マーム同行記18日目

 19時を過ぎる頃には、外はすっかり暗くなっていた。今日は祝日だったのか何なのか、劇場の前の道には数百メートルにわたってずうっと屋台が出ていた。トラックを改装した屋台の列。衣服や雑貨を売る屋台は早々に撤収していて、ホットドッグを売る店だけが残っている。その屋台も、そろそろ店じまいをするようだ。この街では、ほとんどの店が20時か21時には閉まってしまう。

19時56分、聡子さんがキッチンに入ってくる。今日のリハーサルはもう終わったようだ。テーブルに荷物を置いて、棚をしばらく眺めると、ぶどうを1粒もぎとった。それを水で洗うと、荷物を手に取り、ぶどうを頬張りながらキッチンを出て行った。

 しばらくすると、荻原さんと藤田さんが帰ってくる。荻原さんは魔法瓶と、「RIO」というメーカーのツナ缶、それにクロワッサンを抱えている。ツナ缶とクロワッサンは実子さんのぶんを代わりに運んできたようだ。

「あっちゃんが遊園地に行きたいって話してるけど、皆行かないの?」と藤田さんは言っているけれど、特に誰も返事をしなかった。そこに尾野島さんと聡子さんが戻ってくる。尾野島さんはやかんをコンロにかけて、冷蔵庫の上にあるりんごを手に取った。

「今日の朝、シャワーが大変なことになったんだよ」と藤田さん。男子部屋のシャワーは、初日から問題だらけだった。まず、シャワーを引っ掛けておく留め具がなくて、手にもってシャワーを浴びるしかない上に、シャワーカーテンこそあれ、仕切りや段差が何もないせいで、誰かがシャワーを浴びるとトイレまで水浸しになってしまうのだ。しかも、排水溝は詰まっていて、すぐに水が溢れてしまう。2日目の朝、直してくれるように言ったのだけれども改善されなかったようで、今日はついに、部屋のほうにまでシャワーが溢れてきたらしかった。下の階にレジデンスしている人から「窓を伝って水が漏れてきてる」とクレームがあって洪水が発覚し、熊木さんが買ったばかりの靴も少し濡れてしまったのだ。

 そんな話を藤田さんから聞いているあいだに、尾野島さんはりんごを洗って、日本から持ってきたインスタントの味噌汁をマグカップに注ぎ、夕食を取り始めた。藤田さんはチーズとサラミを冷蔵庫から取り出し、レモンビールを飲み始めた。

 無言の時間が続く。

 20時17分、実子さんがキッチンに駆け込んでくる。

「実子ちゃん、散髪お願いしていい?」と尾野島さん。
「いいよ」と実子さん。
「何時ぐらいからがいいかな?」
「9時半ぐらいかなと思ってる」
「じゃあ、9時過ぎにはここにいるようにするね」

 実子さんはバタバタとスーパーに出かけて行った。藤田さんもその後を追った。二人の背中に、尾野島さんは「いってらっしゃい」と声を掛ける。すると、二人と入れ替わるようにして波佐谷さんがスーパーから帰ってきた。

「尾野島君、もうシャワー浴びたの?」
「浴びた、浴びた」

 波佐谷さんはスーパーで買ってきたばかりのクロワッサンを齧り、「甘っ」と呟いている。

「俺は懲りずにまた肉を焼くよ。7ユーロぐらいの肉を買おうかと思ったんだけど、ビビってやめた。俺さ、最初はハンバーガーを作ろうか迷ってたんだよね。レタスは冷蔵庫にあるから、トマトとパンを買ってきてハンバーガーにしようかと思ったんだけど、パンは1杯入ってるから使い切らんと思って」

「ああ、それはあるね。去年もパン買ったけど、結局食べきれなかったよね」と尾野島さん。

 波佐谷さんはフライパンにオリーブオイルをひいて、ステーキを焼き始めた。ゆっくりと肉をフライパンになじませていく。

「塩こしょうだけで味付けするか。一番うまい肉って、塩だけで焼くって言うもんね」
「ああ、塩ね」――早々に夕食を終えた尾野島さんは、洗い物をしながら相槌を打つ。
「でも、この肉、ほとんど骨だな」
「ああ、骨ね――あ、でも、めっちゃ良い匂いしてるよ」
「ほんと? 今、全然匂いがわかんないんだよね。腹の具合も良くないけど」

