1月11日

 朝起きると、Nさんから何度も着信した履歴が残っている。昨日、最後に高い店に入ってしまったこともあり、申し訳ない気持ちで沈んでしまう。お昼はテレビのことを書いて過ごしていた。妙に時間がかかる。基礎体力が足りない。

 18時、急な坂スタジオへ。今日はマームの稽古場に招いてもらった。スタジオに到着すると、脱稿したばかりだという『カタチノチガウ』のテキストを手渡してくれた。今回のセットにはドミノが使われるようで、稽古場にはドミノが並べられているのだが、ゆりりが足を引っ掛けてしまってドミノが倒れてゆく。「わーーー!」と叫ぶゆりりに、いづみさんと聡子さんは「何してんだよ!」「ばーかばーか!」と罵る。今回は三姉妹の物語だが、いつのまにか3人はほんとの姉妹みたいになっていておかしい。

 ほどなくして稽古が始まった。何度も止めては進み、止めては進みを繰り返す。これは今日に限ったことではなく、歩くルートを微細に変えたりする。一体、藤田さんには何が見えているのだろう。ところで、藤田さんの前には6台もの――いや、6台だったかどうかは定かではないが、とにかく大量の――CDJが並べられていている。いつにもましてその数は多いし、CDも山のように積み上げられている。今月のVACANT公演で音響を担当するのは藤田さん自身だ。

「あれ? 完全に見失った」。或るシーンにさしかかったところで藤田さんが言った。そこで流すはずだったのはどのCDだったのかを忘れてしまい、稽古は中断されることになった。「青いCDだった気がするんだけど」「探し出せるわけがない」と、独り言のようにつぶやいている藤田さん。これだったっけと或るCDを流すと、3人の女優は「いや、もっとムーディーだった気がする」「うん、『ふわーん』って」「そうそう、『ふわーん』って感じだったよ」と答えている。稽古場には名久井直子さんの姿もあった。名久井さんは今回の公演でモニターに表示される字幕のデザインを担当しているのだ。稽古場にくるといつも思うことだけれども、役者もプロだし、演劇作家もプロだし、スタッフもプロだし、名久井さんもプロだ。そんな中でひとり、僕は特に何もできることがなく、ただただ観ていることしかできずにいる。それならばせめて、徹底的に観ていようと思う。

 20時に稽古が終わると、飲みに行くことになった。桜木町駅近くにある、日本酒と刺身のうまい店だ。お店に着くまでのあいだ、青柳さんに「パリの事件、すごい近くでしたね」と話しかける。
「え、どこの?」と青柳さん。
「パリ滞在最終日に、3人でお昼を食べたじゃないですか。襲撃された出版社があったの、あのビストロから徒歩数分なんですよ」
「え、そんな街中だったの? もっと郊外だと思ってた」

 シャルリー・エブドが襲撃された映像を目にしたとき、僕もそれはもっと郊外の映像だとばかり思っていた。でも、ふと気になって調べてみると、それは僕たちが歩いたパリのすぐ近くだったのだ。だとすれば、鉢合わせてしまう可能性だってあったのだ。もしそんな現場に出くわしたとき、何をどうすればよかったのだろう――そんな話もした。でも、フランス語なんてろくに話せない僕たちには何もできないし、「何だこの東洋人」と殺されてしまったかもしれない。その話を聞いていた藤田さんは、自分は一つしかフランス語を知らないと言った。それはどういう意味なのかと訊ねると、「トイレに行きたい」という内容だった。

 23時半まで飲んだあと、会計を済ませて店を出た。帰り道、藤田さんとZAZEN BOYSの話になった。稽古場で、皆でZAZEN BOYS『すとーりーず』を聴いた日もあったという。僕ももちろん大好きなアルバムだ。藤田さんは、たとえば「ポテトサラダ」という曲にある音楽と言葉との関わりに触れて、向井さんが言うところのリズムというものがやっとわかった気がすると言っていた。それから、「暗黒屋」という曲のことをとても褒めていた。それは少し意外だったし、流石だとも思った。

 『すとーりーず』というアルバムを褒めるときに、「暗黒屋」を挙げる人はそう多くないはずだ。でも、この曲はZAZEN BOYSにとっては大事な曲で、だからこそリリース後の東京公演にはゲストで坂田明を招き、この曲でセッションをしたのである。ただ、リリース直後のツアーでも――僕は全国を移動してほぼすべての公演を観たけれど――観客はぽかんとするばかりだったのが強く印象に残っている。そんな話をすると、藤田さんは「でも、この『カタチノチガウ』もそういう反応になるかもしれない」と珍しく弱気だった。いや、公演前はいつでも不安があるのだろうけれど、それにしても珍しいほどに弱気だった。