8月10日

 台風が近づいているというので、早めに横浜に出かける。今日は急な坂スタジオにて、マームとジプシー「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて」が上演されるのだ。

 1年前の春、関内にある十六夜吉田町スタジオにて、Aバージョン、Bバージョン、Cバージョンと、1週間ごとに成長させながら上演された作品だ。そしてマームとジプシー初の海外公演としてイタリアとチリで上演された作品でもある。

 この作品で、彼らは今年もまた海外ツアーに出るという。それに先立って、8月5日、1年数ヶ月振りに「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて」が上演された。それからわずか5日後、去年と同じペースで別バージョンが上演されることになった。ただ、昨年はA、B、Cバージョンともに有料の公演として上演されたのに対して、今日はあくまで「公開リハーサル」として、無料で公開される。

 日ノ出町駅前にあるケンタッキーフライドチキンで少し時間をつぶしたものの、2時間前には急な坂スタジオにたどり着いてしまった。しばらくぼんやり過ごしていると、窓の外で激しい雨が降り始めた。いよいよ台風が近づいているらしい。この雨で、しかも日曜日の夜ともなると人は集まらないかもしれない――勝手にそんなことを心配していたけれど、それはまったくの杞憂で、19時になる頃には急な坂スタジオのロビーには人が溢れ返っていた。

 この作品を観るとき、やはり、1年前と違っている点のことばかり気にしてしまう。

 1年前の時点で謎だった「けむくじゃらの男」は登場しなくなったし、その男の言葉を信じて狼を待ちつつ、家出をしてテント生活を送っていた“あや”は、1年前の同作では10年後に病気にかかり余命幾許もない設定だったのに、今年はどうも、自ら命を絶ったようでもある。

 1年前、僕が一番好きだったシーンは、“さとこ”が上空を見上げながら喉元を叩き、ああああああ、と鳥たちと会話をしている(気持ちになる)シーンだった。でも、今年はそのシーンはあっさりと登場し、去年に比べるとさらりと終わる。このシーンーー”さとこ”と“あゆみ”のシーンがさらりとした印象になっているのは、二人の仲が早々に決裂しているからだろう。

 “さとこ”は、早い段階に“あゆみ”に告げる。「こんな街、出て行く」と。それに対し、“あゆみ”は「私はこの街に残るから」と、ムッとした様子で言い返す。1年前の同作では、「この街、出てくから」と宣言したあとでも、二人の仲は険悪にならなかった。1年前は、“あゆみ”は「あえて八方美人」でいるキャラクターだった。

 また、1年前の“あゆみ”は「さとこちゃーーん、これてるーー?」と語ってもいた。でも、今年は「さとこちゃーーん、帰るよーー?」と声を掛けている。この微妙な変化は、なかなかに大きいように思う。1年前は、二人は同じ道を歩いていた。でも今年は、街を出ていく方向に突き進む”さとこ”と、街に残る、家に帰るベクトルに向かう“あゆみ”は、はっきり背を向けている。

 この作品には6人の役者が登場する。6人は同級生だ。彼らは中学生で、自分たちの住む街で起きた凶悪な事件に対して、それぞれのやり方で向き合いながら揺れ動いていた。その意味では、彼らは(ある程度)ひとかたまりになっていた(「男子と女子はわかり合えないのかしらね」というくらいの断絶はあったけども)。

 1年前の同作には、ある種の美しさがあった。「出会いと別れの季節」である「春」が内包する、美しさ。でも、最初から皆が「ことなった」「てん」として存在している今年の同作では、その種の美しさは少し奥まったように感じられる。では、今年は一体、何を描こうとしているのだろう?――それはまだ、正直よくわからない。わからないけれども、たとえば、“あや”が語る、「加害者にもなれるし、被害者にもなれるって先生は言ったけど、それってどういうことだろう?」というような台詞は、何か重要な役割を果たしていくのではないかと思う。何にせよ、これからまた海外公演に向けて変化していくであろうこの作品が、楽しみだ。


8月15日

 10時近くに起きる。昼、全国戦没者追悼式のテレビ中継を眺めたのち、オクラと納豆入りうどんを作って食す。午後、イタリア日記を書き続ける。17時過ぎ、自転車で神保町へ。九段下に近づくと、警察の人員輸送車と覆面パトカーが道の両脇にずうっと続いている。警察官もたくさんいた、ぞろぞろと鉄柵を片づけているところだ。この日に九段下に近づくのは初めてのことだが、さすがに物々しい雰囲気だ。警察車両は駿河台下の交差点あたりまでずうっと続いていた。

 18時から、「新世界菜館」にて『S!』誌収録。ゲスト会で緊張する。帰り際、残されたままの名刺を見つけて、ちょっとしょうもないことをしてしまったのかもしれないと反省する。置いて行かれたことがショックということではない。相手のことを考えると、名刺を渡して覚えてもらっても仕方のないことで、原稿で「お」と覚えてもらうしかないのだ。最後にカレーライスと冷やし中華が出てきた。カレーライスが甘口でとても美味しかった。

 21時過ぎに終わり、自転車をこいで帰る。この時間になると、さすがに警察車両も姿を消している。九段下の交差点を飯田橋方面に曲がると、少し先に肩を抱いている人の姿が見えた。酔っ払って盛り上がった人たちが抱き合っているのだろうかとスピードを緩めてみると、取っ組み合いのケンカをしている二人を、周りの人たちが必死で引き離しているのだった。同じような光景を、少し先でも見かけた。今日ぐらい静かに飲めばいいのにな。少なくとも九段下を訪れてまでケンカをすることはないだろう。

 アパートに戻り、イタリア日記を書き進める。テレビでは『硫黄島からの手紙』をやっている。一度観たことがあるはずだけれども、ほとんど内容を忘れていた。映画や本の内容をすぐに忘れてしまう。人が死ぬシーンがやってくるたびに、うあ、と口の中でつぶやきながら、時々眺める。印象的だったのは加瀬亮だ。集中して観ていたわけではないから詳しい筋はわからないが、最初は自決するつもりでいた加瀬だが、西郷と過ごしているうちに考えが変わり、投降を決意する。何とか脱走し投降に成功すると、先に捕虜になった日本兵がいた。男が静かに言う。「聞いたか? 飯が食えるって話だぜ」。「飯か。いいな」と、加瀬も静かに答える。が、次の瞬間、捕虜を見張るという任務を面倒に感じた米兵によって、二人とも射殺されてしまった。

 23時過ぎになって、新宿5丁目「N」へ。明治通りはさすがに空いていた。通りがこの様子ならお店もガラガラかもしれないと思っていたら、階段を降りるとほとんど満席だ。2時間前までお会いしていたTさんの姿もある。その隣に1つだけ空いている席があったので、そこに座らせてもらう。Tさんがお店に差し入れたというサンドウィッチを、僕もお裾分けしていただく。ときどき僕のサンドウィッチの減り具合を確認していたTさんは、「甘いのもおいしいよ」と、自分の皿にあった小倉サンドも分けてくれた。

 店内にブルース・スプリングスティーンの「Surprise, Surprise」が流れ始めると、Tさんは席を立って踊り始める。その姿に、何かを教えられているような気持ちになる。この曲に続けて、「4th of July, Asbury Park」という曲が流れた。こちらはTさんの向こうに座っていたOさんのリクエストで、これもスプリングスティーンの曲らしかった。僕はあまりスプリングスティーンを聴いたことがないけれど、どちらも良い曲だった。帰り道、さっそく借りて帰ろうと「ツタヤ」に寄ったけれど、最寄りの店ではどちらのアルバムも取扱なしと出た。


8月16日

 9時過ぎに起きる。土曜の朝によくやっているタイプの番組を眺めていると、ふと「しらす丼を食べに行こう」という気持ちになる。少し前の『ポパイ』で、蓮沼さんが紹介していた店――紹介文が「しょっぱかったら、湘南ビールを飲めばいいじゃん!」と締めくくられていて妙に印象に残っている――を、今日こそ訪れることにしよう。意気揚々と隣で寝ている知人を起こし、「あの『飲めばいいじゃん!』の店に食べに行こう」誘ってみたけれど、「仕事があるから無理だよ」とあっさりフラレてしまった。

 11時過ぎにアパートを出て、一人で鎌倉を目指す。東海道線はガラガラだったのに、大船から横須賀線に乗り換えるとものすごく混んでいる。「どうか海水浴客でありますように」と願いつつ鎌倉駅で降りてみると、駅前は人で溢れていて、小町通りも大賑わいだ。そしてほとんどがカップルか家族連れである。目当ての店である「秋本」の前にも、大勢の人が入店を待っていた。

 受付に名前を書いておいて待つスタイルらしい(なので、先着順に行列ができているわけではなく、めいめいが椅子に座って待っている)。それならばと名前だけ書いておいて近くを散策でもしようかと思っていたけれど、店員さんが定期的に名前を呼び、ちゃんと並んでいるかを確認しているらしかった(離れていた人はキャンセルと見做される)。待っているお客さんは20組近くいるようなので迷ったが、他の店のことは何も調べてこなかったので、僕も並ぶことに決めた。

 パソコンを広げてイタリア日記を書くこと1時間半、15時近くになってようやく入店することができた。オーダーストップになる前に入れてホッとする。ミニしらす丼と野菜の天ぷらのセット、それに湘南ビールを注文する。湘南ビールは料理を待っているあいだに飲み干してしまったので、料理は日本酒を飲みつついただく。しらす丼は、しらすの丼であった。食事を終えたところで、せめて大仏でも見物して帰るかと思ったが、雨が降り始めてしまった。なんだか面倒になってしまって、結局そのまま東京に引き返すことにする。

 17時過ぎ、高田馬場には戻らず、高円寺へ。駅前の「上島珈琲店」で2時間半ほどイタリア日記を書いたのち、「コクテイル」。こうして毎晩飲み歩いている側からすると、「お盆の東京もあまり変わらないな」なんて思ってしまうけれど、酒場を営んでいるKさんからすると、やはりお盆は世の中の動きが止まっているように感じるという。外で飲もうって人はいつもより少ないのでは、と。なるほど。ビールを2杯飲んで、店内で流れていた世田谷ピンポンズのアルバムと一緒に会計をしてもらって店を出た。


8月17日

 朝8時に起きる。冷房をつけているのかと思うほど涼しく、知人は「夏が終わってもうた」とつぶやいている。今年も夏らしいことはしなかったな。昼、オクラと納豆入りうどん。先週、『PON!』で栗原はるみが紹介しているのを見て、これなら簡単そうだとよく作っている。食べながら、昨日買ってきた『すばる』(9月号)を読む。巻頭の能年玲奈インタビュー読む。聞き手である中森明夫は、「インタビュー中に印象的な場面があった」として、こう記している。

(…)映画を観て、いや、もうホントに能年さんが和希としか見えなかった、それぐらい、憑依っていうんですか――と私が言う。すると「ひょうい?」と、ふいに彼女の表情が変わったのだ。

「私……(間)……あの……時々、そう言われるんですけど、私自身はすごく台本を読み込んで、役を解釈していって組み立てているので、なんか、そういうふうに言われると、まだまだだな〜と思って……がんばらなきゃな……と思うんです」

 この言葉を受けて、中森明夫は地の文で「きわめてクレバーな女優」「『憑依』なんて安直な言葉を使った自身を、私は恥じた」と書く。僕は演技プランを組み立てて演じる女優のほうがクレバーだとも思わないけれど、そう語っているのなら、その内容が読みたかったという気がする。しかし、中森明夫は「失礼しました」と口にするものの、「だけど、それだけじゃない」「見る側としては、どうしても特別な才能を感じるんです」と食い下がる。そこからの流れは、はて、という気持ちで読んだ。

 午後、イタリア日記を書く。夕方になって自転車で出かける。こまばアゴラ劇場にて知人と合流し、範宙遊泳『インザマッド(ただし太陽の下)』観劇。上演時間は70分と短めだが、そんなに短い時間であるとは思えない観劇。舞台写真を撮るときれいに写るだろうなと思いながら眺めていた。新宿、靖国通り、アルタ前、あるいは渋谷の写真、ひょっとしたら「日本」という固有名詞すらなくても良かったのではないかという気さえする。もっと遠いところに飛んで行けそうな気配を感じる台詞が一箇所あったので、終演後に表で売っていた戯曲を買った。値段は千円である。高い、と思ったが、製本されているように見えたので購入した。

 渋谷まで歩き、知人と二人、もつ鍋屋に入る。劇中に「ヘルシーだけどスタミナ付く感じがいいな」という台詞が出きたり、九州出身でもないくせにキャラ付けのために「よかばい」と話したりする女が登場するので、もつ鍋を選んだのだ(が、今戯曲を確認すると、「九州出身でもないくせキャラ付けなのか熊本弁を多用」とある。馬刺しとかにすればよかったかもしれない)。センター街の奥のほうにある店だが、お盆休みの最終日とあってか、広々とした空間に数組しかお客さんがいなかった。

 ノンアルコールビールを2本注文して乾杯し、買ったばかりの戯曲を開いてみる。と、それは製本されているのではなく、コピーを裁断し、公演のチラシで挟んだだけという仕上がりだ。物販が混雑していて、見本を確認するのを面倒くさがった自分も悪いけれど、これで千円というのはさすがに、とガックリくる。もつ鍋の〆はちゃんぽんを入れた。

 電車で帰る知人と別れ、必死こいて自転車こいで高田馬場に戻ると、知人とほぼ同時にアパートにたどり着いた。自転車こぐのにも慣れてきて、渋谷くらいなら電車と同じくらいの時間で行けるようになってきた。前は「近い」と感じる範囲は新宿までだったけれど、今なら渋谷も「近い」と感じる。こうして少しずつ距離が伸びていき、実家のある広島くらいまで「近い」と感じるようになればいいのに。


8月18日

 9時過ぎに起きる。DVDレコーダーは日本テレビを録画し続けている。今日は来期から始まるドラマ「地獄先生ぬ〜べ〜」の番宣で、関ジャニ∞丸山隆平が出ずっぱりなのだ(録画予約したのは僕ではなく知人)。音量はゼロにして、いろんな番組で奮闘するマルの姿だけ眺めつつ、『S!』誌のテープ起こしに取りかかる。いつもならあらかじめアタリをつけ、その週の構成に必要そうな箇所だけを起こすのだけれども、今回はどう振り分けるかが難しいこともあるので、全部起こすことにする。対談の中で「テープ起こしにも上手/下手がある」という話にもなっているので、緊張する。

 今日は飲み会がある。とても楽しみではあるけれど、少し緊張する。そういうときはつい飲み過ぎてしまうことが多い。酔っ払い過ぎないように、ホッピーをうすーく割ってチビチビ飲んで過ごすつもりでいたけれど、お店のサイトを確認すると少しオシャレな雰囲気で、ホッピーなどどこにも載っていない。僕一人だけカパカパ飲んでお会計が釣り上がってしまうのは申し訳ない(といって「僕だけ飲んだから多めに出しますよ」と言い出しても微妙な空気になる気がする)。お店のサイトを眺めつつ、「まずはビール飲んで、次にモヒートを注文して……」とシュミレートしているうちに日が暮れていた。

 19時50分にアパートを出る。椿坂を上がって目白に出て、線路脇の道を進んで池袋西口に出た。自転車をこいでいると、妙に懐かしい気持ちになってくる。一体なぜだろうと記憶をたどってみると、1年前の今日は「cocoon」の楽日で、その日も同じルートを自転車で走っていたのだった。約束の20時ちょうどにお店に入ると、まだ誰も来ていなかった。これはチャンスだと店員を呼んで、ワインをボトルで注文し、先にそのぶんだけ会計をしてもらった。これで安心だ。ホッとした気持ちで生ビールを注文し、皆がやってくるのを待つ。

 今日はAさんとPのMさんのいる飲み会だ。編集者のAさんがこの飲み会をセッティングしたのだが、Mさん以外は女性ばかりになってしまい、そこで二人と面識のある僕も呼ばれることになったのだ(僕がMさんに「是非」と誘い、それでMさんがAさんの出る舞台を観にきてくれたということもある)。飲み会が始まると、「橋本さんは最近忙しいんですか」と訊ねられる。いや、全然忙しくないです、今日なんて夕方からずっと「何を飲もうか」とお店のサイトを眺めてましたよと口にすると、「さすがにそれは」と呆れられてしまった。

 Aさんは明日、1ヵ月後にせまった舞台に向けてレコーディングをするという。その話から「Aさんが音痴だ」という話題になった。「でも、普段は音痴でも、舞台にあがるとすごい上手とかってことはないんですか」とMさん。たしかに、そんなことがあっても不思議じゃない気はする。役者の人が普段からハキハキしゃべるというわけではなく、ぼそぼそとしゃべる人だってたくさんいる。
 ところで、今日の飲み会はカラオケ店の入ったビルで催されていた。「カラオケとかは行かないんですか」とMさんが訊ねると、「ほとんどいかないです」とAさんが答える。「カラオケに行ったのは、それこそ1年前です。あのとき橋本さんも一緒でしたよね」。1年前の今日、打ち上げが終わったあと、残っていた10人くらいで朝までカラオケに行ったのだ。

 0時頃に会計を済ませて店を出る。会計はMさんがすべて払ってくれた(申し訳ない)。Mさんの荷物は財布と文庫本だけで、文庫本は『杳子・妻隠』だった。残った4人で別の店に移動して、杯を重ねる。僕はMさんに聞いてみたいことがあった。それは、自分の中でここがホームグラウンドだと思える場所はどこかということだ。自分にはあまり向いていない仕事があったとしても、この場所がある限り大丈夫だと思える場所はどこなのか、と。Mさんが答えてくれたその仕事は、しっかりチェックしようと思う。


8月19日

 9時過ぎに起きる。ノンビリ身支度をして、11時過ぎに知人と一緒にアパートを出る。知人は仕事、僕はこれから帰省する。品川駅でシウマイ弁当を購入し、新幹線に乗車する。東海道新幹線に乗ることとシウマイ弁当を食べることは、ほとんどセットになってしまっている。お盆休みも終わり、Uターンラッシュもとっくに過ぎているので空いているだろうと思っていたけれど、自由席はほぼ満席だ。しかも家族連ればかり。お盆に休みを取れない人もたくさんいるのだなと、どこか肩身の狭い気持ちになりながらシウマイ弁当を食べた。

 車内では『S!』誌の構成をしていた。新幹線に乗っているからだろうか、いつもの何倍も仕事がはかどる。名古屋から福山を走っているあいだに、1回ぶんの構成はほとんど終わってしまった。今日は調子が良いみたいだ。駅まで母親に迎えにきてもらって、17時過ぎに実家に到着。空間が広くてホッとする。いつもは実質的に4畳のワンルームに、知人とふたりで暮らしている。こうして広い空間に出るたび、あの狭さはダメだと痛感する。料理をする気も起こらないし、知人と頻繁に外で飲んでしまう原因の一つは、あの狭い空間だとくつろげないからではないかという気さえする。――というようなことは実家に帰るたびに思っていることだが、こうして田舎で暮らすのも悪くないかもなということが一瞬だけ頭に浮かび、それが頭に浮かんだことに驚いてしまった。今までそんなことを思ったことは一度もなかった。

 18時、夕食。肉じゃが、茄子とオクラの煮浸し、ササミとちくわの何か、カレイの煮付け。豪華なのは、最初の予定では「昨日帰る」と伝えてしまっていたので、2日ぶんの食事が並んでいるからだ。テレビではNHKのローカルニュースをやっている。しまなみ海道にある某旅館が、ハローワークに日本人の求人を出しても応募がないので、中国人の採用に踏み切ったのだという。そうして働き始めた中国人の女の子の奮闘ぶりを伝えている。

 テレビには、お客さんに出す料理をおぼえる様子や、「ふすまを開け閉めするときは、キチンと座ってやるように」と注意される様子が映し出される。彼女は中国の大学を出て、大学で学んだ日本語を活かせる仕事に就きたいと思っていたのだそうだ。それを眺めながら、「大学を出たのに、この仕事なのか」と思っている自分に気づき、愕然とする。自分だって大学で学んだこととはまったく関係のないことをやって日々生きているのに、何を考えているのだろう。

 ところで、よく言われる話として、「中国人は面子を重んじるので、他人の前で怒ってはいけない」ということがある。ざっくり言えば国民性ということになるのかもしれないが、その「中国人」という感覚はどこで培われるのだろうなあ。そこで取り上げられていた女の子は最初、ふすまを閉めるとき、立ったまま後ろ手にパーン!と閉めていた。僕は中国人の友達がいないので、これが中国人としては普通の感覚なのかどうかはわからないけれど、でも、日本人の多くは「おお、大雑把に閉めたな」と感じるかもしれない。その感覚は、一体何によって培われているのだろう。

 食後、部屋に戻って『S!』誌の構成を再開する。1回ぶんは新幹線の中で完成させているので、もう1回ぶんに取りかかる。22時近くになってそちらも完成。1日のうちに2回ぶん完成させたのは初めてかもしれない。今回の構成は、この連載のルールを破っている箇所がある。読者は何とも思わないかもしれないけれど、そのことを怒られないかと、少し緊張しつつ送信した。

 クルマでコンビニに出かけて、ノンアルコールビールを3本購入し、風呂上がりに飲んだ。最近ようやく気づいたのだが、仕事がはかどらないのは毎晩飲んだくれているせいだ。もちろん効率のいい人であれば「昼はバリバリ仕事をして、夜はじゃんじゃか飲む」というサイクルで問題ないのだろうけれど、僕は仕事の代謝が悪いのだ。ただ、まったく飲まないのも口が寂しいので、ノンアルコールビールを飲んでいる。大して味の違いがわからないので、これでも酔っ払えそうな気さえする。そうなると飲み会でもノンアルコールビールで平気なのかもしれないが、居酒屋だと生ビールとほとんど値段が変わらないのだ。もっと安くなればいいのにと願いつつ、25時頃までイタリア日記を書き綴る。


8月20日

 朝9時に起きると、知人から「広島が大変なことになってるね」とメールが届いている。何のことかと居間におりてみると、テレビはずっと土砂災害のニュースをやっている。同じ広島でも、うちのあたりはほとんど雨が降らなかったのに、こんなに大変なことになっているとは。昨晩は変な天気ではあったのだ。雨は降らないし、ゴロゴロと音も鳴らないのに、ずっと空がピカピカと光り続けていた。

 昼、テイクアウトしてきたお好み焼きを食す。うまい。たぶんこれを別の街にいる友達に食べさせても「何がうまいのか」という顔をするだろうが、うまいのだ。午後はイタリア日記を書いていた。夕方、気分転換に少し散歩をした。小さい頃に何度も歩いた、小学校へと続く通学路を歩いていくと、母校では解体工事が始まっていた。

 帰宅後、何となくネットを眺めていると、少し前に書いたインタビュー記事がアップされているのを発見する。おお、アップされていたのかと早速読んでみると、結構な割合で書き換えられており、そっと画面を閉じる。もちろんインタビューをした相手の発言が変わっていることは当たり前のことなのだが、そのあいだに書いた地の文が大幅に変更されている。大幅に省略されたところもあれば、僕が使わなかった単語に変更された箇所もある。やるせない気持ち。書き換えるなら連絡をしてくれれば済む話なのに。

 18時、夕食。ハンバーグとかぼちゃの煮付け。どちらも昔からよく食卓にのぼっていた料理だが、ハンバーグは少し味が変わっている。聞けば塩麹を入れるようになったのだという。夕食後もイタリア日記を書く。あまり捗らなかった。この宿題を夏休みのうちに完成させることができるだろうか。21時まで待って、ビールテイスト飲料を飲み始める。ホップの味わいなのか、少しだけ酔っ払ったような気持ちになるから不思議だ。今日は3本飲んだ。0時半まで日記を書いて、眠りにつく。

5月30日

 お昼、『SKETCHBOOK』(005)が届く。前の号から1ヵ月半も間が空いてしまった……。すぐに「古書往来座」に納品し、クロネコヤマトメール便(速達)で発送する。ひと段落したところでネットを巡回していると、前野さんの日記が更新されていることに気づく。「最近になってとんかつが好きになってしまった」「これはライブのMCで話します」と書かれている。調べると今日は京都でライブがあるようだ。昨日バンコクから帰ってきたばかりだから大人しくしていようかとも思ったけれど、演劇を観るためにバンコクまで出かけたことを考えると、京都くらいは何てことのない距離に思えてくる。

 というわけで、急遽ホテルを予約して京都へと向かった。18時に京都に到着し、バスで河原町三条まで移動してホテルにチェックインし、荷物を置くとタクシーを拾ってライブ会場へと急いだ。会場である「拾得」は蔵を改装したライブハウスだ。初めて入ったけれど、良い雰囲気だ。席に座ってのんびり歌が聴けるし、お酒のメニューも充実している。カレーを食べている人もいる、ツマミのメニューもいくつかあるようだ。1杯目の缶ビールを飲み干したあたりで客電が落とされ、2階から前野さんが降りてきてライブが始まった。

 前野さんは髪を切っていて、サングラスも新調していた。ダンヒルのサングラスだという。MCをするとき、ギターの上で腕を組んで話す姿が少し――そう思っていると、前野さんが自ら「サングラスがちょっと談志師匠みたいに」と口にした。前に前野さんのソロライブを観たのも京都だったけれど、そのときとはまったくモードが違っていた。前回はかき鳴らすという表現がぴったりくる演奏だったけれど、この日はしっぽりとした雰囲気だ。それに、いつにも増して古い歌を多く歌っていたようにも思う。桃井かおり「蜃気楼のように」。荒木一郎「個人的なコマーシャルソング」。森繁久彌「とんかつの唄」。「ゴンドラの唄」も歌っていた。それに、「自分の曲も演歌っぽくしてみたら合うんじゃないか」と言って、「オレらは肉の歩く朝」を演歌調して歌ってもいた(実際違和感はなかった)。

 そこで歌われる前野さん自身の曲も、ちょっと変わったラインナップだった。「リサイクルショップのクリスチャンディオール」や、富山で作ったという「サスペンスドラマの錦鯉」といった曲が続く。「今日からキザなていでライブをやったんだけど、何でこういう曲ばかり盛り上がっちゃうんだろう。おかしいねえ」と、前野さんも笑っている。「今日みたいなライブが分岐点になっていくわけです」とも話していた。「今日は間違いなく、『アイツはここが分岐点だったな』っていうライブですよ」と。

 ところで、この日一番印象に残ったのは「友達じゃがまんできない」だ。この曲を歌うとき、いつも前野さんは苦しそうに見える。一番壊れやすい歌なのかもしれない。前に仙台でライブを観たときも一度演奏を中断して歌い直していたけれど、この日も最初の一節を歌ったところで「今のじゃマエケンなんだよな」と演奏を中断した。観客はマエケンの歌を聴きにきているのだろうけれど、本人からすると、もっと普遍的な――というと違うかもしれないけれど、私から遠のいたところにある歌が良いのだろう。実際、こんなふうに話してもいた。「段々自分の理想が見えてきたんです。最近は歌が僕の歌じゃなくなってきてる感じがあって、それがすごくいいですね」。そのことは、最近の前野さんの歌がスケッチのようになってきていることとも無縁ではないだろう。

 ビールを数杯飲んだところで、次のお酒を何にしようかと考える。アメリカのパブで演奏を聴いているような気分でもあるからウィスキーも合いそうだったけれど、結局日本酒を飲んだ。終演後は「吉田屋料理店」へと飲みに出かけた。「まえのひ」全国ツアーのときに皆で来た店だ。「あそこのみょうがごはんが美味しかった」と皆が口を揃えて話していたけれど、僕は楽しくて泥酔してしまい、肝心の味を覚えていなかった。この日、再びみょうがごはんを注文したのだけれど、今回もまた酔っ払ってしまって味のことを覚えていない。

1月1日から1月15日まで

01月01日(水)


 7時過ぎに起きる。インスタグラムには初日の出の写真がいくつか並んでいる。カーテンを開けてみると、このあたりはまだこれから日の出といったところ。やはり西のほうは日の出が遅いのだな――そう思ったことに気づいておかしくなる。「西のほうは」も何も、ここが僕の生まれ育った場所だというのに。実家のすぐ近くにある高台まで歩いて初日の出を眺める。今年は例年以上に「新しい年が始まった!」という感じがする。ご来光に手を合わせ、健康でいられますように、良い原稿が書けますように、おいしいお酒が飲めますようにとお願いした。

 両親は毎年恒例の初詣で宮島に出かけていて不在だ。浴槽には湯を張ったままになっているので、新年早々に入浴。小さい頃は「神様を休ませる」とかいって、元日はお風呂の湯を抜き、洗い物も洗濯機もまわさずに過ごすよう親から言われていたけれど、今ではもう、親のほうもそんなことを気にせずに過ごしている。生活というのはそんなものだろう。湯につかりながら読んだのは、東京から持ち帰った文芸誌だ。毎月、「今月はこれを買おう」と1冊ずつぐらい文芸誌を買っているのに、結局買っただけで読まずじまいになっていた。ちなみに、買ったのは大半が『新潮』と『文學界』だったのだが、その中から『新潮』(11月号)を取り出して読み始める。巻頭には川上未映子「ミス・アイスサンドイッチ」が掲載されている。

 表題の「ミス・アイスサンドイッチ」というのは、主人公がなぜだか気になっている、サンドイッチの店で働いている女性のことだ。主人公というのは小学4年生の男の子なのだけれども、最初のうちは少し違和感をおぼえつつ読み進めていた。コナンみたいだなと思った。小学4年生というよりも、小学4年生になってしまった誰かが語り手であるように思える。

 六年は大きくてなんか怖いし五年は偉そうで乱暴なときもあるし、一年は小さくて当たりまえだけど、なんだかよろよろして幼稚園児みたいであまりにもランドセルが四角くて大きいから後ろにひっくり返ってしまいそうでみているだけでどきどきするし、二年はみんな口をあけて何を考えているのかわからないけどなんだかにやにやしているし、三年はずうっと自分でつくった歌をうたいつづけてるうるさいのがひとりいて、こうしてふだん集まらないかたまりで歩いていると、どういうわけか、だんだん四年だけがそんなずいぶんまともなようなそんな気がしてくるのだった。まともってよくわからないけど。


 自分が小学生だったときのことを振り返ってみると、一緒に集団登校する規模にいた誰かを「六年は」とか「一年は」とかって考えたことなんかなかった気がする。と、そんなことを思い浮かべるたびに気づくのは、感想というのは自分という人間が白日の下にさらされるものなのだなということだ。僕が小学生の頃に「六年は」とか「一年は」と考えなかったからといって、この小説に登場する人物のリアリティが揺らぐわけでは当然ない。僕がのんきにサッカーボールを追いかけていたというだけのことであって、教室の片隅にはこの主人公のような人がいたかもしれないのだし、片隅じゃなくたって僕以外の皆はそんな話をしていたのかもしれない。

 ぐっと前のめりになって読み始めたのは2章目(?)のあたりから。 

 そのとき、とつぜん男の人の、怒鳴り声のようなのが聞こえた。それはぼくのすぐ近く――ぼくのすぐまえに立っている男が発したんだということは頭ではすぐにわかったんだけど、その声がいったい誰にむけられたものなのかがその瞬間にはわからなかった。でも、ぼくの心臓はみんなに聞こえるんじゃないかというくらいに急にどっどっどっと大きな音をたてて、体中が脈拍そのものみたいになってぶわぶわゆれて、ぼくは一歩二歩と後ずさりながら無意識のうちにポケットの切りこみをぎゅっとにぎりしめていた。


 ミス・アイスサンドイッチとの物語も良かったのだけれども、もう一人の主な登場人物、へガティーと呼ばれる同級生の女の子とのやりとりが一番印象深く残る。特にこのあたり。

 「えらくなんかないわよ」へガティーは鼻をすんと鳴らして言った。「っていうかさ、むずかしいことって、いっぱいあるじゃない。これからわたしたちが大人になってさ、社会とかに出てさ、そしたらむずかしいこと、ほんとうにもう、信じられないくらいのたくさんの、むずかしいことがあると思うんだけど」
 「うん」
 「でもね、わたしね、そのなかでもいちばんむずかしいことをね、もう知ってるような気がするんだ。それよりむずかしいことってきっとないんじゃないかって、それで、このさきどんなむずかしいことがやってきてもさ、なんか、それにくらべたらむずかしくないっていうかさ」
 「うん」
 「わたしがこれから大人になるじゃん、なっても、そんなふうにむずかしいことにへこたれないように、最初のほうにさ、そのいちばんむずかしいことを、してくれたっていうかさ」
 「そう思うしかないっていうのも、あるんだけどさ」
 「うん」


 この箇所を読んでいると、どういうわけだかマームの舞台が思い浮かんだ。マームを観過ぎて頭が馬鹿になっているのかもしれない(でも、へガティーの台詞は成田亜佑美さんや荻原綾さんの声で再生されてくる)。

 読み終えたあたりで両親が初詣から帰ってきて、昼食。かきめしとおせち。近くにあった、同級生の親が経営するセブンイレブンが閉店してしまったのでどうするのかと思っていたが、隣町にあるセブンイレブンで予約して購入したらしかった。母が作った煮しめもあるが、まずはそちらから手をつける。

 午後は母とふたり町内の神社に初詣に出かけた。なぜかふたりで出かけるのが毎年の恒例行事になりつつある。神社のあとは、すぐ近くにあるお墓に参る。神社も墓地も急な階段や坂をのぼらねばならず、「年取ったら来れんようになるねえ」と母は言う。階段を上がるスピードはさほど変わらないが、降りるスピードは少しずつ遅くなっている。線香を立てて手を合わせる。ここに眠っている人の中で会ったことがあるのは一人だけだ。「ばあちゃん」と呼んでいたその人は、正しくは曾祖母である。明治生まれの曾祖母は、僕が物心ついた頃にはもう寝たきりになっていたが、僕は学校から帰るとそのベッドの横に座ってテレビを見たり、新聞の広告を丸めて剣を作ったりしていた。さきほど読んだ川上未映子「ミス・アイスサンドイッチ」に登場する主人公と祖母の関係そのものだった。しみじみ手を合わせる。

 実家に戻って母を降ろし、ひとりで隣町にある「ユニクロ」に出かける。初売りとあって賑わっているかと思っていたが、混雑というほどでもない。僕はヒートテックの肌着と実家で着る用のスウェット、それに黒のカーディガンを購入。地元のショッピングセンター「ゆめタウン」にも出かけて、書店で正月に読む本を物色する。新年を迎えるといつも「古典を読もう」と思っている。古典といっても僕の中でのそれは「死んだ人の文学」というだけで、今年は川端康成『雪国』と、その隣りに並べてあった『美しい日本の私』、志賀直哉『暗夜行路』、それに川上未映子『乳と卵』の文庫本も平積みになっていたので購入した。そのあと、食材売り場に移動し、今晩飲むための酒を買い求める。賀茂鶴という地酒の純米酒。スーパーを出たところに証明写真の機械があるのに気づき、せっかく新年なのだからと証明写真を撮っておく。800円もした。

 18時、夕食。おせちである。去年はお酒を飲みながらおせちをツマんでいたら、1時間ほど経ったところで「いつまで食べとるんなら」と父が怒り出したのをはっきり覚えている。その経験を踏まえて、父が上機嫌で過ごせるようにあれこれ話しかけて様子をさぐるようにおせちをツマんで酒を飲んだ。おせちというのはなんて酒に合う料理なのだろうと毎年思っている。1時間ほどで切り上げておいて、部屋に戻ってひとり日本酒を飲み始める。途中で2度居間に降り、母が作った煮しめを皿に載せて部屋に戻って、それをツマミながら『雪国』をチビチビ読んだ。

 こうしていると、いつまでこの煮しめを食べられるのだろうなという気持ちになってくる。いつかはおせちを自分で準備しなければならないときがくる。もちろん、我が家のおせちは中学生の頃からセブンイレブンのおせちになったので、準備と言ってもお金を払いさえすれば済む。ただ、母の作る煮しめはそういうわけにはいかないものだ。来年から自分で作ろうと思っても、同じ味を作るのは不可能だ。少しずつ積み重ねていかないと自分でおせちを用意できるようにはならない、お前にはそういう姿勢がないんだ――と、昨晩から喧嘩をしていた知人にメールをした。その言葉は、日々ぼんやりと過ごしている自分に言っていたのかもしれないが。

 寝る前にメールが届いていないか確認してみる。12月20日に創刊した『SKETCHBOOK』という小冊子についての情報をHB編集部のサイトまとめて、年間定期購読の申込ができるようにとフォームを設置しておいた。その定期購読の申込が届いていないかと確認したのだが、一件も届いてはいなかった。なんだかそんなページを作ったことが急に恥ずかしくなり、はははと一人で笑って寝床についた。


