マーム同行記22日目
気づけば電車は海沿いを走っていた。本当に線路のすぐに海岸線がある。海は綺麗な碧色とも言えるけれど、空が曇っているからだろうか、鈍く、重い色をしている。ここはアンコーナという街だ。今日の朝にポンテデーラを出発して、イタリアを西から東に横断してこの街にやってきた。この海が、イタリアで目にする最初の海だ。
駅のホームでは、ポンテデーラのスタッフの人たちが僕らのことを出迎えてくれた。さっそくクルマで宿を目指す――といきたいところだけれど、今回の移動手段はバスではなく、スタッフの人たちの自家用車だから、スーツケースを載せるだけでもひと苦労だ。結局、足下にスーツケースを押し込んで、きゅうきゅうした姿勢で宿に向けて出発する。
クルマは海沿いを走っていたけれど、すぐに海を背にして山を登り始めた。あっという間に建物が少なくなっていく。少し走ると採石場が見えた。ゴツゴツとした岩肌を抜けると、なだらかな丘が広がり始める。絵に描いたようなイタリアの田舎の風景だ。駅から30分ほど走ったところで、宿にたどり着く。
「海、一瞬だったね」
「泊まるところがいちいちすごいところだな」
そんな会話を交わしながら、スーツケースを引きずって歩く。宿の前は砂利道になっていて、スーツケースのコロは回らなかった。宿舎――ここはポンテデーラと同じように、アーティストのためのレジデンス施設になっている――は入ってすぐのところがキッチンになっていて、スタッフの女性がコーヒーと紅茶を淹れてくれている。キッチンにはお菓子や果物、シリアルやヨーグルト、サラミ、肉、パスタが並んでいる。ここにある食材は、一部をのぞいて好きに食べていいのだという。コーヒーも好きに飲んでいいということで、エスプレッソマシンの使い方を皆で教わる。「食堂」と漢字で書かれたホワイトボードには、いろんな国の言葉が書き込まれていた。你好。Privet。おはよう。Ciao。謝謝。Hola。Tschuss。こんにちは。
部屋に入ると、皆はまずシャワーを確認したらしく、「良かった、ここはちゃんと囲いがある」なんて話をしている(ポンテデーラのシャワールームには囲いや段差がなく、何度も洪水が起きて、一度は部屋にまで浸水してしまった)。旅をしているうちに、宿に対する期待値がどんどん下がっている。
しばらく休憩時間になったけれど、皆どこに出かけるでもなく、中庭のあたりをぶらついている。散歩に出かけようにも、風景が広大過ぎて、散歩しようという気持ちになれないでいる。どんよりと曇った空も、気分を少し重くする。「暗いな、ここ」と藤田さんがつぶやく。「暗いところ、無理なんだよな」
18時、劇場の下見に出かけることになった。外はすっかり暗くなっている。駅から送迎してくれたスタッフはもう帰ってしまったので、バスで移動することになる。今回の旅では初めてのバスだ。既に停留所に停まっていたバスに駆け込んでみると、座席は落書きだらけだった。イタリア語はわからないけれど、あきらかに下ネタであろう落書きたち。落書きの内容はどこに行っても変わらないものだなと思う。
宿舎の近くにあるバス停を出発すると、次のはバス停までは5分ほどかかった。外はただただ真っ暗で、たまに家の灯りが見える。
「これは歩けないな」と藤田さん。
「え、無理かな?」とあゆみさん。
「歩けると思ってる? これ、既に相当な距離だよ」
皆で劇場まで歩けないかと思っていたけれど、とても歩くことはできなそうだ。本当にずーっと真っ暗だし、道は坂になっている上にあまり舗装されておらず、バスは何度も大きく揺れた。結局、劇場の最寄りの停留所までは40分もかかった。
アンコーナ公演の会場となる「TEATRO SPERIMENTALE」は、長い階段を上がった先に建っていた。楽屋口から中に通してもらうと、可愛らしい劇場が見えてくる。青い客席に、水色の壁。袖幕は赤く、壁にはシャンデリアが掛かっている。
「超いいじゃん、ここ。俺、こういう劇場でやりたかった」と藤田さんは嬉しそう。
「可愛いよね」とはやしさん。「綺麗な青!」
「ちょっとウェス・アンダーソンぽいよね」とあゆみさんが言うと、「うん、ウェス・アンダーソンっぽい」と藤田さんも同意する。
