マーム同行記15日目

 今日は移動日だ。朝、少しだけ街を散歩する。メイナの街は、これまであまり歩いていなかった。皆の宿舎と僕のホテルのあいだに墓地があって、皆の宿舎で大富豪をした夜更けの帰り道、奥に置かれたマリア像が赤い光に照らされていたこと。パブロと散歩したときに見えた湖のこと。その2つの景色しか印象に残っていなかった。

 10時半、ホテルを出発する。パブロは外で日向ぼっこをしていた。じゃあね、パブロ。元気でやるんだぞ――僕がメイナという街を訪れることは、少なくともしばらくないはずだ。そうなると、きっとこれはもう、今生の別れだ。勝手にしんみりした気持ちになって、まるまるに写真を撮ってもらったけれど、パブロは全然カメラのほうを見ていなかった。

 11時、今日も遅れてやってきた電車に乗り込んで、まずはミラノを目指して出発する。人数分のスーツケースに、小道具の入ったスーツケースまであるので、電車に乗るだけでも大変だ。乗っているのは各駅停車の普通の電車だから、スーツケースを席の近くに置いておくこともできず、入り口周辺に置いておくことになる。

 こちらの電車に乗っていると、頻繁に着信音が鳴る。そして皆、普通に車内で通話している。日本のように車内で通話禁止とされている国はごく少数なのだろう。どうして日本はそんな文化になっているのだろう。

 12時12分、ミラノ駅に到着した。次に乗る電車は14時12分発だから、2時間弱ほど自由行動になった。駅を出てみると、大きなビルはいくつか見えるけれど、雑然とした風景だ。何人かでコンビニみたいな店に入る。はやしさんはライム味のポテトチップスを買っていた。扉を開けると同時に開封して 「ヤバい、もう既に良い匂いがするんだけど」と話している。一枚分けてもらうと、たしかにライムの香りがしておいしい。マームの皆といると、お菓子をちょっとずつ分けてくれる。僕はパプリカ味のプリングルスを買った。

 構内には書店があった。棚を眺めていると、村上春樹の小説が思っていた以上に並べられていた。棚の2段が村上春樹の本になっていて、ボックスセットまである。他にはよしもとばななの小説を見かけた。皆は絵本のコーナーで熱心に本を選んでいた。

 14時12分、電車がやってくる。イタリア北部のトリノから、南部にあるサレルノという街を結ぶ鉄道だ。これは特急列車だから、指定席になっている。自分の席を見つけて、リュックを棚にのせる――その瞬間、ばらばらばらばらと何かが降り注いだ。足下を見ると、大量のポテトチップスが散らばっている。リュックの脇に入れておいたプリングルスの蓋がきちんと閉まってなくて、ばらばらと落ちてしまったのだ。

「橋本さん、橋本さんには――何でそんなことが巻き起こるんですか」。藤田さんは笑いながら、言葉を選んでそう言ったけれど、マームに同行していると、必ず何かやらかしてしまって迷惑をかけてしまう。たしか、リュックの中にビニール袋を入れておいたはずだ。床に落ちてしまったプリングルスをその袋にしまおうと思ってリュックを開けると、中は水浸しになっている。ペットボトルの蓋がキチンと閉まっていなくて、水が漏れてしまっていたのだ。

 16時過ぎ、フィレンツェ駅に到着した。去年のイタリア公演以来、1年5ヶ月振りのフィレンツェだ。駅にある券売機を見ると、去年も皆で駅を散策したことを思い出す。ただし、去年は駅の入り口からホームのほうを眺めていたけれど、今年はアングルが反転している。去年の自分たちを、反対側から見返している。

 フィレンツェで再び鈍行に乗り換える。乗車口のところに、少し褐色の肌をした女性が3人待ち構えていて、僕たちのスーツケースをがしがしと電車に積み込み始めた。横に倒して、扉の近くに積み上げていく。全員分を積み上げたところで、女性の1人がルイーサに話しかけている。どうやらお金を要求しているようだ。ルイーサは小銭で3ユーロ近く渡したけれど、彼女たちは金額に納得がいかない様子で、「こんなにたくさん運んだのに」と懇願している。ルイーサは渋々もう2ユーロ手渡した。

「今の人たちはジプシーなんですかね?」と藤田さんは言った。僕にはわからないけれど、ルイーサに何と訊ねたものか、難しいところだ。

「彼らのカンパニーの名前はマームとジプシーだけど、イタリアにもジプシーと呼ばれる人たちはいますか?」と訊ねてみる。

フィレンツェではそんなに見かけることはないけれど、フィレンツェの近くにもジプシーのコミュニティはある」とルイーサは教えてくれた。そして、さっきの人たちがジプシーかどうかはわからないけれどと前置きした上で、「イタリア人の中には、ジプシーのことを快く思っていない人もいる」と教えてくれた。真面目に生活しているジプシーもいるけれど、さっきのようなことをしてお金を請求したり、スリをして日銭を稼ぐ人もいるのだ、と。

