マーム同行記4日目

 今日もまた、朝8時半にホテルのロビーに集合する。バスのほうはほぼ時間通りにやってきたけれど、もう1台のクルマは遅れるらしかった。亜佑美さん、荻原さん、それに僕の3人はもう1台のクルマに乗ることにして、ホテルに残る。ホテルの隣にある売店はもう営業していたので、パンを購入する(0.4マルク=約30円)。さっそく齧りついていると、「橋本さん、そのパンどこで買ったの?」と亜佑美さんが言う。そこの売店でと答えると、「ここのホテルでも朝ごはん食べれるんだよ」と教えてくれる。

 朝食会場には、パンやハム、ゆで卵やフルーツが並んでいた。旅先だとフルーツを食べる機会は少ないので嬉しい。フルーツポンチを器によそって食べていると、「ハチミツがおいしいんだよ」と亜佑美さんが言う。スティックシュガーみたいにして、ハチミツが小分けの袋に入って置かれている。パンにつけて食べてみると、たしかにおいしい。日本のハチミツに比べると甘過ぎないし、風味も少し違っている。おいしいです、と食べていると、「これにチーズを載せるとね、もっと美味しいんだよ」とトングに挟んで持ってきてくれた。チーズの上からハチミツをかけようとすると、荻原さんが「あ、たぶん、塗り込んだほうがいいと思う」とアドバイスをしてくれる。オタオタしながら朝食を済ませた。

 結局、クルマは20分ほど遅れてやってきた。運転手さんはくたびれた様子で大変そう。

「こっちのクルマはさ、日本に比べてブレーキが急だよね」
「ね。あと、曲がるときも結構急だよね」

 亜佑美さんと荻原さんがそんな会話をしているけれど、たしかに、どの運転手も結構鋭い角度で道を曲がる。もう一つ驚いたのは、街中で縦列駐車をするとき、前後のクルマにガシガシとぶつけて、自分の駐車スペースを確保していること。トラブルにならないのが不思議だ。日本とはクルマの位置づけが違っていて、あくまで単なる移動手段としてだけ存在しているのかもしれない。

 9時過ぎに会場に到着する。ホワイトボードには今日のスケジュールが記してある。

9:00 House in {programing cue (light) /sound check}
13:00-14:00 lunch
14:00- rehearsal

 役者さんたちはまず小道具のセッティングを始める。最初に海外公演を行ったフィレンツェで購入した玩具もある。汽車の上にアルファベットが1文字ずつ乗った玩具で、それを組み合わせて「MUM AND GYPSY」という文字列になるよう、露店で作ってもらったのだ。よく見ると、「G」の文字だけ汽車から外れている。

「あれ? この文字って取り外しできたんですか?」
「違うの、“G”だけ失くしちゃって、かなやんが買ってくれたの」
「ほんとだ、よく見ると“G”だけ質感が微妙に違いますね」
「そう。ネットで探したらさ、まったく同じのが売ってたんだよ。でも、それは好きな文字は選べなくて、『HELLO』とか『LOVE』とか、決まった言葉のやつで――いくらだったと思います? 3千円とか4千円とかするんだよ? 『イタリア直輸入』って書いてたけど」
「物は言い様ですね」
「でもさ、『HELLO』にも『LOVE』にも“G”が入ってないからさ、かなやんが似たやつ探してくれたんです」

 小道具のセットが一段落したところで、役者の皆が集まって相談をしている。

「実子ちゃんが空くまで、実子ちゃんがいないシーンを合わせてみる?」実子さんは出演者でもあるけれど、『てんとてん』の映像を担当してもいるから、今はまだ仕込みの作業をやっている。
「うん、そうしよう」
「まずはアップだね。どこでアップしよう?」
「ロビーだと寒くない?」
「寒そうだね」
「でも、日が出てるし、段々暖かくなるんじゃない?」
「そうかもね」
「あそこはどう? レッドカーペットみたいになってるとこ」
「あ、そこでやる?」
「オッケー、そうしよう。じゃあ、一回楽屋開けるね」

 去年は僕があまり目を凝らしていなかったせいかもしれないけれど、なんだか去年とは雰囲気が違っている。去年、イタリアとチリに同行したときは、こんなふうに皆で少しずつ相談しながら何かをやっている時間には出くわさなかった気がする。

 10時、役者の皆が揃ってアップを始めた。聡子さんがマットを取り出すと、亜佑美さんが「いいなー、それ」とつぶやく。「ここ、さっき雑巾で拭いてたよね」
「すごい、漂白剤の匂いがする」
「アップするの久々だから、身体がかちかちだ」
「どうする? 皆でアップする?」
「どっちでもいいよ。聡子の動きを見て、何となくやるから、何も言わなくても大丈夫だよ」

