9月16日から9月30日
9月16日(月)
2時半に目が覚めた。台風の進路を確認するとお昼頃に関東を通過するようだ。またしても新幹線が止まってしまうかもしれない。多少遅れるくらいなら観光していればいいけれど、今日は三連休の最終日で、指定席しか存在しない「はやぶさ」に乗車するのは大変かもしれない。せっかく早起きしたのだからと5時にホテルをチェックアウトし、タクシーを呼んでもらって駅へと向かった。
駅までの道路では1台もクルマを見かけなかったし、歩いている人も見かけなかったのに、駅に着いてみると人がチラホラいた。それも若い女の子たちばかりで、フェス帰りみたいな格好をしている。会話を聞く限り、どうやらクラブ帰りのようだ。どこにあるのだろう。昨日は早々に酔っ払っていたからムリだったけど、弘前のカルチャーを知るためにも、行ってみたら面白かったかもしれない。女の子3人組は、クロスシートの座席に向かい合うように座っている。ケータイが鳴ると、「ちょっと、怒られるよ」なんて話している。いい子たちだ。
新青森駅で津軽雪国海鮮ずし(1100円)を購入。他にもサンドウィッチ、チップスター、それにペットボトルのお茶を2本購入した。これは新幹線が止まったときの備え。それにしても東北新幹線(特に仙台以北?)は、新神戸以西の山陽新幹線と同じくらいトンネルの連続だ。トンネルを抜けるたび、少しずつ空模様が荒れていく。それでも何とか通常運転していたが、宇都宮に差し掛かったあたりで徐行運転を始めた。強い風が吹いているらしかった。
定刻よりやや遅れて大宮に到着し、埼京線に乗り換える。快速は運転を中止していたので鈍行に乗った。浮間舟渡あたり、おそらく荒川のあたりで突風が吹いているようで、5分ほど運転を見合わせ、そのあとでそろりそろりと鉄橋を渡る。10時過ぎ、何とか目白まで戻り椿坂を下っていると、葉っぱや小枝が道中に散らばっている。台風はこれから関東を通過すると聞いていたけれど、ひょっとしたらもう通過してしまったのだろうか。
台風に備えて、スーパーであれこれ買い物をしてから帰宅する。テレビでは京都の様子が映し出されていて、嵐山の渡月橋が大変なことになっている。もちろんそれは大変な災害であるのだが、旅館の宿泊客がボートで避難したり(旅館の従業員がボートを手で押して運んでいる)、ボートに乗せられた乗客がiPhoneで動画を撮影しているのが見えたり、何より茶色い濁流が荒々しく流れていく様子を見ていると、少し興奮してしまう。
知人を起こし、昨晩の「半沢直樹」観る。顔芸大会である。他にも「八重の桜」や「リミット」、「なるようになるさ」などを観ているうちに眠ってしまった。14時過ぎに目を覚ますと雨は止んでいる。台風はどこに行ったのだろう。食材を買いだめる必要なんてなかったなと反省しつつ、大根とねぎと鶏肉の煮物を作った。冬になるとよく作るざっくりしたメニューだ。眠ってばかりいる知人に「何か本でも読みなよ」と漠然と怒ると、宮藤官九郎・みうらじゅん『どうして人はキスをしたくなるんだろう』を読み始めた。「一個も役に立つ話出てこないけど」と知人は嬉しそうだ。
夜、キュウリをかじりつつ「夫婦善哉」観る。夫婦の「婦」のほうを演じる尾野真千子、相変わらず素敵だ。今日観た最終話だと、ラーメンを食べたり、ラストにぜんざいを食べたりする様子が何とも可愛らしく見える。口のもにょもにょした動きが可愛く見えるのかな。そういえば『最高の離婚』のときも尾野真千子の食べっぷりに惚れ惚れしていた。
今日放送された最終話は、数年前に発見された「夫婦善哉」の続編をもとにした話だ。最初は別府行きを渋っていた尾野真千子が、別府に着くなり「へ〜え!」「湯気出てるわ」と嬉しそうにあたりをきょろきょろしながら歩く姿は、子犬みたいで可愛らしかった。ただ、冒頭の別府港が門司港ばりにモダン(今から見ればレトロ)な石造りの建物が並んでいて驚いた。外国人の姿もたくさん見える。