 そんな話をしていると、「ジプシーみたいなことって、僕の親とかの世代のほうが伝わりづらいのかもしれない」と藤田さんは言った。

「ジプシーの人たちが流れてくるっていうのもきっと、陸続きだからじゃないですか。そう考えると、ジプシーって言葉とかも、悪い物としてとらえられない気がするんですよね。あと――最近、うちのじいちゃんがアメリカ旅行に行ってる写真が出てきたんですよ」

「昔は結構あったみたいですね。研修でアメリカに行くみたいなこと」

「そうそう。それで、結構いろんなところに行ってるんですよ。乳製品の会社だったから、アメリカの牛を見に行ったりしてて――アメリカの牛を見に行くって何なんだろう? 普通に、シンプルに疑問なんですよね。僕は会社っていうシステムの中にいないからわかんない感覚なのかもしれないけど、そういう感じで海外に行く人は、ああいう人を見て何と思うのかな。これはこの国ふうの貧しい人だとしか思わないのか――」

「おじいちゃんの世代だと、どうなんでしょうね。貧困層だと思ったかどうかもわからないですよね。たとえばマクドナルドにしたって、アメリカでは安い店として食べられていたものが、70年代に日本に入ってきたときはちょっと高級なものだったわけですよね。今はその差がなくなってきてますけど」

「たぶん『海外に追いつけ』ってノリがあったんだと思うんですけど、じいちゃんの写真を見る限り、何の身にもなってない旅行をしてるような気がするんですよ。そのことを考えると、作品を発表するために海外に来るってすごく変な話だと思う。僕らって会社員じゃないから、たとえ観光地みたいなところを歩いたとしてもそれは観光じゃないし、きっと会社のシステムで来てる人たちよりも慎ましい感じでツアーしてる気がするんですよね」

「その、作品を発表するためにきてるのが変だっていうのは、どういうところで感じるんですか?」

「何だろう、うちは別に芸術家の家系じゃないから、親とかはどう思ってるんだろうなって考えちゃうんですよね。橋本さんの日記を見て、『貴大が海外を旅行してる』と思っちゃうんじゃないかなっていう」

「それはさすがに思わないんじゃないですか?」

「ただ、親に限らず、このツアーのほんとに細かいところのニュアンスってどう思われてるんだろうな、と。『藤田君、良い経験してるじゃん』『いいね、マームとジプシー』と思われてるんだとしたら、ちょっとムカつくなっていう。仕事をしにきてるっていう意識を忘れたことはないし――ぶっちゃけ、定時に出勤して仕事をしている人たちから見ると、僕とかって仕事してないようなイメージを持たれかねない気がするんです。時間が全然違うし、しかも僕は役者じゃないから身体を動かすわけでもないし――ただ、ずっと考えなきゃいけないっていうことはある。さっきから僕の中ではおじいちゃんを引き合いに出して考えてるんだけど、おじいちゃんの写真を見ていると、その国の人が何なのかを知ろうとしている感じはしないんですよ。でも、それって別に知らなくてもいいことかもしれないじゃないですか。ただ、僕は意外と取材好きで、海外の人の生活とか、ほんとに未知過ぎて。だからワークショップでインタビューをするのが楽しいんですけど、でもそれと同時に、他人事になろうとするタイミングもあって」

「他人事になろうとする?」

「なんか、『こんな遠いところにきて、何やってるんだろう』って気持ちになるときあるんですよ。海外のワークショップをやっていると、言葉の壁もあるし、いくら聞いても彼らの生活に潜り込むことは不可能だから、何やってるんだろうなって思う瞬間はある」

 藤田さんはワークショップのことを例に挙げて話していたけれど、きっと『てんとてん』という作品自体にも似たところがあるように思った。その土地のことを、その街の人のことを知ろうとする、手を伸ばそうとするのだけれども、いくら時間を費やしたところで“わかる”とは言えないし、知った気にもなることはできない。ずっとその土地に対しては他人でしかあれないけど、彼らは旅を続けようとする。たしかに、それはとても奇妙なことかもしれない。

