毎朝走ろうと言い出したのは藤田さんだった。イタリアに到着して間もないタイミングで言い出したのだという。出演者の皆に「走ってこい」と命じているわけではなく、自分も走るから一緒に走ろうと言うのだ。

 あれは3日前のこと。

 僕がポンテデーラに到着した翌朝、皆から「橋本さんも一緒に走ります?」と誘われて、僕もジョギングに参加することにした。朝8時半に劇場の前に集合すると、あゆみさんがラジオ体操のイントロを歌い出す。そうしてラジオ体操第一を皆でやる。あゆみさんが覚えているところだけをやってみせる。波佐谷さん、荻原さん、ゆりり、それに藤田さんはそれをお手本にして体操をする。どんなだったか思い出せなくなったあたりでラジオ体操を終え、各自で軽くストレッチを終えると、「じゃあ、出発!」と走り出す。

 走るのは劇場の近くの道で、およそ2キロの道のりだ。役者の皆はさすがに颯爽と走る。藤田さんは無理に追いつこうとせず、自分のペースを守って走っていた。走った翌日は散歩をして、そのまた翌日はジョギングをする。そうやって朝の時間を皆で過ごしていたのだが、1週間を切った今日、ついに藤田さん抜きで朝の恒例行事を行うことになった。その代わりにというわけではないけれど、昨晩はレジデンス施設に泊まったアンドレア――列車にトラブルがあってフィレンツェに帰れなかったのだ――も一緒にラジオ体操をして、散歩に出かけることにする。

 劇場の前に設置された地図を、アンドレアが確認する。その地図によると、近くに湖があるらしかった。歩いて30分ほどだというので、湖を目的地に散歩することにする。劇場を出発してすぐに犬を見かけた。名前を尋ねるとステッラだと教えてくれた。ステッラは小型犬で人懐っこく、皆にじゃれついてくる。ステッラと別れて、朝露に濡れた草むらを歩く。

 「わ、冷たいね」
 「うんこがあるから気をつけないと」
 「そうだね。もう一個見つけたよ」
 「こういう草むらにはうんこしかないと思ったほうがいいよ」

 草むらを抜けると線路沿いの道に出た。どっちの道に進むか、相談しながら歩く。前はアバンテ、後ろはディエドロ、右がデストラで左がシニストラ、湖はラーギだと、アンドレアが教えてくれる。皆、どんどんイタリア語を覚えている。覚えようとしている。その姿を目の当たりにしていると、イタリアを訪れるのは3回目だというのに、自分は何も知ろうとしていなかったことを思い知らされる。ポンテデーラに滞在するのは2度目だというのに、キッチンにあるコンロのつけ方すら知らなかった。

 劇場から5分も歩くと、庭つき畑つきの家がぽつぽつあるだけで、あとは自然が広がっている。郊外というより、のどかな農村といったほうがしっくりくる。金網に囲まれた庭の向こうに大きな鶏が2匹、こちらを眺めていた。見たことのない植物がある、荻原さんとゆりりは摘んで歩いている。人気の散策コースなのか、よく人とすれ違う。手をつないで歩く老夫婦。「おじいちゃんとおばあちゃんになっても手をつないでるって、いいね」と誰かが言う。「うん。でも歩きにくそうだね」と、また別の誰かが言う。

 散歩コースを示すようにして、街灯や街路樹は赤と白のペンキで塗られている。その色を頼りに歩いていくと、30分ほどで湖が見えた。ブラッチニ湖だ。3分ほど湖畔に佇んでいた。

「ゆり子、満足したか」と波佐谷さんが訊く。
「うん。水っていいね」とゆりりが答える。

 湖のほとりでまた犬に出くわした。狼みたいな大型犬だ。彼の名前はクルーニー――ジョージ・クルーニーの「クルーニー」だと飼い主が教えてくれる。日本人が珍しくて警戒しているのか、クルーニーはずいぶん遠くで立ち止まる。そこからダルマさんが転んだをやっているみたいにして少しずつ立ち止まりながら近づいてくる。そうして一気に僕たちの横を駆け抜けると、飼い主が「ジョージ!」と呼んでも振り返ることなく、ずっと向こうまで駆けてゆく。

 鳩の鳴き声。ニワトリの鳴き声。犬の鳴き声。ヘリコプターの音もした。ポンテデーラでヘリコプターの音を聴くのは、そういえば今日が初めてだ。劇場に到着しようというところで、教会の鐘が響き始める。






 稽古は今日も13時に始まる。18時に稽古が終わると、イタリアの皆と一緒にキッチンで過ごす。ひょんなことからスイッチが入り、ジャコモ、カミッラ、ルイーサの3人がアカペラで熱唱し始めた。アンドレアはおもむろにスピーカーを取り出し、その曲を流し始めると、サラと太郎さんも加わり、イタリア人は皆で歌い始める。ひたすら熱唱し踊る姿に、日本人の皆は圧倒されるばかりだ。波佐谷さんをもってしても太刀打ちできない盛り上がりだ。

 21時をまわっても宴は続く。イタリア滞在も1週間を過ぎて、皆の中にも疲れが蓄積しているはずだ。でも、それでも皆――イタリア人の熱量に圧倒されつつも――部屋に戻ろうとはせず、一緒に踊り続けていた。その態度というのが、今回の旅の根っこにあるものだ。