僕は何度か別府を訪れたことはある。その町並みを歩いていると、まあ観光地であるのだから、モダンな文化がそこにあったことは伺える。ドラマでもちらりとバスガイドの姿が映るが、そういえば日本初の女性バスガイドは別府の地獄めぐりのガイドさんとして誕生したのだった。それを考えると、ダンスホールが登場するあたりまでは想像がつくのだが、あんなふうに洋風な建物が並び、外国人で溢れている様子というのは、自分の訪ねたことのある別府の風景の記憶とどうも噛み合ない。とはいえ、NHKのドラマなのだから、しっかり時代考証をしているのだろうから、僕が行ったことのない場所にああいう建物が並んでいるのかもしれないし、それとも戦争で焼けてしまったのかもしれない。
僕はそんなことを考えながら映像を観ていたのだが、知人は森山未來演じる主人公の男を見て、「そっくりだけど」と僕に言う。もちろん外見の話ではなく、性根の話である。僕は勘当されてもいないし、知人の金を勝手に使い込んでいるわけでもないけれど、病気にもかかわらず酒を飲んでぐでんとなっている男の姿を見ていると、特に否定する気にもならなかった。
遅くになって、部屋着のままアパートを出た。食器を洗う洗剤が切れたので買いに出たのだが、外の風は冷たかった。9月に入って、「涼しい」と感じたことは何度かあったけど、「冷たい」と感じたのは今日が初めてだ。昨晩、遠くの街で聴いた前野健太さんの新曲「夏が洗い流したらまた」を思い出す。ほんとうに、台風が夏を洗い流していった。
9月17日(火)
8時半に起きる。知人はキチンとした時間に出かけて行った。昼間は『神的批評』を読んでいた。これが刊行されたのは3年も前だけど、買うだけ買って読めずにいた。言い訳めいてしまうが、僕は本当に読むのが遅いのだ。今日だって冒頭の「宮澤賢治の暴力」しか読めなかった。読むのが遅いというよりも、途中で本を置いてあれこれ考えてしまうせいだけれども。
日没後、新宿へ。紀伊國屋書店の脇にある「鳥源」にて『S!』誌収録。2階にある座敷には石がいくつも並べられていて、妙な存在感を背後に感じつつ、話を伺う。批評をめぐる話に刺激を受ける。勝手に励まされる。いわゆる“批評”が書ける人間ではないけれども、僕は僕の批評をキチンと形にしよう。最近こんなことばかり日記に書いているなあ。そんなことを繰り返し書くことで、自分にハッパをかけているのだろうな。
この日は鶏の刺身や焼き鳥、それに唐揚げがテーブルに並んでいた。唐揚げは一つの皿に3個のっかっていて、それが2皿運ばれてきた。僕は目の前にある皿を眺めながら、一番上にある大きな唐揚げがずっと気になっていた。おいしそうだなあ。でも、話をしているお二方がまだ手をつけていないのに、しかも一番大きな唐揚げを食べるのもなあ。そう15分ぐらい躊躇していたけれど、我慢できずにそそくさと大きな唐揚げを自分の皿に取り分けた。猫舌の僕にちょうどいい温度になっていたその唐揚げは美味かった。後になって見れば、お二方とも唐揚げには手をつけなかったのだから、何も気にすることはなかったのだけれども。
この日の反省。お店のお母さんが1杯目のビールを運んできてくれたとき、「奥の方に回していただけますか」と言われたのだけれども、僕は1番端に座っている人から順番に届けようと、ベルトコンベアのような動きをしてしまった。すぐに「あ」と反省した。友人同士の飲み会ではないのだから、まずは対談をするお二方に置くべきである。頭ではわかっているのに、つい反射的にこういう動きをしてしまう。
21時半に収録終わる。2軒目に流れるようだったけれど、ケータイを確認するとUさんから「飲みませんか」とメールが届いている。収録中に「大人になってからの友人は大事にしたほうがいい」という話も出たが、Uさんは、20歳を過ぎてから出来た数少ない友人の一人だ。もちろん、友人と呼ぶべき人はたくさんいるとは思うが、頻繁に酒を飲んだり話をしたりする、そういう友人は本当に数えるほどしかいない。新宿から自転車をかっ飛ばして池袋へと向かった。
Uさんは、以前よく一緒に飲みに出かけた「F」というお店で待っていた。2階に上がってみると、カウンターにはもう他にお客さんの姿はなく、Uさんだけがそこに座っていた。22時半には食べ物がラストオーダーとなる店ではあるが、最近はお客さんが帰るのが早くなったように思うのは気のせいだろうか? 僕はホッピーセットとやりいかの煮付けを注文した。Uさんも追加で何か注文しようとしてメニューを眺めていたが、「あれ? コロッケ変わってる?」とUさんは言った。Uさんはよくコロッケを注文していた。そのコロッケをたまに僕も分けてもらっていて、美味しかったのを覚えている。先週の金曜日に一人で来たときにそれを注文しようとしたのだが、「コーンコロッケ」と札が出ていて、何か違和感を覚えて注文せずにいた。あれはやはり、メニューが変わっていたのだ。以前は「肉じゃがコロッケ」だった。
