マーム同行記19日目
13時半、劇場に到着してみると、聡子さんが舞台でストレッチをしていた。実子さんは釣りのシーンを一人で練習している。客席に座っていた波佐谷さんは「まだ9時間もあるのか。既に眠いな」と独り言のようにしてつぶやいている。と、そこに尾野島さんが入ってきた。
「お、その髪型いいじゃん」と実子さん。その髪を切ったのは実子さんだ。
「実子も髪切れば?」と波佐谷さん。
「うん、前髪は切ったんだけどね」
「後ろも切って、ショートにしたらいいんじゃない?」
「うん、ちょっと考えてるよ。さっき『プロレスラーみたい』って言われたからね。ちょっと引きずるよね」
14時6分、藤田さんもやってくる。「じゃあ、入ってくるところからやってみようか」と声をかけると、プロローグから稽古が始まった。
プロローグというのは、6人の登場人物――彼らはみんな中学3年生で、同じ学校に通っている――が森の中にいるシーンだ。“あや”は家出をして、森の中でキャンプを始めている。そこに5人がやってきて、一緒に時間を過ごしている――そんなシーンから『てんとてん』という作品は始まる。
「この作品は、最初のプロローグで6人全員のシーンがあって、その6人が全員でいるシーンを繰り返すっていうことが、大きな構造としてあるじゃん。その二つが対になってるわけだけど、それは何故かと言うと――この6人が一緒に過ごしたのは、この日が最後だったっていうことがあるわけだよね。そのプロローグを描いたあとに何を始めるかというと、ある意味では“あやちゃん”の死へのカウントダウンをやっているわけだよね。6人が一緒にテントで過ごしていたのは“あやちゃん”が死ぬ数日前のことで、そこから「その4日前」とかって形で遡っていくんだけど、それは結局、一人一人の中で“あやちゃん”が死ぬまでのことを回想してるんだよ。その「一人一人が回想してる」って構造を失って、一つ一つがコミカルにやってるだけってなっちゃうと、皆が関係ないように思えてきちゃうんだ。そうじゃなくて、休み時間のシーンも、図書室のシーンも、“あやちゃん”とのダイアローグも、全部「今思えば」「今思えば」ってことなわけじゃん。記憶の中にある“あやちゃん”のことが、繰り返すことによって全部切り取られていくわけだよね。演出とかテキストとしてはコミカルっぽいことでも――“さとこちゃん”と“あゆみちゃん”は“あやちゃん”からもらった手紙を読んで、「ちょっと様子がおかしい」ってことは感じてたわけだよね。コミカルなことはやっていても、何だろう、冗談では済まされない部分はあるわけだよ、たぶん。それを一つ一つ刻んでおかないと、後半にふにゃっとなっちゃうんだ。じゃあ、ちょっともう一回やってみよう」
2時間半ほどで稽古は終了した。当初の予定では、この日は17時半からゲネプロ(通し稽古)をすることになっていた。
「これ、ゲネはやるべきなのかな?」と藤田さん。「通すの、疲れると思うんだよね。それはボスニアで思い知ったから」
「いや、過ごし方が難しいな」と波佐谷さん。
「丸っきり休みにしちゃうとキツいけど、通しをやるのもキツいよね。今何時?」
「今が16時半です」と熊木さん。
「あと6時間もあんのか」と波佐谷さん。
結局、この日はゲネプロをカットして、19時まで長い休憩にあてることになった。少しあたりを散歩してみると、空は赤に染まり始めている。雲一つなくて、しかもこの街は空が広いから、とても美しく見えた。
キッチンに戻ってみると、あゆみさん、熊木さん、聡子さん、実子さん、波佐谷さんが座っていた。
「はあ、もう今から本番やりたいわ。今は6時半だから――こっからまだ4時間あるんでしょ。今1時だとしたら5時だよ、夕方だよ」
19時からフィードバックが始まった。このフィードバックは20時までの予定だったけれど、これもスムーズに進み、3つのシーンを返してみると、カーテンコールの練習をして、19時半にはフィードバックも終わってしまった。小道具をセットし直していると、あゆみさんが口を開く。
