今日は早起きできなかった。10時半にホテルを出ると、玄関のところで小さな子どもにおしっこさせている父親がいた。おしっこはすぐに雨で流されていく。この日、北京は雨だった。雨具を持ってきていなかった僕は、ホテルの近くにある「名創優品」という店に入った。ユニクロ無印良品のハイブリッドといった雰囲気の店だ。「美顔潤いを保湿乳だった」、「保湿の乳を潤過ぎだった」、「保湿補水乳だった」……。レジ前にある化粧品のラベルには、こんな商品名が記載されている。カラフルな傘を買って、さっそく差して歩く。

 前門駅の近くに滞在しているけれど、前門をくぐって北に向かうのは今日が初めてだ。前門より南側は観光地化されていて雑多な雰囲気が漂っているが、一歩北側に進むとがらりと雰囲気が変わる。路面店も露店もごく限られた数しか見かけなくなった。

 天安門広場に向かうには、地下道をくぐらなければならなかった。地下道はすえた臭いがした。傘やレインコートを売る人たちが溢れている。バンドで頭に取り付けるタイプの傘もあった。こんな傘は初めて見た。たしかに手ぶらで歩けて便利だが、頭以外の部分は濡れてしまうし、あれを身につけて歩く人なんているのだろうか。しかし、観光客からすると雨は鬱陶しいものでしかないけれど、彼らにとっては商機だ。雨具を並べる売り子に混ざって、ペットボトルの蓋を並べて座っている少年がいた。地上に出ると凧が見えた。

 北に歩いていくとセキュリティ・チェックがあった。いよいよ天安門広場だ。

 天安門広場は、南北880メートル、東西300メートルにも及ぶ広大な広場だ。観光客で溢れ返っているけれど、特に何があるわけでもなく、がらんとしている。この「がらんとしている」という空間が、ここが権力の中枢だということを感じさせるから不思議だ。正面に控える荘厳な天安門、革命烈士を顕彰する巨大な人民英雄記念碑、雨の中でも直立不動のまま二人の兵士が警護する国旗掲揚台――権力を象徴するはずのそうしたモニュメントよりも、そこにただがらんとした空間が広がっていることのほうが、権力というものを感じさせる。

 広場では多くの中国人観光客が記念撮影をしていた。「1945」「2015」と書かれた数字の前で、皆楽しそうに記念撮影している。心の中で「ようござんしたね」という言葉が浮かんで、自分でも驚く。今の感情は一体何だったのだろう?――少し頭を混乱させているところにメールが届いた。今、天安門から紫禁城に入ろうとしているところだという。今日は北京滞在最終日(本当は明日の朝まで滞在するが、早朝の飛行機に乗る予定で、街を散策できるのは今日で最後)だから、早く起きれた皆は街を散策することになっていた。僕もそこに合流するべく、パレードよろしくキビキビ歩く。

 日本人観光客である僕は、天安門広場という空間にどこか恐れを抱いている。でも、周りの中国人観光客――ここでもほぼ全員が中国人観光客だ――は、にこやかに観光を楽しんでいる。弁当を食べながら歩く人もいる。門で雨を避けながらりんごをかじる人もいる。周りをゆく人の表情を見る限り、ここはごく普通の安全な観光地だ。

 何度目かのセキュリティ・チェックを終え、天安門をくぐる。一歩踏み入れると軍服姿が増えた。どういうわけだかあちこちにバスケットゴールが設置されている。街中ならともかく、ここにアメリカンなスポーツの施設があることが不思議に思える。バスケットゴールは、1つや2つではなく、いくつも見かけた。足を止めることなく、猛烈なスピードでずんずん歩いていると、「はしもとさーーん」と呼ぶ声がかすかに聴こえた。はっと立ち止まると、少しずつ声が近づいてくる。振り返ってみると、皆がこちらに向かって歩いてきていた。目の前まできても、青柳さんは10メートル先の人を呼ぶような調子で「はしもとさーーん!」と呼びかけていた。驚いたことに、藤田さんは頭に取りつける傘を身につけていた。あの傘を買う人は、意外と身近なところにいた……。