「くまちゃん、あの赤い幕は常設なのかな。あれは絶対にあったほうがいいね。南さん、このシャンデリアもうまく使いたいね」――藤田さんはもう仕込みに向けた話し合いを始めている。役者の皆は、しばらく客席に座ってステージを眺めていた。皆、何を思い描いているのだろう。終バスの時間が迫っていることもあり、下見は15分ほどで切り上げることになった。バス停まで歩くあいだも、藤田さんは南さんと照明のプランニングの話をしていた。
宿舎に戻って、さて、晩ごはんだ。今日は結局、お昼ごはんを食べそびれているから、すっかりお腹がぺこぺこだ。
既に用意されていた食事――初日だけは食事が用意されていた――を温めているあいだに、何人かでスーパーに出かけてみる。食べるものはふんだんにあるけれど、ただ一つ、酒が一本も置かれていなかったのだ。これまでに訪れたどの街よりも冷たい風が吹いている。
「ボスニアのときにも上着を買おうか迷ったんですけど、買う機会を逃し過ぎてる」と藤田さん。
「ボスニアも結構寒かったですもんね」
「でも、これから南下すると思って買わずにいたんですけど、南下したほうが寒くなってる」
「こうなってくると、『シチリアは暖かい』って話も半信半疑ですよね」
「ほんとだよ。シチリアまで寒かったら終わりなんだけど――あ、あれがスーパーか。まだやってる?」
近くにあるスーパーはもう閉店してしまっていた。皆が閉店時間を調べているあいだに、僕は踵を返してバス停まで走った。バス停のすぐ近くに小さなピザ屋があり、その店はまだ営業していたのだ。店に入り、ビノ・ロッソ、デュエ。ビッラ、クワトロ。と単語だけで会話をして、赤ワインとビールを購入する。全部で30ユーロもしたけれど、これで今晩の酒を確保できたとホッとした気持ちになる。
宿舎に戻ると、パスタとミートロープがテーブルに並べられていた。それに、冷蔵庫に入っていたチーズと生ハムをルイーサが切ってくれている。チーズを生ハムでくるんで、日本式に盛りつけると、晩ごはんの準備は整った。
「サルーテ!」と乾杯をして、食事が始まる。この日の話題は、波佐谷さんだ。
「波佐谷さんの話を、ちゃんとルイーサに伝えてみよう」と藤田さんが言うと、皆がぞれぞれ波佐谷さんにまつわる出来事を話して、それを門田さんに通訳してもらう。
たとえば、僕が話したのはこんな話。
去年のフィレンツェ公演の際に、アブダビにある空港でトランジットをしていたときのこと。飛行機の搭乗口に並んでいると、波佐谷さんが「イタリアに行くんだったら、シチリアに行きたいわー」と言い出した。「『ゴッド・ファーザー』の中に、ドン・コルレオーネが八百屋の近くで銃撃されるシーンがあるんだけど、ああいう場所に行ってみたいわ」と。たしかに、『ゴッド・ファーザー』に出てくるドン・コルレオーネはシチリア出身だけれども、あの物語の舞台はニューヨークで、ドンが撃たれる場所もニューヨークだ――。
ルイーサはどの話も大笑いしながら聞いてくれた。笑い過ぎて、途中から波佐谷さんを見る目が「この人は一体」という雰囲気に変わってもいた。皆の話を聞き終えると、「これからは注意深く観察して、ツアーが終わるときまでに私もハサタニ・エピソードを見つかれるようにする」とルイーサは言っていた。
皆が食事を終えたところで、全員で食器を片づける。いよいよ共同生活といった雰囲気だ。皆が自分の部屋に帰ってしまうと、キッチンに残っていた波佐谷さんと藤田さん、それに僕の3人でワインを飲んだ。
「こういう生活に、ストレスを感じますか」とふたりに訊ねてみる。
「僕は大丈夫ですね」と波佐谷さん。「こういうことが誰かのストレスになってるかってことを考えるのがストレスと言えばストレスですけど、自分は全然平気です」
「でも、皆、結局そういうところでストレスが溜まってるかもしれない」と藤田さん。「特に女子は――実子とかかなやんは普段から共同生活をしてるから大丈夫だと思うんですけど、実家組は結構平気じゃないかもしれないよね」
しかし、こういう環境にいると、演出家である藤田さんが一番神経質になりそうなものだけれど、誰より長くキッチンにいるのが藤田さんだ。実家を離れたことのない人にとって、他人と共同生活をすることはストレスになりやすいかもしれないけれど、それは普段一人暮らしをしている人にも共通するはずだ。自分の家に帰りたいという気持ちにはならないだろうか?