01月02日(木)

 朝7時に起きる。9時、朝食。僕が毎年「餅が食べたい」と言っているせいか、たくさん餅が並んでいる。が、僕以外の家族は皆、ごはん(白米)を食べている。ひょっとして一人分だろうかと心配していたが、皆も餅を食べた。餅とおせち。我が家で雑煮というのは食べない。食後は庭に出て、祖母も交えて写真撮影。父が毎年「写真撮るで」と、「明日の10時から撮るけえ」と、前の晩のうちに時間まで決めて撮っている。父はどういうつもりで撮っているのだろうなと毎年不思議な気持ちになる。

 写真を撮り終わると風呂に入った。湯に浸かりながら、昨日読み始めていた川端康成『雪国』を読み終えた。前に少し読みかけて、その風景描写の美しさに置いてけぼりにされて中断していたが、読み進めてみると、何と言うのか、ムチャクチャな小説だなと思った。小説として破綻しているとか、そういうことではない。もっと美しいだけの小説かと思っていたけれど、ちゃんと読んでみるとオソロシイ小説だという気がする。

 印象的だった箇所を書き写す。

 日記の話よりもなお島村が意外の感に打たれたのは、彼女は十五、六の頃から、読んだ小説をいちいち書き留めておき、そのための雑記帳がもう十冊にもなったということであった。
 「感想を書いとくんだね?」
 「感想なんか書けませんわ。題と作者と、それから出て来る人物の名前と、その人達の関係と、それくらいのものですわ」
 「そんなものを書き止めといたって、しようがないじゃないか」
 「しようがありませんわ」
 「徒労だね」
 「そうですわ」と、女はこともなげに明るく答えて、しかしじっと島村を見つめていた。
 全く徒労であると、島村はなぜかもう一度声を強めようとしたとたんに、雪の鳴るような静けさが身にしみて、それは女に惹きつけられたのであった。彼女にとってはそれが徒労であろうはずがないとは彼も知りながら、頭から徒労だと叩きつけると、なにかかえって彼女の存在が純粋に感じられるのであった。


 この「徒労」という言葉は何度か登場する。「無為徒食」という言葉も出てくる。無為徒食の主人公・島村は、冷ややかというのとも違うけれど、とてつもなくフラットに対象を見ている。そこでは自然も、女も、感情も、ただただフラットに見つめられている。まるで鏡のようだ。

 僕自身は、たとえば飲み会なんかに出ていても、そんなにポンポン言葉が出てくるほうではない。そのことが良くないことだと思って、どうにかしなければと常々思っている(結局どうにもなっていないけれど)。でも、どうにかするよりも、そのフラットさを極めるというのも一つの道かもしれないと、読んでいて思った。それとは別に、駒子という登場人物の酔っ払いぶりが見事で、読んでいると酒が飲みたくなってくる。

 12時、昼食。おせちとそば。午後、日記を書いていると、僕にとっては兄貴と呼ぶべき編集者・M山さんからメッセージが届いている。定期購読を申し込もうとしたらエラーが出てしまう、と。慌ててフォームを確認すると、たしかにエラーが出る。すぐに修正を加えておくと、4件ほど申し込みがあった。良かった、良かった。

 18時、夕食。水炊きであった。今日もお酒を飲みながらの夕食だ。昨日と同様、父が怒り出さないよう話しかけながら飲んでいると、昔よく行っていた喫茶店が閉店していたことを知らされる。その喫茶店は、コーヒーは全然美味しくなかったけれどバターをたっぷり塗ったトーストがおいしく、小さい頃は父にその店に連れて行ってもらうのが楽しみだった。雰囲気も良い店だった。いつか店主に話を聞いておきたいと思っていた。「いつか」なんて思っていては、こうしてタイミングを失ったままになってしまうのだ。

 部屋に戻ってから、今日も賀茂鶴という地酒を飲んだ。昨日と今日とで1升近く飲んでいる。まあ正月だからいいだろう。飲んでいるうちにスナック菓子が食べたくなって、近くのショッピングセンターまで歩き、とんがりコーンを買ってくる。サッポロポテトととんがりコーンが大好きだ。ばくばく食べて幸せな気持ち。まあ正月だからいいだろう。酔っ払いつつ、川端康成『美しい日本の私』(講談社現代新書)を読んだ。これで1日1冊ペースになる。実質的に30ページ強の本を「1冊」とカウントするのもどうかと思うけれど。

 禅宗偶像崇拝はありません。禅寺にも仏像はありますけれども、修行の場、坐禅して思索する堂には仏像、仏画はなく、経文の備へもなく、瞑目して、長い時間、無言、不動で座ってゐるのです。そして、無念無想の境に入るのです。「我」をなくして「無」になるのです。この「無」は西洋風の虚無ではなく、むしろその逆で、万有が自在に通ふ空、無涯無辺、無尽蔵の心の宇宙なのです。(川端康成「美しい日本の私」)


01月03日(金)

 朝8時に起きて、朝食。餅とおせちと、昨日の水炊きを味噌汁にしたもの。水炊きといえば普通は鶏肉だが、昨晩のは豚肉と、貰い物だというカニが入っていた。身がスカスカで、手間のわりには食べ応えがなかったけれど、一晩経ってみるとカニの出汁がたっぷり出ていて何とも言えずうまかった。テレビではセキセイインコの話をやっている。セキセイインコはなぜ人間の声を真似るのか。それは、繁殖期に雌の鳴き声を真似てアピールする習性の名残だという。だから真似をするのは雄だけだ。雌は、より自分の鳴き声に近い声を発する雄に惹かれるのだそうだ。その話を聞いて「浅ましい」と思う。でも、自分だってそんなものかとすぐに思い直した。男女を問わず、自分の周りにいるのは結局似たタイプの人ばかりかもしれないのだから。

 午前中はジムに出かけた。東京で通っているのと同系列のジムが地元にもある。昨年の秋には利用するのに1525円かかった記憶があるのだけれど、今回は525円で済んだ。中に入ってみると、15台あるランニングマシンは結構埋まっている。空きを見つけて、ジョギング。目の前に設置されたテレビでは箱根駅伝をやっている。僕も一緒に走っているような気持ちになるけれど、向こうは僕の倍以上のスピードで走っているのだ。眺めていると、拓殖大学の選手が転倒し、ズルズルと順位を下げていく。その残酷さ――ふとしたことで皆の苦労が水の泡になる瞬間と、テレビで中継を観ている人たちはどう付き合っているのだろう。

 昼、いつもの店でお好み焼きをテイクアウトしてきて家族四人で食べる。老夫婦が経営している店で、今年は1月2日から営業しているそうだ。いつかこの店の写真を撮りたいと思っているが、昨日の喫茶店のこともあるし、「いつか」なんて悠長に構えていてはよくない。すぐ近くにはもう営業していないビリヤード場やスナックもある。この小さな町で一体どんな人がビリヤードをしていたのだろう。

 18時、夕食。母の作ったハンバーグと、僕の作ったコンソメスープ。食後、兄が買ってきたケーキで父の誕生日を祝う。父は今年で69歳になった。父の一番上の兄は69歳で亡くなったらしく、元日に墓参りをしたときは何とも言えない顔をしていたという。今日は酔っ払っていて嬉しそう。ちなみに、母も1月上旬生まれなのだが、父の誕生日は僕も兄もまだ実家にいて祝うことが多いのに対し、母の誕生日は特にお祝いができていない。今年は母の誕生日も一緒に祝うことにして、母に誕生日プレゼントを渡した。最近は料理雑誌を月に3冊買うほどだというから、デジタル式のはかりをプレゼント。

 夜は狩野俊『高円寺 古本酒場ものがたり』(晶文社)を読んだ。今日は休肝日にするつもりだったけれど読んでいるとどうにもお酒が飲みたくなり、結局ビールを1本、日本酒を2合ほど飲んでしまった。


01月04日(土)

 朝8時に起きて、昨晩作ったコンソメスープを食べる。昨日も感じたことだが、東京のスーパーで買ったキャベツのほうがおいしく感じられる。兄は早朝に帰京したらしく、食卓からも少し正月気分が抜けたような感じ。午前中は『SKETCHBOOK』の原稿を考えていた。12時、昼食。コンソメスープとハンバーグ、それにおせちの残り。午後も引き続き原稿を考えていた。18時、夕食。煮魚、コンソメスープ、それに年越しそば。「そばは要らない」と言いたいところだけど、そうもいかないのだ。というのも、毎年僕が何杯も食べてあっという間になくなるので、今年は25玉買ってあったのである。賞味期限は2日までだったのに、まだ10玉以上残っている。責任を感じて食べる。

 テレビでは「マサカメTV」(NHK)というのをやっていた。オードリーがMCの番組で、いつも聴いている「オードリーのオールナイトニッポン」でその番組名は耳にしたことがあったけれど、実際に観るのは初めてだ。この時間にやっていたのか。ボンヤリ眺めていると、オジンオズボーンというお笑いコンビがロケをしたVTRが流れ始めた。「さあ、僕たちは東広島にやってきています!」と始まって驚く、僕の実家があるのはその東広島市なのだ。何やら究極の鍋があるという。そんなの聴いたことないなと首を傾げていると、両親は「ああ、美酒鍋じゃろう」とテレビと会話する。隣町の西条は酒蔵のある町だが、酒造りのあいまに食べられていた料理だそうだ。利き酒に影響しないように、味付けは塩とこしょうだけ。そのかわり水は用いず、日本酒だけをドバドバ注いで鍋を作るのである。

 VTRが終わると、スタジオにその鍋が登場した。皆うまい、うまいと食べている。それを見た父親が「これで酒まつり(十月中旬に行われる祭り)にも観光客がようけ来るじゃろう」なんて言っていたが、そんなことにはならないだろうな。塩とこしょうと酒だけで作るストロングスタイルな鍋というのに惹かれて旅に出る人は少数派だろう。それに、もし「美酒鍋を食べてみたい」と東広島を訪れたとしても、その鍋を出す店というのははたしてあるのだろうか? あくまで賄いや家庭内で食べられてきた料理であって、それを出す店は存在しないのではないか。そのロケのVTRも、普通なら地元のB級グルメなんかを紹介するときはどこかの店で撮影をするものだが、家の客間のような場所で撮影をしていた。


01月05日(日)

 朝8時に起きてジョギングをする。さすがに冷える。国道沿いの温度計には1℃と表示されていた。11時半、広島駅で知人と待ち合わせ。知人の実家があるのは隣りの山口県で、せっかくだから初詣にでも出かけることにしたのだ。まずは広島駅でお好み焼きを食べるべく、駅ビルにあるお好み焼き屋「麗ちゃん」へ。僕がよく食べている店。同じフロアに「第一麗ちゃん」と「第二麗ちゃん」があり、「第一」にはいつも行列ができているものの「第二」はすぐに入れることが多いのだが、今日はUターン客が多いのか「第二」にも行列ができていた。

 10分ほど待って入店。知人は肉玉そばにイカとエビの入った“スペシャル”にネギをトッピングしたものを、僕は肉玉そばのエビ入りを注文。ビールも中瓶を2本飲んだ。壁に貼ってある紙を見ると「閉店のお知らせ」とあり驚く。テナントの契約更新の時期を機会に「第二」のほうだけ閉めるらしい。次に帰省した時はどこでお好み焼きを食べればいいのか(普通に考えれば「第一」だけども)。

 お腹を満たしたところで宮島へと向かった。宮島口からフェリーに乗ると10分ほどで宮島だ。まだまだ初詣客でにぎわっている。さっそくポツポツと鹿の姿が見えると、知人は「しかしかしい!」と嬉しそうだ。鹿せんべいでも買ってあげようかと辺りを探してみたが、かつていたはずの鹿せんべい屋は姿を消している。「鹿に餌を与えないでください」という看板と、監視しているふうの男たちもいる。環境客に近づいても餌はもらえないのだということを理解しているのか、近づいてくる鹿は少ない。皆座ってしずかに佇んでいる。どこか悟ったような顔。フェリーの中で「鹿いらう!」と楽しみにしていたのは知人のほうなのに、着いてみると僕のほうが夢中になっていた。「さっきも撮ったじゃん」と知人に言われながら、鹿たちの写真を撮り続ける。

 元日ほどではないが、参道にはポツポツと屋台が出ていた。さっそくお酒を飲みたいところだけれど、まずはお参りしなければ。数年振りの厳島神社、満潮に近くてきれいだ。参拝を終えて歩いていると、店先で牡蠣を焼いている店があった。小さい頃に初詣にきたときは焼き牡蠣を買ってもらうのが楽しみだった。2つで400円の焼き牡蠣を購入し、知人と1つずつ食べる。うまい。大人になった今は一緒にビールも買っている。宮島の地ビール。立ち食いしていると、いかにも山ガールという風貌の人をチラホラ見かけた。彼女たちは、鳥居をくぐると振り返って一礼する。一礼するくらいなら帽子を脱げばいいのにな。「あれが山ガールの礼儀なんだよ」と知人。「ムックとかに写真入りで絶対載ってるはず。『鳥居をくぐったら一礼しよう。神様に感謝!』とか」。

 歩いていると屋台があった。中で飲めるようになっている店。そこでも牡蠣を売っていたので中に入り、熱燗を飲みつつ食べる。思えばこのあたりからタガが外れ始めていたのかもしれない。僕はしきりに「まだまだ食べてもらうモンあるから」と知人に言っていた。あなご竹輪や、最近流行っているというもみじ饅頭を揚げたやつも食べてもらいたいし、本当はあなごめしも食べてもらいたい。それに甘酒の飲みたいところ。そう考えるとゆっくりしている時間はないので早々に熱燗を飲み干し、揚げまんじゅうを頬張りながら歩いているとこじゃれた店を見かけた。こんな店があったのか――ふと立ち止まって見ると、それは牡蠣の専門店だった。名前もズバリ「牡蠣屋」。こういうこじゃれた店はどうもねえ。まあでも、牡蠣を出す店だしねえ。そんなふうにブツブツ言いながら店に入ってみる。

 まずは雨後の月という広島の酒と、それに焼き牡蠣を2個注文する。運ばれてきた牡蠣に思わず声を上げてしまう。とにかくデカいのだ。デカいだけで味はパッとしないのかとも思ったが、味のほうも絶品だ。「この店は素晴らしい!」とあっという間に意見を変えて、生牡蠣を追加で注文する。お酒も追加。日本酒よりもワインのほうが品揃えが多かったので、ワインを飲むことにする。銘柄なんて全然知らないけれど、焼き牡蠣、牡蠣フライ、牡蠣のオイル漬けとの相性が5段階で記してあるのでわかりやすい。

 生牡蠣も、そのあとに注文した牡蠣のオイル漬けもうまかった。酒も進む。時計を確認すると、当初予定していたフェリーの時間が迫っているが、まだまだ名残惜しく、2つ後のフェリーで帰ることに変更した。そうして牡蠣フライと、牡蠣むすびと赤出汁のセット、それから焼き牡蠣も追加で4個頼んだ。そんなに牡蠣が大好物なわけではないはずなのに、こんなに食べてしまったのは、小さい頃の記憶が甦ったせいだろうか。どうしてそんなに食べたのか、よくわからない。知人はほとんど呆れていた。

 日没が近づいた頃に店を出た。フェリーのりばへと急いでいると、「甘酒」と書いた看板を見つけた。そこに駈け寄り、甘酒と焼き芋を購入する。小さいのを2個。小走りで移動しながら焼き芋を取り出そうとして、うっかり一つ落としてしまった。すぐ近くに佇んでいた鹿は、それをボンヤリ眺めていた。今の宮島の鹿たちは、餌が向こうからやってくるなんてことは考えなくなったのかもしれない。帰りのフェリーではちょうど日が沈んでいくのが見えた。すっかり酔っ払っていたので、実家に帰って晩ごはんを食べるとすぐに眠ってしまった。


01月06日(月)

 早起きをして、7時半から「ごちそうさん」観る。新年1発目だが、年末年始で放送がなかったあいだにずいぶん話は進んでいた。50分ほどジョギングをして朝食を採り、10時過ぎに実家を出た。帰りは新幹線ではなく、青春18きっぷでじわじわ東京に戻る予定。まずは倉敷で途中下車。ちょうどお昼どきだったので、コンビニでおでん(こんにゃく、糸こん、牛すじ串、それに大根を2個)を購入し、美観地区の川べりで食す。食べ終えたところで「蟲文庫」に向かうと、今日は休業日だった。しまった、ちゃんと確認してくるべきだったと反省しつつ、近くにある阿智神社へと向かう。去年ここでお札を買っていたので、古いお札をおさめる。

 用事も終えて、さて、どうするか。駅まで戻り、スターバックスで日記を書いていると、悪魔のしるしの危口さんが連絡をくれた。よかったらお茶でもという話になり、アーケート街の入口で待ち合わせ。危口さんは年末から実家のある倉敷に帰っていて、しばらくこっちで過ごすらしい。さっそく喫茶店を探して歩くも、月曜が定休日の店が多いらしくどこも開いていない。しばらく歩いていると、「兜山窯」という窯の陶芸店があった。そこの3代目は危口さんの同級生なのだという。

 せっかくなので入ってみると、「あら、木口君?」とお店のお母さん。木口さんは東京にいるときも少し方言を話すけれど、当然、こちらではずっと方言だ。お店のお母さんは抹茶と栗ようかんを出してくれた。何だか喫茶店代わりにしているようで申し訳ないけれど、おいしくいただく。「木口君は小さい頃から変わっとったよねえ」とお母さん。「うちの窯に遊びにきたときも、一輪車の中で本を読みよったよ」。

 木口さんとは、最近読んだ川端康成の『雪国』の話をした。『雪国』の話というよりも、そこに出てくる「徒労」という言葉について。というのも、その「徒労」という概念は、危口さんの作品にも滲んでいるように思ったのだ。先日も引用したが、もう一度その箇所を引く。

 日記の話よりもなお島村が意外の感に打たれたのは、彼女は十五、六の頃から、読んだ小説をいちいち書き留めておき、そのための雑記帳がもう十冊にもなったということであった。
 「感想を書いとくんだね?」
 「感想なんか書けませんわ。題と作者と、それから出て来る人物の名前と、その人達の関係と、それくらいのものですわ」
 「そんなものを書き止めといたって、しようがないじゃないか」
 「しようがありませんわ」
 「徒労だね」
 「そうですわ」と、女はこともなげに明るく答えて、しかしじっと島村を見つめていた。
 全く徒労であると、島村はなぜかもう一度声を強めようとしたとたんに、雪の鳴るような静けさが身にしみて、それは女に惹きつけられたのであった。彼女にとってはそれが徒労であろうはずがないとは彼も知りながら、頭から徒労だと叩きつけると、なにかかえって彼女の存在が純粋に感じられるのであった。


 僕は実家で過ごしているあいだにも何度か「徒労」という言葉を思い出していた。僕の母は、朝から晩までずっとテレビを観ている。その行為もまた「徒労」と言えるかもしれない。それが何になるというわけでもないのだから。もちろん、だからくだらないと言いたいわけではない。むしろ、「そんなものなんじゃないか」と思ったのだ。福田さんがよく口にする「間が持たないからねえ」という言葉も思い出した。

 木口さんは夏休みの宿題なんかで書く円グラフの話をした。1日の睡眠時間や勉強した時間、遊んだ時間なんかを記録する円グラフだ。たとえば2時間くらい無為に過ごしたとすると、円グラフにそれを記入することを思い浮かべてしまう、と木口さんは言っていた。現代に生きていると、どうしてもそうした形で時間や経験を捉えてしまうけれど――それが間違いだとまでは言えないけれど、どうもそれだけじゃないんじゃないかと最近思い始めている。

 抹茶をいただいたあと、小皿を1点購入する。ずいぶん値引きしてもらって申し訳ない。駅の改札で木口さんと別れ、再び青春18きっぷの旅。3時間弱で三ノ宮だ。中央改札で友人のS木さんと待ち合わせ。コインロッカーに荷物を預けて、神戸高速鉄道西元町駅へと向かった。少し寂しい道を歩いていくと、きれいな洋食屋さんがあらわれる。「洋食の朝日」と看板が出ている。いつもは行列ができているらしいのだが、幸運にもすぐに入ることができた。オーダーはS木さんにお任せして、ビーフカツ定食を。「もしこれがまずいと言われたら、悲しいです」。そこまで言うだけあってとてもうまい。S木さんが紹介してくれる店は、姫路のステーキの店も、神戸の餃子の店や鶏料理の店も、そしてこの「洋食の朝日」も、本当に外れがない。

 お腹を満たしたところで三ノ宮に戻り、オリエンタルホテルの上にあるバーへ。夜景がきれいだ。メニューを見ても、ホテルのバーにしては比較的安めだし、何より正月明けの月曜だからか空いている。僕はまず「オリエンタルハイボール」というのを注文して、乾杯。目の前に広がっている夜景の、ずーっと向こうに見えるのが大阪だそうだ。日本のスカイラインは独特で、海外だと少なくともこんなにあちこちのビルの屋上が赤く点滅することはないという。目の前にはタワーマンションもいくつか並んでいる。

 S木さんは、そうした風景も嫌いじゃない、と言った。たしかに、「街の守るために何メーター以上のビルは建てさせない!」ということは、今や成立しないだろう(少なくとも長持ちはしないだろう)。その風景を眺めながら、いろんな街の話をした。別れ際、「ぜひ、関東圏の人には書けないものを書いてください」とS木さんは言った。「橋本さんがドライブインに注目したのも、その一つだと思いますよ」。


01月07日(火)

 8時に起きて、神戸の街をジョギングする。まずはメリケンパークから海沿いを走り、フラワーロード、三宮中央通りと走っていく。道が広くて楽しいな。通勤途中の人が多くて少し気まずいけれど、こちらを気にしている人なんて誰もいない。何となく走っていると中華街に出た。南京町というらしい。まだ開いている中華料理店はなく、人通りもほとんどない。店の中では仕込みに取りかかる人の姿がある、軒先に商品を並べている人の姿もある。気になったのは、昔ながらの喫茶店が向かい合って2軒あること。そこは後で行ってみることにして、メリケン波止場へと戻っていく。ポートタワーのそばでは鳩に餌をやっているおばさんがいた。ゆったりしていて良い街だ。

 ホテルをチェックアウトして、さきほど見かけた喫茶店の一つ「しゅみ」に入ってみる。向かいの喫茶店をのぞけば、周りは中華料理店ばかりで不思議な感じ。店内にある新聞を少しだけ読んで、昨日と一昨日に書いていた原稿に赤を入れていく。1時間ほどで店を出て、近くのコンビニでおでん(こんにゃく、糸こん、ロールキャベツ、それに大根2個)を購入し、南京町にある広場で食べた。当然、周りの観光客はテイクアウトした肉まんや水餃子を食べている。何より多いのは麺類を食べている人。横浜の中華街で見かけた記憶があまりないけれど、こちらでは軒先で麺類を出す店がたくさん並んでいる。

 昼過ぎ、大阪へ。ホテルに荷物を預けたあと、阪急三番街にあるタリーズに入って、『スケッチブック』の原稿に赤を入れていく。目の前には看護学校の学生らしき3人が座っている。「どんな人と結婚すんねやろな」「やっぱお金持ってる人がええな」「お見合いは嫌やな」。そんなことを考えるのだな。18時まで加筆をして、大阪の一つ隣りにある福島駅へ。改札を出たところでライターのNさんと待ち合わせ、Nさんが知り合いに教えてもらって気になっていたという酒場「おっきゃがり」に入った。

 この店には3千円のコースがある。その日のおすすめ食材を使ったコースだ。そのコースも豪華なのだけれども、それ以上に素晴らしいのが、コースを注文すればドリンクが1杯100円で注文できるというところ。日本酒も、グラスであれば1杯100円で注文できる(しかも全種類注文可!)。嬉しい。コースとは別でポテトサラダも頼んだ。ポテトサラダの上に揚げたパン粉みたいなのがのっかっている。赤ウィンナーも添えてある。色々なポテトサラダがあるものだなあ。

 2時間近く飲んだところで会計を済ませ、「大黒」という立ち飲み屋にハシゴ。飲んでいるうちに年末に放送された「THE MANZAI」の話になった。Nさんは「千鳥のネタが一番良かった」と言った。決勝の残り2組のネタは練習すれば他のコンビにもできるネタだったけれど、千鳥のネタは千鳥にしかできないネタだった、と。なるほど。僕が一番大笑いした東京ダイナマイトのネタもそのタイプのネタだと思った。審査員の話にもなった。「M-1」の審査員には松本人志がいて、松本人志がこのネタを評価するかというのが楽しみの一つだったとNさんは言う(Nさんはダウンタウン信者を自認している)。たしかに、ダウンタウンより若い世代でそういう“目”になりそうな人がいるかと言われると、すぐに名前を挙げることはできなかった。

 N川さんと別れ、しばらく福島をぶらつく。初めてくる店だが、バルが点在している。歩いていると活海老バル「Orb」という店を見つけた。とりあえずポテトサラダを注文してみると、ここでもかなり変わったポテトサラダが出てきた。この写真を見て「ポテトサラダ」と答えられる人は少ないだろう。ドーンと皿の上に載っているのがポテトで、おそらくマッシュしたポテトに海老を練り込んで揚げてある。その上にマヨネーズのソースがかかっているので、ポテトを崩してソースと混ぜていただく。おいしい。満足して店を出て、ホテルのある梅田へと戻った。


 

01月08日(水)

 11時にホテルをチェックアウトし、昨日と同じく阪急三番街にあるタリーズにて原稿の手直し。1時間半ほどで店を出て、中崎町を抜けて歩いていく。少し雨が降っている。あんまり風が冷たいので身を縮めて歩く。向かった先はレトロ印刷JAM、『SKETCHBOOK』を印刷してもらっている印刷会社だ。せっかく大阪にいるのだから、試し刷りをしてもらってから入稿することにしたのである。

 試し刷りには1時間弱かかるとのことだったので、印刷してもらっているあいだに誤字・脱字がないかチェックしていく。レトロ印刷には作業用のスペースも用意してくれてあるのだ。それが終わると、刷り上がってきた紙をチェックし、画像に少し修正を加えて、文字をアウトライン化して面付した入稿データを作成していく。そのデータを手渡すと、すべてのデータに不備がないかチェックしてもらうまでまたしばらく待機する。小腹が空いたので近所のセブンイレブンでおでん(こんにゃく、糸こん、ロールキャベツ、大根2個)を買い食い。レトロ印刷JAMに戻るとデータの確認は終わっていた。印刷の仕様などを伝えて、これで入稿完了。

 時計を見ると16時過ぎ。すっかり遅くなってしまった。急いで大阪駅まで戻り、新快速に乗って東へと向かった。20時近くに到着したのは福井だ。改札を出て、まずは駅前の様子を伺う。静かだ。もちろん、僕の田舎よりも街ではあるし、その駅前の静けさというのは寒い街にはほぼ共通のものでもあるだろうけれど……。雨の降る街をスーツケースを引きずって歩き、ホテルに到着したところで友人のOさんから電話。ちょうど仕事が終わったところだというので、ホテルのロビーで待ち合わせることにした。

 最初に向かったのは「秋吉」という焼き鳥のお店だ。どこかで看板に見覚えがあると思ったら、関西を中心に他地域にも出店している店だという(本店は福井)。お互い生ビールを注文し、焼き鳥はOさんにおまかせ。厳選した雌鶏だけを使用した店の看板メニュー“純けい”と、それに“しろ”(豚の大腸)をオーダー。ここの焼き鳥の注文は最低5本からとなっているメニューが多い。その代わり1串のボリュームは控えめで、ちびちび食べられる。コの字型になったカウンターの中にはたくさんスタッフがいて、皆忙しそうに働いている。客層も、スーツ姿のお父さんもいれば、ツナギを着た若い男性もいる。

 Oさんの出身は東京で、何度目かの転勤で福井にやってきた。この「秋吉」が最初に入った焼き鳥屋だという。ここで一人で酒を飲みながら、福井のことを耳に馴染ませていったとOさんは語る。福井にきてから夜は外で過ごす時間が増えたとも言っていた。そうしているうちに友人はぐんぐん増えていき、今ではいろいろな繋がりができたという。僕がひょいっと福井に住み始めても、そんなふうに街に溶け込めないだろうなあ――もちろん、Oさんは街に溶け込むということが仕事とも深く関わってくるので、同列に語るのも違うのだけれども――そんなことをつぶやくと、「溶け込んでるかどうかはわからない」と口にした。その街で自分がヨソからきた他者であることは常に意識している、と。

 そんな話をしている頃には、もう既に2軒目に移動していたと思う。1軒目の焼き鳥屋は軽くお腹を満たす程度――生ビール2杯で会計をしてもらって、地元の魚と酒が堪能できる「忍者」という店に連れて行ってもらった。名前を聞いたことのないお酒がたくさん並んでいる。梵、ときしらす、いっちょらい、早瀬浦……最初のうちは1合ずつ注文していたが、クイクイ飲んでしまうので途中から2合で注文するようになった。食べ物もうまい。セイコガニ――ズワイガニの雌で、小ぶりなので身は少ないが味噌と卵が絶品。竹田のあげ――分厚い油揚げをコンガリ焼いたところに大根おろしとネギが載せてある、福井県の竹田村というところで提供され始めたメニューらしく、同じ北陸地方の新潟の名産・栃尾揚げに近いメニューである。それに里芋の天ぷらというのもあった。里芋を煮物以外で食べるのは初めてだったがこれがうまかった。刺身の盛り合わせももちろんうまかった。どうも食い意地が張っているのか、一切れうまい刺身を食べると「これで腹一杯になりたい!」と思ってしまうところがあり、ブリ刺しだけ単品で追加注文しようか迷ったけれど、いやいやそれもどうなのかと我慢した。

 最近気づいたのだが、刺身の盛り合わせというのを注文すると寂しい気持ちになってしまうことが多い。目の前にある刺身を眺めていると、「これを食べたら終わってしまう」なんて考えてしまうことが多い。食べたら、その味はもう過去になってしまう。まだまだ食べたいのなら追加注文すればいい話ではあるのだが、あれもこれも追加注文していたら会計がえらいことになってしまう。体調面でも同じことが言える。僕は刺身も、お酒も大好きだ。食べて飲むことが何より幸せだと感じる。でも、幸せだと感じるそのことを続けていると体調を崩すことになる。幸せだと感じることを追求しているとからだを壊すというのは、一体どうなっているのだろう? かといって、酒はともかく、食べるということをやめるわけにもいかないのだ。常にちょうどええ塩梅を狙い続けなければならないなんて、何て面倒な構造になっているのだろうかと、入院してから考えるようになった。

 話が逸れた。この「忍者」では、最後に福井ポークカツを食べて店を出た。本当はおろしそば――これも福井のB級グルメだという――も食べたかったけれど、さすがに食べ過ぎかと思って断念した。それは次回福井を訪れた際に食べることにする。お腹も一杯になり、酒もまわってきたところで3軒目に移動した。福井の夜の街を歩いていて思うのは、タクシーの多さ。もちろんどの都市でも繁華街にはタクシーや代行のクルマは停まっているが、どの店から出てもさほど歩かずにタクシーを拾えるくらい、あちこちに停まっているように見えた。3軒目の「Agit」というのはバーで、幸運にも貸し切り状態だった。僕はウィスキーをロックでいただく。Oさんが注文していた飲み物が何だったのかは記憶にないけれど、熊肉の刺身を注文していたことははっきり覚えている。

 福井にきてから、Oさんはジビエづいているように見える。もちろん、それはジビエを出す店と出会ったからというのも大きいのだろうが、思い返してみればOさんは以前からいわゆる“珍味”とされる料理に好奇心のある人だった。歌舞伎町の路地裏にある「上海小吃」という店を僕に教えてくれたのはOさんで、そこでOさんたちは猪の睾丸、サソリ、豚の脳味噌などを食べる集いをたまに開いていた。僕は――高田馬場にある獣肉酒場「米とサーカス」に散々通っておいて何だけど、“珍味”方面では保守的で、好奇心はゼロに近い。と、こんなふうに書くと批判をしているみたいだけれどもそうではない。同じ食をめぐる欲求でも人によって差があるということが興味深いという話だ。

 熊刺しは一切れだけいただいて、ウィスキーを飲んだ。飲みながら話していたことは、日記という形では書き記しづらい話だった。1冊の本をめぐって、それぞれお互いの立場から話をした。具体的な言葉は酒と一緒に消えてしまったけれど、その手応えだけはたしかに残っている。



01月09日(木)

 10時過ぎ、ホテルをチェックアウトして福井駅へ。雲の切れ間から日射しが差しているものの、空の大半はどんよりとした雲に覆われている。福井はそんなに寒いってわけじゃないけど、いつも厚い雲に覆われている――昨晩Oさんがそんなことを口にしていたのを思い出す。福井駅の西口を出てすぐの場所には大きな空き地があるが、平成28年3月までに高層マンションがここに建つらしかった。

 壁に貼り出してある画像を見るに、低層階は商業施設かなにかに使われるようだ。少し金沢駅にも似ている。長野新幹線は「北陸新幹線」と名称を変え、来年にはその金沢まで延伸するということで、北陸にも期待が高まっているらしい。「金沢まで延びたところで、福井には関係ないのでは」なんて思っていたけれど、金沢から福井を経由して大阪にまで繋がる構想だということは、この日記を書いている今初めて知った。

 福井駅で少し土産物を買い求め、これから食べる駅弁も購入する。駅弁大会なんかで何度も目にしつつも食べたことのなかった「番匠」の越前かにめし(1100円)。それに福井の新聞も一緒に購入し、特急・しらさぎに乗車する。さっそく駅弁を開ける、器自体はこじんまりしたサイズではあるが、たっぷり蟹が入っている。3杯くらい食べたいところ。県民福井を広げてみると、1面には「夏の最稼働『可能』」という記事が出ている。昨日、高浜原発では原子力規制委員会による現地調査が行われたらしい。調査を行った委員の名前込みで記事になっている。最稼働に向けて積極的なコメントが並ぶ。朝日新聞のほうを開いてみると一つも記事は出ていなかった。しかし、面白いのはもっと中にある頁だ。各スーパーのお買い得情報や、列車や飛行機の空席情報が掲載されていたり、昨日結婚・出産した人の名前が掲載されている。赤ちゃんの名前で読めないのは3割ほど。「颯」という名前を何度か見かけた。流行りなのだろうか。おくやみ欄には「〜衛門」という名前が2つ。

 夕方、アパートに戻ってくる。荷物を置いて、すぐにまたアパートを出た。まずは「古書往来座」をのぞき、セトさんにお土産の焼き鯖寿司を手渡す。僕が東京を離れているあいだに『SKETCHBOOK』の定期購読の申し込みがあり、数が足りなかったので「往来座」の在庫を発送してもらっていたのだ。焼き鯖寿司はそのお礼。すぐに池袋から丸ノ内線に乗り御茶ノ水に向かった。

 集合時間まであと30分あるので、途中にあるファミリーマートでおでん(こんにゃく、ロールキャベツ、大根2個)を購入して店頭のポスターに隠れるようにして立ち食い。食べ終えたところで、集合時間の15分前に山手ホテルのロビーに到着してみると、もう既に全員揃っていた。おでんを食べている場合ではなかった。17時20分、『S!』誌収録。1時間強で終了し、今日はすぐに解散となった。

 せっかく中央線沿線にいるので(?)高円寺に出る。「あゆみブックス」をのぞき、『小林秀雄対話集 直感を磨くもの』(新潮文庫)を購入して「コクテイル」へ。店に入る頃には白いものが少しだけチラついていた。今年もよろしくお願いします――挨拶をしてビールをいただく。目の前には『谷内六郎展覧会』という本が置かれていて、完全に『SKETCHBOOK』のネタ本として読んだ。


01月10日(金)

 昼過ぎ、カメラを携えて横浜へ。まだ日が出ているのにずいぶん寒く感じる。桜木町駅から歩いて急な坂スタジオへと向かった。マームとジプシーは今、来月上演される「Rと無重力のうねりで」という作品に向けてこのスタジオで稽古をしている。今日は稽古のあと、「R」にも出演する伊東茄那さんの成人祝いがあるとのことで、撮影係としてやってきたのである。中に入ってみると既にメイクが始まっていた。メイクも着付けも、女子たちが皆でやるのだ。待っている男子たちは稽古着から着替えを始めた。皆ジャケットを羽織っていて「しまった」と思う。僕は普通の格好で着てしまった。

