マーム同行記13日目
今日はいよいよ、4日間やってきたワークショップ発表会の日だ。いつもは18時までのワークショップだけれども、発表会は夜になってからということもあり、いつもより1時間遅い11時半にメイナを出発した。13時、今日も皆揃ってアップをして、ワークショップが始まった。ちょっとした隙間の時間を見つけては、女子たちが何か作っている。発表会のあと、参加者の皆に渡すプレゼントを作っているようだ。
14時に、ボクササイズを終えてお昼休みになる。外に出てみると、去年イタリアにマームとジプシーを招聘してくれた「ファブリカ・ヨーロッパ」というフェスティバルのディレクター・マウリッツィアがいた。今年のイタリア公演は、フェスティバルで上演されるわけではないけれど、公演場所はファブリカ側が選定してくれたものだ。マウリッツィアは韓国から帰国したばかりだけれど、今日の発表会を観に駆けつけてくれたのである。
15時10分、お昼ごはんを終えたところでワークショップが再開された。昨日やったことを繰り返して、発表会に向けた稽古をしていく。藤田さんは昨日までと違って、何度も「ベーネ!」と言いながらその様子を見守っている。全員の朝のシーンをやり終えたところで、最後のインタビューが始まる。
「ここまでが昨日やった基本的な流れだよね。それで、これに加えて、もう1つインタビューしたいことがあって――皆が地元を離れる日の話を聞きたい。今もずっと地元に住んでる人は、このワークショップのために家を出た日の話をしてほしい。そこで答えてもらった話を、今の基本的な流れに肉付けしていこう」
最初に答えたのはバレンティーナだ。彼女が生まれたのはミラノ近郊の町で、今もその町に両親と兄弟と一緒に暮らしている。
メイナに出発する朝、階段を降りていくとリビングにママがいた。ママはバレンティーナのことを笑わせようとして、飼い犬に服を着せようとしているところだった。降りてきたバレンティーナに気がつくと、「可愛いでしょう?」とママは言った。バレンティーナは犬の顔をつかまえて――覚えているのはそこまで。
マリアルイーサが生まれたのは、イタリア南部にあるアンドリアという町。この町は、1セント硬貨の裏に描かれているお城のある町だ。マリアルイーサはアンドリアを離れて、今はミラノに暮らしている。
地元を離れる日は早朝に出発しなければならなかったから、前の晩に友達と家族と一緒に夕食をとった。「最後の夜だから、ラザニアを作ったわよ」と話すママに、マリアルイーサは「イタリアの南から北に行くだけなんだから、そんな寂しいこと言わないで」と返した。パパはというと、泣くでも笑うでもなく、ただただその会話に耳を傾けていた。
ジュリオはミラノ近郊にあるマジェンタという町で生まれ、今もマジェンタに両親や兄弟と暮らしている。
メイナに出発する日、家族はもう出払っていたから、誰と言葉を交わすこともなく家を出た。バレンティーナとマリアルイーサと一緒にメイナに行く約束をしていたから、クルマを走らせ、駅まで二人を迎えに行った。駅に着くと、二人はもう待っている。クラクションを鳴らすと、「遅いよ」と二人は言った。「チャオ」と挨拶を交わして、クルマでミラノを発った。
ミラノ生まれのサリータは、今はブリュッセルに住んでいる。
ミラノを離れたのは6年前のこと。それは12月で、雪降る夜のことだった。ママは泣いていて、「食べるものは持っていかなくていいの?」とサリータに訊ねた。サリータは「飛行機で1時間の距離なんだから、食べ物なんていらないでしょ」と答える。パパは少しナーバスになっていて、「こんなにスーツケースがあるけど、どうやって持っていくんだ」と言っている。妹とは「チャオ」と挨拶を交わして、お互いの身体に触れ合い――そしてブリュッセルに旅立った。
サラはフィレンツェ生まれで、今も両親とフィレンツェに住んでいる。
