11月16日から30日

11月16日(土)

 朝9時に起きる。まずはジムに出かけ、1時間45分かけて12キロほど走った。毎日走るのはやめにして、1日置きに少し距離を伸ばして走ってみることにした(ただし足や腰を痛めてしまいそうなのでノンビリと)。走っているあいだDVDを観た。今日は『アニー・ホール』。前回観たときは「hostility」という言葉が耳に残ったけれど、今回は「phony」という言葉が耳に残る。それから、前回は見逃していたけれど、アニーと別れる際に本を仕分けているとき、アルビー・シンガーが手にしている本の一つは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だ。

 13時、昼食。昨日のスープの残りと、セブンイレブンで買ってきたサラダチキン。サラダチキンというのは、ゴロンとした蒸し鶏(ムネ肉)が真空パックされているだけの商品なのだが、これが話題を呼んでいる。話題なのはそのヘルシーさだ。100gあたり105kcalと低カロリーな上(内容量は125gだから1321kcalくらいか)、脂肪分がほとんどなく高タンパクなのである。さっそく買ってきて食べてみると、しっかり味付けがしてあってそのままでも美味しいし、結構な満腹感も得られる。

 16時過ぎ、アパートを出て鴬谷へと向かった。南口を出て根岸のほうへ歩いていくと階段がある。結構な高低差があり、駅界隈の風景が見渡せる。目立つのはやはりラブホテルだけど、小さな酒場がいくつも見える。これは楽しめそうだ。でも、それより何より楽しみなのは、東京キネマ倶楽部で開催される前野健太デビュー6周年記念公演「〜歌だけが知っていること、愛も届かないところで〜」があるのだ。

 エレベーターで6階に上がっていくと、元はキャバレーだった空間が現われる。この空間は3階建てになっている。ステージがあるのと同じ層にはパイプ椅子が並べられている。2階と3階はバルコニー席だ。入口近くにはカラオケセットが準備されていて、新曲「ねぇ、タクシー」(のカラオケ)がずっと流れている。来月5日には前野健太カラオケリサイタルがあり、ここで「ねぇ、タクシー」を歌えばその抽選に応募できるのだ。しばらく皆敬遠していたが、ポツポツと歌う人が現われ始めた。僕はドリンクチケットをビールに交換し、その様子を眺めて飲んでいた。開演が近づいたあたりで杖をついた人がやってきてマイクを握った、これからライブでドラムを叩く山本達久さんだ、とても響く歌声だ。そして山本達久さんが歌い終わると、今度はジム・オルークさんがマイクを握って歌い始める、とてもエモーショナルな歌声だ。さっきまでカラオケの周りはガラ空きだったのに、いつのまにか大勢の人に囲まれている。

 18時過ぎ、照明が落ちてライブが始まる。ステージの下手側には階段があり、照明が灯るとそこに前野健太が立っている。「100年後」という曲の歌詞を変更した「100年前」で6周年記念公演は始まった。後ろに光るライトが月みたいで綺麗だったのを覚えている。「100年前」を引きが立っているところにソープランダーズの面々がステージに登場し、2曲目の「love」へと移っていく――この日のライブを細かく言葉にすることはできない。前野健太はビリビリと感電したかのように体を揺すりながら、時に絶唱するように歌っていた。特に「東京の空」と「ばかみたい」と「ファックミー」。僕はハイボールを2杯、ウィスキーのロックを3杯飲んだ。「東京の空」を歌う前野健太は泣いているようにも見えた。本当に泣いているのかどうかはサングラスで遮られているのでわからない。

 終演後、開場の入口で呆然としていると、見知った顔をいくつか見かけた。その中の一人、九龍ジョーさんに誘ってもらって「信濃路」へ飲みに出かけることにする。僕は「この人には見られているはずだから絶対にいい加減なことは書けない」と思い浮かべる人が何人かいるけれど、その一人は九龍ジョーさんだ。しばらく飲んだところで、九龍さんは言った。「橋本君にも、自分にしか語り得ない何か――橋本君が情熱をかけて語らざるを得ないものがあっても良さそうな気がするんだけど、『橋本君がよくわかんないものに熱中してるな』って感じになったことがないんだよね」と。それはその通りだと思う、向井さんでも前野さんでも、あるいは他のジャンルのものであっても、既に誰かによって紹介されているものに興味を持ってのめり込んでいくことはあるけれど、よくわからない何かにのめり込んだことはおそらくない。唯一あるとすれば、ドライブインのことくらいだ。


11月17日(日)

 10時過ぎに起きる。11時、朝食。まだ残っていた一昨日のスープにキャベツを足して食す。食後、日記を書く。先日、M田さんに「東京論を書いて欲しい」と言われたことが、ずっと頭のどこかにある。書くということにもトレーニングが必要だろうから、半月に一度、東京の風景について書いてみることに決めた。毎回、原稿用紙11枚ぶん書いてみることにする。まずは酉の市について書く。

 14時過ぎ、昼食。マルちゃん正麺(豚骨)もやしのせ。豚骨の味はもう一つだけど、まとめ買いしたせいで8食ぶんも残っている……。午後もずっと酉の市のことを書いていた。19時、夕食。知人の作ったキムチ鍋をつつきつつ、「ハクション大魔王」(フジ)観る。関ジャニ∞村上信五ハクション大魔王役である。始まった瞬間に「あーーこれ観てらんないかもしれない!」といたたまれない顔をしている。知人は関ジャニ∞のファンである。

 観ていると、この作品は誰からも叩かれるだろうなという感じがする。細身のジャニーズを大魔王にするというのは、誰が見てもムリがある。どうして今、実写化しようという話が出てきたのだろう。たまにこうして昔のアニメ作品を実写化(あるいは現代版としてリニューアル)するけれど、いい加減やめにすればいいのに。それくらいなら、何の説明もなく当時のアニメをそのまま流してくれたほうが面白い気がする。ただ、そんな役を引き受け、照れを覗かせることなく演じている村上君のことは応援したい。知人も「段々見慣れてきたかも」と言って観ている。大魔王はともかく、あくびちゃんを演じる子役が大変に可愛らしい。「渡邉このみ」というらしい。

 22時過ぎ、ようやく酉の市の話を書き終えた。


11月18日(月)

 朝9時に起きる。昨日のキムチ鍋のスープに豆腐だけ入れて食べた。10時半、ジョギングに出かける。今日はジムの休館日なので、神田川沿いを東に走っていく。いつもは江戸川橋に出たあたりで折り返すところだけど、今日はもう少し進んでみる。このあたり、新目白通り沿いを走っていると特に店もなくて寂しい風景が続くけれど、川をはさんで一つ北側の道をいくと小さな店がいくつもある。住所で言えば「水道」だ。以前、M山さんに教えてもらった小さな中華料理店。古い木造建築を改装した雰囲気のいい喫茶店天保6年創業という鰻屋さん。立ち呑みコーナーのある酒屋さん。また古い建物を改装した喫茶店。渋い佇まいのお食事処、店内は決して広くなさそうだけど「2F 宴会場」の文字がある――このあたりまで来ると住所は「後楽」になっている。もうすぐ飯田橋だ。

 外堀通りに出たところで左に曲がる。このあたりの首都高は改装工事中なのか、ずっとベニヤのような板が全面に張られている。ここだけ木造の高架になっているようで面白い。飯田橋界隈はサラリーマンが多かったけれど、さらに進んでいくと白い紙の新聞を手にした人が多くなる。後楽園だ。ウィンズの前の階段に腰掛けて予想に熱中している人もたくさん見かける。そこでただ談笑している人もいる。月曜日でも地方競馬はやっているのだな。水道橋の交差点まで出たところで5.5キロ、ここで折り返すことにした。高田馬場に帰ってくる頃にはもうお昼どきで、サラリーマンとたくさんすれ違った。セブンイレブンのコーヒーを片手に歩く人を本当によく見かける。

 午後、近くのデニーズに出かけて『S!』誌の構成に取りかかる。隣りにはテニスクラブがあり、平日の昼間からテニスを楽しんだ奥様方で賑わっている。「主人が明後日から出張で」「まあ、羨ましい。うちも長期出張とか単身赴任とかないかしら。ずーっと家にいるんだから」――こんな絵に描いたような会話が現実に交わされているものだなあと妙に感心した。「平日の昼間からテニスを楽しむ人たちがいるんだねえ」と知人にメールを送ると、「もふだって似たようなもんじゃん」と返ってきた。なるほど。

 18時過ぎ、歩いて池袋に出かける。「古書往来座」で数冊購入し、池袋駅周辺で酒とツマミを買い込んだのち、山手線で田端へと向かった。キュウリをかじりながら夜道を歩いて向かうのはAさん宅。今日は鍋をする約束をしていたのだ。部屋にお邪魔するともうバッチリ準備をしてくれていて、ビールも注いでくれている。お土産をいくつか手渡し、乾杯。今日の鍋はきりたんぽだ。きりたんぽ、近くのスーパーで本格的なやつが売っていたらしく、食べてみるとたしかに美味しい。

 ビールを2缶飲んだあとは日本酒を飲んだ。僕はいつも、自宅で飲むときは秤で量をはかりながら飲んでいる。さすがに人の家にお邪魔しておいてそんなことをするわけにもいかないが、摂取カロリーがわからなくなるとダイエットに挫折してしまうかもしれない(摂取したカロリーをすべて記録することがゲームみたいになっていて、それでダイエットが続いているところもある)。そこで思い出したのは、会津に出かけた際に買ったものの、一度も使っていなかったおちょこのこと。そのおちょこはマトリョーシカのようになっていて、開いていくと3つのおちょこが出てくるのだ。今日はAさん、ドド子さん、僕の3人で飲むのだから数もぴったりだから、それを持参して飲むことにした。それぞれのおちょこに何ミリリットル入るのかは事前に計測してある。僕は一番大きいおちょこで飲んだから、1杯で50ミリリットルだ。

