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8月10日
台風が近づいているというので、早めに横浜に出かける。今日は急な坂スタジオにて、マームとジプシー「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて」が上演されるのだ。
1年前の春、関内にある十六夜吉田町スタジオにて、Aバージョン、Bバージョン、Cバージョンと、1週間ごとに成長させながら上演された作品だ。そしてマームとジプシー初の海外公演としてイタリアとチリで上演された作品でもある。
この作品で、彼らは今年もまた海外ツアーに出るという。それに先立って、8月5日、1年数ヶ月振りに「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて」が上演された。それからわずか5日後、去年と同じペースで別バージョンが上演されることになった。ただ、昨年はA、B、Cバージョンともに有料の公演として上演されたのに対して、今日はあくまで「公開リハーサル」として、無料で公開される。
日ノ出町駅前にあるケンタッキーフライドチキンで少し時間をつぶしたものの、2時間前には急な坂スタジオにたどり着いてしまった。しばらくぼんやり過ごしていると、窓の外で激しい雨が降り始めた。いよいよ台風が近づいているらしい。この雨で、しかも日曜日の夜ともなると人は集まらないかもしれない――勝手にそんなことを心配していたけれど、それはまったくの杞憂で、19時になる頃には急な坂スタジオのロビーには人が溢れ返っていた。
この作品を観るとき、やはり、1年前と違っている点のことばかり気にしてしまう。
1年前の時点で謎だった「けむくじゃらの男」は登場しなくなったし、その男の言葉を信じて狼を待ちつつ、家出をしてテント生活を送っていた“あや”は、1年前の同作では10年後に病気にかかり余命幾許もない設定だったのに、今年はどうも、自ら命を絶ったようでもある。
1年前、僕が一番好きだったシーンは、“さとこ”が上空を見上げながら喉元を叩き、ああああああ、と鳥たちと会話をしている(気持ちになる)シーンだった。でも、今年はそのシーンはあっさりと登場し、去年に比べるとさらりと終わる。このシーンーー”さとこ”と“あゆみ”のシーンがさらりとした印象になっているのは、二人の仲が早々に決裂しているからだろう。
“さとこ”は、早い段階に“あゆみ”に告げる。「こんな街、出て行く」と。それに対し、“あゆみ”は「私はこの街に残るから」と、ムッとした様子で言い返す。1年前の同作では、「この街、出てくから」と宣言したあとでも、二人の仲は険悪にならなかった。1年前は、“あゆみ”は「あえて八方美人」でいるキャラクターだった。
また、1年前の“あゆみ”は「さとこちゃーーん、これてるーー?」と語ってもいた。でも、今年は「さとこちゃーーん、帰るよーー?」と声を掛けている。この微妙な変化は、なかなかに大きいように思う。1年前は、二人は同じ道を歩いていた。でも今年は、街を出ていく方向に突き進む”さとこ”と、街に残る、家に帰るベクトルに向かう“あゆみ”は、はっきり背を向けている。
この作品には6人の役者が登場する。6人は同級生だ。彼らは中学生で、自分たちの住む街で起きた凶悪な事件に対して、それぞれのやり方で向き合いながら揺れ動いていた。その意味では、彼らは(ある程度)ひとかたまりになっていた(「男子と女子はわかり合えないのかしらね」というくらいの断絶はあったけども)。
1年前の同作には、ある種の美しさがあった。「出会いと別れの季節」である「春」が内包する、美しさ。でも、最初から皆が「ことなった」「てん」として存在している今年の同作では、その種の美しさは少し奥まったように感じられる。では、今年は一体、何を描こうとしているのだろう?――それはまだ、正直よくわからない。わからないけれども、たとえば、“あや”が語る、「加害者にもなれるし、被害者にもなれるって先生は言ったけど、それってどういうことだろう?」というような台詞は、何か重要な役割を果たしていくのではないかと思う。何にせよ、これからまた海外公演に向けて変化していくであろうこの作品が、楽しみだ。
