ひふみよの夜

 まだうだうだとインタビューのことを考えている。こうして書きながら考えているだけなので、何の結論にもたどり着かないし、それにライターや編集者の方からは「何をいまさら、そんなわかりきったことを書いてんだ」と思われるだろうし、そうじゃない人にとってはまったくどうでもいい話だとは思う。だから、パスワードをつけてあるほうのブログ(日記)に載せようかとも思ったけど、やっぱりこっちに置いておく。

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 最近、『VERY』で「ボクの好きな人。」という連載の構成を毎回担当させてもらっている。リリー・フランキーさんが好きな人と対談をする連載です。リリーさんから構成役として指名してもらったとき、嬉しいというより、えっ、ぼくでいいんすかと思ったのを覚えている。『en-taxi』で一度、それから自分で作っている『HB』で一度構成をさせてもらったことがあるとはいえ、久しぶりに始める連載で構成を担当させてもらうのがぼくでいいのか、と。
 
 一回目のゲストは井川遥さんだった。そのとき、リリーさんは「久しぶりに新しく始める連載だし、しっかりした人に構成してもらいたいから、この中東のテロリストみたいな若者に入ってもらうことにしたんだよ」とぼくを井川さんに紹介してくれた。「へえ、まとめるのお上手なんですね」と言われても、あんまりにも綺麗な井川さんのことを見ることもできず、「いえいえ、そんなことないです」と謙遜した。謙遜してしまった。

 そのとき、リリーさんは「いや、上手だよ」と言ってくれた。……さっきから自慢話を書いてるみたいになってるけど、そんなわけじゃなくて。「橋本君の構成がうまいから、坪内さんがぼくとの対談のときに橋本君を連れてきたわけでしょ。そうじゃなきゃ坪内さんも橋本君を俺に紹介しないし、そういう人だから俺も自分の好きな人たちを紹介しようと思う。インタビューとかでも、全然知らないライターがやってきて、いきなり『大事にされてることはなんですか?』って言われても、何でお前に大事なことを紹介してあげなくちゃいけないんだってなるでしょ」とリリーさんは言った。たしかに、その通りだと思った。
 
 自分にずっと伴走してきてくれた相手なら、自然と大事なことをしゃべりたくもなるだろう。もちろん、「ずっと」という相手じゃなくたって、大事な話を聞くことがムリってわけじゃない。依頼の手紙で思いが伝わることだってあるだろうし、当日話しているうちに打ち解けることだってある。

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 ところで、1月28日、高速バスに乗って長野に出かけてきた(そのせいで体調を崩し、いわきに出かけられなくなってしまったのだが……)。ホテル代をケチって漫画喫茶に泊まるほかない懐具合なのに長野まで出かけたのは、「book & cafe ひふみよ」というお店で、『spectator』編集長の青野利光さんと北沢夏音さんによるトークショーが開催されると聞いたからだ。北沢さんのトークは昨年も参加して、ほんとにたくさん刺激を受けたので、長野まで足を伸ばしたくなったのだ。他にも色々理由はあるけれど。
 
 『spectator』最新号は「これからの日本について語ろう」という特集で、様々な人にインタビューをしている。インタビューの本文には、ちょっと長めのリードがある。リードとはちょっと違うか。何だろう、このインタビューはどんな人が聞いていて、なぜこの人はこの人にインタビューしたいと思うに至ったのかが伝わってくる。だから、インタビューを読み始める頃には、読むほうも聞き手の立場にかなり近づいている。インタビューの構成のされ方も、どれも現場の匂いが伝わってくるものばかりだ。

 巻頭のインタビューは菅原文太さんで、聞き手は北沢夏音さんだ。

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 2日前のブログで、ぼくはこんなことを書いた。

 (註:あるインタビューの途中で)ぼくの試論をぶつける感じになってしまったことがあります。そのとき、「抽象はわからんから、具体で行こう」と言われて、ハッとしました。もちろん、ぶつけ方にもよりますが、単に試論をぶつけただけでは「そうですか」で終わってしまいます。ライトスタンドにホームランを打球を飛ばしてほしいからと言って、投手が急にライト方向にボールを投げても、バッターはポカンとするだけです。打って欲しいコースがあるのなら、そのコースに打球を飛ばせるように投げなければなりません。

 菅原文太さんへのインタビューは、聞き手である北沢さんがたくさん話している。北沢さんが10行しゃべって、文太さんが1行返す、というやりとりもある。
 
 トークショーでも、そのことには触れられていた。あのインタビューでは、文太さんが「俺」っていうときの響きとか、「〜〜だよな」っていう感じとか、あの口調を絶対に伝えたかった。それを伝えるために、文太さんの発言だけがちゃんと浮き出るように、文太さんの発言の前後は一行ずつ空けてもらったし、頭に「菅原」って書いて発言が続くのだけは嫌だ、カギカッコでくくって、そこだけ拾い読みしたら文太語録みたいになるようにしたいって話は青野君にも伝えた。聞き手のほうがずいぶんたくさんしゃべってるって反響もあったけど、聞き手がたくさんしゃべることによって一行だけの答えを得る。それがあのインタビューの場合は重要だった――と。
 
 インタビューをお願いするからには、(当たり前だけど)企てがある。あるスタイルの人にとっては良いインタビューだと思えても、別のスタイルの人にとっては良いインタビューに思えないということも(当たり前だけど)あり得る。そのスタイルについても、北沢さんは話していた。「単に原稿を書いて編集者に渡すっていうだけじゃなくて、『こういうふうにやりたい』とか、見せ方とか、全部編集者と一緒に作りたいってタイプの書き手なんですね。自分も編集者だったし。だから、エディット+クリエイティヴ・ライティングっていうのを自分の標語みたいにしてるんです」

 スタイルという点では、トークショーの中ではニュー・ジャーナリズムの話も出ていた。既成のジャーナリズムの文体とは違う、新しい文体を持ったジャーナリズム。表現の仕方はもっと自由だ、と。
 
 これもトークショーで(質問コーナーで)話が出ていたけれど、北沢さんの『Get Back, SUB!』はちょっとロードムービーのようでもある。読んでいる側も、一緒にどこかを歩いているような気分になる。ちょっとずつ気分も変わってくる。これはあきらかに、北沢さんの文体によるものだ。

 ニュー・ジャーナリズムは「何でもあり」だとして、北沢さんのあの文体はいかにして生み出されているのか。それを、自分もライターを名乗っておいて聞くのはルール違反かと思いながらも、打ち上げの席で北沢さんの近くに座ることができたので、思い切って聞いておいた。聞いておいてよかったと思っている。だって、それが聞きたくて長野まで出かけたようなものなのだから。