マーム同行記7日目

 朝10時、「ホテル・ボスニア」に出かける。ロビーには既に聡子さん、藤田さん、門田さんがいた。

「橋本さん、昨日ちゃんと帰れました?」

「帰れました、帰れました。何でですか?」

「橋本さん、昨日めっちゃふらついてたじゃないですか。なのに、橋本さんが帰ったあとで、まるまるが『あれは酔ってるフリだよ』とか言ってたんですよ。あんなにラキヤを飲んでた橋本さんに対してそんなことを言い放つまるまるって何なんだろう」

「そうやって『酔ってるフリだよ』と言ってる人のぶんのラキヤを飲んだのは僕なんですけどね」――そう答えながらも、やはり荻原さんは鋭いなと思う。どうせなら酔っ払ったほうが楽しいだろうと思って酔っているときが、時々ある。もうヨッパライというキャラクターになることで、気兼ねなく過ごそうとしているときがあるのだ(ただ、酒を飲んでいないときはそんな考えに至らないから、酔ったフリをしてみようなんて考えた時点で既に酔っているとも言えるのだが)。そうか、そんなふうに言われていたのかと思うと、自分の動きがぎこちなくなってくる。

 ほどなくしてタイダさんもやってきて、5人でホテルを出た。今日はマームとジプシーも参加したフェスティバル「MESS」の記者会見があるのだ。会場に行ってみると、ごく普通のカフェだ。終演後にミーティング・ポイントとして使われているバーというのもこの店のようだ。

 カフェでは「MESS」の広報担当が出迎えてくれた。奥にはカメラとマイクがセットされている。その後ろには「MESS presso」の文字。エスプレッソを飲みながら「MESS」で上演された作品について語るという意味と、「press」という言葉と、いくつかの意味が重ねられた名前になっている。

 コーヒーを注文して待っていると、すぐに声がかかり、右から順に、聡子さんと藤田さん、それに通訳としてタイダさんがソファに座った。その横にインタビュアーの女性が腰掛け、「ようこそ、ボスニアへ」と挨拶をして記者会見が始まった。門田さんと僕で、その様子を見守る。


――まずはこの作品のテーマについて聞かせてもらえますか?

藤田 えっと、海外で公演するのは去年が初めてだったんですけど、日本の問題と社会的な問題みたいなことをあえてこういうふうに並べてみたときに、海外の人たちに思ってもらえるかなってことでこの作品を作りました。

――(聡子さんに)自分の役について、少しコメントをいただけますか?

聡子 役の名前は私のほんとの名前なんですけど――私はああいう子じゃないし、あの年齢じゃないし、やっぱり演技はしてるんですけど――藤田さんは役者さん一人一人に対して藤田さんは書くんですね。まったく違うところからイメージしてキャラクターを作るというより、役者さん一人一人の持っているものからチョイスして一つのキャラクターができていくので、演技はするんですけど、私としてしゃべることも多くて。この作品は去年からやっている作品で、この作品の“さとこ”と付き合ってはいるんですけど、去年とは違う“さとこ”と向き合ってるなっていう印象はありますね。

――日本はとても遠い国なので、ボスニアにいるとどんな状況にあるのかわからないところもあります。日本にいる藤田さんと同じ年代のディレクターはどんな活動をやっていますか?

藤田 とにかく、東京はものすごく演劇が活発で、演劇をやってないときはないですね。僕は20代ですけど、20代の演出家なんて相当いて、たくさんいて、東京にいるとどの劇場で上演できるかってことで競争は激しいですね。

――藤田さんは少し前に、すごく大事な賞を受賞されましたよね。そんな偉大なディレクターに来ていただけてとても嬉しいです。

藤田 いや、全然――ただ本当に、僕が一番面白いです。僕が日本の演劇界で一番面白い演劇を作ってると思ってるから、皆さんにとっても幸せなことだし、僕にとっても幸せなことだなと思ってますね。

 隣で聞いていた聡子さんは「またこんなこと言ってるよ」といった顔をしている。僕は演劇界のことに詳しくないけれど――藤田さんがまたあえて挑発的に言うからカドの立つ言葉に聞こえるけれど、「自分の作品が一番面白い」と思っていない演出家なんているのだろうか(「これが一番面白い」と思えないものをわざわざ客に見せようとする人はいないだろう)。

――演劇の中で、すごくリピテーション(反復)が多いですね。なぜ藤田さんはあんなに繰り返すんですか?

