マーム同行記14日目

 今日は一日オフだけれど、朝8時半にホテルの前に集合する。今日は皆でマッジョーレ湖観光に出かけるのだ。

 もちろん、マッジョーレ湖を眺めるだけなら、ここメイナでも可能だ。単に湖を眺めようということではなく――ワークショップに通い始めた初日から、気になっていることがあった。湖の中に、ホテルのような建物がいくつか浮かんでいるのが見えていたのだ。そうした浮き島の1つに、イタリア語の通訳をしてくれた佐川さんの夫が経営するレストランがあるという。今日はそのお店におよばれにいくのだ。

 今日はクルマがないので、メイナの駅から電車で出かけることにする。駅には改札も券売機も存在してなくて――皆のぶんの切符は門田さんが手配してくれていたけれど――どうやって乗車するのか、僕にはわからない。


 10分ほど遅れてやってきた電車にいそいそと乗り込んだ。電車は2階建てになっている。さほど混んでいなかったので、全員座ることができた。「世界の車掌からだね」と誰かが口にした。電車の窓は、上半分が開けられる仕組みになっている。そこを開けて、ずうっと広がっているマッジョーレ湖を眺める。

「これだけでも楽しいですね」と熊木さん。
「ね。電車乗ってるだけなのにね」と尾野島さん。

 朝焼けに染まるマッジョーレ湖のことを、最初のうちは漫然と眺めていた。眺めているうちに、こんなふうにマッジョーレ湖を眺めることは二度とないのだろうなと思った。だとすれば、もっと目を凝らしておかなければ――頭をからっぽにして凝視しているうちに、気づけばトンネルに入っていた。トンネルを抜けると、目的地のストレーザという駅にたどり着いた。

 駅を出て、マジョーレ湖のほとりに歩いていくと、ホテルがいくつも軒を連ねている。メイナのホテルとは違って、ちょっとした宮殿のようなホテルたち。イタリアの北端にあるマッジョーレ湖あたりは避暑地になっているのだ。

 湖畔の道路を歩いていると、本格的なウェアに身を包んだレーサーたちが自転車をこいで走り抜けて行く。そうしたレーサーの姿は、今日に限らず毎日見かけていた。今日は土曜日とあって一段とその数が多い。遠くのほうで、何やらマイクで話す声が聞こえてくる。どうやら今日はマラソン大会が開催されているらしいのだけれども、ランナーの姿がまったく見えないあいだも実況の男性はしゃべり続けていた。

 横断するのも一苦労。

「イタリアは景気悪いって聞きますけど、なんかすごい、人生を満喫してる気がしますよね」と僕。

「そうっすね。でも、イタリアは自殺する人が少なかったんだけど、最近は増えてるらしいっすよ」と藤田さんは言った。イタリアの失業率は12パーセント、若者に限ると40パーセントにものぼるという。ただ、それほど失業率が高くても、イタリアでは「ファミリーに食わせてもらう」という感覚があるから、仕事がなくても40歳ぐらいまで家族や親戚に食わせてもらっている人もいるのだそうだ。「そう考えると、マジで日本って何なんだろうって思いますよね。年間3万人が自殺してるって、どういうことなんだろう」

 浮き島に船が出るまで時間があるので、カフェでお茶をすることにした。今日はオフなので、ここぞとばかりにワインを注文し、久しぶりに昼酒をした。

「橋本さんが好きな寿司屋、仙台にあるんでしたっけ?」と藤田さんが言う。
「そうですね。仙台駅の新幹線口を出てすぐの場所にある、『北辰鮨』って店です」
「日本に帰ったら、仙台行こうかな。あと、小倉の寿司屋にも行きたい」

 藤田さんは朝から、日本に帰ってからの話ばかりしている。メイナでの生活がゆったりし過ぎていて――朝、カフェにコーヒーを飲みに行かないとWi-Fiに接続できなくて、宿にいるときは本を読むか音楽を聴くかトランプをするかしかなくて、寝るときはテントの中という生活になじみ過ぎていて――日本に帰ってからの楽しみを考えておかないと、うまく日本の生活に着陸できるか、不安になっているのかもしれない。

 1時間ほどカフェでぼんやりして、波止場に向かった。フェリーに乗っていくものだとばかり思っていたけれど、向かった先に待っていたのは小型船だった。佐川さんとお子さんたちとも合流して、船に乗り込んだ。最初は不安に感じていたけれど、出航してみると案外楽しくなってくる。船頭さんはいかにも海の男といった佇まいをしている(ここは海ではないのだけれど)。

