1月8日

 朝からゲラに赤を入れる作業を進める。今日中に戻す約束になっているゲラだ。郵送では間に合わないから出版社まで持参するつもりでいたら、担当のIさんから電話がかかってくる。明日取りに行かせるとのこと。僕なんかにそんなことをしてもらってよいのだろうか。夜、一段落したところでアパートを出た。駅前にある「芳林堂書店」で残り3冊になっていた『文學界』を手に取り、高円寺は「コクテイル」に向かった。僕が口開けの客だった。僕は冬の「コクテイル」に一番乗りするのが好きだ。まだ料理の匂いも酒の匂いもタバコの匂いもせず、ただストーブの匂いだけがする。別に料理や酒やタバコの匂いが嫌というわけではないのだが、さらの感じがして好きだ。冬のこのピンとした感じを、いっそう味わうことができる。

 あけましておめでとうございます。店主のKさんは、扉を開けた僕を見てそう挨拶をした。僕もそれに倣ってあけましておめでとうございますと返したが、少し経ったあとで「あれ? 今年もう会ってるんだ」とKさんは言った。たった3日前のことなのに、もうずいぶん昔のような気がする、と。たしかに、僕もそんな気持ちがした。僕はハートランドを飲みながら、さっそく又吉直樹「火花」を読み始めた。最初のうちは少し気負いが感じられたけれど、次第に緊張がほどけていく。冒頭に描かれているのは夏の風景だが、冬の空気によく似合う小説だ。しずかで、しんとしている。

 僕は活字を読むのが非常に遅いので、「コクテイル」で飲んでいるうちには読み終わらなかった。仕事帰りの知人と高田馬場「みつぼ」で待ち合わせて、生ビールとホッピーで乾杯。「ちょっと、今日だけはこれ読んでていい?」と知人にお願いをして、読みながら過ごす。「顔がにやけてるよ」と知人に何度か指摘された。後半になるにつれておかしみが増していく。笑えるというのではなく、おかしみがある。別に自伝的小説ではないのだが、節々に又吉さん自身のエピソードが登場する。ただし、苦労話が綴られているわけでもなければ、自分を対象化して笑い話にしているわけでもない。笑いって何なんやろ、何でおかしみを感じてしまうんやろうと模索している又吉さん自身の姿が浮かんでくるようだった。

 帰宅後、友人にメールを送る。過剰な言葉で嘘を言ってしまわないように、慎重に言葉を選んで、簡潔で率直な文章を送った。ただ一つ、「今年はネタが見たいです」と書き添えておいた。翌朝目をさますと、返信が届いていた。その最後に、「僕も今年はネタを作りたいと思っています」と書かれていた。