 僕たちが待ち合わせていたのは、牛門という門の前だ。牛門の手前までは無料で見学できるが、そこから先は有料だ。天安門から牛門まででも結構な広さで、雰囲気は味わえたことだし、引き返してお昼を食べに行くことに決める。天安門まで引き返すと、「ここは入場専用だ!」とばかりに追い払われる。一体どこが出口なのだろう……。中国語がわからない僕たちは一瞬途方にくれかけたけど、はたとひらめいた。ボールペンを取り出し、手のひらに「出口」と書いて警備員に尋ねると、「まっすぐ」「右」と指差してくれる。こうしてまた牛門に引き返すことになった。紫禁城あるいは故宮と呼ばれるエリアは、牛門から先を指す。天安門から牛門まででも結構な距離があるが、牛門から紫禁城の出口まではその2倍近い距離がある。何と広大なのだろう。

 出口に向かって歩くあいだ、「入り口のセキュリティ・チェックのところで叫んでいる人がいた」と教えてもらった。民主化を求める活動家だろうか。それとも少数民族や宗教家だろうか。どんな人だったかと尋ねてみると、「どんな人かは見えなかったけど、怖い感じの声じゃなかった」と教えれくれた。そういえば、セキュリティ・チェックではゆりりだけが厳重な荷物検査を受け、台本を取り出して確認されたのだという。

 10分ほど歩き、ようやく出口を見つけた。闕左門だ。門を出てすぐの場所では、腕のない男が物乞いをしていた。とうきび売りの男がいる(ふかしたとうきびを売る店を、日本に比べてよく見かける)。焼き芋の量り売りをする男も見かけた。お堀沿いにぐるりと迂回し、土産物屋の並ぶ小道を南に下ると、15分ほどでようやく天安門の近くにたどり着いた。ここから地下鉄1号線に乗り込んで、2駅目の西単駅で下車する。天安門から2駅――天安門西駅からだとわずか1駅――とは思えないほど雰囲気が違っていて驚いた。なんだか洒落ている。床屋ではなく美容院と呼びたくなる店があった。韓流スターみたいな髪型をした若者たちがずらりと座っているのが見えた。


 西単にはショッピングモールやデパートが建ち並んでいる。そのうちの1つ、「北京君太百貨」に入店。扉のところには傘袋を渡す係の男性がいた。しっかりした百貨店だ。驚いたのは、藤田さんのヘッド傘用――かどうかはわからないけど――の小さい傘袋も用意されていたことだ。

 この「北京君太百貨」の地下に、目当ての店「鼎泰豊」が入っている。台湾に本店がある小籠包の店だ。まずは普通の小籠包、蟹の小籠包、海鮮小籠包を注文する。ひと口頬張り――「うまい!」と思わず声が出る。皆びっくりした顔になっている。

「香辛料にやられてたけど、久しぶりに繊細な味に出会った気がする」
「ね。山椒が丸ごと入ってたりしてたもんね」

 台湾と北京では、当たり前に料理が違っているし、中国本土の中でも地域によってずいぶん差はあるのだろう。僕はビールも注文した。北京でビールと言えば燕京啤酒が出てくる店が多いが、ここは台湾啤酒だ。ひと口飲むと、バンドに同行して台湾に出かけたことを思い出す。ボトルの裏を見るとシールが貼られていた。形式的には輸入という形になるのだろうか。輸入の窓口は、こないだ爆発事故の起きた天津港だ。

 鼻歌を歌っている人がいる。誰かが「テレサ・テン?」と尋ねる。それは「時の流れに身をまかせ」だった。最初に注文した小籠包を食べ終えると、次々に追加注文をする。皆でごはんを食べるのは楽しい。途中で「橋本さん、ほんと美味しそうに食べますよね」と指摘されて恥ずかしかったけれど、一人で食べても美味しそうな顔にはならないだろう。あんまり楽しくて、この店に在庫のあった台湾啤酒は飲み尽くしてしまった。