 なんだかつまらないことばかり書いているなあ。

 飲んでいると酉の市の話になった。最初に酉の市に出かけたのはいつだったか訊ねてみると、Aさんは「橋本さんと知り合ったくらい」、ドド子さんは「大学2年生くらい」だという。僕がAさんと知り合ったのは大学4年の冬で、僕が最初に酉の市に出かけたのもおそらくその年だ。それから、以前見世物小屋をやっていたのは「大寅興行」だとドド子さんが教えてくれる。彼女は学生時代にちんどん研究会に所属していたから、その筋に詳しいのかもしれない。話を聞いていると、ドド子さんが大学生になったばかりの頃の見世物小屋には映画『フリークス』のような雰囲気も少し残っていたという。

 明日も平日なので、22時過ぎにはおいとますることにした。Aさんに貸してもらった落語のCD(『志ん朝十三夜』)を聴きながら、1時間20分かけて高田馬場まで歩いて帰った。


11月19日(火)

8時に起きる。朝食、スープはるさめ。午前中はここ数日の日記を書いていた。12時、昼食。マルちゃん正麺カレーうどん)もやしのせ。午後は『S!』誌の構成を進めた。夕方には完成させてメールで送信。19時、夕食。白菜、大根、長ねぎ、えのき、つみれ、たらで寄せ鍋を作って食べた。金麦のロング缶を一本だけ飲んで、11月11日のインタビューのテープ起こしに取りかかる。知人は徹夜で仕事をするというので、日付が変わる頃には床についた。こうしてみると、まったく特筆することのない一日。


11月20日(水)

 8時に起きる。よく眠れた。うちの布団はシングルサイズなのだということを再認識。近くのコンビニに出かけて、『週刊新潮』、『週刊文春』をパラパラやって、『TV Bros.』と、見知らぬ雑誌『MEKURU』を買った。どうやら創刊号らしいのだが、宮藤官九郎が表紙&特集で長瀬智也のインタビューもあるので買っておく。一緒に買ってきたバナナを食べてジムへ。調子に乗って走る距離も時間も伸ばしたら少し足が痛むので、今日はスピードを少しだけ上げて1時間ほど走る。スピードを上げたといっても、7km/hが8km/hになっただけだ。走っているあいだは『ワイルドバンチ』を途中まで観た。

 12時、昼食。昨日の鍋の残りにもやしを加えたもの。それにセブンのサラダチキンも食べた。冷蔵庫にはあと2つサラダチキンが入っている。午後はインタビューのテープ起こしの続きを。起こしていると、「ああ、この話をもっと掘り下げればよかった」ともどかしい気持ちになってテープ起こしを中断してしまう。もしかしたら締め切りまでに少し話を聞ける機会があるかもしれないと思って、いちおう追加で訊ねたいことをメモしておく。

 17時、アパートを出て上野へ。上野の街を2時間ほど散策。そのことは別枠で書く。19時半、上野広小路から末広町に出て「3331」。今日は東葛スポーツ第8回公演「ツール・ド・フランス」を観にきたのである。前はこの1階でやっていたはずなんだけど――入口で立ち止まっていると、通りすがりの人が「たぶんこっちだと思います」と教えてくれた。会場に着いてみると、立川談志の高座の様子が映し出されている。会場では缶ビールと缶チューハイが販売されている、これがとても嬉しい。上演時間まくらが終わるあたりで公演が始まった。まずは佐々木幸子さんが登場し、注意事項を伝えながら舞台が始まっていく。このまくらの部分が僕は好きで、観にきているのかもしれない。

 前回「3331」で東葛スポーツの公演を観たとき、劇中の台詞(ラップ)に「上野で飲むなら大統領 でも個人的にはカドクラ」というのがあった。その言葉に従って入ってみた「カドクラ」は、なるほど安くて良い店だった。東葛スポーツの主宰・金山寿甲さんのそういうセンスは素晴らしいと思う。今回の作品の中でも、俎上に載せられている千代田区(特に日比谷や有楽町駅前)に触れる手つきは印象に残る。『美味しんぼ』にも出てくる「美味い店はホームレスが知っている」といった話をサンプリングしつつ、(本当にフィールドワークして聞いてまわったのかどうかは定かではないが)ホームレスにレストラン評をさせるというのは面白く感じた。それに、日比谷公園には野音にライブを聴きに行くときにしか出かけたことがないけれど、朝から夜まで滞在してみたら面白いという気にもなった。それから、『料理の鉄人』のDVDが出ていたら観てみたいと思った(当時僕はあまりテレビを見せてもらえなかった)。そうか、冬と言えばジビエなのか――最近あまり行けていないけれど、高田馬場にある獣肉酒場「米とサーカス」に久しぶりに出かけて鹿肉を食べようと思った。『ふぞろいの林檎たち』のDVDを借りて観ようと思った。こうして思い返してみると、雑文的というか散文的なことばかり甦ってくる。この「ツール・ド・フランス」という作品で彼が何を描こうとしたのか――いや、それはわかる。会場のあるのは多くの官庁のある千代田区だ。それに「さんぴんキャンプ」での「すぐそこのビル、厚生省なの知ってるか」というMCもサンプリングされているし、今回は全編にわたって「パルプ・フィクション」がモチーフになってもいる。そのあたりから伝わってくるものがないわけではない。でも、もうちょっとだけ大きな「声」を出して欲しいとも思う(そういえば繰り返し語られる『ふぞろいの林檎たち』のタイトルの一つに「大きな声が出せますか」がある)。演劇として何が良いとか、どうあるべきということは知らない。ただ、僕はその「声」が聴きたくて演劇を観に出かけているのだと、今これを書いていて気づいた。立川談志が照れながら「子別れ」をやる――その素晴らしさや東京っ子の感受性については今作の中でも語られているし、僕もその良さがわからないではないけれど、もう少しだけ「声」のボリュームをあげてくれたらなと思う。それと、東葛スポーツの作品に関しては、別にラップのスキルが求められているものではないのかもしれないが、菊池明明さんがウサギの被り物をしてまくしたてるところだけはもっとバシッと聴きたかった。


11月21日(木)

 朝起きると胃がもたれている。ここ最近は揚げ物をほとんど食べていなかったせいかもしれない。4枚重ねとはいえ、ハムカツくらいで翌朝まで胃がもたれるとは、我ながら情けない話だ。そもそもハムカツも半分残してしまったのである。前ならポテサラ入りのハムカツも注文していたところなのに。9時、朝食にバナナを食べる。10時過ぎ、知人と一緒にアパートを出てTSUTAYAへ。相当長いあいだ延滞してしまっていたDVDを2枚返却する。長期延滞になると、日数ぶんの追加料金ではなくDVDの価格ぶんの追加料金を支払うことになる。レンタル用の価格だから2枚で7千円くらいかなと思っていると、「それでは、2枚併せまして1万5千円です」と店員さん。「はいはい」と1万円札を2枚取り出し支払ったが、心の中でずっと「マジか」とつぶやいていた。いや、そもそも延滞した僕が悪いのだが。

 返却が終わったところで、さっそくDVDを探す。目当ての『パルプ・フィクション』は貸し出し中、『ふぞろいの林檎たち』は取り扱いがなかった。代わりに『スパイダーマン』など5枚レンタル。12時、昼食。白菜、大根、長ねぎ、えのき、いわしのつみれで味噌ベースの寄せ鍋にする。いつも水炊きばかり作っていたのは、スープを買ってこなくてもポン酢で食べられるからだ。僕はずっと、水炊き以外の鍋をするときはパウチにされた鍋スープを使っていた。でも、今日ふいに「調合すれば自分でスープが作れるのではないか」と思い立ち、少しネットで調べて寄せ鍋を作ってみた。スープを飲んでみると、悪くない味だ。

 僕が一人暮らしを初めて最初に冬を迎えたとき、スーパーに出かけてみると鍋のスープがずらりと並んでいたから、よほど料理上手で時間のある人をのぞけば、鍋をするときは皆あれで食べているのだと思っていた。そのことを知人に話すと、「もふってさ、ほんと世間知らずだよね」と返ってきた。「家で鍋するときに、あんなスープ買わないよ普通」。だとしたら、どうしてあんなにたくさんスープを売っているのかと訊ねてみると、「普段は自分で適当にスープ作ってるけど、やっぱり市販のやつのほうが美味しいから、『皆で鍋を囲むときくらいは』ってあれを買うんだよ」と知人は言う。そうなのか。皆、そんなに家でスープを調合したりしてるのか。

 夕方、「古書往来座」をのぞき、見世物小屋の話を聞いた。レジ近くの棚にある池波正太郎『むかしの味』が目に留まり、買い求めた。「東京の描きかただね」と気づかれて少し恥ずかしい。店を出て、副都心線で横浜に出かけると、18時過ぎには日本大通りに到着してしまった。開場まではまだ1時間近くある。とりあえず神奈川芸術劇場のほうへ歩いてみると、今まで気づかなかったが、劇場の近くのビルの2階に古い喫茶店があるのが見えた。「バンビ」と言うらしい。クリームソーダやコーラフロート、サンドイッチにハンバーグ、ナポリタンやカレーライスのサンプルが並んでいる。