8月15日
10時近くに起きる。昼、全国戦没者追悼式のテレビ中継を眺めたのち、オクラと納豆入りうどんを作って食す。午後、イタリア日記を書き続ける。17時過ぎ、自転車で神保町へ。九段下に近づくと、警察の人員輸送車と覆面パトカーが道の両脇にずうっと続いている。警察官もたくさんいた、ぞろぞろと鉄柵を片づけているところだ。この日に九段下に近づくのは初めてのことだが、さすがに物々しい雰囲気だ。警察車両は駿河台下の交差点あたりまでずうっと続いていた。
18時から、「新世界菜館」にて『S!』誌収録。ゲスト会で緊張する。帰り際、残されたままの名刺を見つけて、ちょっとしょうもないことをしてしまったのかもしれないと反省する。置いて行かれたことがショックということではない。相手のことを考えると、名刺を渡して覚えてもらっても仕方のないことで、原稿で「お」と覚えてもらうしかないのだ。最後にカレーライスと冷やし中華が出てきた。カレーライスが甘口でとても美味しかった。
21時過ぎに終わり、自転車をこいで帰る。この時間になると、さすがに警察車両も姿を消している。九段下の交差点を飯田橋方面に曲がると、少し先に肩を抱いている人の姿が見えた。酔っ払って盛り上がった人たちが抱き合っているのだろうかとスピードを緩めてみると、取っ組み合いのケンカをしている二人を、周りの人たちが必死で引き離しているのだった。同じような光景を、少し先でも見かけた。今日ぐらい静かに飲めばいいのにな。少なくとも九段下を訪れてまでケンカをすることはないだろう。
アパートに戻り、イタリア日記を書き進める。テレビでは『硫黄島からの手紙』をやっている。一度観たことがあるはずだけれども、ほとんど内容を忘れていた。映画や本の内容をすぐに忘れてしまう。人が死ぬシーンがやってくるたびに、うあ、と口の中でつぶやきながら、時々眺める。印象的だったのは加瀬亮だ。集中して観ていたわけではないから詳しい筋はわからないが、最初は自決するつもりでいた加瀬だが、西郷と過ごしているうちに考えが変わり、投降を決意する。何とか脱走し投降に成功すると、先に捕虜になった日本兵がいた。男が静かに言う。「聞いたか? 飯が食えるって話だぜ」。「飯か。いいな」と、加瀬も静かに答える。が、次の瞬間、捕虜を見張るという任務を面倒に感じた米兵によって、二人とも射殺されてしまった。
23時過ぎになって、新宿5丁目「N」へ。明治通りはさすがに空いていた。通りがこの様子ならお店もガラガラかもしれないと思っていたら、階段を降りるとほとんど満席だ。2時間前までお会いしていたTさんの姿もある。その隣に1つだけ空いている席があったので、そこに座らせてもらう。Tさんがお店に差し入れたというサンドウィッチを、僕もお裾分けしていただく。ときどき僕のサンドウィッチの減り具合を確認していたTさんは、「甘いのもおいしいよ」と、自分の皿にあった小倉サンドも分けてくれた。
店内にブルース・スプリングスティーンの「Surprise, Surprise」が流れ始めると、Tさんは席を立って踊り始める。その姿に、何かを教えられているような気持ちになる。この曲に続けて、「4th of July, Asbury Park」という曲が流れた。こちらはTさんの向こうに座っていたOさんのリクエストで、これもスプリングスティーンの曲らしかった。僕はあまりスプリングスティーンを聴いたことがないけれど、どちらも良い曲だった。帰り道、さっそく借りて帰ろうと「ツタヤ」に寄ったけれど、最寄りの店ではどちらのアルバムも取扱なしと出た。
8月16日
