3月17日

 6時過ぎに目を覚ます。展示で頒布するリーフレットを折り、展示に向けた文章を書き、11時に「U」に届けにいく。今日も帳場にはUさんの他にMさんの姿もある。昨日のひっつきむし、ちょっと劣化してたみたいで剥がれてきてるから、やっぱり両面テープで貼り直してもらったほうがいいかもしれません、とUさんに告げられる。まずはリーフレットを渡し、「ちょっと両面テープを買いに行ってきます」と伝える。通りの向こうのほうに組合長のAさんの姿が見えたので、後を追ったが見失い、電話をかけてご挨拶。市場の中に貼ってもらえるように、ポスターを何枚かお渡しする。せっかくだから中を見て行きますかと、中に入れてもらう。中に入ってみると、外の音はあまり聞こえてこなくて、不思議な感じがする。

「ちょうどうちの両親も事務所にいるはずですよ」と教えてもらって、Aさんのご兄弟がやっている会社の事務所に行ってみると、Aさんのご両親の姿があった。おかげで本が出せましたと、お礼を伝えると、「あい、ちょうどもらいもののお茶があるから、これ持って行きなさい」と冷たいお茶をもらった。メインプレイスまでレンタカーを走らせる。昨日は落ち込んですごすご帰ってしまったけれど、取り扱いがないのであれば、ポスターを渡して「前回扱っていただいた『市場界隈』の続編のような本を出したんです」と宣伝に行くべきだろうと、書店を再訪する。店員さんたちは忙しそうで、話しかけるタイミングを伺っているうちに、入荷したばかりの本の山の中に僕の新刊が数十冊入っていることに気づき、嬉しくなる。買い物客の波が途切れたところでお声がけして、ポスターをお渡しする。

 車でマチグヮーまで引き返し、ファミリーマートで展示のタイトルやまえがき的な文章をプリントアウトしたのち、「U」へ。ひっつきむしでくっつけておいた写真を剥がす。鞄の中で溶けて品質が劣化していたのか、壁にも、写真にもひっつきむしがベタッと残る。好意で譲ってもらったひっつきむしだったのに、「こうなるなら最初から買いに行っておけばよかった」と思ってしまって、自分の心の狭小さを感じる。しかし、写真の裏にひっつきむしが残ってしまうのはいいとしても、壁に残っているのは問題な気がする。そもそもひっつきむしの材質のことも何もわからないので、UさんとMさんに「これ、結構壁に残っちゃってるんですけど、これだとまずいですよね・・?」と相談し、Mさんに剥がしてもらう。そうやって作業をやっているところに、今回のグループ展に参加する方たちがちらほらやってくる。そのひとりに、「名前が同じになっちゃって」と声をかけられる。昨日準備をしていたとき、Uさんから、並べる冊子の中に、橋本さんの本とたまたま同じタイトルになったという方がいて、と説明はされていた。そのときは「そうなんだ」としか思わなかったのだが、今このタイミングになってみると「そんな偶然あるだろうか」と、ここでも心の狭さが露呈する。

 写真をどうにか貼り直すころには、もう14時近くになっている。「赤とんぼ」までタコライスを買いにいくと、ちょうど店主の方がいらっしゃっていた(最近はこどもたちにお店を任せていることが増えている)。おかげでどうにか本が出せましたとお礼を言うと、ああ、高橋さん、名刺ちょうだいと店主の方が言う。本が届いて、感激して電話をしようと思ったのだけど、もらった名刺をどこにやったかわからなくなって、連絡できずにいたのだ、と。もう、あんなふうにまとめてくださって、もういつ死んでも悔いはない、棺桶にもあの本を入れてもらいたいと言ってくださって、恐縮してしまうというか、僕は聞かせてもらった言葉を預かって活字にして配置しているだけの存在なので、恐れ多いという心地がする。

 レンタカーの中でタコライスを頬張って、Googleマップで「書店」と検索する。なんとなく端から順にまわろうと思い立ち、ある書店を訪ねる。やはり僕の本は並んでいなかったけれど、ポスターを渡して、こんな本を出版したんですと伝えるだけ伝えようと思い、様子を伺う。レジにはふたり店員さんがいらっしゃる。おひとりはお客さんから注文の依頼に対応しているようだ。今このタイミングでお声がけしてしまうと、レジにお客さんがきたとき対応できなくなってしまうから、今は避けるべきだろう。15分ぐらい待って、注文の依頼をされていたお客さんも帰り、レジの行列が途切れたところで、ご挨拶する。「お忙しいところ失礼しました」と帰り際にお詫びをすると、「いえいえ、とんでもない」と言ってもらえて、ほっとする。誰かに時間を割いてもらうということに、申し訳なさをおぼえる。