 波佐谷さんはフライパンに蓋をして、じっくりと肉を焼いている。洗い物を終えた尾野島さんがキッチンを出ると、今度は南さんがやってくる。

「お、何焼いてんの?」
「肉だね。肉しか焼いてない」

 南さんは冷蔵庫をのぞきながら、「たまねぎが一杯あるな」と口にした。何か作ろうか熟考しつつ、ビールをひと口ぐびりと煽る。「今すぐ何かって気になれないな。どうしよう。でも、スーパーに行くなら今だな」

 そう言うと南さんは立ち上がり、スーパーに出かけて行った。スーパーは21時には閉まってしまうのだ。

 ステーキを焼き終えた波佐谷さんは、それを皿によそって夕食を取り始める。キッチンには波佐谷さん一人だけで、肉を切るナイフの音がきこきこ響いている。

「この肉、2枚で2ユーロだから、1枚1ユーロなんすよ。もっと高い肉も売ってるんですけどね。それは牛だと思うんですけど、僕は豚のほうが好きだから、ちょうどいいんですけどね」

 あっという間に肉を平らげると、「次の人が戻ってくるまでにフライパンを開けとけばいいんだな」とつぶやき、洗い物を済ませた。

 20時42分、「めっちゃ煙くなってんだけど」と言いながら、藤田さんがスーパーから帰ってきた。手には惣菜を3つ、それにゴブリンビールを手にしている。ビールをぐびりと飲んで、出したままになっていたチーズをかじる。少し遅れて、あゆみさんが買い物袋を抱えて帰ってきた。

「あっちゃん、いっぱい買ったね」と波佐谷さん。
「うん。でも、じゃがいもが大きいからね」とあゆみさん。
「何作るの?」
「スープを作ろうかなと思ってるよ」
「あっちゃん、昨日あたりから料理し始めたよね?」と藤田さん。
「昨日はインスタントだよ」とあゆみさんは言った。

 20時49分、実子さん、はやしさんがも戻ってくる。
「これ、絶対おいしいと思うよ」とはやしさんは買ってきた商品を買い物袋から出している。
「え、何それ?」と藤田さん。
「ヨーグルトとシリアス――シリアスじゃないや、シリアル」

 そんな会話を背に、荻原さんと実子さんは冷蔵庫を覗き込んでいる。

「冷蔵庫がいっぱいだな」
「ね。一杯だね」
「これでパスタ茹でれるかな」と、実子さんはフライパンに水を張り、コンロに掛けている。
「どうだろうな。あんまり聞いたことはないけど」と波佐谷さん。
「え、フライパンで茹でようとしてんの? 何で?」と藤田さん。
「ちょっと、あんまり洗い物を増やしたくなくて」と実子さんは説明した。

 そんな会話をしている向こうで、あゆみさんはじゃがいもを切り始めている。じゃがいもがすごく大きいものだから、トン! トン! と強い音が響いている。

「うちのばあちゃんがさ、味噌汁を作るときにじゃがいもを入れてたんだけど」と波佐谷さん。
「おいしいよね、じゃがいも」とあゆみさん。
「あ、入れる? 前にじゃがいもの味噌汁を作ったら、『初めて食べる』とか言われて」
「僕も好きですよ、じゃがいも入れるの」と藤田さん。「群馬の実家は入れてましたよ。味噌汁って、ほんとに家によって違うらしいですね」

 まな板の前には荻原さんが立っていて、ズッキーニを切り始めている。
「まる、ズッキーニ好きだね?」とあゆみさん。
「うん、好きになっちゃった」と荻原さんは言った。そして長めにチッチッチッチッと点火して、オリーブオイルをフライパンに垂らし、コンロの上にある灯りをつけた。

 荻原さんがズッキーニを炒めようとしているフライパンの横には、実子さんが置いていたフライパンがある。フライパンに張ったお湯は沸騰し始めている。

「これでパスタ茹でるの?」と荻原さん。
「うん」と実子さん。
「鍋もあるよ?」
「ちょっと、洗い物を増やしたくなくてさ。今日もズッキーニを焼く?」
「うんうん」

 そんな話をしていたところに、はやしさんも戻ってくる。手を洗い、あゆみさんに「何か手伝うことはありますか?」と訊ねている。まだ手伝えることはないらしく、「ううん、大丈夫」とあゆみさんは言う。

