12月1日から7日

12月1日(日)

 朝6時、部屋のライトが点いて目が覚める。誕生月を病院で迎えてしまった。朝から看護婦さんは忙しそうだ。まずは検温があり、昨日のお通じを確認し、8時頃に朝食の配膳。僕は食事なし。別の病室の高齢の患者さんが「糞が漏れそうだよ、クソが」と看護婦さんを呼ぶ声が聴こえてくる。うまいこと言うなあ。

 9時、看護婦さんから「明日、胃カメラで検査することになると思う」と告げられる。インターネットで得た生半可な知識によると、下血が鮮血であった場合は腸から、黒かった場合は胃からの出血である可能性が高いと思っていたので、胃カメラと聞いて驚く。オソロシイ。不安になって知人にメールすると、「よかったじゃん、日記のネタが増えて」と返ってきた。そんなネタは要らない。

 入院しているとはいえ、昨日の点滴で下血は止まっているし、痛いことも苦しいこともないので中々退屈だ。点滴のガラガラを引きずりつつ病室を出てみると身長計があった。看護婦さんに訊ねると「自由に使っていい」というので、計測してみる。僕は身長を訊ねられるといつも「172か3です」と答えていたが(高校3年を最後に健康診断を受けていなかったので、正確な数字がわからなかった)、計ってみると175.5cmだ。これも知人にメールで報告すると、「マル(関ジャニ∞丸山隆平)と同じだ!」となぜか嬉しそうにしている。

 そうこうしていると、10時過ぎ、ドクターがやってくる。「これから胃カメラやっちゃいましょう」というドクターの言葉に目の前が暗くなる。浮かれている場合ではなかった。11時20分、再びドクターやってきて「じゃあ行きましょう」と告げられる。まずは処置室に移動。「じゃあまずは麻酔をしますね」というドクターの手元を見ると大きな注射器がある。おいおい、あんなでかい注射打つのかよ。しかも喉の麻酔ということは、あれを喉に刺すのか――と心配していたが、それは喉に流し込むタイプの麻酔だった。「飲み込まないよう、3分間、喉に留めておいてください」。これが中々大変だ。別段おいしそうな味ではないけれど、入院してから何も飲んでいないので、つい飲み込みそうになってしまう。何とか3分間耐えると、同じ麻酔をもう1セット。

 マウスピースをはめて別の麻酔(?)薬を投入すると、いよいよ胃カメラが入ってくる。喉元が一番キツいかと思っていたが、そこは「これを飲み込まなければ」と気を張っていたせいか、まあ想像の範囲内だ。それよりも、喉元を過ぎてからが案外苦しい。何かがぐぐぐぐぐと入ってきて、何かが押し込まれている感じ(いや、「感じ」ではなく、実際に押し込まれているのだが)。何度かえづく。ドクターのひとりは、僕の気を落ち着かせるためにも「はい、カメラ見えますか」と声をかけてくれたが、僕は自分の胃の中を見たいと思えなかったので、力なく頷くだけ。僕の胃の中はきれいなもので、出血のあとは見られないということだった。一体何だったんだろうとキョトンとしていると、「じゃあ、このあとお粥食べて退院で」とドクターに告げられる。えっ、マジか。退院が早いほうが嬉しいけれど、一体原因は何だったのだろう?

 病室に戻り、12時過ぎ、全粥とスープ、それにたらの煮物をいただく。24時間振りの食事だ。食べながら、看護婦さんに今後の食生活について相談してみる。「うーん、特に異常があったわけじゃないという診断なので、これという制限はないみたいです。これからの季節、お酒を飲む機会が増えるとは思いますけど、ほどほどにするよう気をつけてくださいね」。漠然とした注意だけ受けて、13時過ぎ、迎えにきてくれた知人と一緒に退院した。

 制限はないとはいえ、原因がわからないので不安は残る。夕食はお粥とよく煮込んだコンソメスープ(ニンジン、たまねぎ、じゃがいも入り)にした。ただ、そのあとにとんがりコーン(あっさり塩味)も食べた。病院のベッドに横たわっているあいだ、「とんがりコーンを食べながらゴロゴロできたら最高なのにな」と思っていたのである。半分だけ食べるつもりが、食べ始めるととまらなくって一箱食べた。


12月2日(月)

 10時頃起きる。12時、昼食。レトルトの玉子がゆと、昨晩のスープの残り。一日絶食しただけで胃が小さくなってしまったのか、これだけでお腹がいっぱいだ。昼過ぎ、池袋まで歩いて出かける。今日は子供距人「HELLO HELL!!!」を観る。少し早く着いてしまったので、新しい保険証を交付してもらうべく豊島区役所まで足を延ばした。これが失敗だった。順番待ちや諸々の手続きに相当時間がかかり、交付してもらった頃には開演から30分近く経過していた。「観に行きます」と言っておいたのに、申し訳ない。

 帰りにユニクロに寄った。これまでずっとXLの服を着ていたのだが、気づかないうちにぶかぶかになっていたのでLサイズのシャツを2枚ほど購入する。1枚1980円のシャツを「高い」と思ってしまう僕は歪んでいるのだろうな。Lサイズのカーディガンも1枚買った。これは秋に買ったXLのカーディガンと同じ色の物を買った。シャツも同じ柄のが欲しかったのだけれども、売り場を探しても見当たらない。ぐるぐるまわっていると、それは見切り品のワゴンに入れられていた。哀しくなって「僕が買うべきだ」なんて考えたりもしたけれど、そこにはもうXLサイズしか並んでいなかった。

 17時過ぎ、『N、C』誌の編集長から心配のメールが届く。原稿の締め切りを延ばしてくれた、ありがたい。そろそろその原稿を書き始めなければと思っていると、その原稿で書く対象にあたる方からメールが届いた。先日偶然出くわした際、「もう少しお話を伺いたいんです」と(常識からするととても失礼で不躾な)お願いをしていたのだけれども、「今日か明日なら空いてるんですけど、いかがですか」とある。誕生日にその方と会えるのも贅沢だけれど、明日は知人と約束があるので今日にしてもらった。20時半、新宿御苑前サンマルクカフェで待ち合わせ、1時間ほど追加取材をした。向こうは紅茶を、僕はホットのレモネードを飲んだ。