 中に入ってみると他に客はいないようだ。店内は思っていたより広く、テーブル席が10個以上ある。長いカウンターに腰掛けているのは御主人だろう。メニューを開いて、コーヒーの安さに驚く。少しメニューを書き写してみる。

*コーヒー/紅茶   ¥280
*アィスコーヒー   ¥300
*アィスティー   ¥300
アメリカンコーヒー   ¥300
*フロート類(コーヒー/コーラー/ソーダ)   ¥420
ミルクセーキ   ¥400
*ビール(中びん)   ¥500
*水割り(オールド) (S)¥500
           (W)¥750
*モーニングセット(コーヒー又は紅茶+トースト)   ¥330
*スパゲテー(ナポリ/ミート)   ¥500
*ハンバーグ(ラィスつき)   ¥600
ポークソテー(ラィスつき)   ¥600
*しょうが焼き(ラィスつき)   ¥600
*トースト   ¥250
*ジャムトースト   ¥300
ハンバーガー   ¥650

 営業時間は朝の8時から夜の8時まで(土曜日のみ夜6時まで)、日曜と祝日が定休日という。店内にBGMは流れていない。それこそ、ここの喫茶店の味は「むかしの味」だろうな。そんなことを考えながらも、結局料理は注文せず、コーヒーだけ頼んで『むかしの味』を読んだ。最初の章にこう書かれている。

たいめいけん〕の洋食には、よき時代の東京の、ゆたかな生活が温存されている。
 物質のゆたかさではない。
 そのころの東京に住んでいた人びとの、心のゆたかさのことである。
たいめいけん〕の扉を開けて中へ踏み込んだとき、調理場のほうからぷうんとただよってくる芳香が、すべてを語っているようなおもいがする。
 この香りは、まぎれもなく牛脂の香りである。(「ポークソテーとカレーライス」)

 あるいは、「ポークカツレツとハヤシライス」では、岡持ちの運んできたカツレツについて、「ぷうんとラードの匂いがただよってきて、おもわず生唾をのみこんだものだ」と書いている。僕は牛脂の匂いもラードの匂いもパッと思い浮かばない。どうも僕はすべて「揚げ物の匂い」で一緒くたにしてしまっている。池波正太郎の鼻が利くのか、僕の鼻が鈍いのか――たぶん後者だろう。

 19時に近づいたところで喫茶店を出て劇場へと向かった。今日はマームとジプシー「モモノパノラマ」初日である。僕は今回の公演で写真撮影を頼まれている。今日の初日は観客として観て、来週の26日にもう一度観て28日に撮影の予定だったが、27日までに写真が必要になったらしく、26日に撮影することになった。そういうわけで、観劇中の半分くらいは「どうやって撮ろうか」と考えていた。いつものマーム作品は動きが速く、もし撮影するのであれば「ここをこの角度で撮る」と決めておかないと大変そうだと思うことが多かったけれど、今回の作品はじっくり見せる場面が多く、そんなに慌てなくてもよさそうだ。

 作品で印象に残っているのは、まず、第一声だ。成田亜佑美さんが語る「いよいよ、本格的な、冬に、なろうとしている、今ですが」という台詞を聴くと、僕が今年上半期に何度となく聴いた「今っていうのは春で、そして、朝なんだけど」という言葉がフラッシュバックする。そうだ、もう冬になるのだ。そして「ピアノの音がどこからか聴こえてくる」――その台詞で、そのピアノの音で思い出すのは「cocoon」の冒頭のシーン(もちろん音は少し違っているのだが)。他にも、「cocoon」で蛆がスクリーンに映されたシーンの音が頭によぎった場面もあった。そしてそこで描こうとされているのは、「cocoon」でも手を伸ばそうとしていたあの感覚だ。

 「cocoon」上演後のインタビューで、藤田さんは「過去に酷い時代があったていうノスタルジックな涙はすごく危険な気がする」と語っていた。戦争を過去の悲惨な出来事と考えるのではなく、今の事として捉える作品にする上で、藤田さんの実家で飼い猫・モモの死は大きな出来事だったはずだ。

 今年の7月、モモは16歳で死んだ。「cocoon」に「16年だけ生きて死ぬって、どういうことなんだろう」という台詞が出てきたけれど、「どういうことなんだろう」を考える上でその死は(言葉が雑になるけど)一つの手がかりだったはずだ。今回の「モモノパノラマ」は、そのモモの事が描かれる。「cocoon」の上演期間中のある晩、藤田さんはモモの死について語っていた。自分は実家を離れて長いから両親のように悲しめないというのもあるけれど、やはり自分は涙を流すということではなく、作品をつくることでしかそれと向き合えない、と。

 作品の最後のほうで吉田聡子さんが語る。「顔をうずめたくなるような、肌、というものが、稀にありますが」と。「その肌とは、こないだお別れしたばかりだから、それについてはまだ考え中で、まとまらないのですが。その肌は、とっても柔らかくって、もふもふしていて――あのことを何と言えばいんだろう?」――その答えは用意には出ないだろう。出ないからこそ、作品は作られるのだ。この「モモノパノラマ」では、「cocoon」についてニール・ヤングのあの曲が流れた。邦題は「孤独の旅路」である。これは藤田さんにとって実家(あるいは父)を想起する音楽でもある(はずだ)。それから、これは尾野島さんが土地を「肌」に喩えて語る台詞を聞いているあたりで思ったことだけど、彼らはまたこの作品で旅に出て、答えが出ないことを考え続けるのだろう。

 終演後、ロビーで初日乾杯があった。北海道限定のサッポロ・クラシックだ。それにボジョレーもある、もう解禁されていたのか。いくつかフードも用意されていて、クラッカーに何かが載せてあるのを一つツマんで食べた。食べ終わったところで「フォアグラ、美味しかったですか?」と言われて、初めてそれがフォアグラだと気づいた。僕の舌はバカだ。飲んでいると、「こないだ新宿で橋本さん見かけましたよ」と声をかけられて、咄嗟に「大丈夫ですか、感じ悪くなかったですか」と聞き返してしまう(感じ悪いかもしれないと思っているのなら直せばいいのに(。それから、或る人に「イタリアとチリの本、どうですか?」と聞かれ、とても申し訳ない気持ちになる。「てんとてん〜」の海外ツアーのことを書く、書くと言っておきながら、まだちっとも形にできていない。3ヵ月前、「cocoon」の会場で会ったときにもそのことを訊ねられて、「次の新作までには」と答えていたのである。

 22時過ぎ、5人で水餃子を食べにいく。「山東」というお店。麻婆茄子と空心菜炒め、それに紹興酒も注文する。23時過ぎに店を出て、関内まで歩いてから帰った。歩いているとき、気が早いなとは思いつつ、プルさんに来年の目標を訊ねた。具体的な言い回しは忘れてしまったけれど、プルさんは今済んでいる横浜という街を耕そうとしているらしかった。終電に近い電車で高田馬場まで戻り、知人と二人で「米とサーカス」に入って鹿ロースステーキを食べた。ジビエである。


11月22日(金)

 9時過ぎに起きる。10時、バナナを食べてジムに出かけ、8キロほど走る。時速8キロで走っているから、1時間走っていたということになる。調子に乗ってまた速度を上げたくなってくるが、そんなことをしていればすぐに腰か膝を痛めるのが目に見えているので我慢。アパートに戻ってみるとまだ知人は眠っていた。13時、昼食。セブンイレブンのサラダチキンと、昨日の鍋の残りを食べた。テレビでは「スタジオパークからこんにちは」が始まった。毒蝮三太夫が出ていて、「毒舌と言われるのは心外」と語っている。曰く、ババアと呼ぶ相手は「関東大震災を知ってるくらいじゃないと」。それくらいでなければ、ババアと呼ぶほどの「魅力と貫禄とチャーミングさない」。

 14時近くになってアパートを出て、新幹線で仙台へと向かった。やまびこ。乗換案内で検索すると30分後の新幹線が表示されているが、ホームにはちょうど一つ前のやまびこが入線するところだ。それならばとそちらに乗車したのだが、後で詳しく調べてみると、どうやらこちらのやまびこのほうが停車駅が多いようで、一本あとのやまびこのほうが早く到着するらしかった。乗り換えるのも面倒なのでそのまま乗車していた。

 17時頃に仙台に到着。ホテル(東横イン仙台西口広瀬通)に荷物を預け、まずは「火星の庭」へと出かけた。ケンさんが一人で店番をされている。僕はコーヒー(中煎り)を注文して、買おうと決めた藤井豊さんの写真集『僕、馬』をめくる。30分弱で店を出ると、ほんの少しだけ雨が降っている。次に向かうのは「SENDAI KOFFEE CO.」。今日は前野健太のツアー「歌のこけし集め」の仙台公演があり、それを観るため(そして久しぶりに仙台を訪れるため)にやってきたのであある。「ちいさな出版がっこう」の参加者だったT嶋さんの姿もあった。彼女とT田さんとが「ちいさな出版がっこう」で作ったリトルプレス『ななめにあるく』、第2号に向けて準備を進めているらしい。出版が楽しみだ。そうしていろんなことが連鎖して続いていけばいい。

