12月8日から15日

12月8日(日)

 朝5時に目が覚める。6時15分、灯りがつく。看護婦さんが巡回にきて、体温と血圧を測定し、お通じの数を報告。体温は36度、血圧は上が110、下が80くらい。差が少ないとのこと。木野花に似た看護婦さんが僕の顔をまじまじと見て、「歌舞伎役者に似てるって言われない?」と言う。え、誰ですかねえなんてトボケた返事をする。「誰だっけ、アナウンサーと結婚した人」と看護婦さんは腕組みしているが、最後まで知らんぷりをした。「海老蔵が坊主頭を見て、つい先日坊主にしたところなんです」なんて言ったら良い笑い者だ。

 朝8時、朝食の時間。今日もまだ絶食なので僕は匂いと音だけ。内臓がヒマそうにぐるぐる音を立てている。災害のニュースを目にするたび、自分がそこで生き延びることができたとして、避難所生活で一番辛いのは何だろうかということをよく想像する。僕は何よりお風呂に入れないことがつらいんじゃないかと思っていた(飲んでいるときなんかにそういう話をすると、「いや、別に入れないなら入れないで平気でしょ」と言われていた)。でも、今の入院生活で何よりつらいのはお風呂に入れないことだ。少なくとも絶食していることよりかはお風呂に入れないほうがつらい。もちろん、点滴で多少の栄養は補給しているからそんなことが言えるのだが。

 今日は日曜日でドクターがいないせいか、病院の空気ものんびりしている。看護婦さんもいつもと違っている、話しかけられて気づいたがおそらく中国人の研修生だ。可愛らしい。といっても僕よりは年上だが、普段僕が入院しているフロアにいる看護婦さんは「あまちゃん」に登場する海女クラブのような方たちばかりなので、ずいぶん若く見える。カタコトの日本語に導かれて、なぜか体重測定(日曜日の日課なのかもしれない)。

 同じフロアには不機嫌な老人がいて(前回入院したときにもいた)、いつも文句を言っているのだが、そのカタコトの日本語には心なしか優しい受け答えをする。「烏龍茶が、飲みたいな」なんて言っている。普段は「サイダーが飲みたいよ。こんなのばっかり飲めるかよ」なんて言って看護婦さんを困らせているのに。「うちの烏龍茶は、うまいんだよ? オレはね、貧乏はしても、食べ物にだけは金をかけてきたんだ」。痰がからんでしゃべるのもつらそうなのに、ヨボヨボの聴き取りづらい声でそう語りかけている。

 昼間は日記を書いていた。水分が足りてないのか、やけに目が渇く。14時、隣りのベッドに見舞いがくる。聴こえてくる話から推察するに、知り合いの知り合いをたどっていけば知人にぶつかりそうな感じだ。その隣りの患者さんは今晩外泊許可をもらっているらしく、2 時間程して見舞客と一緒に帰って行った。

 17時、知人が見舞いにくる。修理に出していた靴が戻ってきたらしく、履いている靴のことばかり見ている。「靴とどっちが心配なの」と訊いてみると、「こっちだけど」と靴を指す。よかった、よかった。知人は「双眼鏡買いに行こうかな」なんて言っている。年明けの関ジャニ∞福岡ドーム公演に向けて双眼鏡が欲しいらしかった。色々迷惑をかけたお詫びに「買ってあげようか」と言うと、「ほんとはね、4万くらいするやつが欲しいんだけど」と知人。双眼鏡なんて高くても数千円かと思っていたので驚く。一体何が違うのかと訊ねると、高級なものは防振機能がついているらしかった。一体どこでそんな知識を得たのかというと、「ジャニヲタ見聞録」というサイトがあり、双眼鏡の性能がコンサートを観るという用途で比較されているらしい。プロフェッショナルの世界だ。

 30分ほど話すと、少し帰りたそうな顔になる。そのことを指摘すると、「だって元気そうなんだもん。それに御見舞いにきたっていうか、『持ってきて』って言われたものをと届ける運び屋みたいなもんでしょ」と知人は言う。この人は家にいるのが一番の幸せなのだ。帰り際、iPhoneでケーキの写真を見せてくる。この病院とアパートのあいだに雰囲気のいいケーキ屋があり、そこでケーキを買って帰るつもりなのだけど、モンブランとカスレット、どっちがいいか迷っているのだという。「もふがいたら両方買って半分こできるのに」とぼやきながら帰っていった。後で聞いたら、結局両方買って一人で食べたそうだ。

 知人も帰って静かになった部屋でゴロンと転がっていると、誰かの足音が響く。同室の患者は外泊しているので誰もいないのに、それを知らずに見舞いにきてしまった人だろうか――。「今日は外泊してるみたいですよ」と教えてあげるべく体を起こしてみると、そこに立っていたのは兄だった。兄も東京に暮らしているが、東京で顔を合わせたことは片手で数えられるほどしかないし、連絡を取ったこともほぼ皆無だ。その兄が目の前に立っている。

