マーム同行記1日目

 子供の頃から、台風の日は心がざわついていた。朝、テレビをつけると台風中継をやっている。ちょうど静岡に上陸したところだという。数日前から「今年最強クラス」と注意が呼びかけられていただけあって、もう既に関東にもその影響は出始めているようだ。各地で発令された警報が次々とテロップで表示されてゆく。お台場で風に飛ばされそうになっている人。東京駅で電車を待つ人――その上には「午前中に東京駅を発車する電車はなし」との文字が表示されている。今日は旅立ちの日だ。そのせいか、余計に心がざわつく。不安と期待が入り混じった、何とも言えない気持ちでいる。

 念のために、成田空港のウェブサイトを確認してみる。成田空港を発着する飛行機は、午前の便は欠航や遅延が相次いでいるものの、僕たちが搭乗するトルコ航空053便は22時過ぎの便とあって滞りなく出発するらしかった。台風はと言えば、あっという間に関東地方を通過して、正午頃には台風一過としか言いようのない青空が広がり始めていた。

 17時、高田馬場にある「コットンクラブ」で知人と落ち合い、ビールで乾杯。これから40日間ははなればなれだ。100リットルのスーツケースを指して、私の入るスペースはないのかと知人は寂しそうに言う。知人は今日が誕生日だ。ビールを1杯飲み干したところで店を出て、駅のホームで別れた。別れの言葉は「保険に入っといてね」だった。

 成田空港へと向かうイブニングライナーに乗車すると、いよいよ旅に出るのだという気がしてくる。出かける前にと、いくつかツイートをする。

 今は京成線の中にいて、あと数時間でボスニアへ向けて旅立ちます。前回のイタリア公演のことは1年以上かけて文字にしましたが、今回は日々、リアルタイムで日記を書き続けようと思っています。

 1年前のドキュメントは、マームとジプシーのドキュメントとしては中身のあるものになったと自負していますが、メンバーとはさほど話したこともなかったせいか、一人一人に迫ることができたとは言い切れないところがあります。今回は1ヶ月にわたる旅なので、そのあたりも書き留められたら、と。

 あと、海外公演というのは、日本にいると見えないものになってしまいます。それはとてももったいないことだと思うので、せっかくくっついて行くのだから、その公演を、その旅を、日本にいる人にも、まるで近くで見ているように伝えられればと思っています。

 今回ツアーをする「てんとてん」という作品は、凱旋公演の予定はないようなので、あまりネタバレみたいなことを気にする必要もないだろうし……。色々緊張してもいるけど、楽しみだ。とにかく、今回は前みたいに失くし物をして迷惑をかけないようにしたいです。

 そんなことをつぶやいているうちに、イブニングライナーは成田空港第一ターミナルに到着した。集合時間の20時まであと45分もあるので、さすがに一番乗りだろう――そんなことを考えながら、集合場所である南ウイングJカウンターに向かうと、遠くで手を振っている人の姿が見えた。目を凝らしてみると荻原さんだ。19時頃には到着していたという。

「これからしばらく日本に戻れないですけど、今日は何してたんですか?」と訊ねてみる。
「今日はでも、飛行機のチケットを手配したり、宿を予約したりしてるうちに終わっちゃいました」と荻原さん。今回のツアーで、荻原さんは皆より少し延泊するのだ。

 こうして空港に到着してしまうと、やり残したことがたくさんあるような気がしてくる。あの仕事を片づけてから旅立ちたかった。最近お気に入りのクラフトビールの店に行っておきたかった。しばらく飲めないのだから日本酒を飲んでおきたかった。日本酒を飲むのであれば、寿司も食べておきたかった――思い浮かぶことの8割くらいが食のことだ。

 三々五々に皆が集まってくる。ぽつぽつ揃い始めたところで、向こうから手を振って歩いてくる姿が見えた。遅れて合流予定の制作・林さんだけでなく、『小指の思い出』に出演している石井亮介さんや斎藤章子さんもいる。皆でレンタカーに乗って一緒に来たのだという。驚いたのは、zAkさんの姿もあること。数日前、『小指の思い出』の楽屋で「俺も見送りに行こうかな」なんて話していたけれど、本当に来てくれるとは思わなかった。少し遅れて、同じく『小指の思い出』に出演している青柳いづみさんと小泉まきさんも駆けつけてくれた。今日は『小指の思い出』休演日だ。「飴屋さんも来るって言ってたんだけど、出発が早まったから来れないみたい」と青柳さんが言う。今日のフライトは、予定より30分早まったのだ。

