飛行機が着陸態勢に入り、窓のブラインドが上げられると、地平線が真っ赤に燃えていた。国際線に乗っていると、自分がどこにいて、何日の何時の世界にいるのか、わからなくなる。椅子に座っているだけなのに二度も機内食が出てくるせいもある。それにしても、機内食だ。もう何度も不味い思いをしているのに、離陸後にメニューが配られるとつい浮かれた心地で見入ってしまう。何よりの失敗は「海鮮丼」という文字に惹かれてしまったことだ。機内食の海鮮丼がうまいわけがない。そんなことはわかりきっているのに、高いところにのぼるとぼんやりするのだろう。アルミホイルをはがして、レタスで覆われた姿を目にした瞬間に、自分のぼんやりを悔いた。ソースがかけられてしなしなになったレタスを避けるとホタテが見えた。海鮮丼ではなく中華丼である。ぼんやりした気持ちでそれを食し、ぼんやりした気持ちでドバイに到着した。タラップを一歩踏み出すと熱風が当たり、余計にぼんやりした気持ちになった。トランジットのあいだ、何度か「機内食、どっちを選びました?」と訊ねられた。その質問だけでもう、相手が僕と同じミスを犯してしまったのだろうとわかる。マームとジプシーに同行して海外に出かけるのも今年で3年目だ。3年間、いつも機内食に苦しめられている気がする。

 目的地はドバイではなく、ケルンだ。

 デュッセルドルフ空港が近づいてくると、正面のモニターには外の様子が映し出された。座席に設置されたモニターでも、その映像を見ることができる。いくつかアングルを切り替えることができるのだが、垂直尾翼にでも取り付けてあるのか、機体を俯瞰するようなアングルもあった。自分が乗った飛行機を見るというのは不思議なもので現実感はなかったけれど、窓の外に広がる景色と照らし合わせてみると、たしかに自分が乗っている飛行機らしかった。緑色の風景の中に、少し色が淡くなった一角が見えてくる。そこがデュッセルドルフ空港なのだった。


 空港ではフェスティバルのスタッフが出迎えてくれた。ここからは3台のクルマに分かれてケルンを目指すことになる。空港を一歩出たところで、舞台監督の熊木さんが「色味が日本と似てるから、あんまり違和感ないですね」と言った。たしかに、ドイツを訪れるのは初めてなのに、これまでツアーで訪れた他の国に比べると、どこか馴染みのある気配があった。

 空港を出ると広大な風景が続く。初めてイタリアを訪れたときも、広大な風景に感銘を受けた。でも、イタリアの自然は日本と違う色彩を放っていたのに、デュッセルドルフの風景には懐かしさを覚える。なだらかな平野が続いていて、トウモロコシ畑があり、ときどき遠くに工場の煙突が見える。どこか北海道に似た景色だ。そう感じるのは、僕が広大な景色を見慣れていないからかもしれない。ただ、北海道出身である藤田さんもまた「北海道に似てる」と口にした。その理由の一つとして藤田さんが挙げたのが建物の屋根だ。穀倉地帯の中に時々見える農家も、市街地にある建物もまた、屋根が急勾配になっている。にょきっと煙突のはえた建物もよく見かける。そうした建物を眺めながら、「雪が降る土地の屋根」だと藤田さんは言った。

 僕はヤナさんが運転するクルマの助手席に乗った。「疲れた?」「暑ければ冷房つけるけど、どう?」「風景は日本と違う?」とアレコレ質問してくれるけれど、語学力がない僕は長い言葉で返せず、会話は続かなかった。なんだか申し訳ない気持ちになって、せめてこちらかも質問しよう。僕でも話せる質問は何があったっけと考えて、「ケルン出身なんですか?」と訊ねてみた。

