マーム同行記33日目(パリ1日目)

 ふと窓の外を見ると、真っ白な雪でコーティングされた山が見えた。山はずっと向こうまで連なっていて、飛行機は移動を続いているはずなのに、その山々が途切れることはなかった。これがきっとアルプスなのだろう。

 僕は窓の外に広がるアルプスを眺めながら、今から1ヶ月前のことを思った。

 1ヶ月前――このツアーに旅立つとき、見送ってくれたのは『小指の思い出』に携わる人々だった。作・野田秀樹、演出・藤田貴大によるこの作品を、僕は何度か繰り返して観劇した。その舞台の中に、アルプスという言葉が出てくる。

 妄想の子供達、、、小指にうずまく八月の糸をかみきって、、、、、、
 正月の凧糸を天まで伸ばしたら、、、、、、六月に凧糸の先を大河の河面に垂らして、、、、、、
 アルプスを下っていきなさい、、、、、、
 母さんが下ることのできなかった、、、アルプスの山を、、、、、、
 どこまでも、、、どこまでも、、、、、、下っていきなさい、、、、、、

 隣の席――窓側の席では、聡子さんが眠っていた。昨日は21時開演の舞台があり、すぐにバラシをしてホテルに戻って荷造りを済ませ、朝4時に空港に向けて出発したのだ。そしてローマの空港で日本に帰国する皆とは別れ、延泊する聡子さんと僕は、こうして飛行機に乗っている。行き先はパリだ。くたびれているだろうからと少し迷ったものの、その景色があまりに美しかったので、「アルプスが見えますよ」と聡子さんを起こした。

 僕は少し体調を崩していたものの、パリに到着してみるとすっかり元気になっていることに気づいた。ここがパリだというだけで空港の売店すらなんだか違っているように思えてきて、まじまじと棚を眺めた。

「ここ、パリらしいですよ」と聡子さんに声を掛ける。

「パリ、らしいですね」と聡子さん。「まだ全然外を歩いてないから実感はないけど――来る前は『来ていいのかな?』と思ってたけど、もう既に『来てよかった』と思えてるから、良かったと思ってます」

「何で『来ていいのかな?」と思ってたんですか?」

「ツアーが終わって間もないし、まだ落ち着いてないし、『ほんとは皆と一緒に帰ったほうがいいんじゃない、吉田さん』って気持ちがあったんです。『家に帰ったほうがいいんじゃないの』って。でも、今こうして来てみて、楽しいから、よかったです」

 ホテルまでのルートを調べていなかったので、タクシーに乗ることにした。フランス語はまったくわからないので、英語で「ここに行きたいんです」と伝えて地図を見せる。フランス語で話しかけないと対応してくれないかと心配していたけれど、そんなことはなく、運転手さんは荷物をトランクに積み込んでクルマを走らせてくれた。

 ホテルに到着するまでのあいだに、聡子さんに話を聞く。


――1ヶ月続いた皆との旅はさっきで終わったわけですけど、振り返ってみてどうですか?

聡子 そうですね……。まだ振り返れないです。昨日、最後の公演が始まる前に「ブログを更新しようかな」と思ったんだけど、やっぱ何も書けることがなくて、結局更新できなくて。整理が、できない感じがします。

――まだ振り返れないというのは、最後の公演が終わってバタバタとここに移動してきたから? それとも、この1ヶ月のツアー自体が、振り返ってまとめることが難しいということですか?

聡子 それはたぶん、振り返ることは難しいっていう感じですね。それぞれの土地でのことが全部違ったし、色んな人に会ったし……。そのあいだは日本で報じられてるニュースも入ってこなかったし、それもすごく妙な感じで、『何をしてるんだろう?』みたいな気持ちにもなりました。それは別に、『何でこんなことをやってるんだろう』とかってことでは全然ないんですけど。

――1年前のツアーのときに、藤田さんは「旅をする意味がなくなったら、この作品を捨てる」という話をしていたし、今年もそれに近い話は何度かありましたよね。イタリアに関しては2度目のツアーでしたけど、聡子さん自身は、『てんとてん』でツアーをすることに対してどういう手応えがありましたか?