 次に訪れた同系列の書店にも、僕の本は並んでいなかった。ここでもしばらくタイミングを見計らって、ご挨拶する。店員さんはとても親切に対応してくださって、他店の在庫も確認してくださった。その上で、系列店だとどこも現在は取り扱いがないこと、取り扱いに関してはある店舗のスタッフが統括していることを教えてくださって、「一軒ずつ回られるより、その店舗を訪ねていただくといいかもしれません」アドバイスをしてくださった。それならばと、高速道路を走り、その店舗に向かった。店員さんにお声がけして、「ライターをしているものなんですけれども、最近本を出版いたしまして、そのご紹介をさせていただけたらと思ってお邪魔したんです」と伝えると、個人出版のもとは取り扱っていないんですと店員さんが言う。本の宣伝ということなら、普通は出版社の人間がやってくるところだから、著者が売り込みにくるというのは個人出版だと受け取られたのだろう。出版社から出ている本だということ、もとは琉球新報の連載であったこと、まだ調整中ではあるけれどお昼のテレビにも出演予定があることをお伝えする。さきほどの店舗で聞かせてもらった、仕入れを統括されている方は今日はご不在とのことだったので、A4サイズのポスター(本の情報が書かれてあるもの)だけお渡しして帰途につく。

 車を走らせていると、沖縄の固定電話から着信があり、ハンズフリーで通話する。さきほど対応してくださった店員さんから、「テレビに出演されるとおっしゃっていたのはいつでしたっけ」と確認の連絡だった。まだ調整してもらっているところで確定ではないんですけど、このあたりの方向で進めてもらっています、と伝える。電話を切ったあとで、もし出演の話が立ち消えになってしまったらどうしよう、と不安になる。編集者のMさんから「出演依頼がありました」と連絡があったのはもう1週間近く前で、もちろん出演するので、先方に連絡先を伝えてくださいと伝えておいたのだが、その後連絡はない。ただ、今日の朝に組合長のAさんに会ったときにも、「番組のUさんという方が、橋本さんに取材をしたいと言っていたので、連作先を伝えておきましょうね」と言われていたので、出演はできるのだと思うのだけれども……。「テレビに出るというから仕入れたのに」と言われたら、どうしよう。まあそのときは「その損害分は支払います」と答えようと思いながら、車を走らせる。もう夕暮れ時だから、道路は渋滞していた。そういえば『市場界隈』のときも取り扱ってもらえなかったなと思い返す。「この本はぜひ仕入れなければ」と思ってもらえなかったのか、それともなにか別の事情があるのだろうかとぐるぐる考えながら、のろのろ車を走らせた。

 18時近くになって、パルコシティにたどり着く。書店を覗くと、『市場界隈』は棚にまだ数冊挿してくださっていて、『水納島再訪』も平積みしてくださっているけれど、新刊は在庫がないようだった。お客さんの列が途切れるのを見計らって、店員さんに声をかける。マネージャーの方に取り次いでくださって、ご挨拶。「もう、すぐ注文かけます」と言ってくださって、ほっとする。『市場界隈』のときに挨拶に伺ったときのことを思い出す。そのとき対応してくださった方も、「まだ入ってきてないんですけど、うちも入荷するつもりです。ジュンクさんがツイッターに画像上げられてましたけど、すごいドーンと並んでましたね」と言ってくださったのだった。給油してレンタカーを返し、「小禄青果店」へ。昨日もお店に伺っていたのだが、話を聞かせてもらった悦子さんは不在だったので、あらためてお礼を伝える。ご本人も、お子さんたちも、表紙になったことを喜んでくださっていてほっとする(もちろん事前に「表紙にしたい」と許諾はいただいていたのだけど、許諾を得られるかどうかと、喜んでもらえるかどうかは別問題だ)。

 「魚友」の外の席に座り、生ビールを飲みながら市場を眺める。ラジオが流れていて、県知事が出演している。ラジオのDJをされていただけあって軽快なしゃべりだ。残したい沖縄はと問われて、ちむぐくるという言葉を使って知事が話をしている。「MIYOSHI SOUR STAND」に流れ、たんかんサワーを1杯と、赤ワインを2杯。ここは市場の真向かいにある。ようやく市場がオープンですねと伝えると、「1年間、自分でもよく頑張ったと思います」と店主が笑う。これでようやく通りに活気が戻ってくるだろう。ここは市場の扉にも近く、「中の様子をのぞいてみたら、ちょうどエスカレーターが降りてくる扉だから、市場を訪れたお客さんがうちに流れてきてくれるんじゃないか」と期待を寄せていた。

 今日も「パーラー小やじ」にと思っていたが、あいにく満席だ。ただ、店主のUさんの姿を見かけたので、挨拶だけしておく。昨日Sさんと旅行客の方に渡していたポスターは、きっとSさんが「ほんまは僕らじゃなくて、お店に渡したかったんだろう」と気を回してくださったのだろう、2枚ともお店に張り出してくださっていて、「本、送ってくださってありがとうございます」と店主のUさんが丁寧にお礼を言ってくださるので、かえって恐縮してしまう。路地を抜けて、「末廣ブルース」に入り、レモンサワーを飲んだ。

3月16日

 5時47分に目を覚ます。湯を沸かし、コーヒーを淹れ、シャワーを浴びる。それだけでもう6時25分だ。コーヒーは全部知人に飲んでもらうことにして、歯を磨いて家を出る。GOアプリで手配したタクシーに乗り、日暮里駅へ。タクシーの中でスカイライナーのチケットを予約しようとすると、座席表は結構な割合で埋まっていて驚く。コロナ禍になったばかりの頃は、ほんとうにガラガラで、車両がほぼ貸切だったこともある。それ以降も多少の波はあったけれど、早朝の便だと「残り300席」ぐらいの状態が続いていた。それが今日は残り140席と表示されている。いよいよ「旅行」が戻ってきたということなのだろう。