 帰り道、自転車を漕いでいるとケータイが震えているのに気づく。見ると坪内さんから留守電が入っている。ひょっとして自転車で走っているところを見かけて電話をかけてくださったのだろうか。とりあえず留守電を聞いてみると、「もふの(この日記)、読みましたよ。さすがだねえ」とだけ入っている(この日の段階では11月30日まで書いてあった)。急いで掛け直してみると、「はっちゃん、病院じゃないの?」と坪内さん。はい、入院してたんですけど、1日で退院になったんですと説明する。「日記を読む限り、あんまり深刻な感じじゃなかったもんね」。はい、たぶん大丈夫です。「近々またスパの収録があるから、また会いましょう」。

 22時、アパートに戻ってみると、知人がゴロンとくつろいでいる。もしやと思って「はー、楽しみだなー。あと2時間経ったらどんなお祝いしてくれるのかな」と口にすると、知人は困った顔をしている。特に準備はしていなかったらしい(良い年して、誕生日の準備を期待しているのもアレかもしれないが。友人からは「橋本さんはイベント重視ですよね」と言われた)。「最近ダイエットしてるし、『お粥だけでお腹いっぱい』とかアピールしてくるから、深夜に食べ物とか出したら『ふざけんなよ』って怒られるかと思ったんだもん」。たしかに。知人は結局、成城石井で海老と卵の炒め物(好物)、パルミジャーノ(好物)、サッポロポテト(大好物)、それにプリン・ア・ラ・モードを買ってきてくれた。それらをテーブルに並べたところで、知人は「117」に電話をかけ、電話をスピーカー・モードに切り替えカウントダウンを始めた。

 だが、「午後11時59分50秒です」という肝心の音声が流れたとき、知人はテレビに夢中になっていた。僕は「今、59分50秒って言ったような……」と思っていると次の時報がなり、12月3日になった。「しれっと誕生日になっちゃったじゃねえか、バカがよ」と言うと、知人は「バカがよ」とモノマネをする。僕は口が悪いのですぐ語尾にその言葉をつけてしまうのだけれども、知人は今では楽しそうにモノマネしている。「誕生日になった第一声が『バカがよ』だったけど」と知人は言った。そうして僕は31歳になった。


12月3日(火)

 朝8時に起きる。よく晴れた朝だ。曽我部さんの『東京コンサート』を久しぶりに聴きながらジムに出かける支度をしていると、「もふって本当にフリーターだよね」と言われ激昂する。別に誰かに「橋本君ってほとんどフリーターだよね」と言われても笑って流すことができるけど、知人にだけはそんなふうに言われたくない。そう思っていて欲しくはない。しかも、誕生日の朝にそんなことを――と、反射的に引っ叩いてしまったのである。そして「お前が携わってる表現者全員に『××さんってフリーターっすよね』と言ってこい」と怒鳴ってしまった。31歳になったというのに、まだまだ幼稚だ。

10時、ジムに出かけてジョギング――はまだ不安が残るので、1時間半ほどウォーキング。歩いているあいだは『時計じかけのオレンジ』を観た。定休日明けのジムはおじさんとおばさんで一杯だ。皆大声で世間話しながら歩いている。それにはもう慣れつつあるけれど、困るのは覗き込んでくる人。おじさんよりおばさんのほうが多い気がするけれど、時速何キロでどのぐらい走っているのかを覗き込んできたりする。その上、映画なんて観ていればなおさらだ。『時計じかけのオレンジ』、冒頭から女性の裸が出てきたりするので、「いかがわしい動画を観てる男がいる!」とインストラクターに通告されないかヒヤヒヤした。

 12時、昼食。玉子がゆを食べた。午後は上野について原稿を書く。書いているうちにディティールが甘いことに気づき、出かけてみることにする。取材の前に、せっかく平日の昼間に上野へ出かけるのだからと上野公園に行ってみた。風景の抜けが良くてハッとする。性根が田舎者だということなのかもしれないけれど、こういう広い景色を眺めるのは楽しい。それから、久しぶりにパンダでも観るかと上野動物園にも入ってみた。ベビーカーを押す母親やカップルの姿も見かけるが、目立つのは修学旅行生だ。パンダに純粋に興奮する彼らの姿に心が洗われる。僕はどうしても「何でこのパンダたちは客のほうに向いて笹を食べるのか」なんて考えてしまう。この日は日が暮れるまで上野にいた。

 一旦アパートに戻って荷物を置き、新宿に出かける。新宿3丁目「鼎」の階段を降りると、知人は先に到着していた。誕生日に何を飲み食いしたいかと考えると、日本酒を飲みながら刺身やちょっとした料理を食べたいと思ったのだ。日本酒で真っ先に思い浮かぶのは墨廻江だ。東京、それも近場で墨廻江が飲める店として出てきたのが、この「鼎」という店。店内にBGMはなく、落ち着いた雰囲気。メニューをみると、なるほど、それなりの値段だ。まず最初のページに「晩秋のおすすめ」というのが載っている。虎ふぐの湯引き(1890円)、真鯛の昆布〆(1260円)、北寄貝の刺身又は塩タタキ(1470円)……見ているだけで楽しくなってくる。普段ならこの値段のメニューなんて敬遠するところだが、今日は誕生日なので値段は一切気にしないことにする。真鯛の昆布〆はもう終わっていたので、聖護院蕪の蟹あんかけ、あら大根、それにポテトサラダを注文した。ポテトサラダは魚肉ソーセージが入っていて食べ応えがある。

