あまりに寒くて目が覚める。布団をしっかりかぶり直しながら、到着した翌朝は暑くて目を覚ましたことを思い出した。2週間しか過ごしていないのに、何度もこの場所で季節の変わり目を迎えているような感覚に陥る。少し風邪気味で、ぼんやりした頭のまま洗濯物を抱えて部屋を出る。何も考えずに歩いても、ランドリーにたどり着いている。今日は日曜日だ。街には人影がなく、車も走ってなくて静まり返っている。そういえばこのランドリーも皆で訪れた場所の一つだ。

 終演後にビールが飲めるように体調を回復させるべく、この日はずっとベッドで横になっていた。18時15分、劇場に行ってみると、役者さんたちはもう衣装に着替えていて、舞台上で台詞を反芻している。この時間の過ごし方は日本でもイタリアでも変わらないのだなと思う。開場予定時刻まであと5分に迫ったところで、皆で記念撮影をする。10分押しで開場すると、次から次にお客さんがなだれ込んでくる。用意されていた席はあっという間に埋まり、急遽増席することになったが、それでも入りきれないお客さんがいた。超満員の中、2日目にして最終日の公演は始まった。

 この日、いちばん印象的だったのはモノローグだ。エピローグには、たたみかけるようにしてモノローグが登場する。初日のモノローグはやや強過ぎる印象を受けたのだが、2日目のモノローグは淡く、しかし2人があるリズムで語ることで静かなグルーヴを生み出していた。

 なぜ初日に「やや強過ぎる」と感じたのかといえば、そこで語られるモノローグが、たとえばこんな内容だからだ。

夏の、、、終わり、、、だった、、、、、、わたしは、、、、、、
ここがどこなのか、、、、、、いまはいつなのか、、、、、、
そういうのがわからなくなってしまうような、、、、、、場所を訪れていた、、、、、、
それで、、、その町の郊外にある、、、、、、とあるホテルを、、、、、、訪ねたのだった、、、、、、
夏の、、、終わり、、、だった、、、、、、わたしは、、、、、、わたしたちは、、、、、、

 このモノローグが役者に与えられる場に居合わせたとき、彼らの旅は今年で3年目なのだと改めて感じた。2013年にフィレンツェを訪れたときは、何もかもが初めてのことで、初々しく、すべてに新鮮さを感じながら旅をした。2014年にイタリアの4都市をめぐったときは、各地でワークショップも行い、参加してくれた人たちに「今日の朝、どんなふうに過ごしたか」を訊ね、またあるワークショップでは「街を出た日の記憶」というテーマで話をしてもらって、イタリアという土地に手を伸ばそうとした。そして2015年は、そのワークショップに参加してくれた4人と一緒に作品を作っている。

 イタリアを訪れるたび、藤田さんが「ほんと日本って何なんだろうなって思いますよね」と口にする回数が増えている。今年は特によく耳にした気がする。それは、一つには、離れた場所にいることで日本のことを考えているということがあるのだろうし、これまでよりも一段踏み込んで――作品を作ることを前提として、一緒に料理をしたり、ゲームをしたり、話をしたりして過ごすことで――より深くイタリアを、イタリアに生まれた人たちのことを知ることになったからだろう。

 イタリアの皆が歓迎してくれる姿を見ても、イタリアの皆が料理をする姿を見ても、“違っていること”に思いをめぐらせていた。ただ――“違っていること”を感じれば感じるほど、正反対のことも頭に浮かんでくる。

 生まれた国も違えば、話す言葉も違う。見てきたものも、口にしてきたものも違っている。それでもどこか繋がるものがある。それは一体何なのかを、まだ言い当てることはできない(こう書いてみたけれど、言い当てることなんて出来るだろうかとも思う)。その繋がるもののことを、日本とイタリア、どちらかに引き寄せて考えるのではなく、ことさらその2つを対比して考えるのでもなく、その2つから離れた場所にある何かに思いを巡らせることで探り当てようとしているように感じられた。だからこそ、いきなり作品づくりに取り掛かるのではなく、一緒に時間を過ごすということを大事にして2週間の滞在制作を行ってきた。

 そこから生み出されたモノローグの淡さ。その淡さは、「たった2週間という限られた時間で描けるのは、淡いところまでだ」ということも一つにはある。でも、「わたしの、、、、、、わたしの、、、、、、内側と外側は、、、、、、どういうふうにして、、、つくられているのだろう、、、」というモノローグが淡く語られる様を観ると、その淡さにはある手触りが含まれているように思えた。その手触りは、2015年版の『cocoon』の延長線上にあるものだ。