 レストランはガラス張りになっていて、湖が一望できた。視界がすべて湖だ。ここは昔、漁師町だったというので、ファースト(1皿目)はトマトソースのパスタを、セコンド(2皿目)は魚料理を選んだ。食事も、白ワインもとてもおいしい。イタリアのワインは強く――たまに水で割っている人も見かける――繊細過ぎないところが好みだ。

 陸地に戻って、佐川さんとお子さんたちとお別れをした。ここからは二手に分かれることになる。3時間だけミラノ観光に出かける3人を駅で見送って――残りの11人は何をしよう。皆がゆったり歩いていると、最後列を歩いていた荻原さんが少しそわそわした様子でいる。荻原さんは、少し前を歩いていた熊木さんに声を掛けて、一人で散歩に出かけていく。邪魔だろうなと思いつつも、荻原さんに――まるまるに随いていくことにした。

「こういうタイミングで、一人でずんずん歩いてること、多くないですか」
「多いかも」
「それは、何で歩いてるんですか?」
「なんか、一回リセットされるから。でも、一人で歩いちゃいけないって言われてるから、結構今ね、溜まった感じだった」
「ああ、自分の気の赴くまままに歩きたいって欲が」
「うんうん。さっきのカフェで休んでるときに、5分ぐらいでポストカードを買ってきたっていう、それだけでもう、めっちゃ嬉しかった」

 まるまるは、ポストカードを旅先でポストカードを買うことに決めているらしかった。

ボスニアで石を探して歩いたとき、まるまるだけずんずん歩いてましたよね。ああいうときって、別に、ずんずん進んでるつもりではない?」
「うん。『ちょっとすいません』っていう感じ。『ちょっと失礼します』っていう。『ちょっとすいません』以外は、完全にどっかに行ってると思う。ひゅって、どこかにいなくなってると思う」
「その欲望は、海外だからってことで抑えてるんですか?」
「うーん、どうだろう? でも、『仕事で来てますよ』ってことを、自分に言い聞かせてるのかも」
「じゃあ、単なる旅行だとしたら、友達と旅行してても急に一人で行動する?」
「うーん……一人行動はしないけど、朝とかね、いなくなったりはするかもしれない(笑)。でも、それは完全にシャットダウンしますってことじゃなくて、『めっちゃ心開いてますよ』ってときにそうするかも」

 散歩について行けば、少しはまるまるの謎が解けるかと思っていたけれど、謎は深まるばかりだ。

 メイナまで戻ったところで一旦解散して、20時にもう一度集合になった。ホテルで待ち合わせて、メイナ最後の夕食をとる。食事を終えたところで、22時、あゆみさんにインタビューを始める。

――ここまでのインタビューの中で、一番緊張してるかもしれないです。

あゆみ それ、前も言ってましたよね? 私が怖いって。

――言いましたね。怖いですよ。

あゆみ なんでだろう? 裏がありそうってこと?

――いや、そういうことではないですね。

あゆみ そう? 「裏がありそう」とはよく言われるし、自分でもあるとも思う。

――最初はそういう怖さもありましたけどね。そういうのとはちょっと違う怖さを感じてるんですよ。

あゆみ そうなんだ? あゆみはあんまし緊張してないよ? でも、ちゃんと答えられるように頑張ろう。

――昨日のワークショップ、すごく印象的だったのは、やっぱ上京の話なんですね。あゆみさんは皆の話を聞いててどうでした?

あゆみ ほんとに、日本と変わらないんだなって思った。皆さ、「誰と会話した?」って聞いたら家族だったし、駅のシーンだとかごはん食べたとか、ほんとに変わらないんだなと思った。

――誰か印象に残ってる人はいますか?

あゆみ 印象的だった人? 今思い出したのはマリアルイーサかな。お母さんがラザニアを作ってくれたって話。あゆみは上京したことないからわかんないけど、今回旅に出るときも――何だろう、お母さんの優しさみたいなのがね。

――ちなみに、このツアーに出発する日、あゆみさんはどんな会話をしたんですか?