ふと気づいたのだが、「コーンコロッケの中身をください」と注文すると、ポテトサラダに近いものが食べられるんじゃないか。この店にはポテトサラダというメニューが存在しないのである。
ホッピーをワンセット飲み終えたところで閉店時間となった。「もしよかったら、もう1軒行きませんか」とUさんが言ってくれたので、「D」という店にハシゴした。この店は食券制である。それぞれ別の券売機に向かい、僕はハイボール(いつでも200円!)とキャベツとコンビーフの炒め物(350円)の食券を買った。席に戻ってみると、Uさんも同じ食券を買っていた。一つを価格の同じ刺身2点盛りに変更してもらう。
この日もいろんな話をしていたのだが、ふとした瞬間に、ある編集者から「橋本さんは何があったら一番悲しいですか」と言われたことを思い出した。僕は何かを悲しめるだろうかと思って、その質問には答えられなかったのを覚えている。今になってその質問を反芻してみると、たとえば頭に浮かんだのは近しい人が死んだときのことだ。こういうことを口にするのは……と一瞬ためらいながら、「たとえばアニーさんが死んだとき、死んだということを知った瞬間に『悲しい』と思えるかどうか、ちょっとわからない」という話を僕はした。話しながら、ちょっとまずい話をしているなと思ったが、急に口ごもるわけにもいかなかった。
後ろでは店員さんにクレームをつけている男がいた。彼女らしき女性が「もう帰ろうよ」となだめていたが、「いいから、お前は外出てろよ」と男はさらにヒートアップしているようだった。なんだか自分の姿を見せられているようで、やるせない気持ちになる。店を出たあとで、Uさんは「橋本さん、最初にカメラを持ったのいつ?」と僕に訊ねた。僕は自分の記憶を遡ってUさんの質問に答えつつ、どうしてUさんはそれを訊いてみようと思ったんだろうなんてことを考えていた。そのことをUさんに聞き返したような気もするし、聞き返していないような気もする。
9月18日(水)
10時過ぎに起きて、テープ起こしをぼちぼち進める。家にいるとどうしても効率が悪いので、近くのカフェに出かけた。電源・Wi-Fiともに完備されていてバッチリな店なのだが、お店で働いている店員さんはおそらくほとんど大学生なのだろう、勤務中ではない店員もいて席で何か作業をしていたり、カウンターの中に入って談笑していたりする。こういうことにジトッとした目線を向けてしまうのは、自分にそういう時代がなかったからなのだろうか?
昼過ぎにはテープ起こしを一区切りさせてアパートを出た。明日からの取材旅行に備えて、東京でまわっておきたい場所をもう一度まわる。そして千円カットの店で頭を6ミリに整える。これで準備はバッチリ。新宿に出て、伊勢丹のデパ地下でお菓子を物色。明日以降にお世話になる人たちに渡すお菓子をいくつか選んだ。それとは別に、悪魔のしるしへの差し入れも探す。今週末に悪魔のしるしの公演「悪魔としるし」があり、僕はチケットを予約していた。その特典として、クリアファイルを送ってもらっていた。結局、その日に取材が入って観に行けなくなってしまったのだけれども、クリアファイルは素敵な仕上がりだったので返却したくない。かといって「観れないけどチケット代払います」というのも無粋な気がしたので、受付の手伝いをするという知人に差し入れを持って行ってもらうことにしたのである。
アパートに戻り、支度をしているうちに22時をまわっている。仕事帰りの知人と待ち合わせ、まずは本屋で『もっと!』(vol.04)購入。さっそくぱらぱらめくりながら歩いていると、ある店の前に、飲み会が終わったばかりらしい大学生たちが溢れていた。まだ2次会の話がまとまっていないのか、その場でうだうだたむろしている。と、一番端にいた男の子と女の子が酔ってよろめいたふりをしてその場を抜け出し、駅に向かって歩き始めた。女の子は、何かこう、噛み締めるような表情をしていた。「あの2人、セックスするのかな」と僕が言うと、知人は嬉しそうに「ひゅーひゅー!」と言っていた。