 僕はこの日の午前中、実家に電話をかけておいた。普段は電話なんてさせてもらえそうにないけれど、今日は少し雰囲気が緩かったので看護婦さんにお願いしてかけさせてもらっていたのだ(「本当はダメなんだけど……じゃあ、端のほうで」と許可してくれた)。入院した際に保証人として実家の連絡先を書いていたのだが、病院からいきなり連絡が行くと両親も心配するだろうと思って電話をかけておいたのだ。「特に心配はないから」と伝えておいたのに、それでも心配になって母から兄へ連絡が行ったらしい。

 兄は「大丈夫なん?」と言いながら、僕の体に繋がれた点滴と心電図、それに「内科 橋本倫史様 入院 25年12月6日」と書かれた紙とを見比べた。「大丈夫よ。前も一階入院したんじゃけど、また血が出よるゆうことでから。痛いとかはないんじゃけど、血が出とる量が多いもんじゃけえ貧血で倒れて入院したんよ」。半ば自然と広島弁になるが、残りの半分くらいはイントネーションを確かめるように話していることに気づく。しばらく病状や今後のことを話すと、「それで、いくらかかりそうなん」と兄は言った。何日になるかわからないし、まあ大丈夫だと伝えると、「いや、今日は入院費を渡しにきたんもあるけえ。とりあえず10万あれば足りるか」と言うと、兄は財布を取り出し、そこから1万円札を1枚ずつテーブルに置いて行った。ありがたさと情けなさと、それから感心とがこみ上げてくる。「アイツの入院費を工面してやらんと」と封筒に10万円入れてくるのではなく、財布の中から10万円が出てくるのか。兄は立派に社会人をしているのだなと改めて思う。

 兄はお金を置くと「気をつけて」と帰って行ったが、しばらくしてコンビニの袋を提げてもどってきてくれた。「どういうのがいいんかわからんけど、買ってきた」といって、その袋を置いて帰って行った。そのなかには『サンデー毎日』、『週刊新潮』、それにコンビニコミックスの『クレヨンしんちゃん』が入っている。そういえば、うちの兄弟がよく読んでいた漫画の一つは『クレヨンしんちゃん』だ。取材でどこかに出かけた帰り、父は『かりあげクン』や『オバタリアン』といったコミックスを持ち帰ってくれていたが、その一つが『クレヨンしんちゃん』だった。懐かしい想いで『クレヨンしんちゃん』を読んだ。


12月9日(月)

05:50

起床。尿瓶でおしっこ。最初は抵抗があったがもう慣れた。出た量がわかるので案外楽しいくらい。


06:13

灯りがつく。看護婦さんやってきて新しい点滴を繋ぎ、体温と血圧測定。体温は36.8℃、昨晩は37.8℃あって心配だったが下がってよかった。採血もする。採血の痛みは慣れない。同じあたりを刺すので段々痛くなる。


07:24

最近ずっとやっていたドラゴンクエスト(ケータイ版)をクリア。世界に平和が訪れた。


07:58

朝食の時間で、看護婦さんは忙しそう。今日の午前中は同じ病室に誰もいないので静かなものだ。昨日はゴロゴロ鳴ってヒマそうにしていた僕の内臓も、今日はもう静かなものだ。ちゃんとあるのか不安なくらい。


09:45

再び体温測定。36.4℃。血圧測定。上が120、下が74。「血圧も上がってきましたね」とのこと。


10:13

介護士さんやってくる。「着替えはどうされますか?」。昨日までは面倒なので断っていたが(下は着替えられるので)、昨日知人に「たしかに加齢臭がする」なんて言われていたので、上も着替えさせてもらう。点滴をつないだままやるので大変だ。一緒に持ってきてもらったおしぼり(3枚)で入念に体を拭う(これは自力で)。


11:13

経理の女性やってくる。看護婦さんと違って香水の匂いがする。まずは今回の入院についての保証金を支払う。前回は救急車で運ばれて入院し、手続きする間もなく退院となったので支払わずに済んだが、これが一律10万円だ。もちろん保証金なので、ここから入院費を差し引いた分は戻ってくることになる。入院費なんて差額ベッド代を除けば大した額ではないだろうとタカをくくっていたが、前回の入院分の請求書を見て愕然とする。1泊2日の入院で5万円を超えている。その額を見ると、なんだかもう全快したような気分になってくる。


11:58

昼食の時間。僕は引き続き絶食だが、心なしか朝より食欲が増している。


13:08

ドクター来る。「血液の数値を見ても大丈夫そうだから、今晩から食事を出して明日に退院できる」と言われる。良かった。「今後は刺激物を避けるように」と言われるが、辛い物は苦手で刺激物なんてもともと採っていない。念のために「アルコールは」と訊ねると、即座に「ダメです」。いつまで、とすがるように訊ねてみても即座に「ずっと」とピシャリ。まったく飲むなとは言わないけど、憩室がぼこぼこあるので、また炎症を起こしやすいらしかった。大腸の名医に紹介状を書くから、そちらで相談しながらとのこと。