藤田 僕の演劇の特徴としては、繰り返すってことをずっとやっていて。じゃあ何でそんなに繰り返すのかっていうと、一つは記憶っていうことを扱っているからですね。一つの悲劇があるとして、人ってその悲劇のことを頭の中で繰り返し繰り返し思い出すじゃないですか。そのことをまずやろうと思ってる。

 で、そうやって繰り返すことによって最初にそのシーンを観た印象と2回目に観た印象って、まったく同じことをやられていたとしても、観ている人からすると変わっていきますよね。そうやって何回か観ることによって、一回観ただけじゃわかんなかったことを頭で考えるようになるってことを、したい。

 20分ほどで記者会見は終了した。藤田さんは緊張から解放されてホッとした様子。

「でも、『偉大な演出家』とか言われると、普通にキョドっちゃうんだけど。別に偉大ではないし(笑)。なんか、チリのときにも感じたけど、『ボスニアに来てくれるなんて』みたいな感じじゃなかったですか?」

 たぶんへりくだってくれているだけではないかと思うけれど、ボスニアの国民性がわかると言えるほど、僕はこの国のことを知っているわけでもない。ただ、チリのときは街を歩いていると「おい、日本人だぜ」という視線を感じる機会が多かったけれど、ボスニアではそれを感じることはそう多くない。

 そんな話をすると、「でも僕、4回ぐらい絡まれてますよ」と藤田さんは言った。「街を歩いてるとき、僕が先頭を歩くことが多いから、結構絡まれてます。なんかちょっと、伊達(藤田さんの出身地)に似てる。僕は全然ヤンキーとかじゃなかったんですけど、すごいヤンキーに絡まれてたんですよ。汽車に乗ってただ吊り革をつかんでるだけなのに、ボッコボコにされかけたことがあって(笑)。ああいうことがあると、人の目を見れなくなる。今回の作品で、波佐谷さんが『何見てんだよ!」っていう台詞があるじゃないですか。あの言葉が冗談抜きで怖い。いまだに理解できないんですよ、それだけでキレられるの。結構ジロジロ見ちゃうのかな」

 藤田さんの通っていた学校には、わりとヤンキーがいたらしく、卒業式のときに卒業証書を燃やした同級生もいたという。卒業証書を燃やした彼はは皆でツルんでいて、後輩にタバコをすすめたりするタイプのヤンキーだった。その彼は、卒業式のあとにボコボコにされたという。そいつをボコボコにしたのは、藤田さんの幼馴染だ。彼はヤンキーではないけれど、身体能力が高過ぎるがゆえにヤンキー達も彼には従っていた。ケンカも強いし、自転車で原付を追い抜いたこともあるという。

「でも、そんな感じなのに、チャリ漕ぎながらベタにゆずとか歌うんですよ。意外と音楽の趣味が可愛かったんですよね。でも、そのことを誰も馬鹿にできない感じが面白かった。その同級生のおかしさを皆知ってるんですよ。でも、すごい地獄耳だから、ちょっとでも陰口とかするとボコボコにされるんです。だから絶対悪口は言えないんだけど、コイツの面白さを俺は誰より知ってる――波佐谷さんのキャラクターでも、それを描きたいんですよね」

 話しているうちに12時になったので、そろそろナショナル・シアターに移動する。劇場の3階にあるミーティング・ルームで、まずはフェスティバルのスタッフと打ち合わせが始まった。今日と明日の2日間、フェスティバルの関連プログラムとして、マームとジプシーによるワークショップが開催されるのだ。

 今回行われるワークショップは、「まいにちを朗読する」と題してマームとジプシーがこれまでいろんな土地で行ってきたワークショップだ。今回のワークショップは22人、学生、プロの俳優、映画監督と、いろんな職業の人が参加するそうだ。ボスニア人が一番多いけれど、シンガポールポーランドイングランドマケドニアの人もいる。

「このワークショップは、とにかく『地図を作る』ってことをやりたいんですよね。僕が参加者に『今日はどこで起きて、どうやってここまで来たのか』ってことをインタビューをしていくんだけど、それがそのまま作品になるってことをやりたくて。韓国でやったときはすごい時間かかっちゃったから、聞きたいことを絞ったほうがいいんだと思う。あと、最初から一人一人に対して密に聞いてっちゃうと時間が足らなくなるから、ガーッと次々に聞いてったほうがいい気がする」

 地図を作るというのは、紙に描くのではなく、床に白いテープで描いてゆく。参加者が地図を作るために、参加者がやってくる前にナショナル・シアターの点を作っておく。

「今日来てくれる人たちの共通点は、『今ここでワークショップしてるよね』ってことだよね。そのことだけが共通点だってことを最初に伝えて、今日はどこで起きたのかってことを皆に聞いてきたいね」

