昼頃になって起きる。午後はさっそく、昨晩のテープ起こしに取りかかった。が、昨晩「明後日にはあげますよ」と言っていたのに、夕方になっても1時間ぶんしか終わらない。明日から東京を離れることを考えると、ちょっとまずい。一緒に出かける約束をしていた知人に「テープ起こしが終わらないから行けない」とメールをすると、「ボランティアでやってるんだから、無理だったら『もうちょっと待ってください』って言えばいいんじゃないの」と返ってくる。それもそうだなと思って、身支度をしてアパートを出た。
 
 高田馬場から山手線に乗り込むと、池袋で電車が止まった。「ただいま、渋谷駅におきまして線路に人が立ち入ったため、運転を見合わせております」とアナウンスが入る。僕はこの「線路内への立ち入り」というのが、人身事故と同義なのか知らないが、5分経っても運転が再開される気配はなかった。次第に混み合ってきた車内では、「もっと奥に行け!」「死ね!」と諍いが起きている。運良く席に座れていた僕は目を閉じる。すると再びアナウンスがあった。「ただいま、線路内に人が立ち入ったため、捜索をしております」。えっ、捜索。ということは、人身事故とかではなく、本当に人が線路に立ち入ったのか――ツイッターで検索してみると、ツイッターの情報なので本当かどうかはわからないけれど、渋谷駅で線路に降りた人がいて、駅員に注意されると原宿方面に向かって逃走し、駅員も見失ってしまったのだという。日記を書いている今になってその情景をイメージしてみると少しおかしくもあるけれど、乗っているときはただただ迷惑だ。
 
 結局、浅草駅に到着する頃には19時を過ぎていた。今日は吾妻橋にあるアサヒアートスクエアで、飴屋法水朝吹真理子・中村茜の3人(+司会・久野敦子)によるトークイベントがあるのだ。少し遅れてしまったけれど、まだ国東半島での「いりくちでくち」の映像を流し始めたところだった。先日、TPAMでも映像を観たけれど、そのときとは少し編集が違っている。繰り返しになるが、この作品は長時間のバスツアーという形式をとった作品である。また、必ずしも同じパフォーマンスが繰り返されているわけではない。でも、映像は(実際的な意味で)様々な角度からこの作品を捉えている。映像を観ていると、まず「相当プランを立てて撮ってるんだろうな」と思う。そしてそのプランを建てているのは飴屋さんではなく、映像作家の方なのだろう。
 
 そう、そういったところがこの作品のポイントの一つでもあるのだと、話を聞いていて思う。冒頭、飴屋さんは「僕が演出っていうより、二人の共同演出」と訂正していた。誰かが一つの方向に引っ張り上げることで作品が完成に向かうのではなく、参加したそれぞれの人が自生的に動くことで作り上げられている。
 
 これは前回のトークでも印象的だったのだけど、飴屋さんの「正確さ」がまず印象的だ。
 
 茜さんが「飴屋さんに始めて声をかけたのは2月」と言うと、すぐに「3月」と訂正が入る。話が少し進んで、「朝吹さんたちが初めて国東に来られたのが9月の終わりぐらい?」と言うと、今度は朝吹さんから「9月の20日、かな」と訂正が入る。「飴屋さんは9月の終わりから――」と言いかけると、今度は飴屋さんが「10日ぐらいから」と訂正する。「10日ぐらいでしたっけ? がつっと住み込み始めたのが終わりぐらいでしたよね?」と言えば、「終わりからじゃないですよ、10日ぐらいから住んで、途中一階東京に帰った感じ」と付け加える。
 
 話を少し巻き戻す。「参加したそれぞれの人が自生的に動くことで作り上げられている」とさっき書いたけれど、たとえばそのことについて、朝吹さんはこんな内容の話をしていた。飴屋さんの言葉で印象深かったのは、朝吹さんがテクストを書けなくても初日は来るし、終わりはくる。そういうものだって言われたこと。もう一つは、できることしかできない、できることしか作品はできない。その二つの言葉が、自由に乱暴に作れる大きな拠り所だった、と。
 
