北風と太陽

 長野のトークショーは熱を帯びて、21時に終了するはずが時間を延長して、打ち上げの席で乾杯をしたのは23時半頃でした。打ち上げで色んな人と話すことができて、本当に楽しかった。
 
 というのも。

 これはぼくが常々思っていることなんだけど、人間は大まかに分類すると、「北風と太陽」の北風派と太陽派がいると思っている。太陽派は朗らかで、相手も思わず鎧を脱いでしまうタイプ。北風派はその反対だ。ぼくは、まあ、どう考えても北風派だと思う。

 北風派と太陽派の違いは、旅先で如実に現れる。北風派は、旅先で出会った人とあまり交流を持てずに終わることが多い。今回も、途中まではそうだった。たとえばぼくは、チャンネル・ブックスというお店を訪れて買い物をしたけれど、店主の方とは特に会話をせず、買い物だけして店を出た(あとになって、トークのあとで少しだけ挨拶を交わさせてもらったけれど、それは間を取り持ってくれる人がいたからだ)。ぼくは、なかなかお店の方と打ち解けることができない。でも、同じように東京から長野を訪れたライター仲間のある人は、長野の人と既に仲良くなっていた。

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 ぼくが打ち上げに参加して嬉しかったのは、『街並み』という雑誌を作っている方に会えたことだ。最初にその雑誌を見たのはどこだったか。たぶん目白の「ポポタム」だったと思う。長野の様々な町ごとに、あるいは「銭湯」などのテーマごとに特集を組んで、長野の町を切り取り、写真集のように一冊にまとめたその冊子は、とても新しく見えたのを覚えている。そうか、その方法ってありなんだと、ちょっと目から鱗だった。

 目から鱗だったというのは、写真集のように一冊を作るという方法論もそうだし、小さな町ごとに特集を組むというスタイルもそうだけど、おそらくインディペンデントに作っているであろう雑誌が、町の風景をあれこれ切り取ったり、町にいる人の佇まいや顔を含めて撮っているということが大きかった。道行く人はしれっと撮るにしても、商店主たちを、一体どうやって撮らせてもらっているのか、気になっていた。

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 トークショーの後半で北沢さんが、「この中で、自分で雑誌を作っている人はいますか」と、聴衆にむかって逆に質問をした。そこで手を挙げていたひとりが、『街並み』を作っている方だった。そのSさんという方は、「団地とかを取材する場合は、全然話が聞けなくて、仕方なくチャイムを押してまわることもあります」と話していた。これも衝撃だった。そんなことをして、通報されないんだろうか、と。

 北風派の人間は――と、自分への言い訳を作っても仕方がないんだけど、どうしても「話を聞いたり、写真に撮ったりすることは悪いことなんじゃないか」と思ってしまうフシがある。いや、これは北風派というより、田舎の農村に育った人間だからそう思うのかもしれない。話を聞き出そうとしたり、写真にとって発表したりすることには、どこか後ろめたさがついてまわる。もちろん、今の自分の感覚では、それを記録することはとても大事だと思っているのだけど、どこかでためらってしまう自分がいる。ためらうというか、それはもう、日和っているだけなんだけど。

 ぼくはこの4ヶ月、全国のドライブインをまわってきた。行く先々で、店主の方たちに話を聞いてまわった。これは北風派の自分にとってはずいぶん勇気のいることだったけど、「北風派であろうがなんであろうが、これについて話を聞いておかないと」と思って、あれこれ聞いてまわったのだ。それが、2月1日発売の『テレビブロス』で活字になるというのは、なんとも感慨深い。