「ポンテデーラの歴史とかあるのかと思ったけどさ、調べても何も出てこなかったんだよね」
「ポンテデーラは新しい街だって言ってたよ」と波佐谷さん。
「『ポンテデーラ 事件』で調べてみても、何も出てこなかったよ」
「それ、何て調べ方してんの」
あゆみさん、聡子さん、藤田さん、それに僕の4人でスーパーに出かけた。外はすっかり日が暮れている。買い物を済ませたところで、「この街って、どこを思って言えばいい?」とあゆみさんは言った。
「それは別に、どこのことも思わなくていいんじゃないの」と藤田さんは答えた。最初はそれで会話が終わったかに思えたけれど、キッチンに戻ると、藤田さんは「え、『どこを思って言えばいい?」ってどういうつもりで言ってるの?」と険しい顔で言った。キッチンには、一緒に買い物にいた4人だけがいた。僕の右隣には聡子さん、僕の向かいには藤田さんが座っていて、その隣にあゆみさんが立っていた。
「『こんな街』って言い方をするとき――日本でやっときはそんなこと気にならなかったんだけど、何も知らないってことがどうしても引っかかっちゃうんだよ」
「サラエボのときは、タイダさんがいたから何となくその街のことを聞いたけど、この先、それぐらいのマッチングを求めていくと、こんなの全然できないよ」
「マッチングとかじゃないよ、ほんとに――」
「え、じゃあここ数日のことを言ってるわけ?」
「え?」
「ここ数日の過ごし方のことを言ってるわけ?」
「え、私の?」
「いや、皆の。皆がポンテデーラのことを知ろうとしてなかったってことを言ってる?」
「言ってない、言ってない。ほんとその台詞だけかもしれない。『この街で起こったこと』っていうとき、ずっと『てんとてん』の街を――女の子が殺された街のことしか想像してなかったけど、ボスニアって街でやったとき、『この街』っていう台詞をボスニアってことで言っちゃったから」
「でも、それはいいんじゃない? 『てんとてん』って作品はさ、いろんな街のことを言ってるじゃん」
「……うん」
「ボスニアでその感覚があったのであれば、その感触を捨てろとは言わないけど。だけどここではボスニアではないよね」
「……うん」
「この作品では、ありとあらゆる街のことを言ってるじゃん」
「……うん」
「ボスニアでは具体的になってしまったところはあるけど、ただ、あっちゃんの言い方が引っかかるのは、『この街のことを知らない』ってことをどういうつもりで言ってるのかがわからないんだ。だって、僕らはどの街のことだって知らないよね?」
「……うん」
「タイダさんから偶然話は聞けたけど、サラエボのことだって知れたとは思わないしね、そこは。逆にさ、『知れた』とか言っちゃうのはおこがましいことじゃん。それに、調べてみたときに、その街には特別な悲劇みたいなことが何もなかったとしても、その街のことが悪いとは全然思わないし」
「悪いとかは言ってないよ、まったく言ってないよ」
あゆみさんはコンロでお湯を沸かそうとしている。点火する音が、チッチッチッチッチッチッチッ、とずっと響いている。僕はスーパーで買ってきたタコのマリネをつまみながら、ビールを飲んでいた。
「じゃあ、『てんとてん』の世界にしようかな」とあゆみさん。
「いや、だから『しようかな』とかじゃないんだよ」
「だって、しないとできないんだもん」
「だから――『しようかな』ってことは、じゃあボスニアのときは『てんとてん』の世界で言ってなかったってこと? だとしたら、ボスニアでは『てんとてん』の世界とはまったく別の世界のことを言ってたわけだよね。それはただのクソだよ。絶対そうではないじゃん。え、どういうことで言ってんの? 説明してみて」
「今説明したけど、いい」
「わかんないよ、全然」と藤田さんはビールを開けた。「だって、この街から出ていく人もいるわけじゃん。どの街でも、そういう漠然としたところに向けてやってたはずだけどね。どの街にでも、俺と同じ規模で傷ついている人もいるかもしれないじゃん」