あゆみ 何だろう? でも、1ヶ月だからね。全然他愛もない話だったと思う。お父さんは出張中だから、いつもお母さんと二人で暮らしてるんだけど、あゆみがいなくなったらお母さんが一人になる。それで、お母さんは自分の部屋がないから、「あゆみの部屋を使っていいよ」って話をしたかも。それで、お母さんは「あゆみの部屋で映画を観るんだ」みたいな話をしてたけど――ちょっと、それを聞いたとき、あゆみがお嫁に出るときのこととか想像した。家族が一人になるってのはさ、ちょっと寂しいですよね。それを――一瞬だけね?――思った。

――僕、このメイナって街についた瞬間に思ったことがあるんです。この街の感じって、『Kと真夜中のほとりで』の世界だな、と。駅があって、湖があって、田舎町で――と。

あゆみ あ、ほんとだ。たしかに。

――あの作品のラスト、あゆみさんが演じる“りんこ”は街を出て行きますよね。あのラストのことをずっと考えてるんです。もちろん、藤田さんのモチーフとして「街を出る」ってものがあるにせよ、あの“りんこ”という女性は、すごく微妙なバランスにあった気がするんですよ。街を出るってこともできるし、やっぱりこの街に残るってこともできた気がして。そのことを、出演していたあゆみさんはどう思ってたのかな、と。

あゆみ なるほどね。うーん、考えたことなかったかもしれない。私がやる役は、ほんとにずっと出ていく役立ったから。街を出るってことは、たかちゃん自身にとってすごく大きなことだったから――嫌な言い方をすればそれを背負う感じだったし、そこに対してまったく疑いはなかったかも。

――あゆみさんも藤田さんも高校演劇をやっていて、その縁で高校生の頃に会話を交わしたことはああったんだと思いますけど、それとは別に、藤田さんの作品と出会う瞬間もあるわけですよね。最初に「街を出る」ってモチーフと出会ったときはどういう印象だったんですか? あゆみさん自身は、自分の地元を離れたことはないわけですよね?

あゆみ そうなんですよ。出てないから、聞くしかなかったし、イメージするしかなかった。でも……前はもっと、役があったんです。それが、『ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。』の頃から、あゆみなのか役なのか、混ざってるような感じがする。それまでは役名もあったし、役もあったから、あゆみとしても「その役を演じる」ってことでやってたんだと思います。あと、上京ってことで言うと、『待ってた食卓、』の伊達公演のとき、初めてたかちゃんの街に行ったことも大きいかもしれない。そこからあとの作品で「街を出る」っていうシーンがあると、どこかでいつも伊達の駅を想像していて。

――伊達に最初に行ったとき、どんな印象でしたか?

あゆみ  小さな街だなって思った。あと、たかちゃんにとって、上京っていうのはほんとに大きな決断だったんだなって思った。ただ、そのときはまだ作品が出来てなかったから余裕はなかったんだけど、とにかく温かい人たちで、皆「たか」「たか」って呼んでて――ほんとにたかちゃんの街だなって思った。たかちゃんは子の人たちを置いて出てきたんだなってことも思ったし、それはすごく苦しい旅立ちだったんだろうなってことも思った。

――さっき、昔は街を出る役ばっかりやってたって話がありましたよね。それに対して、今回の『てんとてん』だと、あゆみさんは街に残る役ですよね。しかも、去年は“さとこ”に対して「来れてるー?」と呼びかけてたシーンでも「帰るよー?」って呼びかけるようになって、残る、帰る、っていうベクトルが強くなった気がするんです。そういう、街に残る役――今は「役」ということとも違うのかもしれないですけど――についてはどう感じていますか?

あゆみ なるほど。でも……そうですね。残る役って、これだけですね。去年、「ああ、私は残るんだな」ってなったときは――うん、でも、『てんとてん』は他の作品とはまた違くて。これは“あゆみ”って名前だけど私じゃなくて、“あゆみ”っていう役名だと思ってるのかな?

――それはなぜ?

あゆみ 何でだろう? すごいしっかりしたキャラクターがあるからかもしれない。あと、年齢が違うとかね(笑)。だから、出て行かないっていうことが、そんなに大きなことではなかったかも。あと、『てんとてん』で“さとこ”を見送るシーンのときも、頭の中ではたかちゃんだったりとか伊達の駅とかを想像してるのはある。それぐらい、たかちゃんの上京ってものがこびりついてるのかもしれない。

――あゆみさんには街を出るって経験がないから、余計にそうなのかもしれないですね。

あゆみ そうかも。ずっとずっと想像して――きっとあゆみなんかじゃわかりえない感情なんだなっていうコンプレックスでもあったのかもしれないですけど。『待ってた食卓、』の初演のとき、「そんなんじゃないよ」ってことをすごく言われたんですよ。「だから実家組にはわからないんだよ」ってことを結構いっぱい言われて、「わからないよ」って気持ちにもなったし、「わからなくてごめんね、でも本当にわからないよ」って気持ちにもなったから。今でもわからないから、ずっと想像してる。

――この『てんとてん』って作品をやる上で、去年と違っているところはありますか?