 ヤナさんはケルン生まれだと言う。学校に行くために一度ケルンを離れたものの、卒業後はケルンに戻ってきたそうだ。その答えに、1年前のイタリアを思い出す。メイナという湖畔の町に滞在し、十数人の参加者と1週間かけてワークショップを行った。参加者の皆に、自分の生まれ育った街を出るときのエピソードを訊ねていくと、(今は地元に戻っているとしても)一度は街を去った人が多かった。「演劇に携わる若者は特に、そういうシチュエーションを迎えるのだ、と。ここドイツの若者と同じ状況に置かれているのか、ヤナさんに訊ねると、「イエス」と返ってくる。「でも、一度街を離れても、戻ってくる人が多いです。皆ケルンが好きだから」と。

「ケルンのどこが好きなんですか?」

「私が好きなのはライン川です。あと、皆が泊まるホテルがあるほうの川岸から見える景色が好きです。そこからだとカテドラルも見えるし、夜になるといくつもの光が見えます」

 そのいくつもの光という言葉が――a lot of lightという言葉にハッとする。これから上演する作品のタイトルは、『てんとてんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』だ。

 ところで、ケルンを目指して走っているうちに気づいたことがある。それは、高速道路はそれなりに混雑していたけれど、ずっとスムーズに流れているということだ。日本の場合、ある程度混雑した区間になると追い越し車線をのんびり走るクルマがいて、走行車線も追い越し車線も同じぐらいのスピードで流れることになる。アウトバーンでは、追い越し車線が滞るところを見かけなかった。ヤナさん曰く、追い越し車線はスピードを出したクルマに譲るというルールは、ここではとても厳密なのだと言う。

 その話を聞いているうちに、飛行機の中で再読した本のことを思い出した。そこにはこんなテキストがあった。

 十四歳になるまでに、フランクリンは八回もヨーロッパ旅行を経験している。一等船室を用いた贅沢な旅行だった。この頃の思い出として、ルーズベルトはドイツ滞在中、「黒い森(シュヴァルツヴァルト)を家庭教師とドライブ中、四度も警察にスピード違反で捕まえられたこと」を挙げている。幼いルーズベルトは、ドイツ人の順法精神に感嘆するよりも、その杓子定規に強い反発を覚えたようだ。アメリカ国内での移動にさいしては、専用の自家用車両を特急に連結させた。

 頻繁に車線変更が繰り返される風景を前に、そのことを思い出した。ヤナさんが運転するクルマは頻繁に車線変更をする。カッと短くウインカーを出すと、すぐに車線を変える。車間距離の詰まった場所に入り込んでも、入り込まれたほうブレーキを踏んで渋滞に繋がるということもないようだ。皆、運転がうまいのだろう。思えば、昨年ツアーをしたイタリアやボスニアでは、時々運転にヒヤリとすることがあったけれど、ここでは恐ろしさを感じることはなかった。市街地に入ってからも、交差点では歩行者を最大限優先するクルマをよく見かけたし、ハンドサインを出す自転車乗りも多く見かけた。

 市街地に入ってみると、たしかにヨーロッパだという街並みだ。5階建てぐらいの建物がずっと続いていて、道の真ん中をトラムが走っている。線路沿いには楓の並木が続いていて、葉が日差しで透けてきれいだ。川沿いの街特有の美しさというものがあるように思う。少しサラエボのことを思い出した。あの街にもトラムが走っていて、並木があり、川が流れていた。

 劇場は若者が集まるエリアの一角にあった。一階にはカフェが併設されていて――このカフェは公演があるときだけ営業する――新しくて綺麗な劇場だ。表から外観を眺めていたところに、先に到着していた波佐谷さんと聡子さんが歩いてくる。二人は瓶を手にしていた。

「え、それビールなの?」
「ビール。これで1ユーロだよ」
「すごい安かった。1ユーロだと思うと買っちゃった」
「1ユーロってことは、133円ってことか」
「でも、私はもう1ユーロ100円ってことで計算してるよ」

