車には役者だけが乗っていた。フォード製のバンには9人までしか乗ることができず、仕込みをするスタッフチームを先発隊に、時間に余裕のある役者チームを後発隊に分けたのだ。バンの中は静かだ。つい最近まで大人数のツアーに同行していたから、余計に静かに感じる。静かだと言っても、ポツポツ会話は交わされている。

 窓の外を眺めていた誰かが「道路がきれいだね」と漏らす。
「うん、日本にいるみたいだね」
「イタリアはもうちょっと汚かったよね?」
「そうだね。イタリアは馬とか犬がいたからね」

 たしかに、ケルンの街は綺麗だ。飼い犬を散歩させる人はよく見かけるけれど、ここでは野良犬を見かけないし、馬車を見かけることもなかった。今日は生憎の空模様だけれども、雨に濡れた街は余計に綺麗に見える。
 
「今日はでも、石探すの面倒くさいね」と尾野島さんが言う。
「え、今めんどくさいって言った?」とあゆみさん。
「いや、雨降ってるからね? 石を探すのが面倒くさいってことじゃなくて、雨降ってるから面倒くさいってことね?」
「ああ、よかった。石探しに尾野島さんは欠かせないからね」
「そうだね。今日一番の仕事だからね」

『てんとてん』という作品では、小道具としてテントが使用されている。テントを張るためには重しが必要だ。その重しは、昨年のツアーからは現地の石が使われていた。用意しておいてもらった石を使うのではなく、役者の皆――ただし映像スタッフも兼務する実こさんはのぞく――で街を歩き、適当な石を探してきた。

 劇場に着くなり、まずは石探しに出かけることになった。劇場の前には並木道があって、そこをトラムが走っている。

「この線路を歩いたら怒られるかな」
「怒られるんじゃない?」
「じゃあやめよう。右と左、どっちが好き?」

 線路の手前を左に曲がり、街を歩く。石を探すという視点で歩いてみると、ケルンはたしかにきれいな街だと思う。劇場の近くでは、手つかずのままになった空き地を見かけることもないし、それなりのサイズの石が放置されているということもなかった。

「これくらいの石ならあったけど」と、波佐谷さんが手のひらサイズの石を見つけてくる。
「あ、ちょっとチーズケーキっぽい石だね」
「意外ときれいな石だ」
「こういう小さいのを集めて重しにするっていうのもアリだよね」
「うん。じゃあ、この石は一旦キープすることにして、小さい石を探してみよう」
「ドイツっぽい石があるといいね」
「それは何、カラーリングがってこと?」
「そうそう」

 ドイツっぽい色の石を探して街を歩く。僕はこの石探しの時間が好きだ。大げさな目的で街歩きをするのではなく、ただ街を歩く。その中で見えてくる風景が好きだ。トラムを待つ人の群れ。がらんとした店内で居眠りをする家具屋の店主。客を待つタクシーの運転手。ケバブを食べる男性。パン屋のテラス席でお茶をするマダム。八百屋に並んだ巨大な西瓜。処方箋を待つ老婆。ゴミ箱を放り投げる作業員の男。指を火傷しそうなほど短くなるまでタバコを吸って犬を散歩させているおじいさん。煉瓦造りの古ぼけた煙突。歩いていると、少しだけ街の地形に触れられるような気がする。

 こうして石を探して歩いているとき、ひときわ目を輝かせているのは萩原さんだ。ケルンに到着した日、車窓の景色に目を輝かせる荻原さんを見て、藤田さんは「まる(萩原さんの愛称)、日本にいるときは死んだような目をしてるのに、海外にくるとそんなに好奇心に満ちた目をしてるのがムカつくんだけど」と笑っていた。そんな会話を思い出して、何で海外だとそんなに好奇心に満ちた目になるのか、荻原さんに訊ねてみる。


「何でなんだろう? 何もかも初めて見るものだっていうのは大きいけど……。でも、東京以外のところに行っても、そうはならないんですよね」と萩原さんは言った。「今まで行った場所がそうなだけかもしれないけど、顔がいきいきとしてる人が多い気がする。そういう人たちに触れることで、何かもらえるエネルギーがあるなって思う。それは、人だけじゃなくて、自然とか街並みとか、その土地が持っている力を感じることができるから」と。

 でも、皆を見てもそうだけど、この街が一番馴染んでる感じがする――荻原さんはそんなことも言った。

「たぶん旅慣れしたってこともきっとあるとは思うんだけど……。何だろう、何でなんだろう。ケルンのことは全然知らないけど、いろんな人があっちとこっちに行く、その境目だったのかなとも思う。顔を見ていても、先祖代々ドイツにいた人だけじゃなくて、いろんな人が混在した、その密集地帯の真ん中なのかなとも思う」