 19時過ぎ、開演。印象に残ったことだけ書き記す。この日は、9月に吉祥寺のライブで聞いて以来、「またどこかで聴きたい」と思っていた藤圭子「新宿の女」を聴けたのが嬉しかった。この日は「ブラザー軒」や、ジャック・プレヴェールや片山令子の詩に前野さんが曲をつけた歌を歌っていた。ライブの冒頭に「(会場が)おしゃれなカフェなんで、それに合った選曲を」と前野さんは語っていたけれど、特に前半は文芸的な曲が多かった。その雰囲気は仙台という街にも似つかわしいような気がした。この店を含めて、ライブを開催する喫茶店やギャラリーが仙台にはいくつもあるし、この日のお客さんも、静かに誰かの歌を聴くという感じだった。それは会場の雰囲気が影響したところも大いにあるだろうけれど、仙台の人びとの歌に対する温度というのがあらわれているようにも思えた。暖炉の前に佇んで歌を聴いているような雰囲気、と言えばいいのか。

 もう一つ印象に残っているのは、これまた前半に演奏された「友達じゃがまんできない」である。「きみのこと好きだよ ぼくのことも好きでしょ」――その歌い出しの声を聴くと、少し“仕事”っぽさが滲んだように感じた。前野さん自身もそう感じたのか、「今のはちょっと、気持ちが入ってない」と演奏を止め、「もしよかったら、皆さんが好きだと思ってる人を思い浮かべていただいていいですかと口にした。「できれば僕を見ないで、全員目をつぶっていただいて、それで歌いますんで。そしたらなんか、良い気がする。よろしく」。そう言って再び「友達じゃがまんできない」を歌った。今度は歌いだしから気持ちが入っていた。少し驚いたのは、僕から見える範囲に座っているお客さんのほとんどが、本当に目を瞑り、うつむいて前野さんの歌を聴いていたことだ。その一瞬だけを思い返しても良いライブだったと思う。

 「あまり飲み過ぎないように」という邪な気持ちから、公演前にタバコを買っていた。何杯もお酒を飲むかわりにタバコを吸って歌を聴こうなんて考えていたのだけれど、会場内は禁煙で、結局1本もタバコを吸わなかった。据えないにしても、あまり飲み過ぎるとカロリーがと気にしていたのだけれど、終盤、会場内の電源を落としたあたりからの演奏――「コーヒーブルース」、「ファックミー」、「天気予報」、「18の夏」、「東京の空」、「愛はぼっき」という流れがあまりに良くて、僕は席を立ってバーカウンターの前に立ち、ほとんど1曲終わるごとに追加するようなペースで赤ワインを飲んだ。「寒い季節になりますね。楽しい冬をお過ごしください」――その言葉でライブは幕を閉じた。


11月23日(土)

 朝8時に起きると、グラタンが入っていたとおぼしき容器が転がっている。またやってしまった……。昨晩はライブのあと、一人で飲みに出かけた。仙台の酒はうまく、つい飲み過ぎてしまう。酔っ払うと、夏は冷やしとろろそば、冬はラーメンをコンビニで買ってしまうクセがある。酔っ払いつつも「寝しなに麺を食べてはまずい」という意識が働いたのか、麺を避けてグラタンを選んだのだろう。だが、グラタンがヘルシーなはずがない。酔っ払った僕の思考の弱さがあらわれている。

 10時過ぎ、ホテルをチェックアウト。駅近くのモスバーガーでホットコーヒーを飲みつつパソコン仕事。電源があり充電ができるので便利だ。お昼が近づいたところで店を出て、せんだいメディアテークまで散歩。定禅寺通を歩いていると、ばらばらと葉が落ちてくる。今日は天気もよく、絶好の紅葉狩り日和だ。ただ、せんだいメディアテークまで地下鉄やバスではなく歩いて向かったのは紅葉を楽しむためではなく、腹を空かせて、少しでも美味しくお昼を食べるためだ。

 13時半、仙台駅まで戻ってくる。20分ほど並んで、ようやく「北辰鮨」に入った。久しぶりにここの寿司が食べられる! 興奮を抑えつつ、まずはビール(ちょい小さめ)を注文する。ボードを確認すると、いつもはメニューにないネタ――松川かれいとにしん(炙り)を注文。うまい。次は、いつも注文するかわはぎ(肝のせ)と金目鯛。うまい。今度は乾坤一(ひやおろし)を注文し、たら白子と中落ち軍艦。うまい。とろける。ぼたん海老と活あか貝。うまい……。再度ぼたん海老と、鮪ほほ肉(炙り)。うまい………。「今日は10貫までにしておこう」と決めていたので、これで食べ終わるつもりだったのだけれど、どうしても我慢できずに3貫目となるぼたん海老を最後に注文した。海老の尻尾が増えていく。ここで海老を食べて暮らしていたい。

 バスでのんびり帰京しようかと思っていたけれど、仕事が入ったので新幹線で東京に戻る。高田馬場に着くまでのあいだ、数日前に買ってあった『週刊文春』(11月28日号)をずっと読んでいた。今週号を買ったのは、この小林信彦さんの言葉を書き写すためだ。

 やれやれ、と思う。オリンピックとなれば、日本人の悪い面が出てくるだろうと予想していたが、こうストレートにくるとは心外である。

 一九六四年のオリンピックのときは、東京大空襲から十九年後ということもあって、まだ若干のプラス面もあった。青山通り(国道246号)を約二倍にひろげたのは、すでに車が混んでいたことを考えれば、意味がなくもなかった。

 ただ、まずいのは〈外国からくるお客さんに醜体を見せたくない〉という基本的な精神である。もっとはっきりいえば、〈みっともないところを見せたくない〉という貧乏くさい気持だ。

 このあとには小林さんの具体的な記憶が続いていく。ふむふむ。大宮から埼京線に乗り換えると、「私、偏差値が高い人のことが好きなのかもしれない」という声が聴こえてくる。女が「お腹空かない?」と訊ねる、男は「あんまり空かない」と答える。女は溜め息をついて「『オレは空かない』じゃないの、そう言われたら『君はお腹空いた?』って聞き返すの、わかる? それがコミュニケーションなわけ。会話っていうのは高等技術なんだよ、わかる?」。こんな人が本当にいるのだなあとむしろ感心してしまった。

 アパートに戻り、荷物を置いて新宿に出かける。18時に「紀伊國屋書店」(新宿本店)で待ち合わせて、新宿3丁目にある洋食屋「A」に入り、『S!』誌収録。豚のじゅーじゅー焼きやオムライス、それにハンバーグが運ばれてくる。「はっちゃんはダイエット中かもしれないけど――食べて?」と坪内さん。そう言われて食べないわけにはいかない。19時40分頃に終了し、同じビルの4階に入っている「E」というバーに移動する。Aさんという編集者の方も一緒だ(『S!』誌の編集者ではないけれど)。

 坪内さんはAさんについて、「このアニキはかなり厳しいですよ」と言った。僕はAさんの向かいに座っていたけれど、質問を投げかけるときの目がとても鋭く、思わず目を伏せそうになってしまう。話の流れで、「オレ、頭悪いのダメなんで」とAさんは言った。「オレはね、キャッチボールをしたいわけ。投げて帰ってけえへんかったらアウトなわけ」と。同じ言葉を昼も耳にしたけれど、どういうわけだかニュアンスがまったく違って聴こえる。坪内さんは「アニキ、それは厳し過ぎるよ」と言っていた。「オレはキャッチボールできない人のほうが好きかもしれない。はっちゃんはどう?」と坪内さんは僕に話を向けた。僕はキャッチボールができなくてもいいから、感じのいい人がいい――そう思っていたけれど、Aさんに「嫌やねんな?」と訊ねられると、つい口ごもってしまった。

 ここで日記を閉じようかと思ったけれど、これで終わるとAさんがただ怖い人みたいに読めてしまうかもしれないので、別の話を。Aさんは、『en-taxi』に掲載された石原さんへのインタビュー(聞き手は坪内さん)の構成を褒めてくれた。石原さんの「それは面白いポイント・オブ・ビューだね」という発言があるのだけど、それを生かしただけでも「信頼できる」とAさんは言ってくれた。そうやって見てくれる人がいるというのは嬉しいことでもあるし、同時に怖いことでもある。結局「怖い」という話になってしまった。


11月24日(日)

 朝9時に起きる。朝食にバナナを食べて、10時のオープンと同時にジムに入る。昨日は2軒目のバーで出た落花生も大盛りスパゲティもチーズもおいしかったのでつい食べ過ぎてしまった(上着のポケットをさぐると、落花生がいくつか入っていた。あんまり美味しかったのでこっそりポケットにしのばせてしまったのだろう)。そのぶんも運動しようと、今日はいつもより30分長く、1時間半ほどジョギングした。走っているあいだは『パルプ・フィクション』を観ていた。面白い。ジムの壁に少しだけクリスマスのデコレーションが施されていた。近所のスーパーにも、お菓子が詰め合わせになった長靴やシャンメリーが先週あたりから並び始めている。

 帰りに「芳林堂書店」(高田馬場店)に寄って、速水健朗『1995年』、重田園江『社会契約論』、湯浅学ボブ・ディラン』、酒井順子ユーミンの罪』、内澤旬子『捨てる女』、大江健三郎『晩年様式集』、そして今さらながら本間健彦『60年代新宿アナザー・ストーリー』を買った。セブンイレブンに寄ってサラダチキンを買おうと思ったら、どこの棚を探しても見当たらない。少し買い溜めしてあったのだけど、それは知人が食べてしまっていた。そんなわけでお昼はマルちゃん正麺カレーうどん)もやしのせだけ食べた。