 空港に到着してみると、たとえば都内で地下鉄に乗っているときに比べて、マスクをつけていない人が圧倒的に多く感じられる。「圧倒的」というのは、単に体感の問題なのはわかっている。過半数の人はマスクを着用しているけれど、たとえば地下鉄だとマスクをつけていない人が15-20パーセントなのに比べて、ここだと3割くらいだ。大学生ぐらいの年代だろうか、若いグループ客が多い感じはするけれど、それはグループだから目につくだけだろう。保安検査場を通過し、搭乗口に向かうと、搭乗口で乗客のチケットをスキャンする係の人がマスクをつけていなくて、驚く。驚くというのは、乗客とかなり近い距離で接する業務だから、感染リスクの高い仕事なのだという感覚があるからだ。でも、そのスタッフにとって、マスクをつけるというのはもうたくさんだという気持ちがあるのだろう。ここ数年間はきっと、会社の業務として「マスクを着用するように」と言われていたのだろう。そのスタッフにとって、耐え難い時間だったのだろうかと考える。飛行機に乗ると、出発前のアナウンスの流れで、「マスクの着用は任意となりました」というような言葉をCAが口にしていた。

 12時前に那覇空港に到着。まずは空港の書店を覗いてみるも、僕の本は並んでいなかった。ゆいレール美栄橋駅に出る。まずはジュンク堂書店に立ち寄るも、Mさんはお昼休みで不在だった。オリックスレンタカーで車を借りて、浮島通りの駐車場に停めておき、「U」へ。Uさんと立ち話。市場のオープンは3日後に迫っているから、もっとばたばたと工事をしている気配が漂っているかと思っていたけれど、案外静かだ。Uさんに尋ねてみても、あんまり作業をしている感じがしない、と言っていた。「むつみ橋かどや」に立ち寄り、ロースそば。「飛行機、すごかったんじゃない?」と店主のIさん。今日はまだ落ち着いてるけど、ここ2、3日はお店も大忙しだったという。

 ふたたびジュンク堂書店を訪ねて、Mさんに挨拶をして、ポスターを渡す。タイトルも表紙もばっちりですねと言われてホッとする。セブンイレブンが入っているのが面白かったとMさんは言っていた。ちょっとあれこれ相談したのち、レンタカーを走らせ、メインプレイスへ。まずはポスターを渡しにいこうと、書店に立ち寄る。が、僕の本は並んでいなかった。市場界隈のときは大きめに展開してくださっていたお店なので、落ち込む。1階に降りて東急ハンズに行き、展示に使う両面テープを買い求める。ここにはラベルシールの取り扱いが少なかったので、一銀通りの文具店に行き、耐水性の高いラベルシールを購入する。ここまできたのだからと、近くの劇場を尋ねる。「昨年『c』のツアーに同行していたライターなんですけど、最近本を出版しまして……」と、図々しい挨拶をしながら、「その本というのが、牧志公設市場を取材した本で、同じ那覇市の施設ということもあって、もしチラシを置いてもらえたら」とお願いしてみる。対応してくださった方は別の職員に確認しにいってくれたけど、この劇場で並べているチラシは博物館や図書館と相互に置いてあるものだけに限られていて、申し訳ないんですけど……との返事であった。対応してくださった方には感謝しかないが、おーおー、あなたたちの劇場が考えている「公共性」はずいぶん狭小やのう、ウェブで検索したら「地域文化を創造・発信する」「優れた文化芸術に触れる」「育て・交流する」を掲げておいて、しかも「劇場がマチグヮーに出張」みたいな企画もやっておいて、この内容の本のチラシすら置かねえんだな、と心の中で勝手な悪態をつきながら、劇場をあとにする。

 車をまた浮島通りの駐車場に停めて、ふたたび「U」へ。明日からここで「おかえりなさい、公設市場」展が開催される。そこで写真の展示をしてほしいと頼まれて、写真をプリントしておいた。テカリを抑えたプリントをするにはウェブで申し込むしかなさそうだったので、ハガキぐらいのサイズで37枚と、六切ワイドで4枚(こちらは普通の光沢のある写真しか選べなかった)を富士フィルムに申し込んで、「U」宛に届くように手配してあった。この写真の枚数は、展示のことを考えて選んだというよりも、写真展に合わせて配布するリーフレットに写真とその説明文を配置することを基準に選んだ枚数だったので、さて、どう展示したものかと頭を悩ませる。本当なら設計図を書いて、写真を貼る感覚もきっちり測って、と準備をしたいところだけど、今からここでそんな作業をできそうな感じもしなくて、えいやっと貼り始める。途中で両面テープが足りなくなり、どうしようか、もういちど買いに行こうかと思っていると、Mさんが「鞄の中で溶けかけてたくっつきむしならあるけど、これ使う?」と渡してくれる。足りないところはそれで補うことにして、1時間半くらいかけて写真を貼り終える。あとは明日までに展示のタイトルと「まえがき」的な文章を用意することにして、お店をあとにする。