「僕はたぶん、歴代の一人暮らしの部屋を家だと思ったことがないんですよね」と藤田さんは言った。「住んでいる部屋のことを家とは言ってるけど、家って究極的には実家じゃないですか。僕は伊達を出た時点で、どこかに居候してるような感覚でいるんだと思う。こういう言い方をすると良い話みたいになるけど、リアルに言えば生活力がなくて」
「もう、家を買えばいいんじゃないの? 自分の物になったとしたら、全然向き合い方変わると思うよ」と波佐谷さん。
「それはあるかもしれない。でも、僕は10歳のときから帰宅が絶対に22時だったんです。22時に家に帰って、寝て、起きたら学校に行かなきゃだから、家でくつろぐとか、あんまりないんですよね」
話を聞いていると、藤田さんは生活力がないというよりも、自分の生活に対する執着がないのではないかと思えてくる。
「いや、自分の日常には本気で興味がないですね」と藤田さんは笑っている。
「でも、藤田さんは日常のことや生活のことを作品に書いてますよね。それは何だろう、自分の日常には興味がないけど、日常ってことそれ自体には興味があるってことなんですかね?」
「これはもう、観客とか抜きにして、自分の笑いのツボはかなり日常だと思うんです。『お前、そうなの?』みたいなところだと思う」
今年の6月に上演された『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと――』は、藤田さんの言うところの『お前、そうなの?』というエピソードが詰まっていた。やたらとお菓子やお茶を勧めたがる人。他人の家なのに、ずっとコロコロでカーペットを掃除している人。たまねぎを切るとき、ゴーグルをつける人。「バターごはんが食べたい!」と言う人に対して、「口の中で混ざるのとか、気持ち悪くない?」と言う人――そういう、自分の中にあるこだわりや、自分の生活に染み付いた癖みたいなものが、いくつも舞台に上げられていた。でも、そういうことを藤田さんから感じるのは焼き肉を焼いているときくらいのもので(藤田さんは鍋奉行ならぬ網奉行になる)、他のことではそれを感じたことがなかった。
「たしかにそうですね。ワークショップで朝の風景の話を聞いてるけど、あれを自分が聞かれたとしたら、たぶん何もないんですよ。誰よりも答えが面白くないんだと思うんですよ」
「そこが面白いですよね。たとえば、エッセイって普通、その人が感じたことを書くじゃないですか。でも、藤田さんの書くエッセイは、藤田さんのことというより藤田さんが観察した何かですもんね」
「そうなんですよ、それがめっちゃ苦しいですね。自分がなさ過ぎて、自分のことをはなせないんですよね。エッセイを書くと、大体は女優の観察か、どこかで見かけた人の観察で、自分は関係ないんですよね。演劇作品でも、僕は『自分ってものを描いている』ってことにはなってるんだけど、別に自分の日常を描いてるわけじゃないんですよ。だから、自分の話のようで自分の話ではなくなってくるんです。上京するシーンを描いていても、自分が上京したときの気持ちはあるし、作品の中で描かれていることに対してグッとくる部分もあるんだけど――でも、それは自分じゃないんですよね。何て言えばいいんだろう、難しいけど」
話しているうちに、2本のワインはあっという間に空になった。キッチンをもう一度捜索してみたけれど酒を見つけることはできず、明日また続きを話すことにして、今日はもう眠ることにした。