酒に酔った次の朝は、テレビばかり観ている。情報番組でもドラマでもなく、バラエティばかり観ている。今日は昨晩録画しておいた『めちゃイケ』と『すべらない話』を続けて観た。二つの番組は、実際に連続してオンエアされていた。『めちゃイケ』は十回目となるナインティナイン中居正広による日本一周旅で、『すべらない話』は今年で十周年だ。

 これまでの旅は中居が連れ回されるという形になっていたけれど、今回は立場が逆転して、ナインティナインの結成二十五年を祝って中居が二人を連れ回すという内容だ。過去九回の旅の恨みを晴らそうとするのだが、落とし穴に落とされ、自分のウォレットチェーンをチャーハンの具にされてしまうのは結局今回も中居だ。

 三人が最初に訪れたの北海道だ。一面の雪景色の中でナインティナインの“銀婚式”が開かれるのだが、はしゃぐ中居を神父が「観ている子供達に大変な悪影響です」「コンプライアンスに対しての意識が低過ぎます」と叱る。この神父は旅先で何度か登場し、最終的には「コンプライアンス神父」とテロップに出ていた。

めちゃイケ』は、バラエティ番組が置かれている危機的な状況をしばしばネタにする。何年か前にも、BPOからの意見書で「安全性に対する配慮が足りない」と言いつつ「萎縮しない笑いを望む」と上から目線で指摘されたことの意趣返しで、『プロフェッショナル 仕事の流儀』のパロディ企画を放送したこともある。

 こうした企画を観るにつけ、バラエティの制作現場は大変なのだなあとしみじみ思う。俺は応援してるよという気持ちにもなる。ただ、決して笑えるわけではない。シリーズ化した企画や番組というのはもはや風景のようなものであって、「面白くなかった」と指摘するのはヤボかもしれないが、昨年オンエアされたAkBのドッキリ企画のようにズバ抜けて面白い企画もあるだけに、つい期待してしまう。

 興味深いのは、最後に「この番組はフィクションです」という文字が映し出されたこと。今回が初めてではなく、何年か前の旅企画のときから表示されるようになった(あるいは初回からだったかもしれないが)。『めちゃイケ』が「この番組はフィクションです」と終わり、次の番組にあたる『すべらない話』が「すべて実話である」というテロップで始まるぶん、今年は余計に印象に残った。

 最初にこのテロップを目にしたとき、僕はすっかり脱力してしまった。この企画は、超多忙な三人が弾丸ツアーを行うという体で行われているけれど、それはもちろん、実際には何日もかけて収録されているのだろう。そのことを鬼の首を獲ったかのようにあげつらう視聴者を牽制しているのかもしれない。バラエティでさえ「やらせ」とクレームがつく時代に対する皮肉かもしれない。あるいは、自分たちはバラエティを創作しているのだという矜持かもしれない。ただ、いずれにしても、「フィクションです」とわざわざ表示されると、僕はとても寂しい気持ちになる。

 この一週間は録り溜めた正月番組を観続けていた。一番笑ったのは『爆笑ヒットパレード』だ。今年はネタを披露するスタジオとトークが行われるメイン・スタジオが別になっていた。メイン・スタジオで司会進行を務めるのはナインティナイン加藤綾子で、ネタが披露されるスタジオで司会進行を務めていたのは藤井隆三田友梨佳だ。

 番組の冒頭で、メイン・スタジオから呼びかけられたとき、藤井隆はガチガチにマイクを握り、声を震わせながら挨拶をした。

「あけましておめでとうございます、私、三田先輩の一年後輩、フジテレビ入社三年目、片桐健です」

 バラエティ初挑戦に緊張する新人アナウンサーというキャラ設定で登場した藤井隆に、隣に並ぶ三田アナは三田アナでそっと肩に手を添えてみたりする。二人は徹底的にこの設定で番組を進行していった。最初のコンビであるタカアンドトシを呼び込むと、藤井隆は――いや片桐健は三田先輩向かって、「よかった、無事にスタートを切れました」といった様子で笑顔を浮かべ頭を下げていた。千鳥の漫才を観れば「よだれだこ、ポカリ川、珍しい名前でしたねえ。驚きでした」と語り、「途中でちゅうえいさんのことを“ちゅうこ”とおっしゃったので、どういうことかなと思ったら、女性役をやられてたんですねえ」とコメントする。ネタを潰していると言えなくもないけれど、例年に比べて噛んだりトチったりするコンビがやけに多かったせいか、片桐健のことばかりが記憶に残っている。

 番組のラスト。ダチョウ倶楽部のおでん芸で盛り上がっているときも、片桐健は芸人やタレントより一歩引いた場所をキープしていた。そして皆が拍手をしたり手を振ったりしてエンディングを迎える中、片桐健は一人、深々とおじぎをした。徹頭徹尾、最後までフィクションだった。こういうバラエティを観ると、酔っ払って憂鬱になった気持ちも晴れてくる。