 17時20分、電車は目的地のポンテデーラに到着した。ワークショップに参加していたアンドレアが「ポンテデーラは新しい街だから、あんまり面白くないかも」と言っていたけれど、駅前にはこぢんまりした広場があって、トレーラーを広げた屋台が店を出している。子供向けなのか、お菓子と玩具がメインの屋台だ。これは撮っておかなければと、そそくさと皆のもとから離れて写真を撮ったけれど、似たような屋台をあとでいくつも見かけた。

 4台のタクシーに分乗して、まずは皆の劇場を目指す。駅から離れると、一気にロードサイドの景色になる。団地のような建物や、自動車ディーラーが見える。しばらく走ると広々とした駐車場のついた巨大スーパーマーケットが見えてきて、その隣にあるのが今回公演を行う「テアトロ・エラ」という劇場だ。皆の宿泊場所も、この劇場の中にある。

 僕は皆と分かれて、自分のホテルにチェックインする。立派なホテルで少し緊張してしまう。荷物を置いて、すぐに劇場に引き返す。さて、皆はどこにいるのだろう――。どうしたものかと迷っていると、聞き慣れた笑い声が微かに聴こえてくる。ルイーサの笑い声だ。ルイーサの笑い声はちょっと特徴的で、ともすればおじさんみたいな笑い声だとも言えるのだけれども、それがキュートに聴こえるから不思議だ。その声を辿っていくと、皆が劇場の下見をしているところに出くわした。

 ポンテデーラ公演は、いわゆる小劇場での公演となる。藤田さんは「かなり理想的なサイズだな」と言いながら、会場の感触を確かめている。今回のツアーの中では、ここが一番コンパクトなサイズだ。


 会場の下見が終わって、皆が自分の部屋に荷物を置きに行く頃には、すっかり日が傾いていた。部屋のチェックが終わったところで、皆で外に出てみる。明日は朝からバスに乗って出かける予定になっているので、バス停の場所を確認することにしたのだ。

 日が暮れてみると、ロードサイドの街という印象は一層強くなる。バス停があるのは産業道路のすぐそばで、道路には横断歩道や信号はなく、クルマがひっきりなしに行き交っている。その道路の向こうに、遊園地があるのが見えた。移動式の遊園地らしかった。メリーゴーランドにコースター、観覧車――広大な敷地にアトラクションが並んでいる。テーマパークとしてレベルが高いわけでは決してないけれど、荒削りな佇まいと少し寂れた雰囲気、それに夜に遊園地にいるというシチュエーションもあいまって、一気に浮かれた気分になってくる。藤田さんはさっそくビールを飲みながら――売店ではビールも売っている――「最高でしかないんだけど」と笑っていた。

 あゆみさん、はやしさん、藤田さん、それに僕の4人しか遊園地には行かなかったけれど、巨大なすべり台と、それにみの虫のジェットコースターに乗ってみた。ごく普通のコースターなのだけれども、異国情緒にあてられているのだろうか、ワーワー言いながら楽しんだ。1周で終わりなのかと思いきや、コースターはまわり続ける。コースターを動かしているスタッフはケータイをいじっていて、僕らが「いやいや、もう止めていいから!」と言っても、こちらに一瞥をくれるだけで笑顔も見せず、ケータイでメールを打っていた。そして5周か6周したところで、ごく事務的にコースターを止めた。

 遊園地を楽しんだあとは、隣にあるシネプレックスシネコン)のレストランでピザを食べた。今回のツアーで初めてのピザで、よくやくイタリアにきたという気持ち。出されたピザはカットされておらず、店員さんに「切ってもらえませんか」とお願いすると、まわりの客は笑っていた――いや、店に入った瞬間から少し笑われていたような気がするのは被害妄想だろうか?

 劇場の隣にあるスーパーはもう閉まっていた。21時で閉店するようだ。諦めて劇場に戻ろうとしていると、「チャーオ!」と声をかけられる。振り返ると、褐色の肌をした男性が立っていた。僕らもそうなのだけれども、この街では白以外の肌をした人をよく見かける。「こんなところで何をしてるんだ?」と彼は陽気に話しかけてくる。「英語はしゃべれるのか?」

「ほんの少し」と答えつつ、劇場に向かって緩やかに歩く。
「どこから来たんだ? ヤポン? 俺は日本人と友達になりたいんだ。何をしにポンテデーラにきたんだ?」
「この週末に、そこのテアトロでパフォーマンスをやるから、よかったら観にきて」
「テアトロ? テアトロには興味がないんだ、俺は。ヘイ、友達になろう」

 そう語りかけてくる彼にどう対応すればいいのかわからず、「週末にテアトロで」と言って僕らは劇場に引き返した。背中のほうから、「何をおそれてるんだ?」という声が聞こえてきた。