9時半、いつもの喫茶店。今日はブレンドコーヒーだけ。11時に江戸川橋「新雅」に行ってみると、KさんとOさんは既に店内にいて、それぞれもやしそばとタンメンを食べている。僕がニラそばを注文すると、ほどなくしてFさんもやってくる。これで揃った。昨日の夜にFさんから「新雅に行きませんか」と連絡があって、今日はニラそばを食べにきたのだ。しかし、なぜ今日だったのかとFさんに訊ねてみると、「稽古が始まってから、昨日初めてちょっと詰まった感じがあった」のだという。運ばれてきたニラそばを食べていると、店員さん(僕は初めて見る店員さん)が、KさんとOさんを見て「いっちゃんに雰囲気が似てる」と言った。

 食べ終えて店を出た頃になって、Aさんもやってくる。神楽坂にある喫茶店を目指して歩く。皆で「新雅」を訪れたあとには、いつも神楽坂の喫茶店に出かけている。Aさんに先導されて歩くのだが、その道はいつも違っている(ただし迷っているわけではない)。「ここで原稿書きなよ」と言われて原稿用紙を取り出したAさんだったが、結局一文字も書くことはなかった。小一時間ほどで店を出て、稽古場に向かう皆と別れて帰宅。最近読み終えた『海を読み、魚を語る 沖縄県糸満における海の記憶の民族誌』という本を渡すことができて満足だ。

 午後、アパートで『S!』誌の構成を進める。ふとツイッターを見ると、党首討論のことで騒がしい。さっそくアップされていた動画を見る。志位和夫が訊ねる。ポツダム宣言の第六項には「日本国国民を欺瞞し、これをして世界征服の挙に譲るの過誤を犯した勢力を永久に取り除く」とあるが、ポツダム宣言の根底にある、太平洋戦争は間違った戦争だったという認識を総理は認めないのか、と。それに対して安倍晋三は「私はまだ、その部分をつまびらかに読んでおりません」と交わした。その言葉の破壊力に驚く。「ポツダム宣言を認めない」と答えるよりもすごいことだという気がする。戦後日本の出発点とも言えるポツダム宣言を読んでいない人が、戦後レジュームからの脱却を唱えている。これはもう、歴史修正主義ですらないだろう。昔のことなんて知ったこっちゃないけど、とにかく現状を打破するということだ。ふと、イスラム国の若者が石像を破壊する動画を思い出した。彼らは「石像は偶像崇拝に当たる」という大義名分を掲げて石像を破壊しているけれど、もう、脈々と受け継がれてきて今後も受け継がれていくものに閉塞感を感じて、「そんなもん知ったこっちゃねえよ」とアナーキーな気分になって破壊しているのではないかという気がする。

 17時、最寄りの酒場に出かける。今日は原稿料が振り込まれる日だったので、ちょっと早い時間から飲むことにした。さすがにまだお客さんは少ないし、外も明るい。明るいうちから飲むのは気分がいいものだ。通りを歩く人の姿を眺めながら冷酒を飲んでいるうちに、喫茶店で過ごした時間のことを思い出していた。それぞれの話す口ぶりや表情を思い出していた。何てセンチメンタルなのだろうと、自分でもおかしくなったけれど、誰かが話したことを振り返ってばかりいる日々だ(テープ起こしや構成の仕事だってそうだ)。いつのまにか酒を飲むピッチがはやくなっていて、19時半にはもう酔っ払い、アパートに戻って眠りについた。