9時過ぎに起きる。土曜の朝によくやっているタイプの番組を眺めていると、ふと「しらす丼を食べに行こう」という気持ちになる。少し前の『ポパイ』で、蓮沼さんが紹介していた店――紹介文が「しょっぱかったら、湘南ビールを飲めばいいじゃん!」と締めくくられていて妙に印象に残っている――を、今日こそ訪れることにしよう。意気揚々と隣で寝ている知人を起こし、「あの『飲めばいいじゃん!』の店に食べに行こう」誘ってみたけれど、「仕事があるから無理だよ」とあっさりフラレてしまった。
11時過ぎにアパートを出て、一人で鎌倉を目指す。東海道線はガラガラだったのに、大船から横須賀線に乗り換えるとものすごく混んでいる。「どうか海水浴客でありますように」と願いつつ鎌倉駅で降りてみると、駅前は人で溢れていて、小町通りも大賑わいだ。そしてほとんどがカップルか家族連れである。目当ての店である「秋本」の前にも、大勢の人が入店を待っていた。
受付に名前を書いておいて待つスタイルらしい(なので、先着順に行列ができているわけではなく、めいめいが椅子に座って待っている)。それならばと名前だけ書いておいて近くを散策でもしようかと思っていたけれど、店員さんが定期的に名前を呼び、ちゃんと並んでいるかを確認しているらしかった(離れていた人はキャンセルと見做される)。待っているお客さんは20組近くいるようなので迷ったが、他の店のことは何も調べてこなかったので、僕も並ぶことに決めた。
パソコンを広げてイタリア日記を書くこと1時間半、15時近くになってようやく入店することができた。オーダーストップになる前に入れてホッとする。ミニしらす丼と野菜の天ぷらのセット、それに湘南ビールを注文する。湘南ビールは料理を待っているあいだに飲み干してしまったので、料理は日本酒を飲みつついただく。しらす丼は、しらすの丼であった。食事を終えたところで、せめて大仏でも見物して帰るかと思ったが、雨が降り始めてしまった。なんだか面倒になってしまって、結局そのまま東京に引き返すことにする。
17時過ぎ、高田馬場には戻らず、高円寺へ。駅前の「上島珈琲店」で2時間半ほどイタリア日記を書いたのち、「コクテイル」。こうして毎晩飲み歩いている側からすると、「お盆の東京もあまり変わらないな」なんて思ってしまうけれど、酒場を営んでいるKさんからすると、やはりお盆は世の中の動きが止まっているように感じるという。外で飲もうって人はいつもより少ないのでは、と。なるほど。ビールを2杯飲んで、店内で流れていた世田谷ピンポンズのアルバムと一緒に会計をしてもらって店を出た。
8月17日
朝8時に起きる。冷房をつけているのかと思うほど涼しく、知人は「夏が終わってもうた」とつぶやいている。今年も夏らしいことはしなかったな。昼、オクラと納豆入りうどん。先週、『PON!』で栗原はるみが紹介しているのを見て、これなら簡単そうだとよく作っている。食べながら、昨日買ってきた『すばる』(9月号)を読む。巻頭の能年玲奈インタビュー読む。聞き手である中森明夫は、「インタビュー中に印象的な場面があった」として、こう記している。
(…)映画を観て、いや、もうホントに能年さんが和希としか見えなかった、それぐらい、憑依っていうんですか――と私が言う。すると「ひょうい?」と、ふいに彼女の表情が変わったのだ。
「私……(間)……あの……時々、そう言われるんですけど、私自身はすごく台本を読み込んで、役を解釈していって組み立てているので、なんか、そういうふうに言われると、まだまだだな〜と思って……がんばらなきゃな……と思うんです」
この言葉を受けて、中森明夫は地の文で「きわめてクレバーな女優」「『憑依』なんて安直な言葉を使った自身を、私は恥じた」と書く。僕は演技プランを組み立てて演じる女優のほうがクレバーだとも思わないけれど、そう語っているのなら、その内容が読みたかったという気がする。しかし、中森明夫は「失礼しました」と口にするものの、「だけど、それだけじゃない」「見る側としては、どうしても特別な才能を感じるんです」と食い下がる。そこからの流れは、はて、という気持ちで読んだ。