 着付けにはまだまだ時間がかかるようだったので、桜木町駅前にあるコレットマーレというショッピングモールへと走る。やはりジャケットの品揃えが多いのは「THE SUIT COMPANY」だ。ジーパンにも合わせられるジャケットはどのあたりですかと店員に訊ねてみると、いかにもカジュアルなジャケットとツイードのジャケットを紹介される。前からツイードのジャケットが欲しいと思っていたことだし、持っているジャケットはどれもサイズが合わなくなっていたこともあるので、これを購入することに決めた。ただ、スニーカーには合わなそうなので革靴も一緒に購入する。調子に乗って蝶ネクタイも買った。

 スタジオに戻ると、着付けはもうほとんど終わっていた。実子さんが「伊東茄那成人式」としたためた書を壁に貼っている。想像していたよりもずっとハレの日の空気が流れている。心の底から「おめでとう」という言葉がこみ上げてくる。自分がそんな気持ちになるというのが少し不思議なくらい、めでたい気持ち。よかったねえ。はじけんばかりの彼女の笑顔を見ていると、しみじみそう思う。自分が成人式に出た頃は、こんなふうに素直に笑えず、「写真とかいいから」という態度だったように記憶している。いい子だなあ――なんだか親戚のおじさんみたいなことばかり思い浮かべている。ひとしきり記念撮影をすると、皆で駅近くにあるワイン酒場「COLTS」に移動した。最近連日飲んでいるから今日は控えようかと思っていたけれど、こんな日に飲まないでどうするという気持ちになり、ワインをしこたま飲んだ。

次回作「Rと無重力のうねりで」がボクシング芝居であることにちなんで。


01月11日(土)

 10時に起きて、久しぶりでコンソメスープを作る。それを食べつつ、年末年始に撮りだめていた数十時間ぶんの録画を観始める。まずは「絶対に笑ってはいけない地球防衛軍24時!」を。毎年恒例、山ちゃんに蝶野がビンタされるシーンで大笑い。さすがに6時間は長く、「笑ってはいけない」とは関係なくなっているパートはすべてスキップ。

 それが終わると、「新春レッドカーペット」と「爆笑ヒットパレード2014」を観る。「レッドカーペット」で笑ったのは天竺鼠と、年に一度、この番組でしか観たことのないハンバーグ師匠(スピードワゴン井戸田潤)。「爆笑ヒットパレード」で笑ったのはハマカーンフットボールアワー。両者ともまた少し漫才を進化させている。フットなんてテレビの仕事が多いのに、ちゃんと漫才やっているのだなあ。


 この2つの番組に出演していた芸人のうち、僕がラジオまで聴いているのはオードリーだけだ。ラジオを聴いていると身近に、まるで友達のように感じてしまうせいか、ネタ中にボケを褒められて嬉しそうにしている春日を目にすると、「よかったねえ」としみじみ思う。安心して笑えたのは東京ダイナマイト博多華丸・大吉。それから、こうした番組で中田カウス・ボタンを観ると、言葉の聴き取りやすさが際立つ。口の動きがとてつもなく大きい。昨年末の「THE MANZAI」でブレイクしつつある流れ星とオジンオズボーンが芸人仲間や観覧の客に大歓迎されているのも印象的。



 夜、絵描きのムトーさんのアトリエへ。小規模な新年会があり、福井みやげののどぐろの一夜干しを持って出かける。参加者は5人。大勢で飲んでも、近くにいる数人としか話さないことに気づいたので、新年会は小規模にやってみることにしたという。例によってしこたま飲んだので、何を話したのか、細かいことは覚えていないのだが、「いつか行ってみたい店リスト」に高田馬場の店や三陸の店がいくつか書き加えられていた。

 覚えているのは、物件についての話。前にも日記に書いたが、東京でも地元でもないどこか違う土地――普通に過ごしていたら生活することのなかったであろう土地に1年くらい物件を借りて、1ヵ月のうちの何割かをその町で生活してみたい。そんなことを夢想している。ただ、都市部ならともかく、のどかな土地になると物件を検索するのが難しい。そんなことをボヤくと、「市役所とかに言って相談してみれば、安い物件がたくさんあると思うよ」とのアドバイスをいただく。なるほど、役所に行ってみればいいのかと記したメモが残っている。


01月12日(日)

 15時ちょうど、新宿駅からあずさ21号に乗って甲府へ。あずさに乗るのも、甲府を訪れるのも初めてのこと。ホテルに荷物を置くとすぐに「桜座」へと向かった。17時、開場。ドリンクチケットを赤ワインに交換して中に入る。入口でビニル袋を手渡される、1階の客席は畳張りになっていて座布団が置かれてあるので、靴を脱いで上がるのだ。かつて甲府にあった芝居小屋を10年ほど前に復活させた会場だけのことはある。天井がとても高い。上を見上げてみると2階にも客席があるようだったので、僕はそちらから見下ろすことにした。

 赤ワインはすぐに飲み干してしまったので、バー・カウンターに戻る。「赤ワイン ボトル2000円」と書かれてあったので、それを注文するつもりでいたのだが、「今日はもうボトルがないです」「グラスもあと1杯だけです」と言われてしまった。甲府に来たならワインをと思っていたのに……。それならば「白ワインは」と訊ねてみると、そちらもグラスで1杯分しか残っていないという。赤白1杯ずつ購入して席に戻る。

 落ち着いたところでステージをじっくり眺めてみると、客席に背を向けるようにして座っている男がいた。よく見ると向井秀徳だ。ステージ中央には小さなレコードプレーヤーが置かれている。その左右に椅子が2つ。下手側の椅子に腰を降ろした向井秀徳は音楽を流し、タバコをくゆらせ、酒をチビリと飲んでいる。そのヒッソリとした佇まいに、今日のイベントのタイトルを思い出す――「共騒アパートメント」。アパートで過ごしている様子を覗いているような感覚だ。

 時間になると、レコードをかけたまま向井秀徳はステージを去って行った。ほどなくして寒そうに手をすりあわせながら吉野寿さんが登場する。上手側の椅子の近くに置かれた電球にスイッチを入れると、「さあて」とギターを抱え、近くに置かれていた二十一代興五右衛門という瓶を手に取った。山梨県の地酒だそうだ。それを1杯チビリとやって、「うまい」「うまいなこれ」とつぶやきながら、静かにイントロを奏で始めた。1曲目は「青すぎる空」だった。1時間弱演奏をすると、吉野さんは電球のスイッチを消し、清水健太郎失恋レストラン」のレコードをかけて去っていく。しばらくして再び登場した向井さんは、レコードを見て「これ、つのだひろ?」とつぶやき、下手側の椅子に座り、近くに置かれた電気スタンドのスイッチを入れて演奏を始めた。

 ふたりとも、何かに憤っているかのような歌いぶりだ僕の目には映った。ただ、吉野さんと向井さんのライブはどこか対照的だ。曲のあいだにポツポツと語りながら演奏していくのに対して、向井さんはほぼMCなしでライブを進行していく。いや、向井さんもしゃべるにはしゃべるのだが、吉野さんが散文的に語るのに対して、向井さんが語るのはたとえば「女の股ぐらに頭をつっこんで、暖を取りたい季節になりました」といった言葉だ。2012年にアルバム『すとーりーず』をリリースした頃のライブからこの「女の股ぐら」というフレーズはライブでたまに登場するようになった。この言葉を語るとき、向井秀徳の表情はいつも真顔だ(去年の年末のライブで坂田明とセッションした際にも頻繁に口にしていた)。この「股ぐら」というフレーズは、イメージは、今の向井秀徳にこびりついて頭から離れないのではないか――。

 こう書くとただの変質者のようになってしまうけれど、この「股ぐら」という言葉は、ナンバーガール後期からZAZEN BOYS結成以降何度も使われてきた「繰り返される諸行無常 それでもよみがえる性的衝動」という言葉とも繋がっているし、そのフレーズにさらにひずみがかかっているとも言える。「繰り返される諸行無常〜」と口にするとき、語り手はどこか悟っている。傍観している。だが、「女の股ぐらに頭からつっこんで暖を取る」という口にするとき、その語り手は悟っているどころか固執している。何かのイメージに支配されている。男達が引き寄せられ、また生命の源でもあるあの謎の暗がり――そういうイメージとしての「女の股ぐら」というものは、向井秀徳の歌の世界を、この先深化させていくのではないかという予感がある。

 もちろん、普通のMCもあった。ライブの終盤、今回の「共騒アパートメント」という企画の趣旨を語り始めた。「コンセプトは、先輩の部屋に遊びにきて、「誰の曲ですか」とか言ってレコード聴いている――そんな感じです。そんな感じだと思います。発案者は吉野さんです」。そう語ってから最後の曲「はあとぶれいく」を演奏した。アンコールになって、ようやく吉野さんと向井さんがふたり揃ってステージに登場する。

 「やっと部屋が繋がりましたね」と向井さんは口を開く。そうして客席に向かって説明を加えるように「ええ、部屋なんです。鉄筋の――」と続ける。
 「鉄筋だったの? 俺のイメージは木造だったんだけど」と吉野さん。
 「丸聞こえですね、じゃあ。『アイツ、またやってんな』みたいな。うるさかったですか?」
 「砂壁だからね。『アイツ、8時ぐらいからガンガンやるんだよな。いつかぶっ殺してやる』って」
 「それが、壁が取っ払われて。『おお』って」
 「壁が取っ払われると仲良くなれるんだよ。壁があると、憎しみばかりがね」

 そんなふうに笑いあって、ふたりで一緒に「ささやかな願い」を演奏してステージに幕が降りた。


「共騒アパートメント」@甲府・桜座
 
吉野寿
 
01.「青すぎる空」
02.「ナニクソ節」
03.「泣くんじゃねえよ男だろ」
04.「二月はビニール傘の中」
05.「化粧」(中島みゆき
06.「ファイトバック現代」
07.(???)
08.「人生いろいろ」(島倉千代子
09.「有象無象クソクラエ」
 
向井秀徳
 
01.「sentimental girl's violent joke」
02.「鉄風鋭くなって」
03.「SAKANA
04.「感覚的にNG」
05.「The Days Of Nekomachi」
06.「SI・GE・KI」
07.「Young Girl 17 Sexually Knowing」
08.「KARASU」
09.「Omoide In My Head
10.「前髪」
11.「はあとぶれいく」
 
en.「ささやかな願い」

 終演後に甲府の街を少しぶらついたけれど、ライブですっかり酔っ払っていたので赤ワインを1杯だけ飲んでホテルに帰った。


01月13日(月)

 10時、ホテルをチェックアウト。せっかく初めて訪れた街なのだからと、少し散策してみることにする。まずは甲府駅北口に出てみると、駅前広場で何かイベントをやっていた。屋台もいくつか出ている。広場の中央には臼と杵。どうやらこれから餅つき大会があるようだ。和太鼓の演奏もあるようで、ちびっこたちが準備している。行列もある。近づいてみると大きなサイコロを持った係員がいて、その後ろにちびっこたちが大行列を作っている。「ジャンボすごろく」というイベントをやっていて、参加すると景品がもらえるらしかった。県庁所在地の駅前にしては地味な出し物だが大盛況だ。

 それを横目に向かったのは、駅から徒歩10分ほどの場所にあるワイナリー「サドヤ」だ。江戸時代に油屋をしていた「佐渡屋」は、明治42年、洋酒やビールを取り扱う「サドヤ洋酒店」に転業する。つまり酒屋だったわけだが、大正6年にサドヤ醸造場を甲府に創業し、「甲鐵天然葡萄酒」の醸造を始める。当時、日本で葡萄酒と言えば甘いものだったが、昭和11年甲府市善光寺町に自家農場を開設し、甲府の気候に合うボルドーの品種の苗木をフランスから輸入し、本格派の辛口ワインの醸造を目指し始める。昭和14年にワイン醸造に成功し、「シャトーブリヤン」ブランドで宮内庁にワインを納めるようになった、歴史あるワイナリーだ。

 午前11時、ワイナリーの見学で地下貯蔵庫へ(見学料は300円)。中は少し肌寒いくらい。古いワインが納めてある場所は監獄のようになっている。ここに貯蔵されているワインの一番古いものは1955年のものだが、これは販売されていない。ワインの細かい醸造方法も聞いたけれど、印象に残ったのは「なぜ甲府の土壌がワイン造りに適しているのか」という話。ワインに適したぶどうを収穫するために必要な条件は3つ。一つ、日当りの良い場所であること。一つ、水捌けの良い場所であること。ここまではわかる。最後の一つ、「痩せた土壌であること」というのが興味深い。他の作物の生産には適していない土地だからこそ、良いぶどうが獲れるのだ。

 もう一つ興味深かったのは、皇族の方々がワイナリーを訪問されたときの写真が飾られていること。さきほど「宮内庁にワインを納めるようになった」とも書いたが、なぜそうした繋がりができるようになったのか?――もちろん、東京からほど近く、また歴史あるワイナリーだからというのもあるのだろうが、どうもそれだけではないということ。

 サドヤがワイン醸造に成功した昭和14年というのは、盧溝橋事件の2年後の年であり、太平洋戦争勃発の2年前の年である。戦況が悪化するにつれ、葡萄酒は贅沢品と見做され、製造業は斜陽しつつあった。そんな時期――太平洋戦争勃発の翌年頃から、軍部からサドヤにある依頼が舞い込んだ。ミネラルや酸に富んだワインには、石が沈殿することがある。「酒石」と呼ばれるこの石は、潜水艦や魚雷の発する音波をキャッチするレーダーの素材や、海水から真水を作る脱塩剤の主原料ともなるため、海軍からも、南方で戦う陸軍からも大量の注文があった。そうした経緯もあって、宮内庁との繋がりも生まれたのではないか。また、甲府という街は昭和20年7月に大きな空襲を受け、市街地の8割近くが焼失しているが、そうしてある種の軍需産業にも携わる街であったことも空襲を受けた一因ではないかとされているそうだ。甲府を歩いていても、戦前から続いているような風景を見かけることは少ないなとは思っていたが、そんなに空襲の被害があった街だとは知らなかった。

 見学が終わると、少しだけ試飲ができた。高級なワインは別途お金がかかるとのことだったが、せっかくなのでサドヤの看板とも言うべきシャトーブリヤン(1992年のカベルネ・ソーヴィニヨン)を試飲する。500円ほどかかるが、チーズやクラッカーなどツマミもついてくる。どっしりした味だ。本当は1962年のシャトーブリヤンを試飲したかったところだけれども、さすがにそれは試飲できず。ただし販売はされているのだが、これは1本31500円(!)。到底手の出ない価格だが、ボトルの佇まいが素敵だ。せめてその雰囲気だけでもと、2009年のシャトーブリヤンを購入する。これでも1本5300円もするのだが。

[: h600]

 ワイナリーの近くに高台があった。そこまで歩いて、甲府の街並みを見渡す。そういう町に生まれ育ったせいか、盆地の風景というのは眺めていて落ち着く。ただし、僕の生まれた町が本当に山間の狭い盆地であるのに対し、甲府の盆地は広がりがある。それに、見える山々も、日本アルプスだけあって美しい。チリで見たアンデス山脈に似ている。チリの首都・サンティアゴに滞在したときも、街中のどこからでもアンデスの美しい山並みが見えていたけれど、甲府を歩いていても、建物のあいだから日本アルプスが見えることが多々ある。

 甲府駅南口まで戻る頃には13時をまわっていた。お腹も減ったところで、駅前すぐの立地にある「奥藤本店」の暖簾をくぐる。昨年で創業100年を迎えたこの店には、「元祖『鳥もつ煮』発祥の店」と看板が出ている。

「鳥もつ煮」は戦後間もない昭和25年頃、当店で誕生致しました。まだ砂糖が貴重だった時代、甘辛いタレをまとった鳥もつ煮はお客様に大好評で、いつのまにか山梨県内のそば店へと広まったのでした。

 せっかくだからチビチビお酒も飲みたいので、この店の名物である鳥もつ煮も、そばもついてくる「鳥もつ煮セット」を注文した。白飯もついてくるので、カロリーのことが気にかかっていたが、鳥もつ煮の甘いタレは白飯をかきこみたくなる味だ。この鳥もつ煮という食べ物は、B級グルメが話題になってから提供する店もちらほら見かけるようになったが、どの店で食べても口に合わなかった。どうも臭みが強くて箸が進まないことが多かった。それが、この「奥藤本店」の鳥もつ煮はなんともうまいのである。「発祥の店」と聞いて、評価が甘くなっているだけかもしれないが、いくらでも食べられそうなほどうまい。鮮度の良い鳥もつを使っているのかもしれない。

 17時過ぎ、東京に戻ってくる。アパートに帰ると、ようやく帰京した知人の姿があった。さっそくシャトーブリヤンを開け、久しぶりに乾杯。


01月14日(火)

 9時過ぎに起きて、週末に録画してあった番組を観る。「夏目と右腕」(テレ朝)、これまであまり観たことがなかったけれど、タイトル通り、夏目三久がホストを務める番組で、誰かの右腕として活躍する人にインタビューする番組だ。今回のゲストは佐藤可士和のマネージャーであり妻でもある佐藤悦子。VTRで流れるオフィスを見ていても、普段の暮らしぶりを眺めていても、「佐藤可士和っぽいなあ」という感想が漏れる。印象的だったのは、悦子さんが佐藤可士和と一緒に働こうと思ったきっかけの話。既にふたりは交際していたが、別々の仕事場で働いていた。ある日、携わっていたプロジェクトの発表会があり、悦子さんは久しぶりにバッチリ着飾った。だが、その姿を佐藤可士和に見せることはできなかった――その話を受けて、夏目三久が「『きれい』ののひと言でもかけてほしいですものね」と口にした。「いつも寝間着だけ見せあっているのも嫌ですものね」と。なるほど、そういう考え方をするものなのか。

 夕方、日本酒と赤ワインを手にして久が原へと出かけた。今日は18時から快快の新年会だ。楽しくてしこたま酒を飲んだせいで、この日も記憶はほとんど残っていない。22時過ぎには快快ハウスを出たはずが、雪が谷大塚駅で「終点ですよ」と駅員に肩を叩かれ目が覚めた。もう終電は出てしまっていた。つまり、快快ハウスを出てから2時間以上経っているはずなのに、久が原からは2駅しか進んでいないことになる。どうにもならないので、タクシーに乗車し、吐き気を堪えつつ「高田馬場まで」とあまり口を動かさずに運転手に告げて眠りに落ちる。「着きましたよ」と言われて目を開けると、何をどう聞き間違えられたのか、二子玉川駅がそこにあった。


01月15日(水)

 夕方、ポレポレ東中野にて「立候補」観る。最初から引っ掛かっていたのは、おそらく別録りで音を当てていること。それからもう一つ、何かを導くように進んでいくこと(たとえば西成で「誰に投票するか」「選挙で世の中は変わるか」と訊ねてまわるというのは、言い方が難しいけれど、やや予定調和に感じられた)。ただ、一番ラストのシーン、安倍晋三秋葉原で応援演説するところは素晴らしかった。マック赤坂に罵声を浴びせる群衆に向かって、それまで父親の選挙運動に対して冷ややかだったマック赤坂の息子が反論していく映像は、劇的というほかない。ああいう瞬間が映り込むからこそ、ドキュメンタリーは面白いのだろう。ただ、最後にもう一つ不満を上げるとすれば、泡沫候補と見做されながらも立候補し続ける、その“徒労”とも思える活動の根底に何があるのかという問いには答えが出ないままだったこと。その問いに対する答えは、どこかセンチメンタルに回収されてしまったところがある。

 映画を観終えたところで、高円寺「コクテイル」に急いだ。店主のKさんは甲府に縁のある方で、先日「甲府は良い街だ」と語っていたが、甲府の話などをした。このあとに約束があるので、ビール1杯だけで会計をしてもらった。バタバタと店を訪れたのは、『SKETCHBOOK』のゲラを手渡すこと。もう印刷にまわしているのにチェックも何もあったものではないのだが(本当に甘えてしまっていると我ながら思う)、ゲラを手渡し、「もし差し支えがあれば刷り直しますので」と言葉を添える。『SKETCHBOOK』(002)ではこの「コクテイル」のことを書いている。昨年の12月30日に「コクテイル」ではトークイベントが行われていたが、そのとき、Kさんが「今日は正直に話をしようと思って」と前置きしていたことが、今までも強く印象に残っている。その言葉がこびりついているからこそ、僕もその原稿を「正直に書かなければ」と思って書いたのだ。正直に書いたが故に、ひょっとしたら怒られてしまうかもしれない――そんな不安を少し抱えつつ、ゲラを手渡した。

 19時40分、待ち合わせの時間より10分遅れで南池袋にある酒場「升三」に入ってみると、まだムトーさんしか座っていなかった。今日は「ブックギャラリー・ポポタム」の大林さん、「往来座」のセトさんと4人で飲み会だ。テーマは映画「立候補」について(その前にと、今日になってようやく「立候補」を観たというわけだ)。レモンサワーを注文し、お通しのナマコをツマんでいるうちに4人が揃う。2杯目からは日本酒を飲んだ。どれもおいしい。何より美味しいのは牛すじ煮込み。「普段は飲みに誘っても来てくれない人も、ここなら牛すじ煮込みが絶品だから付き合ってくれる」とセトさんが語っていたけれど、なるほど、たしかにそれくらい美味しい煮込みだ。

 例によって飲み過ぎたため、この日も記憶は曖昧だが、手元のメモには「セミ300匹か、ヘビ100匹か」と記してある。それを見て思い出した、どういう流れでそんな話になったのか、「セミとヘビ、どっちを触るのが嫌か」という話題になった。僕はもう、迷うまでもなくヘビのほうが嫌だ。皆そうだと思っていたが、セトさんとムトーさんは「セミのほうが嫌だ」と頑に言っていた。それからもう一つ、「都知事選に十二支が立候補したら誰に一票入れるか」という話にもなった。まあ、酔っ払いらしい会話だ。へろへろに酔っ払っていると、「立候補」で、おそらく別録りで当ててあった、「ちゅー」っとストローを啜る音がよみがえってくる。演説のあいまに、マック赤坂はいつも紙パックの鬼ころしを啜っていた。大阪駅の地下で演説をしているときには、構内にある串カツ屋「松葉」で酒を飲むシーンが何度か映し出されていた。そんなシーンが甦ってくるということは、あの別録りの音が効果的に働いていたということなのかもしれない。 

12月16日から31日まで

 
12月16日(月)

 起きると9時過ぎだ。パソコンもケータイも充電しないまま眠ってしまっていたので、追加で千円支払ってチェックアウトの時間を遅らせてもらうことにする。11時過ぎにチェックアウトして、商店街をぶらつく。さて、今日は小倉で何をしようか――ぼんやり考えているとケータイが鳴った。藤田さんからだ。これから皆で門司港に行くので橋本さんも一緒にどうですかと誘ってくれる。駅まで戻る途中に「シロヤ」の前を通りかかった。このパン屋の前にはいつでも人だかりができていて気になっていた。ホットサンド用の食パンなんていうのも売っている。僕は一番人気だというサニーパンとたまごサンドを買って、近くのスタバでドリップコーヒーも買ってから小倉駅へと向かった。

 改札前で皆と待ち合わせ。昨晩の暴言のことがあるので緊張していたけれど(睨まれても仕方がないと思っていた)、皆、ナイスに接してくれてホッとする。門司で一度乗り換えて門司港駅に到着する。ここは「門司港レトロ」として売り出している場所で、駅員さんの服装からしてレトロな装いをしている。港の近くにある商店をひやかしたり、海沿いを散策したり。僕は地ビールを飲んで過ごしていた。海辺ではビートルズが流れていた。皆、ぞれぞれのリズムで海辺を歩いていた。向こうに見えているのは本州で、山口県だ。

 14時半に小倉に戻り、何人かで「菅生寿司」という店に入った。本来なら夜のみ営業している店らしいのだが、お願いして開けてもらったそうだ。そこで飛行機の時間まで食事をするというので、僕も同席させてもらう。ちなみに僕だけ皆より1時間早い飛行機だったのだが、その店の寿司があまりに美味しく、また僕だけ先に帰るのが寂しくもあり、結局飛行機の時間を無視して寿司を食べ続けることにした。あれもこれもうまかったが、やはり何と言ってもしめ鯖がうまかった。しめ鯖をにぎり寿司で食べるというイメージがなかったけれど、これが絶品だった。しめ鯖のイメージも変わった。まだ昼だというのに、僕は熱燗を何杯も頼んだ。おすすめの握りを一通り食べたところで、隣りの隣りに座っていた二人が「悲しい」とつぶやいているのが聴こえた。「もう過去になってしまった」と。まだまだ食べたいけどそろそろ満腹かもという声に、「寿司でお腹いっぱいにしようと思ったら、クルクルに行ったらいい。腹八分目よ」と大将は言っていた。僕はバクバク食べてしまった。

 皆の飛行機の時間が近づいてきたので個別に会計をしてもらい、駅まで歩く。劇場のMさんたちと一緒に、皆が乗ったバスを見送る。バスはすごい勢いで走り去って行った。僕はすぐに小倉駅から新幹線に乗って東京に戻る。5時間の旅、22時過ぎに高田馬場まで戻ってくる。スーパーに立ち寄ると数の子がたくさん並んでいる。もう年末なのだなあ。その風景を見るたびそう思って買ってしまい、「どうやって食べるんだっけ」と毎年インターネットで検索している気がする。そして「すぐには食べられないのか」とがっかりしている気がする。ほぼ同時刻に帰ってきた知人と一緒に「THE MANZAI」観る。ウーマンラッシュアワーの1本目の圧倒的な勢い。声を出して笑ったのは東京ダイナマイト


12月17日(火)

 朝8時に起きる。午前中はジムに出かけてジョギングをした。午後は『S!』誌構成を。そこで主に語られているルー・リードの音源を聴きながら。19時過ぎになって完成。夜、新宿はフラッグスビルにて知人と待ち合わせて買い物。上っ張りのサイズが合わなくなってきていたので。結局、数日前に「SHIPS」で試着していた上着を購入した。「こないだ来たときから、もふはそれ買うだろうなと思ってたよ」と知人は言う。さっそくその上着を着て向かったのは高円寺。「コクテイル」で飲むつもりだったけれど、そうだ、今日は火曜だから定休日だ。『S!』誌の入稿日はいつも木曜だから、今日も木曜かと勘違いしていた(祝日の影響で入稿日が早まっていた)。結局、ガード下のもつ焼き屋に入り、レモンサワーを飲んだ。


12月18日(水)

 朝8時に起きて、北九州で書いたメモを元に、マームとジプシー「モモノパノラマ」の感想を記す。書いているうちに日が暮れていた。夜、今日こそはと高円寺「コクテイル」の扉を開けると、入ってすぐの席に、取材で何度かお会いしたことのある芸人さんが座っていた。何人かでいらしていたので、「お久しぶりです」とだけ挨拶をしていたのだが、トイレに立ったタイミングで話しかけてくれる。「橋本さん、最近向井さんとは会われてるんですか」「いや、あんまりお会いしてないです。今度ライブは観に行くんですけど」「あの翌日、僕、ほんまにレスポール買ったんですよ。もしお会いする機会があったら伝えといてください」。その日、その方は向井さんから「レスポールを買ったらいい」と薦められていたのだ。

 この日、お店のKさんからはチラシをいただいた。年末恒例となった前野健太のライブ「今年のことは忘れない」のチラシだ。その場で予約をさせてもらい、3杯ほど飲んで店をあとにする。


12月19日(木)

 朝7時に起きる。枕元に置かれたグラスには赤ワインがほとんど口をつけないまま残っていたので、漏斗を使って瓶に戻す。たまには新聞でも読んでみるかと、朝日新聞を。国際面を読んでいると、「グルジア 有刺鉄線、家族を分断」や「ウクライナに1.5兆円、ガスも値引き」といった見出しが並んでいる。どちらもロシア絡みの記事で、前者はロシアとの紛争から5年が経過したグルジアで親露政権が誕生し変化の兆しがあるという記事、後者はEUへの接近を踏みとどまったウクライナにロシアが巨額の経済支援をしているという記事。ロシアはEUに似た関税同盟「ユーラシア同盟」を構想しているのだそう。僕がのんきに過ごしていても世界は動いているのだなあ。

 昼はジムに出かけてジョギングを。これまでは自己流で運動していたけれど、どうにも効率が悪い気がするのでトレーナーに相談。トレーナーと会話をしたのはこれが初めてのこと。アパートに戻ってからは、11月11日に取材したままになっていた原稿を考え始める。最初に設定されていた締め切りはとっくに過ぎているのだけれども、2度入院したこともあり延ばしてもらっていたのだ。

 夜は横浜に出かけた。風邪を引きかけているので、ニット帽をかぶり、マスクをかけて顔を風からガードして歩く。眼鏡は曇って真っ白だ。顔はほとんど隠れている。18時に神奈川芸術劇場についてみると既に11人が行列を作っている。当日券は買えず、キャンセル待ちになってしまったが、無事観ることができた。というわけでチェルフィッチュ「地面と床」観劇。おそろしい。ただ、これは「現在地」を観たときにも思ったことだけれども、この作品は今よりも、後になればなるほど効いてくるという気がする。30年後くらいに、しみじみ思い出しそうな気がする(そう考えると戯曲が読めるというのはありがたい――『新潮』に掲載されている)。観てきたことを反芻しながら、「山東」という中華料理屋に入って麻婆豆腐を食べた。辛い物を食べれば風邪が吹き飛ぶのではと考えたのだが、どうなるか。


12月20日(金)

 7時43分頃起きて新聞を読む。目に留まったのは、国会に参考人として呼ばれ特定秘密保護法に賛成の意見を述べた憲法学者・長谷部恭男さんへのインタビュー。いきなり「もしかして、「御用学者」と呼ばれていませんか」という質問から始まっている。「何のことでしょうか」と長谷部さんは答える。のっけからすごいインタビューだ。後半にはこんなやりとりもある。

――そうでしょうか。特定秘密を漏らせば厳罰が科されるのだから、社会の萎縮はどんどん進むでしょう。長谷部さんと違って、多くの人は世間の空気を読みますから。
 
 「すみませんね、空気も読まないで。そう。だからメディアが今、空気を作るべきなんです。萎縮する必要はないという空気を。それなのに『漏らせば厳罰』ばかり言ってむしろ萎縮ムードをあおっています」


 最後には「取材を終えて」と題して記者の言葉が綴られてもいる。そこに「線を越えて緩やかにつながり「次の一手」を探す。それが最も有効な抵抗のはずだ」と書かかれていることからも、あえてそうした言葉でインタビューしているのだろうけれど……。妙にモヤモヤした気持ちが残る。新聞を読み終えたところで、昨日に引き続き原稿を考える。おそらく2万字を超える原稿になるから、しっかり設計図を作らなければならない。

 昼過ぎ、レトロ印刷から宅急便が届く。新しいミニコミ『SKETCHBOOK』だ。これは同世代の友人であるM田さんから「橋本君は東京論を書くべきだよ」と言われたものの、僕には論なんてものは書けそうにないので、せめて東京の風景をスケッチしようと始めたもの。毎月出し続けたいと思っているのだが、僕は納品書を書いたりキチンと在庫管理したりする能力がどうにも低いので、南池袋にある「古書往来座」だけで販売することにした。僕はわりと池袋で飲むことが多いので、ここなら飲みに行く途中に納品できる。……と書くとアホみたいだけど、1店舗だけで扱うことには、もうちょっと積極的な理由もあるにはある。


12月21日(土)

 8時に起きて、原稿を考える。ようやく設計図が固まってきたので、実際に書き始める。午後、郵便受けをのぞくと病院から封筒が届いている。入院していたときの費用が出たのだろう。その値段に軽くめまいをおぼえる。予想していた倍の値段だ。仕事がなくなったらと思うとゾッとする。しかし、1度目の入院のときの診断も2度目の入院のときの診断も間違っていたことが判明した今になってみると、少し腹立たしい気持ちにもなってくる。体を壊してしまったのは自分なのだし、入院の結果元気にはなっているのだけれども。

 昨日は原稿料が振り込まれた日だった。2つの雑誌の原稿料がまとめて振り込まれていたのだけれども、「どうせ入院代で消えていくのだから散財してしまおう」という気持ちになってくる。お金をおろしてビックカメラに出かけ、1時間半ほど迷った挙げ句、新しいカメラを買った。ずっと「気軽に持ち運べるサイズのカメラが欲しい」と思っていた。いや、コンパクトなカメラは既に持っているのだけれども、どうも写りに満足できず、「それならケータイで撮ればいいや」と持ち歩かなくなっていたのだ。オリンパスのものを買うつもりだったのに、店員の話を聞いているうちにソニーのカメラを買っていた。

 ほくほくした気持ちで東池袋へ。ムトーさんと待ち合わせて焼き鳥「幸や」に入る。昨日刷り上がった『SKETCHBOOK』というミニコミの題字はムトーさんに描いてもらっているので、そのお礼にご馳走することにしたのだ。出てくる焼き鳥はどれもうまく、僕もぱくぱく食べる。ムトーさんは最近、偶然永ちゃんのコンサートに出くわし、その“ファンの文化”に強く惹かれ、連日日本武道館に足を運んでファンの人たちを眺めていたという。たしかに、長く活動している人たちのファンの文化というのは気になる。人でなくても、こないだ話を聞いた宝塚のファンの文化も独特だったし、知人から聞くジャニーズのファンの文化も独特だ。そこに自然と暗黙のルールが生まれていくのも興味深い。誰かのディナーショーにも行ってみたいという話をしていたのはおぼえているのだが、この日の僕のメモには「エリザベス女王」という謎のメモが残っている。

 帰宅後、iPhone、前持っていたオリンパスのカメラ、新しく買ったソニーのカメラで知人を撮り比べてみる。ビックカメラにいた店員は「写りの違いは、もう素人が見てもわかります」と言っていて、その人はどうもソニーの担当者らしかったので、「言いくるめられてるのかもしれないな」なんて思っていたのだけれども、撮ってみるとたしかに違いは一目瞭然だ。疑って申し訳なかった。


12月22日(日)

 8時に起きて、日が暮れるまで原稿を書いていた。本当は今日が締め切りだったが、どうにも完成しそうにない。いや、「これで完成でいいや」と終わらせてしまうこともできるのだが……。もう少し粘りたい旨連絡し、もう少しだけ締め切りを延ばしてもらう。ズルズルと申し訳ない気持ち。そういえば今日は朝から冬至だとニュースでやっていた。カピバラのゆず湯の映像を繰り返し見たせいか僕もゆず湯に浸かりたくなり、22時過ぎになって銭湯に出かけたのだが、湯に浸かりながら歯を磨いている老人がいたせいで歯磨き粉の臭いしかしない。一度アパートに戻り、書きかけの原稿をプリントアウトして町内の酒場に出かける。原稿に赤を入れつつ、はちみつ柚子サワーを飲む。そういえば『HB』というミニコミの由来は、この店のものではないけれど、はちみつ柚子サワーに由来しているという説もある(はちみつ→みつばち→honey bee→HB)。


12月23日(月)

 朝7時に起きて、バタバタと身支度をして出かける。下落合から高速バスに乗車して向かうのは新潟だ。今から2週間前にも高速バスで新潟を訪れた。そのときは着いてすぐに貧血で倒れてしまい、すぐさま新幹線で東京に引き返して即入院となった。2013年という年を終えるにあたって、新潟でうまい酒と魚を食っておいたいと思って再訪したのである。12時過ぎに新潟に到着し、荷物だけ預けようとホテルに向かってみる。もう部屋の準備ができているとのことなので、チェックインを済ませて少し休憩する。今回は体調も大丈夫そうだ。

 13時過ぎ、「日本料理 蘭」へ。以前新潟に出かけたときに訪れた店で、僕が毎週楽しみにしている「食彩の王国」というテレビ番組で取り上げられていた店だ。僕が死ぬ前に食べたいメニューが問われたら、仙台「北辰鮨」のぼたん海老かたらの白子、金沢・近江町市場「いきいき亭」ののどぐろ、それかこの店の南蛮えび丼を挙げる。南蛮えびというのは甘エビのこと。「食彩の王国」でこのメニューが取り上げられたとき、僕はさっそく自宅で再現しようとしたのだけれども、スーパーで買ってきた甘エビではテレビで見たようにしっかりとした丼にならない。それで今年の初めに新潟を訪ねた際に現物を確かめようと「蘭」という店を訪れていたのだ。3900円と相当高級だけれども、その値段にふさわしい味だ。

 僕が店を訪れたのはラストオーダーぎりぎりだったせいか、他に客はいなかった。つまり貸し切りだ。その時間のせいか、板前さんも奥で調理をしていて、その空間には僕一人きりだった。こんな空間にひとり座っていて、こんなにも美味しいものを食べていると、本当にこのまま死んでしまうような気持ちになってくる。それも悪くないかもなと少し思った。お酒を2本飲んだ。ほろ酔いで心地良い。会計を済ませて、近くにあるスタバに入り、電源のとれる席を確保してパソコンを広げ、ずっと取りかかっている原稿を書く。一杯目はコーヒーを飲んだけれど、少しお腹の具合が不安になり、「カフェインは大腸によくない」と聞かされていたことを思い出して二杯目は紅茶(ハイビスカスブレンド)を選んだ。

 20時頃まで仕事をして、藤田さんに教えてもらったうまい刺身と日本酒が飲める店「しののめ」へ。休日だからかまずは熱燗にしてうまい酒を注文する。紫雲というお酒。「県外からいらしたんですか」と店員さん。旅行で来てるんですけど、仕事が終わらなくてどこも観光していないんですと伝えると、「でも、新潟って観光で行く場所がないんですよね……」と店員さんは悲しそう。熱燗と一緒に注文したポテトサラダにはおしゃれな葉っぱが入っていた。わさび菜とレッドリーフという葉っぱらしい。ポテトサラダも、焼き里芋(帛乙女)も、どれもうまい。もちろん日本酒も美味しい。朝日山も、〆張鶴(月)も、〆張鶴純米吟醸)も、〆張鶴(しぼりたて生原酒)も、村佑も、鶴飛千尺も、細かい感想は書かないがどれもうまかった。最後、隣りのお客さんが注文していたソースカツ丼があんまりうまそうだったので、ダイエット中にもかかわらず注文した。

 23時頃になって店を出た。会計がいくらだったかは覚えていない。ふらふらと通りを歩き、「拾番」というラーメン屋を訪ねた。何年か前に、この店で向井さんや吉野さんと並んでラーメンを食べたおぼえがある。あれも年の瀬だった気がする。思えば、2年に一度くらいのペースで年の瀬に新潟を訪れている。この店については、向井さんに『HB』(vol.07)のラーメン・インタビューで話をしてもらったこともある。

――以前、新潟のラーメン屋でバッタリお会いしたことがありますよね。
 
向井 ああ、〈拾番〉ね。よく行きます。
 
――味について伺ったら「味がないやろ、アレ」とおっしゃってましたよね。
 
向井 お湯みたいなスープやろ(笑)。すっごい薄い。
 
――それなのに、どうして何度も通ってるんですか?
 