聡子 去年フィレンツェで公演をしたときは、日本で作ったばかりの『てんとてん』という作品をイタリアに持っていくってことをやってた気がするんだけど、今年はいろんな場所をまわって――本当に、きっとずっと過ごしてたら退屈だなと思っちゃうような場所にも行けたっていうのが大きかったですね。あと、今回は各地でワークショップをやったっていうのもあるし、その土地の人たちの雰囲気とか、顔立ちとかも感じたし、その土地に住んでる人たちのことをすごい思うっていうか……。これは手応えなのかどうかはわからないけど、その人たちに出会っちゃったから――何だろう、取り組む姿勢として、蔑ろにできないというか……。蔑ろにできないとか、当たり前のことではあるんだけど、それを改めて思いました。

 私は東京生まれで、西武新宿線沿いに住んでたから、都心にはすぐ出れる場所に住んでたんです。急行に乗ればすぐに新宿に出れる街なんだけど、でも、そこは人が住んでる街で、人が集まる街ではなかったんです。小ちゃい頃からその街にいると、同じような顔の人たちがいて。田舎町じゃないから「隣が何をしてる」とかは知らないけど、その退屈さというか、抜け出せない感じはあったんですよね。そのときに感じてたものを――何だろう、すごく思った。

――『てんとてん』という作品は、去年と今年で変わったところもありますけど、ラストシーン、聡子さんのモノローグはほぼ変わってないですよね。ただ、微妙に動きが変わりましたよね?

聡子 ああ、そうだ。そうですね。

――あれはどういう経緯で変わったんですか?

聡子 あの動きに関しては、藤田さんから何か言われたわけじゃないんです。去年のツアーが終わったあとの1年やってきたことがあるのに、去年と同じふうにこの作品が終わるっていうのは何か良くないなと思ったんです。この1年のあいだに関わってきたマームの舞台で、「ひかり」とか「希望」とか「未来」とかってことを言ってるときに――漠然とですけど、今思うとすごい迷いがあったと思っていて。今年も、その街で会った人がいたり、その土地のことがあったりして、気持ちに迷いはあるんだけど、でも、何らかの「ひかり」はあるとしてるっていう感じは、今年はすごいする。ただ、それは私の希望かもしれないですね。その「ひかり」が見えなくなる瞬間もあって。

――「ひかり」が見えなくなる瞬間があったのは今年?

聡子 今年です。『ないのか、これ』みたいになったときに、絶望的になっちゃって。どうしよう、どうしようって。

――ちなみにそれはどのタイミングですか。

聡子 メッシーナの1回目かな。それまでも、ちょこちょこ揺れみたいなのはありつつ。「てんとてんの先にあるひかりは」っていう最後の台詞を言いながら、すごく暗いかもしれないけど、何かしらの“ひかり”があって欲しいと思ってたんだけど、メッシーナの1回目のときに「ないのか?」って気持ちになっちゃったんですよ。それはすごい、びっくりしちゃって。旅をしながら公演をするって怖いなと思いました。

――ラストのほうで、聡子さんは客席のことをじっと見据えることになりますよね。あの時間に何を考えてましたか? たぶん各土地で違うとは思いますけど。

聡子 違いますね。照明の当たり具合によって、あの窓枠に自分の顔が映ってるときと映ってないときがあるんです。映ってるときは、自分の顔と向き合いつつ、それ越しに見えるお客さんの顔と、窓枠から外れた場所にいるお客さんの顔を見て――でも、そこに自分の顔が映っていても、それはあんまり自分じゃないような気がしてるかもしれない。あと、客席にワークショップで出会った人の顔が見えたり、その土地の雰囲気とか、劇場さんとか、それによって違うものはあるけど、共通で思っていたことがあるとしたら――最後に静かになった場所にいるっていう、それは何か、確認できてから台詞を言ってたかな。

――僕は客席からしか観ていないので、上演中にお客さんがどんな顔をしてるのかはわからなかったんですよね。舞台からお客さんを見返してるとき、お客さんに伝わってるって感触はありましたか?