18時、知人と二人で高円寺「コクテイル」。知人は赤ワイン、僕は日本酒(榮川)を飲んでいた。今日はひとりではないので、アレコレ注文できて楽しい。茄子にんにく炒めや鶏肉のレモンソテーなどをいただく。飲みながら、こないだ観た東葛スポーツの話をしていた(知人は未見)。僕は興味があるしこれからも観続けるけれど、褒めている人たちが何を以て褒めているのかわからないという話をした。これは別に、東葛スポーツがダメだとかそういう話ではなく、褒めかたの問題として、だ。知人は「他の何にも似てないからじゃないの」と言っていた。「何にも似てないってすごいことなんだよ」と。なるほど、それはわかる。でも、それならば「何にも似ていない」あるいは「新しい」と書かれるべきだ。

 2時間ほど飲んだあとで、思い切って店主のKさんに話を切り出す。「すごい勝手な相談で申し訳ないし、ムリならムリで全然構わないんですけど……12月3日、お店を開けていただくことってできませんか」。その日は定休日だけれども、僕の誕生日なのだ。いや、普通なら諦めるところだけど、3年前から毎年「コクテイル」で過ごしていて、昨年訪れた際には「定休日でも、言ってくれたら開けますから」とKさんが言ってくれていたのだ。予定を確認して連絡しますとのことで、僕は名刺を渡してから店を出た。

 このまま帰るつもりでいたのだが、知人が「寄りたいところがある」という。すぐ近くにある「素人の乱」で個展が開かれていて、そのことを桜井さんが絶賛しているというのだ。僕は少し酔っ払っていたので「帰ろう」と言ったが、知人が「せっかくだから」と言うので随いて行った。階段を上がると、「こちらにお名前と住所を」と芳名帳を差し出される。僕はその時点でムッとしたところもあるが、前にいる知人が書けば済むだろうと思って俯いていた。知人がそれに記入し、「一緒です」と笑顔で芳名帳を返そうとしたが、それでも書くようにと言われてしまった。僕は走り書きで、平仮名で名前だけ記入して芳名帳を置いた。

 とりあえず中に入る。最初の小部屋には、うさぎ(だったか記憶がもう曖昧だが)の着ぐるみが立たせてある。その中指もこちらに向かって立っている。床には赤い何かが敷き詰められていて、よく見るとそれは赤く塗られた米粒たちだった。せっかくの酒がまずくなったな。そう思った。綺麗事と思われるかもしれないが、やはり僕は米なんか踏みたくない。僕の幼少期に読んだ絵本や見たテレビのことをあまり覚えていないけれど、数少ない記憶の一つは「パンをふんだむすめ」だ。タイトル通り、パンを踏んだ娘の話なのだが、その娘は地獄に堕ちてしまうのである。その暗い画面、「♪パンを踏んだ娘 パンを踏んだ娘 パンを踏んだ罪で 地獄に堕ちた」という歌が、ほとんどトラウマになっている。

 そのこともあって、まず食べ物を踏んでいるということで気分が悪い(日本酒を飲んだあとに米を踏むと余計に)。もちろん、アートが倫理的である必要はないのかもしれない。倫理や常識、感情を逆撫でしてみるということ自体は否定しない。しかし、それを逆撫ですることで何が生まれるのか。福島の米が“踏みつぶされている”現状があるかもしれない。あるいは、そうした不快感を喚起するということにアートとしての意味があるのかもしれない。しかし、それで“私”に何が生まれるというのか。

 これはChim↑Pomの「ピカッ」騒動のときに感じたことにも近い。僕は広島出身だが、広島の人間にとって原爆は忘れられない出来事だ。それは実際に「まだ被爆者が生きている」とか「私たちの先祖が」というだけではなく、学校では年に何度か平和学習があり、夏休みの登校日には毎年同じような映画を観させられる。そうした意味で、若い世代の中にも原爆のことは記憶化されている。その広島上空を「ピカッ」とさせることで、その空の下にいた人たちに何が生まれるというのか。原爆のことが風化しているというのであれば東京の空を「ピカッ」とさせればいいし、広島において原爆というものの語られかたがが固定してしまい、そうした意味で「風化している」というのであれば別のやり方があっただろう――騒動を知ったときに僕はそう思った。

 次の部屋に移ると、モニターにクルマが映し出されている。どうやら被災地に残された、持ち主不明となった(?)クルマであるようだ。そのクルマに残った指紋を彼らは採取し、作品にしている。モニターの映像では、クルマのボディに赤いスプレー缶で「人」という字を書き続けている、「人という字は、人と人とが支え合ってできている」というような言葉が繰り返し流れている。被災地では、撤去する建物や何かに赤いスプレー缶で印を付けたという話を聞いたことがある、それを踏まえた作品だろう。

 それを観たときの感想を正直に書けば「何をいまさら」だった。これまでにも被災地の状況や現状を伝える言論や作品はいくつも制作されてきた。そのなかで僕が一番ハッとさせられたのはChim↑Pom展「REAL TIMES」だ。それは2011年5月に開催された展覧会だった。その展覧会では岡本太郎の「明日への神話」への“加筆”についての映像作品が展示されていた(と思う)けれど、僕がハッとしたのはそれではなく、展覧会のタイトルにもなっている「REAL TIMES」という映像作品だった。映像の中で、彼らは福島第一原発にある展望台に登り、赤い放射線マークを描いた白旗を掲げていた。その頃、僕の中では原発と自分とのあいだにモヤモヤした何かがあった。線量だ何だと色々なことが語られてはいたけれど、それが実際にどの程度影響のあるものなのかわからずモヤモヤしていた。しかし、彼らはそこを軽く飛び越えていき、映像作品を制作していた。そのスピード感と、彼らの「今、行動を起こすんだ」というメッセージとにハッとさせられたのだと思う。

 今、この2013年に、クルマから指紋を採取し、人という字を書き続ける――その作品を観ることで私たちに何が起こるだろうか。

 展示はもう一部屋あるようだったけど、席が埋まっていたのでそこはパスして外へ出た。出口に立ってみると、そこには封筒が並んでいた。その一つに「はしもと様」と書かれたものを見つけた。どうやら入口で名前を書かせたのはこのためだったらしいが、僕は「気持ち悪い」と感じた。その感情をたどると、勝手に巻き込まれていることに対する不快感なのだと思う。そうしたことを感じさせるために手紙を置いているのかもしれないが、それが何を生むのか。

 手紙を開いてみると、「ここではないどこか」への道順が記してある。「ここではないどこか」というのが展示のタイトルであるらしい。そこにはこうした言葉が書かれている。

 皆が募金をはじめた頃
 僕たちはタイムカプセルを埋めに行った。
 
 皆が忘れ始めた頃
 僕たちは指紋を集めはじめた。

 「震災ネタってうざいよね」と酔った友達が言った。
 翌日、僕たちは再びあの場所へ向かった。
 ここではないどこかへ。

 言わんとすることはわかる。だが、この作品が、「忘れ始め」た人たちの心を打つだろうか。刺さるだろうか。ハッとするだろうか。何かに触れたと感じるだろうか。美しさをおぼえるだろうか。僕は、その展示からは「何をいまさら」としか思わなかった。「忘れたとは言わせない」という力を感じることはなかった。風化しつつあることを刺すなら、もっと違うやり方があるのではないか。さきほどの文言をかんがみれば、「何をいまさら」と思わせるのではなく、「何をいまさら」という感情に後味の悪さを感じなければ意味がない。その後味の悪さは「米を踏ませる」というところで喚起させられるが、その不快感と「ここではないどこか」が繋がることはなかった。少なくとも、僕の中では。

 帰り道、僕はずっとブツブツ言っていた。高円寺から高田馬場まで帰る間に何度も考え直したけれど、結局、ツイッターにこうつぶやいた。「コクテイルで飲んだ帰り、知人が「素人の乱で桜井さんが絶賛してる展示やってるから」と言われて観に行ったけど、酒がまずくなった。」


11月25日(月)

 
 朝8時に起きる。12時、昼食。マルちゃん生麺(カレーうどん)もやしのせ。午後はメール・インタビューの回答を考えていた。内沼晋太郎さんが編集長を務める『DOTPLACE』というサイトで連載されている「セルフパブリッシングで注目の、あの作家に聞く」というページだ。僕は「セルフパブリッシングで注目」されている人間もないし、『hb paper』は1年以上新しい号を出せていないので「あまり向いていないのでは」と断ろうとしたが、それでも「ぜひ」と質問を送ってもらったので、それならばと必死に答えを考えているわけだ。

 18時、夕食。白菜、大根、長ねぎ、えのき、たらの入った鍋。食べ終えたところで池袋に出かける。鍋の準備をしていたところに友人のUさんから飲みのお誘いをもらっていたのだ。誘いがあるというのは嬉しいことだ。池袋西口「F」の階段を上がっていくと、一番手前の席にUさんが座っている。Uさんは「仙台、寒かった?」と僕に訊ねた。思い返してみると、案外寒くなかったかもしれない。話は自然と仙台で観たライブの話に向かった。会場で会ったT嶋さんに「去年はZAZEN BOYSを追いかけて、今年は前野健太を追いかけてるんですね」と言われていたが、たしかに、言われてみればその通りだ。

 その話をUさんにすると、「前野さんとZAZEN BOYSって、音楽的にちょっと違うじゃない? それは橋本さんの中ではどう繋がってるの?」という意味のことを訊ねられた。たしかに、前野さんとZAZENとでは、音としてそんなに近いわけではないけれど、前野さんと向井さんとは、僕の中でとても近い位置にいる人だ。その共通点について語りながら、僕は板わさと塩辛、それにUさんに分けてもらったえんどう豆を食べていた。