 聡子さんは、『小指の思い出』の現場にもついていて、稽古前のアップと稽古後のクールダウンのとき、インストラクターの先生みたいにしてストレッチを教えていた。まだ公演の続く『小指の思い出』のために、アップの教則動画を残してきたという。

 皆がアップをしていると、中学生ぐらいの子供たちがガラスの向こうを次々と通り過ぎてゆく。アップをしている姿が珍しいのか、それとも日本人が珍しいのか、不思議そうに眺めたり笑ったり、手を振ってきたりする。子供たちに手を振り返しつつもアップを続けていると、実子さんがやってくる。グッタリと疲れた様子だ。

「実子、老けたな」と波佐谷さん。
「老けたなとか、言わないでよ。テンション下がるじゃん」
「フロジェクターがうまく行かないの?」と声をかけつつ、亜佑美さんは実子さんを抱きかかえている。
「所在がなくてさ。できることがないから」

 45分ほどでアップは終了した。会場ではサウンドチェックが行われていて、劇中で使用される音楽が漏れてくる。その音を耳にした瞬間、ああ、あの作品をまた観ることができるのか――そんな気持ちで胸が一杯になる。僕は何より、この作品をずっと観ていたくて、今回のツアーにも同行しようと決めたのだった。

 会場では音響と照明の仕込みが続けられているので、ロビーで稽古が始まるらしかった。

「11時ぐらいから合わせてみよっか」
「やる場所決める?」
「全部やってみるのは無理か」
「3時からの稽古は、全部の稽古になるんだよね?」
「そうだね。じゃあ、変更があった箇所だけやってみよう」

 皆はそう話し合って稽古を始めた。印象的なのは、この場に藤田さんがいないこと。役者の皆による自主稽古が始まると、ほどなくして藤田さんがロビーに出てきて、「俺もいていいの?」と聞いている。去年の海外ツアーでは、こんなふうにして演出家不在のまま稽古を始めるということは一度もなかった。そもそも、マームとジプシーとして、演出家の藤田さんのいないところで稽古をするということ自体、あり得なかったはずだ。それが、今回のツアーが始まる半月前の9月19日、役者さんたちが稽古場を借りて、初めての自主稽古が行われていた。

 藤田さんは少しのあいだ稽古を眺めていたけれど、ほどなくして会場の中に戻っていった。1時間ほどで自主稽古は終了。ちょうど12時でお昼どきで、皆で「ホテル・ボスニア」までランチに出かけることになった。

「やっぱ日差し強いよね」。タクシーを待つあいだ、階段に座って日差しを浴びながら藤田さんが言う。
「たしかに、すごい眩しい。真っ白に見える」と実子さん。さっきまで暗い空間の中で作業をしていたせいもあるだろうけれど、それを差し引いてもボスニアの日光は強く、眩しい。

 波佐谷さんの陰に入り、日差しをしのぐ角田さん。

 今日のランチは、いつもとは違う部屋に案内された。今日のメニューは、ボスニア1日目に食べた肉料理・チェバーピだ。悪くないけれど、こないだの店のほうがおいしく感じる。それにしてもビールが飲みたくなる味だ。

「頼めばいいんじゃないですか?」と聡子さんが言う。「橋本さん、今回はあんまりお酒飲めてないですもんね」

 しかし、これから稽古をする皆の前では、さすがにビールを飲むことはできない――そんなことを考えていると、「橋本さんって、アル中なんですか?」と聡子さんは言った。

 これがもし、バカにされているのであれば腹立たしく思うかもしれないけれど、何だろう、小さい子供に質問されているような真っすぐさを感じるので、答えに窮してしまう。街を歩いているときも、聡子さんは好奇心があふれているように見えて、眩しく見えるときがある。僕は最初、「アル中ってことはないと思います」と答えたけれど、チェバーピをひと口食べるたびに「ビールがあれば……」と思ってしまっている自分に気づき、あとになって「やっぱりそうかもしれないです」と答え直した。

 食事を終えて会場に戻ると、衣装に着替えて14時半に集合となる。そこから10分ほど経ったところで、いよいよリハーサルが始まる。

「一回ハケて、出てくるところからやってみよう。で、好きな順で出てきていいよ」

 その言葉も、意外に感じられた。去年のツアーでは、出てくる順番もすべて細かく指示が出されていた。それを「好きな順で出てきていいよ」となったのは、別にいい加減になってしまったということではないだろう。