向井 いや、スープを啜った瞬間は「お湯か?」と思うんだけど、そこからこう、シモのほうから滋味深いものがクる感じが、夜中に食うとうまい。
 
――ああ、なるほど。
 
向井 冷静になって食べると物足りんかもしれんけど、毎回行ってしまう。


 ふと、せっかくだから大将の写真を撮っておこうと思った。どうしてそんなお願いをしようと思ったのかはいまだにわからない(酔っ払っていたせいではあるのだが)。断られるだろうなと思っていたのに、「ああ、記念に撮っておいて」と大将は言った。「明日病院に行って検査してもらうんだけど、ちょっと病気かもしれなくて。お兄さんはもううちのラーメン食べられないかもしれないから、記念に撮っといて」と。また次に来たときも食べられることを祈りつつ、何度かシャッターを切った。


12月24日(火)

 深酒をしたせいか、5時には目が覚めてしまった。南蛮えび丼は食べたし、うまい酒と魚も堪能したので、7時のバスに乗って帰ってしまうことにする。市街地を抜けると、ずいぶん見晴らしのいい風景になる。ずうっと田んぼが広がっている。空はどんより曇っている。少しウトウトしていたのだが、妙な音がして目が覚めた。何の音かとキョロキョロしてみると、それは雪がフロントガラスにぶつかる音だった。目が新潟市内は雪なんて降っていなかったのに、いつのまにか銀世界にいる。一番雪深い地域はもう、見渡す限り真っ白で不安になってくる。

 僕が生まれた町も多少は雪の降るところだったけれど、これくらい雪深い地域に暮らすと何を感じるのだろうなと思う。僕は別に、そんなに忙しく過ごしているわけでもないのだし、全然知らない街に暮らして、取材のある日だけ東京に戻るという生活を送ることだって不可能ではない。そんな生活を送るとすれば今のうちだという気もする。知人のこともあるので完全に拠点を移すわけにはいかないけれど、どこかに部屋を借りて、週の半分くらいをそこで過ごしてみるということはやってみたいと思う。こんなふうにバスで、比較的スムーズに移動できる範囲で気になる街となると、新潟か長野か仙台だろうな。ただ、仙台以外の街だと知り合いが誰もいないから、ただただ滞在するだけになってしまいそうだけれども。

 昼過ぎにはアパートに着いた。近所のセブンイレブンでは、店の前でクリスマスケーキを販売している。サンタの格好をしたアルバイトの女性はとても寒そうだ。その斜向いにあるファミリーマートは、ワンピースのキャラクターの着ぐるみ(?)を着た店員が接客をしていた。夕方になってアパートを出て、伊勢丹のデパ地下に出かけた。平日にしては賑わっているけれど、思っていたほどの混雑でもない(身動きを取るのが難しいくらい混んでいたり、どの店にも行列ができていたりするのかと思っていた)。フロアを2周ほどして、「Salumeria Garibaldi」という店でお買い物。今日の目当てはチキンだ。知人はケーキ担当、僕はチキン担当である。と、こう書くと知人もイベントをきっちりやるタイプみたいになってしまうけれど、知人のほうは基本的にイベント事に関心は薄い。僕がしつこく言うから付き合ってくれているだけだ。

 伊勢丹の地下には、いろんなチキンが売っていた。クラシカルなチキン――白地に赤と青のラインの入ったリボンが巻き付けてあるようなチキンもあったが、「Salumeria Garibaldi」のチキン――知床鶏のロースト(赤すぐり入りバルサミコソース)が一番華やかに見えた。本当はチキンだけ買うつもりでいたけれど、詰め物をしたホロホロ鳥のロースト(トリュフ風味)が気になってそのハーフサイズも購入する。ついでにオードブルも買ってしまった。あまりにも楽しみでつい奮発してしまった。19時、仕事帰りに目白のお店でケーキを受け取ってきた知人を待ってシャンパンを開ける。ずいぶん前、新宿5丁目「N」でライブの撮影をした際にお礼としてもらっていたシャンパンだ。美味しいシャンパンを飲みながら、知人とふたりで笑いながら「ロンドンハーツ」を観た。



12月25日(水)

 9時に起きて、昨日書き上げていた原稿を知人に読ませる。ひっかかるところや邪魔くさいところがないか、確認してもらった。「良いと思う」とのこと。ただ、もう少し気になるところがある。せっかく天気も良いことだし、その原稿にも出てくる「大坊珈琲店」に行ってみようかと思ったが2日前にもう閉店していた(年内一杯は営業しているのかと勘違いしていた)。とりあえず外に出て、新宿方面に向かって歩く。新大久保の落書きに心が痛む。まず落書きがあるというだけで嫌だというのに。

 どこに入るか迷ったものの、そのインタビューを収録した場所の一つ、小田急百貨店の2階にある喫茶店に入った。ブレンドコーヒーをお代わりしつつ、プリントした原稿に赤を入れていく。それが終わると、パソコンを取り出して赤字を反映させて、もう1度頭から読み返し、メールで送信した。オーケーが出るまではわからないけれど、これで今年の仕事はすべて終わったことになる。病気で倒れたとき、「このまま死ぬのかな」という気がした。そのとき考えたのは、書いておかなければならない原稿が少なくとも3つはあると思っていた。そのうちの一つがこの原稿だった。残りの二つは来年の課題とする。

 外に出るとすっかり日が暮れている。高田馬場まで戻り、「米とサーカス」を訪ねる。クリスマスイブとクリスマスの2日間、先着50名までの客にはお店のオリジナル手拭いがもらえると聞き、やってきたのだ。残っていたキンミヤのボトル(一升瓶)を飲み干し、新しいボトルを入れて、大好きなTKG(たまごかけごはん)を注文する。食べていると、さっき送信した原稿にオーケーが出る。嬉しくなって2杯目のTKGを注文した。店員さんは「えっ、またですか?」と戸惑っていたが、今日は2杯くらい食べるつもりでいた。ある人が、インスタグラムで「食べおさめ」という言葉を使っていて、僕が食べおさめるなら何だろうと考えたとき、最初に浮かんだのがこのTKGだったのだ。

 機嫌良く飲んでいるうちに酔っ払ってしまった。この日、知人を店の近くまで迎えに来させたらしかった。翌朝になってカメラを確認すると、どういうわけだか「富士そば」の前での記念写真が残っていた。ずいぶん浮かれた顔をしている。おそらく知人に撮らせたのだろうが、なぜそこで写真を撮らせたのか、今となっては知る由もない。


12月26日(木)

 7時に目を覚ますと、ファミリーマートのたまごサンドの包装紙が転がっている。同じくファミリーマートの割り箸もある。たまごサンドと、他にもないか食べたらしいが、まったく記憶にない。不安になって知人を起こしてみるとむすくれている。酔っ払ったときの僕と同じような言葉遣いでしゃべる。「おいてめえ、二度と酒飲むんじゃねえぞ」と知人。僕はずっと敬語で話していた。午後はジムに出かけ、最近の暴飲暴食をチャラにするべく2時間近くジョギングをした。走っているあいだ「クレイマー、クレイマー」を観た。古典という感じがする。僕が観てきたいくつかのドラマ――草なぎ君主演の「僕の生きる道」なんかの源流はこの映画なのだろうなと、今さらながら思う。

 夜になってアパートを出た。渋谷駅ハチ公口を出ると、黄色いボードに聖書の言葉を記した看板を掲げた人がたくさん立っている。カメラを買った日――21日の池袋でも、昨日の新宿西口でも見かけた。じっくり観察してみると、案外外国の人が多いことに気づく。そして、去年どうだったかは覚えていないけれど、どの看板も蛍光灯かなにかが仕込んであってとても目立つ。しばらく眺めていると警察がやってきて、掲げるのをやめるよう促されていた。


 

 19時ちょうどにSHIBUYA-AXへ。ボードを眺めているうちにギリギリになってしまったが、今日はZAZEN BOYSのライブがあるのだ。ドリンクチケットをビールに引き換えて2階席に上がると、すぐにライブが始まる。そういえばこの会場は来年5月で閉館する。ZAZEN BOYSが東京でライブを行うときは大半がこの会場だったが、この会場でライブを観るのも今日が最後かもしれないと思うとしみじみした気持ちになる。去年ほどの数彼らのライブを観たわけではないけれど(それでも地方公演を含めて何度か観ているけれど)、他のどのバンドよりも僕の中に刻まれているサウンドであり、年の瀬にまたライブが観られてよかったと思う。去年に続いて行われた坂田明氏とのセッションも素晴らしかった。

 ただ、ライブ全体の感想としてはやはり「しみじみ観る」という感じであった。もちろん、彼らのライブはひと公演ごとにまったく違ったアウトプットがあるという類いのものではない、が、今日の公演と去年の年末の公演を比べたときに、そこにまた一つ確かな年輪が刻まれたという感触があったかと言われると、そうだとは言いづらい。これはライブが悪かったという話をしているわけではまったくない、実際僕はハイボールを5杯ほどお代わりするほどライブを楽しんだ。あくまでこれは「欲を言えば」というレベルの話。

 相当酔っ払ってしまったこともあり、アンコールを見届けずに会場をあとにした。ゲストに椎名林檎が出たと知ったのは翌日になってからだ。外では小雨が降り始めていた、僕はすぐにタクシーを拾い、表参道へと向かった。今日はここで、僕が唯一声をかけてもらった忘年会が開かれているのだ。会場である「ロータス」という店に到着すると、ずいぶんオシャレな店で少しうろたえる(あとでオシャレカフェのはしりのような店だと知人に教えてもらった)。階段を上がると入口のところに役者の石井さんが立っていた、既にへろへろの僕を見て「また橋本さんのあの発言が出ますか?」と石井さんは言う。中に入り、いろんな人に挨拶しながらビールを飲んだ。ほどなくして2軒目に流れて、2時近くまで飲んだくれた。翌朝になってカメラをみると、zAkさんが撮った素敵な写真がたくさん残っていた。


12月27日(金)

 10時過ぎに起きる。昨日も酷く酔っ払ってしまったせいでグッタリしている。からだも、内臓も重く感じる。「今日は駄目だ」と思って、一日中からだを横にしていた。18時過ぎに起きて、コンソメスープを作って食べた。20時過ぎ、新宿駅東口改札前で知人と待ち合わせて、何か良い服はないかと買い物。またしてもSHIPSに入ると、「もふと私は仲良しだねえ。こんなに毎日SHIPSに来て」と知人。先日観た「アメリカン・グラフィティ」――映画の主人公の夢が「ケネディと握手すること」ということに色々思う――でロン・ハワードが交際していた女の子が着ていた感じのカーディガンを探していたはずなのに、買ったのはGAPのシャツ2枚だった(40パーセントオフのクーポンが当たったのでGAPで買い物をした)。

 知人と外で飲むのは今日が最後のチャンスだろうから、飲んで帰ることにする。この日で仕事おさめの人も多く、今日が忘年会のピークだろう。街は賑わっている。いつもよりほころんだ空気が流れているように感じる。年末のこの空気感が好きだ。誕生日に入った居酒屋「鼎」を覗いてみると、ちょうど入れ替わりのタイミングだったのか席につくことができた。21時を過ぎているせいか、もうなくなっているメニューがいくつもある。そのなかから何品か選んで注文して知人と乾杯していると、僕らのすぐあとに隣りのテーブルに座ったカップルの女が「全然残ってないじゃん」「玉子焼きがないってどういうこと? 玉子なんか走って買ってくればいいじゃん。なんなら私が作るけど」と文句を言っている。「この店、明るい!」と8回くらい口にしている。段々腹が立ってくる、それに気づいている知人はいつもよりテンポよく話をする。が、どうしてもその女の声が耳に障る。「全然食べるものないじゃん。ここはハズレだね。残りものなんか食べてもしょうがないし」と店員に言ったりしている。店員もさすがに腹に据えかねたのか「残り物ではないですよ」と言っている、僕も腹立たしいので知人に向かって大きな声で「いやあ、この店は何を食べてもうまいねえ」と口にする。それでも女はずっと文句を言っていた。文句を言いながらも帰ってくれそうにはないので、早めに店を出た。帰り際、そんなに不平不満を並べ立てるのはどんな顔をした女なのだろうとちらりと顔を見た。

 せっかく新宿三丁目にいるのだからと、「パンとサーカス」という店に流れた。ここは高田馬場にある「米とサーカス」の姉妹店だ。「米サー」が和風テイストのメニューが多いのに対して、こちらの「パンサー」は洋風のメニューが多い。黒豚のリエットと鹿のタルタルステーキ、それに「せっかくパンとサーカスに来たのだから」と(?)パンの盛り合わせを注文する。どれもうまいので、看板メニューの熟成牛のグリルもオーダー。飲んでいると、以前よく見た顔がそこにあった。かつて高田馬場店にいた店員さんだ。本当はグラスワイン1杯で帰るつもりだったのだけれども、懐かしい気持ちになってつい何杯か飲んでしまう。結局今日も酔っ払ってしまった。


12月28日(土)

 9時頃起きて、大掃除に取りかかる。大掃除と言っても、部屋の大掃除に取りかかるほどの元気はないので、まずはパソコンの中の整理を始める。整理をしているうちに15時近くになっていた。しまった、と慌てて六本木に出かける。15時半から六本木「新世界」にて、マームとジプシーの1年間を振り返るイベント「ラジオ藤田」。去年も同じタイトルのイベントがあったが、昨年は終電を逃す人が続出してしまったらしく、今年は昼の部と夜の部の2部制だ(昼の部が1月の「あ、ストレンジャー」から「cocoon」まで、夜の部が引き続き「cocoon」から「モモノパノラマ」まで)。僕にとっては忘年会のようなイベントなので、昼の部からじゃんじゃんお酒を飲んだ。夜の部は急遽登壇したけれど、既に出来上がっていたので何を話したのかあまり記憶に残っていない。あんまりヘロヘロになったので、終演を待たずに帰ってしまった。

 ところでこの日、会場には役者さんたちもたくさんいた。帰り際、入口近くにいた役者さんたちは「今年も一年、ありがとうございました。良いお年を」と声を掛けてくれた。去年は顔見知りではあっても話したことのある役者さんはほとんどいなかった。こちらこそありがとうございました、良いお年を、と言って階段を上がった。ヘロヘロだったので危うく階段から転げ落ちるところだった。しかし、毎年思っていることだけれども、「良いお年を」というのは良い言葉だなあ。今年はマームにすごく良くしてもらった一年でもあった。その恩を少しでも返せるように、いい加減海外公演で見聞きしたことを言葉にしなければ――そんなことを考えながら歩いていると、自分が今どこにいるのか見失ってしまい、知人に迎えにきてもらった。そこはもううちのすぐ近くだった。


12月29日(日)

 昨晩飲み過ぎたせいで3時過ぎには目が覚めてしまった。内臓がぼろぼろだ。まだ日も昇らない頃から、年末年始の録画に備えてDVDレコーダーの中身を整理するべく必要なものは次々DVDに焼いていく。それをやっているうちに日が昇り、知人を起こして布団を畳む。知人は例によって畳んだ布団の上で小さくなって眠っている。「鏡餅だけど」と知人。数日前にワインをこぼしてしまって布団を買い換えたばかりで、まだ布団に厚みがあるので、たしかに鏡餅のようでもある。

 この日は朝から晩まで大掃除をしていた。積み上っていた本を整理し、『HB』のバックナンバーを整理(一部処分)をして、来年は効率よく過ごせるように引き出しやらを整理、窓と網戸を拭き、着なくなった服をすべて処分し、ソファや棚の下に溜まっていたホコリをすべて拭き取る。この時点でもう18時をまわっている。本当はキッチンの油汚れも今日のうちに落としてしまいたかったけれど、これはもう明日にまわすことにして、自転車こいで南池袋「古書往来座」に本を売りに行く(別段「往来座」向きの本でなくて申し訳ない)。Uさんが店番をしていた。「良いお年を」と挨拶をして店を出て、借りっぱなしになってしまっていた本を図書館に返却する。自転車で街を走っていると、ピザ屋のバイクと何度もすれ違った。アパートのエレベーターからもピザの匂いがした。

 帰宅後、「痛快!ビッグダディ」(テレ朝)最終回を眺める。その感想(でもないけど)は別枠に記す


12月30日(月)

 8時過ぎに起きて、昨日の大掃除の続きを。午後は歩いて高円寺へと向かった。早稲田通りを歩いていると、中野と落合のあいだに洗車場があるのだが、そこに長蛇の(クルマの)列ができている。皆年を終える前に綺麗に洗い流しておきたいのだ。行列の先を見ると、10人以上のスタッフが洗車をしている。1台につき2人から3人で洗っている、つまりあちこちで同時に洗車が行われている。年の瀬だ。今年はクリスマスが終わったあたりから押し寄せるように大晦日が近づいてきているのを感じている。

 今日は高円寺の北中通り商店街にある「コクテイル」で、年末の風物詩と呼ぶべき「前野健太の今年のことは忘れない」がある。今年は昼の部が店主のKさんと前野さんのトークで、夜の部がライブだった。僕はお願いをして写真を撮らせてもらった。詳しいことはまた別の機会に書くが、帰り際、前野さんと力強く握手をして別れた。これが今年の(酒場での)飲みおさめであり、ライブおさめだ。


12月31日(火)

 6時半に起きる。朝早い時間の新幹線で帰る知人を「良いお年をー」と見送ったのち、洗濯、荷造りをして、9時45分にアパートを出た。ここから数時間のことも別の機会に書くが、10時半に東京駅に到着したものの、僕が乗ったのは13時30分発の新幹線だった。別に混雑し過ぎていてその時間になるまで乗車できなかったわけではない。普通の指定席は満席になっていたけれど、グリーンにはまだ空きがあったので数日前に切符は買ってあった。グリーンなんて、たまに湘南新宿ラインで(移動中も仕事をするために)乗車するくらいのものだ。新幹線のグリーン席の勝手がわからず、コンセントがすべての席についていることや(普通の指定席だと窓際の席にしか付いていない)、おしぼりを持ってきてくれることに一々驚いているうちに、実家のある広島に着いてしまった。

 18時半に実家に到着して、「NHK紅白歌合戦」の開始時刻にあわせて年越しそばを出してもらって夕食。こうして今年も、例年と同じように年越しそばを食べることができた。良かった。母は煮しめを作っていた。僕はリビングにあるテレビの前に陣取り、ツイッターでつぶやきながら「紅白」を観ていた。去年もこんなふうに過ごしていたけれど、やはり不思議な感じがする。台所で母が煮しめを作っている音と気配を感じているその場所もお茶の間だけれども、ツイッターで皆が、いつも以上に文字通りの“つぶやき”をしているのを見ると、その空間もまたお茶の間だと思える。今年は何と言っても「あまちゃん」絡みのコーナーが良かった。特にユイちゃんが東京にきたところからは圧巻だった。それと、知人に関ジャニ∞ばかり聴かされてすっかりファンになってしまっているので、関ジャニ∞が観れてよかった。とりわけ渋谷すばるという男は、「歌がうまい」というのとは違うと思うけれど、独特の歌い方をする。知人がiPhone関ジャニの音楽を流していても、今のところ、シブタニじゃない?とつい反応してしまう。

 関ジャニ∞を観終えたところで満足して部屋に戻り、こうして日記を書いている。僕がライターとしてやっている仕事は構成の仕事が多く、そんなに書き仕事があるわけではないのだが、今年はポツポツとではあるけれど書かせてもらえる機会があって嬉しかった。『あまちゃんモリーズ』では長めの北三陸ルポを書かせてもらえたのも嬉しかった。それから、これはまだ発売されていないけれど、ある人について長い原稿を書かせてもらえたのも嬉しかった。今年は『hb paper』こそ出していないけれど、ずっと近くで観させてもらっている快快については『faifai ZINE』を、マームとジプシーについては『沖縄観劇日記』と題して舞台版「cocoon」に向けた取材の同行記を書けたのもよかった。

 ……なんだか自分で自分を褒めているみたいになってしまった。ここまでの日記でも書いたことだけれども、今年は11月末から2度入院したこともあって、「書いておかなければいけないことは何だろう?」と意識するようになった。僕が「書いておかなければならない」と思っていることの2つに関しては、来年何らかの形にしたいと思っている。

 今年もたくさんの場所に出かけた。たくさんお酒を飲んだ。たくさんお世話になった。来年もたくさんの場所に出かけて、来年もまたたくさんお酒を――たくさんだとまたからだを壊してしまうかもしれないから、多少健康に気を配りつつ酒を飲んで生活できたらなと思う。そして、きっと来年もまたお世話になると思います。皆々様、来年もまたよろしくお願いします。この日記を書き終えた時点で今年も残すところあと40分になろうとしていますが、それでは、良いお年を。

あ、その前に。「今年のうちに書いておかなければ」と思っていたあの作品のことを書いておく。
 
 

12月8日から15日

12月8日(日)

 朝5時に目が覚める。6時15分、灯りがつく。看護婦さんが巡回にきて、体温と血圧を測定し、お通じの数を報告。体温は36度、血圧は上が110、下が80くらい。差が少ないとのこと。木野花に似た看護婦さんが僕の顔をまじまじと見て、「歌舞伎役者に似てるって言われない?」と言う。え、誰ですかねえなんてトボケた返事をする。「誰だっけ、アナウンサーと結婚した人」と看護婦さんは腕組みしているが、最後まで知らんぷりをした。「海老蔵が坊主頭を見て、つい先日坊主にしたところなんです」なんて言ったら良い笑い者だ。

 朝8時、朝食の時間。今日もまだ絶食なので僕は匂いと音だけ。内臓がヒマそうにぐるぐる音を立てている。災害のニュースを目にするたび、自分がそこで生き延びることができたとして、避難所生活で一番辛いのは何だろうかということをよく想像する。僕は何よりお風呂に入れないことがつらいんじゃないかと思っていた(飲んでいるときなんかにそういう話をすると、「いや、別に入れないなら入れないで平気でしょ」と言われていた)。でも、今の入院生活で何よりつらいのはお風呂に入れないことだ。少なくとも絶食していることよりかはお風呂に入れないほうがつらい。もちろん、点滴で多少の栄養は補給しているからそんなことが言えるのだが。

 今日は日曜日でドクターがいないせいか、病院の空気ものんびりしている。看護婦さんもいつもと違っている、話しかけられて気づいたがおそらく中国人の研修生だ。可愛らしい。といっても僕よりは年上だが、普段僕が入院しているフロアにいる看護婦さんは「あまちゃん」に登場する海女クラブのような方たちばかりなので、ずいぶん若く見える。カタコトの日本語に導かれて、なぜか体重測定(日曜日の日課なのかもしれない)。

 同じフロアには不機嫌な老人がいて(前回入院したときにもいた)、いつも文句を言っているのだが、そのカタコトの日本語には心なしか優しい受け答えをする。「烏龍茶が、飲みたいな」なんて言っている。普段は「サイダーが飲みたいよ。こんなのばっかり飲めるかよ」なんて言って看護婦さんを困らせているのに。「うちの烏龍茶は、うまいんだよ? オレはね、貧乏はしても、食べ物にだけは金をかけてきたんだ」。痰がからんでしゃべるのもつらそうなのに、ヨボヨボの聴き取りづらい声でそう語りかけている。

 昼間は日記を書いていた。水分が足りてないのか、やけに目が渇く。14時、隣りのベッドに見舞いがくる。聴こえてくる話から推察するに、知り合いの知り合いをたどっていけば知人にぶつかりそうな感じだ。その隣りの患者さんは今晩外泊許可をもらっているらしく、2 時間程して見舞客と一緒に帰って行った。

 17時、知人が見舞いにくる。修理に出していた靴が戻ってきたらしく、履いている靴のことばかり見ている。「靴とどっちが心配なの」と訊いてみると、「こっちだけど」と靴を指す。よかった、よかった。知人は「双眼鏡買いに行こうかな」なんて言っている。年明けの関ジャニ∞福岡ドーム公演に向けて双眼鏡が欲しいらしかった。色々迷惑をかけたお詫びに「買ってあげようか」と言うと、「ほんとはね、4万くらいするやつが欲しいんだけど」と知人。双眼鏡なんて高くても数千円かと思っていたので驚く。一体何が違うのかと訊ねると、高級なものは防振機能がついているらしかった。一体どこでそんな知識を得たのかというと、「ジャニヲタ見聞録」というサイトがあり、双眼鏡の性能がコンサートを観るという用途で比較されているらしい。プロフェッショナルの世界だ。

 30分ほど話すと、少し帰りたそうな顔になる。そのことを指摘すると、「だって元気そうなんだもん。それに御見舞いにきたっていうか、『持ってきて』って言われたものをと届ける運び屋みたいなもんでしょ」と知人は言う。この人は家にいるのが一番の幸せなのだ。帰り際、iPhoneでケーキの写真を見せてくる。この病院とアパートのあいだに雰囲気のいいケーキ屋があり、そこでケーキを買って帰るつもりなのだけど、モンブランとカスレット、どっちがいいか迷っているのだという。「もふがいたら両方買って半分こできるのに」とぼやきながら帰っていった。後で聞いたら、結局両方買って一人で食べたそうだ。

 知人も帰って静かになった部屋でゴロンと転がっていると、誰かの足音が響く。同室の患者は外泊しているので誰もいないのに、それを知らずに見舞いにきてしまった人だろうか――。「今日は外泊してるみたいですよ」と教えてあげるべく体を起こしてみると、そこに立っていたのは兄だった。兄も東京に暮らしているが、東京で顔を合わせたことは片手で数えられるほどしかないし、連絡を取ったこともほぼ皆無だ。その兄が目の前に立っている。

 僕はこの日の午前中、実家に電話をかけておいた。普段は電話なんてさせてもらえそうにないけれど、今日は少し雰囲気が緩かったので看護婦さんにお願いしてかけさせてもらっていたのだ(「本当はダメなんだけど……じゃあ、端のほうで」と許可してくれた)。入院した際に保証人として実家の連絡先を書いていたのだが、病院からいきなり連絡が行くと両親も心配するだろうと思って電話をかけておいたのだ。「特に心配はないから」と伝えておいたのに、それでも心配になって母から兄へ連絡が行ったらしい。

 兄は「大丈夫なん?」と言いながら、僕の体に繋がれた点滴と心電図、それに「内科 橋本倫史様 入院 25年12月6日」と書かれた紙とを見比べた。「大丈夫よ。前も一階入院したんじゃけど、また血が出よるゆうことでから。痛いとかはないんじゃけど、血が出とる量が多いもんじゃけえ貧血で倒れて入院したんよ」。半ば自然と広島弁になるが、残りの半分くらいはイントネーションを確かめるように話していることに気づく。しばらく病状や今後のことを話すと、「それで、いくらかかりそうなん」と兄は言った。何日になるかわからないし、まあ大丈夫だと伝えると、「いや、今日は入院費を渡しにきたんもあるけえ。とりあえず10万あれば足りるか」と言うと、兄は財布を取り出し、そこから1万円札を1枚ずつテーブルに置いて行った。ありがたさと情けなさと、それから感心とがこみ上げてくる。「アイツの入院費を工面してやらんと」と封筒に10万円入れてくるのではなく、財布の中から10万円が出てくるのか。兄は立派に社会人をしているのだなと改めて思う。

 兄はお金を置くと「気をつけて」と帰って行ったが、しばらくしてコンビニの袋を提げてもどってきてくれた。「どういうのがいいんかわからんけど、買ってきた」といって、その袋を置いて帰って行った。そのなかには『サンデー毎日』、『週刊新潮』、それにコンビニコミックスの『クレヨンしんちゃん』が入っている。そういえば、うちの兄弟がよく読んでいた漫画の一つは『クレヨンしんちゃん』だ。取材でどこかに出かけた帰り、父は『かりあげクン』や『オバタリアン』といったコミックスを持ち帰ってくれていたが、その一つが『クレヨンしんちゃん』だった。懐かしい想いで『クレヨンしんちゃん』を読んだ。


12月9日(月)

05:50

起床。尿瓶でおしっこ。最初は抵抗があったがもう慣れた。出た量がわかるので案外楽しいくらい。


06:13

灯りがつく。看護婦さんやってきて新しい点滴を繋ぎ、体温と血圧測定。体温は36.8℃、昨晩は37.8℃あって心配だったが下がってよかった。採血もする。採血の痛みは慣れない。同じあたりを刺すので段々痛くなる。


07:24

最近ずっとやっていたドラゴンクエスト(ケータイ版)をクリア。世界に平和が訪れた。


07:58

朝食の時間で、看護婦さんは忙しそう。今日の午前中は同じ病室に誰もいないので静かなものだ。昨日はゴロゴロ鳴ってヒマそうにしていた僕の内臓も、今日はもう静かなものだ。ちゃんとあるのか不安なくらい。


09:45

再び体温測定。36.4℃。血圧測定。上が120、下が74。「血圧も上がってきましたね」とのこと。


10:13

介護士さんやってくる。「着替えはどうされますか?」。昨日までは面倒なので断っていたが(下は着替えられるので)、昨日知人に「たしかに加齢臭がする」なんて言われていたので、上も着替えさせてもらう。点滴をつないだままやるので大変だ。一緒に持ってきてもらったおしぼり(3枚)で入念に体を拭う(これは自力で)。


11:13

経理の女性やってくる。看護婦さんと違って香水の匂いがする。まずは今回の入院についての保証金を支払う。前回は救急車で運ばれて入院し、手続きする間もなく退院となったので支払わずに済んだが、これが一律10万円だ。もちろん保証金なので、ここから入院費を差し引いた分は戻ってくることになる。入院費なんて差額ベッド代を除けば大した額ではないだろうとタカをくくっていたが、前回の入院分の請求書を見て愕然とする。1泊2日の入院で5万円を超えている。その額を見ると、なんだかもう全快したような気分になってくる。


11:58

昼食の時間。僕は引き続き絶食だが、心なしか朝より食欲が増している。


13:08

ドクター来る。「血液の数値を見ても大丈夫そうだから、今晩から食事を出して明日に退院できる」と言われる。良かった。「今後は刺激物を避けるように」と言われるが、辛い物は苦手で刺激物なんてもともと採っていない。念のために「アルコールは」と訊ねると、即座に「ダメです」。いつまで、とすがるように訊ねてみても即座に「ずっと」とピシャリ。まったく飲むなとは言わないけど、憩室がぼこぼこあるので、また炎症を起こしやすいらしかった。大腸の名医に紹介状を書くから、そちらで相談しながらとのこと。


13:30

真っ暗。


14:21

誰かとガバガバ酒を飲むことではなく、誰かに会うことを楽しみにしようと、少しだけ思い直す。


14:28

でも、旅先ですることがなくなったなと思う。コーヒーも当面避けたほうがいいそうだから、喫茶店にも入れないし、ひとりで酒場に入っていきなりソフトドリンクを注文するわけにもいかないから、酒場にも行けない。街に対するとっかかりを失った気持ち。結果的に、輸血をされて別人になってしまった。


16:19

看護婦さんをつかまえて、今後の食生活の相談。食べたいと浮かんだものや、つい口にしてしまいそうなものについて確認する。1〜2週間は控えたほうがいいもの。生野菜。ジュース。刺身。肉(煮込んだものなら多少は可)。スナック菓子。ラーメン。激しい運動。今後の人生で、少なくとも今の半分以下に減らしたほうがいいもの。カフェイン。刺激物。炭酸。油物。アルコール。これなら別にダイエットなんてしなくたって自然と痩せてたのではないか。


17:46

夕食が楽しみで、まだ配膳されていないのに箸とスプーンをテーブルに並べて待つ。


17:58

夕食。全粥、たらの照り煮、ホウレンソウとにんじんのおかか和え、たまねぎとエノキの味噌汁。嬉しい。72時間ぶりの食事だ。久しぶりの固形物に内臓がびっくりしそうだから、しっかり噛んで食べる。特にホウレンソウとにんじんは繊維が多くて大変そうだから慎重に噛んだ。たらと、その付け合わせでついているかぼちゃの煮物がおいしい。しあわせ。食べ始めると、まだそこまでは何も到達していないはずなのに「なんだなんだ」と腸が活動し始めているのがわかる。生き物みたいだ。ハッと目を覚ました感じ。


18:50

ようやく食事を終える。お腹いっぱいだ。全粥は半分で十分だった。


19:23

薬剤師さん来る。これまで飲んでいたのは抗生物質(点滴)への耐性を持った乳酸菌、これは普通の乳酸菌。


20:35

先日のカラオケリサイタルで歌われていた河島英五「時代おくれ」聴く。「上手なお酒を飲みながら 一年一度酔っ払う」という歌詞にシミジミ。


21:03

今日の点滴が終わり、管が抜ける。明日も1本だけ点滴があるので針は刺さったままだが、久しぶりにすべての管が外れた。身軽になったのでベッドを立ち、窓から外を眺めてみる。病院からは目白の街並みが見える。目白の街並みは背が低い建物ばかりなので池袋まで見渡せる。西口にあるスーパーホテルの看板が見える、マルイの看板が見える、それからあの高い建物はホテルメトロポリタンだろうか。ということは、あの明るいあたりによく行く酒場があるのかと、しばし眺める。


21:58

部屋は消灯したが、読書灯をつけて池波正太郎『むかしの味』読んだ。「たいめいけん」のポークカツレツと京都「松鮨」の鮨がうまそうだ。これからの人生、お腹いっぱいになるまでアレもコレも食べるわけにはいかなくなった。少ししか食べられないのなら、とびきりうまいものが食いたい。カツレツなんて当分お預けではあるが。


12月10日(火)

 朝6時に起きると、お腹がぐったりしている。昨晩は72時間ぶりの食事だったが、まだ胃がくたびれている感じがする。あれだけ噛んで食べたのに。不安だ。8時、朝食。お粥と海苔の佃煮、生揚げの煮物、牛乳。昨晩より慎重な気持ちで食べたけれど、半分くらい残してしまった。20分で食べきれるくらいが適量だろう。しかし、この調子だと年内はアルコールどころではないかもしれない。