 歩いていると解体現場に出くわした。お願いをして中に立ち入らせてもらうと、煉瓦のブロックが転がっていた。解体中の建物からいくつか煉瓦をもらって劇場に引き返すと、お昼休みになった。劇場の人から勧められたのはトルコ料理屋で、行ってみるとそれはケバブ屋だった。ケルンの街を歩いていると、ケバブ屋さんを多く見かける。もちろん、ケバブ屋は世界中どこでも見かけるけれど、それにしても多い気がする。荻原さんが言っていたように、ここは一つの“密集地帯”なのだろう。そういえば、昨日ケルン大聖堂まで送ってくれたタクシーの運転手も「俺はイラン人だ」と言っていた。「俺も、他の2台の運転手もイラン人だ。いろんな街を転々としてきたけど、住みやすいからずっとケルンにいる」と。

 ただ、昼食はケバブ屋には入らなかった。せっかくだからレストランに行こうと、イタリアンの店を選んだ。お昼時なのに、他に客はいなかった。料理を待つ間は賑やかだったのに、食事中は無言になった。僕が頼んだマルゲリータは、イタリアで食べたものより味もサイズも大きかった。これは昨年のツアーのときにも感じたことだけれども、風土の違いを感じるのは食事のときだ。イタリアツアーを担当してくれたルイーサという女性も、少食そうに見えるのに、大きなピザを一人で平らげていた。こっちの人はピザをシェアすることなく、一人で平らげる。僕は数切れ食べると飽きてしまって、違う味を試したくなる。そういう人が多いから、日本では4種類の味が楽しめるピザが人気なのだろう。逆に言うと、4種類の具材がのったピザというのは、こちらの人からすると奇妙なものに見えるのだと思う。だとすると――京都を訪れる外国人観光客は多いけれど、いろんなものがちまちま出てくる京料理というのは、とても奇異なものに映っているのではないかと思った。

 午後も引き続き仕込みが行われているので、藤田さんと役者の皆はカードゲームをやることになった。藤田さんはここ最近カードゲームづいていて、今回の旅にも何種類ものカードゲームを持ってきていた。藤田さんがゲームのルールを説明し、藤田さんの司会でゲームが進行する。最初にやったのは「人狼」というゲームだ。まず最初に、カードが配られる。そのカードは、「人狼」と「村人」に分かれている(人狼は2枚ある)。このゲームには「昼」と「夜」があって、昼のあいだは誰が人狼なのかを議論する。そうして夜になると、多数決で誰か一人を追放する。そこで正しく人狼を追放することができなければ、人狼は村人の一人を襲う――この「昼」と「夜」を繰り返してゆく。人狼を2人とも追放できれば村人の勝利で、人狼と村人の数が同じになれば人狼の勝利となる。心理戦の要素が強いゲームだ。

 全員にカードが配られると、藤田さんの司会でゲームが始まった。

「……でも、まだ何もわかんないよね」と誰かが口を開く。
「うん。何もわかんないね」
「いつも思うけど、このゲーム、目の奥を見るしかないよね」
「村人は今何人いるの?」
「村人は4人で、人狼が2人」
「ほんとにこのメンバー難しいわ」
「ね。本当に(人狼)いる?」
「そういうことを言う“まる”がいつも人狼だよね」
「でも、最初は勘しかないよね」
「ちょっとまだ、誰も追放したくないもんね」

 そんなことを話しているうちに、あっという間に「昼」が終わり、多数決を取る段になった。
「え、橋本さんもやってたの?」
「やってますよ!」
「やってないのかと思った。そう考えると急に怪しくなってきた」
「たしかに、すごい影の消し方だった」

 多数決の結果、追放されたのは僕だった。そして人狼に殺されたのは尾野島さんだ。2ゲーム目でも、最初に疑われたのは尾野島さんと僕だった。

「皆、何でこの二人が怪しいと思ったの?」
「うーん、わかんないけど」
「皆が適当に指して、この二人になっちゃった」
「さっきもこの二人だったよね?」
 皆のやりとりを聞いていた藤田さんが、「俺から言わせれば、今の状況で尾野島さんと橋本さんが怪しいと思うお前らが一番ヤバいよ」と笑う。
「まあ、そうね」
「だって、何も具体的な要素がないのに、何となくこの二人が怪しいって言ってるわけだからね」