 とりあえずビールが飲みたいと、「パーラー小やじ」へ。1席だけ空いていて、面識のあるSさんの隣の席だ。SNSをフォローしてくださっているので、「ポスター配ってまわってるとこ?」と声をかけてくれる。ここのお店も取材させてもらった一軒なので、ぜひポスターを貼ってもらいたいと思っていたけれど、取材させてもらった店長のUさんは今日は不在だった。しばらくすると、僕の右隣(Sさんとは反対側)にいたお客さんが帰り、そこに別のお客さんがやってくる。そのお客さんは旅行客で、数日前にここでSさんと会って話していたそうで、僕も混じって話をすることになる。そこでSさんが僕の新刊の話を出してくださったので、ふたりにそれぞれA4のポスターを渡す。僕は4杯目のビールをほとんど飲み終えていたところだったので、その旅行客の女性が「あれ、お酒入ってないじゃないですか!」と言うと、「いやいや、これから宣伝してまわらんとあかんから、ここでそんなに飲まれへんねん」とフォローしてくださる。ただ、何軒かはしごしたいとは思っているけれど、そんなつもりでもないんだよなあ(だったら4杯も飲んでいない)とも思う。

 公設市場のほうに出ると、中にあかりが灯っていて、準備が進んでいる様子が見えた。いよいよだなあと思いながら歩いていると、「松原屋製菓」のMさんに声をかけられる。公設市場の外小間にあるお店で、何人かで飲んでいるところだという。お店自体はまだオープン前で、「営業」はしていないのだけれども、そこに設置されたテレビでWBCを見ながら飲んでいたようで、僕も「ここにあるお酒、自由に飲んで」と、レモンサワーをいただいて中継を眺める。その場にいたおひとりが、僕の新刊を少し読んでくださっていたようで、あれはほんとに大事な仕事、と褒めてくださる。市場界隈の取材を初めて5年になるけれど、こうやって地元の人たちの輪に混ぜてもらって飲んだことはほとんどないので、不思議な心地がする。通りかかる人たちがときどき足を止めて、テレビを眺めてゆく。通りを挟んで反対側にある「イチバノマエ」という酒場のお客さんも、ここのテレビを眺めていた。なんだか街頭テレビみたいで、これもまた不思議な心地がする。

 

3月15日

 5時半に目を覚ます。コーヒーを淹れて、洗濯機をまわす。明日から沖縄だ。3月は服をどうするかが悩ましい。天気予報をみると、滞在期間の最高気温は24度か25度、最低気温は18度から20度だ。普通に考えれば半袖で過ごせるところだけど、3月に沖縄に出かけたときの記憶を思い返すと、風が強いせいかかなり肌寒く感じたおぼえがある。迷った挙句、半袖数枚と、長袖2枚を詰めておく。

 昼間はずっと羅臼のテープおこしをやっていた。昨日あたりから、取材させてもらった方から「本が届きました」と連絡が届き始めた。おそらくクリックポストで送られたのだろうけれど、クリックポストで沖縄に送るとこんなに日数がかかるのかと驚く。月曜日に発送されたはずだから、丸1週間かかっている。それならもっと大急ぎで発送してもらうべきだったなと反省する。取材させてもらった方に届く前に店頭に並んでしまった。

 午後もずっとテープおこしを続ける。明日からしばらく家を空けることになるが、そうなると家の隅々が気になってくる。洗面台と風呂場と流し台にパイプユニッシュをかけ、ぬめりをきれいにして、それぞれの場所をきれいに掃除しておく。洗濯機のネットに詰まっていたホコリも取り除き、洗濯機をもうひとまわしする。普段は洗濯を僕が引き受けていて、今の時期だと花粉がつかないようにとほとんどのものは部屋干しにしている。何点も部屋干しするには(そしてエアコンの風を当てて早めに乾かすには)、高いところに吊るす必要がある。知人ひとりだとそれは難しそうだから、洗濯が最小限の回数で済むように、知人の部屋着も今日のうちに洗っておく。夜は知人と晩酌をしながら、『FROLIC A HOLIC』というライブの映像を配信で観た。チケット代は配信でも4500円とかなり強気の価格だ。普段聴いているラジオ番組で絶賛されていたのだが、観てみると平凡な「お芝居」という感じしかしなかった。会場の規模が大きい上に、配信用のカメラでしっかり抑えられるようにと動きが設計されているせいもあるのかもしれないが、ずっと台本を読まされているような時間にしか感じられなかった。新しい表現というより、バナナマンおぎやはぎの『30minutes』を観たときに感じた新しさの延長線という感じだ。それを求めて武道館が満杯になっているのだから、それはそれで素晴らしいことなのだろうけども、目新しいものはなかった。400円という値段を知っても「配信をみよう」と思ったのは、吉住の演技が絶賛されていたからだ。ただ、最初の「コント」に登場する吉住は、やけに「演劇的」な物言いをする役どころなのだけど、彼女は「元・舞台女優」という設定になっていた。そこにわざわざ「舞台」という言葉をつける時点で、致命的にセンスがないと感じる。いつまでその世界観にいるのか。全部を観る気にはとてもなれず、時間を飛ばしてオードリー若林が出るところを見ると、ちゃぶ台をひっくり返すかのように暴れ回っていて、配信を買ってよかったなと思う。『午前0時の森』でも時々感じることだけど、ちょっとビートたけしのような気配を感じる瞬間がある。