聡子 その、伝えるってことは難しいことですよね。舞台でやっていることはもちろん伝わって欲しいことなんだけど……。藤田さんがよく「もっと畳み掛けていいよ」って言うんですけど、それって難しくて。私の場合、人に何かを伝えるときに、時間が欲しいというか、時間がかかっちゃって。「もっと畳み掛けていいんだよ」となったときに――私の中では、何か、すぐに畳み掛けるってことができなくて。声をぼぼぼぼと大きくすることはできるんだけど、それは一つ一つが強くなるばかりで、それは畳み掛けるというより、押し付けているだけで、単に押し付けるだけになるんじゃないかって。そうじゃない形で畳み掛けるってことができるはずなんだけど、それがなかなかできなくて……。アンコーナのときは、それがすごい悔しかったのもある。

 ただ、やってると、思いがけないところで何かが伝わってたりするんですよ。くだらないシーンで何かが伝わったり、役者が役に没頭してるっていう、それで何かが伝わってたり。“さとこちゃん”が“あゆみちゃん”に「そっか、残るのか」って言うやりとり――あの会話自体は、お客さんに向かって言ってるわけじゃなくて、“あゆみちゃん”と“さとこちゃん”の会話の一つを見せてるわけですけど、あのシーンが終わったとき、ちょっとびっくりするんですよ。それまでのシーンとは、お客さんが変わってるんです。なんか、いつもすごい、わってなる。その感じは、去年より今年のほうがあるかも。それは、そこまでのシーンが去年より楽しく進んでるかもしれないですね。そこまでは笑ってたお客さんとかも、あのシーンが終わると「何だこの子、大丈夫か」みたいになってたりとか、そういうのは感じました。

――今年、この『てんとてん』の一夜限りの国内公演があったとき、聡子さんはブログに「去年の私(私たち)にはできないことを、やっているんじゃないかって。やろうと、しているんじゃないかって思う」「もっともっと考えなくちゃいけない」と書いてましたね。今回の旅で一番考えたことは何ですか?

聡子 何が一番なんだろう? なんか、人が立ってる姿のことを、考えてた気がする。人が立ってるときに――それはまあそこに立ってるんだけど、舞台に引かれた線の中に光が当たって、そこに人が立っていて……。いや、光は当たってなくてもいいんですけどね。たとえば、にわとり小屋のシーンとかで、あんまり灯りがないようなところに“あやちゃん”が立ってたりとか、“あゆみちゃん”が駅に立って待ってくれてたりとか、その立ってる人たちの足下が……。何だろう、立っていて、そこにいて――その「立ってる」ってことが、大事だと、すごく思った。

 旅をしてると、細々したストレスってお互いにあるじゃないですか。作品とは関係のないところで些細なことがあったとしても、立ってる姿を見るだけで、すごく大事なものであることに気づくというか、「あ」ってなるんです。

――立つ、そこに立っているということは、台詞の中にも出てきますよね。ラストのシーンで、「今、という、てんに。立たされているのかもしれない」と。その前には、たとえばメッシーナのときは「目を、開けると。2014年、イタリア、メッシーナだ」っていう台詞もあって、そこで聡子さんは役をはがれて、剥き出しのまま立たされてることでもあったと思うんです。聡子さんはこの1年、そういう役割を与えられることが多かったように思うんですね。そうしたときに――たとえば『ΛΛΛ』では、最初のうちはラストに暗転するところで俯いていたのを、途中からは前を見据えて終わるように変えてましたよね。あれは演出として「俯いていろ」と言われたわけでも「顔を上げるように」と言われたわけでもないけれど、聡子さんの判断でそう決めていたわけですよね。今回も、最後のシーンの動きは聡子さんの判断で動きが変わったわけですけど、あのシーンはどういう感触があったんですか?

聡子 最後は「ひかりは、ひかりは、ひかりは、ひかりは、ひかりは、ひかりは……」と終わるんですけど、その“ひかり”ってものを、存在するものとしてやらなくてはならないみたいな、そういう感じがあったかもしれない。それは役割としてね。しかも、さっきもちょっと話しましたけど、今回はほんとに“ひかり”の当たるのかどうかわかんない街にも行ったから――。

――そうですね。去年公演をしたフィレンツェとかは知っている街でしたけど、今年ツアーをしたメイナも、ポンテデーラも、アンコーナも、メッシーナも、名前を聞いたことすらない場所が大半でしたからね。