 藤田さんの姿はまだないけれど、あとの皆は揃ったので“パスポート返還の儀”が始まる。ビザ申請のために集めていたパスポートを各自に返還し、イー・チケットを手渡し、ボスニアの資料と保険の書類が配られていく。

 旅のしおりを読んで現地の言葉を練習したり、パッキングし直したりしている皆の姿を見ていたzAkさんが「修学旅行みたいやな」とつぶやく。「修学旅行ですよ、本当に」と隣にいた林さんが言う。「門田さん、時間守らなかったりする人がいたら、容赦なく言ってやってください」。門田さんというのは、今回ツアーマネージャーを担当してくれる女性だ。

「尾野島さん、太ったんじゃない?」と斎藤章子さんが尾野島さんに話しかけている。
「ちょっとね。京都で散々遊んできたから」と尾野島さん。
「たくさん食べてきた?」
「食べてきた。ちょっと、ボスニアについて調べてたら、色々不安になっちゃって」

 ボスニア・ヘルツェゴビナの治安について調べていると、たしかに気がかりな情報が多々出てくる。もちろん内戦は何年も前に終結しているのだが、日本と同じ気持ちで街を歩くのは危険だ(これはすべての国に当てはまることかもしれないが)。大使館の人が知らせてくれた情報にも、最近、日本人観光客を狙ったピストル強盗が起きたとの情報が記されていた。サラエボは、一体どんな街なのだろう。どんな旅が待っているのだろう。

 実子さんは、受け取ったばかりのパスポートを、腹巻きのようになっているパスポートケースにすぐに仕舞っている。ピストル強盗の話を聞いて、急遽購入したのだという。ふと別のほうに目を向けると、聡子さんやzAkさんがスーツケースの前で黄色のスプレー缶を手に何かやろうとしている。スーツケースには「MUM&GYPSY」と切り抜かれた紙がのっけてある。スプレーを吹き付けて、他の荷物と判別しやすくしようとしているようだ。すぐには乾かなそうだということで結局吹き付けないでおいたけれど、できることなら僕のスーツケースにもその文字をつけたかった。

 20時20分、準備の整った人からDカウンターに移動する。トルコ航空の受付には長い列が出来ていた。20分ほど並んだ頃、誰かが「あ、来た」とつぶやく。後ろを振り返ってみると、通路を藤田さんが歩いている。「あの子、寝る気満々だよ」と誰かが言った通り、寝心地の良さそうな格好をしている。

 25分ほど並んでようやくカウンターにたどり着く。航空会社の女性はずっと「サラエボ」ではなく「サラジェボ」と言っていた。僕たちはまずイスタンブール行きの飛行機に乗り、そこでトランジットをしてサラジェボを目指す。

「へえーえ。イスタンブール、いいなー」と青柳さん。
「いや、トランジットするだけでしょ」と石井さん。
「トルコはサバサンドってのが美味しいらしいですよ」と青柳さん。
「ああ、それ聞いたことあります。着いたらちょっと探してみよう」と僕。

 そんな雑談をしているとき、青柳さんは唐突に「橋本さん、皆のこと、よろしくお願いします」と言った。もちろんそれは、“皆のお世話をよろしくお願いします”という意味ではなく――なぜなら迷惑をかけるのは失くし物ばかりする僕のほうだから――“皆のことを見届けてあげてください”ということだろう。

 皆のチェックイン手続きが終わると、フライト情報が表示されている掲示板の前に集合する。全員揃ったところで、林先生から注意があった。

「門田さんに迷惑をかけない! 一人で行動しない、必ず二人一組で行動すること! あと、二人だと早いんだけど、三人で行動すると遅くなる稽古にあるから、皆気をつけて!」
「あと、皆さんの常識が通用すると思わないように!」と植松さん。
「それと、橋本さんのお財布とiPhone、誰かまめにチェックしてあげて!」と林さんが付け加える。注意事項の伝達が終わると、皆で記念撮影をした。

