2月10日

 7時50分に起きて、朝食。ごはん、豆腐とわかめの味噌汁、納豆、アジの干物。食後は5キロほど走る。シャワーを浴びて、『S!』誌の構成仕事。13時、昼食。飽きずに今日もキャベツとアンチョビのパスタ。部屋だと仕事がはかどらないから、喫茶店にでも出かけようかと思っていたところに、「YouTubeR-1ぐらんぷりの敗者復活ステージがライブ配信されている」という情報が流れてくる。一度見始める離れられなくなってしまった。中継が終わる頃には17時になろうとしていた。一番強く印象に残ったのは、最後に登場した中川パラダイスだ。今日ジョギングしているときにも、録音しておいた「ウーマンラッシュアワーオールナイトニッポン0」を聴いて、中川パラダイスのヤバさについて考えていた。芸人であれば、「ウケたい」という色気が滲むことがある。それは必ずしも悪いことではないけれど、時に臭みにもなる。

 だが中川パラダイスは、たとえスベろうとも平然と立っている。いわゆるスベリ芸のように、「スベってもうた!」と笑いを取ろうとするそぶりすら見せず、彼は淡々とそこにいる。ある意味ではもう素人なのだが、ぶっとんだ素人がそのまま佇んでいるというのが、何より面白いのではないか――彼を見ているとそんな気さえする。以前彼は、テレビ番組で「AV男優になりたい」と語っていた。結婚して子供もいる男が、ギャグみたいにして言うわけでもなく、淡々と「いや、なってみたくないですか?」と語る姿は異形だった。この日中継されたR-1ぐらんぷりの敗者復活ステージで、彼は真っ赤な全身タイツを着用して顔を赤く塗り、ぎょろっとした目玉をつけて登場した。「やあ、パラモだよ。エルモじゃないよ。違うときにエルモでやったら上の人にすっごい怒られたから、パラモにしました」。そこで披露されるネタはどう考えてもテレビでオンエアが厳しそうなネタなのだが、彼はおかまいなしにネタを続ける。あんまり面白いので、いつでも見られるようにケータイで動画を撮影しておく。

 18時、下北沢へ。少し街をぶらついていると、『T.』誌のOさんから電話がかかってくる。おそるおそる出てみると書評の依頼だ。書名を聞いた瞬間に、気が重いので断ろうかと一瞬思った。そろそろ『イタリア再訪日記』の仕事を進めなければならないからだ。でも、Oさんから「(その本の著者である)ご本人からの指名なんだよね」と言われて、それならば断るわけにもいくまいと引き受けることにする。書評する本はもう手元にあるのだが、「B&B」でその本を購入して、近くにある「カドヤ」でハイボールを飲みつつ読み始める。

 20時、再び「B&B」へ。今日は九龍ジョーさん初の単著『メモリースティック』刊行記念トークイベントが開催されるのだ。ゲストは映画監督の松江哲明さんと岩淵弘樹さんで、前半は岩淵監督が撮影・編集した『ライブテープ、二年後』が上映された。この『ライブテープ、二年後』というのは、2009年の元旦に、吉祥寺の街を前野健太が歌い歩く様子をゲリラ撮影したドキュメンタリー映画『ライブテープ』の関係者に、撮影から2年後にインタビューしたメイキング映像だ。九龍さんの『メモリースティック』は、まさにこの『ライブテープ』のことから書き始められている(そして前野健太松江哲明という二人は、この本の根っこに流れる水脈の一つだ)。上映後のトークで松江監督は、「オーディトリウム渋谷」が閉館して以降、作家で特集上映をする映画館が消えたと語っていた。昔の映画の特集上映はあっても、同時代的な映画監督の特集上映というのはなくなった、と。それは映画に限らず、すべてのジャンルで起きていることだろう。それは作家にとって不幸なことだが、それを悲観する必要はないのではないかとも思った。少なくとも、彼らには九龍ジョーという目が――あらゆるジャンルを横断して、同時代に生きる作家と向き合い続けている書き手がいるのだから。

 松江さんの言っていたことで、もう一つ印象に残ったことがある。それは、「この時期に『山田孝之東京都北区赤羽』をやれてよかった」ということだ。もちろん、編集していた段階ではオンエアが“こんな時期”になるとは思ってもみなかったけれど、あとから振り返ったときにも、俺は“あの時期”にあの作品を作っていたんだということは言える、と。松江さんが口にした、「ドキュメンタリーの、ヒリヒリした本気」という言葉を口の中で繰り返しつぶやきながら、小田急線に乗った。アパートに帰ると知人はもうそこにいて、一緒に『R-1ぐらんぷり2015』を観た。敗者復活で中川パラダイスが勝ち上がることを祈っていたけれど、ついに勝ち上がることはなかった。本気で落胆する僕に、知人は冷静に「あのネタをテレビでやれるわけないじゃん」と言う。