午後、イタリア日記を書く。夕方になって自転車で出かける。こまばアゴラ劇場にて知人と合流し、範宙遊泳『インザマッド(ただし太陽の下)』観劇。上演時間は70分と短めだが、そんなに短い時間であるとは思えない観劇。舞台写真を撮るときれいに写るだろうなと思いながら眺めていた。新宿、靖国通り、アルタ前、あるいは渋谷の写真、ひょっとしたら「日本」という固有名詞すらなくても良かったのではないかという気さえする。もっと遠いところに飛んで行けそうな気配を感じる台詞が一箇所あったので、終演後に表で売っていた戯曲を買った。値段は千円である。高い、と思ったが、製本されているように見えたので購入した。
渋谷まで歩き、知人と二人、もつ鍋屋に入る。劇中に「ヘルシーだけどスタミナ付く感じがいいな」という台詞が出きたり、九州出身でもないくせにキャラ付けのために「よかばい」と話したりする女が登場するので、もつ鍋を選んだのだ(が、今戯曲を確認すると、「九州出身でもないくせキャラ付けなのか熊本弁を多用」とある。馬刺しとかにすればよかったかもしれない)。センター街の奥のほうにある店だが、お盆休みの最終日とあってか、広々とした空間に数組しかお客さんがいなかった。
ノンアルコールビールを2本注文して乾杯し、買ったばかりの戯曲を開いてみる。と、それは製本されているのではなく、コピーを裁断し、公演のチラシで挟んだだけという仕上がりだ。物販が混雑していて、見本を確認するのを面倒くさがった自分も悪いけれど、これで千円というのはさすがに、とガックリくる。もつ鍋の〆はちゃんぽんを入れた。
電車で帰る知人と別れ、必死こいて自転車こいで高田馬場に戻ると、知人とほぼ同時にアパートにたどり着いた。自転車こぐのにも慣れてきて、渋谷くらいなら電車と同じくらいの時間で行けるようになってきた。前は「近い」と感じる範囲は新宿までだったけれど、今なら渋谷も「近い」と感じる。こうして少しずつ距離が伸びていき、実家のある広島くらいまで「近い」と感じるようになればいいのに。
8月18日
9時過ぎに起きる。DVDレコーダーは日本テレビを録画し続けている。今日は来期から始まるドラマ「地獄先生ぬ〜べ〜」の番宣で、関ジャニ∞の丸山隆平が出ずっぱりなのだ(録画予約したのは僕ではなく知人)。音量はゼロにして、いろんな番組で奮闘するマルの姿だけ眺めつつ、『S!』誌のテープ起こしに取りかかる。いつもならあらかじめアタリをつけ、その週の構成に必要そうな箇所だけを起こすのだけれども、今回はどう振り分けるかが難しいこともあるので、全部起こすことにする。対談の中で「テープ起こしにも上手/下手がある」という話にもなっているので、緊張する。
今日は飲み会がある。とても楽しみではあるけれど、少し緊張する。そういうときはつい飲み過ぎてしまうことが多い。酔っ払い過ぎないように、ホッピーをうすーく割ってチビチビ飲んで過ごすつもりでいたけれど、お店のサイトを確認すると少しオシャレな雰囲気で、ホッピーなどどこにも載っていない。僕一人だけカパカパ飲んでお会計が釣り上がってしまうのは申し訳ない(といって「僕だけ飲んだから多めに出しますよ」と言い出しても微妙な空気になる気がする)。お店のサイトを眺めつつ、「まずはビール飲んで、次にモヒートを注文して……」とシュミレートしているうちに日が暮れていた。
19時50分にアパートを出る。椿坂を上がって目白に出て、線路脇の道を進んで池袋西口に出た。自転車をこいでいると、妙に懐かしい気持ちになってくる。一体なぜだろうと記憶をたどってみると、1年前の今日は「cocoon」の楽日で、その日も同じルートを自転車で走っていたのだった。約束の20時ちょうどにお店に入ると、まだ誰も来ていなかった。これはチャンスだと店員を呼んで、ワインをボトルで注文し、先にそのぶんだけ会計をしてもらった。これで安心だ。ホッとした気持ちで生ビールを注文し、皆がやってくるのを待つ。