あゆみ たとえば去年のイタリア公演のとき……何て言えばいいんだろう、わからなくなっちゃったんですよ。それはあゆみも求めてたことではあるんですけど、テンポが全部速くなったし、音と動きが海外寄りになったときに、役者のしゃべる言葉に興味をもたれてないように感じてしまって。リフレインが多いと、字幕で読む人たちに何ができるかっていうと、音を大きくするしかないし、スピードを上げるしかないから、もう演じてるとかじゃなくなっちゃって。

――ああ、とにかく「ノリについてこさせる」という。

あゆみ そうそう。もちろん、今年も「音として聞かせる」ってことは変わってないですけど、去年は藤田君の音を成功させるために声を出すみたいな感じになっちゃったんですね。それで、日本に帰ってきたときに、どうやったら楽しめるもんかなと悩んでいて。でも、その翌月チリに行ったときに、たかちゃんから長い話があったじゃないですか。そのときに、やる意味っていうことをすごく思えたから。

――それは、どこに思えたんですか。

あゆみ あのとき、たかちゃんが「チリの人に伝える」ってことを話してましたよね。イタリアはちょっと、お祭りみたいな感じがありましたけど、チリではそうはいかないねって話にもなったじゃないですか。チリの人たちが、日本に対してすごい距離を持っている感じがあったから、すごく緊張したんですね。イタリアよりも全然緊張した気がするんだけど、ほんとに「伝えたい」って気持ちでいたし、「伝えられるか試してみたい」って気持ちにもなた。

――そういう話は、ボスニア公演の前にもありましたよね。ボスニア公演はどうでした?

あゆみ あゆみの台詞に、「この街で起こったことも、あの殺された女の子とも」っていう台詞がありますよね。あの台詞が、あゆみの中ではワンセットになってたんですよ。埼玉で公開リハーサルをやったときもワンセットになってたんですけど、それが、すごく分かれた。

――ボスニアでやってみたときに?

あゆみ そう。「女の子が殺された」ってことは藤田君が考えたフィクションだけど、「この街で起こったこと」っていうのはノンフィクションだなって思ったんです。だから、そこを言うのに緊張した。あの言葉を言うのが一番緊張した。あと、空を見上げて、「点に見えたのかな」っていうシーンも――タイダさんも言ってたけど、目の前で人が殺されたりもしたらしいんですよ。それ、人じゃないじゃないですか。人じゃないように見えたから、殺したわけじゃないですか。そういうことが全部繋がって、すごい緊張しました。だから、最後の“さとこ”との別れのシーンも悲しかった。今まで一番悲しかったです。

――それは、何が悲しかった?

あゆみ これは本当に、勝手に想像しただけですけど、戦争が起こった街で、すごく嫌な街だけど、そこで一緒に育ってきて――嫌いになれないから“あゆみ”はきっとそこにいるじゃないですか。その街から出ていく“さとこ”に対して、「やっぱそうだよね」とも思うし……。それに対して、街に残る“あゆみ”は、この街にいるっていう決意をしていて――何でそんな決意をしているのかはわからないし、出ていくのが怖いから街に残っているのかもしれないけれど――一緒に育ってきた“さとこ”と分かれちゃう寂しさと、自分は街に残るしかない悲しさと、でも、それでも“さとこ”を応援したい気持ちもあって――初めて“さとこ”に対して「それでいいよ」と思えたんです。初めてそう思えたのはあの街でしたね。「出て行きな」って。だから悲しかったのかもしれない。

――来週からイタリアでの公演が始まりますけど、イタリアではどうなっていくんですかね。

あゆみ ね。もうすぐですよね。イタリアでやったときに、ボスニアのことを想像しちゃいそうで困ってますね。だから、もっとイタリアのことを知ってやりたいなって思ってますね。

――でも、去年は公演だけでしたけど、こうやってワークショップがあってよかったですよね。イタリアの街がどんなところなのか、どんなふうに皆がいるのかってことに、少しとは言え触れられたじゃないですか。

あゆみ そうですね。去年はイタリアの人とコミュニケーション取れなかったですよね? だから英語がしゃべれなくても不便に感じなかった気がするんですけど、今年はほんとに英語がしゃべれないことが悔しいというか、申し訳なくなってきて。そう感じるのは、コミュニケーションが多いからですよね。だとしたら、イタリアに関われてるってことなのかな。