11時半に起きる。ニュースでは、株価の暴落を受け、中国政府が多くの銘柄の取引を停止した上、買い支えを行っていると報じられている。先進国らしからぬ振る舞いだ――そんな感情が自分の中に浮かんでいることに気づいてハッとする。そうした感情が、数十年前の日本に向けられていたのだろう。昼、知人と一緒にティーヌンに出かける。生春巻きとヤムウンセンをつまみにビールを1本飲んで、ビールを1本追加してトムヤムクンラーメンを食す。午後、アパートに戻る知人と別れてドトールに入り、『e』誌の構成を進める。

 17時、池袋に出て劇場へと向かった。今日はチケットを予約してある。1階にあるおにぎり屋さんで十五穀米のおにぎりを食べたのち、3度目の観劇。上手側のサイドの席で観る。また少し変更が加えられている。前回までの印象だと、ガマを出たシーンからは(シーンとして描き分けられているとはいえ)同じスピードで走り続けていたところが、ある瞬間は全力で走り、あるシーンではスローモーションのように見える。死んでしまった双子を寝かせる“さとこ”の動きもそっと優しくなっている。自決した椿組を引いていくのも、先に死んでしまった皆だ。これは、単純に、そのことに気づいたのがこの日の公演だったというだけかもしれない。この日記を書いているのはこの日の半月後だから記憶に自信がない。いずれにせよ、この日は時間と風景に奥行きを感じた。

 これも自信がないのだけれど、当初、ラストの台詞は「羽があっても、飛ぶことはできない。だから私は。生きていく、ことにした。生きていく、ことにした」と二度繰り返していたのではないか。この日は、“サン”が「羽があっても、飛ぶことはできない。だから私は、生きていく。生きていく、ことにした」という台詞になっていた。これに関しても、本当にそうした変更があったのか、それとも、その響きがこの日は特に印象的だったから強く記憶に残っているのか、曖昧だけれども、この日の舞台を観ていると、“サン”の意志というものを強く感じた。

 この日は椿組の3人を観て過ごす時間が多かった。解散命令を受けて、ガマを出た彼女たちは、仲間たちが銃弾に倒れるなかを走り抜け、夜を迎える。そうして“サン”と“マユ”、“さとこ”と再会する。しかし、椿組の3人は自決しようと言い出す。

「陛下もそれをのぞんでらっしゃる」と一人が口にする。しかし、他の3人に「一緒に自決しよう」と語りかける椿組の表情を見ていると、それは本心ではないのであろうことが伝わってくる。陛下のために。それを口実にしてはいるけれど、彼女たちはもう、限界だったのだ。椿組のひとり、人一倍自己犠牲の精神を持っていた“なんば”は、敵の砲撃のやんだ夜になって、はたと自分のしてしまったことに気づく。彼女は、傷を負った“しょうこ”のことを(本人が「先に行って!」と言ったとはいえ)見殺しにしたまま走ってきてしまったのだ。彼女は、人が死ぬことにも慣れてしまって、おかしくなってしまった自分に気づく。これ以上狂ってしまうよりも先に、彼女は自決することを選ぶ。同じく椿組の“かえ”もまた、これ以上走っても、そこにはどんづまりが待っているだけだと悟っている。二人に比べると、“しずる”は比較的冷静であるように見える。彼女は、平時のシーン――学校のシーンのときから、どこか淡々としたところがあった。普通であるがゆえの苦悩を抱えているようにも見えた。彼女は、他の二人に比べると、まだ未来への希望を捨ててはいないようにも見える。だが彼女は、一緒に走ってきた二人に引きずられるように、あるいは二人を慮って、自決を選んだ。

 ”さとこ”が語る、「私たちは、何から逃げているのだろう」という台詞が、この日は特に印象的だった。何かから逃げるように、彼女たちは駆け抜ける。駆け抜けた先で、どんづまりを感じた彼女たちは、その現実ってことからも逃げるように死を選んだ。だが、“サン”は、その死ぬってことからも逃げるように走り続ける。今、ここにある“現在”を拒絶し、それとは違う“現在”を妄想しながら走り続ける。そうして彼女は生き残る――そのことに考え至ったから、今日はラストの台詞が印象的に響いたのかもしれないと思った。

 終演後は劇場近くにある「ひもの屋」で飲んだ。明日は休演日とあって、今日の飲み会は大所帯だ。隣の席になったのはBさんだった。彼女がサトウキビを齧るシーンがあるのだが、今日は齧る音がずっと響いていた。前はあんなに齧ってなかった気がするんですけどと訊ねると、あそこで少しでも水分補給しとかなきゃってことで齧ってるんですと答えが返ってくる。Bさんは僕のドキュメント――今度出すドキュメント――を読んでくれたらしく、それを褒めてくれた。これまではドキュメントに苦手意識があったけれど、橋本さんのは面白かった、と言ってくれる。嬉しい。「今回の橋本さんのドキュメントは、単焦点レンズみたいだ」とBさんは言っていた。

 舞台上での表情の素晴らしさを本人に伝えていると、「私たちの特権だと思うのは――」とBさんが話し出す。「Aさんに布をかけてもらったときの温かさ」だ、と。生と死のはざまを走り続ける。それを観ている演出家がまずはいて、観客がいて、さらに自分たちを看取るように布をかけてくれるAさんがいる――それはまぎれもなく彼女たちの特権であり、舞台の特権でもある。