3月14日

 10時過ぎに家を出て、秋葉原PCR検査を受ける。このタイミングでPCR検査の「都民無料」もなくなるかと思っていたが、まだ無料で受けられるようだ。そこから山手線と常磐線を乗り継ぎ、町屋に出る。普段は「電車を待つ」ということがほとんどないから、上野駅常磐線のホームに出てみると、次の電車は10分後と表示されているのを見て、「もしかして別のホームから出る先発便があるのか?」と検索してしまう。もちろん先発便などなかった。上野を出た常磐線が最初に停車するのは日暮里で、ぼくにとって最寄駅のひとつでもあるのだけど、常磐線の車窓から眺めていると、景色が違って見えてくる。ホステス募集と書かれた看板は日に焼けてひび割れている。

 病院に行き、診察を受ける。昨日で術後4週間が経った。この10日間ぐらいは何も気にせず過ごしているが、「橋本さん、ばっちりですよ」と、医師が指で丸を作る。前回までは4種類の飲み薬が出されていたが、今日からは1種類だけになった。塗り薬も種類が変わった。今日は診察はスムーズに順番がまわってきたが、会計に時間がかかり、病院を出る頃には12時45分になっていた。それならばと、入院中に出前をとった蕎麦屋に行ってみることにする。入院中にカツ丼の出前をとったとき、「これにビールがついていたらなあ」と思っていた。仕事は溜まっているけれど、カツ丼とビールを平らげる。

 千代田線と半蔵門線を乗り継ぎ、神保町に出る。キンコーズに行き、昨日刷り上がった新刊のポスターにラミネート加工を施す。飲食店のメニューみたいに、水に濡れても大丈夫な加工。市場界隈で張り出してもらうとき、場所によっては雨に濡れる可能性があるので、A4とA3サイズ、それぞれ5枚ずつ加工を施しておく。セルフで作業を進めて、会計は2000円ほど。H社に立ち寄り、ポスターを何枚か手渡したのち、「東京堂書店」を覗く。僕の本はしっかり新刊台に並んでいた(『生活史論集』のとなり)。御茶ノ水まで出て「丸善」を覗くと、こちらは「自治体」的な棚に並んでいた。成城石井で惣菜を買って、千駄木まで帰ってくる。Mさんのインタビュー2本目を記事にまとめて、17時にはメールで送信する。

 羅臼で取材したテープおこしを進めているうちに知人が帰ってきて、晩酌をする。途中でツマミが足りなくなり、セブンイレブンまで走る。陳建一の訃報が流れたばかりだが、視線反転フェアをやっていた。気になるのは麻婆麺だが、コンビニではちょっと珍しいぐらい「辛いです」と注意書きがあり、回鍋肉を買って帰った。

3月13日

 5時近くになって目を覚ます。5時になると、日テレのニュース番組に「“脱マスク”で新しい生活へ」とテロップが表示される。今日からマスクの着用は「個人の判断」と政府が発表したことを受け、そう報じているらしかった。2020年5月25日に、総理大臣の言葉を受けてテレビが「県をまたぐ移動解禁へ」と報じていたときにも、今の報道関係者にはなんの批評精神もないのだなと思ったけれど、すごいテロップだなと思って写真に撮っておく。心がざわざわしそうだから、珍しくテレビを消して過ごす。

 昨晩眠っているあいだも、頭のどこかでインタビューのことを考えていたので、眠りは浅かった。Mさんへのインタビューは今日収録するはずだ。編集者と何度か電話でやりとりをして、「13日のどこかの時間に」という話をしたきりになっていた。最後に連絡があったのは、羅臼滞在中だった木曜日の夜だ。「13日はお昼の収録になっても大丈夫ですか?」と、メールで打診があった。木曜日の夜は、なかば取材モードで羅臼の酒場にいたから、ケータイは機内モードに切り替えていた。ソフトバンクからLINEMOに切り替えたことで、圏外だったときに着信があっても、着信があったかどうか確かめられなくなっていた。だから、もしかしたらメールの前後に何度か電話をもらっていた可能性もある。そのメールには翌日の11時ごろに返事をして、「何時でも大丈夫です」とは伝えてあったのだが、それ以降も羅臼滞在中は機内モードに切り替えている時間帯が多かった。だから、もしかしたら編集者は何度か電話をかけてきたものの、ずっと「電波の届かないところにあるか、電源が入っていないため、かかりません」というメッセージであることに業を煮やし、別のライターに依頼をした可能性もある。

 昨日のお昼あたりから、そんなことを考えていた。そもそもライターという仕事をやっておいて、「圏外だった状態で連絡があった場合、着信があったかどうかも確かめられない」という環境にいるのはいかがなものかと、自問自答する。それを承知の上で(留守電サービスがなくなることを理解した上で)格安のLINEMOに切り替えたのだが、せめて着信があったかどうかだけでも知れないものかと検索してみると、去年の秋からLINEMOでも「留守電パック」というのが始まっていた。それはもう、昨日のうちに加入しておいたのだが、もし別のライターに依頼をしていたのだとしたら、インタビューの準備をしていた時間は無駄になってしまう。今はわりとバタついている時期だから、だったら時間がもったいなかったなあと思っていたのだが、昨日の23時過ぎにメールが届いていて、「明日は13時からでお願いします」と書かれていた。

