メッシーナ公演2日目ーー初の昼夜2公演

 11時、ロビーに集合して皆でルイーサを見送る。ルイーサとは、これで本当にお別れだ。

「あなたたちと一緒に過ごせたことを光栄に思っています。本当に、すべて楽しみました。今日と明日、何事もないことを祈っています。頑張ってください。じゃあ、12月の終わりにまた再会しましょう」

 ルイーサは、年末から年始にかけて、日本に遊びにくることになっているのだ。今回のツアーの途中、「ルイーサをどこに案内するか」ということを、皆で何度も話し合っていた。

「だから、これは本当のさよならではないけれど、それでもさよならを言うのはつらいです。このファミリーの一部になれて、すごく幸せでした。ありがとう。ウィー・ウィル・シー・スーン。チャオ!」

 タクシーが見えなくなるまで、皆で手を振り、ルイーサを見送った。

「これで“ひまわりちゃん計画”終了ですかね?」
「これで終了です!」

 ルイーサを見送った2時間後、13時に劇場入りをした。昨日の深夜に洗濯をした衣装はまだ乾いていないようだった。

「どうすれば乾くかな」
「どっかに干しとく?」
「照明に当てとけば乾くかな?」

 照明で衣装を乾かす――そんなことって可能なのだろうかと思っていると、「雨で濡れちゃったときとか、よくやってるよ」と南さんは言った。
「そっか――あ、劇場でね?」とあゆみさん。
「うん、家ではやんないかな」

 南さんはスクリーンの裏にある照明をつけてくれた。照明の前に椅子を並べて、そこに衣装を干しておく。照明の前に立ってみるととても暖かく、これならすぐに乾きそうだ。

 14時、返し稽古の時間になった。稽古の冒頭、「昨日の回は良くなくて」と藤田さんは切り出した。

「映像のこと――昨日のはトラブルなんだろうけど、あれは駄目だから、今後はないようにして欲しいです。この作品はすごく絶妙なことをやってるんだと思うから、全部がタイミングとして一致していかないと、悔しい思いしかしないんだよね」

 去年のツアーで繰り返し語られていたのは、「音」のことだった。今年よく耳にするのは、「タイミング」という言葉だ。そのことを、藤田さんは役者にだけ伝えているわけではなく、スタッフを含めた全員に向けて話している。

アンコーナは一回限りの公演だったわけだけど、それをあれぐらいの集中力でできたわけじゃん。だからこそ、昨日のあのクオリティっていうのはすごく残念だったんだよね。すごく当たり前のことを言うかもしれないけど、演劇において『1回』ってすごく重要だと思うのね。これはマームの大きい公演のときにもよく言ってるけど、『好評だったからよかった』ってことにはできないと思うんだ。お客さんは基本的に1回しか観に来ないから、その1回の印象がマームの印象になっちゃうんだよ。だから、集中してやり直しましょう」

 この日は結局、返し稽古は行われないことになった。その理由は、一つには、マームとジプシーの海外ツアーでは初となる昼夜2公演が行われるからということかもしれない。ただ、もう一つには、稽古で修正できるレベルの問題はクリアしているということもあるようだった。稽古で修正できるレベルの問題はクリアしている――裏を返せば、藤田さんが話そうとしていることは、稽古ではクリアできない問題だということでもある。

「この違和感が何なのかはわからないんだけど、今日の2日でそれを解決して、明日気持ちよく終われればいいんだけど、昨日は不安になったよね。この作品はもっと強い作品だったのに、散漫に見えたんだよ。これを『慣れ』って言葉で片づけたくないんだけど、一個一個のシーンが変に滑らかになってきちゃってる。

 作品をつくるとき、マームって相当返し稽古をするじゃん。1秒単位で返し稽古をやっていくから、小さいシーンに対しての緊張感があったはずなんだよ。同じシーンをめっちゃ繰り返し稽古をしたときに出てくる感情みたいなものを発見して――役者さんもそこに照準を合わせてたはずだし、俺もそれを信じて編集をしてたはずなのね。でも、それが滑らかになったときに、一見すると悪いものには見えないんだけど、本当に些細なところで変に饒舌になってる質感があったんだよね」