 食後、デパートでお土産を物色する皆とは別れて、天安門広場に引き返す。僕はどうしても訪ねておきたい場所があった。それは毛主席紀念堂だ。ここには1976年9月9日に亡くなった毛沢東の遺体が安置されている(そうか昨日が命日だ)。毛沢東の遺体が安置されているということは以前から知っていた。でも、そのことにはさほど興味を抱いていなかった。ただ、こうして北京を訪れて数日滞在しているうちに、ぜひ観ておきたいと思うようになっていた。でも、毛沢東紀念堂を訪れてみると既に閉まっている。今日は休館日だったのだろうかと『地球の歩き方』を調べてみると、見学できるのは8時から正午までの4時間だけだった。

 毛沢東の遺体を観ておきたいという気持ちは、天安門広場を訪れてみて、いよいよ強まっていた。正確に言うと、毛沢東の遺体を観ておきたいのではなく、毛沢東の遺体を見物する中国人の顔を観ておきたいと思ったのだ。

 天安門広場を楽しそうに見物する人々の姿を、僕は不思議な気持ちで眺めていた。その広場が象徴するのは、中国を支配する中国共産党の権力だ。でも、天安門広場を見物する観光客からは、「自分たちを支配する組織の中枢」という眼差しでそこを観光していないように感じられたのだ。

 天安門広場で思い浮かべたのは、やはり皇居前広場のことだ。

 はとバスツアーの中には、皇居前広場を見学ルートに含むコースも存在する。地方から観光のため上京した人が皇居前広場を訪れたからと言って、「日本人はいまだに天皇を崇拝しているのか」と問われればノーと答える。中国人が天安門広場を訪れるのも、それと同じ感覚なのだろうか?

 中国人にとって、中国共産党は、中国共産党の祖である毛沢東は、どんな存在なのだろう――それを確かめるためにも毛沢東紀念堂を訪ね、どんな表情で見物するのかを見届けておきたかった。彼らにとって、中国共産党および毛沢東は、自分たちに直接関わりのない存在として――どこかの国のお殿様ぐらいの存在としてあるのではないだろうか。それを確かめてみたかったのだけれど、叶わなかった。

 他にはもう、観光したい場所は思い浮かばなかった。京劇か雑技でも観ようかと思ったけれど、そんなに手持ちは残っていなかった。結局、前門まで引き返し、土産物屋を冷やかし、マクドナルドでコーヒーを飲んだ。店内には注文せずに居座っている客がそれなりにいるようだった。店員に怒られないのだろうか。日本だと、何か注文していたとしても、長時間居座っていると追い出されてしまうけれど、注文しなくても追い出されないなら便利な場所だ(しかし、それにしては空席があるから不思議だ)。

 ホテルで少し横になって、18時過ぎに再び出かける。外はまだ雨が降っていた。今日は初めて地下鉄で劇場に出かけた。特に調べることもなく、何となくの感覚を頼りにしたまま劇場にたどり着くことができて、少し誇らしい気持ち。それも開場5分前とちょうどいい時間にたどり着くことができた。

 今日は北京公演の楽日だ。僕は最後列にあるブースの脇に陣取り、シャッター音が邪魔をしないタイミングに限って写真を撮影させてもらいながら観劇した。昨日、今日は集中力を欠いた瞬間――それは本当に瞬間的なことではあるが――も正直あったけれど、この日の公演は良かった。そのわずかなものというのは、やはり客席にも伝わるもので、この日は終演を迎えるなり立ち上がって言葉にならない歓声をあげる観客もいた。

 終演後は昨日と同じ串揚げ屋に出かけた。藤田さんはよほど気に入った様子で、「日本に出店したら絶対流行ると思う」と言っている。今日も3リットル入りのサーバーがテーブルに並んでいたけれど、今日はあまり酒が進まなかった。向かいの席には、このあと話を聞かせてもらう約束をした青柳いづみさんが座っている。もう質問リストは作ってあるけれど、そのリスト通り聞いても良いインタビューにはならない予感がして、ずっと緊張していた。