 朝から質問リストを練る。取材時間は50分だけで、延長はできないこと。インタビューを2つの別の記事に仕立てる必要があること。お相手のMさんには何度もインタビューをしたことはあるけど、ハードルは高めだ。それに、過去にインタビューしたことがあって、相手がこちらを信頼してくださっていたことは知っているけれど、過去にそうだったからといって今うまく言葉を引き出せるかは別の話だ。記事をどういう構成で仕上げるか、しっかり考えておかないと、記事にするときに苦労する(刊行前に記事が出せるよう、なるはやで仕上げてほしいと頼まれている)。文字数的に、ひとつの記事はウェブで3ページぐらいに分けて掲載されることになるだろう。だとしたら、ページごとにテーマが必要なはずで、そのテーマを選ぶとしたら――と、コーヒーを淹れながら考える。こういう聞き方をしたら、どんな返事が返ってくるか。この聞き方だと、ちょっと唐突すぎるか。こういうふうに質問を並べると、こういう展開になるか。話をする時間のことを想像し続けて、3時間ほどで質問リストがまとまった。

 12時20分ごろ、こないだ無印良品で買ったセットアップを着て、パソコンだけ抱えて家を出る。朝からうっすら降り続いていた雨は、ざあざあぶりに変わっている。本駒込から南北線に乗り、12時50分には市谷のK社へ。マスクを外している人はほとんどいなかった。今日という日を待ち望んでいた人からしたら、腹立たしく感じるのだろうか。編集者のOさんが1階に降りてきて、Mさんを待つ。やがてMさんのマネージャーさんがやってきたのだが、肝心のMさんは少し遅れているようだった。そわそわする。というのも、「スケジュールの関係で時間の延長はできない」と言われていたけれど、それは「50分間以上はインタビューの時間をとれない」という話なのか、それとも「13時50分までしか時間は取れない」という話なのか、後者だったら厳しいなあとそわそわしていた。念のためOさんに確認すると、「50分は話を聞いてもらってだいじょうぶです」とのことだったので、ほっとする。

 Mさんが到着したところで、会議室でインタビューをする。時間がタイトなので、パソコンの画面にスマートフォンを立てかけ、ストップウォッチで時間を計りながら話を聞いた。そんなふうにインタビューをするのは初めてだ。自分の中で質問リストは6つのブロックに分けてあるので、1つのブロックあたり8分くらいにまとめられたら、時間内に全部のブロックを聴き終えられる――そう考えて、「ラップ」も刻みながら話を聞いた。時間は限られているけれど、じっくり話が聞けて、うれしかった。K社を出ると、もうすっかり雨は上がっている。南北線のホームに着くと、すぐにパソコンに音源を取り込んで、テープ起こしを始める。大江健三郎の訃報。テープ起こしを終えて、すぐに構成に取り掛かり、18時半には編集者に1本目の原稿を送っておく。

 19時ごろに家を出て、久しぶりに「往来座」へ。「久しぶり、元気にしてた?」と、のむみちさんに声をかけてもらって、普段こういうときは「はい、なんとか」みたいに返事をすることが多いのだけど、つい「ちょっと入院してまして」と答えてしまう。どうやって説明しようかと一瞬考えていると、帳場の奥にいたセトさんが「説明がややこしいんだよね」と、かわりに説明してくれる。最近、山頭火を読まなければと思っていたところに文庫版の全集があり、買い求める。ほどなくしてムトーさんもやってきて、あれ、ビール飲んでないの?と声をかけられ、ビールを買いに行く。ムトーさんは氷が入ったカップと酎ハイを買ってきて、カップに注いで飲んでいる。セトさんは、最近はビールがいくらでも飲めるようになった、タンクがきれいになった感じ、と話していた。僕もタンクを洗浄したい。取り出して洗ったり、ちょっと干しておいたりできたらいいのになあ。店内に流れる柳ヶ瀬ブルース。

 セトさんとムトーさんと一緒に、東通り近くの「硯家」へ。明治通り沿いの店舗にしか行ったことがなかったけれど(そこも1回くらいしか入ったことがなかった)、こちらの店舗が先にあったのだと知る。セトさんはビール、ムトーさんは焼酎のお湯割り、僕は熱燗を頼んで乾杯。ある人が東京を離れて郷里に帰ったという話を聞き、そうだったのか、最後に会ったのはいつだっただろうかと思い返す。それは確実に『東京の古本屋』の取材をしていたころで、「これからも古本屋の取材、ぜひ続けてくださいね」と言われたことを思い出す。あのときにはもう、東京を離れることを決めていたのだろうか。近況を話しながら、態度というのか、姿勢というのか、のことを考えていた。誰にどんな言葉をかけるのか、あるいは、どの言葉はそっとしまい込んでおくのか。すべてはそこに尽きるような気がする。セトさんが食べるシメサバは自分が食べる以上に美味しそうに見えた。

3月12日

 4時過ぎに目を覚ます。M.Nさんの新刊のゲラをPDF読みながら眠りについたので、脳が刺激を受けたのだろう、奇妙な夢を何度も見た。Mさんの文章は、エッセイでもコラムでもなく、まさしく「散文」といった感じで自由に話が展開していく。人間が普段頭の中で考えていることというのは、線的にまとまっているものではなく、案外飛躍にとんでいるものだと、再認識させられた。その影響で、自分が見る夢まで飛躍に富んだものになった。