「……うん」
「それでも言えないっていうのであれば、ポンテデーラに着いてからの皆の過ごし方が悪かったってことになるんじゃないの。もっとこの街のことを知っていけばよかったんじゃないの。どうやって知るのかわかんないけどね。出歩ける場所がなさ過ぎるからさ」
「去年、たかちゃんが言ってたじゃない? 『旅をする意味がなくなっちゃう作品にはしたくない』って」
「いや、だから、意味ななくないと思ってるよ」
「うん、意味なくないよ。もっとあゆみの問題だけどね。……うん、わかった。わかったよ」
「そうやって言われても、全然気持ち悪いんだけど」
「だから――そうかもね。ボスニアが強い印象過ぎたってのは絶対にあるから、それをなぞっちゃってる気がするんだと思う」
「たぶん、区別して考えたほうがいいんだよ。まず、『てんとてん』の世界があるじゃん。で、ボスニアで挙げた成果があるじゃん。その上で、今はポンテデーラにいるってことがある――この3つのことをあっちゃんはぐちゃぐちゃに言っちゃってるんだと思う。それはさ、十六夜(吉田町スタジオ)でやったこともあるわけだし、フィレンツェもあるし、サンティアゴもあるわけだから、そこで考えたことは引き算する必要はないってことがまず一つ。だからボスニアで――何泣いてんだよ。ふざけんなよ、マジで」
僕はうつむいたままタコのマリネをつまんでいた。僕は視線をあげることもできず、ただただタコを食べることくらいしかできなくて、終演後に食べるつもりだったタコをあらかた食べ尽くしてしまった。
「だから、ボスニアで出会ったことは絶対に引き算しなくていいの。それは全然良いんだけど、今ポンテデーラにいるってことは、それに引けを取ることだとは思わないって話。あっちゃんもそう言ってるんだとは思うけど、言い方の問題でさ。今まで出会ってきたことに関しては、全然引き算しなくていいと思う」
「どういうこと?」
「だから、ボスニアでやったときに『この街で起きたこと』ってことを言えた感触があったとしたら、ポンテデーラに来たからと言って、それをチャラにする必要はないんだよ。今は偶然ポンテデーラってところにいるけど、ここの土地のことは他の土地と同様に知らないし、ここの土地の人たちのことだって他の土地の人たちと同様に知らないじゃん。それはあえて平等にしていかないと駄目なんじゃないの。だから『てんとてん』の中では、あえて3.11の話も9.11の話も言ってるわけだよね。そうすると、「どことしてやればいいの」ってことじゃなくて、ポンテデーラにいるってことはあるはずだし、どこの土地でも『てんとてん』の中のフィクションの世界をやるっていうのもあるわけだよ」
「うん、そうだね。それはずっとそう思ってたけどね」
「だけど、サラエボに関しては皆の中のパワーバランスが崩れたかもしれないっていう危機感はあるよ。その危機感はずっとあるから、その話は皆としたいんだけど。だけど――こう、蓄積していくじゃん」
「うん、そうだね。蓄積をやりたいんだけど、難しかったら聞いてみた」
「だけど、それでも蓄積をやるしかないよね。蓄積をやるんだけど、それは『どこをやればいいの』とかじゃないよね。蓄積をやるんだけど、そこはポンテデーラだし、『てんとてん』の世界だってことはないと駄目なんだと思う」
今振り返ってみても、『てんとてん』という作品は、(それに向けて作ったわけでは当然ないにもかかわらず)ボスニアという土地と、歴史と、リンクしてしまうところが多かった。そして、藤田さんがボスニアで皆に向けて言っていた、「この土地の人たちに向けて言う」ということは、バランスをとるのがとても大変な作業だと思う。まずは『てんとてん』の世界の言葉として伝えるのだけれども、それをその土地の人に向けて、その土地の人に届く(届ける)言葉として語る。そして、その言葉には、これまで旅した土地が記憶が蓄積されている――そんなふうに言葉として整理することはできるけれど、それを実際に舞台の上で語る役者には、とても複雑なバランス感覚が要求されるのだろう。