 皆が保安検査場に向かう中、亜佑美さん、波佐谷さん、藤田さん、それに僕の4人は両替がまだだったので、両替所へと走る。僕も結構な額を両替したけれど、藤田さんも中々の額を両替している。「酒に不自由したくない」という藤田さんに共感をおぼえる。両替を終えて検査場に戻ると、まだ見送り隊は待ってくれていた。「じゃあねー」「頑張ってー」「気をつけてー」「いってらっしゃーい」。皆口々に見送ってくれる。藤田さんは皆――皆『小指の思い出』に携わるメンバーだ――に「よろしく」と言い残し、サラエボに向けて旅立った。これまでも驚異的なスピードで作品を発表し続けてきた藤田さんだが、作品を残して別の土地に旅立つというのはこれが初めてのことだ。

 21時35分に搭乗手続きが始まり、皆で飛行機に乗り込む。トルコ航空キャビンアテンダントは背が高くて、荷物を上げておく棚あたりに目線がある。「コンニチハ」「コンバンハ」と、乗客に挨拶してくれる。大半のメンバーは通路側の席を選んでいて、通路を挟んで縦にズラリとが並ぶ配置。隣が空席の人も多く、イスタンブールまでゆっくり過ごせそうでホッとした。

 予定を30分繰り上げて22時に飛び立つはずだったトルコ航空053便は、結局定刻より8分遅れて離陸した。ベルト着用サインが消えると、まずはおしぼりがトングで配られていく。顔を拭くのはみっともない気がして、後で消灯した頃に拭こうかとも思ったけれど、せっかくなので熱々のうちに顔を拭く。そそくさとおしぼりを丸めていると、すぐにおしぼりは回収されていった。早めに拭いておいてよかった。

 おしぼりをはじめとして、次々に“配給”があって少しせわしない。おしぼりの次に配られたのは謎のポーチで、開いてみるとリップクリームと歯磨きセット、耳栓、アイマスク、それに靴下みたいなのが入っている。次の“配給”は今日の献立だ。


海老のマリネ

とれたてリーフサラダ
スクランサラダ

主菜をお選びください。

鱈のグリル
ハーブバター/ブロッコリーチェリートマト
サフランリゾット

または

リガトーニ
トマトパルメザンソース/ズッキーニのソテー
ブロッコリーチェリートマト

――――

ベビーシュークリーム

いつでもお召し上がりいただけます。

チーズとツナサラダのサンドイッチ

または

フルーツケーキ
または
鮭おにぎり
または
梅おにぎり

着陸前

フルーツサラダ

各種チーズ

スクランブルエッグ
ハーブトマト/ブロッコリーとじゃがいものソテー

焼きたてパン各種
バター/ジャム

 メニューには飲み物も豊富に書かれている。ビールではなくスピリッツ――ジンとウォッカ――が最上段にあるのが不思議に見える(国際的には一般的なのだろうか?)。後ろの列に座っている熊木さんが「ちょっとずつ思い出してきた」とつぶやく。熊木さんとは列を挟んで隣にいる亜佑美さんも「ね、思い出すね」と言っている。たしかに、この雰囲気はどこか懐かしいところがある。

 主菜をどちらにするか、決めかねているうちに僕のところまでワゴンがやってきた。リガトーニは何かと訊ねてみると、「パスタですね。パスタにしますか?」とキャビンアテンダントの男性が言う。そうして何となくリガトーニを選んだけれど、リガトーニはトマトソースのパスタだった。サラダにも、そして海老のマリネにもトマトが入っている。トマト尽くしの機内食だ。しかし、機内食で「すごく美味しい!」と思った経験なんてないのに、毎回少し浮かれてしまうのはなぜだろう?

 飲み物はビールを選んだ。「TUBORG」という名前のビール。「COPENHAGEN」という文字があるから、コペンハーゲンのビールなのかもしれない(コペンハーゲンがどこなのかはよく知らない)。そろそろ飲み干そうかというところで、亜佑美さんが「橋本さん、ビールおいしい?」と訊ねてくる。特別おいしいともまずいとも思わず飲んでいたので、「いや、普通です」と答える。すると亜佑美さんは振り返り、「橋本さんは普通だって」と藤田さんに伝えている。そうか、藤田さんが「おいしい」と言うから僕にも訊かれたのだな。藤田さんは「え、まじっすか」と口にしている。おいしいと答えておけばよかったかもしれない。藤田さんは薄いビールのほうが好みだから、この「TUBORG」というビールがちょうどいいのだと話している。