酒場に入り、『もっと!』で自分の書いた原稿を確認する。結構赤が入ってるかなと緊張しつつ読んだが、ほとんど直しは入っていなかった。嬉しい。僕が熟読しているあいだ、知人は不満そうに今年初のさんまをつついていた。すべて確認し終えたところで、構成の仕事の話をした。何を思って『S!』誌の連載の構成をしているのかと知人が訊ねるので、素直に答える。知人はさらに「あの二人のことをどう思ってるの?」と言うので、これも素直に答える。僕が一番気になっていて、一番(同席することで)学ばせてもらっているのは、知識というより態度や姿勢だと思っている。
しかし、そう考えると、『V』誌で別の連載の構成をさせてもらっていたときは、もっとちゃんと深く関わるべきだったかもしれないと今になって反省している。知人は「もふはさぁ、仕事としてこなしちゃうところがあるよね」と言っていたが、耳が痛い話だ。そんなにたくさん仕事をしていないせいなのか、仕事となると、「滞りなくやらないと」ということで頭が一杯になってしまうことがある。
早めにアパートに戻り、明日の支度をして眠りにつく。
9月19日(木)
朝5時に起きて、山手線、埼京線、東北新幹線、八戸線と乗り継ぎ、東京からやく6時間かけて岩手県は久慈市に到着した。『P』誌の取材で「あまちゃん」のロケ地ルポ。取材は明日からなのだが、せっかくなので1泊ぶんは自腹ということにして前乗りしたのである。現地で見聞きしたことはすべてルポに書く。
9月20日(金)
久慈滞在2日目。ロケは今日からが本番である。天気にも恵まれてロケ日和であった。朝、レンタカーを(借りに行っているときにドライブインを見かけた。取材したい気持ちで一杯だが抑える。夜には能年玲奈さんの姿を見た。
9月21日(土)
久慈滞在3日目、北三陸ルポ2日目。この日は少し雨が降った。ほんの10分ほどの通り雨だが、三陸鉄道の職員さんは「ああ、やっぱり降ったか」と言っていた。天気予報通りという意味ではない。今、久慈では秋祭りをやっているが、その中日には毎年雨が降るのだという。夜、3日連続で同じスナックに出かけ、初日に入れたボトルを飲み干す。
9月22日(日)
久慈滞在4日目、北三陸ルポ最終日。18時6分発の終電が出るギリギリの時間までたっぷり各所をまわった。新幹線に乗って、ビールで乾杯。お疲れ様でした。撮影を担当していた写真家の方と話していて、あれこれ興味を持つ。写真というのはすごいなあ。ある相手と向き合ったとき、「この相手ならこちらのカメラだ」というふうに具体的に手となる道具が変わるというのが不思議だ。
9月23日(月)
東京を離れているあいだに、気になっていた公演がいくつかあった。その一つはドリフターズ・サマースクール2013の発表会で、その一つは悪魔のしるしの公演「悪魔としるし」で、その一つは下北沢「B&B」での又吉直樹さんのトークイベントだ。もちろん北三陸ルポのおかげで貴重な経験ができたというのは大前提なのだが、この三つを観に行けなかったのは残念だ。そんなことを知人に伝えると、「え、悪魔は今日が楽日だけど」と教えてもらったので、昼過ぎに横浜に出かけ、14時05分、相鉄本多劇場にて「悪魔としるし」観る。良かった。何が良かったのか言葉にしたいけれど、それには時間がかかりそうだ。それにしても、心霊写真ってニセモノだったのか(この公演を見たあとに「ニセモノ」なんて書くのもどうかとは思うけども)。「アンビリーバボー」とか、わりと素直に観ていたタイプの人間が僕です。
考え事をしながら電車に乗ると、うっかり逗子方面に向かっていた。そのせいで17時から吉祥寺「ONGOING」で行われていた快快のパフォーマンスに遅刻してしまった。20分ほどは見逃してしまったが、残りの40分はしっかり観る。同じように遅れて会場に到着した篠田さんが誰より彼らのパフォーマンスを楽しんでいるように見えた。昼の悪魔のしるしの公演を観ていても、あるシーンでは、会場のどこかで、他の誰よりも危口さんが楽しんで観ているんじゃないかということが頭に浮かんでいた(これはどちらも批判的な意味で言っているのではない)。終演後は大勢で「ハモニカキッチン」に流れてビールを飲んだ。