「今日はちょっと、緊張してるんです」。ホテルまで引き返し、ICレコーダーを回し始めながらそうつぶやくと、え、何でですかと青柳さんは笑った。僕の予感は的中した。質問リストを表示したノートパソコンは途中で閉じて、思い浮かぶことを頼りに話を聞いた。ここにまとめたインタビューだけ読んでも、一体何を語っているのか、読む人に伝わらないかもしれない(僕はこれまで、『沖縄再訪日記』および『イタリア再訪日記』(下)で青柳さんに話を聞いている。それを読んでもらえれば、話は繋がると思う)。ただ、伝わりづらい箇所も伝わるように書き始めると、それはもうインタビューではなく、青柳いづみ論になってしまうから、ここではインタビューのテキストのみを載せる。





――3日目が終わって、北京公演も全部終わりましたね。青柳さんは、マームの作品で海外にくるのは初めてですけど、終わってみてどうですか? 終わったばっかですし、どうとかってことでもないかもしれないですけど。

青柳 そうですね。特にないです。終わることに対する何かというのは、日本でやるときにもないですね、あんまし。

――何でしょうね。何でないんだろう。もしかしたら、終わることに対しての何かがあるほうが不思議なのかもしれないですけど、わりと皆、ありますよね?

青柳 ありますね。わかんないですけど、終わると思ってないのかもしれないです。何だっけな、本番中にも思ったんですよね。

――え、今日ですか?

青柳 本番中に思ったんです。観客の反応と、それに対する自分の反応と、作品の出来とみたいなことのバランスを考えてたんです。それを本番中に考えてたんだけど――何だっけ、肝心のその中身を忘れちゃった。

――じゃあ、それは思い出したら聞くとして。今回の北京公演、僕は観にくるつもりはなかったんですけど、『cocoon』が終わったあとで青柳さんと話したときに、「ああ、この作品をやった上でまた『カタチノチガウ』って作品をやるのか」と思って、見届けようと思ったんですよね。それで、北京にくる前日の通し稽古も見せてもらいましたけど、そのときに「この台詞を中国で言うのか」ってことを思ったんです。たとえば、『cocoon』って作品を沖縄で上演することとかも緊張感のある作業だったと思うんですけど、今回の北京公演もまた緊張感のある作業だったんじゃないかな、と。

青柳 あ、でも、今ちょっと思い出しました。これは今年、藤田さんに散々言われてることですけど、「大きく捉え過ぎない」ということを考えていました。たぶん、どこでやっていても、場所で違うとかじゃなくて、その日その日で全部が違うから。北京は北京でも、昨日と今日とで違いますよね。その土地ごとに、大きな流れはあるのは確かだけど、その日その日で違うのも確かだってことを考えてた。

――今日の公演だと、どういうところからそれを考えてたんですか?

青柳 昨日は普通に携帯電話を見てる人がいるかと思ったら、字幕を一生懸命見てる人がいたり、今日は字幕じゃなくてこっちを前のめりになって見てる人がいたり――そうやって、わたしも彼らを観てるんですね。日本に比べると観客の見方にバリエーションがあるから、海外だと特にそういう気持ちになるのかもしれない。面白いです。

――今の話にあった、「大きく捉え過ぎないように」ってことについては、せめぎ合いがある気がするんですよね。舞台に立つってことは、どうしても自分って規模からは離れるわけじゃないですか。でも、離れ過ぎても駄目だけど、まったく離れなくても駄目なわけですよね、きっと。今から半年前、『カタチノチガウ』の初演のときは、青柳さんの話す質感というのが「自分から離れる」ほうに寄ってた気がするんです。あのとき、「生きてないものとか、目に見えてないものがちゃんと存在してるって思わないと、やれないですよね」ってことを青柳さんは言ってましたよね?

青柳 言ってましたね。今回の『カタチノチガウ』は、そこを意識してなかった気がします。今、橋本さんに言われるまで、完全に忘れてました。まったくそれが意識にないわけじゃないですけど、それを念頭に置いてやろうとしてたかつての私とは違うところでやってました。

――何でそれは変わったんでしょうね? たとえば、『cocoon』っていう作品も、2013年のときと、2015年のときとでは全然質感が違ったと思うんです。もちろん、作家である藤田さん自身も更新しようとして作っていたし、出演者も違っているし、質感が違って当然だとも思うんですけど、青柳さんの雰囲気も違いましたよね?