 瓶ビールを1本飲んだあと、先に熱燗が飲みたい気分だったので菊正宗を注文する。うまい。あら大根にもかぶらにもよく合う。それを飲み干したところで刺身盛り合わせ(3種)と、いよいよ墨廻江を頼んだ。久しぶりに飲んだ墨廻江は本当に美味しかった。ようやく自分の好きなお酒の味が絞られてきたような気がする。そのあと虎ふぐの湯引きと天狗舞も注文してお会計をしてもらった。知人が「出す」と言ってくれたけれど、この日はプレゼントももらっていたし、それなりの値段になってしまっていたので僕も少し出した。

 2軒目は新宿3丁目「マルゴ」にした。いつもは一番安いメニューを頼むのだけれども、ここでも珍しく値段を考えずに美味しそうなチーズを頼んだりした。何枚か写真は残っているけれど、この日、知人と何の話をしたのかほとんど覚えていない。知人に聞いても「覚えてない」という。目の前のおいしいものにお互い夢中になっていたのか。でも、何を話したか覚えてないけど「楽しかった」という感覚だけははっきり残っている。


12月4日(水)


 朝8時に起きる。昨晩は久しぶりに量を気にせず飲んだので酒が残っている。9時、朝食。ヨーグルトとひじきの煮物。腸の具合を整え、鉄分を取り戻すためのメニューだ。12時、昼食。玉子がゆとコンソメスープを食べた。19時半にアパートを出て、運動も兼ねて東中野まで歩き、中央線で吉祥寺に出かける。「Art Center Ongoing」では毛利悠子「ソバージュ 都市の中の野生」展が開催中だ。元々観に行く予定だったのが体調を崩して先延ばしになっているうちに会期末が近づいてきていたのだが、毛利さんがfacebookにアップしていたテキストがとても印象に残っているので、都合をつけて吉祥寺まで出かけることにしたのだ。そのテキストを、自分のために全文引用しておく。

 展覧会タイトルの「ソバージュ」とは、「野生」を意味するフランス語です。この展覧会では、自然が持つ二つの側面と、それに対峙しようとする人間の営みを、二つの作品を通して「野生」として捉えなおすことで、自然と人間との新しいあり方を探る きっかけを提案したいと考えます。
 
 時に自然は、都市や人工物を食いやぶる荒々しい力を見せることがあります。台風や地震などはそのわかりやすい姿ですが、より身近なところでは、地下鉄構内でよく見かける「水漏れ現象」もその一つと言えます。地殻変動によって東京の地下水位が変動することで現れるこの「自然の力」に対して、駅員はビニールシートやバケツ、ホース、ペットボトルなどの日用品を即興的に 組み合わせることで対処しています。彼らのブリコラージュ(器用仕事)からは、自然という脅威を分析して取り除く「科学的な思考」とは違う、直截的で、どことなくユーモラスな「野生の対処法」を見て取れるのではないでしょうか。 これら漏水への即興的な対処現場を発見・写真採集しつづけたフィールドワーク・シリーズ《モレモレ東京》では、「用の美」としての芸術的発想の原点すら見え隠れする、野生の思考の典型的なパターンを提案します。あるいは、時に自然は、行きすぎた人間の営みをやさしく包み込み、そのとがった部分を時の経過とともに丸くすることがあります。ヨーロッパでは、近代化によって人工的にゆがめられた河川などを自然に近い形に戻すことで、自然が本来持っていた 浄化・修復能力を取り戻させる「ビオトープ」という試みがあります。人工物がこうして自然と新しい関係を紡ぐこともまた、野生の考え方の一つと言えるでしょう。 もう一つの展示作品《I/O》は、「ホワイトキューブ」という人工的な空間に潜む自然現象(観客の動きや空調の風、湿度や 重力のような)を入念に拾い上げ、電気信号のランダムな入力/出力へと変換することでオブジェの動力源とし、二度とない一 回性の環境を生み出すインスタレーションです。
 機械じかけのオブジェが、自然の条件を受け入れることでオーガニックな環境へと華やかに変貌する、そんな瞬間がこの展示には訪れます。 自然が持つ「荒々しさ」や「やさしさ」を目の当たりにし、どのように関係を築くかを模索するとき、わたしたちの野生が顕わになります。この展覧会を通して、野生とは、人の中に存在する自然であることを、観る方々に投げかけたいと思います。

 1階には「モレモレ東京」のフィールドワークの成果が展示されていたけれど、テーブルで食事をしているお客さんがいたので先に2階に上がる。そこには「I/O」がいた。その作品とは仙台でも対面していて、機械じかけのインスタレーションなのに「懐かしい」と感じてしまったのが不思議だ。それは、この「I/O」という作品が、上のテキストにもあるように自然現象を拾い上げて動力源とする、生き物のような作品だというのも大きいのだろう。

 展示を観たあとは高円寺へと向かった。21時過ぎ、マクドナルドの前で知人と待ち合わせて「コクテイル」へ。ここ数年、誕生日の夜は何となくこの店で過ごしていたけれど、今年は定休日だったので、せめて誕生日の翌日はこの店で飲もうと思ったのである。まずはビール(ハートランド)を注文して乾杯。はあ、ビールがうまいねとつぶやくと、「そんなふうに言うの、珍しいね」と知人は言った。たしかにそうかもしれない。

 塩煮込みと木須肉をツマミに話したのは、さっき観てきた毛利悠子さんの展示のことだった。僕は「I/O」のようなインスタレーションと「モレモレ東京」のようなフィールドワークは別個に存在しているものだと思っていたけれど、さきほどのテキストを読んでも、それに今日の展示を観ていても、そこに共通するものがたしかにあることに今さらながら気づいた。

 展示を観ていて思い出したのはテレビのことだ。

 僕はテレビが大好きで、下手したら一日中テレビをつけっぱなしで過ごしている。録画したドラマやバラエティを2度、3度観ることも多々ある。うちの母親もそうだ。実家に帰ると、もう仕事を退職した母が、朝から晩までテレビの前で過ごしていたりする。他人事としてその姿を見ていると「なんだかなあ」と思うこともある。テレビを観るという行為はとても受動的だ。でも――これは日記だし、これを今病院のベッドの上で書いているのでざっくりまとめてしまえば、そうした姿をも愛おしいと感じるように僕の感覚を転換させてくれる何かが、その展示にはあった。