22時。開場時刻が30分後に迫ったところで、藤田さんは役者の6人を集めて話を始めた。
「公演としては今年2カ所目ってことで、ボスニアのときはサラエボ出身のタイダさんがいて、いろんな話が聞けたけど、今回はタイダさんみたいな人はいないわけだよね。でも、どっちかと言えばこっちのほうが当たり前だし、タイダさんに話を聞いたからと言ってサラエボのことがわかってるとは思わなくて。
今、皆に何が言いたいかっていうと、サラエボみたいな街だったり、去年のサンティアゴも「津波があった街だ」って話をしたけど――そういうことに『てんとてん』という作品を当てはめていこうとすると、たぶんどの土地でもやれなくなっていくと思う。だけど、悲惨な出来事はなかった街にだって、そこに住んでいる人はいて、些細なことに傷ついたりしているわけだよね。その意味では、どこの土地でもこの作品が当てはまらないってことはないはずだと思う。
この作品はいろんな街でやって、いろんな街で意味がつけられて――その上で今ここに立ってるってことを最後に言うわけだよね。ボスニアだと「目を開けると、2014年、ボスニア、サラエボだ」って台詞を言ったし、今日の公演だと「目を開けると、2014年、イタリア、ポンテデーラだ」って言うことになるわけだよね。この作品には「街」って言葉がたくさん出てきて、その「街」はいろんな意味合いになっていくんだけど、物理的には今ポンテデーラでやってるし、今日もポンテデーラの人たちが観に来るわけだよね。
この作品が難しいのは――これは僕が生まれ育った伊達の街をモデルにした作品かもしれないし、僕のイメージの中にある街の話かもしれないんだけど、マームの他の作品よりも隙のある作品だから、その隙の部分はその街の人に向かって話しかけなきゃいけないところはあるし、それによって受け取り方が全然違うことになりかねないから、それに対して役者さんは対応していかなきゃいけないし――そういう意味ではすごく特殊な作業をやっているのかもしれない。
大事なのは、どのことも無視しちゃいけないってことだし、どこに偏ってもいけないってことだと思う。ボスニアでの感触がすごく強かった人がいたとして、このポンテデーラに移動してきたときに、ボスニアのことをやってもしょうがないと思う。だけど、まずは「今、ポンテデーラに立っている」ってことをやるんだけど、そこでボスニアであった感触みたいなこともちゃんと残ってないと駄目だと思う。だから、役者さんはすごく絶妙なバランスでやっていくしかないと思うのね。だから、ものすごく不安だと思う。どこに寄り添っていいのかはわからなくなりがちだとは思うんだけど――基本的にはまず、作品世界のことをやる。ただ、この『てんとてん』の作品世界は、その作品世界のことだけやっていても成立しない作品世界なんだよね。海外の観客に影響を受けながらやっていくのはものすごくタフな作業だけど、やるべきことのバランスを取っていくしかないんだと思う。
これはどの街でもそうだけど、僕らはずっとストレンジャーなわけだよね。ずっとストレンジャーなまま作品をやってきたってところがある。それは格好良いところでもあると思うし、すごく弱点でもあると思う。ただ、イタリアに関しては、去年とかは1年目だからどんな街かもわからなかったけど、今年は2年目で、マウリッツィアもいるしルイーサもいるし、トーマスさんとかもいるわけだよね。今日観に来るお客さんの中に、去年観てくれたお客さんがいるかもしれない。そうするとまたちょっとニュアンスが違ってくるんだろうなとも思ってる。そうしたときに、イタリアという土地で『てんとてん』という作品をやる価値がどういうふうになっていくのか、俺は全然想像できないし、もしかしたらイタリアでやらなくてよくなるのかもしれないけど――僕はボスニアの作業がベストだとは思わないんだよ。今はまだ、全部が旅の途中だから。それに、今はボスニアよりも細かい作業をし始めてる気がするんだよ。そういう作業をイタリアではしていきたいし、イタリアはもう2年目だから、それができる気がするんだよね。っていうことで、よろしくお願いします」
