朝8時に起きる。トーストとアイスコーヒーで朝食にする。12時45分、池袋へ。今日は東京公演の楽日だ。劇場には、14時開演の回の当日券を求める人が80人近く列を作っている。僕はそろりとカウンターの近くで待機して、昼公演の当日券を求める人の列が消えるのを待つ。昼公演のチケットが買えなかったからとそのまま夜公演目当てに並び続ける人が4人ほどいたけれど、そのすぐ後ろに並ぶ。当日券が販売される17時半までの4時間半、ひたすら並ぶ。そのために小さな折りたたみ式のイスも持参した。待っているあいだ、入稿の近い『cocoon no koe cocoon no oto』を全部読み返して、赤を入れていく。これはかなり面白い本だと思う。自分でそんなふうに言っていれば世話はないのだが、「これは面白いはずだ!」と自信のある時期と、「一体誰が読んでくれるんだろう」と思ってしまう時期が交互にやってくる。

 17時半、当日券を無事手に入れる。かなり理想的な席だ。本当は今日の昼公演が最後の公演となるはずだったのだけれども、休演になった回の振替公演が、東京での最後の公演となった(振替公演だから、他の日に比べて当日券で用意される席が多めに残っていたのだ)。トイレで歯磨きをして、会場に入る。18時半、開演のときを迎える。この日の公演は、ただただ胸を打たれた。あれは一体、なぜだろう。彼女たちが走る姿に、ただただ胸を打たれた。この2週間、彼女たちは全力で駆け抜けたのだということを思ったからかもしれない。それは、知識としてそう思ったというわけではなく、彼女たちの走る姿からそう思ったのだ。そう考えると、はたして僕は劇を観ていたのかどうか、少し心許なくもある。ただ、だからといって、彼女たち自身のことを思って観ていたというわけではない。東京では一旦、今日限りで消え去ってしまう“彼女たち”のことを、僕は観ていた。カーテンコールで、客席からは力のこもった拍手が起きた。1回目のカーテンコールは1人足りなくて、もし彼女が疲労困憊で出てこられない状態なのなら、図々しく楽屋まで行って「よかったです」と伝えようかとも思ったが、2回目のカーテンコールで、飴屋さんに支えられて彼女も舞台にあらわした。精一杯拍手をした。

 終演後、1階にある店でビールを飲んでいると、F・Cさんから電話があり、「豊田屋」へ。同じく楽日の公演を観ていたF・Cさん、それにS・Kさんで飲んでいるというので、駆けつけてホッピーを飲む。ほどなくしてO・Mさんもやってきて、皆で感想を語りながら飲んだ。その感想に関係のありそうなこと――リーディング・ツアーで見聞したことを、僕は話した。ある人が、最後の方に登場する「今年30歳になった僕」という台詞――それは舞台上にいる誰かのことばではなく、演劇作家自身のことばであるように聴こえる――を俳優に語らせるのはなぜだろうという話が出た。僕は、その本意は知らないけれど、署名みたいなものなんじゃないかと思っているという話をした。この舞台では、多くの人が死ぬ。それは、かつてあった死に“想を得て”、今ある俳優の身体を使って、舞台上にいる誰かを何度も繰り返し殺しているということでもある。舞台上の誰かを殺しているのは誰かと言えば、他でもない演劇作家だ。そのことに対する責任のようなものとして、彼は“署名”を入れているのではないか、と。その話を聞いていたF・Cさんは「なるほど、署名か」と感心してくれた。彼の作品は油絵に近い感触があるけれど、油絵も最後に署名を入れるよね、と。

 ほどなくしてFさんからLINEがあり、打ち上げは駅前の「土間土間」になりましたと連絡があった。すみません、また今度ゆっくり話しましょうと中座して「土間土間」に向かった。もう役者さんたちは揃っていて、飲み物を待っている。僕も生ビールを注文する。だが、5分、10分と待っても飲み物は運ばれてこなかった。日曜日の夜でそんなに混んでいないけれど――いや、日曜日の夜でさほど混まない時間だからこそ、スタッフがあまりいないせいか――厨房はてんやわんやだ。2杯目はワインのボトルを頼んで、じっくり飲んだ。役者さんたちは一つのテーブルを囲んで飲んでいて、まぶしく見える。1時間ほど経ったところでA葉さんが隣にきて、「橋本さんと話したかったんです」と言ってくれる。僕は、彼女の語る「もう頑張れない」という台詞のことが気になっていた。しっくりこないとか、そういうことではなく、ただ気になっていた。その話をすると、「あの台詞はずっと言いにくかった」と話していた。話しているうちに、僕はA葉さんからタバコを1本もらって吸った。A葉さんがタバコを吸う姿を見ているとおいしそうで、つい自分も吸いたくなる。前にも1本おすそ分けしてもらったことがあり、申し訳ない気持ち。

 皆はまだまだ飲むようだったけれど、眠くなったのと、東京公演が終わってしまって寂しい気持ちもあったので、皆がまだワイワイ飲んでいるうちにお金を置いてそっと帰った。