 リハーサルは冒頭のシーンから進められていく。8月5日に行われた一夜限りの公演や、その後急な坂スタジオや彩の国さいたま芸術劇場で行われた公開稽古と比べて、変更が加えられている――冒頭のシーンに登場する台詞が大幅に削られて、この作品の核心みたいなものに到達するまでの時間が短くなっている。海外で上演するということを改めて考慮に入れて、台詞を削ったのだろう。

 冒頭のシーンを何度か繰り返したところで、稽古を中断して藤田さんが話を始める。

「ちょっと、滑舌のことが気になるんだよね。音として聴こえてはいるんだけど、この会場は反響が大きいから、言葉の一つ一つが全然聴こえないんだ。最初の1音目が声として全部つぶれてるから、全然聴き取れなくて。今の状態だと、『聴こえなくてもいい』って感じで声を出されてるように感じちゃうんだよ。普通に日本人として聞いててもそう感じるから、滑舌をやけに良くしていかないと駄目かもしれない」

 そんなふうに感じるのは、今日も日本で上演されている『小指の思い出』の経験が大きいのだと思う。『小指』はマイクをつけているとはいえ、800人を超す規模の会場でも音を届けることができるのだということを経験したことは――たとえば、その規模でも明朗に耳に飛び込んでくる松重さんの声に触れたことは――藤田さんの“音”に対する意識に変化を生んだのかもしれない。

「あとさ、たとえばあっちゃんが『私たちはあやちゃんの味方だよ』って言うシーンがあるじゃん。そこが今、『あやちゃんの味方』って捉え方になってるけど、厳密に言えば『あやちゃんの、味方』なんだよ。これは別にあっちゃんだけの話じゃなくて、全員に言えることで。たとえば尾野島さんとかも、『お金の相談』っていう一つの名詞みたいにして言ってるから、そうすると『相談』って言葉が流れちゃうんだよね。『お金の相談』じゃなくて、『お金の、相談』――ちゃんと言葉を区切って話して欲しい。それは、日本語がわからない人たちに見せてるからとかってことじゃなくて、そういう日本語のテンポが当てはまるように作ってあるから、それをちゃんと意識してやってくれたほうがよくて。そういう、曲と言葉のテンポが合ってるみたいなことは、日本人より外国の人のほうが伝わると思うから」

 ところで、昨日も書いたように、今回のステージは客席が並べられる場所よりも1メートルくらい高い位置にある。講堂みたいなスペースだから、この高さを――本来舞台として想定されている場所を無視して上演することだって可能だったはずだけれども、今回はこの場所の地形に沿うように上演される。基本的には舞台上で演じられるのだけれども、この高低差も利用して、客席と同じ高さで演じられるシーンもある。その変更は、この土地に来て初めて加えられた変更だから、役者の皆も少し混乱しているようだ。土地に沿うということは中々に大変な作業で、何度も繰り返し稽古が行われていく。

「ちょっと、集中して。鬱陶しいから、そういうの」――何度も同じシーンで躓いていると、藤田さんが苛立たしそうにそう口にした。「段取りが増えてることによって大変なのはわかるんだけど、スタートが全部1、2秒遅いんだ。ちょっと、ほんと頑張って」

 稽古が始まって5時間が経とうとしたところで、熊木さんがアナウンスを入れた。

「それでは、スケジュールの変更をさせてください。今、19時半なんですけども、ちょっとここでスタッフの大幅な修正作業を入れたくて、今日のリハーサルはこれで終わりにしたいと思います。退館時間までは1時間半あるので、残りの時間は自由にお使いください」

 修正が必要な作業の一つは字幕だ。ボスニア公演では、英語とボスニア語の字幕が表示される。ボスニア語の字幕は、日本で英訳しておいたテキストを、もう一度ボスニア語へと翻訳してもらっている。ただ、英語に翻訳した時点で、日本語のテキストが持っていたニュアンスがどうしてもこぼれ落ちてしまうところがある。それに、タイダさんにチェックしてもらうと、ボスニア語としては固いところが多々あるようで、逐一修正が加えられていく。

 この日の稽古では一度も字幕は表示されることはなかった。本来なら届いているはずの字幕を映写するプロジェクターが、「別の公演に必要だから」という理由で、まだ届いていないのだ。

 スタッフの皆が修正作業をしているあいだ、舞台では稽古着に着替えた役者の皆が自主稽古を行っていた。公演の本番を最前列で観るわけにも行かないし、稽古のときも藤田さんより前で観るわけにもいかないけれど、自主稽古なら許されるのではないか――そう思って、最前列に並べられた椅子に腰掛け、稽古の行方を見守った。