マーム同行記8日目

 朝9時、ホテルで聡子さんと待ち合わせ。ホテルは坂の途中にあるので、街を見渡せる場所を探して坂をのぼっていくことにする。予想以上に急な坂を歩きながら、ぽつぽつと話をする。


――今回、皆とは別にサラエボの街を歩いたりもしたんですか?

聡子 皆で歩いたのと同じ道かもしれないですけど、一人でたくさん歩いてましたね。行ったことのない道は怖いかなと思って、同じ道をずっとぐるぐるしてました。

――特にどこか行ってみたいところがあったとかじゃないんですね。何でそんなに歩いてたんですか?

聡子 歩くのがすごい好きっていうのがあって。歩いてると、整えられるというか。何だろう。うん。落ち着く。

――それは、考え事をしながら歩いてる?

聡子 そうだと思います。だから、歩くのはどこでもいいんですけど。

――ちなみに、今回は何を考えながら歩いてたんですか?

聡子 本番に入ってからだったから、そのこととかですね。

――今回のボスニア公演を観ていて「去年と違うな」と思ったのは、初日の前日、役者の皆だけで集まって、変更のあった箇所を確認してたじゃないですか。あれ、去年は見なかった風景だなと思って。

聡子 うんうん、なかったと思います。自主稽古自体、去年はまだ解禁してなかったかもしれないですね。この1年間を通して、藤田さんと皆の距離感が変わってきたんだと思うんですけど、去年の海外公演の時期はその始まりの時期だった気がします。

――藤田さんは昔、「俺のいないところで合わせたりしないで」と言ってたわけですよね。

聡子 そうです、そうです。でも、今回に限らず、「役者だけで確認しといて」と言われることは最近になってふえてきた気はします。「単純に、『入ってない』ってだけでできないんだとしたら、それを入れるためにも確認しといて」っていう。

――今回、渡航前にも自主稽古をすることになってたわけですよね。その話を聞いたとき、ちょっとびっくりしたんですよ。藤田さんがいないところで稽古するんだ、って。

聡子 結局、藤田さんも来てましたけどね。でも、「自主稽古をやろう」って話は藤田さんのいるところでもしてたし、藤田さんのほうからも「日にちを合わせて役者さんだけでやっといて」みたいに言われていて。

――それは、役者と藤田さんの関係が変わってきてるってことなんですかね?

聡子 そうかもしれないです。なんか、芝居の中でも、良い意味で許されることが増えた気はします。

 歩いて行くと墓があった。かなり山頂に近づいているけれど、特に腰を落ち着けられそうな場所はないので、麓に向かって引き返すことにする。


――『小指の思い出』のとき、聡子さんは出演者でもテクニカルスタッフでもない立場で現場にいましたよね。それはどういう経緯だったんですか?

聡子 最初、「とりあえず聡子にもいてもらいたい」と言われて、「はい」って答えて――でも、どうなんだろうなと思ったんです。別に私は出演するわけじゃないし、個人的に悩ましいじゃないですか。サポートと言いつつ、大してサポートもできないかもなと思いますし。ただ、『てんとてん』は最後に稽古をしてから海外公演をやるまで1ヶ月以上あいだが空いちゃうし、『小指』と『てんとてん』、2つの作品があるときに、それがぱつん、ぱつんと切れちゃうと良くないなと思ったんですよ。だから、その2つの繋がりを持つってことを、私としては思ってました。

――マームの稽古場を知ってるわけじゃないですけど、『小指』の稽古場を見せてもらったとき、「これはマームの現場とは違うんだろうな」と思ったんですね。その現場を、聡子さんは何を思って見てたんですか?

聡子 何だろう。どうですか? 逆にどう思いました?

――役者さんとの関係は全然違うんだろうなと思いましたね。マームの場合は藤田さんが与えたことを役者がやるってことなんじゃないかと思うんですけど、『小指』の場合、初めて関わる俳優さんが『このシーンはどういうことなんだろう』ってことを藤田さんと相談したり、藤田さんの意図したことを解釈して120パーセントの形で表現してみたりすることがあったように見えたんですね。藤田さんにとっても、そういう刺激はあったんじゃないかな、と。

聡子 たしかに、初めて関わる人は本当にそうだし、飴屋さんとかもそうですよね。ただ、マームの子たちに対しても、そういう部分はあるのかもしれないです。藤田さんからは言ってこないし、私たちからも言わないけど――でも、いつもそうなのかな。いつもそうですよね。

――じゃあ、今回の『てんとてん』にもそういう感じはありますか?

