書委員の方が「2021年の3冊」に何を選んでいるのか、ざっと目を通す。ああ、「①は〜〜」とかって書き方が出来たんだったなと今更気づきつつも、まあでも、掲載されている書き方がベストだったなと思う。新聞で書評を書くことになったとき、一番意識したのは坪内さんの目だった。最初の書評が出てほどなくして坪内さんは亡くなってしまって、感想を聞く機会は失われてしまったけれど、緊張感が消えることはなかった。それで、読書委員として最後に寄稿する日の朝に祖母が亡くなったのだなと思う。『東京の古本屋』にも買いたけれど、祖母の家にはたくさん本が並んでいて、文学全集もあった。小さい頃は読書と無縁のこどもだったけれど、そこで本(や、そこに書かれている名前)に親しんで育ったことは、自分に何かしらの影響を及ぼしていると思っている。

 昼は知人の作るサバ缶とトマト缶のパスタ。ビールも1本半(2本目は知人と分けた)。午後は原稿を書くのに必要なテープ起こしを進める。有馬記念を眺めたあと、ひとりで買い物に出る。「往来堂書店」を覗いたのち、スーパーでおでんの具材と、今夜のツマミにタコの刺身とししゃも、それにコシヒカリ(5キロ)を買う。近所の八百屋だと2キロのお米しか売っていないけれど、5キロだと安心感がある。19時から晩酌。いくつかバラエティを観たあと、『ロッキー2』を再生する。映画のオープニングがこんなふうにダイジェストから始まることってあるのだな。ヒット作の後日譚だなあと思いながら、とにかく最後まで観る。