13:30

真っ暗。


14:21

誰かとガバガバ酒を飲むことではなく、誰かに会うことを楽しみにしようと、少しだけ思い直す。


14:28

でも、旅先ですることがなくなったなと思う。コーヒーも当面避けたほうがいいそうだから、喫茶店にも入れないし、ひとりで酒場に入っていきなりソフトドリンクを注文するわけにもいかないから、酒場にも行けない。街に対するとっかかりを失った気持ち。結果的に、輸血をされて別人になってしまった。


16:19

看護婦さんをつかまえて、今後の食生活の相談。食べたいと浮かんだものや、つい口にしてしまいそうなものについて確認する。1〜2週間は控えたほうがいいもの。生野菜。ジュース。刺身。肉(煮込んだものなら多少は可)。スナック菓子。ラーメン。激しい運動。今後の人生で、少なくとも今の半分以下に減らしたほうがいいもの。カフェイン。刺激物。炭酸。油物。アルコール。これなら別にダイエットなんてしなくたって自然と痩せてたのではないか。


17:46

夕食が楽しみで、まだ配膳されていないのに箸とスプーンをテーブルに並べて待つ。


17:58

夕食。全粥、たらの照り煮、ホウレンソウとにんじんのおかか和え、たまねぎとエノキの味噌汁。嬉しい。72時間ぶりの食事だ。久しぶりの固形物に内臓がびっくりしそうだから、しっかり噛んで食べる。特にホウレンソウとにんじんは繊維が多くて大変そうだから慎重に噛んだ。たらと、その付け合わせでついているかぼちゃの煮物がおいしい。しあわせ。食べ始めると、まだそこまでは何も到達していないはずなのに「なんだなんだ」と腸が活動し始めているのがわかる。生き物みたいだ。ハッと目を覚ました感じ。


18:50

ようやく食事を終える。お腹いっぱいだ。全粥は半分で十分だった。


19:23

薬剤師さん来る。これまで飲んでいたのは抗生物質(点滴)への耐性を持った乳酸菌、これは普通の乳酸菌。


20:35

先日のカラオケリサイタルで歌われていた河島英五「時代おくれ」聴く。「上手なお酒を飲みながら 一年一度酔っ払う」という歌詞にシミジミ。


21:03

今日の点滴が終わり、管が抜ける。明日も1本だけ点滴があるので針は刺さったままだが、久しぶりにすべての管が外れた。身軽になったのでベッドを立ち、窓から外を眺めてみる。病院からは目白の街並みが見える。目白の街並みは背が低い建物ばかりなので池袋まで見渡せる。西口にあるスーパーホテルの看板が見える、マルイの看板が見える、それからあの高い建物はホテルメトロポリタンだろうか。ということは、あの明るいあたりによく行く酒場があるのかと、しばし眺める。


21:58

部屋は消灯したが、読書灯をつけて池波正太郎『むかしの味』読んだ。「たいめいけん」のポークカツレツと京都「松鮨」の鮨がうまそうだ。これからの人生、お腹いっぱいになるまでアレもコレも食べるわけにはいかなくなった。少ししか食べられないのなら、とびきりうまいものが食いたい。カツレツなんて当分お預けではあるが。


12月10日(火)

 朝6時に起きると、お腹がぐったりしている。昨晩は72時間ぶりの食事だったが、まだ胃がくたびれている感じがする。あれだけ噛んで食べたのに。不安だ。8時、朝食。お粥と海苔の佃煮、生揚げの煮物、牛乳。昨晩より慎重な気持ちで食べたけれど、半分くらい残してしまった。20分で食べきれるくらいが適量だろう。しかし、この調子だと年内はアルコールどころではないかもしれない。

 最後の点滴の落ち具合を確認して、10時半に迎えにきてくれるように知人に連絡する。看護婦さんに今後の生活についてもう少し訊ねて、大きな病院への紹介状を受け取ったところで知人がやってくる。退院記念に写真を撮っておいてもらった。雨が降っているのでタクシーを拾い、駅前で知人を下ろしてアパートまで戻る。昼はテープ起こしを多少進めたが、寒くて寒くて仕方がない。まだ貧血気味で指先まで血がまわってないのだろうか。この数日の絶食生活で3キロほど減ったせいで寒さが沁みるようになったのかもしれない。

 19時過ぎ、池袋へ。歩くと風景が動くというだけで何だか嬉しい(すぐ近くの病院に入院してたはずなのに、すごく遠くに離れていたような感覚がある)。西口にある「F」の前で友人のUさんと待ち合わせ。「F」は、昨晩病院から「あのあたりに……」と眺めていた店だ。当然まだ飲めないのだけれども――いや、もしかしたらもうずっとお酒は控えなければならないのかもしれないけれど、それでも酒場には行きたい。ただ、飲めなくなってから間が開いてしまうと出かけづらくなってしまうかもしれないので、なるべく早くに来ておきたかったのである。自分は酒を飲まないのに酒場に誘うという失礼な誘いを、Uさんは快く受けてくれた。