 食後はコーヒーかお茶を選ぶことができた。僕はコーヒーを選ぶ。コーヒー豆をドリップしたというより、コーヒー豆を煮詰めたような味だ。不思議と落ち着く味をしている。ただ、ホッとする間もなく機内は消灯時間を迎えた。日本時間ではもう夜中の1時だけど、ボスニアの時間だとようやく日が暮れた頃だ。ここですぐに寝てしまうと時差ぼけになってしまうかもしれないと無駄な抵抗をしているうちに目が冴えてしまい、あまり眠ることができなかった。

 イスタンブールに到着したのは、現地時間で午前4時になろうとする頃のことだ。プップー、とどこか聞き覚えのある音があちこちで響いている。記憶を辿ってみると、それは『小指の思い出』に出てくる音だ。そうと知らずに最初轢かれそうになったけれど、この空港にはカート専用レーンがあり、カートが猛スピードで行き交っている。トランジットのゲートを抜けるとロビーに出る、この時間だと営業している店なんてないかと思っていたけれど、どの店もしっかり営業している。そして想像していたよりも広々とした空港だ。

 サラエボ行きの便は約1時間半後に搭乗開始予定だが、まだゲートが決まっていないらしかった。各自こまめに掲示板をチェックすることにして、一旦解散となる。僕はデジカメのカードリーダーが壊れていたことを思い出して、カメラやAV機器を売っている店に入ってみる。カメラのSDカードを取り出し、「カードリーダーが欲しい」と片言の英語で伝えてみるも、「ない」と一蹴されてしまった。おかしいなあ、SDカードやコンパクトフラッシュはいくつも販売しているのに。自力であちこち探してみると、まさに「CARD READER」と書かれた商品が棚に並んでいた。店員に「これはカードリーダーですよね?」と確認してみると、面倒くさそうに「そうだ」と返ってくる。新品とは思えないほど箱がぼろぼろになっているけれど、32ユーロ。奥のほうでは店員さんが商品を陳列していたのだけれど、段ボールを蹴り飛ばしながら運んでいる。

 深く考えないことにして、今度はサバサンドを売っていそうな店を探す。店員にカフェレストランのような店に入り、レジの向こうに立っている店員さんに「サバサンドはありますか」と訊ねてみる。発音を微妙に変えながら「サバサンド」と言ってみたけれど、「何を言っているのかわからない」と白い目で見られてしまう。サバサンドというのは日本語に翻訳された名前なのかもしれない。メニューを見せてくださいとお願いをして、サバサンド、サバサンドとカウンターの前に立ったままページをめくっていると、グラスを持った店員さんが僕の背中にぶつかってきて舌打ちをした。僕はすっかりしょぼくれた気持ちになって、そっとメニューを置いて店を出た。すぐ近くを亜佑美さん、荻原さん、実子さん、それに藤田さんが歩いていたので、あとはもう皆の後ろをついて歩くことにした。

 皆も入る店を見つけられなかったようで、早めに搭乗ゲートに集まることになる。302番ゲートの目の前にも売店があり、サンドウィッチやドリンクが並んでいる。ビールの柄が少しずつ違っていて可愛らしく、「今はまだ朝だから、飲まないようにしよう」と決めていたのに、つい手を伸ばしてしまう。1本16トルコリラだ。その会計を済ませようとしていると、サンドウィッチの中に「Turkey Sandwitch」と銘打ったサンドウィッチを見つけた。ベーコンにトマト、ピクルス、それにチェダーチーズの入ったサンドウィッチ(12.5トルコリラ)。これはこれで美味しかったけれど、あとで調べるとまったくの別物だった。

 「ボスニアに着いたら、まずは散策してみたい」と藤田さんが言う。「映像のネタも探したいし、普通に街を歩いてみたい」

 今回のボスニア公演の日程は、ボスニアに到着した7日がオフで、8日が小屋入りと仕込み、9日が仕込みとリハ、そして10日にはもう本番を迎えるタイトなスケジュールだ。

「その日程を考えると、なおさら7日に散策するしかないよね」と藤田さん。「よし、眠いけど頑張ろう! あとは食事をどうするかだよね。洗礼としてすごくまずいものを食いに行くか、すごくうまいものを食いに行くか――どっちかだよね。でも、うまいものはうまいもので洗礼だよね。これが上限ってことになっちゃうから」

 そんな話をしているうちにゲートが開いた。ぎゅうぎゅうのバスに揺られて飛行機まで移動しているうちに、一気に空が明るくなり、朝焼けに照らされながらボスニアに向けて飛び立った。