今日はケルン最終日だ。買い溜めしておいたのに飲まずにいたビールが残っていたので、起き抜けに1本開ける。

 ホテルをチェックアウトすると、市街地までクルマで連れて行ってもらった。夜のフライトまで、サシャさんが荷物を預かってくれるという。ほとんど眠れていない様子のサシャさんに手を振って別れ、ケルン大聖堂目指して皆で歩く。今日は半袖でも暑いくらいだ。一体どんな流れでそんな話になったのか、信号を待つあいだ、尾野島さんと波佐谷さんが「卵が先か、鶏が先か」という話をしていた。「さっきから何の話してんの」と誰かが笑って振り返ると、「いや、有意義な議論ができたわ。ドイツは哲学の国だからね」と波佐谷さんが言った。波佐谷さんというのは、本当に、愛すべき存在だ。

30分ほど歩くと大聖堂のツインタワーが見えてくる。日曜日とあって静かだった街も、大聖堂の近くまでくると華やいでいる。川の水面はきらきら輝いている。シャボン玉を追いかけている子どもたちを横目に歩き、大聖堂近くのブリュワリーに入ってコルシュで乾杯をした。プレッツェル(僕が知っているプレッツェルと違ってふかふかだ)も、ソーセージも、もちろんビールもうまかった。何よりうまかったのは付け合わせの芋だ。いたってシンプルな味付けなのに、うまい。

 しかし、どれも塩気が強くてビールに合う味だ。ビールに合う味を追求して料理が生まれたのではないかとさえ思えてくる。何杯かビールを飲んだところで、近くに座っていた実子さんが白ワインを注文した。そういえばガイドブックには「ライン川沿いの街は白ワインの産地」と書かれていた。店員さんに白ワインを注文すると、「何だって? 白ワイン?」と聞き返される。はい、白ワインをグラスで3つ、ともう一度注文すると、「ブリュワリーに来て、白ワイン? 変わった人たちだ」と呆れられてしまってけれど、白ワインもたしかにうまかった。「ワイン川が体に流れ込んできた」と実子さんが言っていたのを、ノートにメモした。

 2時間近く飲み食いしたあとで、また街を散策した。塩気がほんとうに強いものばかり食べたせいか、やけに喉が渇いた。せっかくだからと、オペラハウスを探す。『ケルン・コンサート』に収録されているライブが行われた、ケルンのオペラハウスに行ってみることにしたのだ。しばらく歩くと「OPERN」と書かれた建物が見えてきた。オペラハウスにしてはやけに現代的な建物だ。建物の中にあるカフェの店員さんに、キース・ジャレットが演奏したオペラハウスを探しているのだと訊ねてみると、「ここを出てすぐ隣の建物だ」と教えてくれる。表に出てみると、フェンスに囲まれた建物が見えた。オペラハウスは、どうやら改修中らしかった。藤田さんのピンショット――お父さんに送るのだという――を撮影したあとで、皆で記念写真を撮った。

 オペラハウスを見物したあとは自由行動になった。僕は、初日にも訪れた「Brauhaus Sion」という店に入り、コルシュを何杯も飲んだ。16時45分に大聖堂の前に集合して、最後に皆で記念写真を撮ると、空港を目指してクルマを走らせてもらった。ぎりぎりの時間に到着して、荷物を預けて出国審査を終えると、搭乗口近くの売店でビールを注文し、30秒で飲み干して飛行機に乗り込んだ。

 感傷的になる間もなく、ケルンを去る。あっという間の4泊5日だ。皆、思い残すことはなかったのだろうか――行きも帰りも近くの座席に座っていた波佐谷さんに訊ねてみる。

「そうですね、ケルンは意外と楽しんだなと思いましたね。ビールとソーセージは満喫できた気がします。橋本さんは何かありますか」

 そう聞かれてみると、思い残すことだらけな気もする。昨日の夜は、皆でフェスティバルのクロージングパーティーに出かけた。その帰り道、僕は皆と別行動をして、ライン川からケルンの夜景を眺めに行こうかと思った。でも、一人で別行動するというのは心配をかけるかもしれないと思ってやめておいた。何より、こうしていろんな土地に出かけるたびに思うことだけれども、世界中どこにだって行くことができるし、その気になれば再訪できるのだ。

 それにしても――こうして知らない街を訪ねるというのは、一体どういうことなのだろう?