メイナに出発する朝、ママと話をした。「ママは覚えてしないかもしれないけれど、その朝、お母さんとはちょっとケンカになちゃった」とサラは振り返る。時間がないのに支度が出来てなくて、慌てて荷造りをしているところに、「あれは持った?」「これは入れた?」と話しかけてくるものだから、サラはすごくナーバスになっていた。その挙げ句、ママは「ワインはスーツケースに入れた?」と言ってきたものだから、サラのフラストレーションはピークに達し、「ワインなんて入れたら割れちゃうでしょ!」と声を荒げてしまったのだ。少し気まずい気持ちのまま、サラはメイナにやってきた。
クリスティーナは、フィレンツェの郊外にあるアレッツォという町で生まれた。2年前、フィアンセのルカと一緒にその町を出て、今はミラノに暮らしている。
アレッツォを発つ日、クリスティーナは骨折していて、腕に石膏をつけていた。ママとグランマが、玄関まで出て見送ってくれた。「向こうに着いたら、ちゃんと連絡してね」とママが言うと、隣にいたグランマは「それで、いつ帰ってくるんだい」と言う。「今から出発するところなんだから、いつ帰ってくるかなんてわからないでしょ」とママ。そんな会話をして、ルカと一緒にクルマに乗り込んだところで、クリスティーナは泣き出してしまった。
フランチェスカは、何度か引っ越しを経験している。生まれは地中海に浮かぶサルデニアという大きな島だけれども、すぐに引っ越しをした。それから26歳までミラノにいて、今の住まいはメイナだ。
ミラノを出発する日は、まず友達に引っ越しの手伝いをしてもらった。大きな荷物をクルマに積み込んでもらったのだけれども、そこにはフィアンセと、前のフィアンセも一緒にいた(フランチェスカは恋多き女性だったのかもしれない――ちなみに、そのときのフィアンセというのが今の夫で、今は1児の母だ)。そこから皆でメイナにやってきて、また皆で荷物を降ろして引っ越しをした。その途中に、前のフィアンセが「何か問題があったら僕に言いなよ」と声をかけてきた。肝心のフィアンセはというと、そんな会話が行われていることにも気づかず、荷物を運んでいた。
アントネラは18歳のときにミラノに出て、今はメイナに住んでいる。
ミラノに出発する日の朝――アントネラはミラノに行ったことがあったから、どんな街かもわかっているし、普段通りに過ごしていた。家にはママがいて、アントネラのことを見送ってくれた。ずいぶん昔の話だから、ママが何と言ったのかは覚えていないけれど、アントネラはママに何も言わなかった。ミラノまでは、ママの友達・ミカが送ってくれた。ミカはとても親切な人で、タバコをすすめてくれたという。ミラノまで向かう車内で、二人で一緒にタバコを吸った――それがアントネラの上京の記憶だ。
カミーラはフィレンツェ近郊のピストイアという町に生まれた。18歳のときにその町を一度離れてボローニャに行き、大学で6年間学んだあとにピストイアに戻ってきた。
「ボローニャに出発した日のことは覚えていないけれど、その前の晩のことは覚えている」とカミーラは言う。その晩、カミーラは劇団をやっている女友達の部屋に遊びに行っていた。部屋には、その女の子の男友達もいた。女の子のほうは「ボローニャに行くのは早過ぎる」「まだ準備ができてないと思う」と、カミーラを引き止めようとした。カミーラが「行ってからわかることってたくさんあると思う」と反論すると、男の子は「そうだよ、行ってみればわかるよ」とカミーラの味方をしてくれた。すると、女の子は「トランプで占いをしてあげる」と言い出した。結果はどれもサイアクで、カミーラは恋人とも別れたばかりだったから、すごく不運さを感じながら旅立つことになった。
ジャコモはフィレンツェ生まれで、今もフィレンツェに暮らしている。ただ、カミーラと同じように、ドイツの大学に通うあいだはフィレンツェを離れていた。