 実子さんがパスタを茹で始めた21時、聡子さんが袋を抱えて帰ってきた。
「結構買ったね」と波佐谷さん。
「うん。何だかんだで使うかと思って」と聡子さんは言って、実子さんに「パスタ作ってるの?」と話しかけた。
「うん、パスタ。食べる?」
「え、食べるよー。ありがとう。私、何か適当に炒めようと思ってるけど、食べる?」
「うん、食べたい」
「ほんと? じゃあ、野菜を炒めよう」

 実子さんはパスタを丁寧に入れて、塩をふる。その隣で、荻原さんは自分のズッキーニを茹でたり、そのトングでパスタをかき混ぜてあげたりしている。あゆみさんは鍋に水を張ってやってくる。「いいじゃん、実子。それは何人前のパスタ?」
「SMJのパスタだよ」――よくわからないけれど、SMJというのは"S”atoko、"M”aru、“J”itsukoの略らしかった。一部の食材には、「SMJ」とマジックで書き込まれている。
「SMJのパスタなんだ? かなやんにも分けてあげて?」――そう話しつつ、あゆみさんはバターを鍋に落としてベーコンを入れ、スープを作り始めている。こまめに火加減を調整しながら塩と胡椒をふって、顔を近づけて匂いをかぎ、お玉で味見をしている。

「ヤバい、ビールがどんどん空くわ」と、テーブルのところにいる藤田さんが口を開く。「俺の食事はもう終わったから」――その言葉に答えることなく、皆せっせと料理を作っている。少し間をあけて、藤田さんは「あとは皆のをツマむだけだから」と言った。何だかちょっと、お父さんみたいだ。

 その頃、まな板の前には聡子さんがいて、買ってきたばかりの野菜を切り始めていた。2本目のビールを取りに行った波佐谷さんは「何その野菜、めっちゃでかいね」と声を掛ける。聡子さんは日本ではお目にかかれないサイズのパプリカを買っていた。
「聡子は何作ってるの?」という藤田さんの問いかけに、んんん?と聡子さんは振り返る。
「サラダを作るの?」と、もう一度藤田さんが訊ねる。
「ううん、何か適当に炒めようと思って」

 スープを作り始めて3分が経過したところで、あゆみさんは鍋にじゃがいもを投入した。バターを少し足しながら、隣にいる実子さんに「結構かかるね、パスタ」と声を掛ける。

「うん、13分かかる」と実子さんは時計を見ながら答えた。「あっちゃんのじゃがいも、一回茹でたの?」
「茹でてないんだけど、なんか瑞々しくてさ」
「もう茹でたみたいに見えるね」
「超安かったんだよね。古いのかな。大丈夫かな」

 21時8分、荻原さんの料理は完成した。
「めっちゃうまそうじゃん!」と藤田さん。
「オリーブオイルで炒めたの?」と波佐谷さん。
「うん。オリーブオイルと塩だね」
 そんな会話をしていると、「かなちゃーん」とあゆみさんが振り返る。サワークリーム味のポテトチップスを齧っていたはやしさんは立ち上がって、コンロの前に行く。

「キャベツをね、切りたいです。でも、まな板があいてないか」
「いや、ここあいてるよ」
「本当?」
「でも、包丁がこれしかないや」
「それ、パン切るやつだよ?」
 キャベツをまな板の上に載せると、一番外側の葉っぱをはぎつつ、「そんなに使わないよね? 半分ぐらいでいい?」と、はやしさんは包丁をキャベツに当てながら訊ねる。
「うん、大丈夫」
「ああでも、全部入れちゃう? キャベツ残しても使わなそうだよね」
 その会話を聞いていた藤田さんは「食べる人、ここに一杯いるよ」と言葉を挟んだ。
 5秒ほど間があって、あゆみさんはテーブルのほうに振り返り、「……わかった」と返事をした。
「尾野島君、味噌汁とりんごしか食べてないからね」と波佐谷さん。
「何で? 食べないっていう集中のしかたをしてるの? 尾野島さん、アツいな」