 この日は結局、2時間以上カードゲームを続けていた。人狼だけでなく、「タイムボム」や「レジスタンス」といったゲームも試した。いずれも心理戦の要素が強いゲームだ。

 何度か繰り返し遊んでいるうちに、藤田さんが皆でカードゲームをやりたがる理由が少しわかった気がした。「人狼系」の心理ゲームは多分に演劇的だ。「村人」であれ「人狼」であれ、配られたカードの役割に従ってゲームを進めることになる。でも――だとすると、「カードゲームをやる」と言ったら息抜きみたいに思えるけれど、役者さんたちはあまり気が休まらないのではないかという気がした。

「それはそうかもしれないね」。ホテルに戻ったあとで話を聞いたとき、あゆみさんはそう話していた。「福島でもゲームをやったんだけど、そのときは本当にそういうことを思った。たかちゃんって、誰が人狼とかわかってるじゃないですか。そのときは『この人はどう切り抜けるのか』ってことを見られてるんだろうなと思った。今日はそこまでは思わなかったけど」

 あゆみさんに話を聞いたのは、カードゲームについて聞きたかったからではなく、もう少し違う理由があった。

 石探しを終えて劇場に戻ったあと、皆はもう一度石を探しに出かけようとした。そこで藤田さんが「まだ探すの?」と口にしたとき、あゆみさんは「たかちゃんってさ、そんなに石に興味なかったっけ」と言っていた。それはただ石探しに関する会話ではあるけれど、その言葉に、どこかあゆみさんの不安がにじんでいるような気がしたのだ。そのことを訊ねてみると、「なんかね、今回の旅がシームレス過ぎて、すごく不安な部分はありますね」とあゆみさんは言った。

「前回は何箇所もまわるツアーだったから、その街、その街に出会うっていう気合があったのかな。前のツアーから1年ぐらい経ってるんですけど、(作品としては)そんなにおっきな変化がなかったから、シームレスに来ちゃってる感じがするのかな。なんか、ケルンに全然出会えてない気がするんですよね」

 マームとジプシーが初めて海外公演を行ったのは2013年5月のことだ。最初の土地、イタリアはフィレンツェで公演するときから、藤田さんは「ただ完成された作品を持っていくだけのツアーはしたくないし、そうなるんだったらこの作品を終わらせる」と話していた。その土地土地と出会いながら旅をする――それはすごく真っ当な考えだと思うけれど、とても大変な作業でもある。去年のように何都市かをまわるツアーにも大変さがあるし、今年のように一都市だけで行うときにはまた違った大変さがある。昨日ケルンに着いて、今日仕込みをして、明日にはもう本番なのだ。

 不安を生んでいる理由の一つは、この街がどこか日本に似ているように感じてしまっていることもある。

「私たちが海外に慣れてきてるっていうのは絶対にあるんだけど――最初のときは周りが外国の方だらけだったじゃないですか。あのときは、自分たちしか日本人がいないっていう状況にもっと敏感にわくわくしてた気がするんですよね。異国の中にぽつんとされて、そこで作品を見せる状況に置かれていることに対する感謝があったと思うんだけど、まず、異国の人たちの中で日本人は私たちだけっていう状況に何も思わなくなっちゃってるんですよね。空港に着いたときから『日本人少ないな』と思ったんだけど、それが普通になりかけてることへの驚きがあるんですよね」

 そうした焦りが、「たかちゃんってさ、そんなに石に興味なかったっけ」というつぶやきににじんでいたような気がした。

「そうね。焦り。そうなのかもね。これは空港から劇場に行くまでの車の中でも言ったんですけど、ワクワクしていない自分にすごいヘコんでるんですよね。日本で準備してるときから、ワクワクしてなくて。準備をするのはそもそも嫌いだし、海外のホテルに泊まるときには嫌な気持ちとかも常にあったけど、でも、それでも、異国で上演するってことに楽しみな気持ちは少なからず持ってたはずなのに。今回は嫌でもないし、ワクワクもしてない自分がいて、それですごヘコんでたの。何かが欠けてる状態がね、ずーっと続いてる感じ。まだ2日目だけど、なんか寂しいの。寂しくないですか?」

 あゆみさんの質問に、うまく答えることができなかった。僕は役者ではないから、その言葉の意味を正しく理解することはできない気がするけれど、僕も寂しさを感じはするからだ。その寂しさというものが消えることはないだろうし、『てんとてん』という作品を上演するということは、その寂しさにさらされ続けることでもあるのだと思う。