青柳 そうですね。2年前の私は、舞台上にあるものすべて――他の役者も、舞台装置も、美術も、すべてが私みたいに思ってたんですよ。自分の実体がないから。

――自分ってものの境界がなくて溶け出してるから、舞台上のすべてと繋がってたわけですね?

青柳 そう思ってたから、全部が私で、客席も含めて全部私がコントロールできると思ってたんです。なんか、ヤバいやつだったんですよ。イカれたやつだったんです。共演者も全部自分だと思ってたから、その人個人に対する何か、みたいなことはなかったんです。でも、今年の『cocoon』では変わったと思ったんです。

――すごく変わりましたよね。人間でしたね。

青柳 そうなんです。人間として――それが最大の変化かもしれないですね。人間になった。

――『cocoon』のツアーを追ってるとき、ずっと「青柳さんが人間ぽい」と思ってたんですよ。本番を観たときにもそう思ってたけど、普段の佇まいにもそう感じたんですよね。ちょっともう、わざと人間ぽく振る舞ってるんじゃないかと思うぐらい人間ぽくて。だって、前に話を聞いたとき、「舞台に立ってる以外の時間は生きてないぐらいの感じ」だって話をしてたじゃないですか。でも、それにしては楽しそうに過ごしてるし、ということはこの時間も生きてるんだろうな、って。

青柳 舞台をやってないときの感覚は鈍いですけどね、まだ。

――でも、ちょっと感覚が生まれ始めてる?

青柳 でもやっぱり、『cocoon』が終わったあとは完全に死んでました。本当に何もしてなかったから、身体が溶けてなくなってしまうんじゃないかってぐらい、何もなくなってた。

――それはでも、「舞台で出し切って空っぽになった」とかってことも微妙に違いますよね。

青柳 そうですね。それでも、人間っていう感じは、今も引き続きあると思います。この北京公演でも、ちょっとは自分の輪郭みたいなものがあるし、他の共演者が自分じゃないってことはわかってます。

――『カタチノチガウ』の初演のときは、それがわかってなかったわけですね?

青柳 はい。

――でも――それって「自分」ってことだったんですか? 自分ってことの輪郭が以前はなかったんだとしたら、自分ってことですらないんじゃないですか?

青柳 自分って言い方はちょっと違うと思うんですけど、自分を含めた大きい一つですね。

――そういう感覚でいた青柳さんが、『カタチノチガウ』のあの台詞を言っていたというのは興味深いですね。「際立ったひとつひとつだったはずのひとつひとつは、ひとつひとつではなくなって、風景というひとつとしてくくられた」、「トーンとして落ちつき静まった画面のすみからすみまで、どこをさがしたって自我はみつからない」と。

青柳 そう、そうですね、今は何となく人間らしくなって、ちぐはぐ感があると言えばあるんですよ。何となくですけど。それがまだうまく馴染んでないから、『カタチノチガウ』はちょっとまだ難しいというか……。

――今、話を聞いてて思うのは――僕がこうやって青柳さんに話を聞かせてもらったりするようになったのは、そんなに前のことじゃないですよね。

青柳 そうですね。初演の『cocoon』ぐらいですか?

――それから2年しか経ってないわけですけど、その2年のあいだにも、すごく変化があるというか、常に揺らいでる感じがあるんですよね。今、青柳さんは「まだ馴染んでない」って言いましたけど、果たして馴染むことはあるんだろうかって思うんです。というかそもそも、馴染ませようって気持ちはあるのかと。

青柳 あんまり、ないですけどね。その気持ち。『cocoon』のときに、「このまま人間らしい私に行くと、つまんない結果になるんじゃないか」とも思ったんです。私、つまんなくなってるんじゃないかって思ったんですよ。それが今、ちぐはぐになってるんだと思います。やっぱり、ものすごいものを見せたいってなったときには邪魔になっちゃうんですよね。

――ああ、その人間らしさが?