ドイツまでは、パパも一緒に出かけた。後部座席には同じ大学に通うことになっていたアンドレアが座っていた。これから暮らすアパートはネットで探した物件で、まだ実物を見ていなかった。パパはそのことをすごく心配していた。
「ネットで調べたと行ってたけど、このアパート、ないかもしれないぞ」
「大丈夫だって。ちゃんと探したんだから」
「でも、家賃とかどうなんだ。保証金はどうなんだ」
本当の家賃は650ユーロと少し高めだったけれど、本当の家賃を言うとまた心配させてしまうから、「500ユーロだよ」と嘘をついた――というのが、ジャコモが地元を離れた日の話。
最後の1人、アンドレアはビアレッジョという海沿いの小さな町で生まれた。13年前、ビオレッタという名前の猫とママと3人で、フィレンツェの街に出てきた。クルマの中は荷物がぎっしりと積まれていて、猫がずっと大きな声で鳴いていた。自分も鳴けば猫が鳴きやんでくれるんじゃないかと思って、アンドレアも一緒に、ずっとにゃあにゃあ鳴いていた――これがアンドレアの、街を出た日の記憶だ。
11人の旅立ちの話を聞いていると、何かこう、イタリアという土地に、ほんのわずかではあるかもしれないけれど触れることができたという感触があった。去年のイタリア公演のときは、街を散策して想像してみるということしかできなかったけれど、そこにどんな暮らしがあるのかということに少しだけ触れることができたし、イタリアの地図も、少しずつ立体的に見えてきた。
皆の上京のシーンをどう作品の中に組み込むか――その稽古は18時半まで続いた。それが終わると、発表会が始まるまで休憩となる。「発表会の最初に、このワークショップや藤田さんについて紹介をしたい」という申し出があり、藤田さんはそれに向けたインタビューを受けている。ワークショップ参加者の皆はというと、夕食を取りながら談笑していた。中にはビールを飲んでいる人もいる。マッジョーレ湖は静かに波の音を響かせている、時々蛙の鳴き声も混じる、湖畔にはずっと電燈の灯りが続いている。
20時45分、15分遅れてワークショップ発表会は開場の時を迎えた。何人かお客さんが来るのかなという気持ちでいたけれど、椅子に座りきれないほど盛況だった。この土地で演劇をやっている――そして今回のワークショップのコーディーネーターでもあるアントネラが参加者として加わっていることも大きいのかもしれない。それに、「日本の劇団がワークショップをやって、その発表会が無料で開催される」という記事が地元の新聞に掲載されたことも影響しているのかもしれない。
主催者による紹介が終わると、藤田さんが挨拶をした。
「皆さん、今日はありがとうございます。皆と過ごすのが本当に楽しくて、今日で終わっちゃうのが本当に寂しいです。今日見せるのは、本当に小さい、些細な日常のことなんだけど、こういう形でイタリアのことがわかったのはすごく嬉しかったし、日本に帰ってからも、自分の作品に影響を受けると思います。それで、見づらい人は立ってもらっても結構ですし、自由に観てください。あと、この床に貼ってあるのは皆で引いた地図だから、発表会が終わったあとに見てみたらいいと思います」
21時、発表会が始まった。50分ほどの小さな作品だけれども、お客さんたちは温かい目で見てくれていた。何より嬉しかったのは、アントネラの息子・サルバトーレ君が、ずっと笑いながら観てくれていたこと。
発表会が終わると、マームの皆は参加者全員にプレゼントを手渡した。それは名前を感じで書いた折り紙――暴走族みたいな表記になっている――と、日本から持ってきていたインスタントの味噌汁だ。参加者の皆も、マームの役者たちも良い笑顔をしていて、本当に充実した4日間だったことが伝わってくる。そのことを少し羨ましく感じながら、写真を撮り続けていた。