「東西南北とかは決めない? それか、川を決める?」――ナショナル・シアターのすぐ隣には、川が流れている。サラエボ市内を東から西へまっすぐ流れている川だ。サラエボ事件の舞台となったラテン橋も、この川に掛けられた橋だ。

「そうだね、川だけ決めちゃおうか。川とナショナル・シアターだけ先に作っとこう」

 準備をすすめていると、参加者がぽつぽつ集まってくる。女性の参加者が多く、男性は3人だけだ。そして、ほぼ全員が稽古着姿で、ストレッチをして身体を整えている。今回のワークショップは、特に俳優の訓練をするわけではないだけに、参加者の皆が楽しんでくれるだろうかと少し不安な気持ち。 

 13時、ワークショップが始まった。「こんにちはー!」と、ハキハキとほがらかに藤田さんが挨拶をする。「藤田貴大です。今日から2日間、よろしくお願いします。このワークショップでは、明日の3時の発表会に向けて、皆で一つの作品を作ろうと思います。まずは皆さんにどんどんインタビューしていきます。そのインタビューがそのまま作品になっていくので、皆さんよろしくお願いします。あ、でも、インタビューの内容は難しくないので、安心してください。すごいシンプルな質問です。いわゆる俳優の訓練をするワークショップではないんですけど、僕と一緒に作品を作ることで『こういう演劇もあるんだ』ってことを味わっていただければと思います」


 さっそく、藤田さんが順に「今朝どこで起きましたか?」という質問を一人一人にしていく。ノリノリで答える人もいれば、少し照れくさそうに答える人もいる。「何だ、俳優の訓練じゃないのか」という顔をしている人も一部にいる。ただ、これまで何回もやってきたワークショップだけあって、現場のムードをどうやってコントロールかを意図的に考えながら、慣れた様子でワークショップは進められていく。



 名前と、起きた場所を答えてもらうと、まずはその点にテープを貼る。亜佑美さんと聡子さんがテープ係、実子さんは写真撮影係、荻原さんは書記係。尾野島さんと波佐谷さんは、現場のノリを盛り上げるサクラのような役として、参加者のあいだに紛れ込んで座っている。なるべく明るく、フレンドリーに接しなければいけないので、「お酒飲んどけばよかった」と尾野島さんはさっきつぶやいていた。

「どこで起きましたか?」――この質問に、のっけから同じ場所にテープを貼る人が3人も続いた。同じアパートに住んでいるのだという。その3人組に座っていた男女も、同じ点にテープを貼る。
「え、二人も同じアパートなの?」
「同じ部屋に住んでる」
「え、二人は恋人?」との質問に、照れくさそうに「イエス」と答える。その二人が終わると、その隣の人もまた最初の3人と同じ点にテープを貼った。彼らは学生で、同じアパートに住んでいるのだった。結局、そのアパートに住んでいる参加者は実に7人にものぼった。「相当いいじゃん、この流れ」と藤田さんは嬉しそう。

 全員に最初の質問を聞き終えると、間をあけずに次の質問に移る(テンポよくいかないと全体の空気がだらけてしまうことが経験則としてわかっているのだろう)。

「はい、次の質問にいこう。これもね、すごいシンプル。結構知り合いもいるにせよ、皆他人じゃないですか。他人なんだけど、共通点があるとすれば『この会場に集まってきた』ってことだよね。今日の朝、今テープを貼ってくれた場所で起きて、ここまで歩いてきて、ここにいてくれてるよね。だから皆、何時に起きて、何時に家を出て、ここまでどうやってきたのかっていう道を教えてもらいたい」

 2時間ほどで全員の道順までを聞き終えた。起きた場所となるとさほど時間がかからずに答えられるけれど、道順となるとさすがにポンポン答えるというわけにもいかず、誰かが説明しているあいだ、友達同士で話をしたり、話を聞かずにいる人がどうしても出てきてしまう。

「ああ、大変だった。絶対あの感じになっちゃうんだよね。インタビューしてるあいだ、周りはどうしても待機の時間になっちゃうよね。日本でもああなっちゃう。日本でもそうなるから、あの時間をコントロールしていきたいよね」

 10分ほどの休憩を挟んで、ワークショップは再開された。藤田さんが(自分の中にあるひらめきに従って)人を指名する。指名された人は立ち上がり、その場所で自分の名前を言う――そこで皆は拍手をする。そこから自分の起きた点に移動し、朝起きてからナショナル・シアターにたどり着くまでの道順を説明する。

「そのあいだに、誰と話したのかを教えて欲しい。起きて最初に話した相手と内容を教えてください」 ――最初に指名されたシンバという女の子は、照れくさそうにうつむいている。「……cat」という答えに、その場にいる皆がなごやかに笑う。