 テレビのことはずっとモヤモヤ考えている。テレビのことというより、テレビを眺めている私たちと言ったほうが正しいかもしれない。ことあるごとにこの話を書いている気がするけれど、少し前に放送された「月曜から夜ふかし」で、北欧のテレビ局が暖炉で薪が燃えるだけの映像を流し続けたところ、驚くほど高視聴率だったという。そんな映像を延々眺めている私たちは一体何だろう? これは別に批判的な意味で「一体何だろう?」と言っているわけではなく、私たちが持つそうした本質(のようなもの)について「何だろう?」と考えているのだ。この話は、日本のシニア層はBSばかり観るという問題とも近いかもしれない。僕の世代も、年を重ねるごとにそういった番組を求めるようになっていくのだろうか?――だとすれば「そうなっていく」というのは一体何なのだろうか?

 そんなことを知人に語っていたが、「それはちょっと、毛利さんの展示がどうっていうより、もふが言いたいことでしょ」と言われてしまった。そうかもしれない。ハートランドの瓶を知人とシェアする形で3本飲んだあと、ハイボールを飲んだ。ハイボールもバカウマだ。知人とは、自分と年が近い演劇作家たちの話もした。演劇作家たち、と言っても僕が観ている範囲なんてごく限られた狭い世界ではあるが、彼らは皆、自分のイマジネーションでフィクションを作り上げるというよりも、現実世界を、こう、作品に変換している。イメージで言うと合気道。まあ、僕が好きなのがそういう作品というだけかもしれないが。


12月5日(木)

 9時過ぎに起きる。10時、朝食。明治ブルガリアヨーグルト。食後、「仕事場」と呼んでいるドトールに出かける。その道すがら、後ろから自転車に追突される。「何してんだよクソが」とだけつぶやいて店に入ったが、後から少し痛んでくる。入院したり追突されたり、どうもいけない。ロイヤルミルクティーを飲みつつ『S!』誌の構成に取りかかると、少しお腹が緩い気がするので早めに切り上げてアパートに戻った。

 12時、昼食に玉子がゆ。食後にトイレに行くと、また少し下血があった。まずい、このタイミングでそれは困る(そうならないように玉子がゆを食べたり、さっきもコーヒーではなくミルクティーにしておいたのに)。ひじきの煮物、それに鉄分のサプリメントを食べつつ『S!』誌の構成を続ける。あいかわらず感覚的な体調は問題ないので仕事は順調に進み、17時過ぎにはメールで送信することができた。しかも久しぶりに一発でオーケーをもらえたので爽やかな気持ち。

 テレビの話。

 うちのテレビは基本的にDVDレコーダーのチャンネルにあわせているので、昼のあいだはNHKが映し出されている。朝ドラを録画したあとはチャンネルがNHKにセットされたままになっているのだ。基本的には前の晩に録画した番組を観るのだが、そのVTRを停止したときにチラチラとNHKの映像を見ることになる。ここ数日は国会中継が映し出されていて、なかなか激しい攻防が繰り広げられている。印象的なのは今審議されている法案の担当大臣である森まさこ。野党時代は元気よく与党を批判していた印象があるのだが、今や防戦一方で、「前回に比べると落ち着いて答弁されているようには見えますが」などと民主党議員から小馬鹿にされつつ答弁している。あまりにも線が細くて別人のように思えてくる。女性議員というと勝ち気な人が多い印象があるが、この人はそのタイプではなかったのかもしれない。特に与党側が審議を打ち切った直後、野党の議員に詰め寄られ文字通り面罵されているときの表情なんて、このまま自殺してしまうんじゃないかとハラハラさせられた。そのあと立ち去っていく足取りがまた、本当に消え入りそうな歩きかただった。法案の内容とは無関係に、彼女を担当大臣にしたのは失敗だったのではないか。もっと面の皮の厚い人でなければ務まらないはずだ。

 この法案について僕が言えることは特にないけれど、この騒ぎについて感じることは2つある。一つは、法案に反対する人の一部が、与党側が審議を“強引に”打ち切ったことを「民主主義の否定」だと言ったり、国会前に集まった人たちの声を無視するのかと言ったりするのを聞くと、民主主義とはそんなものだったんじゃないかと思わずにはいられない。討議民主主義と熟議民主主義とでは意味するところが違うにせよ、どこまでやれば「合意」となるのか――全員が一致することなんてことが起こり得ない以上、どこかで打ち切るしかない。そして基本的に勝つのは多数派だ(それが民主主義で、民主主義が誕生した直後からその問題はミルなりトクヴィルなりに指摘されてきた)。自分たちが思う望ましさを政治に反映させるためには、地道に数を増やすしかないのだ。「民主主義の根幹を揺るがす」という批判や「最悪の時代だ」という言葉は、現実の政治に対して何の影響も及ぼさない。それは、震災以降何度となく経験したことではないのか。石原慎太郎都知事に再選すれば絶望し、反原発の問題で絶望し――リベラルとされる人たちはいつまで絶望を繰り返すのか。現実の政治を動かすためには、数を、組織を増やしていくしかない。もちろんそれを地道にやっている人だっているだろう。だが、それをしないで絶望するというのはただのセンチメンタルだ(もちろんセンチメンタルを否定しないが、それは政治とは別世界のものだ)。

 もう一つ、その法案に関連して印象的なことがある。それは、日本人というのは分裂しているのだなということ。ネットを見ていると、ツイッターでは(僕のフォローしている人の偏りというのもあるだろうが)法案を拒絶する人が圧倒的に多いのに、まとめサイト掲示板を眺めていると、反対派を小馬鹿にし法案は必要だとする感覚のほうが圧倒的に多い。この溝は何だろう? これまでも、様々な問題について政治的対立はあっただろう。でも、これはもっと、論や理屈ではなく感情としての対立だという気がする。この対立、溝というのも震災以降の風景と言えるのかもしれない。原発放射能に関する、論以前にある感覚としての溝があって、うかつなことは言えないなと僕は感じるようになった(「ごちそうさん」の西門のように)。

