8時に起きて、隣町の「インターネットカフェポパイ」に出かける。久しぶりに来てみたらコインランドリーまで導入されていた。シルバー割引もあるらしく、僕が店に入ると老人の男性が若い女性店員に何か話しかけているところだ。パソコンのオープン席に座り、次号*1を全頁プリントする。見開きのレイアウトのバランスを確認しようと思うと2ページを1枚の紙に印刷して確認する必要があるのだが、セブンイレブンコピー機からその設定で出力しようとすると左綴じでプリントされてしまうのだ。
 
 出力を終えるとすぐに帰宅し、細かい修正を加えたのち、11時58分、ウェブ経由で試作版の入稿を終える。これで年始の仕事はひと段落。なんとなくgmailの迷惑メールフォルダを開いてみると、原稿依頼のメールが届いていた。今年初の原稿依頼(本当は大晦日に届いていたメールだけど)。読むと、「同世代の人間として『HB』は創刊号からリアルタイムで読んでました」とある。『HB』も『hb paper』も、誰も読んでないかもしれないと思いつつ出してきたので、そう言われるととても不思議だ。
 
 ぼんやりしたまま昼食。ごはん、明太子、かまぼこ、うどん。食後、母と隣町の「ゆめタウン」。今日は父の誕生日なので、「ゆめタウン」に入っている無印良品で母とふたりプレゼントを選ぶ。今年は鞄にした。気づけば毎年無印でプレゼントを買っている。ついでに無印の隣に入っている啓文社で文庫本を探す。本当は岩波文庫近代文学を買って読みたかったのだが、つい最近、この店の棚から岩波文庫は姿を消した。なんだかアメ横の記述が読みたくなったので武田百合子『日日雑記』を探すがこれもない。その代わり(?)『富士日記』があったので、上巻だけ買った。
 
 母が夕食の買い物をしているあいだ、僕は3階まで上がってショッピングセンターを見渡す。ふと、何となしにWikipedia武田百合子の項目を開いて読んでいると、「『鈴弁事件』及び『未来の淫女』について」という項が目に留まる。
 

 なお、百合子が武田泰淳と交際中に、「自分は鈴弁の孫だ」と伝えたところ、泰淳はそれに非常に興味を抱き、百合子をモデルとした短編「未来の淫女」「続未来の淫女」を1949年に発表した。ちなみにこの作品の中では、百合子(にあたる人物)は弁蔵と血縁関係があるように書かれている。この小説は、「鈴弁事件」をタブーとしていた鈴木家の中で大問題となり、百合子は泰淳にその旨を伝えた。また、まだ学生だった百合子の弟・修も泰淳に会い、「あなたには人民の苦労はわからない」と抗議した。そのため、この作品は泰淳の全集類等には収録されず、幻の作品となっている。

 
 鈴木百合子から「その旨」を伝えられた武田泰淳は何と言ったのだろう。あるいは弟からそう言われた武田泰淳は何と返したのだろう。そのあたりの話は、何を読めばわかるのだろうか。『百合子さんは何色 武田百合子への旅』を読めばわかるのだろうか。それにしても、書く、という行為はなあ。というようなことを知人とメールしていて、言い合いになった。
 
 帰宅後、父にすぐプレゼントを渡した。色々気持ちを抑えながらも「おめでとう」と言って渡したのだが、父は「ああ、はい」と言って受け取った。自分の部屋に戻って手を広げてみると、指先が荒れに荒れている。入稿作業に没頭していたり、(この2日前の晩、おせちをつついていたとき)父に急に激怒されたり――あの日僕は、糞馬鹿が、調子に乗りやがって。いつまで食べとるんなら。あんとなもんを甘やかして食べさすことない、酒なんか飲ますな。と言われたのだ、もちろん僕はまだちっとも酔っ払っていなかったのだが――うう、となっていたせいなのか、理由はよくわからない。東京に戻ったら皮膚科に行こう。
 
 しかし、それより何より酒が恋しい。ここにいると、こっそり酒を買ってきて、ベランダを冷蔵庫代わりにして酒を飲むことはできるが、もっとチビチビと、酒の肴をツマミつつ飲みたいのだ。ここにはそんなことができる店もなければ、乾杯したい相手もいない。するめいかを食みつつ、琥珀エビスを2缶、賀茂鶴純米酒を2合だけ飲んだ。

*1:刊行時期は未定。