 さっそく劇場の中に案内してもらう。中に入って一目見るなり、皆が口々に「こんな劇場が欲しい」なんて話している。

「こんな劇場、軽井沢あたりに欲しいよね」
「結構良いとこ言ったね」
「実子、こんな劇場建ててよ」
「いいよ。『cocoon』のギャラでね」

 皆が劇場の設備を確認したり、客席に座って雰囲気を確かめたりしているあいだ、聡子さんは写真を撮っていた。そのことが新鮮に感じられた。

 最初の海外公演のときも、聡子さんは写真を撮ってはいた(しかも、今日はiPhoneで撮っているけれど、そのときはしっかり一眼レフで撮っていた)。でも、そのとき聡子さんが撮っていたのは風景が多かったように記憶しているのだけれど、今日は皆の姿を撮っていた。そのことが妙に印象的だった。

「別に過ごし方を変えてみようって思ってるわけでもないんですけど、旅がどうしても下手だから、どうしたらいいのかなってことは常々思ってるんですよね」と聡子さんは言う。「旅が下手だからどうしようってことでもないけど、このあいだにやってきたことも――『cocoon』のこともあるし、それ以外のこともあったよなと思ったりして。橋本さんも写真を撮ってくれるけど、見てるものとか残るものは一人一人違うから、もっといんなことをやっていったほうがいいのかなと思ったんですよね」

 今年の夏に上演された『cocoon』での――いや、正確に言えば、それに先立って上演されたリーディングツアー『cocoon no koe cocoon no oto』での――大きな気づきの一つは、「私が見てないものを誰かが見ていて、誰かが見れなかったものを私は見ている」という視点だった。そうした気づきをもとに再創造された『cocoon』という舞台において、主人公のサンを違った視点から見つめ続けている役を演じた聡子さんにそうした変化が生まれるというのは、興味深くもあるし、なんだか頼もしくもある。

 劇場の下見を終えると、ホテルまで送ってもらった。劇場からホテルまでは、ライン川を挟んで30分ほどの距離にある。シャワーを浴びてホテルの庭に出てみると、もう19時過ぎだというのにまだ日があんな高いところにある。さて夕食をという段になったのだけれども、ホテルの近くにはケンタッキーフライドチキンくらいしか見当たらなかった。さすがにドイツに着いた初日にケンタッキーを食べる気にもなれず、ケルンの中心部までタクシーで出かけた。街の中心にあるのはケルン大聖堂だ。「せっかくだからタクシーで市街地まで出ませんか」と提案したのは僕だったけれど、メーターがぐんぐん上がるのを見ていて「皆にお金を使わせてしまった」と少し後悔したが、大聖堂を前にするとそんな気持ちはすっかり消えた。157メートルの高さを誇る大聖堂は荘厳の一言だ。その巨大な聖堂を写真に収めようとするあまり、巡礼者のように這いつくばっている人もいた。それにしても、さほど信心深い性格でもないのに、教会を訪れるたび敬虔な気持ちになるのはなぜだろう。ケルンの街は第二次世界大戦で爆撃を受け、市街地の多くが焼失した。このケルン大聖堂も被弾し、被害を受けたものの全壊はせず、戦後に修復されたのだという。

 大聖堂を見学したあとは近くのレストランに入った。ケルンには「コルシュ」と呼ばれるクラフトビールがあるので、もちろんコルシュを注文した。コルシュには24もの種類があるそうだが、この店のは苦味が少なく不思議なうまさがあった。また、200ミリ程度の小さなグラスでサーブされるのもよくて、何度もお代わりした。お代わりするたびに、「ビール欲しい人?」と手を上げて、それを店員さんに数えてもらっていた。最初のうちは「アインス、ツヴァイ、ドライ……」と数えてくれていたけれど、さすがに面倒になったのか、途中で「よし、10人分だな」と言い残して奥に消えていった。そんなふうに客をあしらう店員さんはたまにいるけれど、本当に10人分運ばれてきたのはこの日が初めてだった。泡で記憶は薄れてしまって、ライン川の夜景を見るのは忘れてしまった。