 19時、夕食にコンソメスープを食べて五反田へ。今日も何駅分かは歩くつもりだったが、何かが悪化するといけないので止めにした。19時半にビックエコー五反田店に入り、301号室に入ってみると既に大勢のお客さんが座っている。入口で会費の1000円、それに飲み物を別途で注文してそのぶんのお金も支払う。烏龍茶にしておく。空いている席を見つけて腰を落ち着ける、テーブルにはスナックプレートが並んでいる。今日は皆でカラオケに来た――わけではなく、前野健太カラオケリサイタルが開催されるのだ。

 19時47分、レーベルのHさんに呼び込まれて前野健太が部屋に登場する。この貴重なリサイタルに当選した30名のお客さんは多いに盛り上がる、しかしライブのときの盛り上がりというよりはカラオケらしい盛り上がりだ。その感じもまた楽しい、贅沢だ。前野さんは誕生会やクリスマスパーティーなんかで壁にかけるキラキラしたアレ(パーティーモールという商品名らしい)を首に掛け、パーティーグッズのような蝶ネクタイをつけ、リボンをつけたマイクを手にしている。既にイントロが流れ始めている、1曲目は河島英五の「時代おくれ」だ。

 吉田拓郎「落陽」、CHAGE and ASKA「黄昏を待たずに」、桂銀淑「花のように鳥のように」、松山千春「長い夜」、第一興商社歌、荒木一郎「ジャニスを聴きながら」、椎名林檎「正しい街」、大江千里「かっこ悪い振られ方」、長渕剛「逆流」、TRF「BOY MEETS GIRL」、「ねえ、タクシー」――この他にもお客さんのリクエストで歌った曲や、お客さんに自分の歌わせる時間もあり、あっという間に時間は過ぎていく。どうしてこんなタイミングで体調を崩してしまっているのか、悲しくなってくる。やはり烏龍茶という気分にはなれなくてノンアルコールビールを飲みながらその歌を聴いていた。

 上に書き記した曲の流れで前野さん自身の歌を聴くと、その歌の特質というものが際立ってくるように感じた。個人的に印象的だったのは「正しい街」で、前野さんが椎名林檎を歌っているというのは少し意外にも感じたけれど、今書いた「歌の特質」という点からすればとても近いかもしれない。それから、最後のアンコール、お客さんのリクエストで「浪漫飛行」を歌いかけたが、演奏中止のボタンを押して、音楽家としての“原点”となった曲・尾崎豊「きっと忘れない」を前野さんは歌った。


12月6日(金)

 朝8時に起きる。荷造りを済ませ、仕事に出かける知人と一緒にアパートを出た。少し歩いただけでも息が切れる。知人は「大丈夫なの、顔が真っ白だけど」と心配そうだ。僕はこれから新潟に出かけて、マームとジプシー「モモノパノラマ」を観るのだ。新潟行きについては、昨晩も知人に反対されていた。「そんな体調で行ってどうするの。途中で倒れたりしたらマームに迷惑かけるんだよ」と。「迷惑なんてかけるわけないだろ、それに公演中は席に座ってるだけじゃないか」と僕は反論していた。

 息を切らして下落合駅の近くまで歩き、10時10分の西武高速バスに乗車する。間に合ってよかった。ここから新潟までは5時間の道程で、僕は車内でテープ起こしをすることに決めていた。少し体を落ち着かせてからパソコンを取り出し、さっそくテープ起こしに取りかかったが、どういうわけだかいつもに比べて1・5倍くらいの時間がかかる。どうもおかしい。iPhoneのカメラで瞼の裏を確認してみると真っ白だ。テープ起こしをしていると体力を消耗するかもしれないので、パソコンを閉じて風景を眺めていた。

 まずは上里サービスエリアで休憩となった。15分も休憩の時間があるというので、魔法瓶に入れて持参した玉子がゆを食べた。B級グルメが並ぶサービスエリアで家から持ってきた食事、しかもお粥を食べるというのは何とも味気ないものだ。再びバスが動きだし、ボンヤリ景色を眺めていると、さっきからずっとトンネルを走っていることに気づく。どうやらここが関越トンネルらしい。そこを抜けると風景の色も違ってくるし、天気も違っている。こちら側は灰色で、厚い雲に覆われている。「関越トンネル越えたら風景が変わった」と知人にメールを送ると、タカトシのようなノリで「川端か!」と返ってくる。ぼんやりし過ぎて『雪国』そのままの感想を抱いてしまった。

 どんよりした景色を眺めていると、段々体調のことが不安になってくる。僕の中で、今回の2泊3日の新潟行きのメインの目的は当然「モモノパノラマ」を観ることだけど、他にも二つ楽しみがあった。それはうまい酒を飲むことと、今年1月に食べて心の底から感動した甘エビ丼を食べることである。しかし、今の体調を鑑みるに、2晩とも酒を飲むのは危険そうだ。生ものを食べるのも内臓に負担がかかってよくないかもしれない。そう問題は、何が原因で体調を崩しているのか今ひとつ判然としないことなのだ。

 もしマームの皆とお酒を飲む機会があれば、嬉しくなって飲まずにはいられないだろう。1晩あたり1本だけ飲むことにしよう。朝の時点ではそう考えていたけれど、からだの具合を考えるとそれも厳しいかもしれない。仕方がない、2泊するのは諦めて、今晩甘エビ丼を食べてから「モモノパノラマ」を観て、少しだけ酒を飲み、明日の朝イチの新幹線で帰京して病院で診察してもらおう――そう考え直したあたりで新潟駅に到着した。知人にその旨をメールする。

「やっぱり明日帰って病院行くことにする」
「そのほうがいいと思う。そんな血の気のない顔で遠出はまずいと思う」
「でもごめん、甘エビ丼だけは食べさせて」
「食べといで。でもいちおう言うね、『エビか!』」