 知人は里帰り中なので、布団に腹ばいになったままパソコンを広げ、仕事を始める。明日にはMさんにインタビューをすることになっているので、眠りながら頭のどこかで質問リストを練っていた。まずはゲラを読みながらPDFに書き込んでいたメモと、線を引いた箇所を書き出し、インタビューの流れを想像する。昨晩は眠りが浅かったのか、どうにも眠く、うまく質問リストをまとめることができなかった。羅臼滞在中は取材モードになっていたし、久しぶりの遠出だった上に、毎晩取材もかねて酒場で過ごしていたから、疲れが溜まっているのだろう。眠気というのも身体からのサインなのだろうと思い、午後はソファに寝転がって過ごす。

 15時に競馬中継が始まる。番組がメインで扱っているのは桜花賞トライアルの2レースだが、僕は金鯱賞の予想しかしていなかった。金鯱賞の出走時刻も15時35分から45分あたりだろうと思い込んでいたら、15時17分あたりで「まずは金鯱賞です」と画面が切り替わり、慌てて馬券を購入する。1着と2着はもう、プログノーシス(1番人気)かディープモンスター(5番人気)で決まりだろう。3着にアラタ、マリアエレーナ、ルビーカサブランカの3頭を選んで、3連単を6通り(600円)買った。レースが始まってみると、1着には予想通りプログノーシスが入ったが、2着はあえて外したフェーングロッテン(2番人気)が入り、3着は予想に入れておいたアラタが入った。最近うっすら思っていることだが、「ワイド」という馬券であれば、1着と3着でも的中になる。「ワイドだったら当たっていたのに」という結果に終わることが多々ある。ただ、ワイドだとオッズも下がるから、夢がないんだよなあと思う。夢を買っていたのか。

 競馬中継が終わると、部屋着のまま買い物に出た。スーパーと、スーパーが経営するワイン屋に立ち寄って買い物を済ませた。レジに並んでいると、若い二人組が後ろにならんだ。その二人組のひとりが抱えた鞄が、僕のスウェットにあたり、「着替えてから出かければよかった」と思う。コロナ禍になってからというもの、鞄を床に置けなくなった。電車に乗っていても、2020年の段階であれば鞄を床に置いている人がほとんど見かけなかった。飛行機でも、荷物を床に直置きしなくて済むように、ANAだと白い袋が搭乗口に用意されてある。コロナ禍になって時間が経過するにつれ、床に荷物を直置きする人が増えているけど、僕はいまだに神経質に過ごしてしまっているから、白い袋を使う。だから、鞄を部屋着に当てられたときに、その鞄って普段どういう扱いしてますかと尋ねたくなってしまう。「いつまでそんな神経質なこと言ってんの?」と言われて終わるのは自分でもわかっている。スーパーで買い物を済ませたあと、ちょっとだけ良いワイン(1500円ぐらいのやつ)を買ってゆっくり飲んで過ごそうと思って、隣のワイン屋に立ち寄る。会計の際に「PayPayで」と伝えると、店員さんがバーコードリーダーを手に取る。ああ、スキャンしてもらうタイプのお店だったっけと画面を開き、スマートフォンを差し出すと、店員さんはバーコードスキャナーを画面に押し当てる。押し当てなくたって読み取れるだろうに、と、ここでも神経質になってしまう。もしかしたら、押し当てないとなかなか読み取れなくて、大変なのかもしれない。そのバーコードリーダーが、何十人ものスマートフォンの画面に押し当てられているところを想像しながら、団子坂を上る。明日から自分はどうやって生きていくんだろう。

 帰宅後、まずは機内誌『c』の原稿を書く。ソファに寝転がりながらもおおまかな原稿の流れは練っていたので、2時間ほどで8割近く仕上がる。それは一旦寝かせておくことにして、スーパーで買ってきた加賀揚げれんこんをフライパンで軽く炒めて、晩酌を始める。ビールを飲みながら、羅臼でインタビューした音源のテープ起こしをする。元漁師の方だから、歯切れがよくて、なんだか楽しくなってくる。22時過ぎに布団を敷き、22時半からは『ブラッシュアップライフ』をリアルタイムで観始める。知人とLINEで感想を話しながら観ていたのだが、途中で眠ってしまった。

3月11日

 今日も5時過ぎに目をさます。昨晩もたくさんお酒を飲んだので、くたびれている。それより気に掛かっているのは、財布の中身がほぼからっぽになっていることだ。そして、今日は土曜日である。銀行口座にお金はあるのだけど、口座に残っているぶんは積立扱いになっているものだから、ATMで引き出せるのかどうかよくわからない。とりあえず積立してある金額の一部を「解約」してみたけれど、その「解約」は月曜日にならないとデータに反映されないようだった。もし引き出せなかったら、どうしよう。身元がはっきりしているのは、宿だろうか。宿の方に「月曜日に振り込みますから」とお願いして、お金を貸してもらうしかないのだろうか?――ぐるぐる考えてみたところで、今この場で結論は出ないので、思考を放棄して布団にくるまっていた。