 私を離れて、「私」になる。私という個人から出発しているのだけれど、次第に輪郭が曖昧になって、誰でもない、でも誰でもある「私」になってゆく。そんな感触を、最近のマームとジプシーの作品には感じる(だからこそ『IL MIO TEMPO』で気になったのは、以前からマームとジプシーの作品にしばしば登場する「わたしは、わたしたちは」というフレーズが登場することだ。もはやそのフレーズを登場させなくても、『IL MIO TEMPO』における「私」は、私という存在を離れたところにある)。

 『IL MIO TEMPO』という作品は、その全体を通して、何か靄のようなものに覆われている。それは作品として解像度が低いというよりは、あえておぼろげな質感を漂わせているように僕は感じた。そのおぼろげな靄に、国の違いや言葉の違いを超えたところにあるものが込められているようにも思えた。

 今回の滞在制作の期間中、公開リハーサルやアーティストトークの席において、藤田さんは「同世代の皆と作っている」ということを強調していた。もちろん、同世代なら世界中の誰とでも繋がれると楽観しているわけではないだろうけれど、同じ時代を生きている人間としてどこか繋がるものがあって共振しうるはずだと思っているからこそ、こうして海外公演を続けているのだろう。今回の滞在制作では、「イタリアのことをどう感じているのか、皆の言葉で聞きたい」という質問もなされていた。あるいは、「30歳っていう歳についてどう感じているのか」という質問もあった。そうした質問に対する回答には、どこか影がある。たとえば、アンドレアはイタリアを「昔ながらの古い住まい」だと喩えたし、カミッラは「ケージみたいだ」と喩えていた。

 それから、もう一つ。イタリアの皆にも、日本の皆も、藤田さんは「最初の記憶は何か」ということも訊ねていた。その答えはどれも、誰かに抱きかかえられている記憶や、誰かに守られている記憶だ。人間が無防備に生まれてくる生き物である以上、生き延びて大人になることができた「私」の中には、おぼろげではあるけれど、そうした記憶がある。遠い過去に対するおぼろげな記憶、国が違ってもどこか共通する記憶――それもまた、作品に漂う靄のような質感を生んでいるのかもしれない。

 日本人とイタリア人によるコラボレーションは、この作品で終わるわけではなく、来年さらに発展させられることになっている(終演後、スクリーンには「SEE YOU NEXT YEAR」という文字が表示されていた)。靄だったものは、来年にはもっと具体的な形をともなってあらわれるのかもしれないし、靄は靄としてあり続けるのかもしれない。いずれにしても、この先が楽しみだ。

 終演後、劇場の外に出るときれいな満月が浮かんでいた。1ヶ月前は『てんとてん』の最終日にケルンで満月を眺めて、そのまた1ヶ月前には『cocoon』ツアーで訪れた沖縄で満月を眺めた。今日はポンテデーラで満月を見上げている。一緒に月を見上げていたアンドレアが「シー・イズ・ビューティフル」とつぶやく。イタリア語で月は女性だ。

 ところでこの日、キッチンでは昼からずっとディナーの下ごしらえが行われていた。林さんはずっとキッチンにいて、役者の皆も休憩時間になるたび戻ってきてその手伝いをしていた。この数日間、毎日おいしい料理を作ってもらったお礼に、最終日となる今日は和食を振る舞うことになっていたのだ。

 味噌汁、だし巻き玉子、ポテトサラダ(は和食ではないかもしれないが、日本的なメニューでもあるし、何より僕が食べたかった)、タコさんウィンナー(も和食ではないが日本的だ)、鶏肉の唐揚げ……。何よりとっておきだったのは手巻き寿司だ。イタリアの皆に一度目をつむってもらって、そのあいだに手巻き寿司の具材を並べて目を開けてもらうと、皆大喜びしてくれた。別れを惜しむように、宴は続く。そういえば、『IL MIO TEMPO』には、こんなモノローグも登場する。

お兄ちゃんとは、、、血もつながっていない、、、、、、言葉だってあんまりつうじない、、、、、、
それでもなぜだか、、、、、、会いたくなったり、、、、、、
別れがこんなに悲しかったり、、、それってなんなんだろう、、、、、、わからないなあ、、、、、、

 このモノローグで語られている気分は、今回の制作に携わったすべての人が感じていることではないかと思う。国籍も違えば、通訳を通さないとそんなに言葉も通じないのに、何もかもが違っているはずなのに――そして何もかもが違ったままであるにもかかわらず――どこか繋がっていると実感できる。そんなふうに思えたことも、この2週間の成果だ。