 タカトシが案外ハマったらしい。バスからスーツケースを下ろし、横断歩道を渡ってタクシーに乗り込んだだけで息が切れる。少しふらつく。車内では関ジャニ∞の新曲「ココロ空モヨウ」が流れている、家で何度も聴かされた曲とあって妙に落ち着く。ホテルに到着すると、エントランスで少し階段になっていた。やれやれ、とスーツケースを持って上がり、受付で宿帳に記入しているとどうもふらつく。そして電話番号がうまく掛けない。「5」と書こうと思っても「4」と書いてしまったり「6」と書いてしまったりして、何度もグシャグシャっと書き直しをしていると、いつのまにかカーペットが目の前にあった。遠くで「大丈夫ですか?!」というホテルマンの声が聴こえる。倒れてしまったらしい。

 大丈夫です、ちょっと貧血で。そう答えて立ち上がろうとするのだが、どうにも体がうまく動かない。椅子に座らせてもらって体を休ませているあいだにも少し意識を失い、なんとか宿帳への記入を終えて部屋まで移動している途中にも一度倒れ、なんとかベッドに倒れ込んだ。面白いもので、プツンッと回線がショートするように気を失うものだ。そしておそらく10秒程度意識を失っていただけなのに、しばらく寝込んでいたような感覚がして不思議だ。貧血になると、うまく信号を送れなくなって強制終了になるのだな。

 などと感心している場合ではない。足に違和感をおぼえて確認すると、意識を失っているあいだに再び下血してしまっていた。まずはズボンを脱いで浴室に行き、ズボンと自分から血液を洗い流す。ズボンのほうは結構な量だったのでもう捨ててしまうことにした。いつのまにか汗だくだ。浴室を出てみると、カーペットにも血が落ちていることに気づく。カーペットに水を垂らしてティッシュで叩く。これを何度も、何ヵ所かで繰り返す。30分ほどでようやく片づいてベッドに横たわる。これは甘エビ丼を食べている場合ではなさそうだ。

 「モモノパノラマ」も、観に行ったところで公演中に倒れてしまうかもしれない。そうすると迷惑なんてものでは済まない。とはいえ、予約をしておいて(しかも新潟に向かっている写真をいんスタグラムにあげておいて)現われないとなると余計な心配をかけてしまうかもしれない。あの作品を、こんなふうに雲の厚い街で観るとまた違った感慨があっただろう。観れなくて本当に残念ではあるが、制作のはやしさんにメールをしておく。結局、知人の言っていた通り、開演直前に余計な心配をかけることになってしまった。

 着替えを取り出そうとスーツケースを広げると、一番上に体重計が入っていた。とりあえずはかってみるかと乗っかると、朝に比べて7キロ近く低い数字が表示される。一段と血の気が引いていくのを感じる。そんなに大量に出血していたのか?――今思えば、電子体重計だから柔らかいカーペットの上では正常に測定できなかっただけなのだが、そんなことを冷静に考える余裕はなく、今すぐ東京に戻ることにした。

 スーツケースを引っ張っていくだけでもまた倒れてしまうかもしれないので、上野まで知人に迎えにきてもらうようお願いする。倒れないように気をつけて1階まで降りてタクシーを呼んでもらい、ホテルマンに荷物を運んでもらってタクシーに乗り込んだ。よろよろと駅構内を歩く。新潟に来るたびに思うことだが、高校生のスカートが短いなあ。寒いところほど女の人が足を出しているような気がする。新幹線の切符を購入し、みやげ売り場の前を通りかかると、南蛮えび煎餅というのを見かけた。南蛮えびというのは甘エビである。諦めがつかなくて、せめて煎餅だけでもと1箱購入した。

 新潟新幹線、高崎あたりまではずっとトンネルが続く。車窓の風景もなく、iPhoneで気を紛らわすこともできなくて暗い気持ち。さて、東京に戻ってどうしようか。こないだ入院していた病院は土曜日の午前中も診療があるが、とりあえず自分の現状が不安でもある。下血の原因が何かはさておくとしても、貧血が著しい。検索してみると、重度の貧血は心筋梗塞など重篤な症状を招く可能性が高いという。不安だ。とりあえず自分の体調がどういう状態に置かれているのかだけでも調べてもらいたい。知人は「新潟の病院で点滴だけでも打ってもらったら」と言っていたが、この体調で病院に行けば即入院になることが直感的にわかる。

 電波が入るようになったところでデッキに立ち、病院に電話をかけてみる。「先日入院していたハシモトと申しますが、またちょっと下血があって、貧血で倒れてしまいまして。もしよかったら点滴でも打っていただきたいんですけど」と伝えてみる。食事や水分補給ができている人に点滴を投与するということは基本的にしないけれど、ドクターはいるので、もし酷いようなら診察は可能ですとの返事。その返事を聴くとまた迷いが生じる。貧血ぐらいで騒ぎ過ぎかもしれない。一旦アパートに戻って荷物を置き、入院になった場合に備えてシャワーを浴びてから病院に行こうか。それともまっすぐ病院に行くべきか――迷っているうちに19時14分、上野駅に着いた。

 中央改札で待ってくれていた知人は「朝より顔が白くなってる」と心配そうだ。結局、スーツケースは杖代わりになるので自分で持ち運ぶことにした。混んでいる山手線を一本見送ってみたけれど空いている席はなく、端っこに立っていることにする。それに、一度座って立ち上がると反動でまた倒れてしまう恐れがあるので、立っていたほうがいいのかもしれない。何にせよ鉄分が足りない。知人は「豚レバーがいいみたいよ。植物性より動物性の鉄分のほうがいいみたい」と言う。聞けば、中華街なんかだと豚レバーのお粥を扱っている店がわりと多くあるそうだ。

