5月30日

 お昼、『SKETCHBOOK』(005)が届く。前の号から1ヵ月半も間が空いてしまった……。すぐに「古書往来座」に納品し、クロネコヤマトメール便(速達)で発送する。ひと段落したところでネットを巡回していると、前野さんの日記が更新されていることに気づく。「最近になってとんかつが好きになってしまった」「これはライブのMCで話します」と書かれている。調べると今日は京都でライブがあるようだ。昨日バンコクから帰ってきたばかりだから大人しくしていようかとも思ったけれど、演劇を観るためにバンコクまで出かけたことを考えると、京都くらいは何てことのない距離に思えてくる。

 というわけで、急遽ホテルを予約して京都へと向かった。18時に京都に到着し、バスで河原町三条まで移動してホテルにチェックインし、荷物を置くとタクシーを拾ってライブ会場へと急いだ。会場である「拾得」は蔵を改装したライブハウスだ。初めて入ったけれど、良い雰囲気だ。席に座ってのんびり歌が聴けるし、お酒のメニューも充実している。カレーを食べている人もいる、ツマミのメニューもいくつかあるようだ。1杯目の缶ビールを飲み干したあたりで客電が落とされ、2階から前野さんが降りてきてライブが始まった。

 前野さんは髪を切っていて、サングラスも新調していた。ダンヒルのサングラスだという。MCをするとき、ギターの上で腕を組んで話す姿が少し――そう思っていると、前野さんが自ら「サングラスがちょっと談志師匠みたいに」と口にした。前に前野さんのソロライブを観たのも京都だったけれど、そのときとはまったくモードが違っていた。前回はかき鳴らすという表現がぴったりくる演奏だったけれど、この日はしっぽりとした雰囲気だ。それに、いつにも増して古い歌を多く歌っていたようにも思う。桃井かおり「蜃気楼のように」。荒木一郎「個人的なコマーシャルソング」。森繁久彌「とんかつの唄」。「ゴンドラの唄」も歌っていた。それに、「自分の曲も演歌っぽくしてみたら合うんじゃないか」と言って、「オレらは肉の歩く朝」を演歌調して歌ってもいた(実際違和感はなかった)。

 そこで歌われる前野さん自身の曲も、ちょっと変わったラインナップだった。「リサイクルショップのクリスチャンディオール」や、富山で作ったという「サスペンスドラマの錦鯉」といった曲が続く。「今日からキザなていでライブをやったんだけど、何でこういう曲ばかり盛り上がっちゃうんだろう。おかしいねえ」と、前野さんも笑っている。「今日みたいなライブが分岐点になっていくわけです」とも話していた。「今日は間違いなく、『アイツはここが分岐点だったな』っていうライブですよ」と。

 ところで、この日一番印象に残ったのは「友達じゃがまんできない」だ。この曲を歌うとき、いつも前野さんは苦しそうに見える。一番壊れやすい歌なのかもしれない。前に仙台でライブを観たときも一度演奏を中断して歌い直していたけれど、この日も最初の一節を歌ったところで「今のじゃマエケンなんだよな」と演奏を中断した。観客はマエケンの歌を聴きにきているのだろうけれど、本人からすると、もっと普遍的な――というと違うかもしれないけれど、私から遠のいたところにある歌が良いのだろう。実際、こんなふうに話してもいた。「段々自分の理想が見えてきたんです。最近は歌が僕の歌じゃなくなってきてる感じがあって、それがすごくいいですね」。そのことは、最近の前野さんの歌がスケッチのようになってきていることとも無縁ではないだろう。

 ビールを数杯飲んだところで、次のお酒を何にしようかと考える。アメリカのパブで演奏を聴いているような気分でもあるからウィスキーも合いそうだったけれど、結局日本酒を飲んだ。終演後は「吉田屋料理店」へと飲みに出かけた。「まえのひ」全国ツアーのときに皆で来た店だ。「あそこのみょうがごはんが美味しかった」と皆が口を揃えて話していたけれど、僕は楽しくて泥酔してしまい、肝心の味を覚えていなかった。この日、再びみょうがごはんを注文したのだけれど、今回もまた酔っ払ってしまって味のことを覚えていない。