いよいよ初日だ。朝、スーパーに出かけたついでに花屋に寄り、ユリの花を飾る。13時半、自転車で池袋に出かける。劇場では、ゲネに向けて静かに準備が進められていた。はあ、緊張する。僕は写真を学んだことがあるわけでもないから、ちゃんと撮れるか心配だ。舞台写真を撮るのは今回が初めてではないけれど、この作品は登場人数がとても多いのだ。前に10人以上が出演する作品を撮ったこともあるけれど、そのときは何度も繰り返し観ていたから、すべての動線が頭に入っていた(だから僕も舞台に入り込んで撮影した)。でも、今回はそこまで頭に入っているわけではないし、何より、動きが早くて外側から撮るしかない。何にせよ、自分が撮った写真がこの作品のイメージとして使われてしまうのだから、責任は重大だ。

 14時半、ゲネが始まる。2時間のあいだに、3000枚撮影する。すっかり汗だくだ。制作のHさんに「今日、観せてもらうことはできませんか」と相談する。発売してすぐに完売しているのに申し訳ないけれど、どうしても初日を観ておきたいので、無理を言って席を用意してもらう。一度アパートに戻り、シャワーを浴びる。18時50分、自転車こいで劇場に引き返す。空は真っ赤な夕焼けだ。2年前も、同じ道を何度もこいで劇場に向かったことを思い出す。それと同時に、19時半開演だと思い込んでいたけれど、19時開演だったことを思い出す。しまった。到着してみるとちょうど開演したところだ。プロローグが終わったタイミングで、席に案内してもらい、観る。郁子さんと藤田さんに挟まれた最後列の席だった。藤田さんはそわそわした様子で、特にガマのシーンは立ち上がって見守っていた。

 初日を観た感想はいろいろあったけれど、この翌日、僕はこうツイッターに書き連ねている。

 2年前とはずいぶん違う印象を受ける。走っている方向が、2年前とは真逆であるようにさえ感じられた。とにかく走る姿がよかった。春に行われたリーディングライブで演奏された或る曲(註:「あかり from HERE」)が本公演でも使われているのだけど、それがとても印象的。

 これはもう、戦争を描いているわけではないのではないかとさえ感じる。描けていないというのとは違う(というよりも、戦争を描くことは不可能だというところから今年は出発しているように思う)。

 「いまはいつだ」と言ったメッセージは、2年前にもあったけれど前回はもう少し、戦時と今とを重ねるニュアンスがあったように思う。「偶然戦争だったから」彼女たちは悲惨な状況に追い込まれている。たしかに、それは偶然その時代に生まれた人たちに降りかかったことで、それが今の私たちであってもおかしくはない。それはその通りだ。でも、今回の「いまはいつだ」という言葉は、そこに留まっていないように感じた。

 学校のシーンからガマのシーンの流れを観ていると、そのことを強く思う。少し話は逸れるけれど、2年前、冒頭に置かれた学校のシーンは、まだ戦争が激しさを増す前の、楽しかった日々として描かれていた。ガマで看護活動を行うとき、岬へと走るとき、彼女たちは学校での日々を思い浮かべていた。これを乗り切れば、走り切れば、かつてあった日々に戻れるはずだ――そうして彼女たちは走っていた。

 でも、今年のバージョンを観ていると、そこのニュアンスが違っている。まず、学校とガマとが、重なって見えてくる(というよりも、学校とガマのシーンがまったく同じ動きで表現されていたのだ)。ガマを出て走る彼女たちも、過去に向かってではなく、未来を目指して今を走っている。そこで語られる歌詞(「行け、行け、もっと速く、もっと遠くへ、行け、行け、もっと高く、もっと強く」という歌詞)が、その印象を加速させる。

 もう一つ、今年文庫化された原作の帯も思い浮かぶ。「繭(空想)がわたしを死(現実)から守ってくれる」。彼女たちは、未来を空想しながら現実を駆け抜ける。その姿は、彼らが「着想を得た」という言い方をするひめゆり学徒隊を描いているというだけでも、2015年に舞台上を駆け抜ける彼女たちというだけでもなく、もっと普遍的な存在であるように見えてくる。そのことに背中を押されるような気持ちになる。

 終演後はロビーで初日乾杯があった。そこで僕はある人にカメラをプレゼントした。前回稽古場を訪れたとき、彼女から「橋本さん、前に『カメラくれる』って言ってたの覚えてますか」と言われていたのだ。今年の春、皆で沖縄に出かけたとき、彼女は僕のカメラで写真を撮っていたのだけれども、その写真がどれも素晴らしかった。そこで、酔っ払った僕が「使ってないカメラがあるから、それでよければあげるよ」と言っていたのだ。いかにも酔っ払った自分の言いそうなことだ。でも、酒の席で言ったことを果たさない大人にはなりたくないと思ったのと、彼女にはカメラが必要だと思ったので、本当にプレゼントすることにしたのだ。いろんな事情を考えると、いいことなのかどうか、わからないけれど、プレゼントした。

 乾杯をしたあと、まずBさんと話した。話していると、Bさんは「あのとき、橋本さんが何で怒ったのか、やっと理解できました」と言った。僕、何か怒ったりしましたっけと訊ねると、「あの、黄金町で」とBさんは言う。そのとき、Bさんは他の数人と飲んでいて、僕がそこに顔を出すと、その場にいた人が「あ、マームの人だ」と言ったのだった。ところで、Bさんは双子の役を演じている。今日の舞台を観ていて印象的だったのは、双子の表情だった。ガマを出て、砲弾のふりしきる道を走るシーンで、ある人は涙を流しながら、ある人はへとへとになりながら走っているなかで、彼女たちは粛々と走っていた。そのことがとても印象的だった。だから彼女たちは比較的最後まで生き延びたのだろうと思った。彼女たちは、動物のように、ただ前を向いて走っていた。生きようとしていた。だから、彼女たちは諦めてしまったり、自決を選んだりするのではなく、飢えたのか力尽きたのか、ただそっと息を引き取る姿に胸を打たれた。

 この話は、双子を演じるもう一人・Yさんにも話した。すると彼女は、「こないだバカントで会ったとき、橋本さんに、ガマで話してたことを聞かれたじゃないですか」と切り出した。「あのとき、あの話ができたのがよかったと思っていて。あらためて、そのことをずっと考えてるんです。やっぱり、泣いたら走れないっていうか、泣いてたら死ぬっていうか……。音楽も良い感じで、証明も良い感じに当たってると、どうしても死に酔いそうになるけど、そこは絶対に負けたくないと思ってます」。そんな話を聞いていると、ちょうどFさんがやってくる。僕は、なるべく余計なことは言わないようにしようと思っているけれど、一つだけ気になったことを伝えた。それは、終盤に登場する「偶然戦争だったから、こんなことになっているんだ」というセリフだ。これは2年前にも登場したセリフだが、その響きが少し気にかかったのだ。今年の作品が普遍的なテーマを――戦時と平時を超えた、人間の生きている姿を描いているように感じたなかで、そのセリフは、あの戦争ということと結びつきが強いように感じたのだ。Fさんは「たしかに、あそこは初演の体温のままだよね」と言っていた。

 出演者は皆ロビーにいたけれど、皆と話すことはできなかった。まだ僕も、うまく言葉にすることができなくて、全員と話すことができなかった。出演者の皆とは別れて「養老乃瀧」に入り、遅くまでハイボールを飲んだ。