 飲んでいるうちに閉店時間となった。帰り道に立ち寄ったコンビニで、Uさんは僕のぶんも缶ビール(黒ラベルのロング缶)を買ってくれた。それを飲みながら歩いていると、向こうのほうで見知った人影が横切ったような気がした。あれ、目の錯覚かなと思っていると、もう一人見知った顔が横切る。近づいてみると「古書往来座」のセトさんで、さっき横切ったのはムトーさんだった。これから、「古書往来座」のすぐ近くにできた酒場に飲みに行くところだという。

 せっかくなのでUさんと僕も一緒に店に入り、レモンサワーを飲んだ。店内に流れるBGMにセトさんがハッと反応した。それは「ハレルヤ」という曲らしかった。セトさんはレナード・コーエンの「ハレルヤ」という曲によく反応するらしい。飲みながら、とあるお願い事をした。その件については来月には動き始める予定。


11月26日(火)

 朝8時に起きて朝食(残り)。10時過ぎ、ジムに出かけて1時間ほどジョギング。少し膝が痛むので、8km/hから7km/hに戻した。走っているあいだ『スパイダーマン』を途中まで観た。12時、昼食。ここのところマルちゃん生麺(カレーうどん)ばかり食べていて、さすがに不健康かもしれないので、今日は袋麺のラ王(味噌)にした。

 午後、昨日に引き続きメール・インタビューの回答を考える。せっかくなのでキチンと答えようとすると案外大変だ。14時半にアパートを出て、神奈川芸術劇場へと向かった。16時、マームとジプシー「モモノパノラマ」写真撮影。3度ほどストップが入ったが(そのうち1度は、2枚用意していたメモリーカードが両方一杯になってしまったので僕がお願いして中断してもらった)、本番と同じようにすべてのシーンが展開されていく。2時間撮影しているうちに汗だくだ。外から見ていると今回の作品は少し静かだが、その世界に混じりながら撮影してみるとタフな動きの連続だ。

 本番までのあいだ、楽屋で電源を貸してもらってメール・インタビューの回答の続きを考える。作業をしていると青柳さんが通りかかった。先ほどの撮影を青柳さんはモニターで見ていたそうで、「橋本さん、出演者の一部みたいになってたよ」と青柳さん。19時の開場時刻にあわせて表にまわり、19時半、「モモノパノラマ」観劇。前回は「どう撮るか」を考えながらだったので内容があまり頭に入っていなかったけれど、良い作品だ。何より川崎ゆり子さんが素晴らしい(「素晴らしい」とまで思ったのは今回が初めてかもしれない)。

 たとえば、どこかの家から漂ってきた夕飯の匂いに対して「胸くそ悪い」という台詞。彼女は一見おちゃらけているけれど、重い何かがのしかかっている。天気で言うなら曇り空だ。ズーンと厚くて重い雲。その重さ(と苛立ち)は他の登場人物にも通底している。発情期の猫が疼いて疼いて仕方がないのと同じように、自分の中にある何かが疼いている。思い返せば、そうした重さと苛立ちというのは、「あ、ストレンジャー」の登場人物たちにも共通しているものだ。それは一体、どこからくるのだろう? それは「震災以降の空気」というのとも違うものだ(と僕は思う)。では、一体どこからくるのか。少し前に読み返した『ナイン・ストーリーズ』の登場人物たちも重い何かと苛立ちを抱えていた、そしてそれは第二次世界大戦と関連づけて語られることもあるが、この「モモノパノラマ」の人たちに影響を及ぼしているものは一体何だろう?

 終演後、近くのローソンに入ってメール・インタビューの回答を完成させる。そこに藤田さんから電話があり、22時過ぎ、何人かで飲みに行くことになった。ツマミとしてあんきもポン酢、白子ポン酢、アジのなめろうを注文するようだったので、それならばと日本酒を飲むことにした。藤田さんに「今回、川崎さんいいですよね」と訊ねてみると、「たしかに、今回のゆりりの台詞は全部良い」と返ってくる。「ゆりりはトボけてるから、リズムが変なんだよね。彼女なりに最速でやろうとしても遅かったりするんだけど、それが全体のリズムになってることに今回気づいた」と。

 藤田さんの隣りには弟さんが座っていた。「モモノパノラマ」は、二人の姉妹が猫を飼い始めて、その死を見届けるまでの物語だ。タイトルにもなっているモモというのは、藤田さんと弟が飼っていた猫の名前である。舞台の中で、上京の際に家にあるCDを持って行こうとする姉に妹が「ずるい」と言うシーンがあるが、それは藤田家で起きたことでもあるらしく、藤田さんが上京する日に取っ組み合いの喧嘩になったのだという。「初めて息子が上京するもんだから、父さんが一杯CDあげようとするんですけど、その中に俺も聴きたいCDいっぱいあったから」とは弟の弁。「ほんと上京当日に喧嘩になって、喧嘩したまま出てったから」とは兄の弁だ。「あの『CDと漫画は家族の財産だから』って台詞、完璧に弟の言った台詞だから」。

 このタイミングしかないと思って、僕は弟さんに質問をぶつけた。そうした話を踏まえてつくられた作品を観た感想はどんなものだったのか、と。「今日のは色々思い出せてよかったです」と弟さんは言った。「僕はモモが死ぬとこを見れなかったから、今日のを見れてよかったなっていうのはあります」。


11月27日(水)

 9時過ぎに起きる。午前中に散髪へ出かけた。高田馬場駅構内にある千円カットの店。少し伸びてきた髪の毛をどうしようかと迷っていたけれど、知人に相談しても「ずっと坊主だから坊主以外思い浮かばない」と言われるし、数日前に「2歳の娘を舞台に立たせたい」とテレビ画面で語っていた海老蔵を見て「坊主も悪くないな」と思ったり、土曜日にお会いした編集者のAさんを前にしたときにも「坊主っていいな」と思っていたので、また丸刈りにしてもらった。今回は久しぶりに3ミリまで刈り込んだ。

 昼、袋麺のラ王(味噌)もやしのせ。食後、パソコンを開くとメール・インタビューの校正が届いている。少し修正を加えて返信すると、16時過ぎには公開されていた。ここから読めます。http://dotplace.jp/archives/6006

夕方、浅草へと出かけた。16時57分、開演まであと3分とギリギリのタイミングでアサヒ・アートスクエアに入る。今日は柴田聡子「たのもしいむすめ」があるのだ。柴田さんはミュージシャンだが、「たのもしいむすめ」はフェスティバル/トーキョーの公募プラグラムとして“上演”される作品だ。一体どんなステージになるのか楽しみにしていた。

 4階まで上がって受付で「橋本です」と名前を伝える。スタッフが名簿を探してくれたけれど、どうも名前が見当たらないようだ。「失礼ですが、どちらからお申し込みされましたか?」とスタッフの方。「F/Tのサイトからです」と僕。「それでしたら、セブンイレブンでの発券となりますので、お近くのセブンイレブンで発券してお戻りください」。そうだったのか。ウェブサイトからクレジット支払で入金を済ませていたので油断していた。僕が観ている演劇は、予約だけしておいて当日精算が多いこともあって油断してしまったのかもしれない。

 開演まではあと数分しかないが、近くのセブンイレブンを検索してみる。最寄りのセブンイレブンは雷門の前にあるようだ。7分近くかかってそこまで歩き、レジで店員に発券に必要な番号を伝えると、「期限が過ぎてるので発券できません」と言われてしまった。そんなバカなと、予約と入金をした際に送られてきたメールを確認する。たしかに発券期限を過ぎている。どうやら、こういうことらしい。通常なら公演日の23時59分まで発券可能だ。ただ、僕は複数の公演のチケットを予約していた。そうすると、発券期限は一番先にある公演の日までで統一されてしまうようだ。その一番先にある公演は別件が入って観に行けなくなって発券しないままになっていたので、他のチケットの期限が切れてしまうことに気づかなかったのである。

 しばらくセブンイレブンのレジ脇で呆然としていたが、突っ立っていても邪魔になるので店を出た。いっそ戻って当日券を買おうかとも思ったが、戻る頃にはずいぶん劇(?)は進んでしまっているだろう。縁がなかったんだと諦めることにして、吾妻橋まで引き返し、「炭焼き天空酒場 伝一郎」に入ってそしてポテサラ(290円)を注文した。それを肴にビールを1杯だけ飲んで、銀座線で上野に出、「UENO3153」とアメ横の風景を少し撮影し、山手線で新宿に到着する頃には19時になろうとしていた。

 「紀伊國屋書店」(新宿本店)で友人のAさんと待ち合わせる。僕の頭を見て、「どうしたんですか」とAさん。「いや、この髪型のほうが歩きやすいんで」と僕。3ミリまで短くすると、向こうが避けてくれることが多いのは事実だ。そんな話をしながら歩き出すと、向こうから、ちょっといかつめの人がやってきたので僕はすっとかわした。Aさんはそれを見逃さなかったのか、嬉しそうに「今の人は避けてくれましたか」と言った。今日は三の酉とあって新宿は大賑わいだ。靖国通りにはずっと屋台が出ていて、歩道は人で溢れていてなかなか前に進めない。何とか参道の入口までたどり着いても、そこからは一層渋滞している。靖国通りを渡ってから花園神社の拝殿にたどり着くまで、結局15分近くかかってしまった。