 実子さんの湯切りをしたパスタをフライパンに投入し、RIOという缶詰(パスタ用のソース)を合えていく。

「胡椒ってある?」と実子さん。
「胡椒はね――これも胡椒だし、あとは熊木先生のブラックペッパーもあるよ?」と聡子さん。
「ありがとう、あとで入れるわ。あ、あっちゃーん、お湯ちょっともらっていい?」
「いいよいいよ。でも、まだコンソメ入れてないから、ただのお湯だよ?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
 あゆみさんは灰汁をとりながら実子さんのパスタを見て、「めっちゃ美味しそうだね、実子ちゃん」と声をかけた。「かなやん、見てー。実子ちゃんのパスタ、美味しそうだよ」
「ほんとだ! いいぞ、いいぞ、実子」とはやしさん。
「あれ、この子、もらう前提で言ってるのかな?」と実子さん。
「言ってないよー。ミニトマト運ぶの手伝ったぶん、ちょっともらうだけだよー」

 9時13分、実子さんのパスタが完成した。
「めっちゃ大盛りなんだけど」と波佐谷さんは笑っている。
「え、実子、どういうこと?」と藤田さん。「俺、このパスタ、『フリージア』で観たんだけど。女を虐待してる男が山ほどパスタを作って、『残したらぶっ殺す』みたいに言う――そのときのパスタと同じだよ、これは」

 さっそく皆で食べてみる。最初に食べた波佐谷さんは、「これ、辛くない?」と感想を漏らした。
「ツナがあるところはね、結構しょっぱいかも」と実子さん。
「あっちゃん、先に食べちゃうね」とはやしさん。いただきまーす、とひと口食べると、「あ、これ美味しいよ」とはやしさんは言った。「なんかね、給食の味がする。実子の味がする。やわらかくて、炒めた味がする」
「……え、美味しくないってこと?」と藤田さん。
「いや、美味しいってこと。なんかサボテン荘の味がする。懐かしい味がする」

 その頃、空いたコンロでは聡子さんが料理を始めていた。フライパンにオリーブオイルを入れてなじませている。隣にいるあゆみさんはこまめに味見をして、大きなキャベツは手でちぎりながら鍋に入れていく。

「さっちゃん、何炒めてるの?」
「なんか、肉みたいなハムみたいな、よく分んないやつ」
「そっか。キャベツ、入りきらないな。さっちゃんの炒め物に入れれる?」
「平気、平気」――聡子さんはまな板の上にあるカットされた野菜たちを運んできては、次々フライパンに投入していく。食材の一つはトマトだ。
「トマトを炒めるのって美味しいよね」とあゆみさん。
「ね。美味しいよね」と聡子さん。
「あんまり――あんまりっていうか一回もやったことないけど」
「なんかさ、もったいない気がしなくもないんだけどね。生で食べれるのに、って」
「わー、美味しそうだねさっちゃんの」
「本当? まだ何も味つけれてないんだよね」

 あゆみさんは味見をして、「このじゃがいも、残念ながらあんまり美味しくないかも」と言った。「やっぱり大根みたいな味がするけど――うん、出来た気がする。かなやん、そろそろ食べれるよ」
「オッケー。じゃあ門田先輩を呼んでこよう」
「うん、呼んどいで。すごいね、パーティーみたいだ」

 21時26分、イタリアでは1カ所目の公演に向けて、ずっと字幕の作業にかかりっきりになっていた門田さんもキッチンにやってくる。「わー、美味しそう!」と喜んでもらえて皆も嬉しそう。あゆみさんは「美和ちゃん、先に食べてて」と言って、皆のぶんのスープを皿によそっている。

「うん! 美味い!」と、最初にスープを食べた藤田さんはひときわ大きな声で言った。「これは美味いです」
「よかった、ありがとう。じゃがいもはどう?」とあゆみさん。
「美味い、美味い。サクサクしてて、ジャンクな味がする。これ、何で味をつけてるの?」
コンソメとバターだよ」
「これはコンソメの味ってこと?」
「そうだね、きっと、だから、コンソメが美味しかったんだよ」
「これは美味いわ。ぶっちゃけ俺、味のことはわかんなくて――『まずい』『うまい』『とびきりうまい』のランクですよ」
「……何言ってるの?」とはやしさん。
「何が言いたいかっていうと、このスープはとびきりうまいってことです」