 最後の点滴の落ち具合を確認して、10時半に迎えにきてくれるように知人に連絡する。看護婦さんに今後の生活についてもう少し訊ねて、大きな病院への紹介状を受け取ったところで知人がやってくる。退院記念に写真を撮っておいてもらった。雨が降っているのでタクシーを拾い、駅前で知人を下ろしてアパートまで戻る。昼はテープ起こしを多少進めたが、寒くて寒くて仕方がない。まだ貧血気味で指先まで血がまわってないのだろうか。この数日の絶食生活で3キロほど減ったせいで寒さが沁みるようになったのかもしれない。

 19時過ぎ、池袋へ。歩くと風景が動くというだけで何だか嬉しい(すぐ近くの病院に入院してたはずなのに、すごく遠くに離れていたような感覚がある)。西口にある「F」の前で友人のUさんと待ち合わせ。「F」は、昨晩病院から「あのあたりに……」と眺めていた店だ。当然まだ飲めないのだけれども――いや、もしかしたらもうずっとお酒は控えなければならないのかもしれないけれど、それでも酒場には行きたい。ただ、飲めなくなってから間が開いてしまうと出かけづらくなってしまうかもしれないので、なるべく早くに来ておきたかったのである。自分は酒を飲まないのに酒場に誘うという失礼な誘いを、Uさんは快く受けてくれた。

 カウンターに座る。賑わいが懐かしい。いつもなら「ホッピーセット」と言うところだけど、今日はメニューを確認する。そうだ、この店には「ミネラル」というメニューがあるのだと気づき、それを注文。水にもちゃんと値段がつくのだから、この店は今後も来られそうだ。それと一緒に湯豆腐も注文する。元気になったらまず湯豆腐を食べようと思っていたのだ。他にも納豆や韓国海苔など、大腸に良いツマミもいくつかある――それが確認できただけでも嬉しい。入院生活のことを話しながら(水を)飲んでいると、「今日退院したんだよね?」とUさんは笑っていた。Uさんは退院祝いにとスープのレシピ本をプレゼントしてくれた、これなら単調な食生活にならずに済みそうだ。

 誘っておきながらすごく失礼だけれども、僕は1時間ほどで店をあとにした(Uさんには申し訳ない)。山手線で新宿に出て、フラッグスビルで知人と合流する。2度も入院して、「あれを持ってきてほしい」「これをやっておいてほしい」と迷惑をかけたので、そのお詫びに何か欲しいものを買ってあげることにしたのだ(別に知人が「買ってくれ」と言い出したわけではないが)。フラッグスビルをぐるりと周り、そのあとルミネに移動して散々迷ったのち、閉店間際のジャーナルスタンダードでカーディガンを買った。その後、タワーレコード前野健太『ハッピーランチ』を購入する。


12月11日(水)

 7時半に起きる。早起きな習慣は続けたいところ。知人の胸に手を伸ばしてみると、いつもより強めに払われる。「やめてよ、31歳一般男性」。昨日から「31歳一般男性」という言葉を何度か繰り返されている。何のことかと問いただすと、「痩せてクマじゃなくなったから、もう一般男性だよ」と知人は言う。クマではなく人間だからセクハラにあたるとのこと。

 お腹がくたびれている感じがあったので、9時まで待って朝食。バナナを1本食べた。10時半、紹介状を持って百人町にある病院へ。今後の生活などはこちらの先生に見てもらって相談するように言われていたのである。受付に入ると、大病院だけあって広々としたロビーだ。そしてドラマの効果音でも流しているんじゃないかと思うほど「群衆」の音がする。雑踏の冬と言ってもいい。まずは初診の受付をしてもらっていると、「同姓同名で同じ生年月日の方が、平成14年に受診されているようなんですが」と受付の女性。一体誰が僕を騙って受診したのかと少し動揺したけれど、平成14年は2002年だから、僕はその年に上京していたのだ。たぶん酷い風邪でも引いたのだろう。しかし、2002年の東京にはたしかに自分がいたと思うのだが、平成14年の東京のことは自分は知らないんじゃないかと感じるから不思議だ。

 番号札をもらって、大腸肛門科の待合室へ。まあ当分かかるだろうと思って、パソコンを開いて作業をする。が、2時間も経つとやることがなくなってくる。診察室に入る頃には3時間が経過していた。大きな病院は大変だ。診察室に入り、しばらくして入ってきたドクターは前の病院からのカルテを読んで、少し僕と会話をし、大腸に関してはCTしか撮っていないことを知ると「とりあえず、なるべく早く内視鏡をやってみないと」と言った。それで、一番の目的である質問を訊ねてみる。それは「どういう食生活を送ればいいのか」。ああそうか、それは難しいんだよね、とドクターは言った。難しいというのはこういうことだ。キチンと排泄ができなければ腸内環境が悪化し、再び炎症を起こしてしまう。便秘を防ぐために必要なものの一つは食物繊維である。しかし、今の僕の腸に食物繊維がたくさんやってくると負荷がかかり、これもまた炎症を起こしてしまうのである。

 詳しいことは栄養士さんと相談することになり、診察室を出た。またしばらく待合室で待って、看護婦さんと内視鏡検査と栄養指導の日程を相談する。この看護婦さんの対応があまりにも事務的でムッとしそうになるが、大病院で多くの患者をさばくためにはそうせざるを得ないのだろう。仕方のないことだ。セクショナリズムと言ってしまうとその弊害ばかりが取りざたされるが、セクションに分化されているからこそ専門性が生まれるわけだ。実際、最後に血液検査をしてもらったのだが、採血を担当する人はずっと採血をし続けている人で、針を刺されるときにまったく痛みを感じなくて驚いた。驚いたことはもう一つあって、それはお会計だ。少し話をして採血をしてもらっただけで結構な値段で驚いた、これまで医療費云々というニュースはまったく他人事と思って聞き流していたが、それは問題になるわけだ。

 夕方、銀座へ。「ユニクロ」でパッとジーンズを試着し裾直しをお願いしたのち、「S!」誌の収録現場である「維新號」へ急ぐ。到着が3分前になってしまい、到着してみると既に全員揃っていた。申し訳ない。席につくと、「殴られた直後の海老蔵みたいだね」と福田さん(アパートに帰って、ホクホクした気持ちで「殴られた直後の海老蔵に似てるって言われた!」と知人に伝えると、「それ、喜ぶところじゃないでしょ」と淡々と言われた)。17時、収録スタート。最初に運ばれてきた料理は前菜の盛り合わせだ。まったく手をつけずに過ごすのも「病み上がりなんで」と自己主張しているみたいになってしまうし、実際お腹は空くので、どれを取るか、じっくり考える。結果として蒸し鶏ときゅうりの漬け物を取り分けたのだが、きゅうりをひと口齧った瞬間に後悔する。それはピリ辛きゅうりだった。ドクターから「刺激物は避けるように」と注意されていたので、「さっきのきゅうりは大丈夫だろうか」と、ずっとソワソワしていた。

 2時間半ほどで収録終了。僕はすぐに帰るつもりだったけれど、坪内さんに誘われてもう1軒ご一緒させてもらうことにした。その店は銀座の路地――本当に「これぞ路地」という感じの筋にある店で、そこは年内でお店をたたんでしまうらしかった。お酒が飲めないのにご一緒するのは憚られたけれど、坪内さんが「お酒が飲めなくても、この空間を見ておくことは重要だよ」と誘ってくださったのである。しかも、お店に入るなり「この人は病気をしちゃって、申し訳ないけどソフトドリンクをお願いできますか」とお願いまでしてくれた。僕以外の皆は台湾のウィスキーをロックで、僕は生絞りグレープフルーツジュースをいただく。

「はっちゃんは元々そんなに飲むほうじゃなかったのに――オレのせいだね」と坪内さんは言った。そう言われて気がついたけれど、たしかに僕は坪内さんの授業に出るまで、お酒を楽しむという性格ではなかった。僕は2005年に坪内さんと、その前年の2004年に向井秀徳さんと出会った頃からお酒を楽しむようになった。その二つの出会いがなければ、今みたいな生活はできていなかっただろう。坪内さんは「(オレみたいに)バイパス手術をすれば、飲めるようになりますよ」と励ましてもくれた。ところで、大腸を悪くする原因として多いのが食生活とストレスだ。僕はまったくストレスのない生活を送っているので、原因は食生活ということになる。ただ、ここ最近は健康的な食生活を送ってたはずなんですけど――そう口にすると、「あれだな、やっぱりマルちゃん生麺ばっか食べてるからだな」と坪内さんは言った。生麺みたいな食感だからすっかり忘れていたけれど、そういえばあれはインスタント食品だった。でも、そう言われてみると、僕の中には「インスタントはからだに悪い」という意識はほとんど存在しないということが確認できる。

 20時頃に店を出て、「ユニクロ」でジーンズを2本受け取って高田馬場まで戻る。知人と合流し、「米とサーカス」で野菜ジュースとを食べてアパートに帰った。この店も、アルコール抜きでも来ることができそうでホッとした。


12月12日(木)

 朝7時に起きる。午前中は昨晩のテープ起こしをしていた。窓の外には目の覚めるような青空が広がっている。ふとツイッターを見ると、横浜の象の鼻テラスでままごとの「象はすべてを忘れない」というパフォーマンスをやっているという話が流れてくる。象の鼻テラスで何かやっているらしいという話は知っていたけれど、実際に何が起きているのかいまいちよくわからないので、天気もいいことだし、パソコンだけ抱えてちょっと横浜まで出かけてみることにした。『S!』誌の構成は今日が締め切りだが、往復の車内で仕事をしていればいいのだ。

 象の鼻テラスに着いてみると、表で何かパフォーマンスをやっている。港のデッキのところに様々な小道具――「スイッチ」が置かれていて、それを手にしたりするとスイッチが入り、その場(路上)でパフォーマンスが繰り広げられる。他にも紙芝居があったり、ちょっとしたツアー(予約制)があったり、ラジオドラマの収録がカフェテラスで行われたり、フラッシュモブのようなパフォーマンスが繰り広げられたりするのだが、まずロケーションが抜群に良い。象の鼻テラスも天井が高くて気持ちがいいし、大きなガラスの向こうには海が広がっていて客船が停泊している。そのテラスと海とのあいだでパフォーマンスが繰り広げられたりするので、贅沢な気持ちになる。テラスにはプルさんがいたのでご挨拶。僕が最初に入院したのはプルさんと飲んだ翌日だったので、余計な心配をかけてしまって少し申し訳ない気持ち。

 そのプルさんの手になる対談がある。「演劇とすれ違う――ままごとの過去・現在・未来」だ(http://magcul.net/focus/shiba_fujiwara/)。とても興味深く読んだし、この「象はすべてを忘れない」はまさに人びとが演劇とすれ違うように設計されたパフォーマンスだろう。この対談でも述べられているように、フェスティバル・トーキョーでもフラッシュモブがいくつか企画されていたし(僕は入院していて観に行けなかったので詳細はわからないが)、演劇が街に出て行き、普段は劇場に足を運ばないような人たちにも演劇とすれ違ってもらう試みはいくつかなされている。その試みはとても面白いことだと思う。ただ、実際に通りすがりの人たちが演劇とすれ違っているのかとなると、少し疑問は残る。それはこの日が平日だったからそう思うのかもしれないし、僕がどうしても、一番その空間にノレていない人のことを気にしてしまうせいでそう思ってしまうのかもしれないけれど……。それからもう一つ、それがはたして“現劇と”すれ違うことになっているのかどうか(そんなことを書くと「じゃあ演劇とは何なのか」と問われてしまうだろうけれど)。もちろん、多くの出会いは生まれているのだろうし、そんなことは僕が指摘するまでもなく考え抜いた上でパフォーマンスは行われているのだろうし、何より、その場所に根を張って活動している人たちに安直なことを言うのもどうかとは思うけれど、どうしてもそういうことが気になってしまう。外部に拡張していく、開いていくということは、言葉としては通りがいいが、じゃあそれが何に繋がっていくのか、どうしても冷ややかな気持ちになってしまう自分もいる。

 16時15分に象の鼻テラスをあとにして、中華街で肉まんを食べる。まだ肉は食べないほうがいいのだけど、検査のため今晩から下剤を飲むので平気だろうと思い、買い食い。元町・中華街から電車に乗ると、始発駅なのでいくらでも座れて便利だ。しかも乗り換えなしで高田馬場(正確には西早稲田)まで戻れるから、ずっと仕事をしていられる。18時過ぎ、アパートに戻って『S!』誌の構成を送信する。今日は一発でオーケーをもらえた、良かった。21時過ぎに下剤(錠剤)を飲んで、早めに布団にもぐり込んだ。

12月13日(金)

 8時半に起きて、下剤を飲み始める。ムーベンという名前の下剤で、これを2リットルの水で割って飲む。袋に「レモン風味」とあったので楽観的に考えていたけれど、これが何ともマズい。最初はゆっくりと、15分で180ミリリットルのペースでと注意書きがあり、そんなにゆっくり飲めるだろうかと心配していたけれど、マズくてマズくてとてもそんなペースでは喉を通っていかない。口あたりも喉越しも悪いのに、後味としてレモンのフレーバーが漂うのが余計に腹立たしく思えてくる。気分を変えようと、録画してあった「食彩の王国」(テレ朝)観る。百合根の回。百合根のガレットとフォアグラのソテーが何とも美味しそうだと思ったが、僕は百合根も、ガレットも、それにフォアグラも、一体どんな味がするのか、さっぱりわからない。

 「10時半までに飲み終えるように」と言われていたけれど、11時半になってようやく飲み終える。大腸の中がからっぽになったところでアパートを出て、タクシーで病院へと向かった。14時半に病院に到着し、1時間ほど待って、いよいよ大腸内視鏡検査。検査室に入ると内視鏡がぶらさがっていて、その映像がモニターに映し出されている。当然のことではあるけれど「ずいぶん広角のレンズなんだな」と感心しつつ、ベッドに横たわる。入れられる瞬間は「これはムリだ」と思ったが、少し痛みを我慢しているとスッと入っていく。ときどき「いたたたた」と少し声が出てしまうが(胃カメラのときにも感じたことだけれど、押されている感覚がある)、胃に比べるとずいぶん楽なものだ。

 検査が始まってほどなくして、一昨日観てくれたドクターも検査室にきて映像を見てくれる。内視鏡を操っている人とドクターは何とも言えない顔をしている。救急病院のドクターはCTの画像をもとに「大腸に憩室がぼこぼこある」と診断していたのだけれども、憩室どころか出血したあともまったく見られず、「教科書に載せられるくらいきれいな大腸」だというのだ。ドクターも「いいんだか悪いんだか、わからないね」と漏らす。胃と十二指腸は健康そのもので、大腸も健康そのものだとなると、一体どこからあんなに出血していたのか?――残っているのは小腸だけなのだが、小腸は検査も大変らしい(口からも肛門からも遠いので)。もちろん後日その検査を受けることもできるけれど、現状としては「また症状があれば来てくださいとしか言えない」らしい。念のため、「それでもしばらくお酒は控えたほうがいいですか」と確認してみると、「現状、何かを制限しなきゃダメだということはまったく言えない」とのことだった。

 あの出血は一体何だったんだろう?――ふわふわした心地で新大久保駅まで歩く。とりあえず、お酒が飲めない人生を、肉を食べられない人生を歩む必要はなくなったので、少しホッとした気持ちではある。嬉しくなって缶ビールを買って帰り、知人と乾杯してグラス1杯だけビールを飲んだ。ギャップが全品50パーセントオフのセールをやっているというので、知人と一緒に出かけた。が、人が多過ぎるので少し眺めただけで別のフロアに移動し、知人にプレゼントを買った日にも立ち寄っていた「SHIPS」でアウターを1着買った。先日シャツは買い換えていたけれど、アウターだけがブカブカだったのだ。僕が選んだアウターを見た知人は、「こないだ来たときから、もふはそれ買うだろうなと思ってたよ」と言った。


12月14日(土)

 7時に起きて、バタバタと羽田空港へ。今日から小倉に出かけて、マームとジプシー「モモノパノラマ」を観るのだ。今から半月前、神奈川公演の楽日を観に行くはずが入院して観に行けず、今から1週間前には彼らの公演を観るべく訪れた新潟で倒れてしまい、公演を観れないまま滞在時間1時間で東京にとんぼ返りして即入院となってしまっていた。飛行機の中で「また体調を崩しやしないか」と身を固くしていたが、12時過ぎ、無事小倉駅前に到着する。良かった、無事小倉に来ることができた。

 まずは小倉に来るたび足を運んでいる、鳥町食堂街「だるま堂」へ。お店のお母さんは今日も元気に焼きうどんを作っていた。よかった。この日は天まどというメニューを頼んだ、具がうどんだけ入っている広島風お好み焼きのようなメニューだ。510円(焼きうどんは460円)。お腹を満たしたところで近くのドトールに入り、構成の仕事を進める。15時にホテルにチェックインしてからも構成の仕事をしていた。半分くらいのところまできた。

 17時半、北九州芸術劇場へ。約1年振りだ。申し訳ないような、照れくさいような気持ちで受付に行くと、「めっちゃ痩せてますけど、大丈夫ですか橋本さん」と制作のはやしさんが声をかけてくれる。ロビーには藤田さんも立っていた。18時過ぎ、「モモノパノラマ」開演。もう観られないんじゃないかと思っていただけに、観ることができて本当に嬉しい。詳しい感想は別で書く。終演後、楽屋で初日乾杯。役者の皆も「橋本さん、もう大丈夫なんですか」と声をかけてくれる。本当に、余計な心配をかけて申し訳ない。「もう大丈夫なはずです」と病状を説明する。乾杯をしたビールは、「風味爽快ニシテ」という新潟限定のサッポロビールで、とてもうまい。今日はまだお酒は控えめにするつもりでいたけれど、あんまりうまいのでグイグイ飲んでしまった。

 21時過ぎ、予約してあった打ち上げの店に移動する。おそるおそる黒霧島の水割りを飲む。なかなか料理が運ばれてこなかったのだが、2階の座敷席から1階のトイレに立ってみると、はやしさんがお店の人と戦っている声が聴こえてくる。2階席に入れられる店員を超えているし、このあと7名で予約が入っているから、そんなに頼まれてもそちらの料理が出せないから困る、とお店の人が言っている。大変だなあと思っていたが、それはキャンセルになったのか、もともとブラフだったのか、7名のお客さんがやってくることはついになかった。

 0時過ぎに店を出た。2次会の場として目指すのは海だ。去年、この街で「LAND→SCAPE」という作品(僕の大好きな作品)を観たときも、お店で飲んだあとに数人(たしかその日は僕を含めて3人)で海を見に出かけたのをよく覚えている。藤田さんは、郁子さんが誕生日プレゼントのお返しにくれたという日本酒を鞄に忍ばせていて、それを皆でチビチビ飲みながら紫川沿いを“まっすぐ”歩いていくと海が見えてくる。向こうでは新日鉄の工場が煙を上げている。少しのあいだ皆でそこに佇み、海を眺めていた。能登出身の波佐谷さんは「懐かしい」と言った。地元にも海にもこうしてイカ釣り漁船が並んでいて、明け方に帰ってきた漁師さんに刺身を食べさせてもらったりしていたのだという。

 あんまり寒いので5分ほどで海を離れ、駅を越え、飲み会終わりの人たちがたむろする魚町銀天街を歩き、ひと気のない旦過市場を抜けていく。またこの街に来れてよかったなと、しみじみ呟く。「橋本さんからメールが来たときは、これは大変なんじゃないかと皆と話してたんですよ」とはやしさんは言う。新潟で倒れたとき、はやしさんにだけはメールをしていたのだ(予約をして、新潟に向かっている途中の写真をツイッターに載せておきながら会場に現われないとなると余計に心配をかけるんじゃないかと思ったのだ)。「きっと橋本さんのことだから、私たちに余計な心配をかけさせないように最大限柔らかく書いてくれてるけど、それでも大変さが伝わってきた」と。

 3次会の場所――「万龍」という店にたどり着く頃には1時をまわっていた。「ラーメン屋に行こう」と言っている藤田さん自身ももう満腹ではあるのだが、この先、とうぶん食べられないという気持ちでこの店にやってきたらしかった。店の前には、こんな時間だというのに行列ができてもいた。そんなにうまいのかと期待が高まる。30分近く待って中に入り、勧められるままにとんこつラーメンとおにぎりを注文する。皆で2皿ほど唐揚げも注文した。運ばれてきたとんこつラーメンは、匂いは強烈だが、食べてみるとさっぱりしていてうまい。酒を飲んだあとにピッタリの味だ。ラーメン屋まで残っていたのは僕を含めて7人で、そのうち3人は役者だ。マームの男子の付き合いの良さに感服しつつ、ラーメンを啜った。


12月15日(日)

 8時に起きる。体重をはかってみると、昨日の朝より2キロも増えている。あれだけ食べたのだから当然か……。というわけで、清掃のため部屋をあけているあいだ、駅ビルに入っているスポーツジムに出かけた。僕が普段通っているのと同じ系列のジムなので、1日500円で利用できる。ジョギングをするのは半月振りでさすがに体が思うように動かず、何とか5キロだけ走った。

 ホテルに戻り、構成の仕事を進める。13時半、今日もまた北九州芸術劇場へ。14時過ぎ、マームとジプシー「モモノパノラマ」開演。神奈川、新潟、北九州で上演されてきたこの作品もこれが最後の公演で、しみじみと観た。終演後はホテルに戻り、構成の仕事を完成させてメールで送信。ウェブに掲載される仕事は、文字数の制限がゆるやかなぶん、その塩梅が難しい。

 時計を見ると19時だ。打ち上げまで少し時間があるので、ひとりで屋台のおでん屋に出かけてみる。教えてもらっていた店にはたどり着けなかったけれど、別のおでん屋にはたどり着けた。ラーメン屋とおでん屋が一つの屋台になっている。興味深いのは、お酒の扱いがないことと、ラーメンの替え玉がないこと。屋台の端にアコースティック・ギターが無造作に置かれている。僕は大根、厚揚げ、巾着、シュウマイ、ロールキャベツ、牛すじを食べた。どれでも1本130円。おでんが炊かれている大きな窯が目の前にあり、なかなか良い風景だ。

 20時に打ち上げ会場の「なべげん」という店に行ってみると、もう打ち上げは始まっていた。僕が座ったテーブルでは韓流や宝塚の魅力が語られていて、「橋本さん、こんなテーブルで大丈夫ですか……?」と心配されてしまったけれど、自分の知らない世界の話なので興味深い。最初はビールを、途中から黒霧島をボトルで注文して飲んでいた。劇場のスタッフさんも全員来ていたので、なかなか盛大な打ち上げだった。昨日はおそるおそる飲んでいた僕も、今日は全力で酒を飲んだ。地鶏鍋が本当にうまかった。一体何をどうすればあんなにうまいスープになるのだろう?

 前回来たときに食べたおぼえがないのだが、小倉の居酒屋に入ると、大抵の店で山芋鉄板というメニューがある。その名前を聞くと、山芋の千切りを鉄板で炒めたようなメニューを想像するが、だし巻き玉子のようにほわっほわの料理だ。うまい。2時間が過ぎたあたりで一度会計をしめたが、まだ飲んでいても平気らしかったので、財布を持ってレジに行き、ボトルを1本追加してもらった。3千円くらいするかと思っていたが2千円と格安だ。

 たっぷり飲んだあと、半分ぐらいのメンバーで近くにある「白頭山」に流れて、さらに酒を飲んだ。何を話したのかはほとんど覚えていないが、カツカレーが出てきたことは覚えている。久しぶりに盛大に飲んで愉快な気分だ。1時過ぎに会計をしてもらって店を出る。マームの皆が泊まっているホテルはボイラーか何かが壊れてしまったらしく、無料で近くのスパを利用できるようにしてくれているそうだが、そのスパは24時までしか入場できないので(営業は3時まで)、マームの女子たちは1次会で帰っていた。

 誰かが「女子たちがもうすぐここ通るって」というので、皆で「白頭山」の前で待つ。5分ほど待っただろうか、向こうから歩いてくるのが見えた。が、女子たちはめんどくさい空気を察知したのか、横断歩道をわたり、道路の反対側を歩いて行った。今日で最後ということもあり、妙に寂しい気持ちになる。なんだよ、今日で最後なのに――マジでクソだなとつぶやくと、それを近くで聞いていた藤田さんが通りの向こうにいる女子たちに向かってその言葉を大声で伝えてくれる。「しまった」と思った瞬間に体がふらつき、植え込みに倒れ込んでしまった。空が見えた。

 そんなことを口にしてしまったことを、翌朝までずっと悔やんでいた。

            *
 
 あんまりそのことに触れると、反省する素振りをアピールしているようで鬱陶しいとは思うのだけれども、その申し訳なさもあるし、そうでなくても何度か見せてもらったあの舞台のことは何か記しておかなければと思っていたので、北九州で2度観た際のメモをもとに、『モモノパノラマ』の感想を書いておく。

 

12月1日から7日

12月1日(日)

 朝6時、部屋のライトが点いて目が覚める。誕生月を病院で迎えてしまった。朝から看護婦さんは忙しそうだ。まずは検温があり、昨日のお通じを確認し、8時頃に朝食の配膳。僕は食事なし。別の病室の高齢の患者さんが「糞が漏れそうだよ、クソが」と看護婦さんを呼ぶ声が聴こえてくる。うまいこと言うなあ。

 9時、看護婦さんから「明日、胃カメラで検査することになると思う」と告げられる。インターネットで得た生半可な知識によると、下血が鮮血であった場合は腸から、黒かった場合は胃からの出血である可能性が高いと思っていたので、胃カメラと聞いて驚く。オソロシイ。不安になって知人にメールすると、「よかったじゃん、日記のネタが増えて」と返ってきた。そんなネタは要らない。

 入院しているとはいえ、昨日の点滴で下血は止まっているし、痛いことも苦しいこともないので中々退屈だ。点滴のガラガラを引きずりつつ病室を出てみると身長計があった。看護婦さんに訊ねると「自由に使っていい」というので、計測してみる。僕は身長を訊ねられるといつも「172か3です」と答えていたが(高校3年を最後に健康診断を受けていなかったので、正確な数字がわからなかった)、計ってみると175.5cmだ。これも知人にメールで報告すると、「マル(関ジャニ∞丸山隆平)と同じだ!」となぜか嬉しそうにしている。

 そうこうしていると、10時過ぎ、ドクターがやってくる。「これから胃カメラやっちゃいましょう」というドクターの言葉に目の前が暗くなる。浮かれている場合ではなかった。11時20分、再びドクターやってきて「じゃあ行きましょう」と告げられる。まずは処置室に移動。「じゃあまずは麻酔をしますね」というドクターの手元を見ると大きな注射器がある。おいおい、あんなでかい注射打つのかよ。しかも喉の麻酔ということは、あれを喉に刺すのか――と心配していたが、それは喉に流し込むタイプの麻酔だった。「飲み込まないよう、3分間、喉に留めておいてください」。これが中々大変だ。別段おいしそうな味ではないけれど、入院してから何も飲んでいないので、つい飲み込みそうになってしまう。何とか3分間耐えると、同じ麻酔をもう1セット。

 マウスピースをはめて別の麻酔(?)薬を投入すると、いよいよ胃カメラが入ってくる。喉元が一番キツいかと思っていたが、そこは「これを飲み込まなければ」と気を張っていたせいか、まあ想像の範囲内だ。それよりも、喉元を過ぎてからが案外苦しい。何かがぐぐぐぐぐと入ってきて、何かが押し込まれている感じ(いや、「感じ」ではなく、実際に押し込まれているのだが)。何度かえづく。ドクターのひとりは、僕の気を落ち着かせるためにも「はい、カメラ見えますか」と声をかけてくれたが、僕は自分の胃の中を見たいと思えなかったので、力なく頷くだけ。僕の胃の中はきれいなもので、出血のあとは見られないということだった。一体何だったんだろうとキョトンとしていると、「じゃあ、このあとお粥食べて退院で」とドクターに告げられる。えっ、マジか。退院が早いほうが嬉しいけれど、一体原因は何だったのだろう?

 病室に戻り、12時過ぎ、全粥とスープ、それにたらの煮物をいただく。24時間振りの食事だ。食べながら、看護婦さんに今後の食生活について相談してみる。「うーん、特に異常があったわけじゃないという診断なので、これという制限はないみたいです。これからの季節、お酒を飲む機会が増えるとは思いますけど、ほどほどにするよう気をつけてくださいね」。漠然とした注意だけ受けて、13時過ぎ、迎えにきてくれた知人と一緒に退院した。

 制限はないとはいえ、原因がわからないので不安は残る。夕食はお粥とよく煮込んだコンソメスープ(ニンジン、たまねぎ、じゃがいも入り)にした。ただ、そのあとにとんがりコーン(あっさり塩味)も食べた。病院のベッドに横たわっているあいだ、「とんがりコーンを食べながらゴロゴロできたら最高なのにな」と思っていたのである。半分だけ食べるつもりが、食べ始めるととまらなくって一箱食べた。


12月2日(月)

 10時頃起きる。12時、昼食。レトルトの玉子がゆと、昨晩のスープの残り。一日絶食しただけで胃が小さくなってしまったのか、これだけでお腹がいっぱいだ。昼過ぎ、池袋まで歩いて出かける。今日は子供距人「HELLO HELL!!!」を観る。少し早く着いてしまったので、新しい保険証を交付してもらうべく豊島区役所まで足を延ばした。これが失敗だった。順番待ちや諸々の手続きに相当時間がかかり、交付してもらった頃には開演から30分近く経過していた。「観に行きます」と言っておいたのに、申し訳ない。

 帰りにユニクロに寄った。これまでずっとXLの服を着ていたのだが、気づかないうちにぶかぶかになっていたのでLサイズのシャツを2枚ほど購入する。1枚1980円のシャツを「高い」と思ってしまう僕は歪んでいるのだろうな。Lサイズのカーディガンも1枚買った。これは秋に買ったXLのカーディガンと同じ色の物を買った。シャツも同じ柄のが欲しかったのだけれども、売り場を探しても見当たらない。ぐるぐるまわっていると、それは見切り品のワゴンに入れられていた。哀しくなって「僕が買うべきだ」なんて考えたりもしたけれど、そこにはもうXLサイズしか並んでいなかった。

 17時過ぎ、『N、C』誌の編集長から心配のメールが届く。原稿の締め切りを延ばしてくれた、ありがたい。そろそろその原稿を書き始めなければと思っていると、その原稿で書く対象にあたる方からメールが届いた。先日偶然出くわした際、「もう少しお話を伺いたいんです」と(常識からするととても失礼で不躾な)お願いをしていたのだけれども、「今日か明日なら空いてるんですけど、いかがですか」とある。誕生日にその方と会えるのも贅沢だけれど、明日は知人と約束があるので今日にしてもらった。20時半、新宿御苑前サンマルクカフェで待ち合わせ、1時間ほど追加取材をした。向こうは紅茶を、僕はホットのレモネードを飲んだ。

 帰り道、自転車を漕いでいるとケータイが震えているのに気づく。見ると坪内さんから留守電が入っている。ひょっとして自転車で走っているところを見かけて電話をかけてくださったのだろうか。とりあえず留守電を聞いてみると、「もふの(この日記)、読みましたよ。さすがだねえ」とだけ入っている(この日の段階では11月30日まで書いてあった)。急いで掛け直してみると、「はっちゃん、病院じゃないの?」と坪内さん。はい、入院してたんですけど、1日で退院になったんですと説明する。「日記を読む限り、あんまり深刻な感じじゃなかったもんね」。はい、たぶん大丈夫です。「近々またスパの収録があるから、また会いましょう」。

 22時、アパートに戻ってみると、知人がゴロンとくつろいでいる。もしやと思って「はー、楽しみだなー。あと2時間経ったらどんなお祝いしてくれるのかな」と口にすると、知人は困った顔をしている。特に準備はしていなかったらしい(良い年して、誕生日の準備を期待しているのもアレかもしれないが。友人からは「橋本さんはイベント重視ですよね」と言われた)。「最近ダイエットしてるし、『お粥だけでお腹いっぱい』とかアピールしてくるから、深夜に食べ物とか出したら『ふざけんなよ』って怒られるかと思ったんだもん」。たしかに。知人は結局、成城石井で海老と卵の炒め物(好物)、パルミジャーノ(好物)、サッポロポテト(大好物)、それにプリン・ア・ラ・モードを買ってきてくれた。それらをテーブルに並べたところで、知人は「117」に電話をかけ、電話をスピーカー・モードに切り替えカウントダウンを始めた。

 だが、「午後11時59分50秒です」という肝心の音声が流れたとき、知人はテレビに夢中になっていた。僕は「今、59分50秒って言ったような……」と思っていると次の時報がなり、12月3日になった。「しれっと誕生日になっちゃったじゃねえか、バカがよ」と言うと、知人は「バカがよ」とモノマネをする。僕は口が悪いのですぐ語尾にその言葉をつけてしまうのだけれども、知人は今では楽しそうにモノマネしている。「誕生日になった第一声が『バカがよ』だったけど」と知人は言った。そうして僕は31歳になった。


12月3日(火)

 朝8時に起きる。よく晴れた朝だ。曽我部さんの『東京コンサート』を久しぶりに聴きながらジムに出かける支度をしていると、「もふって本当にフリーターだよね」と言われ激昂する。別に誰かに「橋本君ってほとんどフリーターだよね」と言われても笑って流すことができるけど、知人にだけはそんなふうに言われたくない。そう思っていて欲しくはない。しかも、誕生日の朝にそんなことを――と、反射的に引っ叩いてしまったのである。そして「お前が携わってる表現者全員に『××さんってフリーターっすよね』と言ってこい」と怒鳴ってしまった。31歳になったというのに、まだまだ幼稚だ。

10時、ジムに出かけてジョギング――はまだ不安が残るので、1時間半ほどウォーキング。歩いているあいだは『時計じかけのオレンジ』を観た。定休日明けのジムはおじさんとおばさんで一杯だ。皆大声で世間話しながら歩いている。それにはもう慣れつつあるけれど、困るのは覗き込んでくる人。おじさんよりおばさんのほうが多い気がするけれど、時速何キロでどのぐらい走っているのかを覗き込んできたりする。その上、映画なんて観ていればなおさらだ。『時計じかけのオレンジ』、冒頭から女性の裸が出てきたりするので、「いかがわしい動画を観てる男がいる!」とインストラクターに通告されないかヒヤヒヤした。

 12時、昼食。玉子がゆを食べた。午後は上野について原稿を書く。書いているうちにディティールが甘いことに気づき、出かけてみることにする。取材の前に、せっかく平日の昼間に上野へ出かけるのだからと上野公園に行ってみた。風景の抜けが良くてハッとする。性根が田舎者だということなのかもしれないけれど、こういう広い景色を眺めるのは楽しい。それから、久しぶりにパンダでも観るかと上野動物園にも入ってみた。ベビーカーを押す母親やカップルの姿も見かけるが、目立つのは修学旅行生だ。パンダに純粋に興奮する彼らの姿に心が洗われる。僕はどうしても「何でこのパンダたちは客のほうに向いて笹を食べるのか」なんて考えてしまう。この日は日が暮れるまで上野にいた。

 一旦アパートに戻って荷物を置き、新宿に出かける。新宿3丁目「鼎」の階段を降りると、知人は先に到着していた。誕生日に何を飲み食いしたいかと考えると、日本酒を飲みながら刺身やちょっとした料理を食べたいと思ったのだ。日本酒で真っ先に思い浮かぶのは墨廻江だ。東京、それも近場で墨廻江が飲める店として出てきたのが、この「鼎」という店。店内にBGMはなく、落ち着いた雰囲気。メニューをみると、なるほど、それなりの値段だ。まず最初のページに「晩秋のおすすめ」というのが載っている。虎ふぐの湯引き(1890円)、真鯛の昆布〆(1260円)、北寄貝の刺身又は塩タタキ(1470円)……見ているだけで楽しくなってくる。普段ならこの値段のメニューなんて敬遠するところだが、今日は誕生日なので値段は一切気にしないことにする。真鯛の昆布〆はもう終わっていたので、聖護院蕪の蟹あんかけ、あら大根、それにポテトサラダを注文した。ポテトサラダは魚肉ソーセージが入っていて食べ応えがある。