青柳 そうですね。飛べないというか。

――でも、そうだとすると、「ものすごいものを見せたい」という気持ちは一体、何による何なんですかね?

青柳 なぜ相反するのか。

――「ものすごいものを見せたい」と思っているのも青柳さんであるはずなのに、その気持ちと人間らしさが相反するというのは不思議ですよね。

青柳 たぶん、人間になったときの『cocoon』で、ものすごいものを見せられなかったと思ってるんでしょうね。そう思ってるんだと思う。

――それは、今ここにいる青柳さんもそう思ってるんですか?

青柳 よく覚えてないけど、今そう話してるってことは、そう思ったんだと思います。でも、そんなのただのエゴなのかもしれないけど。

――観客からすると、今回の『cocoon』もすごいものだったと思いますけど、前回のほうが青柳さんって存在が際立って見えたのは確かですね。「私」ってものがなくて境界が溶けてたときのほうが青柳さんが際立って見えて、「私」ってものを発見したあとの青柳さんのほうが、大きなものの中の一つとして見えたんです。それが不思議ですよね。そういえば、今回の北京公演では一晩に一人ずつインタビューさせてもらってますけど、初日の夜にゆりりに話を聞いたとき、「初演のときとは、やぎさんが変わった気がする」って話になったんですよ。一緒に舞台に立ってる人もそう感じてるんだな、と。

青柳 何が変わったのかな。変わったのかな?

――そのことを具体的に考えてみるために、ちょっとわかりやすい例を出しますけど、この作品の最後にくるモノローグは青柳さんが語るわけですよね。「未来にのこされる、コドモたち。カタチノチガウ、コドモたち。わたしや、わたしたちが、見ることができなかった、ヒカリを、ヒカリを、ヒカリを、ヒカリを、あなたたちは、あなたたちは、あなたたちは、あなたたちは」と。最後のあの台詞を入ってるときの手触りは変わらなかった?

青柳 「わかってもらえるだろうか」感はすごく強かったですけどね。あと、これはちょっと話が変わるかもしれないですけど、ボイトレを始めたことで、言葉を発するってことは身体から言葉を発してるっていうことだってことも、わかったわけです。それまでは「言霊だけでやってる」ぐらいの勢いだったんだけど、声を発するってことがこんなにもフィジカルなことなんだって、実感としてわかった。特にこの『カタチノチガウ』は、声を発するってことをフィジカルに捉えないともたないというか、言霊としての声だけでやってたら絶対にまた潰れるってことはわかってるんですよ。この『カタチノチガウ』だけ、すごく潰れやすくなるんです。

――これは別に、『カタチノチガウ』にもそういう要素は多分にあると思いますけど、言霊ってことに関しては『cocoon』のほうが持ってかれそうに思えるんですけど、『カタチノチガウ』のほうが強いんですね。

青柳 何でかわからないけど、そっちでやろうとすると声が枯れるんです。

――さっきも話しましたけど、前は言霊ってことに寄り添って『カタチノチガウ』って作品をやろうとしてましたよね?

青柳 そうですね。今は本当に、自分の身体を定着させることに必死なのかもしれない。結構必死かもしれないです。もしかしたら、そのために『カタチノチガウ』をやってるぐらいの感じかもしれない。全編通して、考えてることといったらそれだと思います。

――青柳さんの台詞に「世界が平和であるよりも、わたしが平和であるほうが、わたしにとってずいぶんと重要なことなので」っていうのがありますけど、本当にそんな感じなわけですね。

青柳 そうなんですかね? だから、ちょっとアレですね。今までの私が、全部一つだと思ってたエゴい人間――人間じゃなくて、もっと実体のないものですけど――だったところから、ただのエゴい人間になったのかもしれないと思いました。

――でも、それが悪いことだと思ってないですよね?

青柳 思ってない。思ってないけど、ものすごいものを見せられるには、もうちょっと改良が必要だなと思ってるんだと思います。

――さっき「自分の身体を定着させようとしてる」って言ってましたけど、それってどういうことなんですか? 私ってものの輪郭をはっきりさせようとしてる?

