『ユリイカ』と『聞く力』
あんまり寒い日が続くもんだから、すっかり風邪を引いてしまいました。今週に入ってから、ずっとぐずぐずした体調が続いています。それでも、今日は午前中から寒い街へ出て、書店に入りました。今日発売の『ユリイカ』を、一刻も早く読みたかったからです。
今月の『ユリイカ』、特集は「立川談志」です。ただ、ぼくが一刻も早く読みたかったのは、立川談志ファンだからというわけではありません(一度か二度、落語を聴いたことはあるが)。1月4日に、立川志らくさんが追悼をめぐるツイートをいくつかしたあと、「今日も雑誌二誌のインタビューで二時間半師匠について語りました。」とつぶやいたのを読んで以来、ずっと気になっていたのでした。
そのつぶやきは、さらに「インタビューする人は談志と私に理解と愛情がある人です。愛情がなければしゃべりません。」と続いていました。これはアノ人に違いない、と思ったいたら、やはり聞き手は九龍ジョーさんでした。
帰宅後、冷えた身体を温めるべく湯につかりながら読んでみると、やはり良いインタビューでした。良いインタビューを読むと、落ち込んだり、嫉妬したりしてしまいます。九龍さんのインタビューは、最近だと前野健太さんのインタビューも素晴らしかったし(写真のエピソードがずっと印象に残っている)、樋口毅宏さんのインタビューも素晴らしかった。
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悔しい。何でこんなに良いインタビューができるんだろう。そう思うことは、読む前からある程度予想はついていました。そのせいで、というわけでもないけれど、この日は本屋で阿川佐和子『聞く力 心を開く35のヒント』(文春新書)という新書も買ってありました。
冒頭で阿川佐和子さんは「私はずっと、インタビューが苦手でした。正直なところ、今でも決して得意だとは思っていません」と書いています。『週刊文春』であんなに面白い連載をやっている人が何を……。と、誰しも思うでしょう。しかし、若かりし頃、「アガワさんはね、インタビューは下手だったけど、不思議と社長さんに嫌われなかったよねえ」と言われたこともあるそうです。
褒められたのかけなされたのか。でも、そういうときは、けなされた言葉のほうが印象に残るものです。自分でも上手だとは思っていなかったけれど、そうか、そんなに下手だったのか……。消すことのできない烙印を押された気分でした。
ああ、ぼくも似たようなことを言われたことがあります。「橋本君だとインタビューに不安が……」なんて、依頼の電話で言われたこともある。いや、そう言った方を非難したくて書いてるわけじゃないんです。だって、自分でもインタビューがうまいだなんて思ったことはないのだから(非難したいと思っているかと、根に持っているかは別問題だけど)。
ここで「インタビュー仕事は引き受けない」と決めることもできるけれど、それはもう、ライターとして相当苦しい立場になってしまいます。アガワさんだって、「でもインタビューを避けてメディアの仕事を続けることは不可能です」とまで書いています。
とはいえ、いきなり鋭い聞き手になんてなれるわけがない。アガワさんも、『週刊文春』の対談連載を依頼されたとき、前任者のデーブ・スペクターの鋭さには敵わないと憂鬱になっていたようですが、あるとき「そうか!」と合点します。
聞き上手というのは、必ずしもデーブ・スペクターさんのようにビシバシ切り込んでいくことだけではないのかもしれない。相手が「この人に語りたい」と思うような聞き手になればいいのではないか。こんなに自分の話を面白そうに聞いてくれるなら、もっと話しちゃおうかな。あの話もしちゃおうかな。そういう聞き手になろう。
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『聞く力』のなかでは、具体的な方法論もたくさん紹介されてます。が、当たり前ではありますが、そこにはあまり立ち入りません。そこまで書いたら、文春の方に怒られます。ぼくが印象的だったところを一つだけ。
そんな具合に、次の質問のことばかりを考えていると、どうなるか。肝心の社長の話はほとんど耳に入ってこないのです。というか、ぜんぜん聞いてないに等しい。お愛想程度にときどき相づちは打っているものの、頭は上の空。(略)
そういう質問のしかたを続けていると、相手の話を聞いていないから、話に連続性が生まれません。レポート用紙に書いた自分の質問項目にとらわれて、せっかく社長さんが(略)なんて魅力的な本音の話をしてくださっているのに、私は「はあはあ」と答えたのち、
「で、ご趣味はなんですか」
レポート用紙の次の質問を投げかける。
読んでいるだけでシュンとなってしまう話です。というのも、ぼくがインタビューをすると、こういった状況に陥ることが少なくありません。「橋本君のインタビューは机上の空論って感じ」と言われたこともあります(ホント、けなされた言葉は残るものです)。「もっとインタビュー自体を楽しんでいいのに」と言われたこともありました。