聡子 そうですよね。もちろん場所がどうこうってことではないのかもしれないし、どんな街にも平等に人がいて、平等に未来が、“ひかり”があって。それがどんな“ひかり”なのかはわらかないし、劇中で“あやちゃん”が言っているように、誰かを殺すかもしれないし、殺されるかもしれないんだけど、平等に“ひかり”はあるっていう前提で、言う。それがあるっていう前提で、その台詞を言わなくてはならない役割なのかなってことは思いました。去年は「その役割が私でいいのかな」と思ってたけど、その責任は持ったほうがいいなと思ったんです。こんなこと言ってると「若いな」とか言われるのかもしれないですけど、今年はそれが大きかった気がします。

 話を聞き終える頃には、40分が経とうとしていた。ハイウェイらしき道を走っていたタクシーも、今はもう街中にある一般道を走っている。ICレコーダーをしまっていると、聡子さんが「あ」とつぶやいた。聡子さんは僕の後ろに目を向けている。一体何だろうと振り返ってみると、真っ赤なセーターを着た青柳さんがパリの街角に立ち、こちらに手を振っていた。

 聡子さんと二人でパリに飛んだのは、青柳さんと合流するためだった。青柳さんは、チェルフィッチュの公演でパリを訪れていて、せっかくだからヨーロッパのどこかで会おうと相談していた。それで、せっかくならパリで会おうと待ち合わせをすることにしたのである。

 すぐにタクシーを泊めてクルマを降りる。青柳さんは昨日からパリに宿泊していて、ちょうどお昼でも食べに出かけようとしていたところらしかった(ちなみに3人とも同じホテルを予約している)。僕らも荷物をホテルに預けて、一緒に出かけることにした。

 青柳さんははっきりとした足取りで歩く。いくつか角を曲がると、目的地であるレストランに到着した。僕は今、パリのどこにいるかもよくわかっていないけれど、青柳さんがパリを訪れるのはこれで5度目だ。レストランの店員にも、慣れた様子で注文を伝えている。まだパリに戸惑っている聡子さんと僕は、ランチメニューのディッシュの中から自分のメニューを選ぶので精一杯だけれども、青柳さんはランチメニューの中にはないタルタルステーキを注文していた。最後に会計をするときも、店員に何と言えばいいのかわからなかった。

「『お会計をお願いします』って、何て言うんですかね?」

「お会計は『ラディション』だね。『ラディション、シルブプレ』って言えば伝わるはず」

 店員さんの姿は一向に見えなかったので、ラディション、ラディションと繰り返しつぶやきながら店の奥に向かった。わざわざ席を立ってまでお会計をお願いしにきた僕のことを、店員さんは不思議そうな目で見ていた。

 昼食を済ませたあとは、サクレ・クール寺院に行ってみることにした。僕たちがいるのはモンマルトルと呼ばれるエリアで、サクレ・クール寺院は多くの人が訪れる観光スポットらしかった。パリを歩いていると、特にパリへ憧れがあったわけでもないはずなのに、どこか緊張してしまう。

「ミサンガを手に巻こうとしてくる人がいるかもしれないから、気をつけてね」

青柳さんがそう忠告してくれる。まさか、いくら何でもそんな人はいるはずがないだろうと思っていたけれど、サクレ・クール寺院へと続く坂を見上げると、寺院を守るようにして、腕にいくつもミサンガを引っ掛けた黒人の男性が五人ほど、立ちはだかっていた。そして、青柳さんの忠告通りに――いや、それ以上の積極さで、彼らはそのミサンガを売りつけようとしてくる。彼らの横を通り抜けようとすると、僕の腕にミサンガをあてがおうとしてくる。僕がポケットに両手を突っ込んでいても、そんなことはおかまいなしだ。

 ミサンガ売りを何とか突破して、サクレ・クール寺院に入る。入った瞬間に、はあ、とため息が出た。これはイタリアを旅しているときから何となく思っていたことでもあるけれど、教会という空間に入ると、ふと上を見上げている自分に気づく。それに、何の信仰心もないはずなのに、自然と敬虔な気持ちにさせられてしまう。きっと教会という空間自体がそういう構造になっているのだと思うけれど、一体どこの誰がその構造を発明したのだろう。すごいことだ。ベンチに座ってじっと祈りを捧げている人もいれば、決してそこには座らず眺めて回っている人もいる。