 瓶ビールを1本飲んだあと、先に熱燗が飲みたい気分だったので菊正宗を注文する。うまい。あら大根にもかぶらにもよく合う。それを飲み干したところで刺身盛り合わせ(3種)と、いよいよ墨廻江を頼んだ。久しぶりに飲んだ墨廻江は本当に美味しかった。ようやく自分の好きなお酒の味が絞られてきたような気がする。そのあと虎ふぐの湯引きと天狗舞も注文してお会計をしてもらった。知人が「出す」と言ってくれたけれど、この日はプレゼントももらっていたし、それなりの値段になってしまっていたので僕も少し出した。

 2軒目は新宿3丁目「マルゴ」にした。いつもは一番安いメニューを頼むのだけれども、ここでも珍しく値段を考えずに美味しそうなチーズを頼んだりした。何枚か写真は残っているけれど、この日、知人と何の話をしたのかほとんど覚えていない。知人に聞いても「覚えてない」という。目の前のおいしいものにお互い夢中になっていたのか。でも、何を話したか覚えてないけど「楽しかった」という感覚だけははっきり残っている。


12月4日(水)


 朝8時に起きる。昨晩は久しぶりに量を気にせず飲んだので酒が残っている。9時、朝食。ヨーグルトとひじきの煮物。腸の具合を整え、鉄分を取り戻すためのメニューだ。12時、昼食。玉子がゆとコンソメスープを食べた。19時半にアパートを出て、運動も兼ねて東中野まで歩き、中央線で吉祥寺に出かける。「Art Center Ongoing」では毛利悠子「ソバージュ 都市の中の野生」展が開催中だ。元々観に行く予定だったのが体調を崩して先延ばしになっているうちに会期末が近づいてきていたのだが、毛利さんがfacebookにアップしていたテキストがとても印象に残っているので、都合をつけて吉祥寺まで出かけることにしたのだ。そのテキストを、自分のために全文引用しておく。

 展覧会タイトルの「ソバージュ」とは、「野生」を意味するフランス語です。この展覧会では、自然が持つ二つの側面と、それに対峙しようとする人間の営みを、二つの作品を通して「野生」として捉えなおすことで、自然と人間との新しいあり方を探る きっかけを提案したいと考えます。
 
 時に自然は、都市や人工物を食いやぶる荒々しい力を見せることがあります。台風や地震などはそのわかりやすい姿ですが、より身近なところでは、地下鉄構内でよく見かける「水漏れ現象」もその一つと言えます。地殻変動によって東京の地下水位が変動することで現れるこの「自然の力」に対して、駅員はビニールシートやバケツ、ホース、ペットボトルなどの日用品を即興的に 組み合わせることで対処しています。彼らのブリコラージュ(器用仕事)からは、自然という脅威を分析して取り除く「科学的な思考」とは違う、直截的で、どことなくユーモラスな「野生の対処法」を見て取れるのではないでしょうか。 これら漏水への即興的な対処現場を発見・写真採集しつづけたフィールドワーク・シリーズ《モレモレ東京》では、「用の美」としての芸術的発想の原点すら見え隠れする、野生の思考の典型的なパターンを提案します。あるいは、時に自然は、行きすぎた人間の営みをやさしく包み込み、そのとがった部分を時の経過とともに丸くすることがあります。ヨーロッパでは、近代化によって人工的にゆがめられた河川などを自然に近い形に戻すことで、自然が本来持っていた 浄化・修復能力を取り戻させる「ビオトープ」という試みがあります。人工物がこうして自然と新しい関係を紡ぐこともまた、野生の考え方の一つと言えるでしょう。 もう一つの展示作品《I/O》は、「ホワイトキューブ」という人工的な空間に潜む自然現象(観客の動きや空調の風、湿度や 重力のような)を入念に拾い上げ、電気信号のランダムな入力/出力へと変換することでオブジェの動力源とし、二度とない一 回性の環境を生み出すインスタレーションです。
 機械じかけのオブジェが、自然の条件を受け入れることでオーガニックな環境へと華やかに変貌する、そんな瞬間がこの展示には訪れます。 自然が持つ「荒々しさ」や「やさしさ」を目の当たりにし、どのように関係を築くかを模索するとき、わたしたちの野生が顕わになります。この展覧会を通して、野生とは、人の中に存在する自然であることを、観る方々に投げかけたいと思います。

 1階には「モレモレ東京」のフィールドワークの成果が展示されていたけれど、テーブルで食事をしているお客さんがいたので先に2階に上がる。そこには「I/O」がいた。その作品とは仙台でも対面していて、機械じかけのインスタレーションなのに「懐かしい」と感じてしまったのが不思議だ。それは、この「I/O」という作品が、上のテキストにもあるように自然現象を拾い上げて動力源とする、生き物のような作品だというのも大きいのだろう。

 展示を観たあとは高円寺へと向かった。21時過ぎ、マクドナルドの前で知人と待ち合わせて「コクテイル」へ。ここ数年、誕生日の夜は何となくこの店で過ごしていたけれど、今年は定休日だったので、せめて誕生日の翌日はこの店で飲もうと思ったのである。まずはビール(ハートランド)を注文して乾杯。はあ、ビールがうまいねとつぶやくと、「そんなふうに言うの、珍しいね」と知人は言った。たしかにそうかもしれない。

 塩煮込みと木須肉をツマミに話したのは、さっき観てきた毛利悠子さんの展示のことだった。僕は「I/O」のようなインスタレーションと「モレモレ東京」のようなフィールドワークは別個に存在しているものだと思っていたけれど、さきほどのテキストを読んでも、それに今日の展示を観ていても、そこに共通するものがたしかにあることに今さらながら気づいた。

 展示を観ていて思い出したのはテレビのことだ。

 僕はテレビが大好きで、下手したら一日中テレビをつけっぱなしで過ごしている。録画したドラマやバラエティを2度、3度観ることも多々ある。うちの母親もそうだ。実家に帰ると、もう仕事を退職した母が、朝から晩までテレビの前で過ごしていたりする。他人事としてその姿を見ていると「なんだかなあ」と思うこともある。テレビを観るという行為はとても受動的だ。でも――これは日記だし、これを今病院のベッドの上で書いているのでざっくりまとめてしまえば、そうした姿をも愛おしいと感じるように僕の感覚を転換させてくれる何かが、その展示にはあった。

 テレビのことはずっとモヤモヤ考えている。テレビのことというより、テレビを眺めている私たちと言ったほうが正しいかもしれない。ことあるごとにこの話を書いている気がするけれど、少し前に放送された「月曜から夜ふかし」で、北欧のテレビ局が暖炉で薪が燃えるだけの映像を流し続けたところ、驚くほど高視聴率だったという。そんな映像を延々眺めている私たちは一体何だろう? これは別に批判的な意味で「一体何だろう?」と言っているわけではなく、私たちが持つそうした本質(のようなもの)について「何だろう?」と考えているのだ。この話は、日本のシニア層はBSばかり観るという問題とも近いかもしれない。僕の世代も、年を重ねるごとにそういった番組を求めるようになっていくのだろうか?――だとすれば「そうなっていく」というのは一体何なのだろうか?

 そんなことを知人に語っていたが、「それはちょっと、毛利さんの展示がどうっていうより、もふが言いたいことでしょ」と言われてしまった。そうかもしれない。ハートランドの瓶を知人とシェアする形で3本飲んだあと、ハイボールを飲んだ。ハイボールもバカウマだ。知人とは、自分と年が近い演劇作家たちの話もした。演劇作家たち、と言っても僕が観ている範囲なんてごく限られた狭い世界ではあるが、彼らは皆、自分のイマジネーションでフィクションを作り上げるというよりも、現実世界を、こう、作品に変換している。イメージで言うと合気道。まあ、僕が好きなのがそういう作品というだけかもしれないが。


12月5日(木)

 9時過ぎに起きる。10時、朝食。明治ブルガリアヨーグルト。食後、「仕事場」と呼んでいるドトールに出かける。その道すがら、後ろから自転車に追突される。「何してんだよクソが」とだけつぶやいて店に入ったが、後から少し痛んでくる。入院したり追突されたり、どうもいけない。ロイヤルミルクティーを飲みつつ『S!』誌の構成に取りかかると、少しお腹が緩い気がするので早めに切り上げてアパートに戻った。

 12時、昼食に玉子がゆ。食後にトイレに行くと、また少し下血があった。まずい、このタイミングでそれは困る(そうならないように玉子がゆを食べたり、さっきもコーヒーではなくミルクティーにしておいたのに)。ひじきの煮物、それに鉄分のサプリメントを食べつつ『S!』誌の構成を続ける。あいかわらず感覚的な体調は問題ないので仕事は順調に進み、17時過ぎにはメールで送信することができた。しかも久しぶりに一発でオーケーをもらえたので爽やかな気持ち。

 テレビの話。

 うちのテレビは基本的にDVDレコーダーのチャンネルにあわせているので、昼のあいだはNHKが映し出されている。朝ドラを録画したあとはチャンネルがNHKにセットされたままになっているのだ。基本的には前の晩に録画した番組を観るのだが、そのVTRを停止したときにチラチラとNHKの映像を見ることになる。ここ数日は国会中継が映し出されていて、なかなか激しい攻防が繰り広げられている。印象的なのは今審議されている法案の担当大臣である森まさこ。野党時代は元気よく与党を批判していた印象があるのだが、今や防戦一方で、「前回に比べると落ち着いて答弁されているようには見えますが」などと民主党議員から小馬鹿にされつつ答弁している。あまりにも線が細くて別人のように思えてくる。女性議員というと勝ち気な人が多い印象があるが、この人はそのタイプではなかったのかもしれない。特に与党側が審議を打ち切った直後、野党の議員に詰め寄られ文字通り面罵されているときの表情なんて、このまま自殺してしまうんじゃないかとハラハラさせられた。そのあと立ち去っていく足取りがまた、本当に消え入りそうな歩きかただった。法案の内容とは無関係に、彼女を担当大臣にしたのは失敗だったのではないか。もっと面の皮の厚い人でなければ務まらないはずだ。

 この法案について僕が言えることは特にないけれど、この騒ぎについて感じることは2つある。一つは、法案に反対する人の一部が、与党側が審議を“強引に”打ち切ったことを「民主主義の否定」だと言ったり、国会前に集まった人たちの声を無視するのかと言ったりするのを聞くと、民主主義とはそんなものだったんじゃないかと思わずにはいられない。討議民主主義と熟議民主主義とでは意味するところが違うにせよ、どこまでやれば「合意」となるのか――全員が一致することなんてことが起こり得ない以上、どこかで打ち切るしかない。そして基本的に勝つのは多数派だ(それが民主主義で、民主主義が誕生した直後からその問題はミルなりトクヴィルなりに指摘されてきた)。自分たちが思う望ましさを政治に反映させるためには、地道に数を増やすしかないのだ。「民主主義の根幹を揺るがす」という批判や「最悪の時代だ」という言葉は、現実の政治に対して何の影響も及ぼさない。それは、震災以降何度となく経験したことではないのか。石原慎太郎都知事に再選すれば絶望し、反原発の問題で絶望し――リベラルとされる人たちはいつまで絶望を繰り返すのか。現実の政治を動かすためには、数を、組織を増やしていくしかない。もちろんそれを地道にやっている人だっているだろう。だが、それをしないで絶望するというのはただのセンチメンタルだ(もちろんセンチメンタルを否定しないが、それは政治とは別世界のものだ)。

 もう一つ、その法案に関連して印象的なことがある。それは、日本人というのは分裂しているのだなということ。ネットを見ていると、ツイッターでは(僕のフォローしている人の偏りというのもあるだろうが)法案を拒絶する人が圧倒的に多いのに、まとめサイト掲示板を眺めていると、反対派を小馬鹿にし法案は必要だとする感覚のほうが圧倒的に多い。この溝は何だろう? これまでも、様々な問題について政治的対立はあっただろう。でも、これはもっと、論や理屈ではなく感情としての対立だという気がする。この対立、溝というのも震災以降の風景と言えるのかもしれない。原発放射能に関する、論以前にある感覚としての溝があって、うかつなことは言えないなと僕は感じるようになった(「ごちそうさん」の西門のように)。

 19時、夕食にコンソメスープを食べて五反田へ。今日も何駅分かは歩くつもりだったが、何かが悪化するといけないので止めにした。19時半にビックエコー五反田店に入り、301号室に入ってみると既に大勢のお客さんが座っている。入口で会費の1000円、それに飲み物を別途で注文してそのぶんのお金も支払う。烏龍茶にしておく。空いている席を見つけて腰を落ち着ける、テーブルにはスナックプレートが並んでいる。今日は皆でカラオケに来た――わけではなく、前野健太カラオケリサイタルが開催されるのだ。

 19時47分、レーベルのHさんに呼び込まれて前野健太が部屋に登場する。この貴重なリサイタルに当選した30名のお客さんは多いに盛り上がる、しかしライブのときの盛り上がりというよりはカラオケらしい盛り上がりだ。その感じもまた楽しい、贅沢だ。前野さんは誕生会やクリスマスパーティーなんかで壁にかけるキラキラしたアレ(パーティーモールという商品名らしい)を首に掛け、パーティーグッズのような蝶ネクタイをつけ、リボンをつけたマイクを手にしている。既にイントロが流れ始めている、1曲目は河島英五の「時代おくれ」だ。

 吉田拓郎「落陽」、CHAGE and ASKA「黄昏を待たずに」、桂銀淑「花のように鳥のように」、松山千春「長い夜」、第一興商社歌、荒木一郎「ジャニスを聴きながら」、椎名林檎「正しい街」、大江千里「かっこ悪い振られ方」、長渕剛「逆流」、TRF「BOY MEETS GIRL」、「ねえ、タクシー」――この他にもお客さんのリクエストで歌った曲や、お客さんに自分の歌わせる時間もあり、あっという間に時間は過ぎていく。どうしてこんなタイミングで体調を崩してしまっているのか、悲しくなってくる。やはり烏龍茶という気分にはなれなくてノンアルコールビールを飲みながらその歌を聴いていた。

 上に書き記した曲の流れで前野さん自身の歌を聴くと、その歌の特質というものが際立ってくるように感じた。個人的に印象的だったのは「正しい街」で、前野さんが椎名林檎を歌っているというのは少し意外にも感じたけれど、今書いた「歌の特質」という点からすればとても近いかもしれない。それから、最後のアンコール、お客さんのリクエストで「浪漫飛行」を歌いかけたが、演奏中止のボタンを押して、音楽家としての“原点”となった曲・尾崎豊「きっと忘れない」を前野さんは歌った。


12月6日(金)

 朝8時に起きる。荷造りを済ませ、仕事に出かける知人と一緒にアパートを出た。少し歩いただけでも息が切れる。知人は「大丈夫なの、顔が真っ白だけど」と心配そうだ。僕はこれから新潟に出かけて、マームとジプシー「モモノパノラマ」を観るのだ。新潟行きについては、昨晩も知人に反対されていた。「そんな体調で行ってどうするの。途中で倒れたりしたらマームに迷惑かけるんだよ」と。「迷惑なんてかけるわけないだろ、それに公演中は席に座ってるだけじゃないか」と僕は反論していた。

 息を切らして下落合駅の近くまで歩き、10時10分の西武高速バスに乗車する。間に合ってよかった。ここから新潟までは5時間の道程で、僕は車内でテープ起こしをすることに決めていた。少し体を落ち着かせてからパソコンを取り出し、さっそくテープ起こしに取りかかったが、どういうわけだかいつもに比べて1・5倍くらいの時間がかかる。どうもおかしい。iPhoneのカメラで瞼の裏を確認してみると真っ白だ。テープ起こしをしていると体力を消耗するかもしれないので、パソコンを閉じて風景を眺めていた。

 まずは上里サービスエリアで休憩となった。15分も休憩の時間があるというので、魔法瓶に入れて持参した玉子がゆを食べた。B級グルメが並ぶサービスエリアで家から持ってきた食事、しかもお粥を食べるというのは何とも味気ないものだ。再びバスが動きだし、ボンヤリ景色を眺めていると、さっきからずっとトンネルを走っていることに気づく。どうやらここが関越トンネルらしい。そこを抜けると風景の色も違ってくるし、天気も違っている。こちら側は灰色で、厚い雲に覆われている。「関越トンネル越えたら風景が変わった」と知人にメールを送ると、タカトシのようなノリで「川端か!」と返ってくる。ぼんやりし過ぎて『雪国』そのままの感想を抱いてしまった。

 どんよりした景色を眺めていると、段々体調のことが不安になってくる。僕の中で、今回の2泊3日の新潟行きのメインの目的は当然「モモノパノラマ」を観ることだけど、他にも二つ楽しみがあった。それはうまい酒を飲むことと、今年1月に食べて心の底から感動した甘エビ丼を食べることである。しかし、今の体調を鑑みるに、2晩とも酒を飲むのは危険そうだ。生ものを食べるのも内臓に負担がかかってよくないかもしれない。そう問題は、何が原因で体調を崩しているのか今ひとつ判然としないことなのだ。

 もしマームの皆とお酒を飲む機会があれば、嬉しくなって飲まずにはいられないだろう。1晩あたり1本だけ飲むことにしよう。朝の時点ではそう考えていたけれど、からだの具合を考えるとそれも厳しいかもしれない。仕方がない、2泊するのは諦めて、今晩甘エビ丼を食べてから「モモノパノラマ」を観て、少しだけ酒を飲み、明日の朝イチの新幹線で帰京して病院で診察してもらおう――そう考え直したあたりで新潟駅に到着した。知人にその旨をメールする。

「やっぱり明日帰って病院行くことにする」
「そのほうがいいと思う。そんな血の気のない顔で遠出はまずいと思う」
「でもごめん、甘エビ丼だけは食べさせて」
「食べといで。でもいちおう言うね、『エビか!』」

 タカトシが案外ハマったらしい。バスからスーツケースを下ろし、横断歩道を渡ってタクシーに乗り込んだだけで息が切れる。少しふらつく。車内では関ジャニ∞の新曲「ココロ空モヨウ」が流れている、家で何度も聴かされた曲とあって妙に落ち着く。ホテルに到着すると、エントランスで少し階段になっていた。やれやれ、とスーツケースを持って上がり、受付で宿帳に記入しているとどうもふらつく。そして電話番号がうまく掛けない。「5」と書こうと思っても「4」と書いてしまったり「6」と書いてしまったりして、何度もグシャグシャっと書き直しをしていると、いつのまにかカーペットが目の前にあった。遠くで「大丈夫ですか?!」というホテルマンの声が聴こえる。倒れてしまったらしい。

 大丈夫です、ちょっと貧血で。そう答えて立ち上がろうとするのだが、どうにも体がうまく動かない。椅子に座らせてもらって体を休ませているあいだにも少し意識を失い、なんとか宿帳への記入を終えて部屋まで移動している途中にも一度倒れ、なんとかベッドに倒れ込んだ。面白いもので、プツンッと回線がショートするように気を失うものだ。そしておそらく10秒程度意識を失っていただけなのに、しばらく寝込んでいたような感覚がして不思議だ。貧血になると、うまく信号を送れなくなって強制終了になるのだな。

 などと感心している場合ではない。足に違和感をおぼえて確認すると、意識を失っているあいだに再び下血してしまっていた。まずはズボンを脱いで浴室に行き、ズボンと自分から血液を洗い流す。ズボンのほうは結構な量だったのでもう捨ててしまうことにした。いつのまにか汗だくだ。浴室を出てみると、カーペットにも血が落ちていることに気づく。カーペットに水を垂らしてティッシュで叩く。これを何度も、何ヵ所かで繰り返す。30分ほどでようやく片づいてベッドに横たわる。これは甘エビ丼を食べている場合ではなさそうだ。

 「モモノパノラマ」も、観に行ったところで公演中に倒れてしまうかもしれない。そうすると迷惑なんてものでは済まない。とはいえ、予約をしておいて(しかも新潟に向かっている写真をいんスタグラムにあげておいて)現われないとなると余計な心配をかけてしまうかもしれない。あの作品を、こんなふうに雲の厚い街で観るとまた違った感慨があっただろう。観れなくて本当に残念ではあるが、制作のはやしさんにメールをしておく。結局、知人の言っていた通り、開演直前に余計な心配をかけることになってしまった。

 着替えを取り出そうとスーツケースを広げると、一番上に体重計が入っていた。とりあえずはかってみるかと乗っかると、朝に比べて7キロ近く低い数字が表示される。一段と血の気が引いていくのを感じる。そんなに大量に出血していたのか?――今思えば、電子体重計だから柔らかいカーペットの上では正常に測定できなかっただけなのだが、そんなことを冷静に考える余裕はなく、今すぐ東京に戻ることにした。

 スーツケースを引っ張っていくだけでもまた倒れてしまうかもしれないので、上野まで知人に迎えにきてもらうようお願いする。倒れないように気をつけて1階まで降りてタクシーを呼んでもらい、ホテルマンに荷物を運んでもらってタクシーに乗り込んだ。よろよろと駅構内を歩く。新潟に来るたびに思うことだが、高校生のスカートが短いなあ。寒いところほど女の人が足を出しているような気がする。新幹線の切符を購入し、みやげ売り場の前を通りかかると、南蛮えび煎餅というのを見かけた。南蛮えびというのは甘エビである。諦めがつかなくて、せめて煎餅だけでもと1箱購入した。

 新潟新幹線、高崎あたりまではずっとトンネルが続く。車窓の風景もなく、iPhoneで気を紛らわすこともできなくて暗い気持ち。さて、東京に戻ってどうしようか。こないだ入院していた病院は土曜日の午前中も診療があるが、とりあえず自分の現状が不安でもある。下血の原因が何かはさておくとしても、貧血が著しい。検索してみると、重度の貧血は心筋梗塞など重篤な症状を招く可能性が高いという。不安だ。とりあえず自分の体調がどういう状態に置かれているのかだけでも調べてもらいたい。知人は「新潟の病院で点滴だけでも打ってもらったら」と言っていたが、この体調で病院に行けば即入院になることが直感的にわかる。

 電波が入るようになったところでデッキに立ち、病院に電話をかけてみる。「先日入院していたハシモトと申しますが、またちょっと下血があって、貧血で倒れてしまいまして。もしよかったら点滴でも打っていただきたいんですけど」と伝えてみる。食事や水分補給ができている人に点滴を投与するということは基本的にしないけれど、ドクターはいるので、もし酷いようなら診察は可能ですとの返事。その返事を聴くとまた迷いが生じる。貧血ぐらいで騒ぎ過ぎかもしれない。一旦アパートに戻って荷物を置き、入院になった場合に備えてシャワーを浴びてから病院に行こうか。それともまっすぐ病院に行くべきか――迷っているうちに19時14分、上野駅に着いた。

 中央改札で待ってくれていた知人は「朝より顔が白くなってる」と心配そうだ。結局、スーツケースは杖代わりになるので自分で持ち運ぶことにした。混んでいる山手線を一本見送ってみたけれど空いている席はなく、端っこに立っていることにする。それに、一度座って立ち上がると反動でまた倒れてしまう恐れがあるので、立っていたほうがいいのかもしれない。何にせよ鉄分が足りない。知人は「豚レバーがいいみたいよ。植物性より動物性の鉄分のほうがいいみたい」と言う。聞けば、中華街なんかだと豚レバーのお粥を扱っている店がわりと多くあるそうだ。

 池袋にも中華街はあるから、知人にお粥を買ってきてもらってタクシーで家に帰り、それを食べて様子を伺うことにしようか。山手線に揺られながらお粥をテイクアウトできそうな店を検索していると、視界がチカチカしてくる。目をしばらく押さえておいて手を離すと視界が白っぽくなってうまく視ることができないが、それに近い状態になっている。20時近くになって目白駅に到着。電車を降りると、ふらついて思わずうずくまる。山手線の車掌が「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれるが、知人づてに「大丈夫です」と断る。うまく歩けず、知人の肩を借りて改札を通過する。これはダメだとタクシーのりばまで歩き、病院に直行してもらった。運転手の感じが悪かったのは覚えている、ふらついた客が大荷物で近づいてきたのにトランクも開けてくれなかった。

 病院に到着して、しばらく順番を待つ。夜の救急病院は忙しそうだ。前回もそうだったけれど、酔っ払って倒れて頭を打った人をよく見かける。ぐったりと順番を待っているあいだ、知人にトランクを開けさせて、入院に必要な荷物とそうでない荷物とに仕分けしてもらう。それから、買っておいてもらったユニクロのトレーナーに着替えておく。30分ほどで順番が回ってきて、とりあえず採血してもらうと、前回は12.8でギリギリ正常の範囲だったヘモグロビンの値が、今回はその半分、6.9にまで落ち込んでいるらしかった。「これはもう、緊急入院してもらうことになります」とドクターは言う。やはりこうなった。

 まずはドクターが前回のカルテを参考にしつつ診断。「前回は胃カメラ飲んでるんだね。でも、この写真を見る限り、出血してた形跡はまったく見られないし、胃は本当にきれいなんだよね」とドクター。前回の下血も鮮血だったんですけど、と伝えると、「えっ、鮮血?」と驚かれる。前回入院したとき、救急隊の人にも看護婦さんにも「鮮血」と伝えていたし、下血したものも持参しておいたのに。担架に横になり、触診。念のため痔の検査もされることになった。女性のドクターだったが、こういう状況だと案外なんとも思わないものだ。そのときに血がついたらしく、その色を見たドクターは「これは大腸より下だ」と言った。

 大腸ピンポイントの検査であれば、造影剤というのを点滴で注入すればCTスキャンできるらしい。1週間ぶりにCTスキャンのマシンに入れられて、点滴を投与。「これを入れると体が熱くなるんですけど、それは問題ありませんので安心してください」と言われる。投与が始まると、本当にすぐ体が熱くなって驚く。前回も書いたが、医学というのはすごいものだと思う。そしてやはりオソロシイ。

 診察室に戻り、担架に横たわったまま待っていると、「何か宗教は入ってます?」と訊ねられる。急に何の話題だろうとキョトンとしていると、「これから輸血が必要になってくるんだけど、宗教によっては輸血ってダメだから」とドクターは続けた。なるほど、そういうこともあるのか。特に何の宗教にも入っていないので問題ないですと伝えたが、輸血というのはそれぐらいのことなのだなと思う。

 ドクターは上がってきたCTとレントゲンを見ながら唸っている。どうしよう、「大腸がん」と言われたら。きっと「まじっすか!」と笑ってしまうだろうなあ。でも、まだまだ死ぬわけにはいかないなと思う。まだ自分の仕事といえる仕事をしていない。せめて今書きかけている『N、C』の長い原稿と、マームと一緒にイタリアとチリに行ったことを文字にしないうちには死ぬわけにはいかない――そう心配していたが、結果としては「憩室から出血している」とのことで、絶食して経過を見るということになった。

 22時、病室に移動する。前回と同じ病室だ。知人に必要な荷物を必要な場所に配置してもらい、テレビカードを1枚だけ買ってもらって、明日持ってきてもらいたいものを伝えて別れた。日付が変わる頃になって血液の準備が整い、看護婦さんが書類を持ってやってくる。つい最近もニュースがありましたけど、できうる限りの検査はしているんですけど、どうしても感染症のリスクはゼロにはならないので、こちらの同意書にサインをしてもらえますか。輸血というのはそれぐらいのことなのだなと、また思う。拒絶反応が出ていないか確認するために様々な管が繋がれて、定期的に血圧を測りながら輸血していく。4単位560ccの輸血が終わる頃には明け方になっていた。看護婦さんは「寝てていいですからね」と言ってくれたけれど、見知らぬ誰かの血が入ってきているのだと思うとドキドキして眠れなかった。


12月7日(土)

 朝6時に灯りがつく。ほとんど眠れなかったのでウトウトしていると、朝8時、おいしそうな匂いが漂ってくる。朝食の時間だ。僕は絶食なので食べられない。隣りの患者が恨めしい。ふりかけか何かを足している音。ちゃっちゃっちゃっちゃっと何かをかきあつめる箸の音。紙パックのジュースを最後の一滴まで啜る音。

 お腹をぐるぐる鳴らしているとドクターやってくる。前回入院した際に診断してくれたドクターだ。「前回はCTで確認できなかったんだけど、今回は憩室からぼこぼこ出血してるのが確認できたんで、数日絶食して経過を見るから」。たぶん前回だって大腸をきちんと調べれば出血が確認できたはずなのに。どうしてお金がかかる上に苦しい胃カメラをムダ打ちしたのかと腹立たしくなってくるけれど、これからの入院生活を考えて黙っておく。

 言いたいことを押さえていたのでちゃんと聞いていなかったが、ドクターは「大腸にある憩室があちこちやけどしてるような状態」と言っていた。やけどとは一体何だろう。結局病名は何だったのだろうと、「大腸 やけど」で検索すると、潰瘍性大腸炎というのがトップに出てきた。20代から30代の若者に多い病気だそうだ。すぐには完治しないやっかいな病気らしく、退院できてもアルコールや脂っこい食事は当分NGらしかった。目の前が暗くなる。酒が飲めなくなるなんて。それに、ダイエットが成功した暁には近くにあるおいしいとんかつ屋「とん太」でロースカツ定食を食べることを楽しみにしていたのに。

 すっかり暗い気持ちになっていると、再びドクターが通りかかる。すぐに呼び止めて、「すみません、僕は病名で言うと何になるんですか」と訊ねる。ドクターは紙に書いてもってきてくれた。出血性結腸憩室炎と書いてある。すぐに検索してみると、難病というほどでもなさそうだ。ホッとする。そして腸内環境を整えるためにビフィズス菌を増やす薬が出た。これで少しは水が飲めるぞとホッとする。絶食は案外平気そうだけれども(胃が小さくなって食べる量が少なくて済む)、水が飲めないのはつらい。今回の入院では3日ほど絶食して経過を見て、少しずつ食事を戻して退院になるとのことだった。『S!』誌の次回収録は11日で、微妙なラインだ。順調に行けば退院できているはずだけど、どうなるか。できれば同席したいので、もう少し経過を見てから連絡することに決めた。

 9時、採血。検査の結果、まだヘモグロビンの数値が低いらしく、昨晩と同じ量の輸血をすることになった。これで1リットル近い輸血をすることになる。そんなに下血があったのかと……ここで「恐ろしくなる」と書こうかと思ったけれど、正確に言えば「感心する」というほうが近いかもしれない。ほお、そんなに出ていたのか、と。病室では看護婦さんたちが部屋の掃除を始めている。カーテンの向こうから、ずっと同僚の悪口が聴こえてくる。××さんはいつも夜勤ばかり入ってるけど、あれは楽だからよ。夜勤なんて昼と違ってやることないもの。そんな会話を聴いていると具合が悪くなってくるし、昨晩ずっと血圧なんかをはかりながら輸血の経過をひとりで見守ってくれていた看護婦さんのことを考えると「何言ってるんだ」と大声を出しそうになってくる。

 昼間は日記を書いたり、知人に持ってきて欲しいものを伝えたり。病院の面会時間は15時から19時なので、そのあいだに持ってきてくれるようにお願いしておく。16時、知人やってくる。荷物を僕が指示した場所に置いてもらって、椅子に座って一息ついていると、カーテンの向こうに人の気配を感じた。知人にカーテンを開けてもらうと、Aさん、ドド子さん夫妻の姿があった。Aさんは医者ではないが医学には明るいので、話していてホッとする。「憩室」なんていう、普通に生活していれば耳にすることもなさそうな言葉もすぐに通じる。病院の人とはあまり病状について話をできていないので、こうして話をすると段々安心してくるのがわかる。病名がわかることでホッとするところもある。しかし、Aさんやドド子さんと会うのはいつも酒を飲んでいるときなので、どうしても食べ物の話をしてしまって墓穴を掘る(食事をしたくてたまらなくなる)。話を聞いていたドド子さんは「橋本さん、横になって寝てる顔がきれいですね」と言ってくれた。あのアニメの台詞を思い出すので、喜んでいいのかどうかわからないでいる。

 1時間弱で2人は帰って行った。話しているうちに元気が出てきた。ありがたいことだ。しかも「これでテレビカードでも買ってください」とポチ袋まで渡してくれた。2人を見送り、知人と向かい合ってしんみり過ごしていると、準備が整って輸血用の血液が運ばれてきた。ここで知人とも別れる。ちなみに、入院したときから僕の左腕には点滴の管が繋がれている。これはずっとつけている。それから、輸血の拒絶反応がでないか見守るための心電図もずっと胸に繋がれている。

 輸血が始まると、右腕の手首の近くから血を入れる。右腕では血圧も定期的にはかり続ける。つまり両腕が塞がっているので、本を読んだりするのは難しい。昨晩は志ん朝の落語を聴いていた。今日はボンヤリ白い天井を眺める。定期的に計測される血圧の経過も眺める、上が100強、下が60でこぼこ。いつもに比べると結構低い数値だ。昨晩は暗くてよく見えなかった、輸血されている血も眺めた。ポタッ、ポタッと点滴のように落ちてくる血液を眺めていると、ケチャップかトマトジュースのように見えてくる。いずれにしても塩気が効いているものだ。喉が鳴る。採血された僕の血は、ヘモグロビンが少ないせいかもっと赤黒かった。

 18時過ぎ、ムトーさん、セトさんが御見舞いにきてくれる。輸血中は少し仰々しいので心配かけないかと不安だったが、特にムトーさんは「これ、触って見てもいいの?」と輸血の袋に興味津々だ。2人ともいつも通りで気が紛れる。「何かいるもんある?」と言われていたので、少し前に或る人と話していて名前の出た田村隆一の詩集をリクエストしていたのだが、その田村隆一の本を何冊か差し入れてくれた。それとは別に、セトさんは山本健吉『現代俳句』という本を持ってきてくれた。正岡子規から始まる様々な俳人の句と、それに対する山本健吉の批評が書かれている。これは少し読んでボンヤリ考えたりできるので楽しそうだ。それから、ムトーさんは「小説秘戯」という雑誌をプレゼントしてくれた、表紙には「純官能小説」「近所の清楚な奥さんがケモノになる夜」と大きな活字が躍っている。「小難しい本に疲れたら読んで」とムトーさん。そこに「病院なんだし、ナース物のほうがよかったんじゃない?」とそえるのがセトさんらしくておかしい。

「はっちは旅に出て移動しまくって、その果てにここにいるんだね」とセトさんは言った。「今ここにいるのも旅の途中なんじゃない?」とムトーさん。ムトーさんは「今度わめぞの忘年会あるからきなよ」と誘ってくれたりもした。おそらくその日は厳しいだろうけれど、嬉しい。普通なら「病人相手にそんな誘いを」となるところかもしれないが、そうして普段通りの人が目の前に現われるとホッとするものだ。「近所なんだしさ、なんか買ってきてほしいモンあったら言ってね。焼き鳥とかさ」「はっちは焼き鳥よりトンカツのほうがいいんじゃない?」(※僕がとんかつ食べたいという話をしていた)「とんかつかー。とんかつは衣がピシピシしちゃうよ」。輸血の管から流すことを前提に話が進んでいる。

11月16日から30日

11月16日(土)

 朝9時に起きる。まずはジムに出かけ、1時間45分かけて12キロほど走った。毎日走るのはやめにして、1日置きに少し距離を伸ばして走ってみることにした(ただし足や腰を痛めてしまいそうなのでノンビリと)。走っているあいだDVDを観た。今日は『アニー・ホール』。前回観たときは「hostility」という言葉が耳に残ったけれど、今回は「phony」という言葉が耳に残る。それから、前回は見逃していたけれど、アニーと別れる際に本を仕分けているとき、アルビー・シンガーが手にしている本の一つは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だ。

 13時、昼食。昨日のスープの残りと、セブンイレブンで買ってきたサラダチキン。サラダチキンというのは、ゴロンとした蒸し鶏(ムネ肉)が真空パックされているだけの商品なのだが、これが話題を呼んでいる。話題なのはそのヘルシーさだ。100gあたり105kcalと低カロリーな上(内容量は125gだから1321kcalくらいか)、脂肪分がほとんどなく高タンパクなのである。さっそく買ってきて食べてみると、しっかり味付けがしてあってそのままでも美味しいし、結構な満腹感も得られる。

 16時過ぎ、アパートを出て鴬谷へと向かった。南口を出て根岸のほうへ歩いていくと階段がある。結構な高低差があり、駅界隈の風景が見渡せる。目立つのはやはりラブホテルだけど、小さな酒場がいくつも見える。これは楽しめそうだ。でも、それより何より楽しみなのは、東京キネマ倶楽部で開催される前野健太デビュー6周年記念公演「〜歌だけが知っていること、愛も届かないところで〜」があるのだ。