9 月24日(火)
アパートで終日仕事。今日が締め切りの仕事が2つあったのに、2つとも終わらせることができなかった。少しリズムが乱れている。今日発売の『SPA!』を確認する。今週号の「これでいいのだ!」は“福田ナイト”と題し、批評家の大澤信亮さんをゲストに招いている。掲載された原稿を確認すると、2ヵ所ほど、決定的に固有名詞を間違えていたのを(そしてそれを直してもらっているのを)確認し、恥ずかしいやら申し訳ないやら。精進しなければ。
9月25日(水)
終日、『S!』誌の構成を。夕方には母校の図書館に出かけて、いくつかチェック。18時にようやく完成してメールで送信した。ホッとしたところで、昨晩ツイッターで話題(?)になっていた近所の店に出かけてみる。秋刀魚の炊き込みご飯の焼きおにぎりの出汁茶漬けがあるのだという。食べてみるとこれがなかなかウマイ。店主に訊ねると、「この食材はこの料理しかないだろう」と思えた料理はこれで3つめだそうである。他には鴨鍋なんかも自信作だと言っていた。いつかまた知人と食べに行ってみよう。夜、『P』編集部にてルポ記事のページ構成を相談する。23時過ぎまで。
9月26日(木)
朝9時に起きて、頼まれていた仕事の構成を進める。昼、自宅でもやしのせマルちゃん正麺(味噌)。15時過ぎにようやく完成し、締め切りを過ぎてしまって申し訳ない気持ちを添えつつ、メールで送信。普段はあまり縁のない建築というテーマの話で、色々刺激を受けた。
夕方になって渋谷に出て、缶ビール2本携えて宮益坂を上がる。台風でも近づいているのか、急に強い風が吹き始めていた。18時、青山にあるトーキョーワンダーサイトへ。明後日までここにレジデンスしているあやみさんにインタビュー。缶ビールを飲みながら、パッタイをいただきながら、たっぷり90分話を聞いた。いくらレジデンス施設とはいえ、あやみさんはここに住んでいるわけだから、そんな部屋でインタビューさせてもらうというのはよく考えれば図々しい話だ。
20時、表参道でのろさんと待ち合わせ、「ティーヌン」でホタテと野菜の炒め物、空心菜炒めなどをツマミにビールを飲みながら90分ほどインタビュー。早稲田の「ティーヌン」は、何も言わなくてもオーダーが通るほど通っていたこともあるが、早稲田と表参道では全然雰囲気が違っている。表参道駅でのろさんと分かれ、ふじたにさんと待ち合わせ。シブいお蕎麦屋さんに入り、塩そばや板わさをツマミに日本酒を飲みながらインタビューをしているうち、時計は0時をまわっている。
今日インタビューした3人は皆、快快のメンバーだ。来月18日からトーキョーワンダーサイトで上演される彼らの新作に向けて「何かドキュメントして欲しい」と話があったのは初夏のこと。ただ、僕の視点から(つまり半歩外側から)ドキュメントするというよりも、もっと内側に入りたいと思ってインタビューという形式を選んだ(僕は自分でもインタビューがヘタだと思っているというのに)。しかも、わざわざ一人ずつインタビューさせてもらうという、面倒くさい方法を選んだ。
快快は集団制作というスタイルで作品を作っていて、チームという印象が強い。これまで彼らが受けるインタビューも、戯曲を書いているリーダーの北川陽子さんや演出家の篠田千明さんがインタビューを受けるか、あるいは「皆」で取材を受けるということが多かったように思う。快快は昨秋の「りんご」の上演をもってメンバーが減った。今度の「6畳間ソーキュート社会」は新生快快として第1作目となる。その「今」と捉えるためには、まず一人一人と、一人一人の「今」と向き合う必要があると思ったのだ。
そうしてインタビューする以上、あまり当たり障りのない話だけしていても仕方があるまいと覚悟を決めて、あれこれ立ち入って話を聞いた。皆それにしっかりと答えてくれた。こうして時間を取ってもらってしっかり話を聞かせてもらえるというのはありがたいことだなと、終電に揺られながらしみじみ思った。
9月27日(金)
