夜――荻原さんからの手紙(2通目)

 0時過ぎまで藤田さんとワインを飲んで、部屋に戻った。そこには、扉の下の隙間から差し込まれた手紙が置かれていた。メッシーナについてすぐ手渡された手紙を読んだとき、「もう1往復だけ文通をしたい」と思って、ホテルに着いたあとで荻原さんに手紙を渡していたのだ。


荻原さんへ

 空港からメッシーナへ向かうバスの中で手紙を書こうとしていたのですが、1枚目を書き終えたところでとても読めた字ではないことに気づき、くしゃくしゃに丸めました。

 空港という場所に行くたび、何とも言えない気持ちになっています。いろんな場所からいろんな人がやってきて行き交う風景は、眺めているぶんには好きです。でも、自分がどこかに出かけるときは、なるべく飛行機ではなく陸路がいいなと思っています。飛行機だと、出発より早く到着していないといけないし、しばらく前からその日のタイムスケジュールを決めておかなければならないけど、電車なら、パッと駅に行けば移動できるからです。ただ、飛行機に乗ってしまうと、とてもすっきり、さっぱりした気持ちにもなります。ケータイも通じなくなるし、その土地を離れる!ということがはっきり感じられるからかもしれません。

 もう1往復したいと言ったのは、手紙にあった「ふと頭を過ぎること」のことがあるからです。

 その3つを全部知りたいという気持ちもあるけれど、それはまたいつかの楽しみにとっておくことにして、そのうちの1つだけでも教えてもらいたいです。というよりも、その話を聞くためにこの文通を始めたのではないかという気持ちに、空港で手紙を読んだときになったのです。

 質問してくれたので、少し自分が感じていることを書きます。

 どんどん更新が追いつかなくなってきているけれど、僕はこの旅のあいだ、ずっと日記を書いています。というか、日記を書くために来ているようなものです。今はまだポンテデーラの日記を書いているので、現実から、皆から置いてけぼりをくったような気分にもなっています。ただ、その感覚は、その日のことをその日のうちに書いていても感じるのだろうとも思います。

 少し話はずれるかもしれないけど、僕がよく思い出すのは、荻原さんに「何であんなこと書くんだろうと思った」と言われたことです。それは、僕が「ΛΛΛ」の公演について書いたことに対して、荻原さんがそう言ったのですよね。僕はその記事(?)を、大きな意味ではどこか批判も込めて書いたかもしれないので、そう言われたときは中々にうろたえました。

 僕は、昨日の公演は本当に素晴らしいと思いました。ただ、それを「素晴らしかった」と書いて終わらせることだってできるのだけど、どうしても、聡子さんのことが気にかかりました。気にかかった、というのは、まったく悪い意味ではないのだけれど、思わず終演後すぐに楽屋にまわってみると、聡子さんの身体から、悔しさとしか言い様のない気配が立ちこめていました。僕からは背中しか見えなかったけど、それでもその気配は伝わってきました。

 昨日の深夜に、さとこさんと少しそのことについて話しました。話すべきかどうか、少し迷いました。自分が「素晴らしい」と感じたのなら、「素晴らしい」と書いて終わればいいのではないか、と。でも、やっぱりあの後ろ姿のことが忘れられなかったし、そう感じてしまったことはにぎりつぶせないので、その話をききました。それは一体、誰のために、何のためにやっていることなのか、書けば書くほどわからなくなってきます。それ、というのは、昨晩のことだけではなく、皆とのすべてです。

 今回のツアーでは、あちこちでワークショップをしていて、その人たちが見にきてくれたりもしますよね。みんながハグをしたりしているのを見るたび、どこかうらやましい気持ちでいます。ただ、僕はハグをするよりも、何か書き残さなければという気持ちにもなって、いつもシャッターを切っています。

2014.11.1 夜
橋本倫史

 この手紙への返信――荻原さんとは最後になる文通は、こんな内容だった。


橋本さんへ

 最後だから、手紙でしか話せないこと、手紙だから話せることを書こうかなと思うよ。そうなると、この手紙は載せてほしくない事しか書かれていないかもだよ。

 余談も書きたいところだけど、まずは昨日のこと。

 昨日はとっても悔しい日だったなー。(今までの手紙、「悔」←この字間違ってたや!!)よく藤田くんに、一生後悔すればいいって言われるけど、一生後悔する事ほど悔しい気持ちが倍増して、いたたまれなくなって、たまに泣くよ。悔しいって苦しいよね。

 私もその後ろ姿を見たよ。いろんな事があるけど、何をもって成功かはわからないけど、きっとみんな1つ1つ積み重ねて、上演時間を創っていってるんだよね。それにはまず、とてもベストな体と体力があるのが当たり前で、そのちぐはぐさがあって、きっと昨日の後ろ姿だったんだと思う。難しいな。だけど、やるしかないから、がんばらないといけない。みんなをちゃんと知ることはできないけど、みんなを見てると、勉強になることがいっぱいあるよ。今まで何度も背中を押されてきたよ。この手紙のやりとりにも今は何の意味があるのかは、わからないでいるけど、整理されたり、悩んだりして5通目です。

 ふと頭を過ぎることは、このツアーでふと話したこと、3つです。

 1つ目はタイダさんから聞いた、ボスニア戦争の話。80年代が1番いい時代だったと言ってたこと。タイダさんは日本人じゃないから、日本語に変換してお話してくれるわけで、今、頭の中でたくさんある単語の中から、その日本語を選んで話してくれてるってことが、すごく嬉しかったし、胸に刺って残ってる言葉がいっぱいです。内戦跡が残っていて、ここでも血が流れたのかなって、道を歩いていて思うことなんて、なかなか日常生活では感じれないけど、そんな土地から、このツアーが始まって、タイダさんと出会えて本当によかったなって思う。そういうことは、求めてもやってこないから、この作品が、そういう土地と出会えて、成長できたことは、奇跡だなって感じているよ。

 2つ目は、その戦争の話を聞いた後、橋本さんが「各土地で人に伝えるって大変なことですよね」って言ったこと。どの帰り道かは忘れたけど、ボスニア公演の前々日ぐらいに、そんなことを言っていたよ。それをひしひしと感じて、絶対に心に留めて思うと思った瞬間だった。だからありがとう。

 それともう1つ、これは、メイナで散歩した時に言われたこと。「てんとてん」は、小さなことをどう受け止めるか、そういうことが関係してくる作品だと思うって言ってくれたこと。

 それは私もそう思うよ。

 いつも日本にいて、日々の時間と公演期間、けいこの時間とどういう風にかかわっていけばいいのかなって思ってるけど、海外に来ていつも思うのが、持ち物も最小限で、目的が明確って素敵だなって思う。

 物体がある、体と、持ち物がそこにあって、それを使って、その時に感じた部分を切り取って、例えば写真とか分とか、物体のないものは心に留めておくこと。できれば全部忘れないでいたいけど、どうしてもそれはできないから、大切な部分だけ、心に張り付けておくこと。小さな断片でしかないし、それを誰にも見せることはできないし、誰かのものを見ることもできないから、ちょっともどかしいけど、そういうことが大事なのかもしれないよなって改めて思うよ。

 それを言葉で言ってもらえてうれしかったよ。どうもありがとう。

 この手紙は載せられないなー
 恥ずかしいから。

 メッシーナ、とっても感想してるね。
 バスタブにお湯をはって、洗たく物は、全部部屋に入れて、寝るよ。

 2014.11.1 夜
 PM11:00
 メッシーナ
 オギワラ アヤ