聡子 今回のは、ある程度出来てるからっていうのもあるんですけど――でも、やってもいいんだろうなとは思います。その土地土地によって違うわけですし。

――話を戻しますけど、聡子さんは『小指』の現場にいるとき、何を思って過ごしてたんですか?

聡子 マームの現場をそういう立場で見たことがなかったから――『小指』はマームじゃないですけど――『小指』のことを見てるんだけど、『てんとてん』のことも考えるし、先のこととかも考えながら見てましたね。

――これからのことっていうと?

聡子 わかんないですけど、「これからまたこういう企画があるなら」ってことも考えるし、あとは藤田さん意外の言葉を扱ってるってことも大きかったのかもしれないです。マームでやってると、役をやってるのかどうか、よくわかんなくなってくるんですよね。「役を演じる」ってことは、役者だったら普通のことなんですけど、「そういうことってどういうことなのかな」ってことも考えましたね。

――そのことは、昨日の記者会見でも話してましたよね。たしかに、今回の『てんとてん』に関しては、全員自分の名前が役名になってますもんね。もちろん、役の「さとこ」は聡子さん自身ではないですけど、聡子さんだからこそ「さとこ」という役が与えられてるというところもあるわけですよね。

聡子 そうですね。その人だからこそやることがあるんだろうなと思います。

――そうして聡子さんに与えられる役が変わってきてるなと感じるところはありますか? 役というとちょっと違うのかもしれないですけど……。

聡子 役というか、役割みたいなことですよね。それは変わってきてるとは思います。思いますし、そういう役が変わってきてるなら、なんかちょっと、ほんと、行くところまで行かないといけないなと思ってます。

――行くところまで行く?

聡子 何だろう、海外でやるとき、言葉が言葉としてそのまま行かないから――藤田さんがよく言う「態度」とか「姿勢」みたいなことなのかもしれないけど――それをキチンと示しつつ、でも、私とかってことはものすごくどうでもいいところにたどり着けたらいいなと思います。私とかはどうでもいいから、作品でその役をちゃんと終わらす、というか。終わらないんだとは思うんですけどね。

――ちょっと戻りますけど、今、聡子さんに与えられてる役割はどんなことだと感じてますか?

聡子 ちょっと、「ほんと大概にしろよ」と思われるかもしれないですけど、結構任されてる部分もあるんだろうなと思うんです。その任されてることに対して、シンプルに「逃げないで」って感じですね。そうやって任されるタイミングはこれまで何回かあったと思うんですけど、それに対して無自覚だったときもあれば、「嫌だな」と思っちゃってた時期がある気がしていて。もちろん、その時々は「やり遂げよう」と思ってるんですけど、今から振り返ると「そんなんでいいのか」みたいな感じでやってしまってたな、と。

――それはいつ頃ですか?

聡子 でも、若いときですよ。学生の頃とか、卒業してちょっとの頃とか――本当に「ただただ若い」という感じで。そういう、与えられる役割のことをよくわかってなかったというか……。

――そういう役割のことは、特に言葉で説明されることはないわけですね。

聡子 直接言われることはないけど、そういうことは伝わってくるというか。それは私だけのことじゃなくて、役者さんと藤田さんの関わりすべてに言えることかもしれないです。台詞一つのことでも、「この台詞は何のことを言ってるのかな」と思たりするというか……。作品のこともそうだけど、“そうじゃないもの”を直球で受け取っていいなら、そういうふうに思うなってときもある。

――“そうじゃないもの”というと?

聡子 『ΛΛΛ』の最後のシーンとか――あれは作品の話なのか、マームの話なのか――自分は(戯曲を)書かないから、どういう気持ちでその言葉を託されてるのか、わからないところもあって。公演初日の朝、ロビーで話したとき、藤田さんが「現地の言葉としてしゃべっていいよ」と言われたときも、そういうことを考えたんですよね。そういうことを、やっていいのかな、って。「やっていい」と言われてるからやるけど、でも、最終的に私がそれをするときに、役として言うのか、私として言うのかもわからないし、私がお客さんだとしたら、どういうふうに言われたら嫌じゃないかってことも考えるし――。それは全然わからないんですけど、でも、考え続けくちゃいけないなと思ってます。