青柳 ただただフィジカルなことを忘れないようにという試みです。本当にびっくりしたんですよ。身体から声が出てるってことに。

――前も「暑いとか寒いとか、乾燥してるとかってことがわからない」って話をしてましたよね。皆がそういう話をしてたって。その話を聞いたときも思ったんですけど、一体どうやって生きてきたんですか(笑)

青柳 すごい驚いたんですよ。いまだにわかんないんですけどね。今、こうしてしゃべってるのに。

――それも身体から出てる声なんですけどね。

青柳 今、忘れてました。

――そういえば、『cocoon』に先立って行われたリーディングツアーのとき、青柳さんはずっと緊張してましたよね。あのツアーが特殊だったとはいえ、あれだけ舞台に立っていると、緊張とかってことではなくなるのかと勝手に思ってたんですけど、緊張するんだと思って意外だったんです。

青柳 昔から緊張しいですよ。

――それは、私ってものを発見したあとでも変わらないですか?

青柳 そうですね。変わらないです。とにかく、時間が迫り来ることへの緊張です。全然準備できてないのに「あと5分です」とか言われたら、焦るじゃん。……これは、ちゃんと話せてますか?

――ちゃんと話してもらってはいるんですけど、僕がちょっと、青柳さんの今ってことを掴み切れてないところがあるんだと思います。でも、さっきも言ったことですけど、青柳さんはどこかに落ち着くってことはないんでしょうね。

青柳 それできっと、一ヶ所終わることが終わることだと思えないんでしょうね。たぶん、「一個の作品で」とか、「この役で」とか、あんまり考えてないんだと思います。

――それはすごく感じますね。大きなうねりというのか、ある幅の移ろいがあるんだけど、それは必ずしも作品って単位とは一致しないですよね。ただ、その移ろいっていうのは、青柳さん個人がどういう考え方かってことに左右されてるわけじゃなくて、むしろその逆で、移ろいがあるから青柳さんの考えかたが左右されてる気がするんです。でも、そうだとしたら、それは一体何に左右されてるんでしょうね?

青柳 ねえ。何のために生きてるんですかね。

――今ふと思ったんですけど、さっき青柳さんが言っていた「どこでやっても変わらない」って話であるとか、「身体を定着させようとしてる」って話であるとかってことを考えると、何でそれを人前でやるんでしょうね? もちろん、演劇は観客がいないと成立しない芸術だって話は一般論としてあるにせよ、それを人前でやってるのは何でなんでしょうね。ゲネと本番っていうのは色々違いがあると思いますけど、青柳さんの中で一番大きな違いは何ですか?

青柳 私、ゲネが驚くほどつまんないって何回か言われたことがあるんですよね。だとしたら――これはスタッフには死んでも言えないことですけど――ゲネなんてやらなくていいんじゃないかって思うんです。ゲネと本番とで全然違うって言われるから。だって、ゲネっていうのは本番と同じことやらなきゃ意味がないんでしょう?

――とされてますよね。ゲネと本番が違うんだとしたら、観客が見てるってことが何か影響を与えてるわけですけど、でもゲネだって人は見てるわけですよね。

青柳 ゲネのときも見てくれる人はいるから、ゲネはスペシャルな回でもありますけどね。ただ――今はやっぱり自分形成期だから、良いことは言えないかもしれないです。今話してることだって、すぐ忘れるんですよ。「こんなこと言いましたっけ?」みたいなことをまたすぐ言うんですよ。だから、今の私だって私じゃないかもしれないですけど――だからもう、いつ何を言っても、何かもう違うんです。

――どうしてなのかはわからないけど、自分形成期が訪れてしまったときに、その自分形成期に対しても距離があるわけですよね。さっきも言ってたように、「このまま進むと、すごいものを見せられなくなるんじゃないか」と。でも、そう感じてるんだとしたら、「すごいものを見せたい」という欲求――欲求なのかはわからないですけど――は青柳さんの中にあるわけですよね?