昼、羽田空港へ。味噌カツ丼を食べたのち飛行機に搭乗し、昼下がりに那覇に到着した。アパホテルにチェックインする際、「4泊でよろしいですか?」と言われて、ああそうだ、オレは4泊もするのだと思う。アパホテルを選んだのにはいくつか理由があるのだが、その1つは大浴場があることである。せっかく4泊もするのだから、ゆっくり風呂にでも浸かってノンビリしたいと思ったのだ。
部屋に荷物を置いて、しばらく昨晩のテープ起こしを進める。改めて、とても個人的なインタビューだと思う(だからこそこれが記録を前提としていることが嬉しい)。18時過ぎにホテルを出て、街をぶらつく。そろそろ何人か那覇に到着する頃だけど、それまで一人で飲んでいようか。いや、一人で飲んだくれるには何か読むものが欲しい。そう思ってジュンク堂書店那覇店まで歩き、(当然アパートに戻ればあるのだけど)文庫本を2冊購入した。
そうこうしているうち、「よね屋ってとこにはいってます!」とメールが届いた。ケータイで検索して行ってみるとずいぶんシブい店だ。扉を開けてみると小上がりに皆がいた。ホッとした気分。テーブルには沖縄おでんとラフテーが並んでいる、おでんにはテビチが入っている。どちらも美味しそうだったけれど、箸の持ちかたが悪い僕はうまく自分の取り皿にとりわけられる気がしなくて、あまり箸を伸ばせなかった。もう30も過ぎたというのに、自分のみっともなさを受け入れないでどうするのかと思う。
本当にシブい佇まいの店なのだけれども(?)、『hanako.』でも取り上げられているのだという。途中から郁子さんも合流し、泡盛を何合か飲んだ。帰り際に、入口近くにあるジュークボックスをまじまじと眺めていると、お店のお父さんが「聞いてみる?」と話しかけてくれた。たしか「お父さんのお薦めをかけましょう!」とコインを投入したのだが、それが何の曲だったのか、すっかり忘れてしまった。夜が更けた頃、皆(6人だ)でタクシーに分乗し「インターリュード」へと向かった。3ヵ月前と違って、今日は与世山さんもお店にいたけれど、ライブの時間はもう終わってしまっていた。「21時くらいならやってますから」と帰り際に教えてもらったとき、(たぶん今回の旅行では来れないだろうな)と思っていたが、その通りになってしまった。また近々訪ねてみたいと思う。
9月28日(土)
朝7時に起きる。8時、心を整えて「あまちゃん」最終話観る。このドラマに堆積している時間、そしてその時間の堆積を感じさせている人と人との営みに涙が溢れる。最後のトンネルのシーンの美しさ。しかし、僕は“あまロス”とは無縁に過ごせそうだとも思う。僕にはドラマがいくつもある。もちろん、自分が今(生活圏を離れて)沖縄にいるというのも大きいのかもしれないが。
昼、「88」というステーキハウスで昼食。昨日、クラムボンのmitoさんが定休日(だったっけ)で入れなかったとつぶやいていた店だ。少し行列に並んで、4000円弱する伊勢エビとステーキのプレートを注文する。ビールも一緒に注文した。注文の際に「焼き加減はどうなさいますか」と訊ねられ、たじろぐ。もちろん「レア」「ミディアム」「ウェルダン」があることくらい知っているはずなのに、普段ステーキなんて食べることがないからすっかり忘れていた。「焼きかたって何があるんでしたっけ」と間抜けな質問をしたのち、ミディアムに焼かれたステーキと伊勢エビとが運ばれてきた。一口、あまりの柔らかさにたじろぐ。
食後、時間はあるので国際通りをぶらつく。早めにお土産でも買っておこうかと思ったが、似たような店が並んでいて、どこに入ったものだか判断に迷う。結局どこにも入らなかった。危口さんがかつて言っていた「観光地とは土地の演技である」という言葉を思い出す(最近その言葉ばかり思い出している)。今回はシャツを2着しか持ってきていないので、もう少し着替えを用意しようかとSTUSSYにも入ったが、こちらも何も買わずじまいだった。
近くにある牧志公設市場へ。沖縄に出かける機会があれば覗こうと思っていた「市場の古本屋 ウララ」を目指して歩く。なかなか出くわさないなあとiPhoneで地図を確認してみると、既に通り過ぎてしまっていた。音楽を聴きながら歩いていると見逃してしまう広さだ。引き返して棚を眺め、ウララさんの本を含めて数冊購入する。購入するタイミングで挨拶できればと思っていたけれど、結局挨拶できずにお店を後にしてしまった。