 池袋にも中華街はあるから、知人にお粥を買ってきてもらってタクシーで家に帰り、それを食べて様子を伺うことにしようか。山手線に揺られながらお粥をテイクアウトできそうな店を検索していると、視界がチカチカしてくる。目をしばらく押さえておいて手を離すと視界が白っぽくなってうまく視ることができないが、それに近い状態になっている。20時近くになって目白駅に到着。電車を降りると、ふらついて思わずうずくまる。山手線の車掌が「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれるが、知人づてに「大丈夫です」と断る。うまく歩けず、知人の肩を借りて改札を通過する。これはダメだとタクシーのりばまで歩き、病院に直行してもらった。運転手の感じが悪かったのは覚えている、ふらついた客が大荷物で近づいてきたのにトランクも開けてくれなかった。

 病院に到着して、しばらく順番を待つ。夜の救急病院は忙しそうだ。前回もそうだったけれど、酔っ払って倒れて頭を打った人をよく見かける。ぐったりと順番を待っているあいだ、知人にトランクを開けさせて、入院に必要な荷物とそうでない荷物とに仕分けしてもらう。それから、買っておいてもらったユニクロのトレーナーに着替えておく。30分ほどで順番が回ってきて、とりあえず採血してもらうと、前回は12.8でギリギリ正常の範囲だったヘモグロビンの値が、今回はその半分、6.9にまで落ち込んでいるらしかった。「これはもう、緊急入院してもらうことになります」とドクターは言う。やはりこうなった。

 まずはドクターが前回のカルテを参考にしつつ診断。「前回は胃カメラ飲んでるんだね。でも、この写真を見る限り、出血してた形跡はまったく見られないし、胃は本当にきれいなんだよね」とドクター。前回の下血も鮮血だったんですけど、と伝えると、「えっ、鮮血?」と驚かれる。前回入院したとき、救急隊の人にも看護婦さんにも「鮮血」と伝えていたし、下血したものも持参しておいたのに。担架に横になり、触診。念のため痔の検査もされることになった。女性のドクターだったが、こういう状況だと案外なんとも思わないものだ。そのときに血がついたらしく、その色を見たドクターは「これは大腸より下だ」と言った。

 大腸ピンポイントの検査であれば、造影剤というのを点滴で注入すればCTスキャンできるらしい。1週間ぶりにCTスキャンのマシンに入れられて、点滴を投与。「これを入れると体が熱くなるんですけど、それは問題ありませんので安心してください」と言われる。投与が始まると、本当にすぐ体が熱くなって驚く。前回も書いたが、医学というのはすごいものだと思う。そしてやはりオソロシイ。

 診察室に戻り、担架に横たわったまま待っていると、「何か宗教は入ってます?」と訊ねられる。急に何の話題だろうとキョトンとしていると、「これから輸血が必要になってくるんだけど、宗教によっては輸血ってダメだから」とドクターは続けた。なるほど、そういうこともあるのか。特に何の宗教にも入っていないので問題ないですと伝えたが、輸血というのはそれぐらいのことなのだなと思う。

 ドクターは上がってきたCTとレントゲンを見ながら唸っている。どうしよう、「大腸がん」と言われたら。きっと「まじっすか!」と笑ってしまうだろうなあ。でも、まだまだ死ぬわけにはいかないなと思う。まだ自分の仕事といえる仕事をしていない。せめて今書きかけている『N、C』の長い原稿と、マームと一緒にイタリアとチリに行ったことを文字にしないうちには死ぬわけにはいかない――そう心配していたが、結果としては「憩室から出血している」とのことで、絶食して経過を見るということになった。

 22時、病室に移動する。前回と同じ病室だ。知人に必要な荷物を必要な場所に配置してもらい、テレビカードを1枚だけ買ってもらって、明日持ってきてもらいたいものを伝えて別れた。日付が変わる頃になって血液の準備が整い、看護婦さんが書類を持ってやってくる。つい最近もニュースがありましたけど、できうる限りの検査はしているんですけど、どうしても感染症のリスクはゼロにはならないので、こちらの同意書にサインをしてもらえますか。輸血というのはそれぐらいのことなのだなと、また思う。拒絶反応が出ていないか確認するために様々な管が繋がれて、定期的に血圧を測りながら輸血していく。4単位560ccの輸血が終わる頃には明け方になっていた。看護婦さんは「寝てていいですからね」と言ってくれたけれど、見知らぬ誰かの血が入ってきているのだと思うとドキドキして眠れなかった。


12月7日(土)

 朝6時に灯りがつく。ほとんど眠れなかったのでウトウトしていると、朝8時、おいしそうな匂いが漂ってくる。朝食の時間だ。僕は絶食なので食べられない。隣りの患者が恨めしい。ふりかけか何かを足している音。ちゃっちゃっちゃっちゃっと何かをかきあつめる箸の音。紙パックのジュースを最後の一滴まで啜る音。

 お腹をぐるぐる鳴らしているとドクターやってくる。前回入院した際に診断してくれたドクターだ。「前回はCTで確認できなかったんだけど、今回は憩室からぼこぼこ出血してるのが確認できたんで、数日絶食して経過を見るから」。たぶん前回だって大腸をきちんと調べれば出血が確認できたはずなのに。どうしてお金がかかる上に苦しい胃カメラをムダ打ちしたのかと腹立たしくなってくるけれど、これからの入院生活を考えて黙っておく。

 言いたいことを押さえていたのでちゃんと聞いていなかったが、ドクターは「大腸にある憩室があちこちやけどしてるような状態」と言っていた。やけどとは一体何だろう。結局病名は何だったのだろうと、「大腸 やけど」で検索すると、潰瘍性大腸炎というのがトップに出てきた。20代から30代の若者に多い病気だそうだ。すぐには完治しないやっかいな病気らしく、退院できてもアルコールや脂っこい食事は当分NGらしかった。目の前が暗くなる。酒が飲めなくなるなんて。それに、ダイエットが成功した暁には近くにあるおいしいとんかつ屋「とん太」でロースカツ定食を食べることを楽しみにしていたのに。