青柳 そうですね。お客さんに見せたいと思ってるわけですからね。見せてどうしたいんですかね。わからないけど、でも、なるべくたくさんの人に見せたいと思ってます。なるべくたくさんの人に見せたいから、なるべく長生きしようって思ったんです。

――そこもまた、考えが変わりましたね。それは『cocoon』が終わったあとに思ったんですか?

青柳 『cocoon』中だと思います。前も話したと思うけど、藤田さんがよく「僕より絶対長く生きろ」って言うんです。長く生きることぐらいしか私にはできませんので、私は長く生きようと思いました。とか言っといて、35で死ぬかもしれないですけど。

――でも、不思議ですね。『cocoon』の楽日から、まだ1ヶ月経ってないわけですよね。この1ヶ月のあいだに『cocoon』の楽日がきて、『てんとてん』のケルン公演の楽日がきて、今日は『カタチノチガウ』の楽日で。たしかに、こうして並べて考えてみると、舞台としてはもう目の前から消え去ってしまいますけど、終わるってことは嘘なんじゃないかなって気にもなるんですよね。舞台に立ってる側からすると、こうやって楽日がくるってことはどういう感覚なんですか?

青柳 私の中では何もないですね。言ってしまえば、楽日が来る前には逆にもう終わってる感じです。

――話を聞いていると、人間であるってことには気づいたけど、青柳さんの中にある感覚と、いわゆる人間らしさみたいなことに溝があるわけですよね。その感覚を一つ一つ確認していくと、いわゆる人間らしさみたいなこととは違う人間に至るんじゃないですかね?

青柳 そうですね。そういう新しい人間像を作りたいです。

――半年前に話を聞いたときは、未映子さんの話になりましたよね。『たけくらべ』刊行記念のトークイベントがあったとき、未映子さんが話していたのは、「『たけくらべ』では、すべての人が等しく書かれていて、男とか女とか、子供とか大人とかではなく、“存在者”として描かれている」、「人間が“存在者”として生きるってことが描かれていることが素晴らしい」と。それを聞いて、青柳さんは「自分も“存在者”として生きられたら」と思ったって話をしてくれたじゃないですか。今日の話を聞いていると、そこで言う“存在者”ってことに近づいてる気がしますね。なれると思いますよ。

青柳 軽く言ったね、今。

――でも、本当にもう、半分くらいそうなってる気がしますけどね。

青柳 いや、私、俗っぽいからさ。やっぱり俗物だから。

――でも、俗であることはすごく大事だと思いますよ。それによって神聖さや普遍性からは離れるかもしれないけど、でも、だからこその説得力もあると思うんですよね。それこそ、俗っぽさがないと、上の上に行ってしまうわけでしょう。俗であるがゆえの説得力みたいなものを、今回の『cocoon』には感じましたよ。人間だからこその説得力というか。しかし、『cocoon』中には『cocoon』の話を一切しなかったですね。

青柳 一切してないですよね。

――僕も避けてましたけど。

青柳 避けてたからだよ。私は避けてないですよ。避けてると思ったから、そっとしておいた。

――いや、青柳さんが人間としての時間を過ごしてる感じが強かったんですよ。その時間を止めてまで聞くことはないと思ったんです。

青柳 だって、ひよちゃんと2ケツとかしてたんですよ? それってものすごく人間じゃない? 前のときは2ケツなんてとんでもなかったですから。まず、誰も乗ってくれないし。そうですね。それぐらい、今年は遠いところにいましたね。




 話を聞き終えて写真を撮影しているあいだ、ずっと「今日はうまくインタビューできなかった気がして申し訳ないです」と青柳さんに謝っていた。そんな気持ちになったのは、聞いているこちらも、おそらく語っている青柳さんもまた、把握しきれていないことを、把握しきれないまま言葉にしようとしているからだろう。今振り返って考えると、それぐらいの内容を言葉にするのでもなければ、こんな遅い時間にまで付き合ってもらうのは失礼だとさえ思う。でも、この日の僕はただただ頼りない気持ちになっていた。そのせいか、3時半にホテルに到着するなりベッドに倒れ込んでしまって、翌朝の飛行機に乗り遅れてしまうことになる。