 エレベーターで6階に上がっていくと、元はキャバレーだった空間が現われる。この空間は3階建てになっている。ステージがあるのと同じ層にはパイプ椅子が並べられている。2階と3階はバルコニー席だ。入口近くにはカラオケセットが準備されていて、新曲「ねぇ、タクシー」(のカラオケ)がずっと流れている。来月5日には前野健太カラオケリサイタルがあり、ここで「ねぇ、タクシー」を歌えばその抽選に応募できるのだ。しばらく皆敬遠していたが、ポツポツと歌う人が現われ始めた。僕はドリンクチケットをビールに交換し、その様子を眺めて飲んでいた。開演が近づいたあたりで杖をついた人がやってきてマイクを握った、これからライブでドラムを叩く山本達久さんだ、とても響く歌声だ。そして山本達久さんが歌い終わると、今度はジム・オルークさんがマイクを握って歌い始める、とてもエモーショナルな歌声だ。さっきまでカラオケの周りはガラ空きだったのに、いつのまにか大勢の人に囲まれている。

 18時過ぎ、照明が落ちてライブが始まる。ステージの下手側には階段があり、照明が灯るとそこに前野健太が立っている。「100年後」という曲の歌詞を変更した「100年前」で6周年記念公演は始まった。後ろに光るライトが月みたいで綺麗だったのを覚えている。「100年前」を引きが立っているところにソープランダーズの面々がステージに登場し、2曲目の「love」へと移っていく――この日のライブを細かく言葉にすることはできない。前野健太はビリビリと感電したかのように体を揺すりながら、時に絶唱するように歌っていた。特に「東京の空」と「ばかみたい」と「ファックミー」。僕はハイボールを2杯、ウィスキーのロックを3杯飲んだ。「東京の空」を歌う前野健太は泣いているようにも見えた。本当に泣いているのかどうかはサングラスで遮られているのでわからない。

 終演後、開場の入口で呆然としていると、見知った顔をいくつか見かけた。その中の一人、九龍ジョーさんに誘ってもらって「信濃路」へ飲みに出かけることにする。僕は「この人には見られているはずだから絶対にいい加減なことは書けない」と思い浮かべる人が何人かいるけれど、その一人は九龍ジョーさんだ。しばらく飲んだところで、九龍さんは言った。「橋本君にも、自分にしか語り得ない何か――橋本君が情熱をかけて語らざるを得ないものがあっても良さそうな気がするんだけど、『橋本君がよくわかんないものに熱中してるな』って感じになったことがないんだよね」と。それはその通りだと思う、向井さんでも前野さんでも、あるいは他のジャンルのものであっても、既に誰かによって紹介されているものに興味を持ってのめり込んでいくことはあるけれど、よくわからない何かにのめり込んだことはおそらくない。唯一あるとすれば、ドライブインのことくらいだ。


11月17日(日)

 10時過ぎに起きる。11時、朝食。まだ残っていた一昨日のスープにキャベツを足して食す。食後、日記を書く。先日、M田さんに「東京論を書いて欲しい」と言われたことが、ずっと頭のどこかにある。書くということにもトレーニングが必要だろうから、半月に一度、東京の風景について書いてみることに決めた。毎回、原稿用紙11枚ぶん書いてみることにする。まずは酉の市について書く。

 14時過ぎ、昼食。マルちゃん正麺(豚骨)もやしのせ。豚骨の味はもう一つだけど、まとめ買いしたせいで8食ぶんも残っている……。午後もずっと酉の市のことを書いていた。19時、夕食。知人の作ったキムチ鍋をつつきつつ、「ハクション大魔王」(フジ)観る。関ジャニ∞村上信五ハクション大魔王役である。始まった瞬間に「あーーこれ観てらんないかもしれない!」といたたまれない顔をしている。知人は関ジャニ∞のファンである。

 観ていると、この作品は誰からも叩かれるだろうなという感じがする。細身のジャニーズを大魔王にするというのは、誰が見てもムリがある。どうして今、実写化しようという話が出てきたのだろう。たまにこうして昔のアニメ作品を実写化(あるいは現代版としてリニューアル)するけれど、いい加減やめにすればいいのに。それくらいなら、何の説明もなく当時のアニメをそのまま流してくれたほうが面白い気がする。ただ、そんな役を引き受け、照れを覗かせることなく演じている村上君のことは応援したい。知人も「段々見慣れてきたかも」と言って観ている。大魔王はともかく、あくびちゃんを演じる子役が大変に可愛らしい。「渡邉このみ」というらしい。

 22時過ぎ、ようやく酉の市の話を書き終えた。


11月18日(月)

 朝9時に起きる。昨日のキムチ鍋のスープに豆腐だけ入れて食べた。10時半、ジョギングに出かける。今日はジムの休館日なので、神田川沿いを東に走っていく。いつもは江戸川橋に出たあたりで折り返すところだけど、今日はもう少し進んでみる。このあたり、新目白通り沿いを走っていると特に店もなくて寂しい風景が続くけれど、川をはさんで一つ北側の道をいくと小さな店がいくつもある。住所で言えば「水道」だ。以前、M山さんに教えてもらった小さな中華料理店。古い木造建築を改装した雰囲気のいい喫茶店天保6年創業という鰻屋さん。立ち呑みコーナーのある酒屋さん。また古い建物を改装した喫茶店。渋い佇まいのお食事処、店内は決して広くなさそうだけど「2F 宴会場」の文字がある――このあたりまで来ると住所は「後楽」になっている。もうすぐ飯田橋だ。

 外堀通りに出たところで左に曲がる。このあたりの首都高は改装工事中なのか、ずっとベニヤのような板が全面に張られている。ここだけ木造の高架になっているようで面白い。飯田橋界隈はサラリーマンが多かったけれど、さらに進んでいくと白い紙の新聞を手にした人が多くなる。後楽園だ。ウィンズの前の階段に腰掛けて予想に熱中している人もたくさん見かける。そこでただ談笑している人もいる。月曜日でも地方競馬はやっているのだな。水道橋の交差点まで出たところで5.5キロ、ここで折り返すことにした。高田馬場に帰ってくる頃にはもうお昼どきで、サラリーマンとたくさんすれ違った。セブンイレブンのコーヒーを片手に歩く人を本当によく見かける。

 午後、近くのデニーズに出かけて『S!』誌の構成に取りかかる。隣りにはテニスクラブがあり、平日の昼間からテニスを楽しんだ奥様方で賑わっている。「主人が明後日から出張で」「まあ、羨ましい。うちも長期出張とか単身赴任とかないかしら。ずーっと家にいるんだから」――こんな絵に描いたような会話が現実に交わされているものだなあと妙に感心した。「平日の昼間からテニスを楽しむ人たちがいるんだねえ」と知人にメールを送ると、「もふだって似たようなもんじゃん」と返ってきた。なるほど。

 18時過ぎ、歩いて池袋に出かける。「古書往来座」で数冊購入し、池袋駅周辺で酒とツマミを買い込んだのち、山手線で田端へと向かった。キュウリをかじりながら夜道を歩いて向かうのはAさん宅。今日は鍋をする約束をしていたのだ。部屋にお邪魔するともうバッチリ準備をしてくれていて、ビールも注いでくれている。お土産をいくつか手渡し、乾杯。今日の鍋はきりたんぽだ。きりたんぽ、近くのスーパーで本格的なやつが売っていたらしく、食べてみるとたしかに美味しい。

 ビールを2缶飲んだあとは日本酒を飲んだ。僕はいつも、自宅で飲むときは秤で量をはかりながら飲んでいる。さすがに人の家にお邪魔しておいてそんなことをするわけにもいかないが、摂取カロリーがわからなくなるとダイエットに挫折してしまうかもしれない(摂取したカロリーをすべて記録することがゲームみたいになっていて、それでダイエットが続いているところもある)。そこで思い出したのは、会津に出かけた際に買ったものの、一度も使っていなかったおちょこのこと。そのおちょこはマトリョーシカのようになっていて、開いていくと3つのおちょこが出てくるのだ。今日はAさん、ドド子さん、僕の3人で飲むのだから数もぴったりだから、それを持参して飲むことにした。それぞれのおちょこに何ミリリットル入るのかは事前に計測してある。僕は一番大きいおちょこで飲んだから、1杯で50ミリリットルだ。

 なんだかつまらないことばかり書いているなあ。

 飲んでいると酉の市の話になった。最初に酉の市に出かけたのはいつだったか訊ねてみると、Aさんは「橋本さんと知り合ったくらい」、ドド子さんは「大学2年生くらい」だという。僕がAさんと知り合ったのは大学4年の冬で、僕が最初に酉の市に出かけたのもおそらくその年だ。それから、以前見世物小屋をやっていたのは「大寅興行」だとドド子さんが教えてくれる。彼女は学生時代にちんどん研究会に所属していたから、その筋に詳しいのかもしれない。話を聞いていると、ドド子さんが大学生になったばかりの頃の見世物小屋には映画『フリークス』のような雰囲気も少し残っていたという。

 明日も平日なので、22時過ぎにはおいとますることにした。Aさんに貸してもらった落語のCD(『志ん朝十三夜』)を聴きながら、1時間20分かけて高田馬場まで歩いて帰った。


11月19日(火)

8時に起きる。朝食、スープはるさめ。午前中はここ数日の日記を書いていた。12時、昼食。マルちゃん正麺カレーうどん)もやしのせ。午後は『S!』誌の構成を進めた。夕方には完成させてメールで送信。19時、夕食。白菜、大根、長ねぎ、えのき、つみれ、たらで寄せ鍋を作って食べた。金麦のロング缶を一本だけ飲んで、11月11日のインタビューのテープ起こしに取りかかる。知人は徹夜で仕事をするというので、日付が変わる頃には床についた。こうしてみると、まったく特筆することのない一日。


11月20日(水)

 8時に起きる。よく眠れた。うちの布団はシングルサイズなのだということを再認識。近くのコンビニに出かけて、『週刊新潮』、『週刊文春』をパラパラやって、『TV Bros.』と、見知らぬ雑誌『MEKURU』を買った。どうやら創刊号らしいのだが、宮藤官九郎が表紙&特集で長瀬智也のインタビューもあるので買っておく。一緒に買ってきたバナナを食べてジムへ。調子に乗って走る距離も時間も伸ばしたら少し足が痛むので、今日はスピードを少しだけ上げて1時間ほど走る。スピードを上げたといっても、7km/hが8km/hになっただけだ。走っているあいだは『ワイルドバンチ』を途中まで観た。

 12時、昼食。昨日の鍋の残りにもやしを加えたもの。それにセブンのサラダチキンも食べた。冷蔵庫にはあと2つサラダチキンが入っている。午後はインタビューのテープ起こしの続きを。起こしていると、「ああ、この話をもっと掘り下げればよかった」ともどかしい気持ちになってテープ起こしを中断してしまう。もしかしたら締め切りまでに少し話を聞ける機会があるかもしれないと思って、いちおう追加で訊ねたいことをメモしておく。

 17時、アパートを出て上野へ。上野の街を2時間ほど散策。そのことは別枠で書く。19時半、上野広小路から末広町に出て「3331」。今日は東葛スポーツ第8回公演「ツール・ド・フランス」を観にきたのである。前はこの1階でやっていたはずなんだけど――入口で立ち止まっていると、通りすがりの人が「たぶんこっちだと思います」と教えてくれた。会場に着いてみると、立川談志の高座の様子が映し出されている。会場では缶ビールと缶チューハイが販売されている、これがとても嬉しい。上演時間まくらが終わるあたりで公演が始まった。まずは佐々木幸子さんが登場し、注意事項を伝えながら舞台が始まっていく。このまくらの部分が僕は好きで、観にきているのかもしれない。

 前回「3331」で東葛スポーツの公演を観たとき、劇中の台詞(ラップ)に「上野で飲むなら大統領 でも個人的にはカドクラ」というのがあった。その言葉に従って入ってみた「カドクラ」は、なるほど安くて良い店だった。東葛スポーツの主宰・金山寿甲さんのそういうセンスは素晴らしいと思う。今回の作品の中でも、俎上に載せられている千代田区(特に日比谷や有楽町駅前)に触れる手つきは印象に残る。『美味しんぼ』にも出てくる「美味い店はホームレスが知っている」といった話をサンプリングしつつ、(本当にフィールドワークして聞いてまわったのかどうかは定かではないが)ホームレスにレストラン評をさせるというのは面白く感じた。それに、日比谷公園には野音にライブを聴きに行くときにしか出かけたことがないけれど、朝から夜まで滞在してみたら面白いという気にもなった。それから、『料理の鉄人』のDVDが出ていたら観てみたいと思った(当時僕はあまりテレビを見せてもらえなかった)。そうか、冬と言えばジビエなのか――最近あまり行けていないけれど、高田馬場にある獣肉酒場「米とサーカス」に久しぶりに出かけて鹿肉を食べようと思った。『ふぞろいの林檎たち』のDVDを借りて観ようと思った。こうして思い返してみると、雑文的というか散文的なことばかり甦ってくる。この「ツール・ド・フランス」という作品で彼が何を描こうとしたのか――いや、それはわかる。会場のあるのは多くの官庁のある千代田区だ。それに「さんぴんキャンプ」での「すぐそこのビル、厚生省なの知ってるか」というMCもサンプリングされているし、今回は全編にわたって「パルプ・フィクション」がモチーフになってもいる。そのあたりから伝わってくるものがないわけではない。でも、もうちょっとだけ大きな「声」を出して欲しいとも思う(そういえば繰り返し語られる『ふぞろいの林檎たち』のタイトルの一つに「大きな声が出せますか」がある)。演劇として何が良いとか、どうあるべきということは知らない。ただ、僕はその「声」が聴きたくて演劇を観に出かけているのだと、今これを書いていて気づいた。立川談志が照れながら「子別れ」をやる――その素晴らしさや東京っ子の感受性については今作の中でも語られているし、僕もその良さがわからないではないけれど、もう少しだけ「声」のボリュームをあげてくれたらなと思う。それと、東葛スポーツの作品に関しては、別にラップのスキルが求められているものではないのかもしれないが、菊池明明さんがウサギの被り物をしてまくしたてるところだけはもっとバシッと聴きたかった。


11月21日(木)

 朝起きると胃がもたれている。ここ最近は揚げ物をほとんど食べていなかったせいかもしれない。4枚重ねとはいえ、ハムカツくらいで翌朝まで胃がもたれるとは、我ながら情けない話だ。そもそもハムカツも半分残してしまったのである。前ならポテサラ入りのハムカツも注文していたところなのに。9時、朝食にバナナを食べる。10時過ぎ、知人と一緒にアパートを出てTSUTAYAへ。相当長いあいだ延滞してしまっていたDVDを2枚返却する。長期延滞になると、日数ぶんの追加料金ではなくDVDの価格ぶんの追加料金を支払うことになる。レンタル用の価格だから2枚で7千円くらいかなと思っていると、「それでは、2枚併せまして1万5千円です」と店員さん。「はいはい」と1万円札を2枚取り出し支払ったが、心の中でずっと「マジか」とつぶやいていた。いや、そもそも延滞した僕が悪いのだが。

 返却が終わったところで、さっそくDVDを探す。目当ての『パルプ・フィクション』は貸し出し中、『ふぞろいの林檎たち』は取り扱いがなかった。代わりに『スパイダーマン』など5枚レンタル。12時、昼食。白菜、大根、長ねぎ、えのき、いわしのつみれで味噌ベースの寄せ鍋にする。いつも水炊きばかり作っていたのは、スープを買ってこなくてもポン酢で食べられるからだ。僕はずっと、水炊き以外の鍋をするときはパウチにされた鍋スープを使っていた。でも、今日ふいに「調合すれば自分でスープが作れるのではないか」と思い立ち、少しネットで調べて寄せ鍋を作ってみた。スープを飲んでみると、悪くない味だ。

 僕が一人暮らしを初めて最初に冬を迎えたとき、スーパーに出かけてみると鍋のスープがずらりと並んでいたから、よほど料理上手で時間のある人をのぞけば、鍋をするときは皆あれで食べているのだと思っていた。そのことを知人に話すと、「もふってさ、ほんと世間知らずだよね」と返ってきた。「家で鍋するときに、あんなスープ買わないよ普通」。だとしたら、どうしてあんなにたくさんスープを売っているのかと訊ねてみると、「普段は自分で適当にスープ作ってるけど、やっぱり市販のやつのほうが美味しいから、『皆で鍋を囲むときくらいは』ってあれを買うんだよ」と知人は言う。そうなのか。皆、そんなに家でスープを調合したりしてるのか。

 夕方、「古書往来座」をのぞき、見世物小屋の話を聞いた。レジ近くの棚にある池波正太郎『むかしの味』が目に留まり、買い求めた。「東京の描きかただね」と気づかれて少し恥ずかしい。店を出て、副都心線で横浜に出かけると、18時過ぎには日本大通りに到着してしまった。開場まではまだ1時間近くある。とりあえず神奈川芸術劇場のほうへ歩いてみると、今まで気づかなかったが、劇場の近くのビルの2階に古い喫茶店があるのが見えた。「バンビ」と言うらしい。クリームソーダやコーラフロート、サンドイッチにハンバーグ、ナポリタンやカレーライスのサンプルが並んでいる。

 中に入ってみると他に客はいないようだ。店内は思っていたより広く、テーブル席が10個以上ある。長いカウンターに腰掛けているのは御主人だろう。メニューを開いて、コーヒーの安さに驚く。少しメニューを書き写してみる。

*コーヒー/紅茶   ¥280
*アィスコーヒー   ¥300
*アィスティー   ¥300
アメリカンコーヒー   ¥300
*フロート類(コーヒー/コーラー/ソーダ)   ¥420
ミルクセーキ   ¥400
*ビール(中びん)   ¥500
*水割り(オールド) (S)¥500
           (W)¥750
*モーニングセット(コーヒー又は紅茶+トースト)   ¥330
*スパゲテー(ナポリ/ミート)   ¥500
*ハンバーグ(ラィスつき)   ¥600
ポークソテー(ラィスつき)   ¥600
*しょうが焼き(ラィスつき)   ¥600
*トースト   ¥250
*ジャムトースト   ¥300
ハンバーガー   ¥650

 営業時間は朝の8時から夜の8時まで(土曜日のみ夜6時まで)、日曜と祝日が定休日という。店内にBGMは流れていない。それこそ、ここの喫茶店の味は「むかしの味」だろうな。そんなことを考えながらも、結局料理は注文せず、コーヒーだけ頼んで『むかしの味』を読んだ。最初の章にこう書かれている。

たいめいけん〕の洋食には、よき時代の東京の、ゆたかな生活が温存されている。
 物質のゆたかさではない。
 そのころの東京に住んでいた人びとの、心のゆたかさのことである。
たいめいけん〕の扉を開けて中へ踏み込んだとき、調理場のほうからぷうんとただよってくる芳香が、すべてを語っているようなおもいがする。
 この香りは、まぎれもなく牛脂の香りである。(「ポークソテーとカレーライス」)

 あるいは、「ポークカツレツとハヤシライス」では、岡持ちの運んできたカツレツについて、「ぷうんとラードの匂いがただよってきて、おもわず生唾をのみこんだものだ」と書いている。僕は牛脂の匂いもラードの匂いもパッと思い浮かばない。どうも僕はすべて「揚げ物の匂い」で一緒くたにしてしまっている。池波正太郎の鼻が利くのか、僕の鼻が鈍いのか――たぶん後者だろう。

 19時に近づいたところで喫茶店を出て劇場へと向かった。今日はマームとジプシー「モモノパノラマ」初日である。僕は今回の公演で写真撮影を頼まれている。今日の初日は観客として観て、来週の26日にもう一度観て28日に撮影の予定だったが、27日までに写真が必要になったらしく、26日に撮影することになった。そういうわけで、観劇中の半分くらいは「どうやって撮ろうか」と考えていた。いつものマーム作品は動きが速く、もし撮影するのであれば「ここをこの角度で撮る」と決めておかないと大変そうだと思うことが多かったけれど、今回の作品はじっくり見せる場面が多く、そんなに慌てなくてもよさそうだ。

 作品で印象に残っているのは、まず、第一声だ。成田亜佑美さんが語る「いよいよ、本格的な、冬に、なろうとしている、今ですが」という台詞を聴くと、僕が今年上半期に何度となく聴いた「今っていうのは春で、そして、朝なんだけど」という言葉がフラッシュバックする。そうだ、もう冬になるのだ。そして「ピアノの音がどこからか聴こえてくる」――その台詞で、そのピアノの音で思い出すのは「cocoon」の冒頭のシーン(もちろん音は少し違っているのだが)。他にも、「cocoon」で蛆がスクリーンに映されたシーンの音が頭によぎった場面もあった。そしてそこで描こうとされているのは、「cocoon」でも手を伸ばそうとしていたあの感覚だ。

 「cocoon」上演後のインタビューで、藤田さんは「過去に酷い時代があったていうノスタルジックな涙はすごく危険な気がする」と語っていた。戦争を過去の悲惨な出来事と考えるのではなく、今の事として捉える作品にする上で、藤田さんの実家で飼い猫・モモの死は大きな出来事だったはずだ。

 今年の7月、モモは16歳で死んだ。「cocoon」に「16年だけ生きて死ぬって、どういうことなんだろう」という台詞が出てきたけれど、「どういうことなんだろう」を考える上でその死は(言葉が雑になるけど)一つの手がかりだったはずだ。今回の「モモノパノラマ」は、そのモモの事が描かれる。「cocoon」の上演期間中のある晩、藤田さんはモモの死について語っていた。自分は実家を離れて長いから両親のように悲しめないというのもあるけれど、やはり自分は涙を流すということではなく、作品をつくることでしかそれと向き合えない、と。

 作品の最後のほうで吉田聡子さんが語る。「顔をうずめたくなるような、肌、というものが、稀にありますが」と。「その肌とは、こないだお別れしたばかりだから、それについてはまだ考え中で、まとまらないのですが。その肌は、とっても柔らかくって、もふもふしていて――あのことを何と言えばいんだろう?」――その答えは用意には出ないだろう。出ないからこそ、作品は作られるのだ。この「モモノパノラマ」では、「cocoon」についてニール・ヤングのあの曲が流れた。邦題は「孤独の旅路」である。これは藤田さんにとって実家(あるいは父)を想起する音楽でもある(はずだ)。それから、これは尾野島さんが土地を「肌」に喩えて語る台詞を聞いているあたりで思ったことだけど、彼らはまたこの作品で旅に出て、答えが出ないことを考え続けるのだろう。

 終演後、ロビーで初日乾杯があった。北海道限定のサッポロ・クラシックだ。それにボジョレーもある、もう解禁されていたのか。いくつかフードも用意されていて、クラッカーに何かが載せてあるのを一つツマんで食べた。食べ終わったところで「フォアグラ、美味しかったですか?」と言われて、初めてそれがフォアグラだと気づいた。僕の舌はバカだ。飲んでいると、「こないだ新宿で橋本さん見かけましたよ」と声をかけられて、咄嗟に「大丈夫ですか、感じ悪くなかったですか」と聞き返してしまう(感じ悪いかもしれないと思っているのなら直せばいいのに(。それから、或る人に「イタリアとチリの本、どうですか?」と聞かれ、とても申し訳ない気持ちになる。「てんとてん〜」の海外ツアーのことを書く、書くと言っておきながら、まだちっとも形にできていない。3ヵ月前、「cocoon」の会場で会ったときにもそのことを訊ねられて、「次の新作までには」と答えていたのである。

 22時過ぎ、5人で水餃子を食べにいく。「山東」というお店。麻婆茄子と空心菜炒め、それに紹興酒も注文する。23時過ぎに店を出て、関内まで歩いてから帰った。歩いているとき、気が早いなとは思いつつ、プルさんに来年の目標を訊ねた。具体的な言い回しは忘れてしまったけれど、プルさんは今済んでいる横浜という街を耕そうとしているらしかった。終電に近い電車で高田馬場まで戻り、知人と二人で「米とサーカス」に入って鹿ロースステーキを食べた。ジビエである。


11月22日(金)

 9時過ぎに起きる。10時、バナナを食べてジムに出かけ、8キロほど走る。時速8キロで走っているから、1時間走っていたということになる。調子に乗ってまた速度を上げたくなってくるが、そんなことをしていればすぐに腰か膝を痛めるのが目に見えているので我慢。アパートに戻ってみるとまだ知人は眠っていた。13時、昼食。セブンイレブンのサラダチキンと、昨日の鍋の残りを食べた。テレビでは「スタジオパークからこんにちは」が始まった。毒蝮三太夫が出ていて、「毒舌と言われるのは心外」と語っている。曰く、ババアと呼ぶ相手は「関東大震災を知ってるくらいじゃないと」。それくらいでなければ、ババアと呼ぶほどの「魅力と貫禄とチャーミングさない」。

 14時近くになってアパートを出て、新幹線で仙台へと向かった。やまびこ。乗換案内で検索すると30分後の新幹線が表示されているが、ホームにはちょうど一つ前のやまびこが入線するところだ。それならばとそちらに乗車したのだが、後で詳しく調べてみると、どうやらこちらのやまびこのほうが停車駅が多いようで、一本あとのやまびこのほうが早く到着するらしかった。乗り換えるのも面倒なのでそのまま乗車していた。

 17時頃に仙台に到着。ホテル(東横イン仙台西口広瀬通)に荷物を預け、まずは「火星の庭」へと出かけた。ケンさんが一人で店番をされている。僕はコーヒー(中煎り)を注文して、買おうと決めた藤井豊さんの写真集『僕、馬』をめくる。30分弱で店を出ると、ほんの少しだけ雨が降っている。次に向かうのは「SENDAI KOFFEE CO.」。今日は前野健太のツアー「歌のこけし集め」の仙台公演があり、それを観るため(そして久しぶりに仙台を訪れるため)にやってきたのであある。「ちいさな出版がっこう」の参加者だったT嶋さんの姿もあった。彼女とT田さんとが「ちいさな出版がっこう」で作ったリトルプレス『ななめにあるく』、第2号に向けて準備を進めているらしい。出版が楽しみだ。そうしていろんなことが連鎖して続いていけばいい。

 19時過ぎ、開演。印象に残ったことだけ書き記す。この日は、9月に吉祥寺のライブで聞いて以来、「またどこかで聴きたい」と思っていた藤圭子「新宿の女」を聴けたのが嬉しかった。この日は「ブラザー軒」や、ジャック・プレヴェールや片山令子の詩に前野さんが曲をつけた歌を歌っていた。ライブの冒頭に「(会場が)おしゃれなカフェなんで、それに合った選曲を」と前野さんは語っていたけれど、特に前半は文芸的な曲が多かった。その雰囲気は仙台という街にも似つかわしいような気がした。この店を含めて、ライブを開催する喫茶店やギャラリーが仙台にはいくつもあるし、この日のお客さんも、静かに誰かの歌を聴くという感じだった。それは会場の雰囲気が影響したところも大いにあるだろうけれど、仙台の人びとの歌に対する温度というのがあらわれているようにも思えた。暖炉の前に佇んで歌を聴いているような雰囲気、と言えばいいのか。

 もう一つ印象に残っているのは、これまた前半に演奏された「友達じゃがまんできない」である。「きみのこと好きだよ ぼくのことも好きでしょ」――その歌い出しの声を聴くと、少し“仕事”っぽさが滲んだように感じた。前野さん自身もそう感じたのか、「今のはちょっと、気持ちが入ってない」と演奏を止め、「もしよかったら、皆さんが好きだと思ってる人を思い浮かべていただいていいですかと口にした。「できれば僕を見ないで、全員目をつぶっていただいて、それで歌いますんで。そしたらなんか、良い気がする。よろしく」。そう言って再び「友達じゃがまんできない」を歌った。今度は歌いだしから気持ちが入っていた。少し驚いたのは、僕から見える範囲に座っているお客さんのほとんどが、本当に目を瞑り、うつむいて前野さんの歌を聴いていたことだ。その一瞬だけを思い返しても良いライブだったと思う。

 「あまり飲み過ぎないように」という邪な気持ちから、公演前にタバコを買っていた。何杯もお酒を飲むかわりにタバコを吸って歌を聴こうなんて考えていたのだけれど、会場内は禁煙で、結局1本もタバコを吸わなかった。据えないにしても、あまり飲み過ぎるとカロリーがと気にしていたのだけれど、終盤、会場内の電源を落としたあたりからの演奏――「コーヒーブルース」、「ファックミー」、「天気予報」、「18の夏」、「東京の空」、「愛はぼっき」という流れがあまりに良くて、僕は席を立ってバーカウンターの前に立ち、ほとんど1曲終わるごとに追加するようなペースで赤ワインを飲んだ。「寒い季節になりますね。楽しい冬をお過ごしください」――その言葉でライブは幕を閉じた。


11月23日(土)

 朝8時に起きると、グラタンが入っていたとおぼしき容器が転がっている。またやってしまった……。昨晩はライブのあと、一人で飲みに出かけた。仙台の酒はうまく、つい飲み過ぎてしまう。酔っ払うと、夏は冷やしとろろそば、冬はラーメンをコンビニで買ってしまうクセがある。酔っ払いつつも「寝しなに麺を食べてはまずい」という意識が働いたのか、麺を避けてグラタンを選んだのだろう。だが、グラタンがヘルシーなはずがない。酔っ払った僕の思考の弱さがあらわれている。

 10時過ぎ、ホテルをチェックアウト。駅近くのモスバーガーでホットコーヒーを飲みつつパソコン仕事。電源があり充電ができるので便利だ。お昼が近づいたところで店を出て、せんだいメディアテークまで散歩。定禅寺通を歩いていると、ばらばらと葉が落ちてくる。今日は天気もよく、絶好の紅葉狩り日和だ。ただ、せんだいメディアテークまで地下鉄やバスではなく歩いて向かったのは紅葉を楽しむためではなく、腹を空かせて、少しでも美味しくお昼を食べるためだ。

 13時半、仙台駅まで戻ってくる。20分ほど並んで、ようやく「北辰鮨」に入った。久しぶりにここの寿司が食べられる! 興奮を抑えつつ、まずはビール(ちょい小さめ)を注文する。ボードを確認すると、いつもはメニューにないネタ――松川かれいとにしん(炙り)を注文。うまい。次は、いつも注文するかわはぎ(肝のせ)と金目鯛。うまい。今度は乾坤一(ひやおろし)を注文し、たら白子と中落ち軍艦。うまい。とろける。ぼたん海老と活あか貝。うまい……。再度ぼたん海老と、鮪ほほ肉(炙り)。うまい………。「今日は10貫までにしておこう」と決めていたので、これで食べ終わるつもりだったのだけれど、どうしても我慢できずに3貫目となるぼたん海老を最後に注文した。海老の尻尾が増えていく。ここで海老を食べて暮らしていたい。

 バスでのんびり帰京しようかと思っていたけれど、仕事が入ったので新幹線で東京に戻る。高田馬場に着くまでのあいだ、数日前に買ってあった『週刊文春』(11月28日号)をずっと読んでいた。今週号を買ったのは、この小林信彦さんの言葉を書き写すためだ。

 やれやれ、と思う。オリンピックとなれば、日本人の悪い面が出てくるだろうと予想していたが、こうストレートにくるとは心外である。

 一九六四年のオリンピックのときは、東京大空襲から十九年後ということもあって、まだ若干のプラス面もあった。青山通り(国道246号)を約二倍にひろげたのは、すでに車が混んでいたことを考えれば、意味がなくもなかった。

 ただ、まずいのは〈外国からくるお客さんに醜体を見せたくない〉という基本的な精神である。もっとはっきりいえば、〈みっともないところを見せたくない〉という貧乏くさい気持だ。

 このあとには小林さんの具体的な記憶が続いていく。ふむふむ。大宮から埼京線に乗り換えると、「私、偏差値が高い人のことが好きなのかもしれない」という声が聴こえてくる。女が「お腹空かない?」と訊ねる、男は「あんまり空かない」と答える。女は溜め息をついて「『オレは空かない』じゃないの、そう言われたら『君はお腹空いた?』って聞き返すの、わかる? それがコミュニケーションなわけ。会話っていうのは高等技術なんだよ、わかる?」。こんな人が本当にいるのだなあとむしろ感心してしまった。

 アパートに戻り、荷物を置いて新宿に出かける。18時に「紀伊國屋書店」(新宿本店)で待ち合わせて、新宿3丁目にある洋食屋「A」に入り、『S!』誌収録。豚のじゅーじゅー焼きやオムライス、それにハンバーグが運ばれてくる。「はっちゃんはダイエット中かもしれないけど――食べて?」と坪内さん。そう言われて食べないわけにはいかない。19時40分頃に終了し、同じビルの4階に入っている「E」というバーに移動する。Aさんという編集者の方も一緒だ(『S!』誌の編集者ではないけれど)。

 坪内さんはAさんについて、「このアニキはかなり厳しいですよ」と言った。僕はAさんの向かいに座っていたけれど、質問を投げかけるときの目がとても鋭く、思わず目を伏せそうになってしまう。話の流れで、「オレ、頭悪いのダメなんで」とAさんは言った。「オレはね、キャッチボールをしたいわけ。投げて帰ってけえへんかったらアウトなわけ」と。同じ言葉を昼も耳にしたけれど、どういうわけだかニュアンスがまったく違って聴こえる。坪内さんは「アニキ、それは厳し過ぎるよ」と言っていた。「オレはキャッチボールできない人のほうが好きかもしれない。はっちゃんはどう?」と坪内さんは僕に話を向けた。僕はキャッチボールができなくてもいいから、感じのいい人がいい――そう思っていたけれど、Aさんに「嫌やねんな?」と訊ねられると、つい口ごもってしまった。

 ここで日記を閉じようかと思ったけれど、これで終わるとAさんがただ怖い人みたいに読めてしまうかもしれないので、別の話を。Aさんは、『en-taxi』に掲載された石原さんへのインタビュー(聞き手は坪内さん)の構成を褒めてくれた。石原さんの「それは面白いポイント・オブ・ビューだね」という発言があるのだけど、それを生かしただけでも「信頼できる」とAさんは言ってくれた。そうやって見てくれる人がいるというのは嬉しいことでもあるし、同時に怖いことでもある。結局「怖い」という話になってしまった。


11月24日(日)

 朝9時に起きる。朝食にバナナを食べて、10時のオープンと同時にジムに入る。昨日は2軒目のバーで出た落花生も大盛りスパゲティもチーズもおいしかったのでつい食べ過ぎてしまった(上着のポケットをさぐると、落花生がいくつか入っていた。あんまり美味しかったのでこっそりポケットにしのばせてしまったのだろう)。そのぶんも運動しようと、今日はいつもより30分長く、1時間半ほどジョギングした。走っているあいだは『パルプ・フィクション』を観ていた。面白い。ジムの壁に少しだけクリスマスのデコレーションが施されていた。近所のスーパーにも、お菓子が詰め合わせになった長靴やシャンメリーが先週あたりから並び始めている。

 帰りに「芳林堂書店」(高田馬場店)に寄って、速水健朗『1995年』、重田園江『社会契約論』、湯浅学ボブ・ディラン』、酒井順子ユーミンの罪』、内澤旬子『捨てる女』、大江健三郎『晩年様式集』、そして今さらながら本間健彦『60年代新宿アナザー・ストーリー』を買った。セブンイレブンに寄ってサラダチキンを買おうと思ったら、どこの棚を探しても見当たらない。少し買い溜めしてあったのだけど、それは知人が食べてしまっていた。そんなわけでお昼はマルちゃん正麺カレーうどん)もやしのせだけ食べた。

18時、知人と二人で高円寺「コクテイル」。知人は赤ワイン、僕は日本酒(榮川)を飲んでいた。今日はひとりではないので、アレコレ注文できて楽しい。茄子にんにく炒めや鶏肉のレモンソテーなどをいただく。飲みながら、こないだ観た東葛スポーツの話をしていた(知人は未見)。僕は興味があるしこれからも観続けるけれど、褒めている人たちが何を以て褒めているのかわからないという話をした。これは別に、東葛スポーツがダメだとかそういう話ではなく、褒めかたの問題として、だ。知人は「他の何にも似てないからじゃないの」と言っていた。「何にも似てないってすごいことなんだよ」と。なるほど、それはわかる。でも、それならば「何にも似ていない」あるいは「新しい」と書かれるべきだ。

 2時間ほど飲んだあとで、思い切って店主のKさんに話を切り出す。「すごい勝手な相談で申し訳ないし、ムリならムリで全然構わないんですけど……12月3日、お店を開けていただくことってできませんか」。その日は定休日だけれども、僕の誕生日なのだ。いや、普通なら諦めるところだけど、3年前から毎年「コクテイル」で過ごしていて、昨年訪れた際には「定休日でも、言ってくれたら開けますから」とKさんが言ってくれていたのだ。予定を確認して連絡しますとのことで、僕は名刺を渡してから店を出た。