キリスト教徒でもない僕が座るのは憚られたが、少しの間だけ腰掛けてぼんやり過ごした。あちこちに撮影禁止の札が立っているが、撮影しようとする人が次々に係員から注意を受けていて、少し騒がしい。撮影を試みる観光客を観察していると、上手な人はごく自然に、そっと写真に収めていく。カメラを構えている時間も短く、ファインダーものぞかない。注意を受けている人は、ファインダーを覗き込んでから構図やアングルにこだわり、何秒もカメラを構えている。おまけにフラッシュを焚く人までいた。しかし――キリスト教的には、どちらがより善良とされるのだろう。そっと撮影をする人は、そこが神聖な場所であるということに対する配慮はあるけれど、見方によっては人の目を欺いているとも言える。仰々しく撮影する人は、配慮は足りないけれど、正直者であるとも言えるかもしれない。

 青柳さん、聡子さん、それに僕の三人は、特に言葉を交わすでもなく、それぞれ三人で時間を過ごした。10分ほど経ったところで教会を出てみると、パリの街並みが一望できた。ミサンガの売人たちがターゲットを定めて近づいていく布陣も、よく見える。

 サクレ・クール寺院を背に歩いていくと、謎の店の前に通りかかった。何かの骨や、Chim↑Pomの「スーパーラット」みたいな剥製、それに首から上だけが鳥の剥製にすげ替えられた、梅図かずおの『14歳』に出てくるチキンジョージ博士を彷彿とさせる人形もある。どれにも値札は貼られていなかった。「『いくらですか?』は『セ・コンビアン?』だからね」と青柳さんが教えてくれたけど、値段の前に気になることが多過ぎる。

 怪しい品々が所狭しと並べられているのだが、その奥には小さな女の子が一人いた。学校の宿題だろうか、彼女は赤茶色の粘土をこねて、器のようなものを拵えていた。何を作っているのか訊ねてみたいけれど、僕が知っているフランス語の会話文は2つだけだ。

「セ・コンビアン?」――目が合った女の子に、そう訊ねてみる。すると、女の子は照れくさそうにモジモジして、さっきより熱心に粘土をこね始めた。僕がまたフランス語圏を訪れることがあるかわからないけれど、「セ・コンビアン?」と訊ねるたびに、この女の子のことを思い出すだろうなと思った。

 モンマルトルを離れて、別のエリアに行ってみることになった。せっかくなので景色を楽しもうと、地下鉄よりもバスを選ぶ。青柳さんが買っておいてくれた回数券(地下鉄にもバスにも使えるらしい)を使って乗車したバスからは、日が沈んでネオンが灯り始めたパリの街並みがよく見えた。雑多な街並みも、その中に突如として表れる荘厳な教会や神殿ふうの建物。その一つ一つを食い入るように眺めているうちに、楽しい、という気持ちがふつふつと涌き上がってきた。

「ヤバい、楽しいかも」。思わずそうつぶやく。

「本当? パリは私も好き」と青柳さんは言った。「この雑多な感じが好き」

「ね。思ってたより雑多な感じなんだね」と聡子さん。

「そう。皆汚くっていやだって言うけど、私は好き」

 バスを降りると、そこはサンジェルマンだ。もう冬の気配が漂い始めているというのに、カフェのテラス席はどこも大賑わいだ。目に入ってくるあらゆるものが珍しく、ばかみたいにバシャバシャと写真を撮り続けてしまう。そうしているうちに、二人は薬局に入って行った。ここは安くて有名なドラッグストアらしい。表には「シティファーマへようこそ ヨーロッパ一安い薬局」と日本語でも書かれていて(上にはハングル表記もある)、アジア系の観光客の姿をたくさん見かけた。

 僕は特に買うものがないけれど、あまり退屈そうにしているのも二人に悪いので、パリの歯ブラシをまじまじと観察していた。僕は歯磨きが好きだ。ボンヤリしていると30分ぐらい磨いてしまっているときもあるし、ハシゴ酒をしているうちに歯を磨きたくなってしまって、コンビニに飛び込んで歯磨きセットを買うこともたまにある。パリの歯ブラシは強そうだ。日本の歯ブラシがコンパクトなヘッドを売りにしているのに比べてヘッドが長く、毛色もカラフルだ。