 カウンターに座る。賑わいが懐かしい。いつもなら「ホッピーセット」と言うところだけど、今日はメニューを確認する。そうだ、この店には「ミネラル」というメニューがあるのだと気づき、それを注文。水にもちゃんと値段がつくのだから、この店は今後も来られそうだ。それと一緒に湯豆腐も注文する。元気になったらまず湯豆腐を食べようと思っていたのだ。他にも納豆や韓国海苔など、大腸に良いツマミもいくつかある――それが確認できただけでも嬉しい。入院生活のことを話しながら(水を)飲んでいると、「今日退院したんだよね?」とUさんは笑っていた。Uさんは退院祝いにとスープのレシピ本をプレゼントしてくれた、これなら単調な食生活にならずに済みそうだ。

 誘っておきながらすごく失礼だけれども、僕は1時間ほどで店をあとにした(Uさんには申し訳ない)。山手線で新宿に出て、フラッグスビルで知人と合流する。2度も入院して、「あれを持ってきてほしい」「これをやっておいてほしい」と迷惑をかけたので、そのお詫びに何か欲しいものを買ってあげることにしたのだ(別に知人が「買ってくれ」と言い出したわけではないが)。フラッグスビルをぐるりと周り、そのあとルミネに移動して散々迷ったのち、閉店間際のジャーナルスタンダードでカーディガンを買った。その後、タワーレコード前野健太『ハッピーランチ』を購入する。


12月11日(水)

 7時半に起きる。早起きな習慣は続けたいところ。知人の胸に手を伸ばしてみると、いつもより強めに払われる。「やめてよ、31歳一般男性」。昨日から「31歳一般男性」という言葉を何度か繰り返されている。何のことかと問いただすと、「痩せてクマじゃなくなったから、もう一般男性だよ」と知人は言う。クマではなく人間だからセクハラにあたるとのこと。

 お腹がくたびれている感じがあったので、9時まで待って朝食。バナナを1本食べた。10時半、紹介状を持って百人町にある病院へ。今後の生活などはこちらの先生に見てもらって相談するように言われていたのである。受付に入ると、大病院だけあって広々としたロビーだ。そしてドラマの効果音でも流しているんじゃないかと思うほど「群衆」の音がする。雑踏の冬と言ってもいい。まずは初診の受付をしてもらっていると、「同姓同名で同じ生年月日の方が、平成14年に受診されているようなんですが」と受付の女性。一体誰が僕を騙って受診したのかと少し動揺したけれど、平成14年は2002年だから、僕はその年に上京していたのだ。たぶん酷い風邪でも引いたのだろう。しかし、2002年の東京にはたしかに自分がいたと思うのだが、平成14年の東京のことは自分は知らないんじゃないかと感じるから不思議だ。

 番号札をもらって、大腸肛門科の待合室へ。まあ当分かかるだろうと思って、パソコンを開いて作業をする。が、2時間も経つとやることがなくなってくる。診察室に入る頃には3時間が経過していた。大きな病院は大変だ。診察室に入り、しばらくして入ってきたドクターは前の病院からのカルテを読んで、少し僕と会話をし、大腸に関してはCTしか撮っていないことを知ると「とりあえず、なるべく早く内視鏡をやってみないと」と言った。それで、一番の目的である質問を訊ねてみる。それは「どういう食生活を送ればいいのか」。ああそうか、それは難しいんだよね、とドクターは言った。難しいというのはこういうことだ。キチンと排泄ができなければ腸内環境が悪化し、再び炎症を起こしてしまう。便秘を防ぐために必要なものの一つは食物繊維である。しかし、今の僕の腸に食物繊維がたくさんやってくると負荷がかかり、これもまた炎症を起こしてしまうのである。

 詳しいことは栄養士さんと相談することになり、診察室を出た。またしばらく待合室で待って、看護婦さんと内視鏡検査と栄養指導の日程を相談する。この看護婦さんの対応があまりにも事務的でムッとしそうになるが、大病院で多くの患者をさばくためにはそうせざるを得ないのだろう。仕方のないことだ。セクショナリズムと言ってしまうとその弊害ばかりが取りざたされるが、セクションに分化されているからこそ専門性が生まれるわけだ。実際、最後に血液検査をしてもらったのだが、採血を担当する人はずっと採血をし続けている人で、針を刺されるときにまったく痛みを感じなくて驚いた。驚いたことはもう一つあって、それはお会計だ。少し話をして採血をしてもらっただけで結構な値段で驚いた、これまで医療費云々というニュースはまったく他人事と思って聞き流していたが、それは問題になるわけだ。