 すっかり暗い気持ちになっていると、再びドクターが通りかかる。すぐに呼び止めて、「すみません、僕は病名で言うと何になるんですか」と訊ねる。ドクターは紙に書いてもってきてくれた。出血性結腸憩室炎と書いてある。すぐに検索してみると、難病というほどでもなさそうだ。ホッとする。そして腸内環境を整えるためにビフィズス菌を増やす薬が出た。これで少しは水が飲めるぞとホッとする。絶食は案外平気そうだけれども(胃が小さくなって食べる量が少なくて済む)、水が飲めないのはつらい。今回の入院では3日ほど絶食して経過を見て、少しずつ食事を戻して退院になるとのことだった。『S!』誌の次回収録は11日で、微妙なラインだ。順調に行けば退院できているはずだけど、どうなるか。できれば同席したいので、もう少し経過を見てから連絡することに決めた。

 9時、採血。検査の結果、まだヘモグロビンの数値が低いらしく、昨晩と同じ量の輸血をすることになった。これで1リットル近い輸血をすることになる。そんなに下血があったのかと……ここで「恐ろしくなる」と書こうかと思ったけれど、正確に言えば「感心する」というほうが近いかもしれない。ほお、そんなに出ていたのか、と。病室では看護婦さんたちが部屋の掃除を始めている。カーテンの向こうから、ずっと同僚の悪口が聴こえてくる。××さんはいつも夜勤ばかり入ってるけど、あれは楽だからよ。夜勤なんて昼と違ってやることないもの。そんな会話を聴いていると具合が悪くなってくるし、昨晩ずっと血圧なんかをはかりながら輸血の経過をひとりで見守ってくれていた看護婦さんのことを考えると「何言ってるんだ」と大声を出しそうになってくる。

 昼間は日記を書いたり、知人に持ってきて欲しいものを伝えたり。病院の面会時間は15時から19時なので、そのあいだに持ってきてくれるようにお願いしておく。16時、知人やってくる。荷物を僕が指示した場所に置いてもらって、椅子に座って一息ついていると、カーテンの向こうに人の気配を感じた。知人にカーテンを開けてもらうと、Aさん、ドド子さん夫妻の姿があった。Aさんは医者ではないが医学には明るいので、話していてホッとする。「憩室」なんていう、普通に生活していれば耳にすることもなさそうな言葉もすぐに通じる。病院の人とはあまり病状について話をできていないので、こうして話をすると段々安心してくるのがわかる。病名がわかることでホッとするところもある。しかし、Aさんやドド子さんと会うのはいつも酒を飲んでいるときなので、どうしても食べ物の話をしてしまって墓穴を掘る(食事をしたくてたまらなくなる)。話を聞いていたドド子さんは「橋本さん、横になって寝てる顔がきれいですね」と言ってくれた。あのアニメの台詞を思い出すので、喜んでいいのかどうかわからないでいる。

 1時間弱で2人は帰って行った。話しているうちに元気が出てきた。ありがたいことだ。しかも「これでテレビカードでも買ってください」とポチ袋まで渡してくれた。2人を見送り、知人と向かい合ってしんみり過ごしていると、準備が整って輸血用の血液が運ばれてきた。ここで知人とも別れる。ちなみに、入院したときから僕の左腕には点滴の管が繋がれている。これはずっとつけている。それから、輸血の拒絶反応がでないか見守るための心電図もずっと胸に繋がれている。

 輸血が始まると、右腕の手首の近くから血を入れる。右腕では血圧も定期的にはかり続ける。つまり両腕が塞がっているので、本を読んだりするのは難しい。昨晩は志ん朝の落語を聴いていた。今日はボンヤリ白い天井を眺める。定期的に計測される血圧の経過も眺める、上が100強、下が60でこぼこ。いつもに比べると結構低い数値だ。昨晩は暗くてよく見えなかった、輸血されている血も眺めた。ポタッ、ポタッと点滴のように落ちてくる血液を眺めていると、ケチャップかトマトジュースのように見えてくる。いずれにしても塩気が効いているものだ。喉が鳴る。採血された僕の血は、ヘモグロビンが少ないせいかもっと赤黒かった。

 18時過ぎ、ムトーさん、セトさんが御見舞いにきてくれる。輸血中は少し仰々しいので心配かけないかと不安だったが、特にムトーさんは「これ、触って見てもいいの?」と輸血の袋に興味津々だ。2人ともいつも通りで気が紛れる。「何かいるもんある?」と言われていたので、少し前に或る人と話していて名前の出た田村隆一の詩集をリクエストしていたのだが、その田村隆一の本を何冊か差し入れてくれた。それとは別に、セトさんは山本健吉『現代俳句』という本を持ってきてくれた。正岡子規から始まる様々な俳人の句と、それに対する山本健吉の批評が書かれている。これは少し読んでボンヤリ考えたりできるので楽しそうだ。それから、ムトーさんは「小説秘戯」という雑誌をプレゼントしてくれた、表紙には「純官能小説」「近所の清楚な奥さんがケモノになる夜」と大きな活字が躍っている。「小難しい本に疲れたら読んで」とムトーさん。そこに「病院なんだし、ナース物のほうがよかったんじゃない?」とそえるのがセトさんらしくておかしい。

「はっちは旅に出て移動しまくって、その果てにここにいるんだね」とセトさんは言った。「今ここにいるのも旅の途中なんじゃない?」とムトーさん。ムトーさんは「今度わめぞの忘年会あるからきなよ」と誘ってくれたりもした。おそらくその日は厳しいだろうけれど、嬉しい。普通なら「病人相手にそんな誘いを」となるところかもしれないが、そうして普段通りの人が目の前に現われるとホッとするものだ。「近所なんだしさ、なんか買ってきてほしいモンあったら言ってね。焼き鳥とかさ」「はっちは焼き鳥よりトンカツのほうがいいんじゃない?」(※僕がとんかつ食べたいという話をしていた)「とんかつかー。とんかつは衣がピシピシしちゃうよ」。輸血の管から流すことを前提に話が進んでいる。