今日はAさんとPのMさんのいる飲み会だ。編集者のAさんがこの飲み会をセッティングしたのだが、Mさん以外は女性ばかりになってしまい、そこで二人と面識のある僕も呼ばれることになったのだ(僕がMさんに「是非」と誘い、それでMさんがAさんの出る舞台を観にきてくれたということもある)。飲み会が始まると、「橋本さんは最近忙しいんですか」と訊ねられる。いや、全然忙しくないです、今日なんて夕方からずっと「何を飲もうか」とお店のサイトを眺めてましたよと口にすると、「さすがにそれは」と呆れられてしまった。
Aさんは明日、1ヵ月後にせまった舞台に向けてレコーディングをするという。その話から「Aさんが音痴だ」という話題になった。「でも、普段は音痴でも、舞台にあがるとすごい上手とかってことはないんですか」とMさん。たしかに、そんなことがあっても不思議じゃない気はする。役者の人が普段からハキハキしゃべるというわけではなく、ぼそぼそとしゃべる人だってたくさんいる。
ところで、今日の飲み会はカラオケ店の入ったビルで催されていた。「カラオケとかは行かないんですか」とMさんが訊ねると、「ほとんどいかないです」とAさんが答える。「カラオケに行ったのは、それこそ1年前です。あのとき橋本さんも一緒でしたよね」。1年前の今日、打ち上げが終わったあと、残っていた10人くらいで朝までカラオケに行ったのだ。
0時頃に会計を済ませて店を出る。会計はMさんがすべて払ってくれた(申し訳ない)。Mさんの荷物は財布と文庫本だけで、文庫本は『杳子・妻隠』だった。残った4人で別の店に移動して、杯を重ねる。僕はMさんに聞いてみたいことがあった。それは、自分の中でここがホームグラウンドだと思える場所はどこかということだ。自分にはあまり向いていない仕事があったとしても、この場所がある限り大丈夫だと思える場所はどこなのか、と。Mさんが答えてくれたその仕事は、しっかりチェックしようと思う。
8月19日
9時過ぎに起きる。ノンビリ身支度をして、11時過ぎに知人と一緒にアパートを出る。知人は仕事、僕はこれから帰省する。品川駅でシウマイ弁当を購入し、新幹線に乗車する。東海道新幹線に乗ることとシウマイ弁当を食べることは、ほとんどセットになってしまっている。お盆休みも終わり、Uターンラッシュもとっくに過ぎているので空いているだろうと思っていたけれど、自由席はほぼ満席だ。しかも家族連ればかり。お盆に休みを取れない人もたくさんいるのだなと、どこか肩身の狭い気持ちになりながらシウマイ弁当を食べた。
車内では『S!』誌の構成をしていた。新幹線に乗っているからだろうか、いつもの何倍も仕事がはかどる。名古屋から福山を走っているあいだに、1回ぶんの構成はほとんど終わってしまった。今日は調子が良いみたいだ。駅まで母親に迎えにきてもらって、17時過ぎに実家に到着。空間が広くてホッとする。いつもは実質的に4畳のワンルームに、知人とふたりで暮らしている。こうして広い空間に出るたび、あの狭さはダメだと痛感する。料理をする気も起こらないし、知人と頻繁に外で飲んでしまう原因の一つは、あの狭い空間だとくつろげないからではないかという気さえする。――というようなことは実家に帰るたびに思っていることだが、こうして田舎で暮らすのも悪くないかもなということが一瞬だけ頭に浮かび、それが頭に浮かんだことに驚いてしまった。今までそんなことを思ったことは一度もなかった。
18時、夕食。肉じゃが、茄子とオクラの煮浸し、ササミとちくわの何か、カレイの煮付け。豪華なのは、最初の予定では「昨日帰る」と伝えてしまっていたので、2日ぶんの食事が並んでいるからだ。テレビではNHKのローカルニュースをやっている。しまなみ海道にある某旅館が、ハローワークに日本人の求人を出しても応募がないので、中国人の採用に踏み切ったのだという。そうして働き始めた中国人の女の子の奮闘ぶりを伝えている。