 長蛇の列ができているのでお参りはあとにして(列は鳥居を突き抜けて右に曲がり、靖国通りのあたりまで続いていた。この列のために明治通りは交通規制をして左車線を臨時の歩道にをしているのだな)、どこか腰を落ち着かせて飲めそうな屋台はないかと探してまわったが、どこも満席のようだ。屋台で飲むのも後回しにして花園神社を出て、新宿五丁目の交差点近くにある中華料理屋「九龍餃子房」に入った。Aさんと酉の市にくると、結局いつもここで飲み始めている。まずは生ビールで乾杯し、餃子、星豆腐などを注文する。「はっちゃんはダイエット中かもしれないけど、食べて」とAさん。Aさんは僕のことを普段「はっちゃん」とは呼ばない、これは土曜日の日記からの引用(?)である。ホッピーに切り替えたあたりでAさんの妻・ドド子さんもやってきて、もう一度乾杯を。

 2時間半ほど飲んで22時、花園神社に戻る。まだかなり賑わっていたけれど、何とか屋台に座ることができた。僕は熱燗を注文した。Aさんとドド子さんが何を飲んでいたのかは記憶が曖昧だ。この日の会話で印象に残っているのは、ドド子さんから「橋本さんのつぶやきとかを見ていると、『ああ、橋本さんが何かに夢中になってるんだな』ってことは伝わってくるんだけど、『じゃあ私も見てみよう』とはならないんですよね」と言われたこと。ライターとしては致命的な気もするけれど、まあ実際、誰かに何かを勧めるのは得意じゃないし、自分がライターであるという意識もわりに希薄だし、ドド子さんからも「褒め言葉ですよ?」と言われたので、特に落ち込んだりはしていない。

 明日も平日なので、23辞過ぎにはAさん、ドド子さんと別れ、ひとりでまた見世物小屋に入った。中に入ってふと後ろを振り返ると、子供鉅人の益山貴司さんがいた。役者さんたちの数人も一緒だ。「今度F/Tでやる作品、観に行きます」と挨拶する。僕は前から2列目あたりで見ていたのだが、あとから入ってきた若い3人組は、酔っ払っているのか、ステージをバンバン叩きながら観ている。ちょっとバカにしているのだろうか。そんなことを考えているところにへび女が登場した。僕が彼女のパフォーマンスをじっと見ていた。へび女が終わったところで周りに視線を向けてみると、騒いでいた3人組のひとり、若い女の子はぼろぼろと涙をこぼしていた。どうして泣いたのかはわからない。僕は出口でお金を払う際、見世物小屋の人に少しだけ話を聞いた。

 見世物小屋を出て、新宿5丁目「N」に流れた。そこで1時間ほど飲んで、再び花園神社に戻る。時刻は1時を過ぎている。この日、花園神社にいるあいだはずっと写真を撮っていた。拝殿の前に立っていると、向こうから歩いてくる人の姿が妙に気になった。よくよく見ると、それは僕の大好きなミュージシャンの姿だった。


11月28日(木)

 9時頃起きて、『S!』誌のテープ起こしに取りかかる。13時近くになって完了、昼食。袋麺のラ王(味噌)もやしのせ。締め切りのある日は食欲が増すのか、夜の酒のツマミにと買っておいた塩えんどうも食べてしまった。午後は『S!』誌の構成。今回はほぼワンテーマなのでスムーズに構成できるかと思ったけれど、伝わりやすい構成にするにはどうすればよいかと考えているうち時間が過ぎていく。

 日が暮れたあたりで鍋の支度を始める。野菜を切っているうち、「料理なんてしてる場合なのか」という気にもなってくるが、腹が減っていては仕事にならない。19時、夕食。白菜、大根、長ねぎ、えのき、牡蠣、いわしのつみれを入れた寄せ鍋(味噌ベース)。こうしてみると何と変わり映えのない食生活だろう。『S!』誌の構成は22時になってようやく完成し、メールで送信。23時に編集部・Mさんから電話。1時間ほどかけて指摘してもらった箇所を修正し、0時過ぎにメールで送信。


11月29日(金)

 9時に起きる。録画した「ごちそうさん」を観ながらストレッチをして、10時のオープンとともにジムへ。これまで毎日、あるいは1日おきに走るようにしていたのに、昨日も一昨日も走れなかったので、今日は1時間半ほどジョギング。走っているあいだは『さよなら、さよならハリウッド』を観た。12時半、昼食。袋麺のラ王(味噌)もやしのせ。

 昼過ぎ、フェスティバル/トーキョーの事務局に連絡。発券できなかったチケットには一昨日のものだけではなく、今晩のチケットもあるのだ。事情を話すと、色々あって「では受付に用意しておきます」という話になった。それでもう話は終わっているのだけど、名残惜しいというのか、「一昨日のチケットも発券できなくて」と伝える。最初に応対してくれていた女性が別の女性に電話を代わる。さきほどの方より自信のある声をしている、その女性は「それはどうにもできないですね」と、至極真っ当なことを言った。まったく、その通りだ。もう公演は全日程終わってしまっているし、別に2千数百円のお金が惜しいというわけでもないのに、どうして僕は「一昨日のチケットも発券できなくて」なんて口にしてしまったのだろうか。

 夜、浅草へ。19時、アサヒ・アートスクエアに入り、受付を済ませて席を確保したのち、一旦外に出る。人通りのない場所を探して、上演中にお腹が減らないように家から持ってきたきゅうりを丸のまま齧る。スカイツリーが近くに見えている。咀嚼しても咀嚼してもきゅうりは中々減らず、食べ終えるまで15分もかかってしまった。アートスクエアに戻り、19時35分、予定より少しだけ遅れてQ「いのちのちQ?」観劇。Qの作品は「虫」と「すーしーQ」の2回しか観たことがないけれど、その2作品に比べると「な……何を言ってるんだ」感は薄くなっているように感じた(3度目だからかもしれないが)。つまり、「このシーンはこういうことを考えたいのだな」ということが以前よりはわかる気がする。

 たとえば。銀座で寿司界の革命児になる夢に挫折し、今は浅草でしーすーBARを営む女性の語る、「わたし、未知のドッキングで血が騒ぐんだ、だからしーすーにこんなにも情熱を燃やしてるんだ」という台詞(普通に生きていれば出会うはずのない米と魚のドッキング)。この「未知とのドッキング」ということは、しーすーに限らず、「いのちのちQ?」に通底しているものでもある。

 それにしても、Qの舞台を観ていていつも感心するのはテレビの扱い方だ。おそらく、脚本を書いている市原佐都子さんは別にテレビっ子というわけでもないのだろうけれど、登場人物たちがテレビ番組を口にするときに取ってつけた感じがしないのだ。僕はテレビばかり観て過ごしているせいか、舞台でテレビ番組を口にするシーンを観ると「ちょっと取ってつけたみたいだなあ」と思ってしまうことが多いのに、Qではそれを感じない。平日の昼間から「ヒルナンデス」とか観てそうな感じがする(観てないだろうけど)。

 「虫」という作品では、ヒナ(関ジャニ∞村上信五)が出演する番組を録画しておいて、それを観ることだけが楽しみになっている女性が登場する。その、ヒナというセレクトはジャストだと思ったが、それはおそらく、市原さんが「ヒナ」というフレーズをセレクトしたというよりも、別の誰か(その役を演じていた人かも?)がヒナのファンだったのだろう。普通なら「ヒナが好きなんだー」と言われても「へえ」で終わらせるところを、市原さんは「そういう生活があるんだな」と好奇心を持って観察しているのではないか。あるいは、僕たちがいい加減に眺めているテレビ番組のことも、しげしげと見たりしているのではないか――と、これは僕の勝手な推測だけれども。

 舞台には「この家、なんだか停滞しているわ」と言う台詞も登場する。その台詞を語るのは血統書付きの雌犬だ。彼女が交配することになっている雄犬はただただ食べ物をむさぼり、怠惰にテレビを観ている(テレビでサッカー中継を観てあまりに騒ぐので、飼い主に声帯を切られてしまう― ―声帯を切られた犬といえば、これもテレビのことを思い出す。『ZIP!』に出演していたZIPPEIという犬だ)。そうして、ただただ飲み込むようにしてテレビを観ている日常というのはある。僕の生活もそうだし、実家に帰るたび、母親が朝から晩まで、基本的にはテレビの前で過ごしている。そうした僕(たち)の日常とは、何だろう。

 21時15分頃に終演。公演を観にきていたプルさん、Oさんと一緒に少しだけ飲みに行くことにする。以前行ったことがあるという「てっぱん大吉」という店に入る。今日はずいぶん冷えるので、熱燗を2合(おちょこは3個)注文する。せっかくもんじゃ焼きの店にきたのだからと、明太スペシャルもんじゃとパワー系もんじゃ(ニンニクの芽とニンニクチップが入っているらしい)を頼んだ。運ばれてきたもんじゃはOさんが焼いてくれた。僕はもんじゃを数えるほどしか食べたことがないけれど、こんなに丁寧に作る人がいるのかとしげしげ眺めていた。土手というのか、あれを丁寧に広げていきながら、少しずつ汁を加えて少しずつ広げていく。あんまり見事なので写真を撮りたい衝動に駆られたけれどグッと堪えていた。
 
 飲んでいるうち、プルさんは「今の東京では言葉が消費されていると思うんだけど、今、橋本君が東京にいる理由って何?」という意味のことを訊かれた。あくまでも「という意味のこと」だ。たしかにそうした傾向にはあるかもしれない。でも、僕はわりと楽観的なところがあるので、そんな状況がいつまでも続くわけがないと思っている。それに、オリンピックが決まって以降、僕は東京にいて東京の風景を見ていようという気持ちが高まりつつもある。その感覚というのは、上京したときとは違っている。


11月30日(土)

