2月9日

 朝9時に起きる。ふと体重を計ってみると大変なことになっている。ごはん、豆腐とわかめの味噌汁、納豆、アジの干物を食べたのち、5キロほど走る。川沿いの道には花びらが散っている。あたりを見回すと、梅の花が咲いていた。昼、『S!』誌のテープ起こしに取りかかる。あまりはかどらず。16時過ぎ、おにぎりとお茶をリュックに入れてアパートを出た。渋谷から東急に乗り換えて(大した距離でもないのにいつもストレスが溜まる)、みなとみらいへ。少し時間があるので、駅近くにあるショッピングモール「MARK ISみなとみらい」をぶらつく。たしかオープン直後にも訪れた覚えがある。そのときはすごい人出だったが、今日は平日のせいかがらんとしている。19時、横浜美術館でマームとジプシー『カタチノチガウ』観る。横浜公演は今日が初日だ。TPAMという舞台芸術の国際ミーティングに参加する作品なので、観客には外国人の姿もあり、字幕も表示される。最後のシーンで表示される「The light…」という字幕を観た瞬間に、海外公演の記憶が甦る。海外で上演された作品も、最後の字幕は「The light…」だった。

 当日パンフレットには藤田貴大がこう記している。「いつもよりも、つよめに想う。ヒカリを。ヒカリを。ヒカリを。そんな二月。まぎれもなく、ここは日本。」と。通し稽古を観た日の日記にも書いたが、原宿で観たときはどこかおとぎ話のテイストの強かったこの作品が、この横浜公演に向けて変更が加えられ、まぎれもなく、私たちの立っているここと地続きの世界に見えるようになった。また、当日パンフレットにはこうも書かれている。「ぼくはいままで、ぼくの記憶のなかで見つめていた風景について。描いてきたようにおもう。しかし記憶の風景に留まっていては手を伸ばせないことがあることを知った」「頼りない未来を、いま。ぼくは想像しているのだ。と、気がついた」。彼が描く未来はとてもか細く、頼りがないものではあるのだが、その世界がそこにあるということ、そのこと自体を、僕は頼もしく感じる。ただ、作品のラストの音が気にかかる。台詞と音楽とがそれぞれ別個に耳に届いてきて、あまりにも朗々としてはいないかと感じた。台詞が、あまりにも台詞然として届いてくるように想えた。それを伝えて帰ろうかとも思ったけれど、何度も観ていて、そこで語られる台詞をすべて知っている僕だからそう感じるだけかもしれず、結局何も伝えずにみなとみらい線に乗車した。