テレビには、お客さんに出す料理をおぼえる様子や、「ふすまを開け閉めするときは、キチンと座ってやるように」と注意される様子が映し出される。彼女は中国の大学を出て、大学で学んだ日本語を活かせる仕事に就きたいと思っていたのだそうだ。それを眺めながら、「大学を出たのに、この仕事なのか」と思っている自分に気づき、愕然とする。自分だって大学で学んだこととはまったく関係のないことをやって日々生きているのに、何を考えているのだろう。
ところで、よく言われる話として、「中国人は面子を重んじるので、他人の前で怒ってはいけない」ということがある。ざっくり言えば国民性ということになるのかもしれないが、その「中国人」という感覚はどこで培われるのだろうなあ。そこで取り上げられていた女の子は最初、ふすまを閉めるとき、立ったまま後ろ手にパーン!と閉めていた。僕は中国人の友達がいないので、これが中国人としては普通の感覚なのかどうかはわからないけれど、でも、日本人の多くは「おお、大雑把に閉めたな」と感じるかもしれない。その感覚は、一体何によって培われているのだろう。
食後、部屋に戻って『S!』誌の構成を再開する。1回ぶんは新幹線の中で完成させているので、もう1回ぶんに取りかかる。22時近くになってそちらも完成。1日のうちに2回ぶん完成させたのは初めてかもしれない。今回の構成は、この連載のルールを破っている箇所がある。読者は何とも思わないかもしれないけれど、そのことを怒られないかと、少し緊張しつつ送信した。
クルマでコンビニに出かけて、ノンアルコールビールを3本購入し、風呂上がりに飲んだ。最近ようやく気づいたのだが、仕事がはかどらないのは毎晩飲んだくれているせいだ。もちろん効率のいい人であれば「昼はバリバリ仕事をして、夜はじゃんじゃか飲む」というサイクルで問題ないのだろうけれど、僕は仕事の代謝が悪いのだ。ただ、まったく飲まないのも口が寂しいので、ノンアルコールビールを飲んでいる。大して味の違いがわからないので、これでも酔っ払えそうな気さえする。そうなると飲み会でもノンアルコールビールで平気なのかもしれないが、居酒屋だと生ビールとほとんど値段が変わらないのだ。もっと安くなればいいのにと願いつつ、25時頃までイタリア日記を書き綴る。
8月20日
朝9時に起きると、知人から「広島が大変なことになってるね」とメールが届いている。何のことかと居間におりてみると、テレビはずっと土砂災害のニュースをやっている。同じ広島でも、うちのあたりはほとんど雨が降らなかったのに、こんなに大変なことになっているとは。昨晩は変な天気ではあったのだ。雨は降らないし、ゴロゴロと音も鳴らないのに、ずっと空がピカピカと光り続けていた。
昼、テイクアウトしてきたお好み焼きを食す。うまい。たぶんこれを別の街にいる友達に食べさせても「何がうまいのか」という顔をするだろうが、うまいのだ。午後はイタリア日記を書いていた。夕方、気分転換に少し散歩をした。小さい頃に何度も歩いた、小学校へと続く通学路を歩いていくと、母校では解体工事が始まっていた。
帰宅後、何となくネットを眺めていると、少し前に書いたインタビュー記事がアップされているのを発見する。おお、アップされていたのかと早速読んでみると、結構な割合で書き換えられており、そっと画面を閉じる。もちろんインタビューをした相手の発言が変わっていることは当たり前のことなのだが、そのあいだに書いた地の文が大幅に変更されている。大幅に省略されたところもあれば、僕が使わなかった単語に変更された箇所もある。やるせない気持ち。書き換えるなら連絡をしてくれれば済む話なのに。
18時、夕食。ハンバーグとかぼちゃの煮付け。どちらも昔からよく食卓にのぼっていた料理だが、ハンバーグは少し味が変わっている。聞けば塩麹を入れるようになったのだという。夕食後もイタリア日記を書く。あまり捗らなかった。この宿題を夏休みのうちに完成させることができるだろうか。21時まで待って、ビールテイスト飲料を飲み始める。ホップの味わいなのか、少しだけ酔っ払ったような気持ちになるから不思議だ。今日は3本飲んだ。0時半まで日記を書いて、眠りにつく。