話が終わる頃には、開場時刻の10分前になっていた。皆が藤田さんの言葉を反芻しているうちに扉は開き、お客さんが次々と入ってきた。この街で――ほとんどの店が20時か21時に閉まってしまう街で、22時半に始まる演劇を観に来るお客さんがいるのかと心配していたけれど(おまけにこの日はストライキが行われていて、電車やバスはあまり動いていないらしかった)、蓋を開けてみると60人ものお客さんがやってきて、客席はほぼ満席になった。そうして、イタリアという国では2年目となる『てんとてん』が始まった。僕はモレッティの大瓶を飲みながら、その公演を見守った。今日の公演は――お昼に藤田さんの話があったからだろうか、皆が“あやちゃん”のことを見送っているように思えた。
終演後、カーテンコールを終えた役者さんと藤田さんは外の芝生のところに佇んでいた。
「いやー、お客さんの自由な感じが面白かったな」と藤田さん。「ボスニアはお客さんの真剣さがすごかったけど、イチャついてる率が高かったよね。聡子は『普通に動揺した』って言ってたけど、ああ、イタリアのお客さんってこういう感じだったと思い出した」
1年振りに『てんとてん』を観てくれたマウリッツィアは、深く感動した様子で、「ベリー・ストロング。ベリー・ベリー・ストロング」と繰り返し皆に伝えている。隣のスペースで作品をやっているロベルト・バッチさんも、「アリガトー!」と陽気に声をかけてくれた。この劇場の芸術監督(?)でもあり、ファブリカ・ヨーロッパのプロデューサーでもあるルカさんは、劇場についているバーカウンターに皆を連れていって、ワインを御馳走してくれた。
皆が「ユー・アー・“オトコマエ”」と日本語を教えているとき、僕は聡子さんに短く話を聞いた。というのも、少し気になっていたところがあったのだ。
今日の公演では、2カ所で少し笑いが起こった。それは、プロローグで「よろしいでしょうか、皆さん」と観客に語りかけるシーンと、ラストに登場する「目を開けると、2014年、イタリア、ポンテデーラだ」と語るシーンだ。その台詞はどちらも聡子さんのモノローグで、後者に関してはボスニアでも笑いが起きていた。
――今日観ていたときに気になったのは、笑いが起きたあと、聡子さんの声の響きがボスニアとは違っていた気がして。そのとき、何を思っていたんですか?
聡子 ボスニアのときは、笑ってくれたことがちょっと嬉しくて。でも、なんか今日は、笑われてもいいけどって感じだった。何だろう、ボスニアは不安がずっとあったから、笑われたことでちょっとホッとしたんだけど、今回はそういうのがないから。
――なんか、「よろしいでしょうか、皆さん」っていう台詞の響きとかが、結構強かった気がするんですよね。ボスニアのときは不安で伺いを立ててる感じに聴こえたんですけど、今回はもっと、「ついてきてます?」ってくらいの強さを感じて。
聡子 ……その質問の答えになるかどうかはわからないんですけど、笑いが起きたとき、ボスニアのことは思い出すんだけど、でも、同じふうにはならないなとも思っていて。だから……「私は最後までやるからね」って気持ちはあったかもしれない。笑ってない人もいたし、笑ってる人は一部だなってことはボスニアよりも感じたから――別にボスニアと比べるとかじゃないし、笑ってる人がどうとかってことでもないんだけど、パフォーマンスとしてはボスニアのほうがお客さんに寄り添えてたところがあるのかもしれないけど、今回はあんまり、そういうこととは違う気持ちでいたってことなのかもしれないですね」
この日は2時半までキッチンでワインを飲んでいた。これまでまったく料理をしなかった――日本でも料理なんてしていないであろう藤田さんは、なぜか急にオニオンスープを作り始めていた。