 坂道をくだりきって広場に出て、カフェでジュースを1杯飲んでから聡子さんとは別れた。しばらくホテルで仕事をして、14時過ぎにナショナル・シアターへと向かう。今日もまた、お昼頃からワークショップが行われていた。昨日のワークショップでやってみたことを稽古して、14時半、発表会が始まった。

 何時にどこで起きて、誰と会話をして、どうやってナショナル・シアターまでやってきたのかを説明する――ただそれだけの内容だ。それはごくささやかな話で、ごく日常的な話だ。言い様によっては取るに足らない内容だとも言える。しかも、この発表会は彼らの母国語で語られているので、僕には話していることの内容はわからない。でも、言葉も通じない、昨日会ったばかりの他人の日常が、このワークショップの発表会を通じると愛おしく思えてくるから不思議だ。

 地面の床に貼られたテープ――このワークショップの参加者たちが移動した地図を見ていると、この街は川を中心に東西に発展した小さな街だということがよくわかる。その地図を見ていると、サラエボという街の輪郭に触れたような感覚がある。そう考えると、今回のツアーが単に作品を発表するだけではなく、訪れた土地土地でワークショップをすることになっていることの意味は大きいように思う。

「すごい素晴らしい発表会だった。どこの場所より面白かった。ありがとう。サラエボのことも、ちょっと知れた気がする。こういう形でこの土地のことを知れたことが幸せです。すごい短い時間だったけど、今日がサラエボ滞在最終日だったから、最後に皆とワークショップができてよかったです」

 藤田さんの挨拶で、2日間のワークショップは締めくくられた。最後に、マームの女子たちが参加者ひとりひとりにプレゼントを手渡す。それは、折り紙で作られた小さな鶴だ。皆嬉しそうに手のひらに載せて眺めている。昨日の誕生日もそうだけど、マームの皆はこういう一つ一つのことを大切にしている気がする。

 皆とは一度別れて、ボスニア中心部にあるBBIセンターというショッピングモールへと出かけた。今日は夕食会があるので、着る服を探しにきたのだ。少し探して、ボタンのたくさんついた淡いブルーのシャツ(75マルク=約5300円)と青と黒のネクタイ(45マルク=約4千円)を購入する。青はボスニアの国旗の色だ。

 買ったばかりの服に着替えて、18時、ホテルのロビーに集合する。藤田さんはsuzuki takayukiのジャケットを着ていた。大使館の方がタクシーで迎えにきてくれて、藤田さん、門田さんと一緒に夕食会に出かける。しかし、本当に僕が同席していいのだろうかとソワソワしていると、タクシーの運転手が「日本は今、台風で大変なのだろう」と言う。「さっきニュースで『37人が亡くなった』と言っていたぞ」と。ざわついた気持ちで夕食会の会場へと向かったけれど、結局、その話はガセだった。

 夕食会では仔牛のステーキをいただいた。ヨーロッパでは仔牛を食べれない国が増えているらしく、ボスニアはその意味では貴重な場所だそう。仔牛なんて初めて食べたけれど、とても美味しい味がする。藤田さんも仔牛を食べていたけれど、「北海道に育った人間からすると、『仔牛を食べるなんて』って気持ちは若干ある」と口にしていた。EUで仔牛が禁止されているのは倫理的な理由からだけれども、やはり藤田さんにもそうした気持ちがあるのか――なんて思っていたけれどそうではなくて、「大きく育てれば高く売れるのに」と笑っていた。

 美味しい食事と、美味しいワインを堪能して、20時過ぎに夕食会は終了した。「ホテル・ボスニア」に移動して、夕食を取っていた皆と合流する。今日はボスニア最後の夜なので、タイダさん、スティーブンも一緒にバーに出かけた。今日はEUカップだか何だかの試合が――それもボスニア対ベルギーの試合が行われているらしく、街中にあるバーというバーがサッカー中継を流していて、皆食い入るように試合に見入っている。群衆の視界を遮らないように気をつけながら店に入ると、サービスなのか、ラキヤが人数分運ばれてきた。それをクッと飲み干し、戦況を見守る。負けると荒れる観客も出てくるのではと不安になり、ボスニアが勝ってくれるように願っていたけれど、同点に追いつかれてからはお客さんたちは急に興味を失った様子で、引き分けのまま試合終了のときを迎えても、店内からはため息一つ漏れなかった。