3月21日

 マームと旅に出ると、いつも早起きしている気がする。今日は朝の7時にホテルのロビーで待ち合わせて、zAkさんの運転するクルマに乗って海に出かけることになった。もう雨は降っていないけれど、空は雲で覆われている。その雲は猛スピードで移動している。「川です。水が流れてます。昨日は雨が降ったからちょっと濁ってました」。青柳さんはこの調子でしゃべっている。

 カーナビを確認すると、海のすぐ近くに「大明神」の文字が見えたので、その場所を目指すことにした。到着してみると、お地蔵さんと赤い鳥居はあるものの、神社というよりもそれは住宅のような建物だった。目の前には海が広がっている。テトラポットが、波打ち際にいくつも並んでいる。大きな木の切り株がある。大明神があるせいか、海岸にはゴミを見かけない。流れ着いたゴミも見かけない。あるのは流木くらいのものだ。人工物で流れ着いているのは、瓦のようなものだけ。やはり、津波、だろうか。無数に浮かんだ雲の隙間から、朝日が力強く差し込んできて眩しい。

 少し先を歩いていた藤田さんが、立ち止まって波打ち際を凝っと波打ち際を見つめていた。物思いに耽っているのかと思ったが、どうも違うようだ。近づいて視線の先を見てみると、小さな何かがゆらゆらと波に揺られていた。拾い上げてみるとそれはカバの人形だった。「夢かと思った」と、藤田さんがつぶやく。波打ち際にカバの人形が打ち上げられている様子には、まったく現実感がなかった。

 カバというのは、エジプトでは神聖な動物とされているそうだ。防波堤には、大明神の人が置いたのだろう、神主さんがお祓いのときに振るギザギザしたものと、それに逆さにしたグラスが置かれていた。その近くにカバを並べて、しばらく佇む。青柳さんと荻原さんは、手を双眼鏡のようにして水平線を眺めている。こうすると遠くがよく見えるのだ、と。半信半疑で真似してみると、たしかに遠くまでくっきり見渡せた。

 9時にいわき駅前に戻り、皆と別れてホテルに戻った。12時過ぎ、写真撮影をしてほしいと連絡があって「Queen」に行ってみると、そこにはもうすっかり舞台が出来上がっていた。ゲネの様子を、写真に収める。重点的にやったのは、今回初めて上演される「戦争花嫁」だ。開演まであと1時間というところで、“衣装”について、僕からみると大きな変更が加えられた。それは着替えれば済むような変更ではなく、動きが多少不自由になる変更だったので驚いたが、指示を出す藤田さんも、舞台に立つ青柳さんも、粛々と稽古を続けていた。

 14時10分に開場すると、あっという間に客席は埋まり、入口の近くまで立ち見のお客さんが出るほどの盛況振りだ。このいわき公演で上演されたのは、「戦争花嫁」、「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」、「まえのひ」の3つ。

「戦争花嫁」を観ていると、ふいに昨年上演された「cocoon」のことが思い出された。衣装の質感と、それに戦争というモチーフが共通するからかとも思ったけれど、どうもそれだけではない気がする。

 今日の公演では――そして「cocoon」のときにも――海の音が鳴っていた。海の音と、誰かの歩く音。誰か、というよりそれは青柳さんの歩く今朝の音だ。

「喜屋武岬と全然音が違う」と言ったのは、たしか青柳さんだった。喜屋武岬というのは沖縄本島の最南端にある岬で、「cocoon」に向けて皆で沖縄に行ったときに訪れた場所だ(そこで録音した海の音が「cocoon」で使用されていた)。たしかに、これが同じ海かと言うくらいに違う音が鳴っていた。この日、いわきの海は荒れていた。何かが炸裂するような音がしていた。

「まえのひ」で海の音を鳴らすというときに、その海の音はやっぱりいわきだろうと思った――藤田さんはそう言っていた。「まえのひ」という作品を考える上で、3月11日のことは避けて通ることができない。南海トラフ地震が30年以内に起こる確率は70パーセントだとも言われているし、地震に限らず、私たちは何か悲劇の起こる“まえのひ”に置かれ続けている。私たちは常に3月10日を生きている――そうした感覚から立ち上がってきたテキストが「まえのひ」だ。その作品をいわきで上演するためには、いわきの海の音が必要だったのだろう。

 藤田さんは「その土地の音っていうのはあるから、その音を録り続けたい」と語っていた。藤田さんにとって音を録るというのは、その土地に触れる一つの方法なのだなと思った。いわきの音というのはいわきについて考えるための入口で、3年連続でいわきで公演を行っている藤田さんにとって、いわきについて考えることはあの地震について考えるということなのだと思う。