 このまま帰るつもりでいたのだが、知人が「寄りたいところがある」という。すぐ近くにある「素人の乱」で個展が開かれていて、そのことを桜井さんが絶賛しているというのだ。僕は少し酔っ払っていたので「帰ろう」と言ったが、知人が「せっかくだから」と言うので随いて行った。階段を上がると、「こちらにお名前と住所を」と芳名帳を差し出される。僕はその時点でムッとしたところもあるが、前にいる知人が書けば済むだろうと思って俯いていた。知人がそれに記入し、「一緒です」と笑顔で芳名帳を返そうとしたが、それでも書くようにと言われてしまった。僕は走り書きで、平仮名で名前だけ記入して芳名帳を置いた。

 とりあえず中に入る。最初の小部屋には、うさぎ(だったか記憶がもう曖昧だが)の着ぐるみが立たせてある。その中指もこちらに向かって立っている。床には赤い何かが敷き詰められていて、よく見るとそれは赤く塗られた米粒たちだった。せっかくの酒がまずくなったな。そう思った。綺麗事と思われるかもしれないが、やはり僕は米なんか踏みたくない。僕の幼少期に読んだ絵本や見たテレビのことをあまり覚えていないけれど、数少ない記憶の一つは「パンをふんだむすめ」だ。タイトル通り、パンを踏んだ娘の話なのだが、その娘は地獄に堕ちてしまうのである。その暗い画面、「♪パンを踏んだ娘 パンを踏んだ娘 パンを踏んだ罪で 地獄に堕ちた」という歌が、ほとんどトラウマになっている。

 そのこともあって、まず食べ物を踏んでいるということで気分が悪い(日本酒を飲んだあとに米を踏むと余計に)。もちろん、アートが倫理的である必要はないのかもしれない。倫理や常識、感情を逆撫でしてみるということ自体は否定しない。しかし、それを逆撫ですることで何が生まれるのか。福島の米が“踏みつぶされている”現状があるかもしれない。あるいは、そうした不快感を喚起するということにアートとしての意味があるのかもしれない。しかし、それで“私”に何が生まれるというのか。

 これはChim↑Pomの「ピカッ」騒動のときに感じたことにも近い。僕は広島出身だが、広島の人間にとって原爆は忘れられない出来事だ。それは実際に「まだ被爆者が生きている」とか「私たちの先祖が」というだけではなく、学校では年に何度か平和学習があり、夏休みの登校日には毎年同じような映画を観させられる。そうした意味で、若い世代の中にも原爆のことは記憶化されている。その広島上空を「ピカッ」とさせることで、その空の下にいた人たちに何が生まれるというのか。原爆のことが風化しているというのであれば東京の空を「ピカッ」とさせればいいし、広島において原爆というものの語られかたがが固定してしまい、そうした意味で「風化している」というのであれば別のやり方があっただろう――騒動を知ったときに僕はそう思った。

 次の部屋に移ると、モニターにクルマが映し出されている。どうやら被災地に残された、持ち主不明となった(?)クルマであるようだ。そのクルマに残った指紋を彼らは採取し、作品にしている。モニターの映像では、クルマのボディに赤いスプレー缶で「人」という字を書き続けている、「人という字は、人と人とが支え合ってできている」というような言葉が繰り返し流れている。被災地では、撤去する建物や何かに赤いスプレー缶で印を付けたという話を聞いたことがある、それを踏まえた作品だろう。

 それを観たときの感想を正直に書けば「何をいまさら」だった。これまでにも被災地の状況や現状を伝える言論や作品はいくつも制作されてきた。そのなかで僕が一番ハッとさせられたのはChim↑Pom展「REAL TIMES」だ。それは2011年5月に開催された展覧会だった。その展覧会では岡本太郎の「明日への神話」への“加筆”についての映像作品が展示されていた(と思う)けれど、僕がハッとしたのはそれではなく、展覧会のタイトルにもなっている「REAL TIMES」という映像作品だった。映像の中で、彼らは福島第一原発にある展望台に登り、赤い放射線マークを描いた白旗を掲げていた。その頃、僕の中では原発と自分とのあいだにモヤモヤした何かがあった。線量だ何だと色々なことが語られてはいたけれど、それが実際にどの程度影響のあるものなのかわからずモヤモヤしていた。しかし、彼らはそこを軽く飛び越えていき、映像作品を制作していた。そのスピード感と、彼らの「今、行動を起こすんだ」というメッセージとにハッとさせられたのだと思う。

 今、この2013年に、クルマから指紋を採取し、人という字を書き続ける――その作品を観ることで私たちに何が起こるだろうか。

 展示はもう一部屋あるようだったけど、席が埋まっていたのでそこはパスして外へ出た。出口に立ってみると、そこには封筒が並んでいた。その一つに「はしもと様」と書かれたものを見つけた。どうやら入口で名前を書かせたのはこのためだったらしいが、僕は「気持ち悪い」と感じた。その感情をたどると、勝手に巻き込まれていることに対する不快感なのだと思う。そうしたことを感じさせるために手紙を置いているのかもしれないが、それが何を生むのか。

 手紙を開いてみると、「ここではないどこか」への道順が記してある。「ここではないどこか」というのが展示のタイトルであるらしい。そこにはこうした言葉が書かれている。

 皆が募金をはじめた頃
 僕たちはタイムカプセルを埋めに行った。
 
 皆が忘れ始めた頃
 僕たちは指紋を集めはじめた。

 「震災ネタってうざいよね」と酔った友達が言った。
 翌日、僕たちは再びあの場所へ向かった。
 ここではないどこかへ。

 言わんとすることはわかる。だが、この作品が、「忘れ始め」た人たちの心を打つだろうか。刺さるだろうか。ハッとするだろうか。何かに触れたと感じるだろうか。美しさをおぼえるだろうか。僕は、その展示からは「何をいまさら」としか思わなかった。「忘れたとは言わせない」という力を感じることはなかった。風化しつつあることを刺すなら、もっと違うやり方があるのではないか。さきほどの文言をかんがみれば、「何をいまさら」と思わせるのではなく、「何をいまさら」という感情に後味の悪さを感じなければ意味がない。その後味の悪さは「米を踏ませる」というところで喚起させられるが、その不快感と「ここではないどこか」が繋がることはなかった。少なくとも、僕の中では。

 帰り道、僕はずっとブツブツ言っていた。高円寺から高田馬場まで帰る間に何度も考え直したけれど、結局、ツイッターにこうつぶやいた。「コクテイルで飲んだ帰り、知人が「素人の乱で桜井さんが絶賛してる展示やってるから」と言われて観に行ったけど、酒がまずくなった。」


11月25日(月)

 
 朝8時に起きる。12時、昼食。マルちゃん生麺(カレーうどん)もやしのせ。午後はメール・インタビューの回答を考えていた。内沼晋太郎さんが編集長を務める『DOTPLACE』というサイトで連載されている「セルフパブリッシングで注目の、あの作家に聞く」というページだ。僕は「セルフパブリッシングで注目」されている人間もないし、『hb paper』は1年以上新しい号を出せていないので「あまり向いていないのでは」と断ろうとしたが、それでも「ぜひ」と質問を送ってもらったので、それならばと必死に答えを考えているわけだ。

 18時、夕食。白菜、大根、長ねぎ、えのき、たらの入った鍋。食べ終えたところで池袋に出かける。鍋の準備をしていたところに友人のUさんから飲みのお誘いをもらっていたのだ。誘いがあるというのは嬉しいことだ。池袋西口「F」の階段を上がっていくと、一番手前の席にUさんが座っている。Uさんは「仙台、寒かった?」と僕に訊ねた。思い返してみると、案外寒くなかったかもしれない。話は自然と仙台で観たライブの話に向かった。会場で会ったT嶋さんに「去年はZAZEN BOYSを追いかけて、今年は前野健太を追いかけてるんですね」と言われていたが、たしかに、言われてみればその通りだ。

 その話をUさんにすると、「前野さんとZAZEN BOYSって、音楽的にちょっと違うじゃない? それは橋本さんの中ではどう繋がってるの?」という意味のことを訊ねられた。たしかに、前野さんとZAZENとでは、音としてそんなに近いわけではないけれど、前野さんと向井さんとは、僕の中でとても近い位置にいる人だ。その共通点について語りながら、僕は板わさと塩辛、それにUさんに分けてもらったえんどう豆を食べていた。

 飲んでいるうちに閉店時間となった。帰り道に立ち寄ったコンビニで、Uさんは僕のぶんも缶ビール(黒ラベルのロング缶)を買ってくれた。それを飲みながら歩いていると、向こうのほうで見知った人影が横切ったような気がした。あれ、目の錯覚かなと思っていると、もう一人見知った顔が横切る。近づいてみると「古書往来座」のセトさんで、さっき横切ったのはムトーさんだった。これから、「古書往来座」のすぐ近くにできた酒場に飲みに行くところだという。

 せっかくなのでUさんと僕も一緒に店に入り、レモンサワーを飲んだ。店内に流れるBGMにセトさんがハッと反応した。それは「ハレルヤ」という曲らしかった。セトさんはレナード・コーエンの「ハレルヤ」という曲によく反応するらしい。飲みながら、とあるお願い事をした。その件については来月には動き始める予定。


11月26日(火)

 朝8時に起きて朝食(残り)。10時過ぎ、ジムに出かけて1時間ほどジョギング。少し膝が痛むので、8km/hから7km/hに戻した。走っているあいだ『スパイダーマン』を途中まで観た。12時、昼食。ここのところマルちゃん生麺(カレーうどん)ばかり食べていて、さすがに不健康かもしれないので、今日は袋麺のラ王(味噌)にした。

 午後、昨日に引き続きメール・インタビューの回答を考える。せっかくなのでキチンと答えようとすると案外大変だ。14時半にアパートを出て、神奈川芸術劇場へと向かった。16時、マームとジプシー「モモノパノラマ」写真撮影。3度ほどストップが入ったが(そのうち1度は、2枚用意していたメモリーカードが両方一杯になってしまったので僕がお願いして中断してもらった)、本番と同じようにすべてのシーンが展開されていく。2時間撮影しているうちに汗だくだ。外から見ていると今回の作品は少し静かだが、その世界に混じりながら撮影してみるとタフな動きの連続だ。

 本番までのあいだ、楽屋で電源を貸してもらってメール・インタビューの回答の続きを考える。作業をしていると青柳さんが通りかかった。先ほどの撮影を青柳さんはモニターで見ていたそうで、「橋本さん、出演者の一部みたいになってたよ」と青柳さん。19時の開場時刻にあわせて表にまわり、19時半、「モモノパノラマ」観劇。前回は「どう撮るか」を考えながらだったので内容があまり頭に入っていなかったけれど、良い作品だ。何より川崎ゆり子さんが素晴らしい(「素晴らしい」とまで思ったのは今回が初めてかもしれない)。

 たとえば、どこかの家から漂ってきた夕飯の匂いに対して「胸くそ悪い」という台詞。彼女は一見おちゃらけているけれど、重い何かがのしかかっている。天気で言うなら曇り空だ。ズーンと厚くて重い雲。その重さ(と苛立ち)は他の登場人物にも通底している。発情期の猫が疼いて疼いて仕方がないのと同じように、自分の中にある何かが疼いている。思い返せば、そうした重さと苛立ちというのは、「あ、ストレンジャー」の登場人物たちにも共通しているものだ。それは一体、どこからくるのだろう? それは「震災以降の空気」というのとも違うものだ(と僕は思う)。では、一体どこからくるのか。少し前に読み返した『ナイン・ストーリーズ』の登場人物たちも重い何かと苛立ちを抱えていた、そしてそれは第二次世界大戦と関連づけて語られることもあるが、この「モモノパノラマ」の人たちに影響を及ぼしているものは一体何だろう?

 終演後、近くのローソンに入ってメール・インタビューの回答を完成させる。そこに藤田さんから電話があり、22時過ぎ、何人かで飲みに行くことになった。ツマミとしてあんきもポン酢、白子ポン酢、アジのなめろうを注文するようだったので、それならばと日本酒を飲むことにした。藤田さんに「今回、川崎さんいいですよね」と訊ねてみると、「たしかに、今回のゆりりの台詞は全部良い」と返ってくる。「ゆりりはトボけてるから、リズムが変なんだよね。彼女なりに最速でやろうとしても遅かったりするんだけど、それが全体のリズムになってることに今回気づいた」と。

 藤田さんの隣りには弟さんが座っていた。「モモノパノラマ」は、二人の姉妹が猫を飼い始めて、その死を見届けるまでの物語だ。タイトルにもなっているモモというのは、藤田さんと弟が飼っていた猫の名前である。舞台の中で、上京の際に家にあるCDを持って行こうとする姉に妹が「ずるい」と言うシーンがあるが、それは藤田家で起きたことでもあるらしく、藤田さんが上京する日に取っ組み合いの喧嘩になったのだという。「初めて息子が上京するもんだから、父さんが一杯CDあげようとするんですけど、その中に俺も聴きたいCDいっぱいあったから」とは弟の弁。「ほんと上京当日に喧嘩になって、喧嘩したまま出てったから」とは兄の弁だ。「あの『CDと漫画は家族の財産だから』って台詞、完璧に弟の言った台詞だから」。

 このタイミングしかないと思って、僕は弟さんに質問をぶつけた。そうした話を踏まえてつくられた作品を観た感想はどんなものだったのか、と。「今日のは色々思い出せてよかったです」と弟さんは言った。「僕はモモが死ぬとこを見れなかったから、今日のを見れてよかったなっていうのはあります」。


11月27日(水)

 9時過ぎに起きる。午前中に散髪へ出かけた。高田馬場駅構内にある千円カットの店。少し伸びてきた髪の毛をどうしようかと迷っていたけれど、知人に相談しても「ずっと坊主だから坊主以外思い浮かばない」と言われるし、数日前に「2歳の娘を舞台に立たせたい」とテレビ画面で語っていた海老蔵を見て「坊主も悪くないな」と思ったり、土曜日にお会いした編集者のAさんを前にしたときにも「坊主っていいな」と思っていたので、また丸刈りにしてもらった。今回は久しぶりに3ミリまで刈り込んだ。

 昼、袋麺のラ王(味噌)もやしのせ。食後、パソコンを開くとメール・インタビューの校正が届いている。少し修正を加えて返信すると、16時過ぎには公開されていた。ここから読めます。http://dotplace.jp/archives/6006

夕方、浅草へと出かけた。16時57分、開演まであと3分とギリギリのタイミングでアサヒ・アートスクエアに入る。今日は柴田聡子「たのもしいむすめ」があるのだ。柴田さんはミュージシャンだが、「たのもしいむすめ」はフェスティバル/トーキョーの公募プラグラムとして“上演”される作品だ。一体どんなステージになるのか楽しみにしていた。

 4階まで上がって受付で「橋本です」と名前を伝える。スタッフが名簿を探してくれたけれど、どうも名前が見当たらないようだ。「失礼ですが、どちらからお申し込みされましたか?」とスタッフの方。「F/Tのサイトからです」と僕。「それでしたら、セブンイレブンでの発券となりますので、お近くのセブンイレブンで発券してお戻りください」。そうだったのか。ウェブサイトからクレジット支払で入金を済ませていたので油断していた。僕が観ている演劇は、予約だけしておいて当日精算が多いこともあって油断してしまったのかもしれない。

 開演まではあと数分しかないが、近くのセブンイレブンを検索してみる。最寄りのセブンイレブンは雷門の前にあるようだ。7分近くかかってそこまで歩き、レジで店員に発券に必要な番号を伝えると、「期限が過ぎてるので発券できません」と言われてしまった。そんなバカなと、予約と入金をした際に送られてきたメールを確認する。たしかに発券期限を過ぎている。どうやら、こういうことらしい。通常なら公演日の23時59分まで発券可能だ。ただ、僕は複数の公演のチケットを予約していた。そうすると、発券期限は一番先にある公演の日までで統一されてしまうようだ。その一番先にある公演は別件が入って観に行けなくなって発券しないままになっていたので、他のチケットの期限が切れてしまうことに気づかなかったのである。

 しばらくセブンイレブンのレジ脇で呆然としていたが、突っ立っていても邪魔になるので店を出た。いっそ戻って当日券を買おうかとも思ったが、戻る頃にはずいぶん劇(?)は進んでしまっているだろう。縁がなかったんだと諦めることにして、吾妻橋まで引き返し、「炭焼き天空酒場 伝一郎」に入ってそしてポテサラ(290円)を注文した。それを肴にビールを1杯だけ飲んで、銀座線で上野に出、「UENO3153」とアメ横の風景を少し撮影し、山手線で新宿に到着する頃には19時になろうとしていた。

 「紀伊國屋書店」(新宿本店)で友人のAさんと待ち合わせる。僕の頭を見て、「どうしたんですか」とAさん。「いや、この髪型のほうが歩きやすいんで」と僕。3ミリまで短くすると、向こうが避けてくれることが多いのは事実だ。そんな話をしながら歩き出すと、向こうから、ちょっといかつめの人がやってきたので僕はすっとかわした。Aさんはそれを見逃さなかったのか、嬉しそうに「今の人は避けてくれましたか」と言った。今日は三の酉とあって新宿は大賑わいだ。靖国通りにはずっと屋台が出ていて、歩道は人で溢れていてなかなか前に進めない。何とか参道の入口までたどり着いても、そこからは一層渋滞している。靖国通りを渡ってから花園神社の拝殿にたどり着くまで、結局15分近くかかってしまった。

 長蛇の列ができているのでお参りはあとにして(列は鳥居を突き抜けて右に曲がり、靖国通りのあたりまで続いていた。この列のために明治通りは交通規制をして左車線を臨時の歩道にをしているのだな)、どこか腰を落ち着かせて飲めそうな屋台はないかと探してまわったが、どこも満席のようだ。屋台で飲むのも後回しにして花園神社を出て、新宿五丁目の交差点近くにある中華料理屋「九龍餃子房」に入った。Aさんと酉の市にくると、結局いつもここで飲み始めている。まずは生ビールで乾杯し、餃子、星豆腐などを注文する。「はっちゃんはダイエット中かもしれないけど、食べて」とAさん。Aさんは僕のことを普段「はっちゃん」とは呼ばない、これは土曜日の日記からの引用(?)である。ホッピーに切り替えたあたりでAさんの妻・ドド子さんもやってきて、もう一度乾杯を。

 2時間半ほど飲んで22時、花園神社に戻る。まだかなり賑わっていたけれど、何とか屋台に座ることができた。僕は熱燗を注文した。Aさんとドド子さんが何を飲んでいたのかは記憶が曖昧だ。この日の会話で印象に残っているのは、ドド子さんから「橋本さんのつぶやきとかを見ていると、『ああ、橋本さんが何かに夢中になってるんだな』ってことは伝わってくるんだけど、『じゃあ私も見てみよう』とはならないんですよね」と言われたこと。ライターとしては致命的な気もするけれど、まあ実際、誰かに何かを勧めるのは得意じゃないし、自分がライターであるという意識もわりに希薄だし、ドド子さんからも「褒め言葉ですよ?」と言われたので、特に落ち込んだりはしていない。

 明日も平日なので、23辞過ぎにはAさん、ドド子さんと別れ、ひとりでまた見世物小屋に入った。中に入ってふと後ろを振り返ると、子供鉅人の益山貴司さんがいた。役者さんたちの数人も一緒だ。「今度F/Tでやる作品、観に行きます」と挨拶する。僕は前から2列目あたりで見ていたのだが、あとから入ってきた若い3人組は、酔っ払っているのか、ステージをバンバン叩きながら観ている。ちょっとバカにしているのだろうか。そんなことを考えているところにへび女が登場した。僕が彼女のパフォーマンスをじっと見ていた。へび女が終わったところで周りに視線を向けてみると、騒いでいた3人組のひとり、若い女の子はぼろぼろと涙をこぼしていた。どうして泣いたのかはわからない。僕は出口でお金を払う際、見世物小屋の人に少しだけ話を聞いた。

 見世物小屋を出て、新宿5丁目「N」に流れた。そこで1時間ほど飲んで、再び花園神社に戻る。時刻は1時を過ぎている。この日、花園神社にいるあいだはずっと写真を撮っていた。拝殿の前に立っていると、向こうから歩いてくる人の姿が妙に気になった。よくよく見ると、それは僕の大好きなミュージシャンの姿だった。


11月28日(木)

 9時頃起きて、『S!』誌のテープ起こしに取りかかる。13時近くになって完了、昼食。袋麺のラ王(味噌)もやしのせ。締め切りのある日は食欲が増すのか、夜の酒のツマミにと買っておいた塩えんどうも食べてしまった。午後は『S!』誌の構成。今回はほぼワンテーマなのでスムーズに構成できるかと思ったけれど、伝わりやすい構成にするにはどうすればよいかと考えているうち時間が過ぎていく。

 日が暮れたあたりで鍋の支度を始める。野菜を切っているうち、「料理なんてしてる場合なのか」という気にもなってくるが、腹が減っていては仕事にならない。19時、夕食。白菜、大根、長ねぎ、えのき、牡蠣、いわしのつみれを入れた寄せ鍋(味噌ベース)。こうしてみると何と変わり映えのない食生活だろう。『S!』誌の構成は22時になってようやく完成し、メールで送信。23時に編集部・Mさんから電話。1時間ほどかけて指摘してもらった箇所を修正し、0時過ぎにメールで送信。


11月29日(金)

 9時に起きる。録画した「ごちそうさん」を観ながらストレッチをして、10時のオープンとともにジムへ。これまで毎日、あるいは1日おきに走るようにしていたのに、昨日も一昨日も走れなかったので、今日は1時間半ほどジョギング。走っているあいだは『さよなら、さよならハリウッド』を観た。12時半、昼食。袋麺のラ王(味噌)もやしのせ。

 昼過ぎ、フェスティバル/トーキョーの事務局に連絡。発券できなかったチケットには一昨日のものだけではなく、今晩のチケットもあるのだ。事情を話すと、色々あって「では受付に用意しておきます」という話になった。それでもう話は終わっているのだけど、名残惜しいというのか、「一昨日のチケットも発券できなくて」と伝える。最初に応対してくれていた女性が別の女性に電話を代わる。さきほどの方より自信のある声をしている、その女性は「それはどうにもできないですね」と、至極真っ当なことを言った。まったく、その通りだ。もう公演は全日程終わってしまっているし、別に2千数百円のお金が惜しいというわけでもないのに、どうして僕は「一昨日のチケットも発券できなくて」なんて口にしてしまったのだろうか。

 夜、浅草へ。19時、アサヒ・アートスクエアに入り、受付を済ませて席を確保したのち、一旦外に出る。人通りのない場所を探して、上演中にお腹が減らないように家から持ってきたきゅうりを丸のまま齧る。スカイツリーが近くに見えている。咀嚼しても咀嚼してもきゅうりは中々減らず、食べ終えるまで15分もかかってしまった。アートスクエアに戻り、19時35分、予定より少しだけ遅れてQ「いのちのちQ?」観劇。Qの作品は「虫」と「すーしーQ」の2回しか観たことがないけれど、その2作品に比べると「な……何を言ってるんだ」感は薄くなっているように感じた(3度目だからかもしれないが)。つまり、「このシーンはこういうことを考えたいのだな」ということが以前よりはわかる気がする。

 たとえば。銀座で寿司界の革命児になる夢に挫折し、今は浅草でしーすーBARを営む女性の語る、「わたし、未知のドッキングで血が騒ぐんだ、だからしーすーにこんなにも情熱を燃やしてるんだ」という台詞(普通に生きていれば出会うはずのない米と魚のドッキング)。この「未知とのドッキング」ということは、しーすーに限らず、「いのちのちQ?」に通底しているものでもある。

 それにしても、Qの舞台を観ていていつも感心するのはテレビの扱い方だ。おそらく、脚本を書いている市原佐都子さんは別にテレビっ子というわけでもないのだろうけれど、登場人物たちがテレビ番組を口にするときに取ってつけた感じがしないのだ。僕はテレビばかり観て過ごしているせいか、舞台でテレビ番組を口にするシーンを観ると「ちょっと取ってつけたみたいだなあ」と思ってしまうことが多いのに、Qではそれを感じない。平日の昼間から「ヒルナンデス」とか観てそうな感じがする(観てないだろうけど)。

 「虫」という作品では、ヒナ(関ジャニ∞村上信五)が出演する番組を録画しておいて、それを観ることだけが楽しみになっている女性が登場する。その、ヒナというセレクトはジャストだと思ったが、それはおそらく、市原さんが「ヒナ」というフレーズをセレクトしたというよりも、別の誰か(その役を演じていた人かも?)がヒナのファンだったのだろう。普通なら「ヒナが好きなんだー」と言われても「へえ」で終わらせるところを、市原さんは「そういう生活があるんだな」と好奇心を持って観察しているのではないか。あるいは、僕たちがいい加減に眺めているテレビ番組のことも、しげしげと見たりしているのではないか――と、これは僕の勝手な推測だけれども。

 舞台には「この家、なんだか停滞しているわ」と言う台詞も登場する。その台詞を語るのは血統書付きの雌犬だ。彼女が交配することになっている雄犬はただただ食べ物をむさぼり、怠惰にテレビを観ている(テレビでサッカー中継を観てあまりに騒ぐので、飼い主に声帯を切られてしまう― ―声帯を切られた犬といえば、これもテレビのことを思い出す。『ZIP!』に出演していたZIPPEIという犬だ)。そうして、ただただ飲み込むようにしてテレビを観ている日常というのはある。僕の生活もそうだし、実家に帰るたび、母親が朝から晩まで、基本的にはテレビの前で過ごしている。そうした僕(たち)の日常とは、何だろう。

 21時15分頃に終演。公演を観にきていたプルさん、Oさんと一緒に少しだけ飲みに行くことにする。以前行ったことがあるという「てっぱん大吉」という店に入る。今日はずいぶん冷えるので、熱燗を2合(おちょこは3個)注文する。せっかくもんじゃ焼きの店にきたのだからと、明太スペシャルもんじゃとパワー系もんじゃ(ニンニクの芽とニンニクチップが入っているらしい)を頼んだ。運ばれてきたもんじゃはOさんが焼いてくれた。僕はもんじゃを数えるほどしか食べたことがないけれど、こんなに丁寧に作る人がいるのかとしげしげ眺めていた。土手というのか、あれを丁寧に広げていきながら、少しずつ汁を加えて少しずつ広げていく。あんまり見事なので写真を撮りたい衝動に駆られたけれどグッと堪えていた。
 
 飲んでいるうち、プルさんは「今の東京では言葉が消費されていると思うんだけど、今、橋本君が東京にいる理由って何?」という意味のことを訊かれた。あくまでも「という意味のこと」だ。たしかにそうした傾向にはあるかもしれない。でも、僕はわりと楽観的なところがあるので、そんな状況がいつまでも続くわけがないと思っている。それに、オリンピックが決まって以降、僕は東京にいて東京の風景を見ていようという気持ちが高まりつつもある。その感覚というのは、上京したときとは違っている。


11月30日(土)

朝8時に起きる。知人がいちごを食べていたので、それを3つほど分けてもらう。甘くておいしい。テレビでは「知っとこ!」という番組が映し出されている。チャンネルを変えようとすると知人が「ちょっと!」と制止する。この番組のワンコーナー「世界の朝ごはん」を観るのが土曜日の朝の楽しみなのだという。知人にとって土曜日は楽しみが盛りだくさんだ。9時頃には「世界の朝ごはん」があり、9時半からは「食彩の王国」、昼には「メレンゲの気持ち」があって、この番組内の「石塚英彦の通りの達人」を嬉しそうに見ている。夜には「チューボーですよ」も控えている。

 12時15分、昼食。昼間から鍋だ。白菜(1/8)、大根(1/4)、下仁田ねぎ、いわしのつみれ、それに春菊を入れた鍋。一度で全部食べたのでお腹いっぱいだ。さて日記でも書くかと思っていると、どうもお腹がごろごろする。

 ここから汚い話になります。

 14時、トイレに入ってみるとどうも下痢のようだ。が、お尻を拭いてみてギョッとする。血がついている。下痢だから少し血が混じっているというレベルではない、トイレットペーパーにベットリ血がついているのだ。慌てて立ち上がってみると、便座の中が赤ワインのようになっている。血便というレベルですらない気がする。トイレから出て「赤ワインが出た」と知人に伝えたが、僕が軽いノリで話したせいか「あっそ」と片付けられてしまった。

 知人を見送ったのち、日記の続きを書く。どうも腹がごろごろしている気がする。15時、再びトイレに入ってみると、再び血が出る。さっきに比べて、本当に血だけが流れ出たという感じ。そんな量の血を見ることもなかなかないので、しばらく眺めていた。インターネットで少し調べてみて、そうか、これを「下血」というのかと知る。もう少し調べてみると、「即病院へ」と書いてある。どうも黒ずんだ血なら胃に、鮮血なら大腸に問題がある可能性が高いようだ。いずれにしても、臓器を休めるためにも飲食しないほうがいいようだ。今晩は吉祥寺で開催されている毛利悠子さんの個展のオープニング・パーティーがあり、知人と一緒に顔を出すつもりでいたけれど、行ったらお酒が飲みたくなってしまうだろう。知人に「今日のパーティー、ムリかも」とメールをした。それから、明日の朝はジョギングするつもりでいたけれど、それもムリかもしれないな。

 念のために保険証を探してみる。出てきた保険証は既に期限が切れていた。溜まっていた郵便物を探して、今度は保険料の振込用紙を探す。ふいに昨日観た「いのちのちQ?」のことが思い出される。「しーすーBAR」でアルバイトする女の子は、何ヵ月も前からバーのママに源泉徴収票を出すようお願いしているが、ママはいまだにそれをくれない。アルバイトの女の子は父親の扶養で保険に入りたいのだけれど、源泉徴収票がないために保険に入れず、保険証を持っていないのだ。「今病気になっても病院行けない、死ぬ!」と女の子は叫ぶ。そんなシーンを思い出して、妙におかしな気持ちになった。

 もう一つ思い出したシーンがある。ある犬が妊娠したあとのシーンで、それとは別の登場人物が「ひじき、小松菜、ホウレンソウ……」といったふうに食べ物の名前を挙げていくシーンがある。そのセレクトには特に意味がないのかと思っていたけれど、それらは鉄分の多い食材だったようだ。ホウレンソウはともかく、ひじきと小松菜にも鉄分が多いなんて知らなかったし、妊娠すると鉄分が不足するということも僕は知らなかった(その話を教えてくれたのはOさんだった)。

 普段流すことのない量の血が流れているけれど、俺の中の鉄分は大丈夫なのだろうか? 「下血 貧血」で調べてみる。検索にヒットしたYahoo!知恵袋を見ていると、「あなたは腕から血が流れ続けているのに、放ったらかしておきますか? 今すぐ病院に行ってください」と書かれていた。なるほど、それもそうだ――そんなことを考えているうちに3度目の下血があった。トイレから立ち上がると少しふらつく。16時過ぎ、まだ歩けるうちにと期限の切れた保険証、それに振込用紙を手にしてアパートを出る。まずはコンビニで保険料を支払ったのち、近くの救急病院へと向かった。

 入口の扉が閉まっているようなので、ケータイで電話をかけてみる。看護婦さんと話していると、「その状況でしたら、うちよりもっと大きな病院で精密検査を受けられたほうが」と言われる。そうですか。症状にあった医療機関を紹介してくれる案内サービスの電話番号を告げられて電話を切った。どうしようかな、一手間増えると面倒だな。とりあえず様子を見るために一旦アパートに戻る。17時、4度目の下血。相変わらず鮮血だ。

 さすがに不安になってきて、知人に帰ってくるよう連絡する。どれぐらい出血しているのかと体重計に乗ってみると、朝に比べて0.7kgほど減っている。その数値を嬉しそうに送信したせいか、知人はなかなか帰ってこない。鉄分が不足している気がするので「サプリメント買ってきて」とお願いしたのに、「ないからスーパーでひじきだけ買って帰る」とノンビリしている。早く帰ってきて欲しいので下血したときの写真をメールで送信すると、「これもう救急車呼ばなきゃダメだよ、鉄分とか言ってる場合じゃないよ」と返ってくる。

 知人が帰ってくるまでのあいだ荷造りをしていた。この症状で病院に行けば、まず入院となるだろう。仕事に必要なノートパソコンや充電器、それに着替えとタオルをリュックに詰め込む。文庫本を数冊――池波正太郎『むかしの味』、武田百合子『日日雑記』、サリンジャーナイン・ストーリーズ』も一緒に入れておく。それから、症状や最近の(食)生活をワードでまとめてプリントアウトしておく。そうこうしているうちに、18時過ぎ、知人が帰ってきた。ひじきを買おうとスーパーに寄った際に買ったらしき焼き芋を食べつつ、119番する知人。「はい、31歳・男性です」と説明しているが、僕はまだギリギリ30歳だ。そんなことを考える程度には余裕がある。

 救急車、できれば音を消して来てもらいたかったけれど、そういうわけにはいかないようだ。到着を待っているあいだに、5度目の下血。何か検査に必要かもしれないと思って、箱型のジップロックに少し保存しておく。スムーズに移動できるようにとアパートの前で待っていると、18時32分、サイレンが聴こえてくる。通報から5分ほどだ。自分で救急車に乗り込む。意識もハッキリしているし痛みもないので、なんだか大したことないのに救急車を呼んでしまったみたいで気恥ずかしい。症状を書いた紙を救急隊員に渡す、知人も救急車に乗り込んだ。救急車でもシートベルトを締めるようだ。知人が、僕の排泄物の入ったジップロックを大事そうに持って座っている、そのシュールな風景を見ていると少し笑ってしまう、それを隠そうとすると余計に笑ってしまいそうになる。知人が怪訝な顔でこちらを見ていた。

 病院に連絡を取った結果、近くにある病院に運び込まれることになった。サイレンと「赤信号直進します!」という声が響いている、意識がハッキリしているだけに申し訳ない気持ちになってくる。18時44分、病院に到着して担架で担ぎ込まれる。天井の風景がめまぐるしく変わっていく。まずはCTを撮る、息を吸うタイミング、吐くタイミング、止めるタイミングが可愛らしいマークで表示される。その次はレントゲンを撮る。それが終わると初診室に運び込まれ、バイタルサインを取っていく。下血が続いたせいか血圧は低めだ。ヘモグロビンの数値もやや貧血気味で、「もう少し下がっていたらICUに入るところですよ」と看護婦さんは言う。

 最初は近くに並んだ医療機器に夢中で気づかなかったが、カーテンで仕切られた両隣にも救急で運び込まれた患者がいるらしかった。「誰か迎えに来られるご家族はいる?」と訊ねられた声から男性(声から察するに老人らしい)は、「……いない」と答えた。その消え入りそうな声に、急に寂しい気持ちになる。バイタルを取り終わると点滴を打ち始める。血を止める効能のある点滴らしい。そんなもんあるかよと半信半疑だったが、それまでは1時間に1度のペースで下血が続いていたのに、ピタッと止まった。医学というのはすごいものだなとしみじみ思う。一方で恐ろしくもあるのだが。

 やはり今日はこのまま入院になるらしかった。3人部屋に案内されて、ここで知人と再会する。その手にはまだジップロックがあって笑ってしまった。「お二人は結婚してるのかしら」と看護婦さん。いや、結婚してないですと答えると、「じゃあこれからだ?」と口にする。親族かどうかを確かめるために話しているのだろうけれど、そんな会話をすることで患者の緊張をほぐそうとしてくれているのだろう。「こんなにお世話してもらったら、もうダイヤモンドの一つでも買ってあげなきゃね」と看護婦さんは言った。僕は力なく笑うだけ。

 月曜日まで検査ができないようで、退院までしばらくかかることになると看護婦さんは言う。そうすると、今年の誕生日は病院で迎えることになりそうだ。冴えない誕生日だ。知人が帰ってほどなくして消灯の時間となった。消灯時間以降は寝ていなければ怒られるというのが僕のイメージする入院生活だったけれど、案外緩いようだ。電気をつけて読書をしていてもいいし、パソコンで仕事をしていても構わないとのことだった。それから、病院で寝るのは(心霊的な意味で)怖く感じるのではないかと不安だったけれど、実際ベッドに横になってみるとそんな不安はまったく起こらず、「寝ているあいだに下血してしまったらどうしよう」ということだけが不安だった。深夜になっても、窓の外からはクルマの行き交う音が聴こえていて、なかなか眠ることができなかった。