 話を聞いていると、慣れが出てきたことに対して批判的であるように思えるけれど、そうではないらしかった。

「この話は別に、ネガティヴに捉えて欲しいわけじゃないんだ。別に『出来立てホヤホヤの頃に戻れ』と言ってるわけじゃないし、ツアーをする上で、正直予測できてたことでもあるんだ。それに、今はかなり熟成された作業ができてるってことでもあるんだけど、『さあ、次のシーン』ってときの心構えがちょっと薄いんじゃないのって思っちゃったんだよね。

 音楽で言うと――バンドとかって、プロなんだから一定のクオリティにはどう考えたってたどり着けるじゃん。その一定のクオリティのことは俺らだってできるんだよ。その上で、ほんとに細かいところで反省をしたりしてるわけだよね。『小指の思い出』のときも、『最初からそこに照準を合わせた音を一音目で出せなきゃ駄目だよね』って話を音楽の人たちがしてたんだよ。それは別に、観客の人にはわからないことかもしれないけど、観客の細かい反応に繋がると思うんだ」

 ただ、昨日の公演は、お客さんの反応は決して悪くなかった。むしろ、お客さんの反応に手応えを感じたからこそ、藤田さんの中で忸怩たる思いがあるらしかった。

「海外公演が難しいと思うのは、呼んでしまった手前、『駄目だった』とは言いづらいと思うんだ。サラエボもポンテデーラも、お客さんは『良かった』と言ってくれたけど、正直、こっちの人ならではのお世辞もあると思ってたわけ。だけど、アンコーナでは、お客さんの表情を見たときに『これはお世辞じゃないかも』っていう実感があったんだ。それは昨日のお客さんにも感じたんだよね。

 だから、昨日の公演は悪くなかったのかもしれないんだけど、だからこそ悔しくもなってくるし、欲深くもなってくる。心から『良かった』と言ってくれてる人たちを見たときに、『もっとやれた』とは思いたくなかった。それに、昨日はルイーサが最後だったから、余計に悔しかったのもある。やっぱり、褒められれば褒められるほど『もっとしてあげたかった』と思うから、一瞬一瞬の集中力を落とさずにパフォーマンスをやるしかないと思う」

 藤田さんの話が終わると、スタンバイに入る。開場時刻が近づき、役者の皆が衣装に着替え始めた頃、プロデューサーのコラド氏がやってきて、「ミーワ!」と門田さんを呼んでいた。熊木さんとはやしさんも加わって、何やら深刻そうに話をしている。

カターニアから学生たちがバスで向かっているんだけど、豪雨の影響で交通がマヒしていて、開演時刻に間に合いそうにないんだ」

 コラド氏によれば、学生の数は数十人だという。今回の昼公演――17時開演の公演を「昼公演」と呼ぶのが正しいのかはわからないけれど――は、半数近くは(コラド氏が呼んだか、あるいはコラド氏と付き合いのある誰かが呼んだ)その学生たちが占めるはずだったのだと言う。

「可能性としては、2つですよね」と熊木さん。「一つは、その学生が到着するのを待って開演する。もう一つは、お昼の公演を見てもらうのは諦めてもらって、夜の公演を見てもらうことにするか――」

「学生さんたちを待つとすれば、開演が遅れるってことを誰かがイタリア語で説明しないといけないし、学生さんたちを待たないとすれば、彼らに『途中で入ることはできない』ってことを伝えないといけないですよね」と門田さん。

 そんな話し合いがなされているあいだ、コラド氏が陽気さを手放すことはなかった。門田さんが「もし開演時間を遅らせるとすれば、既に到着しているお客さんたちは、『何時に公演が始まるか』ということをどうやって知るのか」と訊ねてみても、コラド氏は一笑に付し、「何でそんなことを心配するのか、わからないよ!」と言った。

 結局、学生たちを待たずに公演を始めることになった(今思うと、「何でそんなことを心配するのか、わからないよ!」と笑っていたコラド氏が、なぜそのことを僕たちに伝えてきたのか、不思議だ)。昨日は100人を超す観客でにぎわっていたけれど、今日の昼公演は35人ほどしかお客さんがおらず、少し寂しい感じだった。

 夜の公演はもう少しお客さんが入ったけれど、たぶん誰もが「2ステージやらずに、1ステージでよかったのでは」ということを心の中でつぶやいたはずだ(しかも、この日は17時開演と21時15分開演と、かなりタイトなスケジュールではの2ステージだった)。休日ならともかく、平日の昼公演では、なかなかお客さんは入りづらいだろう。