15時過ぎ、僕より少しあとに「88」でステーキを食べていた皆と合流する。4人はバスで、僕を含めた4人はタクシーを拾ってガンガラーの谷へと向かった。タクシーの中で缶ビールを飲んだ。運転手さんには伝わりやすいように「玉泉洞までお願いします」とお願いしたのだが、もう70は過ぎているであろう運転手さんは「はて?」という顔をしていた。沖縄でタクシーの運転手をやっていて玉泉洞がわからないというのは結構致命的ではないか。途中で何度か道を間違えてもいたけれど、その年齢の運転手さんにあまりキツいことを言うわけにもいかず、そっと「次で右に曲ったほうがいいんじゃないですかね」と伝えるのが精一杯だった。ただ、30分くらい乗車していたのに、料金は3000円ほどだった。沖縄のタクシーは古い型の車両が多いけれど、料金はとても安い。
ガンガラーの谷にて、クラムボンの「ドコガイイデスカツアー2013」。10分ほど押して客電が消えると、ステージ後方、谷のほうから3人が降りてくる。1曲目の「サマーヌード」を聴いた瞬間、どういうわけだか涙が溢れて止まらなくなってしまった。僕はクラムボンの音楽を音源としてずっと聴いていたのに、ライブでその歌声を聴くのはこの日が初めてだった。何て素晴らしい歌声なのだろう。本当に、心を掴まれるというのはこういうことを言うのだな。あんまり楽しいので、ライブ中に7杯もお酒を飲んでしまった。
終演後、タクシーで那覇市内まで戻り、まずは皆で「東大」というお店へと向かった。mitoさんも紹介していた店で、ガイドブックにも掲載されている居酒屋らしいのだが、開店時間はなんと21時半である。少し早めに到着して店の前に並ぶと、あっという間に行列ができた。皆で並んでいるあいだに辺りをぷらついてみたのだが、何とも言えない空間が広がっている。開店と同時に中に入り、焼きてびちなど数品を注文する。この焼きてびち、どういう料理なのか詳しいことはわからないけれど、あぶらのかたまりのような料理だ。一人で食べきれるヴォリュームではないが(8人で2皿頼んだがそれでも満腹になる量だ)、これを1品頼んでしまえば、ちびちび食べながら何時間でもお酒を飲んでいられそうな味だった。
その後、再びタクシーに乗車して別の酒場に移動した。もうすっかり酔っ払っていたので、そこがどこだったのかわからないけれど、クラムボンの打ち上げも同じ店で行われていた。濃い会話に圧倒されていると、途中で合流した郁子さんが「あれ、今日まだひとこともしゃべってないよね?」と僕に言った。「今日のライブがあまりにも良かったので、もう何も言えないんです」と言いたかったのだけれども、そんなことを言ってもちょっとおべんちゃらみたいになってしまうと思って、「飲み過ぎちゃって」としか返せなかった。でも、本当に今日のライブは素晴らしかった。聴いていると、もう言葉なんて要らないんじゃないかという気になってくる。雄弁に語れば語るほど、何か遠ざかってしまうような気がする。とにかく、良かったのだ。僕がライブを観に行くのが好きなのは、結局のところ、自分が口を開くことなく音と直接繋がれるからではないか。そんなことを考えていた。もちろん、「口を開く必要がない」というのと「筆をとる必要がない」というのは別の話だと思っているのだけれど。
9月29日(日)
7時半に起きる。8時40分、僕の泊まっているアパホテルで待ち合わせ、3人でレンタカーを借りに出かける。ハイエースに乗ってみるとさすがに大きい。いや、大きさよりもまず運転席の高さに戸惑う。戸惑いつつも県庁前に向かい、4人をピックアップしてまずは「A&W」という店を目指した。1963年に1号店がオープンしたという、沖縄に数店舗展開しているアメリカのチェーン店だ。ドライバーの特権として、僕の研究に皆を付き合わせた格好になる。
この日訊ねた牧港店はドライブイン型の店舗。「A&W」のドライブインはアメリカ式で、他の地域のようにクルマを降りて利用するタイプの店ではなく、クルマに乗ったまま注文するとそこまで料理を運んできてくれるタイプである。でも、僕らはせっかくなのでクルマを降りてみることにした。敷地内にはパラソルの並ぶ庭もあった。友人のドド子さんから、Coccoが「完璧な休日」のコースにこの「A&W」を含めていたと聞いていたが、たしかに、小さい頃にこんな店に出かけたら相当楽しいだろうなと思う。店内の雰囲気もアットホームで良かった。ルートビアというのも初めて飲んだ。風邪を引いたときに飲むクスリのような味をしていた。あんまり嬉しいもんだから、プレートに敷いてあった紙を持ち帰ってしまった。