 夕方、銀座へ。「ユニクロ」でパッとジーンズを試着し裾直しをお願いしたのち、「S!」誌の収録現場である「維新號」へ急ぐ。到着が3分前になってしまい、到着してみると既に全員揃っていた。申し訳ない。席につくと、「殴られた直後の海老蔵みたいだね」と福田さん(アパートに帰って、ホクホクした気持ちで「殴られた直後の海老蔵に似てるって言われた!」と知人に伝えると、「それ、喜ぶところじゃないでしょ」と淡々と言われた)。17時、収録スタート。最初に運ばれてきた料理は前菜の盛り合わせだ。まったく手をつけずに過ごすのも「病み上がりなんで」と自己主張しているみたいになってしまうし、実際お腹は空くので、どれを取るか、じっくり考える。結果として蒸し鶏ときゅうりの漬け物を取り分けたのだが、きゅうりをひと口齧った瞬間に後悔する。それはピリ辛きゅうりだった。ドクターから「刺激物は避けるように」と注意されていたので、「さっきのきゅうりは大丈夫だろうか」と、ずっとソワソワしていた。

 2時間半ほどで収録終了。僕はすぐに帰るつもりだったけれど、坪内さんに誘われてもう1軒ご一緒させてもらうことにした。その店は銀座の路地――本当に「これぞ路地」という感じの筋にある店で、そこは年内でお店をたたんでしまうらしかった。お酒が飲めないのにご一緒するのは憚られたけれど、坪内さんが「お酒が飲めなくても、この空間を見ておくことは重要だよ」と誘ってくださったのである。しかも、お店に入るなり「この人は病気をしちゃって、申し訳ないけどソフトドリンクをお願いできますか」とお願いまでしてくれた。僕以外の皆は台湾のウィスキーをロックで、僕は生絞りグレープフルーツジュースをいただく。

「はっちゃんは元々そんなに飲むほうじゃなかったのに――オレのせいだね」と坪内さんは言った。そう言われて気がついたけれど、たしかに僕は坪内さんの授業に出るまで、お酒を楽しむという性格ではなかった。僕は2005年に坪内さんと、その前年の2004年に向井秀徳さんと出会った頃からお酒を楽しむようになった。その二つの出会いがなければ、今みたいな生活はできていなかっただろう。坪内さんは「(オレみたいに)バイパス手術をすれば、飲めるようになりますよ」と励ましてもくれた。ところで、大腸を悪くする原因として多いのが食生活とストレスだ。僕はまったくストレスのない生活を送っているので、原因は食生活ということになる。ただ、ここ最近は健康的な食生活を送ってたはずなんですけど――そう口にすると、「あれだな、やっぱりマルちゃん生麺ばっか食べてるからだな」と坪内さんは言った。生麺みたいな食感だからすっかり忘れていたけれど、そういえばあれはインスタント食品だった。でも、そう言われてみると、僕の中には「インスタントはからだに悪い」という意識はほとんど存在しないということが確認できる。

 20時頃に店を出て、「ユニクロ」でジーンズを2本受け取って高田馬場まで戻る。知人と合流し、「米とサーカス」で野菜ジュースとを食べてアパートに帰った。この店も、アルコール抜きでも来ることができそうでホッとした。


12月12日(木)

 朝7時に起きる。午前中は昨晩のテープ起こしをしていた。窓の外には目の覚めるような青空が広がっている。ふとツイッターを見ると、横浜の象の鼻テラスでままごとの「象はすべてを忘れない」というパフォーマンスをやっているという話が流れてくる。象の鼻テラスで何かやっているらしいという話は知っていたけれど、実際に何が起きているのかいまいちよくわからないので、天気もいいことだし、パソコンだけ抱えてちょっと横浜まで出かけてみることにした。『S!』誌の構成は今日が締め切りだが、往復の車内で仕事をしていればいいのだ。

 象の鼻テラスに着いてみると、表で何かパフォーマンスをやっている。港のデッキのところに様々な小道具――「スイッチ」が置かれていて、それを手にしたりするとスイッチが入り、その場(路上)でパフォーマンスが繰り広げられる。他にも紙芝居があったり、ちょっとしたツアー(予約制)があったり、ラジオドラマの収録がカフェテラスで行われたり、フラッシュモブのようなパフォーマンスが繰り広げられたりするのだが、まずロケーションが抜群に良い。象の鼻テラスも天井が高くて気持ちがいいし、大きなガラスの向こうには海が広がっていて客船が停泊している。そのテラスと海とのあいだでパフォーマンスが繰り広げられたりするので、贅沢な気持ちになる。テラスにはプルさんがいたのでご挨拶。僕が最初に入院したのはプルさんと飲んだ翌日だったので、余計な心配をかけてしまって少し申し訳ない気持ち。