 7時半には布団から這い出し、部屋の片付けをしつつ、もしもお金が引き出せなかったらどうしようかとボンヤリ考える。一番わかりやすいのは、こちらの身元を(旅行支援のために、こちらの身分証も含めて)確認している宿の方に相談して、「月曜日には振り込みますので、返してもらえませんか?」と相談することだろう。ただ、口座からお金が引き出せなくなっているような相手に、お金を貸してくれる人なんているだろうか? それよりは、取材で知り合った誰かに相談したほうが手取り早いだろうか?――しかし、そういう関係の誰かにお金を借りるのは、率直に原稿を書くためにも、よくない気がする。

 迷いながらも、8時半に宿を出る。まずは宿の目の前にあるセイコーマートに入り、お金を下ろせるか確認しようとしたところ、ATMは見当たらなかった。店員さんに尋ねると、「羅臼セイコーマートにはATMはないです、この近くだと、郵便局にしかないです」と告げられる。それならばと郵便局に行ってみると、今日は土曜日だから9時にしか開かないようだった。そわそわしながら、昨日訪れた喫茶店を再訪する。コーヒーを淹れるためのお湯が沸くのを待っているうちに8時57分になったので、「ちょっと、郵便局に行ってきます」と伝えて店を出た。まだ何も飲んでいないので、無銭飲食っぽくもならないだろう。開いたばかりのATMを操作すると、無事にお金を引き出せたので、ずいぶんホッとした。

 お金が下ろせたから、この街から空港までのバス代(2500円ほど)は現金で支払えそうだ(そのお金は現金払いのみだから、起きたときから不安に駆られていた)。お金が引き出せたとなると、次はバスの時間が気がかりになる。中標津方面へのバスは、9時21分に出発する。まだホテルをチェックアウトしていないので、しばらく喫茶店のママさんと言葉を交わさせてもらって、記念に写真を撮らせてもらったあと、いそいそと宿に引き返してチェックアウトをする。そうしてバス停まで歩き、バスを待つ。9時20分になったところで、「そうだ、記念にバス停を写真に撮っておこう」とカメラを向けたところで、バスの時刻表の表記に気づく。その時刻表は、平日と土日祝に分かれていた。平日は9時21分発のバスがあるけれど、土日祝は7時11分発があったあと、13時過ぎまでバスはないようだった。

 あー……。

 どうしようか。

 13時過ぎのバスに乗ったところで、中標津バスターミナルに到着できるのは、飛行機が出発する15分前になってしまいそうだ(しかし、どうして飛行機の時刻に合わせたスケジュールになっていないのか)。それだともう、間に合わない。他にバスはないから、可能性としてはタクシーだ。この街には一台だけタクシーがあると教えてもらっていたけれど、そんな遠くまで行ってくれるだろうか・・? なんにしても、まずは地元の方に相談しようと喫茶店に引き返し、店主に相談してみる。「ハイヤーはあるけど、お金がもったいないから、誰かそっちに行く人がいないか聞いてみる」と、電話をかけて探してくれた。その気持ちに、胸がいっぱいになる。最終的には5000円のアルバイト代で乗せていてくれる人が見つかり、その方に空港まで送ってもらった。片道60キロもあることを考えると、それぐらいの金額で乗せてってもらうのが申し訳ない気持ちは当然あるけれど、手持ちのお金はそんなにたくさんないので、その言葉に甘えてしまった。

 中標津空港には、熊が手指の消毒をするマークや、熊がマスクをつけるマークが張り出されていて、新しい生活様式を呼びかけていた。こうしたポスターもあと数日で入れ替わっていくのだろうかと思って、写真を撮っておく。帰りの飛行機でも、そこから気まぐれにバスタ新宿を目指すあいだも、明後日にインタビューする相手の新刊のゲラを熟読していた。昨日の夜も、酒を飲みながらこのゲラを読んでいた。バスタ新宿が近づくと、甲州街道沿いに数えきれないほどの人が行き交っているのが見えて、なんだこの街はとびっくりする。富士そばで小腹を満たしたあと、新宿3丁目「F」へ。この「F」はバーだ。ツマミメニューもいくつか存在するけれど、基本的にはバーだ。そんなこのお店に、あとからやってきた客が、ツマミが入った袋を満載にしてやってくる。その客が、そんなふうに食材を大量に持ち込む現場に何度か居合わせて、そのたび嫌な気持ちになってきた。ここはバーだ。もちろんフードを注文するのが悪ではないにしても、腹が減っているなら居酒屋に行けばいい話だ。しかし、特にコロナ禍の今、お店側がそれを受け入れているのだから、もう、それが正しいのだろう。こういうときに「Tさんが生きていたら、どう反応していただろう?」と想像してしまうのは、都合が良すぎるだろうか。Tさんは、どこで何を(どのタイミングで)注文するかに、とても意識を払っている人だった。少なくともこんなふうにビニール袋に満載の食材を持ち込むような人ではなかった。

 それとはまったく別の問題として、ひとりで酒場を訪れているのに、ひとりマスク会食をしている自分はかなり浮いているように感じられた(お店のふたりは、マスクをつけていたけれど)。「F」を出たあと、都営新宿線南北線を乗り継いでいるあいだも、マスクをつけていない人が1割ぐらい増えた感じがあった。本駒込を出て、ファミリーマートとんがりコーンを買って帰途に着く。