朝8時に起きる。知人がいちごを食べていたので、それを3つほど分けてもらう。甘くておいしい。テレビでは「知っとこ!」という番組が映し出されている。チャンネルを変えようとすると知人が「ちょっと!」と制止する。この番組のワンコーナー「世界の朝ごはん」を観るのが土曜日の朝の楽しみなのだという。知人にとって土曜日は楽しみが盛りだくさんだ。9時頃には「世界の朝ごはん」があり、9時半からは「食彩の王国」、昼には「メレンゲの気持ち」があって、この番組内の「石塚英彦の通りの達人」を嬉しそうに見ている。夜には「チューボーですよ」も控えている。

 12時15分、昼食。昼間から鍋だ。白菜(1/8)、大根(1/4)、下仁田ねぎ、いわしのつみれ、それに春菊を入れた鍋。一度で全部食べたのでお腹いっぱいだ。さて日記でも書くかと思っていると、どうもお腹がごろごろする。

 ここから汚い話になります。

 14時、トイレに入ってみるとどうも下痢のようだ。が、お尻を拭いてみてギョッとする。血がついている。下痢だから少し血が混じっているというレベルではない、トイレットペーパーにベットリ血がついているのだ。慌てて立ち上がってみると、便座の中が赤ワインのようになっている。血便というレベルですらない気がする。トイレから出て「赤ワインが出た」と知人に伝えたが、僕が軽いノリで話したせいか「あっそ」と片付けられてしまった。

 知人を見送ったのち、日記の続きを書く。どうも腹がごろごろしている気がする。15時、再びトイレに入ってみると、再び血が出る。さっきに比べて、本当に血だけが流れ出たという感じ。そんな量の血を見ることもなかなかないので、しばらく眺めていた。インターネットで少し調べてみて、そうか、これを「下血」というのかと知る。もう少し調べてみると、「即病院へ」と書いてある。どうも黒ずんだ血なら胃に、鮮血なら大腸に問題がある可能性が高いようだ。いずれにしても、臓器を休めるためにも飲食しないほうがいいようだ。今晩は吉祥寺で開催されている毛利悠子さんの個展のオープニング・パーティーがあり、知人と一緒に顔を出すつもりでいたけれど、行ったらお酒が飲みたくなってしまうだろう。知人に「今日のパーティー、ムリかも」とメールをした。それから、明日の朝はジョギングするつもりでいたけれど、それもムリかもしれないな。

 念のために保険証を探してみる。出てきた保険証は既に期限が切れていた。溜まっていた郵便物を探して、今度は保険料の振込用紙を探す。ふいに昨日観た「いのちのちQ?」のことが思い出される。「しーすーBAR」でアルバイトする女の子は、何ヵ月も前からバーのママに源泉徴収票を出すようお願いしているが、ママはいまだにそれをくれない。アルバイトの女の子は父親の扶養で保険に入りたいのだけれど、源泉徴収票がないために保険に入れず、保険証を持っていないのだ。「今病気になっても病院行けない、死ぬ!」と女の子は叫ぶ。そんなシーンを思い出して、妙におかしな気持ちになった。

 もう一つ思い出したシーンがある。ある犬が妊娠したあとのシーンで、それとは別の登場人物が「ひじき、小松菜、ホウレンソウ……」といったふうに食べ物の名前を挙げていくシーンがある。そのセレクトには特に意味がないのかと思っていたけれど、それらは鉄分の多い食材だったようだ。ホウレンソウはともかく、ひじきと小松菜にも鉄分が多いなんて知らなかったし、妊娠すると鉄分が不足するということも僕は知らなかった(その話を教えてくれたのはOさんだった)。

 普段流すことのない量の血が流れているけれど、俺の中の鉄分は大丈夫なのだろうか? 「下血 貧血」で調べてみる。検索にヒットしたYahoo!知恵袋を見ていると、「あなたは腕から血が流れ続けているのに、放ったらかしておきますか? 今すぐ病院に行ってください」と書かれていた。なるほど、それもそうだ――そんなことを考えているうちに3度目の下血があった。トイレから立ち上がると少しふらつく。16時過ぎ、まだ歩けるうちにと期限の切れた保険証、それに振込用紙を手にしてアパートを出る。まずはコンビニで保険料を支払ったのち、近くの救急病院へと向かった。

 入口の扉が閉まっているようなので、ケータイで電話をかけてみる。看護婦さんと話していると、「その状況でしたら、うちよりもっと大きな病院で精密検査を受けられたほうが」と言われる。そうですか。症状にあった医療機関を紹介してくれる案内サービスの電話番号を告げられて電話を切った。どうしようかな、一手間増えると面倒だな。とりあえず様子を見るために一旦アパートに戻る。17時、4度目の下血。相変わらず鮮血だ。

 さすがに不安になってきて、知人に帰ってくるよう連絡する。どれぐらい出血しているのかと体重計に乗ってみると、朝に比べて0.7kgほど減っている。その数値を嬉しそうに送信したせいか、知人はなかなか帰ってこない。鉄分が不足している気がするので「サプリメント買ってきて」とお願いしたのに、「ないからスーパーでひじきだけ買って帰る」とノンビリしている。早く帰ってきて欲しいので下血したときの写真をメールで送信すると、「これもう救急車呼ばなきゃダメだよ、鉄分とか言ってる場合じゃないよ」と返ってくる。

 知人が帰ってくるまでのあいだ荷造りをしていた。この症状で病院に行けば、まず入院となるだろう。仕事に必要なノートパソコンや充電器、それに着替えとタオルをリュックに詰め込む。文庫本を数冊――池波正太郎『むかしの味』、武田百合子『日日雑記』、サリンジャーナイン・ストーリーズ』も一緒に入れておく。それから、症状や最近の(食)生活をワードでまとめてプリントアウトしておく。そうこうしているうちに、18時過ぎ、知人が帰ってきた。ひじきを買おうとスーパーに寄った際に買ったらしき焼き芋を食べつつ、119番する知人。「はい、31歳・男性です」と説明しているが、僕はまだギリギリ30歳だ。そんなことを考える程度には余裕がある。

 救急車、できれば音を消して来てもらいたかったけれど、そういうわけにはいかないようだ。到着を待っているあいだに、5度目の下血。何か検査に必要かもしれないと思って、箱型のジップロックに少し保存しておく。スムーズに移動できるようにとアパートの前で待っていると、18時32分、サイレンが聴こえてくる。通報から5分ほどだ。自分で救急車に乗り込む。意識もハッキリしているし痛みもないので、なんだか大したことないのに救急車を呼んでしまったみたいで気恥ずかしい。症状を書いた紙を救急隊員に渡す、知人も救急車に乗り込んだ。救急車でもシートベルトを締めるようだ。知人が、僕の排泄物の入ったジップロックを大事そうに持って座っている、そのシュールな風景を見ていると少し笑ってしまう、それを隠そうとすると余計に笑ってしまいそうになる。知人が怪訝な顔でこちらを見ていた。

 病院に連絡を取った結果、近くにある病院に運び込まれることになった。サイレンと「赤信号直進します!」という声が響いている、意識がハッキリしているだけに申し訳ない気持ちになってくる。18時44分、病院に到着して担架で担ぎ込まれる。天井の風景がめまぐるしく変わっていく。まずはCTを撮る、息を吸うタイミング、吐くタイミング、止めるタイミングが可愛らしいマークで表示される。その次はレントゲンを撮る。それが終わると初診室に運び込まれ、バイタルサインを取っていく。下血が続いたせいか血圧は低めだ。ヘモグロビンの数値もやや貧血気味で、「もう少し下がっていたらICUに入るところですよ」と看護婦さんは言う。

 最初は近くに並んだ医療機器に夢中で気づかなかったが、カーテンで仕切られた両隣にも救急で運び込まれた患者がいるらしかった。「誰か迎えに来られるご家族はいる?」と訊ねられた声から男性(声から察するに老人らしい)は、「……いない」と答えた。その消え入りそうな声に、急に寂しい気持ちになる。バイタルを取り終わると点滴を打ち始める。血を止める効能のある点滴らしい。そんなもんあるかよと半信半疑だったが、それまでは1時間に1度のペースで下血が続いていたのに、ピタッと止まった。医学というのはすごいものだなとしみじみ思う。一方で恐ろしくもあるのだが。

 やはり今日はこのまま入院になるらしかった。3人部屋に案内されて、ここで知人と再会する。その手にはまだジップロックがあって笑ってしまった。「お二人は結婚してるのかしら」と看護婦さん。いや、結婚してないですと答えると、「じゃあこれからだ?」と口にする。親族かどうかを確かめるために話しているのだろうけれど、そんな会話をすることで患者の緊張をほぐそうとしてくれているのだろう。「こんなにお世話してもらったら、もうダイヤモンドの一つでも買ってあげなきゃね」と看護婦さんは言った。僕は力なく笑うだけ。

 月曜日まで検査ができないようで、退院までしばらくかかることになると看護婦さんは言う。そうすると、今年の誕生日は病院で迎えることになりそうだ。冴えない誕生日だ。知人が帰ってほどなくして消灯の時間となった。消灯時間以降は寝ていなければ怒られるというのが僕のイメージする入院生活だったけれど、案外緩いようだ。電気をつけて読書をしていてもいいし、パソコンで仕事をしていても構わないとのことだった。それから、病院で寝るのは(心霊的な意味で)怖く感じるのではないかと不安だったけれど、実際ベッドに横になってみるとそんな不安はまったく起こらず、「寝ているあいだに下血してしまったらどうしよう」ということだけが不安だった。深夜になっても、窓の外からはクルマの行き交う音が聴こえていて、なかなか眠ることができなかった。