 そのプルさんの手になる対談がある。「演劇とすれ違う――ままごとの過去・現在・未来」だ(http://magcul.net/focus/shiba_fujiwara/)。とても興味深く読んだし、この「象はすべてを忘れない」はまさに人びとが演劇とすれ違うように設計されたパフォーマンスだろう。この対談でも述べられているように、フェスティバル・トーキョーでもフラッシュモブがいくつか企画されていたし(僕は入院していて観に行けなかったので詳細はわからないが)、演劇が街に出て行き、普段は劇場に足を運ばないような人たちにも演劇とすれ違ってもらう試みはいくつかなされている。その試みはとても面白いことだと思う。ただ、実際に通りすがりの人たちが演劇とすれ違っているのかとなると、少し疑問は残る。それはこの日が平日だったからそう思うのかもしれないし、僕がどうしても、一番その空間にノレていない人のことを気にしてしまうせいでそう思ってしまうのかもしれないけれど……。それからもう一つ、それがはたして“現劇と”すれ違うことになっているのかどうか(そんなことを書くと「じゃあ演劇とは何なのか」と問われてしまうだろうけれど)。もちろん、多くの出会いは生まれているのだろうし、そんなことは僕が指摘するまでもなく考え抜いた上でパフォーマンスは行われているのだろうし、何より、その場所に根を張って活動している人たちに安直なことを言うのもどうかとは思うけれど、どうしてもそういうことが気になってしまう。外部に拡張していく、開いていくということは、言葉としては通りがいいが、じゃあそれが何に繋がっていくのか、どうしても冷ややかな気持ちになってしまう自分もいる。

 16時15分に象の鼻テラスをあとにして、中華街で肉まんを食べる。まだ肉は食べないほうがいいのだけど、検査のため今晩から下剤を飲むので平気だろうと思い、買い食い。元町・中華街から電車に乗ると、始発駅なのでいくらでも座れて便利だ。しかも乗り換えなしで高田馬場(正確には西早稲田)まで戻れるから、ずっと仕事をしていられる。18時過ぎ、アパートに戻って『S!』誌の構成を送信する。今日は一発でオーケーをもらえた、良かった。21時過ぎに下剤(錠剤)を飲んで、早めに布団にもぐり込んだ。

12月13日(金)

 8時半に起きて、下剤を飲み始める。ムーベンという名前の下剤で、これを2リットルの水で割って飲む。袋に「レモン風味」とあったので楽観的に考えていたけれど、これが何ともマズい。最初はゆっくりと、15分で180ミリリットルのペースでと注意書きがあり、そんなにゆっくり飲めるだろうかと心配していたけれど、マズくてマズくてとてもそんなペースでは喉を通っていかない。口あたりも喉越しも悪いのに、後味としてレモンのフレーバーが漂うのが余計に腹立たしく思えてくる。気分を変えようと、録画してあった「食彩の王国」(テレ朝)観る。百合根の回。百合根のガレットとフォアグラのソテーが何とも美味しそうだと思ったが、僕は百合根も、ガレットも、それにフォアグラも、一体どんな味がするのか、さっぱりわからない。

 「10時半までに飲み終えるように」と言われていたけれど、11時半になってようやく飲み終える。大腸の中がからっぽになったところでアパートを出て、タクシーで病院へと向かった。14時半に病院に到着し、1時間ほど待って、いよいよ大腸内視鏡検査。検査室に入ると内視鏡がぶらさがっていて、その映像がモニターに映し出されている。当然のことではあるけれど「ずいぶん広角のレンズなんだな」と感心しつつ、ベッドに横たわる。入れられる瞬間は「これはムリだ」と思ったが、少し痛みを我慢しているとスッと入っていく。ときどき「いたたたた」と少し声が出てしまうが(胃カメラのときにも感じたことだけれど、押されている感覚がある)、胃に比べるとずいぶん楽なものだ。

 検査が始まってほどなくして、一昨日観てくれたドクターも検査室にきて映像を見てくれる。内視鏡を操っている人とドクターは何とも言えない顔をしている。救急病院のドクターはCTの画像をもとに「大腸に憩室がぼこぼこある」と診断していたのだけれども、憩室どころか出血したあともまったく見られず、「教科書に載せられるくらいきれいな大腸」だというのだ。ドクターも「いいんだか悪いんだか、わからないね」と漏らす。胃と十二指腸は健康そのもので、大腸も健康そのものだとなると、一体どこからあんなに出血していたのか?――残っているのは小腸だけなのだが、小腸は検査も大変らしい(口からも肛門からも遠いので)。もちろん後日その検査を受けることもできるけれど、現状としては「また症状があれば来てくださいとしか言えない」らしい。念のため、「それでもしばらくお酒は控えたほうがいいですか」と確認してみると、「現状、何かを制限しなきゃダメだということはまったく言えない」とのことだった。