 もう一つ、朝吹さんの発言でメモを取った箇所。――皆、作品のことしか考えてないから、普段の会話も作品の話になる。イメージを投げ合って、互いの内面が浸食されていく感じがした。特に飴屋さんと言葉を投げ合うことで浸食された気がする。だからテクストを書いてても自分が書いた感じがしないと思うんじゃないか。
 
 私に向かって掘り下げていく作業と、私という個体から離れたわたしに向かっていく作業は全然違っていて――「飴屋さんは」とか、「朝吹さんは」とか言えるほどお二方について知っているわけではないけれど、少なくともそうしてこの作品は作られたのだろうと思った。思ったのと同時に、昨晩のトークで篠田さんが言っていたことを思い出した。
 
「からっぽなんですよ、私。本当に。自分の中で考えてることとか、執着が本当になくて困ってるんですよ。だから自分の中から取り出してもあまり面白くないというか、固執しにくいんですよ。自分の中から出しちゃうと。でも、外にあれば固執しやすいじゃないですか?」
 
 それから、最後のほうで出た飴屋さんの発言もメモを取った。それは、地域とのかかわりかたについて。
 
 僕や朝吹さんは作家的な存在だから、「こうなると作品になる」というのがある。でも、国東の人たちにとって、そんなことはどうでもいい。途中で田んぼの中に黒い旗を立てたら、その旗が見える家から「不吉な感じがする」とすぐ苦情があった。黒が不吉なら、じゃあ竹ならと思ったら、これもすぐに苦情があった。そうしたらすぐ全部やめる。それにはやり方があると思うし、「これはアートなんで、我慢してください」ということもできる。でも僕の場合にはそれはしたくない――この話が、普通の人へのアプローチについて、今年に入ってから延々考えている僕にとっても印象深かった。この辺の話をいつか聞いてみたいなあとボンヤリ思った。
 
 質疑応答の時間に、ある男性から、映像に映った砲丸投げの砲丸について質問があった。何だろうその質問、何でそんなことにこだわるのだろうと思って聞いていると、結局、話は相当な広がりを見せた。あとで知人は、その質問をしていたのが誰なのか教えてくれた。批評家の仕事というのは、ああいうことなのだなあと勝手に思った。
 
 帰り際、茜さんに会釈すると「あ、もふ! こないだ途中で帰ったでしょ!」と言われる。バレていた。いや、篠田さんのやつを予約してたんですよと釈明すると、「あそこからがいいとこだったのに」と言う。茜さん、今日は一段とバリッとした格好をしている。ファーのベストを羽織り、真っ赤な靴を履いている。そして眼鏡、今日もバリッとしている。茜さんを見かけるたび、ああ、社長なのだなと思う。
 
 そそくさと帰ろうとすると、茜さんは「もふのこと知ってる?」と飴屋さんに声を掛けた。飴屋さんは「うん。あれ(いわきで「ブルーシート」を観た日の日記)、書いてくださってありがとうございます」と言った。う、読まれていたのか……。いや、もちろん読まれていることは、読んでもらえるといいけどなということは、わざわざ伏せている日記のほうから何日分かを選んで載せている以上、思ってはいる。でも、たとえ読まれたとしても、それが僕だなんて気づかれやしないだろうと思っていたけれど、ちょっと考えが甘かった。
 
 明日も早いのと、メモを取るのでくたびれてしまったので、知人と二人で「あづま」に入り、純レバ炒め、餃子、知人はちゃんぽんを、僕はラーメンを食べて早々に帰った。ラーメンがあまりにおいしくてスープまで飲み干してしまった。帰りの銀座線の中で、アパートを出る前にカレーを食べていたことを思い出した。