「誰かに猫の役やってもらいたい――じゃあ、そこでりんごを齧ってる女性、猫をやってください」

 そう指名されたのはプロの女優だ。「りんごを食べていたことは謝るけど……」と、渋々猫の役を演じ始めると、藤田さんはその動きを見て「めっちゃ猫うまいじゃん」と爆笑している。その後も、皆が会話や動きを再現してみせるたびに、藤田さんは大笑いしながらそれを見ていた。

 その姿を見ているうちに、記者会見のあとに聞いていた話を思い出した。藤田さんの人を見る目、面白さを見出す視点というのは、誤解されやすいだろうなという気がする。ヤンキーに絡まれていたのも、もしかしたらそうした視点を察知されたのかもしれないという気がした。ただ、一見すると人を小馬鹿にして笑っているように見えるけれど――実際、最初はあまりにも爆笑するものだから、「この日本人は何なんだ」という顔をしている人もいた――それは決して人を小馬鹿にしているわけではない。そこにおかしみを感じると同時に、「何て愛おしいのだろう」という気持ちがあるがゆえに、その人自身の中に蓄積している動きや、日常の中にあるものをもとにして、こうして作品をつくろうとしているわけだ。

 そのことが次第に伝わったのか、参加者もノリノリで動きを再現してくれ始める。全員にインタビューを終えると、ちょうど予定していた終了時刻の17時になろうとしていた。ワークショップが終わってからも、藤田さんによってカットされてしまったシーンの面白さを伝えようとアピールしている人もいた。

「はあ、面白かった」と、藤田さんは少し笑い疲れたようにも見える。「日本に比べて、笑いのつぼが言葉の面白さとじゃない感じがするよね。もちろん、外国人の僕らに伝わるようにやってるから、誇張されてるところもあるんだとは思うけど。ちょっと、『あらびき団』に出れるよね」

 片づけを済ませて、「ホテル・ボスニア」へと向かった。今日は理由があって別行動していたスタッフ・チーム3人がやってくるまで待って、夕食をとることにする。18時、タイダさんとスティーブンも合流して、皆揃って夕食をとる。ずっとソワソワしていたせいで、夕食が何だったのかは覚えていない。夕食を終えてしばらく経っても、誰も席を離れなかった。そのことを、亜佑美さんは少し不思議そうにしていた。

 食事を終えて15分が経とうとしていたところで、ようやく待ちわびていたワゴンががらがらと運ばれてくる。ワゴンの上に載っているのは、亜佑美さんの誕生日を祝うバースデー・ケーキだ。10月13日は亜佑美さんの29歳の誕生日で、サプライズでお祝いできるよう、皆で計画を練っていたのだ。

 皆で「ハッピーバースデイトゥーユー」を歌っていると、隣にいたおじさんたちも一緒になって歌をうたってくれる。ローソクの火を吹き消すと、皆が口々に「おめでとう!」とお祝いの言葉を述べると、亜佑美さんは立ち上がってお礼を言う。

「29歳になりました。トゥエンティー・ナイン。29歳に、なりました。ボスニアサラエボにて。ありがとう。ありがとう。ありがとう。おしまい」

「あっちゃん、29歳の抱負は?」と波佐谷さん。

「抱負? えっとね、優しい人になる。優しい人に、なろうと思います。じゃあ、いただきます。ありがとう」

 ケーキを食べていると、あっちゃんと僕と熊木さんは高校生の頃にも会ってるから、11年ぐらい知ってることになるんですよと藤田さんが口にした。11年、か。僕の隣に座っていた熊木さんに、11年前はどんな人でしたかと訊ねてみる。「変わらないですね」と熊木さんは言った。「それはすごく難しいことだと思うんですけど、ちゃんと変わらないことを続けられている気がします」

 ケーキを食べ終えると、皆でナショナル・シアターに戻り、皆で演劇を1作品観た。ナショナル・シアターのホールは、歴史を感じさせる内装だ。その空間にいるだけでも浮かれた気持ちになってくる。ディナーのときにワインを3杯飲んでいたから、余計に気分が高まる。

 観劇後は、せっかく亜佑美さんの誕生日なのだからと、ボスニアにきて初めてバーに出かけてみることにした。店内には結構なボリュームで音楽が流れている、亜佑美さんはそれにあわせて小さく踊っている。フィレンツェ公演のあとに篠田さんの作品を観たときにも、サンティアゴ公演のあとバーに出かけたときも、小さく踊っていたことを思い出す。でも、あれからもう1年の時が流れているのだ。その1年というあいだに降り積もっていることを思い返しながらビールを飲んで、気づけば今日も酔っ払っている。本当に酔っ払った日は、たくさん写真を撮影している。