 あの出血は一体何だったんだろう?――ふわふわした心地で新大久保駅まで歩く。とりあえず、お酒が飲めない人生を、肉を食べられない人生を歩む必要はなくなったので、少しホッとした気持ちではある。嬉しくなって缶ビールを買って帰り、知人と乾杯してグラス1杯だけビールを飲んだ。ギャップが全品50パーセントオフのセールをやっているというので、知人と一緒に出かけた。が、人が多過ぎるので少し眺めただけで別のフロアに移動し、知人にプレゼントを買った日にも立ち寄っていた「SHIPS」でアウターを1着買った。先日シャツは買い換えていたけれど、アウターだけがブカブカだったのだ。僕が選んだアウターを見た知人は、「こないだ来たときから、もふはそれ買うだろうなと思ってたよ」と言った。


12月14日(土)

 7時に起きて、バタバタと羽田空港へ。今日から小倉に出かけて、マームとジプシー「モモノパノラマ」を観るのだ。今から半月前、神奈川公演の楽日を観に行くはずが入院して観に行けず、今から1週間前には彼らの公演を観るべく訪れた新潟で倒れてしまい、公演を観れないまま滞在時間1時間で東京にとんぼ返りして即入院となってしまっていた。飛行機の中で「また体調を崩しやしないか」と身を固くしていたが、12時過ぎ、無事小倉駅前に到着する。良かった、無事小倉に来ることができた。

 まずは小倉に来るたび足を運んでいる、鳥町食堂街「だるま堂」へ。お店のお母さんは今日も元気に焼きうどんを作っていた。よかった。この日は天まどというメニューを頼んだ、具がうどんだけ入っている広島風お好み焼きのようなメニューだ。510円(焼きうどんは460円)。お腹を満たしたところで近くのドトールに入り、構成の仕事を進める。15時にホテルにチェックインしてからも構成の仕事をしていた。半分くらいのところまできた。

 17時半、北九州芸術劇場へ。約1年振りだ。申し訳ないような、照れくさいような気持ちで受付に行くと、「めっちゃ痩せてますけど、大丈夫ですか橋本さん」と制作のはやしさんが声をかけてくれる。ロビーには藤田さんも立っていた。18時過ぎ、「モモノパノラマ」開演。もう観られないんじゃないかと思っていただけに、観ることができて本当に嬉しい。詳しい感想は別で書く。終演後、楽屋で初日乾杯。役者の皆も「橋本さん、もう大丈夫なんですか」と声をかけてくれる。本当に、余計な心配をかけて申し訳ない。「もう大丈夫なはずです」と病状を説明する。乾杯をしたビールは、「風味爽快ニシテ」という新潟限定のサッポロビールで、とてもうまい。今日はまだお酒は控えめにするつもりでいたけれど、あんまりうまいのでグイグイ飲んでしまった。

 21時過ぎ、予約してあった打ち上げの店に移動する。おそるおそる黒霧島の水割りを飲む。なかなか料理が運ばれてこなかったのだが、2階の座敷席から1階のトイレに立ってみると、はやしさんがお店の人と戦っている声が聴こえてくる。2階席に入れられる店員を超えているし、このあと7名で予約が入っているから、そんなに頼まれてもそちらの料理が出せないから困る、とお店の人が言っている。大変だなあと思っていたが、それはキャンセルになったのか、もともとブラフだったのか、7名のお客さんがやってくることはついになかった。

 0時過ぎに店を出た。2次会の場として目指すのは海だ。去年、この街で「LAND→SCAPE」という作品(僕の大好きな作品)を観たときも、お店で飲んだあとに数人(たしかその日は僕を含めて3人)で海を見に出かけたのをよく覚えている。藤田さんは、郁子さんが誕生日プレゼントのお返しにくれたという日本酒を鞄に忍ばせていて、それを皆でチビチビ飲みながら紫川沿いを“まっすぐ”歩いていくと海が見えてくる。向こうでは新日鉄の工場が煙を上げている。少しのあいだ皆でそこに佇み、海を眺めていた。能登出身の波佐谷さんは「懐かしい」と言った。地元にも海にもこうしてイカ釣り漁船が並んでいて、明け方に帰ってきた漁師さんに刺身を食べさせてもらったりしていたのだという。

 あんまり寒いので5分ほどで海を離れ、駅を越え、飲み会終わりの人たちがたむろする魚町銀天街を歩き、ひと気のない旦過市場を抜けていく。またこの街に来れてよかったなと、しみじみ呟く。「橋本さんからメールが来たときは、これは大変なんじゃないかと皆と話してたんですよ」とはやしさんは言う。新潟で倒れたとき、はやしさんにだけはメールをしていたのだ(予約をして、新潟に向かっている途中の写真をツイッターに載せておきながら会場に現われないとなると余計に心配をかけるんじゃないかと思ったのだ)。「きっと橋本さんのことだから、私たちに余計な心配をかけさせないように最大限柔らかく書いてくれてるけど、それでも大変さが伝わってきた」と。