 皆がスープを食べ始めている頃、聡子さんは炒め物の味付けに取りかかっていた。白ワインや、熊木さんの胡椒、何かの香辛料を、あれこれ投入して、指でつまんで味見をした。

「どう?」とあゆみさん。
「美味しくない。野菜の味がする」
「そう? 美味しそうに見えるよ?」

 21時半には聡子さんの炒め物も盛りつけが終わり、全員がテーブルについた。ばらばらに動いていたタイムラインが、一つに繋がる。しみじみビールを飲んでいた藤田さんは、「明日はこれできないのか」と残念そうな顔をしている。「どの土地でも、これをやってから初日を迎えたいよね」

 食事を終えた人から席を立ち、洗い物をして部屋に戻っていく。オフの日はどこに行こうか――そんな話をしていた21時55分、南さんと角田さんがキッチンに現れた。角田さんは「キューピー3分クッキング」のテーマ曲を口ずさみながら歩いている。水を張った鍋をコンロにかけ、それとは別にフライパンも用意している。パスタを作るようだ。南さんはにんにくをみじん切りにして、手伝い係の角田さんはキャベツを切っている。

「キャベツ切れました!」
「はい、ありがとう。次はたまねぎをお願いします」
「南さん、ちょっと多めに作ってくださいね」と藤田さん。
「オッケー」と、南さんはスープを頬張りながら答えた。


 22時ちょうど。二人が料理をしているあいだに、キッチンの入り口には、臨時の床屋さんがオープンしていた。美容師は実子さんだ。

「どんな感じがいい?」と、実子さんは演出家に訊ねている。

「前はちょっと刈り上げてる感じがよかった気がする。スズキタカユキさんの衣装には、短いほうが合うと思うんだよね」と藤田さん。

「じゃあはさっち、これを持ってて」と実子さんはキッチンペーパーを一枚手渡して、散髪が始まった。しばらくカットが進んだところで、藤田さんが黒いゴミ袋を見つけてきた。真ん中に穴を開けて、波佐谷さんにそれをかぶせた。
「はさっち、ゴミ袋みたいだよ」とはやしさん。
「うん、これゴミ袋だからね」と波佐谷さん。
「間違えた、ゴミ置き場みたいになってるよ」

 22時10分、尾野島さんが部屋に戻っていた。どうやら少し眠っていたようだ。あゆみさんはテーブルの上を片づけ始めている。
「たかちゃん、このチーズまだ食べるの?」
「もう食べない」
「じゃあ、尾野島さん食べる?」
「食べない、食べない。なんか残飯係みたいになってない?」

 30分ほどで波佐谷さんの散髪は終了した。波佐谷さんが頭を洗うべくキッチンを去り、尾野島さんの散髪が始まった頃、南さんはパスタを1本食べてみて、茹で加減を確認している。

「よし、出来た!」と南さん。「ツノ、ざるをお願いします」
 湯切りを終えると、南さんはそのパスタをフライパンに投入し、ソースと合えている。
「美味しそうです」と角田さん。「お野菜があるってのはやっぱいいですね」
「そうですねえ」
「お肉も全然いいんですけどね」
「そうですねえ」――南さんはテーブルに振り返り、「食べる人!」と皆に訊ねた。

「皆食べると思います」と藤田さん。
「ほんと? 皆食べる?」
「食べます、食べます」

 キッチンにはガーリックの匂いが広がっている。香りだけでお酒が飲めそうな気がしてくる。今回のメンバーの中で、熊木さんと南さんの2人はとても料理が上手だ。僕は初めて南さんの料理を食べることができて、とても幸せな気持ちになった。「今日はいろいろあったな。いやー、楽しいな」と藤田さんはつぶやくように言った。

 23時、キッチンに残っているのは、藤田さん、南さん、角田さん、それに散髪中の実子さんと尾野島さんの5人だ。そこに荻原さんが戻ってきて、やかんをコンロにかけてお茶を入れようとしている。

「よし、じゃあやるか。まる、大富豪やるよ」と藤田さん。
「え、やらない(笑)」
「え、何でー!」

 そんな会話を交わしていたけれど、結局荻原さんも一緒に大富豪をやることになった。そんなことをしているうちに日付が変わり、ポンテデーラ公演の初日を迎えることになった。