楽しんでいいのにと言われても、普段の飲み会でもあんまりしゃべらないぼくが、どうやったらインタビューを楽しめるというのか。田舎の人間なので(?)、誰かに話を聞こうとすることが、ちょっと、悪いことなんじゃないかと引け目を感じている節さえあります。それに、仕事でインタビューを聞いて、雑談になってしまったらクビになるんじゃないかと怯えてしまい、どうしても頭でっかちなインタビューになってしまうのでした。
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これではいかんと思って始めたのが、「エイチビー番外地」という雑談企画でした。もちろん、あの企画は、雑誌のインタビューからこぼれ落ちる言葉を拾い集めたいと思って始めた企画ではありますが、ライターをやっている自分としては、もっとインタビューの反射神経を鍛えたい、インタビューをするときにもっと自分の好奇心を軸に聞けるようになりたいと思って、トレーニングとして続けている部分もあるのです。場数を踏まないことには、どうしてもアワアワしてしまってうまくいかないので。
そうやって続けているうちに、自分のインタビューするときのスタイルがうっすらできてくるんじゃないかという期待もあります。別に鋭いことが聞けなくても、この人のインタビューはなんか面白いと思ってもらえれば、もしそれで仕事がきたりすれば、仕事はとてもやりやすくなる……というのは、淡過ぎる期待ですけど。
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アガワさんの新書を読んでいるうちに、自分は自分のやりかたで、地道にやっていこう――そう納得させられるのです。納得したところで眠りにつこうと布団に入ったのですが、目を閉じると、どうしても『ユリイカ』のインタビューが思い出されて寝付けません。
実は、エイチビー番外地、2010年の年末に収録したまま掲載していないインタビューがあるのです。相手はぼくが敬愛する方だったのですが、途中で(酔っ払ってしまったこともあり)ぼくの試論をぶつける感じになってしまったことがあります。そのとき、「抽象はわからんから、具体で行こう」と言われて、ハッとしました。もちろん、ぶつけ方にもよりますが、単に試論をぶつけただけでは「そうですか」で終わってしまいます。ライトスタンドにホームランを打球を飛ばしてほしいからと言って、投手が急にライト方向にボールを投げても、バッターはポカンとするだけです。打って欲しいコースがあるのなら、そのコースに打球を飛ばせるように投げなければなりません。
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話を『ユリイカ』に戻します。インタビューのなかに、こんな質問があります。
――おそらくお弟子さんのなかで談志さんの晩年の高座をいちばん精度高くご覧になっていたのは志らくさんだと思うんですが。
この質問には含みがありますね。ぼくが聞き手だとしたら、「ですが」のあとまで言ってしまいそうな気がします。でも、そこまで聞き手が話してしまったら、相手は打ち返してくれない可能性もあります。ここで止めるからこそ、志らくさんの談志観(なんてまとめるのは乱暴ですが)を引き出せているのでしょう(というのはぼくの想像で、現場ではもっと色々話されているのかもしれませんが)。
そして、このインタビューが素晴らしいのは、何より、志らくさんに伴走している人によるインタビューだからだと思います。
もう一か所だけ、質問の部分だけ引用させてもらいます(すみません)。
――公の場では、二〇一〇年五月に志らくさんの落語家生活二五周年の会のよみうりホールで一緒に上がられましたね。あのときに、志らくさんの「らくだ」と「寝床」を聴いて談志さんが言われた、「俺のやりたいことは、志らくがだいたいやってる」という言葉が印象的でした。
前半の部分、一緒に高座に上がったということだけなら、インターネットで調べてもわかることかもしれません。でも、そのあとに続く言葉を、ここでさっと出してくる。他の質問を読んでいても、九龍さんが志らくさんのことを観てきたことがわかる質問ばかりです。そうやって自分に伴走してくれている相手だと知っているからこそ、志らくさんも「インタビューする人は談志と私に理解と愛情がある人です。愛情がなければしゃべりません。」とつぶやいたのでしょう。
これに関しては、テクニカルな問題とは関係がありません。つまり、ぼくが鋭い質問を繰り出すタイプか、それとも自分らしく聞くタイプかなんてこととは違う層の問題です。雑多なインタビューならともかく、重要なインタビューであれば「愛情がなければしゃべりません」と断れてしまうでしょう。事実、ぼくも昔、一度ぼくに決まりかけたインタビュー仕事が、「もっと自分たちを観てくれている人に話を聞いてほしい」と断られたこともあります。
ライターとして色々仕事をしていくためには、もっと自分が「この人には伴走しているつもりだ」と胸を張っていえる相手を増やさなければなりません。もちろん、数だけ増やしても結局「愛情がなければしゃべりません」と言われておしまいですが、とにかくもっと好奇心を増やさないと。とはいえ、劇場に足を運んだり、ライブハウスに出かけたり、CDや本をたくさん買うほど、お金がないんですが……。