 3次会の場所――「万龍」という店にたどり着く頃には1時をまわっていた。「ラーメン屋に行こう」と言っている藤田さん自身ももう満腹ではあるのだが、この先、とうぶん食べられないという気持ちでこの店にやってきたらしかった。店の前には、こんな時間だというのに行列ができてもいた。そんなにうまいのかと期待が高まる。30分近く待って中に入り、勧められるままにとんこつラーメンとおにぎりを注文する。皆で2皿ほど唐揚げも注文した。運ばれてきたとんこつラーメンは、匂いは強烈だが、食べてみるとさっぱりしていてうまい。酒を飲んだあとにピッタリの味だ。ラーメン屋まで残っていたのは僕を含めて7人で、そのうち3人は役者だ。マームの男子の付き合いの良さに感服しつつ、ラーメンを啜った。


12月15日(日)

 8時に起きる。体重をはかってみると、昨日の朝より2キロも増えている。あれだけ食べたのだから当然か……。というわけで、清掃のため部屋をあけているあいだ、駅ビルに入っているスポーツジムに出かけた。僕が普段通っているのと同じ系列のジムなので、1日500円で利用できる。ジョギングをするのは半月振りでさすがに体が思うように動かず、何とか5キロだけ走った。

 ホテルに戻り、構成の仕事を進める。13時半、今日もまた北九州芸術劇場へ。14時過ぎ、マームとジプシー「モモノパノラマ」開演。神奈川、新潟、北九州で上演されてきたこの作品もこれが最後の公演で、しみじみと観た。終演後はホテルに戻り、構成の仕事を完成させてメールで送信。ウェブに掲載される仕事は、文字数の制限がゆるやかなぶん、その塩梅が難しい。

 時計を見ると19時だ。打ち上げまで少し時間があるので、ひとりで屋台のおでん屋に出かけてみる。教えてもらっていた店にはたどり着けなかったけれど、別のおでん屋にはたどり着けた。ラーメン屋とおでん屋が一つの屋台になっている。興味深いのは、お酒の扱いがないことと、ラーメンの替え玉がないこと。屋台の端にアコースティック・ギターが無造作に置かれている。僕は大根、厚揚げ、巾着、シュウマイ、ロールキャベツ、牛すじを食べた。どれでも1本130円。おでんが炊かれている大きな窯が目の前にあり、なかなか良い風景だ。

 20時に打ち上げ会場の「なべげん」という店に行ってみると、もう打ち上げは始まっていた。僕が座ったテーブルでは韓流や宝塚の魅力が語られていて、「橋本さん、こんなテーブルで大丈夫ですか……?」と心配されてしまったけれど、自分の知らない世界の話なので興味深い。最初はビールを、途中から黒霧島をボトルで注文して飲んでいた。劇場のスタッフさんも全員来ていたので、なかなか盛大な打ち上げだった。昨日はおそるおそる飲んでいた僕も、今日は全力で酒を飲んだ。地鶏鍋が本当にうまかった。一体何をどうすればあんなにうまいスープになるのだろう?

 前回来たときに食べたおぼえがないのだが、小倉の居酒屋に入ると、大抵の店で山芋鉄板というメニューがある。その名前を聞くと、山芋の千切りを鉄板で炒めたようなメニューを想像するが、だし巻き玉子のようにほわっほわの料理だ。うまい。2時間が過ぎたあたりで一度会計をしめたが、まだ飲んでいても平気らしかったので、財布を持ってレジに行き、ボトルを1本追加してもらった。3千円くらいするかと思っていたが2千円と格安だ。

 たっぷり飲んだあと、半分ぐらいのメンバーで近くにある「白頭山」に流れて、さらに酒を飲んだ。何を話したのかはほとんど覚えていないが、カツカレーが出てきたことは覚えている。久しぶりに盛大に飲んで愉快な気分だ。1時過ぎに会計をしてもらって店を出る。マームの皆が泊まっているホテルはボイラーか何かが壊れてしまったらしく、無料で近くのスパを利用できるようにしてくれているそうだが、そのスパは24時までしか入場できないので(営業は3時まで)、マームの女子たちは1次会で帰っていた。

 誰かが「女子たちがもうすぐここ通るって」というので、皆で「白頭山」の前で待つ。5分ほど待っただろうか、向こうから歩いてくるのが見えた。が、女子たちはめんどくさい空気を察知したのか、横断歩道をわたり、道路の反対側を歩いて行った。今日で最後ということもあり、妙に寂しい気持ちになる。なんだよ、今日で最後なのに――マジでクソだなとつぶやくと、それを近くで聞いていた藤田さんが通りの向こうにいる女子たちに向かってその言葉を大声で伝えてくれる。「しまった」と思った瞬間に体がふらつき、植え込みに倒れ込んでしまった。空が見えた。

 そんなことを口にしてしまったことを、翌朝までずっと悔やんでいた。

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 あんまりそのことに触れると、反省する素振りをアピールしているようで鬱陶しいとは思うのだけれども、その申し訳なさもあるし、そうでなくても何度か見せてもらったあの舞台のことは何か記しておかなければと思っていたので、北九州で2度観た際のメモをもとに、『モモノパノラマ』の感想を書いておく。