 夜公演が終わったあと、コラド氏は満足そうな顔をしていた。彼によると、「この劇場で1日に2公演やるというのは初めて」なのだという。150年の歴史を誇る劇場で初の2ステージを成功させたということに、コラド氏は少し誇らしそうな顔をしていた。

 ただ、昨日ほど大入りではなかったものの、お客さんはじっと食い入るように観ていた。その反応に、藤田さんは手応えを感じているようだった。

「今回のツアーって、結構危ういことをやってると思うんですよ。『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』っていうタイトルを何回言っても、抽象度が高いからお客さんは『何だろう?』って空気にはなるんですよ。それは日本人の人が聞いても『何だろう?』ってなるんだけど、それと同じレベルで海外の人も『何だろう?』って思ってくれてる感じがしたんです。ただ、最初は『何だろう?』と思って観てるんだけど、いくつかのヒントをもとに、自分なりに“ひかり”っていうものを捉えてくれてる感じがする。それがすごく面白いんですよね」

 お客さんに“ひかり”ということを意識させるのは、中盤に登場する、荻原綾さんの台詞だ。その台詞は、「こんな立体の中に、“ひかり”なんてない」という内容だ。そして、この台詞が印象的なのは、マイクを握って語られるということだ。

「マイクを握るっていうことは、フィクションじゃない世界にいる人がやることだと思うんですよ。司会者だったり、MCだったり、ボーカルだったり――ボーカルっていうのは歌をうたいながらも現実の世界にいると思うんですよ。その『マイクを握る』ってことを、どうやってストーリーの中で認めさせるかってことを考えてたんですよね。今回は完璧に、マイクパフォーマンスとして組み込みつつも、意味としてもちゃんとマイクがオッケーになる時間を生み出せてる気がする」

『てんとてん』という作品が十六夜吉田町スタジオで作られたとき、マイクを握るシーンは存在しなかった。ただ、1年前のフィレンツェ公演のとき、会場が広過ぎて、台詞がどうしても届かないシーンがあった。そこで急遽、いくつかのシーンでマイクを使うことになったのである。つまり、去年は単純に音の問題でマイクを握っていたけれど、今年は「何かを語る」という意思を強く持ったシーンでだけマイクが握られる構造になっている。

 藤田さんが手応えを感じているもう一つの理由は、ここシチリアでは、お客さんの平均年齢が高かったことがある。コラド氏の言っていた「平均年齢70歳」というほどではないにせよ、70近い人の姿はたしかに客席にあった。

「僕がよく聞かされてたのは、『日本の演劇作品を上演すると、海外のお客さんは途中でよく帰る』ってことなんですよ。僕は別に、わかりやすいことはやってないと思うんだけど、ほとんど帰るお客さんいないですよね。しかも、今日来てくれたおじいちゃん、おばあちゃんは現代演劇なんて触れてない人だと思うんだけど、その人たちにもちゃんと観てもらえてると思うんです」

 お客さんが帰らずに最後まで観てくれるのは、『てんとてん』という作品のタイム感がいいからではないかと藤田さんは言った。

「16歳ぐらいのとき、WOWOWとかで松尾スズキさんとか宮藤官九郎さんの舞台の映像を観てたんですよ。舞台の映像を観ても、『I.W.G.P.』とかのドラマを観ても、すごい速いなと思ったんですよ。僕からするとすごく良いタイム感だなと思ってたけど、親世代が観れる速度だとは思ってなくて。それが、『タイガー&ドラゴン』あたりから、うちの親とかも『クドカンって良いよね』とか言うようになってきたんです。それはたぶん、松尾さんとか宮藤さんのタイム感が浸透したってことですよね。

 マームの速度って、その4倍速ぐらいだと思うんです。あと10年ぐらいすれば、僕のこのタイム感が当たり前のものになるかもしれないし、今日観てくれたおじいちゃん、おばあちゃんは、今よりゆっくりなタイム感でやってたら途中で帰ったのかもしれないなとも思ったんですよね。テンポを下げたときに、日本語を知ってる人としては観ていられるかもしれないけど、海外の人が相手だと、結構厳しい闘いになるんだと思う。逆に言うと、このタイム感があれば、もし音楽がなかったとしてももっと行けるって手応えはありましたね」

 ホテルでビールを飲みながら、藤田さんはそんなことを話していた。ひとしきり話すと、「はあ、終わっちゃいますね」とつぶやく。1ヶ月前に始まったマームとジプシー2度目の海外ツアーは、明日の公演で終わりを迎える。