 などと一人で考えていると、「橋本さん、これ売ってるよ」と青柳さんが教えてくれる。それは、今年の3月に原宿・VACANTで上演された『マームと誰かさん・ごにんめ 名久井直子さんとジプシー』のとき、小道具として使用されたものだった。ボトルを見てもそのことは思い出せなかったけれど、空けて匂いを嗅いだときにそのことを思い出した。その匂いが、名久井さんが小さい頃に住んでいた家の近くにあった製紙工場の匂いに似ているという話が劇中でなされていて、終演後にそれを手に取らせてもらって匂いを嗅いだときの記憶が蘇ってきた。それは一体何に使うものだったのかまでは思い出せなかったけれど、せっかくだからお土産に買って行くことにした。青柳さんも聡子さんも僕も購入したせいで、製紙工場の香りのものだけがごそっと減り、人気商品みたいになっていた。買い物袋を提げて店を出ると、きれいな月が見えた。この日は満月だった。

 次は、かの有名なシェイクスピア・カンパニー書店を訪ねた。店の前で、ちょうど同じタイミングで中国からの団体客と鉢合わせてしまう。そんなに広い店ではないから、これだとあまりゆっくり棚を見れないかもしれないなと思っていたけれど、彼らは店の外から写真だけ撮って、さっさと次の場所に移動してしまい、拍子抜けする。店内にはボブ・ディランが流れていた。

 入口近くの棚には、この店の常連だったヘミングウェイの著作が並んでいた。僕は学生の頃に『日はまた昇る』を読んで、僕もパリと、そしてスペインを訪れて闘牛を観てみたいと思った。ただ、そんなお金もなければ、海外に出かけるほど行動的な人間でもなかった僕は、ヘミングウェイが生まれ故郷であるアメリカを離れて、その東に位置するパリに渡り、さらにその南西にあるスペインに移動したルートを日本の縮尺に当てはめると――僕は生まれ故郷の広島を離れて東京に暮らしているわけだから、ここから南西に移動するとなると――きっと熱海あたりがスペインに違いない! ……と、酔っ払った頭で思いつき、酔っ払ったまま熱海のかに食べ放題付きの宿を予約してしまったことがある。大広間で団体客に囲まれて独り食べるカニは、何の味もしなかった。

 たしかヘミングウェイ自身がシェイクスピア・カンパニー書店について書いた文章を読んだことがあるはずなのだけど、本の中身を読んだ端から忘れてしまう僕に思い出せるのは、そんなどうでもいい記憶のことばかりだ。

 この書店のすぐ近くを流れているのが、セーヌ川だ。川べりには階段やベンチに腰掛けて話し込んでいる人たちがたくさんいた。恋人たちも、友人たちも、一つのボトルをシェアして飲んでいる。ワインもあるが、ジンだろうか、強そうなお酒が多かった。寒いから強いお酒のほうがいいのだろう。カフェを見たときにも思ったけれど、夜になるとすっかり息が白くなるというのに、どうしてそうまでして外で飲むのだろう――と、そう書いている僕自身は、外で飲むのが好きだから気持ちはわかる。が、日本ではそういう人は決して多数派とは言えないのに、ここパリでは大勢見かける、この違いは何によるものなのだろう。

「ここがポン・ヌフです」

 ポン・ヌフという名前を聞いても、僕は全然ピンとこなかった。その名前は、新橋駅前で見かけたことがある程度だ。「ちょっと、今から聡子と私で『ポンヌフの恋人ごっこをやるから、ちょっと、橋本さんは写真を撮ってください」

「……すいません、『ポンヌフの恋人』って何ですか」

「え、橋本さん、観てないの?」

 僕は映画にとても疎くて、その映画を観たことがなかった。日本に帰国したあと、すぐにDVDをレンタルして観た。パリに行く前に観ておけばよかったと少し悔やんだ。でも――僕はあの映画の主人公のみたいに、一緒にポンヌフにいる相手に恋をしているわけではないけれど、それでも、後ろ向きに走りながらシャッターを切った数分間はとても楽しい時間だったし、美しい時間として僕の中に残っている。道路を踏み外して危うく轢かれそうになったことをのぞけば。