「何だろうな。でも、住んでる街とは違うじゃないですか。こうやって来る期間って、4日とか5日とか長くて1週間ですけど、公演のために来てるんで、結局公演のことが基準になっちゃいますね。公演が終わってからその街にいるのって1日くらいしかないですけど、公演をやる前とやった後でもちょっと違いますよね。考えてることから解放されるってわけじゃないんですけど、公演のこととは別にふらふらと街を歩いたりする時間があって――良くも悪くもフラットになってる瞬間もあるんですよね」

 『てんとてん』という作品を上演するために訪れた街は、ケルンが7都市目だ。ツアーで作品を上演するということは、その街に出かけてきたというだけでなく、それと同時に去ってきたということだ。今年もまた、こうして訪れた都市を去ろうとしている。これまで「その街と出会う」という話は何度か俎上にのぼってきたけれど、「その街を去る」ということは、皆の中でどういうこととしてあるのだろうか。

「去るってことは、一時的に、あるいは半永久的にいなくなるわけじゃないですか。イタリアは何度か行ってるし、今年も行くからちょっとまた違いますけど、チリとかサラエボとかって、機会がなかったらもう行かないじゃないですか。そうしたときに、時間が経っちゃうと、薄れて行ってしまうこととかもあって。もしかしたら、自分でも忘れちゃうかもしれないですしね。そこに来たっていうことが、何をもって事実として残るのかなってことは考えますね。こうやって記録としては残りますけど――たとえば観にきてくれたお客さんの中に何か残るんだとしたら良いなとは思うんですけど、体験って結構頼りないことだとも思うから。だから、来たっていうことが何かしら残り続けてくれればいいなってことは思いますね。

 でも、今回は一ヶ所でしかやってないじゃないですか。去年に比べると、ツアーとしてあっけなかったんですけど、昨日の公演とかは、やってた本人としては、曲に合わせて作ってきたところが伸び縮みしたなと思っていて。それが良いことか悪いことかは別にして、お客さんとやれてたんじゃないかっていう感じがすごいあったんですよね。もしまた来年ツアーがあるんだとすれば、その経験が活きるような気がして、また旅をするのが楽しみだなと思ってますね」

 今年の夏は、『てんとてん』のケルン公演だけでなく、『cocoon』でもいろんな街を旅してきた。今日の暑さは、その旅路を思い起こさせてくれたような気がする。しかし、夏ももう終わりだ。

「そうですね。でも、最後に夏っぽい雰囲気を味わえてよかったです。ケルンに着いた日に、車の中から『サマー・イズ・ヒア』って書かれた看板が見えたんですけど、まだ夏はここに残ってましたね。いや、でも、夏ももう終わったって感じがします。日本に着くのは31日の23時とかだから、帰国したらもう9月が始まりますよ。忙しかったけど、良い夏だったんじゃないですか。日本もまわったし、外国にもきたし、いい経験になりました」

 ところで、空港で飛行機を待っているあいだ、藤田さんは「いや、やっと今年のツアーが始まったなって感じですね」と言っていた。ケルン公演は終わったけれど、1週間後には『カタチノチガウ』という作品で北京公演があり、その直後にはイタリアで滞在制作が予定されているのだ。ちなみに、イタリアでの滞在制作には、イタリアを“第二の故郷”と語っていた波佐谷さんも関わる予定だ。

「いや、滞在制作は楽しみですね」と波佐谷さんは言う。「他の国の人と一緒にクリエイションみたいなことをするのは、初めてですからね。別にぶつかりあいってことはないと思いますけど、どういう差があって、それをどう埋めたり認め合ったりすることになるのか、楽しみですね」

 ケルン滞在中、僕は役者の皆に話を聞いておこうと思っていた。でも、一人だけ聞けずにいた人がいた。それは召田実子さんだ。聞きたいことはたくさんあったのだけれども、実子さんはスタッフとしての仕事もあり、役者としての作業もあり、なかなか話を聞く暇を見つけられなかったのだ。

 日本に到着して、預けていた荷物が出てくるのを待つあいだ、実子さんに話を聞いてみる。すると、「いろいろ考えていたはずなのに、真っ平らな心になってしまって――いや、真っ平らってことはないんですけど――何も出てこない」と実子さんは笑った。「ちょっともう、次のことを考え始めてしまってますね。目先のこととか、もうちょっと先のこととか」

 今のマームとジプシーは、かなりのスピードで動き続けている。1年前は、日本で上演中の『小指の思い出』という作品を残したまま、海外ツアーが始まった。あのときも相当なスピード感で動いていたけれど、今年はそれ以上かもしれなかった。4泊5日の慌ただしい海外公演中にも、福島でのプロジェクトやイタリアでの滞在制作に関するミーティングが何度か開かれていた。

 空港を出るとき、特に別れの言葉は告げなかった。このスピードで動いている限り、またきっとすぐに再会することになるはずだ。さしあたっては、この1週間後、『カタチノチガウ』という作品の北京公演で再会することになっている。