満足したところでハイウェイに乗り、12時前には美ら海水族館に到着した。3ヵ月前にも来た場所だけど、やはり大きな水槽を眺めるのは楽しい。小さな魚の入った水槽を眺めていると、どうしても「寿司が食べたい」と思ってしまう。水槽を一通り眺めると、皆はイルカショーに出かけた。僕も最初の数分は眺めていたけれど、調教されたイルカを眺めているうち妙に寂しい気持ちになって、3ヵ月前にも訪れたちょっとした砂浜に向かった。その砂浜の一部には「立ち入り禁止」と書かれたロープが張られていた。3ヵ月前に4人でこの砂浜を訪れた際、そのロープの向こう側にある岩陰に立ち入り、海にも足をつけていたのだけれども、そのときに「遊泳禁止です!」と注意されていたのだ。ひょっとしたら僕らのせいでこんなロープが張られてしまったのだろうか。
30分ほど、ただただ砂浜と海を眺めていた。静かな波の音が規則的に響いている。波打ち際をじっと眺めていると、小さなヤドカリが何匹も歩いているのが見えた。皆同じ方向に向かって歩いていた。何か規則性があるのだろうか。1年くらい、ただただ海を眺めて過ごしてみたら何か見えてくるものがあるのかもしれない。15時過ぎに美ら海水族館を出発し、皆を桜坂劇場の近くで降ろしたのち、ホテルにクルマを駐車する。そのあとで再び皆と合流し、今晩の便で帰る2人を見送ったのち、ガンガラーの谷にてクラムボン「ドコガイイデスカツアー2013」ファイナル。今日は酒を控えめに聴いているつもりだったのに、結局この日もたくさん飲んでしまった。最後の曲は「ナイトクルージング」だった。
何にしても今日も酔っ払ってしまった。終演後、タクシーで那覇市内まで戻ったところで限界を感じ、皆と別れてホテルに戻った。
9月30日(月)
朝8時過ぎ、ホテルのすぐ近くにある定食屋「三笠」に入ってみると、もう既に3人は朝ごはんを食べ始めているところだ。それぞれポークたまご、ちゃんぽん(という名前だけどチャーハンのような料理)、とうふちゃんぷるーを注文している。どれも美味しそうだ。メニューに牛肉のショウガ炒めというのを見つけて、牛肉というのは珍しいなと思って注文した。お母さんたちがやっている、ほどよくくたびれた定食屋だが、ここは24時間営業なのだという。こういう店がある街に暮すというのは楽しいだろうな。
食事を終えるとクルマを取りに行き、県庁前で皆をピックアップして、朝9時、定刻通りに出発。ひめゆりの塔、平和祈念公園、摩文仁の海、山の茶屋、新原ビーチ、糸数アブチラガマ、飯上げの道と、6月にまわった場所を中心にして各所で手を合わせてまわる。陸軍壕の近くにある鐘を鳴らしたところで16時半、最後の目的地は喜屋武岬だ。まだ日没までは時間があるということで、近くにある荒崎海岸に行ってみようという話になった。聞けば、青柳さんが一人で沖縄を訪ねた際、タクシーの運転手に「もう1つのひめゆりの塔がある」と連れてきてもらった場所だという。追いつめられたひめゆり学徒隊の子供たちの数名はこの荒崎海岸で射殺され、数名は手榴弾で集団自決した。
海岸への入口あたりでは、泳いだりマリンスポーツを楽しむ人たちのクルマが何台か停めてあった。僕もそこに駐車しようかと思ってスピードを緩めていると、「もうちょっとまっすぐ行けるはず」と声がする。その「まっすぐ」の方向には轍が続いてはいるが、両脇には雑草がクルマと同じくらいの高さまで伸びている。柔らかい草だけでなく、硬そうな木の枝も伸びている。クルマのボディからはきぃーと嫌な音が小さく聴こえてくる、轍はでこぼこで、スピードを落として走っても車体は上下に大きく揺れる。ボロボロの気持ちでクルマを走らせていると、カーステレオからは「青い闇」が流れ始めた。あの瞬間に沸き起こった感情が、今回の旅で一番印象に残っている。
荒崎海岸を眺めたあと、日没前に到着できるようにとクルマを飛ばして喜屋武岬へと向かった。18時過ぎには到着し、少しずつ色が変わっていく空と海を皆で眺めていた。