 水面と同じ高さまで降りて、地下鉄の駅まで歩いた。川の上を、何台もの遊覧船が行き交う。船が通りかかるたびに、青柳さんと聡子さんは笑顔で手を振っていた。

 時刻は既に21時になろうとしているが、さて、ここからが今日のメインイベントだ。ホテルのフロントにいた男性にお願いして、「クレイジー・ホース」のチケットを予約してもらっていたのだ。「クレイジー・ホース」というのは、1951年創業の老舗ナイトクラブで、女性のヌードショウが上演されている。少し前にはフレデリック・ワイズマンがドキュメンタリーを撮っていて、それを観た青柳さんが何人かで訪れたことがあるらしく、「すごい面白かった」というので、今日は三人で観にくることにしたのだ。

 僕には一つ不安があった。いかにそれが芸術性を伴ったものであれ、女性二人とヌードショウを観て、どんな顔をしていればいいのだろう――。

 受付で予約番号と名前を告げると、中に案内された。豪華な内装と135ユーロという価格のせいか、少し緊張しつつフロアに移動する。フロアにはボックス席がいくつも並んでいるのだが、僕たちの席は前から2列目だった。テーブルにはシャンパンが冷やされている。

「これ、料金に含まれてるんですかね?」
「でも、含まれてるっぽくないですか?」
「青柳さんが前に来たときもシャンパンついてました?」
「いや、そのときはなかった気がする」

 ソワソワした気持ちでいると、店員がシャンパンを開け、それぞれのグラスに注いでくれた。僕は「これはチケット代に含まれてますか?」と聞くことができず(フランス語はもちろん、英語でもそれを何と言えばいいのかわからない)、別料金を請求されたらそのときはそのときだと開き直ってグッと飲んだ。

 ほどなくしてショウは始まった。心配するまでもなく、エロさを感じることはまったくなかった。ベルトコンベアーのような仕掛けで、ヌード姿の女性が左から右へ、あるいは右から左へと動かされる姿は、コントを観ているような気持ちにすらなった。ただ、エロさは感じなかったものの、僕が「女性の身体というのは芸術だ」と言うわけにはいかないという気持ちにもなった。

 ダンサーたちのお尻には、ある一つの基準があるように見えた(その基準を持つ人を採用しているのだろう)。僕はワイズマンのドキュメンタリーを観ていないから、誰が、どんな基準でダンサーを選考しているのかはわからないけれど、そこには、「女性のお尻はこれが美しいんだ!」という一つの理想が込められているように感じたのだ。そこには、女性のお尻への強い眼差しがあるように感じたのだ。

「これはエロい何かではなく、芸術です」――そう言ってしまうと、何か大事なものがこぼれ落ちてしまう気がする。脱臭されてしまう気がする。

 僕は女性の身体に芸術を見出せない。「女性の身体は芸術的ではない」ということではなくて、「僕には芸術性を見出せない」ということだ。僕は、それほどまでの――何だろう、執着というのか偏愛というのか欲求というのか、を持って女性の身体を眼差したことがあるだろうかと、ショウを観ているうちに思った。何かを脱臭したがゆえに芸術たりえたのではなく、それを突き詰めたが故に芸術足り得たのではないか。その過剰な視線に比べると、僕が女性の身体に注いでいる視線など、浅瀬でちゃぷちゃぷやっているようなものだと、妙に打ちのめされた気持ちになった。

 2時間弱のショウが終わると、地下鉄でホテルの近くまで帰ってきた。気づけば晩ごはんを食べそびれていたが、こんな時間に営業しているレストランなどほぼ存在せず、かろうじて見つけたケバブ屋で遅い夕食を取った。

「まあ、ここもテラス席と言えばテラス席だよね」と青柳さんが言った。僕は青柳さんから「パリでやりたいことは何かあります?」と聞かれて、「服を買うことと、テラス席からパリの通りを眺めること」と答えていたのだ。午前0時のモンマルトルは、ひっそりと静まり返っていた。